ハイタカ(鷂・sparrow hawk) ~鷹一つ見付てうれし~
- 2011/09/30(Fri) -
ツミ   

ハイタカが入ってきた。
そっと近付き、手で捕らえた。
キッキッキッと高い声で鳴く。
少しすると落ち着いて静かになった。
いい顔をしている。
野生の強さを感じさせる美しさがある。
鋭い嘴と釣り針のような鋭い爪。
これで他の小鳥たちを捕獲するのだろう。


この珍しい闖入者を私は手の中で数分の間観察した。
胸にハート形の模様があること、黄色いリングを持った眼はまるでガラスのように光っていることなどを。
こうしてハイタカを目の前で見ながら、子どもの頃、サシバを同じようにして手に持って遊んだのを思い出していた。
丁度秋の今頃のこと、故郷にはたくさんのサシバが渡ってくる。
「タカドーイ、ジャングミッ」と空高く群がるサシバを見て子ども達は口々に声を上げていた。
野球で小麦色になっていた少年の頃の懐かしい思い出だ。

カメラに収め、窓を開けて逃がした。
元気に大空へ飛び立った。
忙しさの中、ちょっとうれしい一人時間だった。

   鳥のうちの鷹に生れし汝かな   (橋本鶏二)

ツミ

ツミ  
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ヒメヒマワリ(ゴールデンピラミッド・柳葉向日葵) ~秋なりきなにをせん~
- 2011/09/29(Thu) -
ヒメヒマワリ

朝の爽涼は車のフロントにも露を覆わせる。
まさに秋気肌にしみ込むうららかな心地よい季節である。
“高く澄みきった青空に軽やかな白雲が浮かび、秋色次第に濃く…”
こんな書き出しで始まる知人からの彫刻個展の案内が届く。
このところいくつもの藝術へのいざないが目を楽しませ、予定を巡らせる。
時間を作り、心を耕しに行こう。

姫向日葵が咲き出したのは2~3日前ほど前からである。
葉が細いことに由来するのだろう、柳葉向日葵の名も持つ。
その鮮やかな黄色が花の少なくなった庭に彩りを添えてくれる。
空気の入れ替わりと同じように花たちもそれぞれに役を替えていく。

   天上もわが来し方も秋なりき  (中村苑子) 

ヒメヒマワリ  

ヒメヒマワリ 
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アキアカネ(秋茜) ~ひだまりに蜻蛉(あきつ)あり~
- 2011/09/28(Wed) -
アキアカネ 

   小曲    大木惇夫

   想ひ
   かすかに
   とらへしは、

   風に
   流るる
   蜻蛉(あきつ)なり、

   霧に
   ただよふ
   落ち葉なり、

   影と
   けはひを
   われ歌ふ。
         (大木惇夫『風・光・木の葉』大正14年より)

秋茜がやってきます。
2匹3匹、4匹5匹。
ジャーマンアイリスやカサブランカの葉の先などに留まっています。
同じところでじっとしています。
里の秋風を感じつつ、ゆるりの時間を過ごしているようです。
おもしろいのはほとんどが、ものの端やてっぺんなどの先端に留まることです。
なぜなんでしょう。
周りでは稲刈りを終えた田んぼが広がっています。
そのうち、雌雄が結ばれた形でその水たまりに卵を産む姿が見えることでしょう。

   蜻蛉の力をぬいて葉先かな   (粟津松彩子)

アキアカネ
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ハクチョウソウ(白蝶草・ガウラ) ~花の名をささやいて行った~
- 2011/09/27(Tue) -
ハクチョウソウ

  さびしき野辺    立原道造   (『優しき歌』から)

  いま だれかが 私に
  花の名を ささやいて行った
  私の耳に 風が それを告げた
  追憶の日のやうに

  いま だれかが しづかに
  身をおこす 私のそばに
  もつれ飛ぶ ちひさひ蝶らに
  手をさしのべるやうに

  ああ しかし と
  ………(略)

