
「今日まで自分を導いてきた力は、明日も自分を導いてくれるだろう」(島崎藤村)
先哲は「只今が其時、其時が只今」と、其の時々の一時一瞬が自分の未来の道につながっていると説く。
小さく些細なことであっても、其の時々のなすべき事や判断を疎かにしてはならないと。
確かに「明日とは、実は今日という一日の中にある」のだから、目の前にある自分の足下を着実に勤めていくことが大切だろう。
日常において右に行くか左に行くか、身近なできごとの決定の中で、私たちは知らないうちに自分の人生を創っている。
生活の小さな選択行為の積み重ねが、いつの間にか自分の生きた証の足跡になる。
怠けも楽するのも、いい加減さも丁寧さも実直さも、それは自分でそれを「えらんでいる」思考が働いているのだ。
その行為の長い連続が自分の後ろに道となって軌跡を描くのである。
しかしまた、選ぶということは、選ばなかった他を捨てていることでもある。
多くの場合、一度に二つのことはできない。過去を選び直すことも、時を呼び戻すこともできない。
智慧と経験の確かな判断ときっぱりとした決断を求め、時は待つことなく実に厳しく、ことある毎に選ぶことを私たちに迫る。
いかなる時も磁石がいつでも北をさすように、自分の心にも羅針盤を持とう。
昔の海人が極星を目印にして帆を走らせる如くに、揺るぎない一つの方向を見ながら進む自分でありたい。
生きてあれ冬の北斗の柄の下に (加藤楸邨)