
我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ
(万葉集 巻第四0639 娘子のまた報へ贈れる歌一首)
大学で万葉集の講義を取ったとき、その導入本として岩波新書の斎藤茂吉著「万葉秀歌 上・下」を求め、繰り返し繰り返し何度も読んだ。最終的にレポートとして認めたのは有馬皇子の「磐代の浜松が枝を引き結び…」「家にあれば苛に盛る飯を…」の二首についてであった。そして読み深めるうちにそのほかにも中臣朝臣宅守など、いくつもの心打ち、心惹かれる歌に出会った。今でもそのなかの何首かは諳んじることができる。
「万葉秀歌」を通して多くの言葉の意味に思考を深め、日本語の美しさや、古人の豊かな感性に触れることができ、私の学びの中で印象に残る講義の一つだ。ぬばたまが夜の枕詞であること、つまり檜扇の黒い玉が夜の暗闇を連想させたことから生まれた枕詞であることを実感として理解することができたのもこの講義を通してである。遠い過去の青春の一こまとして蘇る。
今年のあの暑い夏に、オレンジ色した美しい斑入りの花を咲かせた檜扇は、今まさに”ぬばたま“にその姿を変えている。艶々とした真っ黒い玉でありながら、ほのかな魅惑を覚えさせるものがある。額田王や狭野茅上郎女など、万葉の人々はこのような植物の小さな玉の色を借りてそれぞれの思いを歌に詠んだのだと思うと、ロマンを共有できるようで嬉しくなる。
あかねさす日は照らせどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも (万葉集 巻第二0169 柿本人麿)