
あまり人の目にふれることのない菱田春草の未完成の作品が4点ある。その貴重な作品を鑑賞する機会があった。これらの作品がなぜ未完成のまま残されたのか、その意味の解明などを含め興味深く作品に向き合うことができた。
群れで遊ぶ鴨が描かれたこの作品、題名も定かでないのでここでは「雪中群鴨」としよう。
冬らしさが漂う静かな作品である。しばらく降り続いた雪も今はやみ、鴨たちが動き出す。鴨は13羽、そのうちオスが7羽メスが6羽、それぞれに上を向き下を向きと変化と動きがある。そして一つ一つの姿態が何とも可憐で、雪の白さと静かな広がりに一層の対比を見せている。中央に位置する鴨たちからは楽しそうな会話が伝わってきそうで、真冬の雪面の中にもほのぼのと温かいものを感じさせる。静かな自然の中に息づく生命、そして計算されたかのような隙のない画面構成、それらが寒い情景の中のあたたかな物語を作り、惹き付ける。
作品は全体に色が施されていない鴨が多く、オスは灰色、メスは肌色で着彩が止まっている。しかしよく見ると、水、岸辺、そして上部の一羽は十分描き込まれており、左上部の一羽だけは首と羽の一部に色が重ねられている。全体の色調を伺いつつ一つ一つの個体(部分)を順を追って完成させていくという手法を採っていることが分かり、春草の制作現場を見るようで興味深いものがある。
春草にはその代表作に重文の「落葉」があるが、やはり全く同じように未完の「落葉」が存在する。それが未完であるのは奥行きと広がり表現の失敗にあるということで理由は明確になっている。しかしこの「雪中群鴨」を見る限りでは失敗として筆を置かざるを得なかったという要因を見つけることができず、その未完の意味をどうしても見つけ出すことはできない。
一枚の絵の中に残された「未完」というメッセージ、これをどう読み取っていったらいいのだろう。