ハクチョウソウ、白蝶草…。
見ればそれは白い羽と伸びた触角。
まさに白い蝶の飛ぶがごと。
秋の時間は静か。
耳を澄ます。
蝶の羽音も聞こえる。

朝夕すっかり涼しくなりました。
そろそろ衣替えの時期です。
あわせて心も装いをシックにですね。

   山のしづけさは白い花  (種田山頭火)  
                          (『草木塔』より 信濃天竜川を遡る旅の句)  

ハクチョウソウ 
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ミゾソバ(溝蕎麦) ~花に蝶ある秋日かな~
- 2011/09/26(Mon) -
ミゾソバ

家の水辺で溝蕎麦が薄紅色の花をたくさん咲かせています。
つやつやとした小さな花です。
蕾は金平糖にも似ています。
磁器のような透明感があります。
やってきたのはルリシジミ(瑠璃小灰蝶)とベニシジミ(紅小灰蝶)でしょうか。
小さな蝶たちもこうして留まりにきます。
こんな溝蕎麦にも花言葉があります。
「純情」です。
どんな繋がりから来ているのでしょうか。
純情可憐…昔のことです。
秋の長閑なひだまりです。

   みぞそばの信濃の水の香なりけり  (草間時彦)

ミゾソバ  

ミゾソバ 

ミゾソバ    

ミゾソバ   
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タカクマホトトギス(高隈杜鵑草) ~自尊の秋~
- 2011/09/25(Sun) -
タカクマホトトギス

   咲く心   八木重吉

  うれしきは
  こころ咲きいずる日なり
  秋 山にむかいて うれいあれば
  わがこころ 花と咲くなり
                  (『定本 八木重吉詩集』より)

ちょっと変わった杜鵑草が咲いていますよ。
淡黄色の花びらに薄赤の斑点が少し見えます。
たしか、高隈杜鵑草だったような気がするんですが。
清楚な花ですね。
静かな秋にお似合いです。
そう、秋…。
日ごとに夜が長くなっていきますね。
お彼岸が過ぎれば、まさに釣瓶落しですよ。
空には掃いたような薄い絹雲もあります。
私もいろいろを秋支度に整えていきましょう。

   誰彼もあらず一天自尊の秋  (飯田蛇笏)

タカクマホトトギス 

タカクマホトトギス  
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シュウメイギク(秋明菊) ~秋の日は目をとぢ~
- 2011/09/24(Sat) -
秋明菊   

   ひとひらの花あるごとく    大手拓次

  ひとひらの花あるごとく
  そよろなく
  わがむねに うごくものあり

  夜となく
  ゆふべとなく ひるとなく
  わがむねに
  たえまなく うごくものあり
                    (大手拓次詩集『文語詩編』より)

気温が下がりましたね。
長袖を着ることにしました。
このまま秋が深まっていくのでしょうか。
秋明菊も一つ二つと咲き出しました。
この白い花が私は好きです。
温かくしましょう。
心も。

   片づけて秋明菊を挿しにけり   (黒田杏子)  

秋明菊

秋明菊  
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クリ(栗・丹沢) ~秋分の日に栗と~
- 2011/09/23(Fri) -
栗  

さあ、栗拾いだ。
今年は病害虫に見舞われることもなく撓わである。
沢山の実りが有り難い。
これは「丹沢」という大粒の品種。
栗はいろいろな料理法が楽しめる。
栗ご飯、ゆで栗、蒸し栗、渋皮煮…どれも美味しい。
変わったところでは汁物にもいい。
その隣には「筑波」があり、これも豊作である。
しばらくは栗尽くしで卓は賑わう。
とりあえずは一籠に。
いがが手を刺す、その痛みを感じさせることにも感謝しながら。

   栗の毬割れて青空定まれり    (福田甲子雄)

栗   

栗    

栗

栗 
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キク(黄菊) ~今日のこゝろに菊~
- 2011/09/22(Thu) -
黄菊

3月に始まり、この半年、余りにも自然災害が多すぎる。
過去の歴史にも見られないような未体験、未曾有の出来事として。
しかも、それが東西南北、全国各地で起きる。
天変地異という言葉はこのことかと思わせる様々。
自然からの我々人間への何らかの強いメッセージ、あるいは驕りへの警鐘か。
根本である自然が中心の軸のぶれ…、山や川、風や空に対して人は無力である。
我々も地球の中のほんの小さな生命体の一つに過ぎない。
ニュース映像を見るごとに、人と自然との関わりを考える。
これらの現象を、画面の向こうにある事として「慣れ」にならないようにしたい。

