秋の日の ~音風も透き通りて心の寂寞~
- 2012/11/14(Wed) -
陽

  秋の祈り   高村光太郎

  秋は喨喨と空に鳴り
  空は水色 鳥が飛び
  魂いななき
  清浄の水こころに流れ
  こころ眼をあけ
  童子となる

その昔、中国では秋風のことを「金風」と呼んだそうである。
山を彩る木々の錦を抜けゆく澄んだ風はまさに黄金色の風と呼ぶにふさわしい。
先日、「柿の葉が落ちゆく音に心動かされた」との一文を目にした。
枝を離れはらはらと落ちる葉は、寂寥として心に染み入る。
かすかな音さえ届く静かな秋は誰の心をも詩の世界にいざなう。

フランス象徴派の代表的な詩人で日本でも広く知られているヴェルレーヌに
『秋の日の ヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し』という詩がある。
これは、上田敏の名訳として教科書などにもよく掲載されている。
「秋風とともに、どこからか耳に届くヴァイリンの調べ、聞き入ればもの悲しさが身にしみる」(私解)と詠う。
これにはもう一つの訳があり、これもまた味わい深い。 
『秋風の ヴィオロンの 節ながら すすり泣き』という堀口大學のものである。
「流れくるヴァイオリンの音色のように、なんと、か細く哀愁を帯びたき秋の風のことか」(私解)と。
同じ詩でも訳者によってこうも違う。
好みはそれぞれだろうが、どちらも心の奥に深く響き渡る。

メランコリックな去りゆく秋にしばし身を置きつつ、音風に耳を傾けてみよう。

   桐一葉日当たりながら落ちにけり  (高浜虚子)

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