レオナール・フジタ展 ~藤田嗣治の4章~
- 2009/01/05(Mon) -
二人の友達

藤田嗣治といえば、誰しもあの『すばらしき乳白色(グラン・フォン・ブラン)」と呼ばれる、独特の白磁を思わせる色艶の絵を思い起こすことであろう。
当時のヨーロッパに於いて最も成功を納めた「フジタの白」は、日本の美と西洋の文化の融合を独自の発想によって生み出されたものであった。
彼はそこに至る思いを次のように述べている。
「自分の細い線を現すにはもつと滑らかな、光澤のある畫布を作らなければならぬ。しかし、これは容易には發見出来なかった。けれども一つの不成功は経験となり、一つの失敗は進歩となって遂に理想的のいはゆる白カンヴァスを發見することに成功した」。(藤田嗣治畫集1929~図録より~)
今回の展覧会にはもちろんその輝く白の作品を見ることが出来る。しかし館内に踏み入れた私たちは、それは藤田にとって全てではなく序章でしかなかったことに、そしてこの展覧会が「レオナール・フジタ展」であることに初めて気づかされる。
まずその第一章はモディリアーニやスーチンらと過ごした「エコール・ド・パリ」時代とグラン・フォン・ブランの世界。憂いのある首長が特徴のモディリアーニ風の作品もいくつか見られる。
第2章は巨大な画面に描く群像表現「構図」「闘争」などの大作への挑戦である。まるでギリシャ彫刻の肉体美やルネッサンス絵画の物語性を思わせるダイナミズムが表される。フジタが古典に深く傾斜し学んでいたことがわかる。
第3章は晩年を過ごしたエソンヌでの生活人としての仕事と表現の統合である。我々はここで、彼がきわめてデリケートな表現者であること、そしてフランス国籍を取得し、カトリックへ改宗したレオナール・フジタとなったことに気づく。田舎の簡素な一軒家に落ち着いたフジタが作るのは、おびただしい数の家の模型や礼拝室、器など生活と密着した工作手仕事ので世界であった。器用な生活者としての一老人の姿がある。
そして最終章はこれまであまり知られなかった宗教画の世界である。
彼は晩年、ステンドグラスをはじめとし、生誕、十字架降下、イブ、洗礼といったキリスト教に題材を求め、最後は「平和の聖母礼拝堂」を建立する。
「白のフジタ」はいうまでもないが、4章の中で変遷していくフジタ、あくなき表現者としてのフジタ、そして初めて知った「宗教画のフジタ」に強く惹かれた展覧会であった。

「敬虔なフジタ]と過ごす時間の中で、心洗われる信仰の深い思いに触れた清々しい上野での正月であった。

磔刑 「磔刑」


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コメント

この作家さんはほんとに神経が細やかな方なんだろうな?っとこの絵を見て思います。
白を高く評価されている様ですが、“ふたり”のその髪色はとても難しかったと思います。
白に乗せる色のほうが私には難しく思えるのです。
このような方が最後にキリスト教に染まるのも分かるような気がしました。
2009/01/05 16:12  | URL | sae #f6CisVbY[ 編集] |  ▲ top

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