   今日はまた今日のこゝろに菊暮るゝ   (松尾いはお) 

黄菊 
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ムラサキシキブ(紫式部) ~心に色があるのなら~
- 2011/09/21(Wed) -
ムラサキシキブ 

  心の色  蕗谷虹兒

  吐息は水色
  涙は紫
  そして悲しみは
  みどり
  笑は黄いろ 
  笑ひは赤  
  そして喜びは
  桃黄いろ
  妬みは灰色
  恨みは眞
  色めちゃめちゃの
  怒り色
              (蕗谷虹兒詩集『銀の吹雪』1922年より)

そういえば「桃色吐息」という艶っぽい歌がありました。
あべ静江は♪みずいろは涙色~♪と歌いましたね。
“青空の澄んだ色は 初恋の色 夕やけの赤い色は 想い出の色”
これは「白い色は恋人の色」で歌うベッツィ&クリス。
色が人に与える感情。
人それぞれにある心の色。
環境が育てる色への思い。
温かく感じたり冷たく感じたり。

ムラサキシキブの実を見ていて、単純にいい色だと思います。

   冷たしや式部の名持つ実のむらさき    (長谷川かな女)

ムラサキシキブ  

ムラサキシキブ    

ムラサキシキブ
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シュウメイギク(秋明菊) ~落葉掃きつつ~
- 2011/09/20(Tue) -
秋明菊

薄紅色の秋明菊が咲いた。
秋を彩る情趣ある花だ。
見ると花びらの一部が蝕まれて欠けている。
食べた虫を恨むつもりはない。
ただ、葉で我慢してくれるとよかったのにと。
眺めていると一匹の蜻蛉がやってきて止まった。
そのスマートな形はシオカラトンボだろうか。
しっかり脚で茎を抱えている。
いい絵だ。

李や桜や栃の葉などが落ちてくる。
私は庭を掃く。
箒を動かすことに秋を感じたりする。

   落葉掃くおのれを探しゐるごとく    (平井照敏)

秋明菊に蜻蛉
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原種シクラメン・ヘデリフォリウム(Cyclamen Hederifolium) ~小さい秋~
- 2011/09/19(Mon) -
ヘデリフォリウム    

ヒトリシズカの葉の中に紛れるようにしてある小さな白い花を見つけた。
大きさは1~2㎝、丈は10㎝にあるかないか。
よくよく注意して見ないと気づかないほどだ。
上から見ていたため、すぐには何の花かわからなかった。
体を屈めて目を近づけて、その特徴ある形から花の名を思いだした。
原種シクラメンのヘデリフォリウムだ。
夏をやり過ごし、秋風が感じられるようになってから咲くシクラメンだ。
よく見ると葉がないのがわかる。
花が咲き終わる頃になって葉が出るのもこの花の特徴だ。

今日は敬老の日、各地で長寿を祝う催しが行われると聞く。
本来なら、この一日だけのこととしてではなく、お年寄りを敬愛するという思いは常に心持ちとしてなくてはならない。
今日の国の発展につくし、支えてきたご苦労と、次世代へ知恵を授けてきたことへの感謝の気持で。
毎日が敬老の日である日本でありたい。

  写真の父母は微笑む敬老の日    (文) 

ヘデリフォリウム  

ヘデリフォリウム 

ヘデリフォリウム
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キバナコスモス(黄花秋桜) ~前後を裁断して今日、只今、今ここをなせ~
- 2011/09/18(Sun) -
キバナコスモス      

