
先般観覧してきた『フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』は、出展された作品の充実した内容から、久しぶりに見応えのある展覧会だった。「牛乳を注ぐ女」以外にも、外光を効果的に取り入れた人物や室内の陰影表現と、質感を的確に表した写実的描写力はもちろんだが、さりげない日常の一場面をモチーフにしながら、実は深いシンボリックなテーマを内在させているそれぞれの作家の豊かな感性に惹かれるものがある。『表現する』ということにおけるコンセプトの大切さを多くの絵から示唆された気がする。
中でも、ニコラース・ファン・デル・ヴァーイの《アムステルダムの孤児院の少女》は無条件に私をその絵の前に立ち止まらせた。きっと一つのデューティを済ませただろう、自分だけの許されたわずかな時間に、窓から差し込む逆光の中で本を読む少女が浮かび上がる。周りを忘れたかのように活字に耽る、その薄幸の少女のけなげさが伝わってきて心を打つ。
モデルの内面性にまで入り込んで描いたヴァーイの作品に私は深く感銘を受けた。この絵が世の多くの人々の目に取り上げられることなく、知られていなかったことが不思議にすら思う。傑作である。名画といえよう。
その余韻に浸り絵について、作品について語らいながらの帰り道、新宿西口の京王に寄って息子が萩焼の湯飲みを買ってくれた。それから毎朝それでお茶を飲む。白萩釉の景色も良くその器の形にマッチし、そしてなにより手になじんで使いやすい。いい器だ。
一昨日、夕食時にそれを落として割った。10日しか使えなかった。形あるものはいつかは必ず壊れる。わかってはいるが残念だ。