
「堀文子展」~命の不思議~を観てきた。
中に入るとすぐに、震えるような不思議な感覚を覚えた。
緊張感をもって観なくてはならないような張りつめたものを求められる空間が漲っている。
その感動をどう伝えればよいか、うまく言葉に乗せられない。
1枚1枚の絵に堀文子その人の心と顔がある。
御年94歳、今なお現役の画家である。
『花吹雪』は丁度今頃の桜が花びらを散らせていく様子を描いたものである。
画面から花びらが飛び出して、今にも頭や肩に降りかかりそうな、そんな空気感がある。
桜の木にある花ははきわめて装飾的であるが、散る花びらは写実的で空に舞い上がり、地に落ちていく。
風や音すら感じさせる。
私もこのような、心の振り子を振幅させる絵を描きたい……。
清められた思いの小一時間を過ごして美術館を出る。
善光寺界隈の桜はまだ固い蕾のままである。
-2012年(平成24年)4月-
昨日の新聞で知った。
堀文子さんが5日に亡くなられたことを。
画家として人生の先輩として、尊敬し私淑していた。
画文集と展覧会図録を広げて偲ぶ。
私に必要なのはますます深まる生命の不思議を見つめる感性を研ぎ、日々の衰えを悔い止めることなのだ。
残り少なくなった私の日々は 驚くこと、感動すること、只それだけが必要で、知識はいらない。
(『堀文子画文集 命の軌跡』より)
私が確かに生きている今日、全身全霊を傾けて、考え、嘆き、感動する事のできるのが今(現在)なのだ。
過ぎた昨日には戻れず、明日の未来はどうなるか見当もつかない。
季節も変わり、雲行きも月の形も、思い掛けない出来事も一日として同じ日はない。
(『堀文子画文集 命といふもの第3集 名もなきものの力』より)
刻々と失われていく身心のエネルギーの目減りを防ぐのは自分自身の力でしか出来ない事だ。
人の助けで埋められるような生やさしいものではないのである。
私は私の手足で働き、私の頭の回線を使うしか方法はないのだ。
(『堀文子画文集 トスカーナの花野』より)
貫かれる強い信念。
また一つ美しく大きな星が光を落とす。
潮満つるごとくに二月訃多し (轡田進)

