クチナシ(梔子の実) ~“老い遅れ”~
- 2018/02/04(Sun) -
クチナシの実181

“老い遅れ”とは作家黒井千次さんの言葉。
昨年の今頃読んだ雑誌の中にあった。

 年齢が進めば、だんだん老人になる、衰えてゆくのは自然なことで、逆らってはいけない。
 というか、逆らうことは本質的にはできない。
 あっちが壊れ、こっちが壊れたりするのは辛いことではあるけれども、それが自然だとしたら、受け入れてゆくより仕様がない。  
 そのほうが人間らしいんじゃないでしょうか。 
 その逆の格好で、老いるべきときに老いていかないと、それは何か欠けていることになりはしないだろうか。
 静かに、間違いなく老いてゆく。
 それを課題に老年を生きるのなら、“老い遅れ“に気をつけたほうがいい。
 負け惜しみではなく、そう自分に忠告したいわけです。
 理想をいえば、健やかに老いてゆくというのが一番だと思います。

寒さ極む中に梔子の実がある。
実りを成して熟すもなお黙考するかのように。

年齢は常に初体験、健やかに老いてゆく…と自分へ。

  冬深き志野の湯飲みの肌ざはり (大場美夜子)

クチナシの実182
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コメント
梔子の黙考

赤い実のブログを見て、慌てて庭に出ました。
我が家の梔子も小さく赤い実がついていました。
教えられなければ見えない姿でした。
私自身が黙考してガチガチに固まっていました。
もう春ですものね。
重かった頭と心と体を柔らかくしないといけませんね。
2018/02/04 15:15  | URL | osinono #-[ 編集] |  ▲ top

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