
公募展の会期が終了し、作品を搬出してきた。
私の制作のほとんどの場合、構想を立てると、デッサンなしに一気に直彫りしていく。チエーンソウでほぼ8割方粗彫りを済ませ、後はアトリエの中に入れて、鑿で仕上げる。ただ、彫り進めるうちに、途中構想が変わることがある。というより、このところ、大体においてそうなる。今回は、初めの構想では作品の前には”本“が開かれていた。しかし、人物と体の部分が進み、全体のイメージが掴めはじめたところで、”本“は胸に留まる“蝉“に換わった。
額から汗を流す私の周りでしきりに鳴く蝉、そしてラジオからはアメリカの17年蝉の話題が届く。夕刻には蜩が哀調帯びた声を響かせる。
何年もの間、土の中でじっと命を育み、そして必死の思いで脱皮してこの世の光を目にして声を出した時、彼に残されたその時間は後1週間。庭では今朝生まれたばかりの蝉の穴がいくつもある。空蝉が木々に残る。もののあわれや人生観をふと考える。こうして”本“は“蝉“に換わった。 材質は欅と檜、台座は杉。
秋の小品展への出品が近づく。コンセプトはできている。しかし、また仕上がった時には描いたプランと違うものになっているのかもしれない。
今しがた 此世に出でし 蝉の鳴く (小林一茶)