棋士の羽生善治さんがタイトル通算獲得数で八十期を達成したという。
まだ四十歳、さらにその数を増やすのは確実であり、この先きっと破られない記録となっていくことだろう。
その羽生さんの言葉がコラム「中日春秋」に紹介されていた。
「私は、どんなひどいミスをしても、すぐ忘れるようにしてきた。おかげで最近は、努力しなくてもすぐ忘れられる」と。
結果としてのミスを引きずることなく、それを“忘れ”早く切り替える。
ただ、その“忘れ”の意味するところは、蹉跌をきちんと分析した上、ポジティブに次へ生かすという姿勢にほかならない。
失敗を悔やみいつまでも胸の中に貯めておく凡人としては、考えさせられる。
そういえば、以前お聞きした青山俊董師の講話の中にも同じような言葉があったのを思い出す。
  いつどこにあってもこのところ、是道場なれば、前後を裁断して今日、只今、今ここをなせ。
  いつどこにあってもここが勝負どころである。今の途中途中の一歩が自分自身の道場である。
  過ぎ去れを追うことなかれ、未だ来たざるを思うことなけれ。過去そは過ぎし、未来そはまだ来たらず。
  今日、まさになすべきことをなされ。誰か、明日死のあることを知れ。
コラムの中から共感した羽生さんの言葉をもう一つ。
「リスクを冒さないとプロ棋士としての成長はない。リスクを取らないことが最大のリスクである」。
積極果敢なチャレンジ精神こそが自分のうちにある記録を積み重ねることになる。
過去を作り替えることはけっしてできない。
確かな今を創ってこそ先の道は拓ける。
“前後を裁断して今日、只今、今ここをなせ”
難しい事だが、心しよう。

   コスモスのまだ触れ合はぬ花の数    (石田勝彦)

キバナコスモス     

キバナコスモス  
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ゲッカビジン(月下美人) ~灯を消して美人を置きにけり~
- 2011/09/17(Sat) -
月下美人      

「今日だな」、と私は確信した。
この何日かは仕事から帰ってくると同じパターンで行動していた。
鞄を置き、着替えるとすぐに月下美人の鉢を見るのだ。
数日前からクレーン現象が始まっていたので、部屋の中に入れて置いた。
2、3日前から蕾の膨らみが大きくなり、開花が近いことを悟っていた。
そして夕べのこと、蕾の先端が少し開きかけている。
時刻は9時少し前。
「きっと咲く。付き合おう」と。
花の開きに合わせて、強い香りが部屋中に広がる。
咲き切った時、針は日を越えようとしていた。

通常は夏に咲く。
しかし今年はその気配もなく、諦めていた。
9月になり、小さな蕾が5つ付いているのを観て嬉しくなった。
だが途中で3つは落ちてしまった。
昨日咲いたのはその二つのうちの一つである。
残りの一つもきっと今日あたりだろう。

夜の弱い私には辛い時間だったが、それをも忘れさせる至福の時間となった。
今朝はもう萎み、その美しい姿は変わり果てている。
頭が少し重い。

   月下美人力かぎりに更けにけり   (阿部みどり女)

月下美人  
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ホスタ(Hosta) ~「落葉(らくよう)忌」~
- 2011/09/16(Fri) -
ホスタ

夏を過ぎたこの時期に咲く小振りのホスタがある。
花はまるでインクが染みたような色模様となる。
蕾の段階でその色斑は表出する。
これも一つの味わいだ。

昨日は三たび「菊慈童」を鑑賞する。
この作品は秋に観るといっそう春草の心が伝わる気がする。
背景の紅葉は彼が過ごした少年の頃のこの伊那谷の秋の色が頭の中にあったのかも知れない。
会期終了までにもう一度見に行こう。
今日は彼の命日、没後ちょうど100年目になる。
不熟の画家は満36歳でこの世を去った。
この忌日を「落葉(らくよう)忌」と私は名づけたい。

   伊那谷の秋の木立に四十雀    (文)

ホスタ  

ホスタ   

ホスタ 
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クジャクアスター(孔雀アスター) ~秋迷いなく~
- 2011/09/15(Thu) -
クジャクアスター白  

このところ、朝のラジオからは「小さい秋」、「里の秋」、「故郷の空」など、秋の歌がよく流れる。
時宜を得た選曲に担当者のセンスがうかがえる。
栗が落ち、穂芒が輝き、秋の深まりが周りに広がりつつあるのが目にもわかる。
空も高く澄み渡り、まさに清明(あき)らかの様である。
天竜川の一帯には禾も飽き(あき)満ちてる。
樹々の葉もそろそろ紅(あき)く染まり始める。

