ヒガンバナ(彼岸花) ~一茎のさびしき彼岸花~
- 2011/08/31(Wed) -
彼岸花

あれまあ、こんなところに彼岸花。
山茱萸の木の下に一茎だけ。
植えた記憶がないんだけどなあ。
でも、そこに咲いているということはきっと植えたんだろうなあ。
この場所に出てくるのは初めての気がするし。
いつものは、バラの横とエニシダの横、これはちゃんと覚えている。
そこにはもうじき出てくると思うけど。
これは植えたものなのかなあ。
覚えがないなあ。
まあ、悩むほどたいした問題ではない。

彼岸花が咲きました。
今年は少し早いですね。
『夏のハーモニー』が流れています。
でも、もう夏のカレンダーも今日でおしまいです。
1枚めくれば朱い季節から白い季節へ絵も変わります。
明日からは、音楽も秋模様のリストアップで耳に入ることでしょうね。

   曼珠沙華咲く野に出でよ観世音    (橋本鶏二)

彼岸花 

彼岸花  
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オリヅルラン(折鶴蘭) ~今なお苦しみの中にいる人々の悲しみ~
- 2011/08/30(Tue) -
オリヅルラン 

私たちは互いに助け合おうとするべきです。
人間とはそういうものです。
私たちは他人の不幸によってではなく、
他人の幸福によって生きることを望みます。
                   ~チャーリー・チャップリン~

折鶴蘭は爽やかな葉の植物です。
折鶴蘭には目立ちませんが、可愛い小さな花があります。
折鶴蘭は目に優しい花です。

折鶴蘭…素敵な名です。
折鶴というは祈りの形、無垢な姿です。
彼の地の人々へ思いを馳せながらこの花を見ます。
折鶴蘭…届けてあげられたら、そう思います。

   八月の空やしづかに人並び    (柿本多映)

オリヅルラン
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ウド(udo・独活の花) ~独活の花見てください~
- 2011/08/29(Mon) -
独活

独活の花は球形になる。
ぱっと開いた花火のようにも見える。
小さな白い花の集まりだ。
虫たちがやって来る。
おいしい蜜があるのだろうか。

8月も終わりが近付く。
明けるのが少し遅くなったのを感じる。
どこかで蟋蟀が鳴いている。
暮れるのが少し早くなったのを感じる。
どこかで蟋蟀が鳴いている。

   さもなくば独活の花見て帰られよ    (榎本好宏)

独活  

独活   

独活    
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ホオズキ(酸漿・鬼灯・Japanese lantern plant) ~赤い頬~
- 2011/08/28(Sun) -
ほおずき 

ラジオは言う。
「夏休み最後の日曜日です」と。
そうか、まだ多くの学校は夏休みなのか。
信州の子ども達の2学期はとっくに始まっている。
赤トンボが2匹仲良く飛んでいた。
このところの涼しさに自分の季節を感じて山から下りてきたのだろう。
散歩で見る田の稲穂も頭を垂れている。
鬼灯の色も庭にたくさんだ。
さやかではないけれど、そっとそっと忍び寄る秋。
夏もそろそろ、身支度を調え始めつつあるかもしれない。

   少年に鬼灯くるる少女かな    (高野素十)

ほおずき  

ほおずき
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ユリ(タカサゴユリ・高砂百合) ~Mama, Do you remember・・・~
- 2011/08/27(Sat) -
高砂百合 

この背の高い白い百合は高砂百合。
庭や畑のあちこちに顔を出している。
花そのものは「百合」のスーッと伸びた姿をしていて美しい。
だが、この花を見ると、嬉しいような、困ったような思いになる。
かなりの繁殖力のある野生化した外来種であるからだ。
その強健な生命力といったら、例えばアスファルトの割れ目、例えば石垣の間にと。
所構わず日当たりや場所を選ばずに出てくる。
昨年もかなり引き抜き、処分したはずだったのだが。
さて、どうしたものか思案する。

雨が続く。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね」
『Mama, Do you remember・・・』
ジョー山中の歌が聞こえる。
夏はどこへ行ったのでしょう。

   百合の花朝から暮るるけしきなり    (一茶)

