
たとえば小水の常に流れて 即ちよく石をうがつごとし 釈尊
これは釈尊の遺言の教え『遺教経』にある言葉だという。
青山俊董師がその著の中で紹介し、次のように説く。
「もし勤めて精進すれば、どんなことでもできないことはないのだ」
「わずかな水の流れでも、たゆることなく流れつづけていると、石さえもうがつことができるようになるものだ」
一滴一滴の雨だれが下の石に穴をあけ、寄せ返す波が岸壁の巌を浸食している光景を見つめていると、
「やれないんじゃない、やらないだけなんだな」と思う、と。
一年の終わりが近づく時、私もまた我が身の一年の過ごしを振り返る。
雨だれを自分という石に何滴落とすことができたのか。
「為しなさい」。
「動きなさい」。
「やりなさい」。
表の変化というものは目にさやかにはなくとも、繰り返し続けることで確かにうがたれ変わっていく。
一年の雨だれの下の石を見つめる。
アップルブロッサムは薔薇のような八重のゼラニウムである。
いささかに己を省みる年の果 (文)