おおーい、あきよー。
ぼくをどこかへつれていってくれないかー。

白い孔雀アスターが川風に揺れながら咲いている。
仕事は仕事、花は花。
風が一人の叙情を深める。

   山国の秋迷ひなく木に空に    (福田甲子雄)

クジャクアスター白   

クジャyクアスター白

クジャクアスター白 
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ブルーセージ(Blue Sage) ~空の青に花の青~
- 2011/09/14(Wed) -
ブルーセージ     

ブルーセージはその名の通り、爽やかな青い花。
秋の空の色がこぼれ落ちたかのようである。
大きな株は林のようになり、私の背丈を越して咲く。
花の形は他のセージと同様、てるてる坊主のように可愛い。
ひとつ、ふたつと花に虫たちがとまる。

   爽やかな空の青に花の青   (文)

ブルーセージ  

ブルーセージ

ブルーセージ      

ブルーセージ   
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キクイモ(菊芋)ー ~それもよからう~
- 2011/09/13(Tue) -
キクイモ

菊芋の花である。
元気にさせるような鮮やかな黄色い花だ。
もともとは食用に植えたものだった。
今では家の周りに野生化している。
手間がかかるので、掘らなくなったからだ。
イチモンジセセリチョウ(一文字挵蝶)が楽しんでいる。

言葉はその前後に位置することで意味を持つ。
修飾するか修飾されるかの違いだ。
「菊芋」でいうなら、「菊のような形の花を持つ芋」ということになる。
つまりこれは芋に重きが置かれた、「芋」がメインの植物ということになる。
逆に「芋菊」なら,友禅菊の「友禅のような美しい菊」と同様、「芋のような形の菊」ということになる。
これは食するための芋としての存在価値が名前に表されている。
たとえば、
 薔薇は美しいが棘がある。
 薔薇は棘があるが美しい。
少しの言い回しで言葉の意味が大きく変わる。
話は飛躍するが、人に対してもそう、言葉は生きている。

  それもよからう草が咲いてゐる   (種田山頭火)

キクイモ  

キクイモ 
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クジャクアスター ~今日の月どんな月~
- 2011/09/12(Mon) -
孔雀アスター   

薄紅色の小さな花がある。
花びらが形を揃えてきれいに咲く。
風が吹く度に右に左にと揺れる。
優しさ漂う秋の孔雀アスターである。

今晩は明月の夜、十五夜。
十五夜というと、その昔、中学校の国語の教科書に載っていた一茶の句を思い出す。
「名月をとつてくれろと泣く子かな」…、今でもこうして諳んじられる。
ほのぼのとした情景が浮かんでくる句である。
もっとも、一茶が詠んだ中味は単なる情景描写でなく、別のもっと深い意味があったという。
人が月に行く時代になったとはいうものの、空に浮かぶ月はロマンや情緒を駆り立てる。
あるいは自分の心を確かめたり、密やかな願いを託したりする。
今夜、兎の姿は見えるだろうか。
穂芒でも挿して、虫の音とともにその風情を楽しむこととするか。

   けふの月長いすゝきを活けにけり    (阿波野青畝)

孔雀アスター  

孔雀アスター

孔雀アスター 
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キク(菊・セザンヌ) ~たましいのしづかにうつる日~
- 2011/09/11(Sun) -
セザンヌ

菊ですね。
咲きました。
ほんのり紫の色がかかってみえますよ。
その色もだんだんに薄くなってきました。
時間が経つと、もともとの姿に戻っていくんでしょうか。
そうかもしれません。
菊はいろいろな過去を思い起こさせる花です。
そうですね。菊の花を見ていると私も父や母のことを思い出します。
菊の持つ不思議な力でしょうか。
菊には昔から、長寿にまつわる話もあります。
知っています。「菊慈童」の話ですね。
そうそう、昨日、ちょうど春草のその「菊慈童』の展覧会を見て来たところです。
そうですか。
春草が亡くなってから、100年になります。
たしか春草は36歳で亡くなったんですよね。
そうです。明治という時代をまさに駆け抜けた画家でした。
私も、時間を見つけて行ってみることにします。
あっ、ミヤマアカネです。
秋色が目に増えて映るようになってきました。
お仕事中お邪魔しました。
いえいえ、またお出かけください。

