
実南天紅葉もして真紅なり (鈴木花蓑)
私が南天を庭に植えたのには理由がある。あわせて八つ手も植えてある。でも、多くの人にはその意味を簡単には理解できないかもしれない。
金地にヒヨドリが中央に二羽舞う六曲一双の作品、菱田春草の「早春」(明治44年)は彼の絶筆である。36歳にして世を去ったこの若き郷土の画家が、最後に光琳の境地で描いた作品である。12枚の屏風に描かれているモチーフはたった四つ。右端に南天、左端に八つ手、そして広くあいたその真ん中にヒヨドリが二羽空にある。幾何学的合理性を持つかのような隙のない空間の美がそこにある。眼疾に苦しみ、腎臓疾患を抱え、自らの死を予感しながら描かれた彼最後の画である。
初めて春草を知った20代後半から今日まで、彼の生き様に感銘を受け、一つ一つの言葉を深く心に刻み、何かあるごとに彼の画集を開いてきた。時には、彼が失明の危機に瀕し苦しんでいた茨城の五浦を訪ね、居を初めて構えた代々木の旧宅跡を訪ね、故郷天竜川の石で作られた墓石のある中野の大信寺を訪ねた。
春草を師岡倉天心は「不熟の人」と呼ぶ。彼の絵に対する炎のような情熱と絹糸のような感性、そして怜悧なまでの厳しい制作態度は「不熟の人」以外に形容する言葉はない。
私は制作者として、春草の心を自分の世界に持ち続けようと南天と八つ手を植えた。気がつけば南天はその数を増やし、今では庭の至る所に10の数を超えている。今日もまたヒヨドリがやってきた。
南天の実太し鳥の嘴に (高浜虚子)