高砂百合

高砂百合  

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ハギ(萩・bush clover) ~この萩のやさしさや~
- 2011/08/26(Fri) -
萩 

「電気ご使用量のお知らせ」は毎月届けられる。
いつもなら、さっと金額に目を通し、それで終わる。
今回のは7月26日~8月23日までの使用量。
見て、少し驚いた。
「前年同月実績」として電力使用の前年比がkwh(kilowatt-hour)で示されているところだ。
昨年に比して56%だった。
およそ、半減している。
少しの意識がこのように結果となって現れている。
逆にいうと、使わなくても生活できる部分かなりあるということだ。
いかに「ムダ」な使用が多かったともいえる。
これからも心しなくてはならないと思った。

ハギが少しずつ咲きだし、秋の風情を醸し出している。
花言葉には「思案 想い 物思い 前向きな恋」などとある。
時には少し自分に目を向けてみるのも必要である。

   この萩のやさしさやいつも立ちどまる     (高浜虚子)

萩  

萩
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ズッキーニ(zucchini) ~自産自消~
- 2011/08/25(Thu) -
ズッキーニ  

今年はなぜか野菜の病気がほとんどない。
どの夏野菜も順調な生育を見せ、毎日のように食卓に上っている。
有機肥料、無農薬での栽培なのだが、こんな年は珍しい。
ズッキーニは黄色いオーラムと緑のダイナーの2種類がある。
次々に収穫できるのでありがたい。
長さをおよそ20㎝、太さは牛乳瓶ほどになった時を収穫の目安としている。
見た目はキュウリに近いが、花を見て解るようにこれはカボチャの仲間である。
単独では、味があるような無いような…と、あまり特色はない。
しかし、多様な調理法に幅広く適応できる重宝な野菜である。
家では油炒め、煮物が多い。
たまには味噌汁にも出る。
花も食用になるというが、私はその経験はない。
必要なときに必要な分だけさっと穫って来て台所に並べる。
私の場合、地産地消ならぬ、家族による家族の為の自産自消である。

突然に強い夕立だったり、あるいは局地的に激しい雨が降ったりの不安定な天気が続く。
被害が無ければいいがと屋根を叩く音を聞きながら心配する。

   さつきから夕立の端にゐるらしき    (飯島晴子)

ズッキーニ

ズッキーニ 

ズッキーニ   
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アサガオ(朝顔・morning glory) ~深き淵のいろ~
- 2011/08/24(Wed) -
朝顔    

庭に出たら朝顔が咲いていた。
一輪だ。
前夜の雨粒を残している。
朝顔を見ると、なぜか童心に返る。
後ろ姿の朝顔にはほんのり色気を感じる。
横から見ると、昔の蓄音機のよう。
ものを見るとき、ぐるりと色々な角度から見たくなる私の長い習性。
今は様々な色や形の朝顔が見られるが、私はこの昔からあるこの色の朝顔が好きである。
家の朝顔は、毎年自然に出てくる。

   朝がほや一輪深き淵のいろ     (蕪村)

朝顔

朝顔 

朝顔  
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シナモンバジル(Cinnamon Basil) ~チェロの調べに乗って~
- 2011/08/23(Tue) -
バジル

仕事から帰ると、玄関で甘い香りが迎えてくれる。
シナモンバジルの独特な香りだ。
庭ではそれが大株になっている。
花は小さな薄紫色、一見してわかるシソ科特有の形をしている。
特段に綺麗というほどではない。
ハーブとしてはやはり主役はその香りを産み出す「葉」。
それ故に、花を美しく改良を重ねる必要はなったのかも知れない。
香草として、あるいは料理の風味付けとしての役がこの植物の位置なのだ。
茎と苞が紫色していて爽やか色の緑の中で目立つ。
それをいつものようにまとめてバッサリ剪って花瓶に挿し込む。

今日は処暑。
たしかに一頃の暑さはない。
むしろ肌寒さを感じるここ2、3日の気温である。
まだ8月、変である。

   カサルスのセロ聞えくる処暑の朝     (堀島濤平)

バジル   

バジル    

バジル 

バジル  
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ニラ(韮・二文字・起陽草) ~言い得て妙なる語の意~
- 2011/08/22(Mon) -
韮  