     たましひのしづかにうつる菊見かな    (飯田蛇笏) 

セザンヌ    

セザンヌ  

セザンヌ     
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バラ(ミュニエット) ~深きところにある装い~
- 2011/09/10(Sat) -
ミュニエット

    咲く心   

   うれしきは
   こころ咲きいずる日なり
   秋 山にむかいて うれいあれば
   わがこころ 花と咲くなり
                       (定本『八木重吉詩集』より)

「秋」という言葉。
「あき」と音(おん)。
目にし、声に出すだけで、心も深いところに誘(いざな)われていく。
あるいは、少しメランコリックな気分になったりする。
「秋」は人の心の装いをもシックに変えていく。

9月の朝にある薄いピンクの薔薇。
薔薇までもが秋の顔をしている。

     薔薇剪るや深きところに鋏入れ (島谷征良)

ミュニエット 
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ムラサキツユクサ(紫露草) ~心静かに重陽の朝~
- 2011/09/09(Fri) -
ムラサキツユクサと蜂   

ハンドル握って出る勤めの朝、フロントガラスの向こうには「うろこ雲」が広がっていた。
空気が冷え、空が高くなっているのが目にもわかる。
いよいよ秋の空だ。
ラジオからは定番の「スポーツの秋」「藝術の秋」「食欲の秋」「読書の秋」の言葉が話しかけられる。
私の場合、藝術の秋に軸足を置こう。
明日の菱田春草の作品鑑賞を手始めとして。
「菊慈童」や「賢首菩薩」、「雀に鴉」など、夭折の画家の心に触れてきたい。

紫露草に蜂がいる。
花粉を足で抱えている姿が可愛い。

   重陽に鰯雲ありて心静か   (文)

ムラサキツユクサと蜂  

ムラサキツユクサと蜂 
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バラ(プリンセスミチコ) ~「感傷肖像」~
- 2011/09/08(Thu) -
プリンセスミチコ 

昨日、今日と朝が涼しい。
涼しいというより、肌寒いといった感じである。
暦は白露、朝の気が秋の気配を進めるのも故なるかなと思う。
庭の欅の下にタマムシ(玉虫)が横たわっていた。
卵を産みつけて、生を全うしたのだろうか。
光沢のある緑にブロンズ調の縱紋、体全体が輝いて美しい。
まるでブローチのようだ。
中学校の国語の教科書に載っていた法隆寺の「玉虫厨子」を思い出す。
しばらく部屋に置いておこう。

  摘めといふから
  ばらをつんでわたしたら
  無心でそれをめちゃめちゃ
  もぎくだいてゐる
   (略)
  そのこなごなの花びらを
  そっと私の手にのせた
                 佐藤春夫「感傷肖像」より

秋の薔薇は心を深く掘り起こす。

   白露に阿吽の旭さしにけり (川端茅舎)

玉虫


プリンセスミチコ
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ヤブラン(薮蘭) ~たまにはサティを~
- 2011/09/07(Wed) -
ヤブラン 

一つの仕事を終えた。
する事で見える新しい発見。
生産的な生き方の自分を創る。
アクティブなワークスタイル。
進取な思いで。

エリック・サティのジムノペディをはじめて聞いたの30代の頃だった。
あれから時が流れ、私もそれなりに年相応の生活に落ち着いた。
時々、そのピアノの調べを聞くと心がゆったりとした気分になる。
とくに秋の静かな一人の時間にはいい。

そろそろ制作に腰を据えて取りかかろう。

薮蘭が沢山の蕾を付けている。

   サティ聴く九月画布白きまま    (森尻禮子) 

ヤブラン  

ヤブラン   

ヤブラン
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バラ(センチメンタル・sentimental) ~感傷の秋薔薇~
- 2011/09/06(Tue) -
センチメンタル

センチメンタルという名です。
赤と白が入り交じった薔薇です。
ちょっと変わっています。

 ばら

ひとはびにあこがれ
びをもとめ
びをつくりだす
これでもか これでもかと
いろをついきゅうし
かたちをおいつづける
あるものにまんぞくせず
ないものをおいもとめ
もっていないものへのよっきゅうが
あたらしいものをうみだす
このさきさらにもっともっとと
うつくしきものへのあくなきおもい
ばらはうまれる

