
あかねさす昼は物思(ものおも)ひぬばたまの夜はすがらに哭(ね)のみし泣かゆ (万葉集 15-3732)
中臣宅守(なかとみのやかもり)のこの歌を知ったのは大学1年の時だった。
ある講義のテキストが斎藤茂吉著「万葉秀歌 上・下」だった。
その中に狹野茅上娘子(さぬのちがみのおとめ)との相聞歌として取り上げられていた。
以来、それはいつでも諳んじることのできる心の歌となった。
きっとその時分の心情に波長が合う歌だったのだろう。
後に彼らが交わした他の歌も読み深めもした。
その時、二人の歌に何度か出てくる枕詞(黒・闇・夜・髪などにかかる)の“ぬばたま”が桧扇の実であることを初めて知った。
(狹野茅上娘子) ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
(中臣宅守) 思ひつつ寝ればかもとなぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
爾来“ぬばたま”(nubatama)と“桧扇”(hiougi)を私自身のシンボルにしている。
〇〇ネームが必要な様々な場面で用いたりして。
「万葉秀歌 上・下」は私の青春の記録として数十年経つ今もそのまま書架にある。
あの酷暑の折にオレンジ色の美しい花を咲かせた檜扇は、深まる秋の今、艶々とした真っ黒な姿の”ぬばたま“となって庭に。
昼一人になるとあなたのことが思い浮かび恋偲んでしまいます。
そしてまた夜は夜でいっそうせつなくて逢いたくなり、ただただ涙が流れ声をあげて泣く私です。
人恋ふて淋しさばかり秋深し (大平保子)



(7月25日のヒオウギ)