閉じられた袋がゆっくりと開く。
すると中から紡錘形の蕾が20~30現れる。
その蕾が結び目をほどき、星形の花になる。
そしてそれが花火のように放射状に広がる。
韮はこのようにして小さな白い花を咲かせる。

知っての通り、葉はちょっと強い匂いがあるが、私は嫌いではない。

   足許にゆふぐれながき韮の花    (大野林火)

韮 

韮
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バラ(薔薇・Rose) ~雨に薔薇の花咲く~
- 2011/08/21(Sun) -
ばら  

あめですね。
一気に気温が下がりましたよ。
これまでのあつさがうそのようですね。
肌寒ささえ感じてしまいます。
こうもきゅうにすずしくなるとからだもへんになります。
薔薇が咲いていますね。
あのあつさで、すこしばててげんきをなくしていたんですが。
薔薇はデリケートな花のようですから。
ここへきてまたさくようになりました。
雨に濡れる薔薇の姿もいいですね。
あめのなかにあれば、またしっとりとしたうつくしさがありますよね。
そうですね。とても風情があり、絵になります。
わたしはそんなあめにぬれるばらを「あめそうび」とよぶようにしているんです。
「雨薔薇」ですか?
「そうび」とはむかしのばらのよびかたなんです。「しょうび」ともいいます。
ほう、初めて知りました。それも素敵ですね。
よるのばらもたとえば「よるそうび」というと、ぶんがくてきでしょう。
なるほど、味のある言葉を教えていただきました。
あ、むかえのくるまがきました。
今日の会議はスムーズにすすむんでしょうか。
さあ、このところふんきゅうすることがおおいですからね。
貴方も大変な立場ですね。
しかたありません。そういうやくまわりですから。


   ばらの香のをりをり強し雨の中    (楠目橙黄子)

ばら 

ばら
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オミナエシ(女郎花) ~八月はづきの虫の音は~
- 2011/08/20(Sat) -
女郎花

夜の草むらからは虫の鳴き声が部屋に入ってきます。
♪八月はづきの虫の音は 愛しゅうてならぬとなきまする~♪、こんな歌を思い出しました。
「通りゃんせ」、ケメの昔の歌です。
哀愁を帯びたしみじみとした歌です。
「新譜ジャーナル」に載っていた短くて美しいメロディーの曲です。
でも誰も知らないでしょうね。
私は好きで、一人ギターを奏でながら歌ったものです。

黄色い小花がたくさん集まって咲いています。
女郎花です。
花の先は5つに分かれています。
その中に小さな小さな蕊があります。
それを楽しみに、虫たちがやってきます。
秋の七草です。
秋がまた一つ目に見えるようになってきました。


   おみなへしといへばこころやさしくなる     (川崎展宏)
 
女郎花 
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ホスタ・ハルシオン(Hosta 'Halcyon'・ギボウシ) ~終わりと始まり~
- 2011/08/19(Fri) -
ホスタ  

ハルシオンという名のホスタである。
多くの他の種類は花の時期を終えているのだが、、これは遅れていつもこの時期に咲くホスタだ。
他に比べて、花がまとまる感じで咲くところが特徴だろうか。
Tの字に葯を付けた6本の雄蕊の中に、釣り針のように先を返した雌蕊が突き出ている。
これを見ればユリ科の花であることを示していることがわかる。
6枚の花びらを持つラッパ状の花には、よく蜂が入り込んで蜜を吸っているのが見られる。
葉は少し青みがかっており、涼しげである。
花言葉は「清楚」、ホスタは日陰で楽しめる花である。

信州の子ども達の夏は短い。
日焼けして宿題を持って登校する元気な姿。
始まりがあれば、終わりがあり、終わりがあれば始まりがある。

   わが胸は小さくなりぬ華擬宝珠    (石田波郷)

ホスタ

ホスタ 
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クズ(葛・kudzu) ~吹きしづまりて葛の花~
- 2011/08/18(Thu) -
葛   

