
赤い菊が咲いている。
「赤い菊」を見ると思い出す一枚の絵がある。
菱田春草の『菊』である。
小色紙ほどの大きさに赤い菊が描かれる。
そしてこの絵を見ると、端座して揮毫する春草の悲痛な面持ちを思い浮かべてしまう。
明治44年、36歳で夭折した春草。
知るところ、この年に描かれたのは4作。
腎臓病に加え、画家の生命である眼疾を患い、失明の危機が迫る中でそれらは描かれる。
『菊』はその一つ。
金地の背景には何も描かれない。
墨を基調にした黒みがかった葉にはたらし込みによるにじみの表現。
花のうち中央の一つだけを薄紫に施した意図とは。
金地に濃彩表現という特徴から、この絵が描かれたのは、六曲一双屏風『早春』と同じ1月頃と推測される。
従って、菊の咲く時期の写生ではない。
つまりは彼の心象写生。
たとえば菊は長寿、そして花の九輪は苦。
たとえば赤は輝く光、そして黒は静かな闇。
病に蝕まれ、弱りゆく己の体への自覚と生への希求の交錯。
この小品にはそんな思いが込められているような気がしてならない。
当時の手紙にはこう記されている。(いずれも部分抜粋)
○(千代夫人の手紙)旦那様も先頃より眼のほうあしく、誠に困入り候。
先年のよふとは又違ひ両眼ともにはしの方、ぼうとして見えぬ事にて、先年の如く注射致され居り候。
御承知の如く、治らぬ目に候故、ただひどくならぬ様早くかためてしまふより外致し方これなく候。(3月9日)
○小生正月より前の如く眼疾再発にて此の度は殊に甚敷病ひ居り困却致し居候。
先頃より全く筆を絶ち諸事打ち捨て療養罷在り候。
唯今は新聞雑誌等も見兼る様に相成神経衰弱に陥り弱り居り候。(4月2日)
○眼の方も網膜炎は起こり居候為、諸物体明瞭に見え不申候。
只々少しの起臥動作の際、眼にひかり出で、一分間ほど物見へず暗黒と相成り、夫を前にも心配致し居り候処…。(4月23日)
このあと春草の病状は悪化の一途を辿り、9月16日帰らぬ人となる。
この絵を見る度、私の脳裡には重い病と闘いながら絵筆を執っている春草の必死な姿がありありと映り出されるのである。
今日はまた今日のこゝろに菊暮るゝ (松尾いはお)



