アサガオ(朝顔) ~自他一如~
- 2013/09/14(Sat) -
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早朝のこと、ふと付けたテレビから聞こえてきた言葉だった。
「悟りとは、差を取ることなんです」
「自他一如(じたいちにょ)の心なんです」
法衣に包まれていた方のお話しだった。
途中からだったので、その前後の脈絡は知らない。
ただ、「差を取る(差取る)」、「自他一如(じたいちにょ)の心」という言葉が心に残った。
悟りとは必ずしも難しい修行で得られるだけのものではない。
うまく咀嚼はできないが、日常の心構えの中にあるのだと。
互いに思いやる気持ち。
自他の間にある諸々の差を取り去った同調する思い。
地位、年齢、性別、人種、環境,貧富…を超え。
自分と他人は一つの如しとして、他の人の心を吾が心とする。
感じ合い、理解し合い、察知し合い、通じ合うこと…。

心の狭い私など、「他との差を取る」境地にはなかなか近づくことはできない。
ましてや煩悩だらけの人間の私、どうしても認められない、許せないことも多い。

こんな言葉を書き留めるだけで、自分の度量を大きくしていく一助とする。

地に這った朝顔に花がある。
中の色模様が星形になっている。
手裏剣にも見える。
ただなんともないそれだけなのに、嬉しい気分になる。
九月半ばの朝に見つけた小さな喜び。

   朝がほや一輪深き淵のいろ  (与謝蕪村)

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