葛が伸び放題だ。
その勢いを放っておけない。
切る、切る、どんどん切っていく。
切らなければ大変なことになる。
ニューロンのようにじわじわと広がる。
そして絡み、覆い被さる。
だから切る。
葉の中に隠れるように花がある。
紫色の総状の花は香りがする。
綺麗だ。綺麗な秋の七草だ。
花には申し訳ない。
でも切る。
覆いが外される。
散髪したようにさっぱりした。
シャツは汗でびっしょりだ。

夜、虫の鳴き声を聞いた。
クツワムシだろうか。
そういえば、クツワムシの好物はクズの葉だという。
秋がそーっと忍び寄っている。

   葛の葉の吹きしづまりて葛の花    (正岡子規)

葛    

葛  

葛 
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レンゲショウマ(蓮華升麻) ~遠き世の色かな~
- 2011/08/17(Wed) -
蓮華升麻    

蓮華升麻です。
淡い紫色の花です。
木漏れ日の中にあります。
強い陽射しは苦手のようです。
下向きに咲きます。
顔を見せるのが恥ずかしいのでしょうか。
蓮の花をちょうど逆さにしたように見えます。
それで蓮華の名なんでしょう。
丸い蕾をいくつか持っています。
毎年お盆の頃に咲きます。
色も形も優しい花です。
そして静かな花です。
鎮めの季節にふさわしい花です。
穏やかにさせてくれる花です。
膝を折って屈んで見ます。
蓮華升麻の花です。

   遠き世に我を馳すかな升麻華    (文)

蓮華升麻 
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ゲンノショウコ(現の証拠・神輿草) ~しじみ蝶とまりて~
- 2011/08/16(Tue) -
ゲンノショウコ   

今、家の周りでは小さな白い花が散見できる。
現の証拠である。
人に言わせればそれは雑草であり、ある人には薬草ということになる。
私には、見て触れて楽しむ野の花だ。
5枚の白い花びらには、薄紫の筋模様が花芯から外に向かって引かれる。
中を見れば、赤い雌蕊を10本の青紫色の雄蕊が取り囲むのも可愛い。
眺めていれば、小灰(しじみ)蝶も遊びにやってきた。
小さな花に小さな蝶を見る、長閑な盆後のひととき。

   しじみ蝶とまりてげんのしようこかな    (森澄雄)

ゲンノショウコ 

ゲンノショウコ  

ゲンノショウコ
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「海の幸」(重要文化財) ~没後100年 青木繁展~
- 2011/08/15(Mon) -
海の幸(全体図)

【芸術新潮】(7月号)の表紙を飾るのは、“青木繁”「ゴーマン画家の愛と孤独」という衝撃的なコピー。
頁を捲る小見出しにも、さらに皮肉めいた文言が並ぶ。
例えば、作品《大穴牟知命》には「思わせぶりな神話画」。
《わだつみいろこの宮》には「恋する海底」。
《自画像》と《女の顔》には「紫陽花で結ばれたふたり」。
そのうえ、その《自画像》を-気持ちがいいほどゴーマンな表情-と解説する。
そして追い打ちかけるように、絶作《朝日》には「昇らなかった朝日」と。
本文を読み進めていく内に、夭折の画家の驚くべき波瀾万丈の真実を知る。
私は「海の幸」を求めて、東京・京橋のブリヂストン美術館を訪ねた。

