
東京から帰ってくるとホトトギスが咲いていた。年を経るごとに株も大きくなり、花の数も増えた。この花が咲くと辺りは景色をさびの佇まいに変え、自ずと俳人の気分にさせてくれる。その色といい、形といい、味わいのある花だ。
夏の花が少しずつ姿を消し、秋の花に入れ替わる。人は鈍感だが、草花は季節の移ろいをデリケートに感じ、空気を読み、自分の主張する時を知っている。
こんな穏やかな花を見ながら自らの日常を省みると、その度量の狭さ、発する言葉のいたらなさを恥じ入り悲しむ。常に持ち続けたい大切な思いとは裏腹に、実際の生活の中では気配りを失い、不徳をわびたい言動があったりする。自分の知らないところできっと心を深く傷つけた人がいるのだろう。文字と文字の間にある、その書かれていない行に示されたメッセ-ジを読み取れないばかりにする誤解……、言葉は生きている。不如帰あらば、その胸に飛ばして真を伝えたし、そういう思いを抱く。
最近もそんなできごとがあった。
今朝は雨だ。一雨毎に涼しさが増す。私も今日から衣替えにしよう。
幾度も雨に倒れし油点草 稲畑汀子
紫の斑の賑しや杜鵑草 轡田 進