裸になった木々 ~それは『用意』~
- 2014/11/26(Wed) -
裸になった木々

石垣りんに『用意』という詩がある。

 それは 凋落であろうか
 百千の樹木がいっせいに満身の葉を振り落すあのさかんな行為
 太陽は澄んだ瞳を
 身も焦がさんばかりにそそぎ
 風は枝にすがってその衣をはげと哭く
 そのとき、りんごは枝もたわわにみのり
 ぶどうの汁は、つぶらな実もしたたるばかりの甘さに重くなるのだ
 秋
 ゆたかなるこの秋
 誰が何を惜しみ、何を悲しむのか
 私は私の持つ一切をなげうって
 大空に手をのべる
 これが私の意志、これが私の願いのすべて!
 空は日毎に深く、澄み、光り
 私はその底ふかくつきささる一本の樹木となる
 それは凋落であろうか、
 いっせいに満身の葉を振り落とす
 あのさかんな行為は―
 私はいまこそ自分のいのちを確信する
 私は身内ふかく、遠い春を抱く
 そして私の表情は静かに、冬に向かってひき緊る。

庭の木々の姿を見ていて、その詩を思い出していた。

葉が落ち、色をすっかり失い、容姿を変えた樹。
然しそれはけっして凋落ではないと。
衰え、落ちぶれ、沈む形ではないと。
それはリスタートの「用意」なのだ。
それは新たな気力の「粋」なのだ。
自己の生を振り返り、また新たな出発のための一年に一度のセレモニー。

人にもそんな「いのちの秋」が必要かもしれない。
人にも時々の四季が必要かもしれない。

  逝く秋の風をききおり風の中 (阿部洋子)

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