
野依良治氏(ノーベル化学賞)は「センス・オブ・ワンダー」というコラムの中で次のように締めくくっている。
現代人は人工都市に住み、あえて安楽で効率優先の生活様式を選択した。
それが人間本来の感性を劣化させているように思えてならない。
中野孝次は著の中で述べる。
たしかに物はゆたかになった。(略)
しかし物の生産がいくらゆたかになっても、それは生活の幸福とは必ずしも結びつかない。
そして、徒然草の一節を引用して説く。
名利に使はれて、閑かなる暇(いとま)もなく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
まことの人は智もなく、徳もなく、功もなく名もなし。
「真の人間は人間の利得とか名聞とかそんなものにかかわるところにいない。」
「ただ己の心の充実を求めるのみだ。」
欲利に向けず、惑わされず、踊らされず、自分の立つ位置だけはしっかりと守る。
世相に浮かれないように、事やものの損得が生活の価値の真ん中に坐ることなく。
無償の営みや陰徳のおこないを傍らで抱え、求める方向性にぶれないように。
たのしみは意(こころ)にかなふ山あたりしづかに見てありくとき (曙覧)
花を見る時わき起こるもの、染みいるもの、導くもの、誘うものは財のゆたかさとはまったく異なるものである。
戻って、野依氏の言葉である。
人間は自然の恵みを受け、また厳しさと対峙しながら生きる。
太古から太陽や月、星を眺めてきた。
雨や雪に触れ、動植物に出会う。
五感を生かして物事を知り、驚き、納得する。
今我々は五感をどこへ持って行っているのだろう。
ややもすると、本来の五感そのものを失いかけているのかもしれない。
本来備わっているべき感性をも教えなければならない時代かもしれない。
美徳とか人間愛とか慎ましさとか、受け継がれてきた日本人の心も。
私は花が好きだ。
そして自然が好きだ。
庭の片隅で赤白斑入りの椿が咲いている。
椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ (池田澄子)