会場の中ほどの中央壁面にそれは展示される。
描かれているのは10人の漁師が夕日を浴びながら、漁から帰る場面である。
力を合わせて海の幸を得た人々が無言で喜びを噛みしめるかのように列をなす。
その足取りやフカを背負う姿の中に、仕事への充実感が漲る。
10人の内、真ん中の5人は顔のパーツまで描かれているが、外側の5人はそれは不明瞭である。
また、多くは前方に目を遣っているが、7人目の青年だけがこちらに視線を向ける。
それはまるで青木自身(あるいは見るもの)へ何らかのサインを送っているようにも見える。
しかも他の漁師が焼けた逞しい肌を持つのに対し、彼はまるで化粧しているかのような白い顔だ。
漁師顔というより、女性的な美男子である。
全体を今一度見よう。
両端の二人は十分な着彩が施されておらず、顔や体に塗り残しの白い箇所がある。
また、位置を修正した脚がそのままの形や線として消されずに、そのまま残されている。
空にあたる背景のいたるところはキャンバスの地のままで、色がない。
これらの表現は、中心にピントを合わせ、周りをぼかすソフトフォーカスのような手法と言えよう。
さらには画面の両サイドは、構図の修正を試みた後が伺え、幅を短く切り取り、縮めた形でトリミングされている。
一般的な絵としての考えからすればこれは完く未完成の作品だ。
しかしながら、見る人には強いインパクトを持った完成作として映るから不思議である。
この作品が文学的なテーマ性(あるいは寓話性)を持って見えるのは、これが実際の写生でなく、彼の創作であることを物語る。
白馬会展発表以来、夏目漱石が絶賛し、多くの人の目を魅了してきたこの作品は繁が弱冠22歳の時の筆である。
しかし、彼が中央画壇の一角に位置を占めていたのはそれから後のおよそ4年弱。
その後は放蕩と放浪と病を伴侶とする。
そして、母親すら見舞いに来ない病室の中で、淋しく肺結核にて最期を迎える。
華々しく登場した新星は傲岸な輝きで周囲を惑わせながら、夕闇を音も無く静かに地平線の彼方へ消えていった。
明治44年3月25日、28歳と8ヶ月であった。

彼が「ゴーマンな画家」と評されたことについては改めて稿を起こしたい。
それを知れば知るほど、「あり得ない物語」の主人公が浮かび上がる。

   堪ふることいまは暑のみや終戦日    (及川貞)

海の幸(青年の顔)

海の幸(前の部分)

海の幸(後部分)

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ハギ(萩・江戸絞り) ~風にうなずく~
- 2011/08/15(Mon) -
江戸絞り 

暑いことは暑い。
しかし、そんな中でも季節の足は少しずつ進む。
私たちの感覚より、植物の方がデリケートにそれを感じているようだ。
庭や土手に秋の草花が増えつつあるのを見る。
萩や女郎花、そして葛の姿だ。

「江戸絞り」は白地に筆で描かれたような薄紅色の模様がある。
浴衣の図柄にでもなりそうである。
花は他の萩に比べてとても小さい。
総体としては萌芽力が旺盛で、三椏なども覆い隠されるほど、伸びて叢がる。
花期の終わりを待って刈り込むことにする。

歴史を学ぶ意味を考えつつ、8月15日を迎える。
我々は過去から正しく生きる智慧を産み出さなければならない。
今年はなおさらその思いを強くする。

   風立つや風にうなずく萩その他   (楠本憲吉)

江戸絞り  

江戸絞り   

江戸絞り
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アジサイ(ライムライト・Hydrangea Limelight)~真実は瞬間にあり~
- 2011/08/14(Sun) -
ライムライト

ほんのりと緑をおびた紫陽花がある。
毎年、この暑い盛りに咲くライムライト。
開花はいつもの年よりも2週間ほど遅い。
ようやく咲き出したばかりで、満開はまだ先となる。
これからが見頃、咲き揃うのが楽しみだ。
「ライムライト」…、名前が素敵。
チャップリンのあのペーソスあふれる映画を思いだす。
「純愛」、「捧げる愛」、「僕の幸せより君の幸せ」、「愛する人に尽くす」…人の「情」。

写真の中の父の顔と母の顔。
多くの人々へ祈りを捧げ、心静かに過ごす。

   真実は瞬間にあり流れ星    (マブソン青眼)

ライムライト 
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ダリア(dahlia・天竺牡丹) ~千万年後の恋人へ~
- 2011/08/13(Sat) -
ダリア

だりあですね。
ダリアは昔は天竺牡丹と呼ばれていたそうです。
いいいろですね。
薄紅色の優しい色あいですよね。
たくさんですね。
一株で毎年このように多くの花を付けてくれるんですよ。
せがたかく、りっぱですね。
ほとんど手をかけてないんですが、いつもこのように私よりも高く大きくなります。
はなびらはなんまいあるんでしょう。
さあ、数えたことはありませんが、どのくらいあるんでしょうね。
きかがくもようのように、かたちがととのってならび、きれいですね。
内側の花びらは管のように丸く、そして外に行くにつれてほどけていくんです。
そうなんですか。
遠くで見て味わい、そしてまた近付いてよく見ると、同じものの中に違う発見があるものです。
なるほど、「なにもみえないよ。こころのめでみなければ」とのほしのおうじさまのことばをおもいだしました。
いい言葉ですよね。
ただながめているだけでなく、じっくり、そしてふかくみるといろいろとみえるせかいがあるんですね。
お墓参りは済ませましたか。
いえ、これからいきます。
では、このダリアをお持ちください。
いいんですか?
どうぞ遠慮無く、好きなだけを。
ありがとうございます。
またお出かけください。

