
朝早いラジオからは川田正子が歌う「春よ来い」が流れていた。
春よ来い 早く来い 春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが おうちのまえの 桃の木の
赤い鼻緒の じょじょはいて つぼみもみんな ふくらんで
おんもへ出たいと 待っている はよ咲きたいと 待っている
(作詞:相馬 御風 作曲:弘田 龍太郎)
春を待ちわびるこの歌、雪多い地方の子ども心であろう。
雪に閉ざされて外での遊びがまならぬ子どもたちの心情がよく表れている。
聴きながら私は信濃町生まれの小林一茶の句を思い出していた。
「雪とけて村いつぱい子どもかな」
ところで作詞者相馬御風は「都の西北」(早稲田大学校歌)を作ったことでも知られる文人、詩人である。
雪深いその情景と子どもらしいほのぼのとした叙情を、飾らぬの言葉で詠う御風。
しかし、彼には人知れぬ煩悶と苦悩があったことはあまり知られていない。
後に彼は「還元録」でこう述べている。
『私はかなりに永い年月の間、一かどの思想家顔をして、何かしら書いたり云つたりして来ました。自ら真に省みる時、常に劇しい空虚と不満との悲しさ苦しさ焦立たしさを感じながらも、さまざまの外的誘惑や一時的の刺激に引きずられつゝ、時々は何かしら世界に貢献するところのある人間であるかの如く自らを妄想するやうな事さへ敢てしつつとうとう今日までその苦しい生活をつゞけて来ました。而もその忌はしい自欺的生活によつて私は儘かばかりの虚名と僅かばかりの金銭とをさへ得て来ました。
(略)そしてさまざまの人々から賞められたり、けなされたり、罵られたり、嘲けられたり、持ち上げられたり、あまやかされたり、励まされたり、からかはれたり、鞭打たれたり、撫でられたりして来ました』(自序抜粋)
名声を得ると往々にして逆のベクトルが激しく働くことがあるのが世の常である。
こうして、一線から身を引いた彼は故郷で「良寛」研究に没頭したという。
桃畠の土もおちつく冬日影 (籾山梓月)