
「次郎君の仕事はすべて目に見えない地下の根で勝負している。君は天から恵まれた自分の根の上にたくましい幹を育て、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たしてきた」
陶芸家濱田庄司が金城次郎の展覧会に寄せた文の一節である。
私がショーウインドウに置かれていた次郎のこの作品を見て、一目でその土着的な素朴さの魅力に惹かれて買い求めたのは昭和53年頃のことであった。
彼が人間国宝に認定されたのは昭和60年のことであるから、それより少し前ということになる。柳宗悦や、河井寛次郎らが賛辞を贈る陶芸作家であることを知ったのはそれからだいぶ経ってからである。
この器は本来は酒を入れる瓶であろうが、一度も酒を注いだことがない。
むしろ、時々こうして花瓶がわりに用いたりして楽しんでいる。
今年は「蓮の枯れ姿」を挿してみることにした。次郎の魚には蓮一本がいい。そうしよう。
バランスはきわめて悪い。しかし、余分なものが無い方が互いの味を出す気がする。
素の姿、朴の形、不安定な妙、枯れた温もりといったところか。
ところで、濱田がいうように、「人の仕事は目に見えないところにある底の部分の勝負が大事」なんだろうと思う。
自分が生きているうちには自分育てという仕事はいつまでも続く。
私も次郎のように「自分の根の上に、たくましい幹を育て、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たせる」ようになろう。