
定期購読している月刊誌がある。
その12月号の表紙のサブコピーには『白寿語録 堀文子99歳 驚くこと。感動すること。ただそれだけあればいい』
5頁の特集は人の生き方、あり方として考えさせられる深い言葉に溢れている。
その中の1頁は白寿記念インタビュー。
堀さんは答えて次のように語る。
一部を抜粋する。
― 私は自分に対して冷たい人間ですから、自分の経歴やしてきたことなんていちいち覚えていないのです。
私にとっては常に「現在(いま)」しかないのです。
― 私が確かに生きているという今日。全身、全霊を傾けて考え、嘆き、感動することのできるのが今という時間なのです。
― 九十九といっても、齢がたまっただけのこと。歳を取ったから偉い、なんて冗談じゃない。
― 人間は生きている限り、未熟なのです。この齢になっても、私は自分に対する不満が山のように溜まっています。
― 99歳になるというのは初体験です。
人の一生は毎日が初体験で、喜びも嘆きも時の流れに消え、同じ日は戻らず、同じ自分もいないのです。
― この世に同じ人はふたりといないんですね。“私”という人間はこの世にたったひとりしかいない。何と不思議なことでしょう。
― あるのは“私”という人間だけです。「孤独」なんていって甘ったれていられない。ひとはそもそも孤独なのです。
99年生きてきたという裏付けから発せられる女性の言葉、直截的で真っ直ぐで強い。
白寿の今なお、筋を通し芯のある生き方をされておられる。
冒頭には白髪を湛えた堀さんのお顔、本当に美しい。
歳はこう取りたいものと、憧れる。
“私にとっては常に「現在(いま)」しかないのです。”
“全身、全霊を傾けて考え、嘆き、感動することのできる今という時間なのです。”
今一度胸の奧に墨書する。
蜜を求めて雨粒を乗せる山茶花にフタモンアシナガバチ。
奧へ奧へ。
今といふ刻わがいろに秋生きる (山崎荻生)