   台風去り感傷にある秋薔薇(あきそうび)    (文)  

センチメンタル 

<
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リコリス・オーレア(Lycoris aurea) ~あめ あめ あめ~
- 2011/09/05(Mon) -
オーレア 

  あめ

つよくはげしいあめです
まどがらすをたたきます

かわがちゃいろくにごっています
いきおいよくながれています
おおきなおとです
ごーっ、だばだば、どどーっ
おれたきぎがあっというまにめのまえをとおりすぎていきます
つぎからつぎへうねりがしぶきをあげてうごきます

ああ、あめ あめ あめ
つぎからつぎとあめ
ああ、ふる ふる ふる
やむことなくふる

きいろいはながさいています
あめをためてさいています
あしたははれるのでしょうか

   打楽器のごときに降る秋の雨   (文)  

オーレア

オーレア  
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ヤリゲイトウ(槍鶏頭) ~おしゃれな恋~
- 2011/09/04(Sun) -
ヤリゲイトウ  

  いいわるいは抜きにして
  花が咲いたらはなをみろ
  しづかに
                (高村光太郎「とげとげなエピグラム」より)

しづかにはなをみましょう。
ちかよってみましょう。
だまってみましょう。
はなはしづかですから。
はなはひたすらですから。
やりげいとうのはなことばはおしゃれなこいだそうです。
わたしはこうたろうがすきです。
しじんとしての、ちょうこくかとしての、にんげんとしてのこうたろうが。
ちえこのおっとであるこうたろうが。
こうたろうはいちずなあいをつらぬきました。
ちえこはしあわせだったことでしょう。
しづかにはなをみながら、ちえことこうたろうのことをかんがえたりします。

   鶏頭を三尺離れもの思ふ    (細見綾子)

ヤリゲイトウ 

ヤリゲイトウ
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シラヤマギク(白山菊) ~静かに時の移りゆく~
- 2011/09/03(Sat) -
白山菊

庭の片隅に白い小さな花が咲き出した。
野の花の一つ、白山菊である。
この菊は花弁の数が不規則である。
欠損した形になっていることも多い。
また葉が広く、丈も1㍍ほどと高いのが特徴である。
園芸種にはない、飾らぬ素朴さがある。
花にも少しずつ季節感が現れている。

    白菊や静に時の移りゆく     (江涯)
 
白山菊 

白山菊  
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バジル(Sweet basil) ~心引き締めて~
- 2011/09/02(Fri) -
バジル

バジルに白い花が咲いている。
これははスイートバジルだったような気がする。
葉に体が触れると芳香がたちこめる。
それだけでもその価値は十分だ。
ときどき、料理に入る。
皿が並べられたらすぐに、バジルが入っていることがわかる。
バジルは心的疲労の回復に良いとされる。
あるいは心を高揚させてくれる効果を持つという。
たしかになんとも言えぬ心地よい香りがする。
その香りは人だけでなく、昆虫にもいいようだ。
蜂などもよく花に吸い付いているのを見かける。

    心引締めてはじまる九月かな    (安原葉) 

バジル 

バジル     

バジル  
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ノウゼンカズラ(凌霄花) ~虫の音の重なり合う九月~
- 2011/09/01(Thu) -
凌霄花  

今年は凌霄花が長く咲いています。
玄関にも茎を伸ばしてライトに絡みついています。
勤めから帰って灯りがセンサーで付くと、オレンジの花が浮かび上がります。
昼に見る花とはまた違った趣があり、仕事の疲れも癒やされます。
9月です。
虫の音も一段と賑やかになってきた気がします。
チッリリリリリーと澄んだ長い鳴き声はクサヒバリ(草雲雀)でしょうか。
蟋蟀やクツワムシなども重なるように聞こえてきます。
音量といい、リズムといい、居ながらにしての耳に心地よい小さなオーケストラです。
時の刻みは正確に針を進めます。
少し忙しくなります。
追われないようにします。

    声の糸繰り出し流す草雲雀    (右城暮石)

ノウゼンカズラ

凌霄花

凌霄花   
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