   千万年後の恋人へダリア剪る   (三橋鷹女)

ダリア 

ダリア  
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ヘクソカズラ(屁糞葛・灸花) ~名は体を表すと言うが~
- 2011/08/12(Fri) -
ヘクソカズラ  

金木犀に絡みつく蔓が、小さな白い花をつける。
屁糞葛だ。
花は筒状で、花冠の先端がフリルの襞のように5裂する。
その芯の部分は紅紫色に染まり、白とのツートンの調和がいい。
蔓というと厄介者のイメージがあるが、これは気にするものではない。
むしろ、その白い可愛い花が他の木々のアクセントとなってくれたりもする。
灸花(やいとばな)や早乙女花の名もあるというが、字を並べて屁糞葛と同じには思い浮かべにくい。
その愛らしさからすると、早乙女花が普及するといいと思うのだが。

   引つぱつてまだまだ灸花の蔓    (清崎敏郎)

ヘクソカズラ

ヘクソカズラ 
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ルドベキア・タカオ ~暑に耐ふる~
- 2011/08/11(Thu) -
ルドベキアタカオ

どこもかしこも猛暑猛暑猛暑、当地も35.7度まで上昇。
「観測史上最高気温を記録しました」と、全国のいたるところから人の体温を超える暑さの報告。
36℃、37℃、38℃なんて、昔はあまり聞いたことがなかった気がする。
それが、何度も何度も、しかも列島各地から聞かれる。
異常だと思うのだが、こうも連日だと当たり前のようになってしまい、感覚も麻痺する。
年々、暑さが増していくような気がしてならない。
そのうち、ここ信州でも梨や林檎ができなくなり、蜜柑が栽培され日が来るかもしれない。
静かにデスクに向かっていても背中を汗が流れ落ちていく。
抗うことを諦め、言葉も出てこない。
ただひたすら黙って耐える。
「無理をするなよ」と自分に注意の声。
「無理をしないでね」と自分に呼びかける。

黄色い花が溢れて咲いている。
こんな暑い中のルドベキア・タカオ。
元気だね。
君はこまめに水分補給をしているのかい。
バサッとどっさり剪って、大きな花瓶のなかへ。
夏の部屋をぱっと元気にさせてくれる。

    手のひらにひたひをさゝへ暑に耐ふる   (阿波野青畝)

ルドベキアタカオ   

ルドベキアタカオ  

ルドベキアタカオ 
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ナツエビネ(夏化偸草) ~僕富論から君富論へ~
- 2011/08/10(Wed) -
ナツエビネ  

私は仕事前の朝の時間や休日のほとんどは携帯ラジオを耳にしている。
畑仕事もラジオを聞きながらする。。
先日は浜 矩子(同志社大学大学院教授)さんが、現在の国際経済状況について解説されていた。
円高やアメリカの財政問題等をマクロ分析という視点で鋭く切り込む。
テンポのいい明快な論の展開に、素人の私でもなるほどと首肯する。
その中の「これからは“僕富論”から“君富論”への発想の転換が大切です」という言葉が印象に残った。
「僕(だけ)が豊かになるという我欲」から、「君(他者)を如何に富ませるか?」という考えが大事だと。
話は、「瀕死に直面している国際経済」についてである。
グローバルな金融の流れや国債の格付けについての難しい高度な次元での話である。
しかし、この言葉は現在の我々の身近な日常でも求められていることではないだろうかと、ふと思った。
若干飛躍しているのかも知れないが、生活の中での“僕富論”から“君富論”。
「僕の幸せ」から「君の幸せ」、「僕の豊かさ」から「君の豊かさ」という考え。
昨日の“長崎原爆の日”の田上市長の平和宣言。
“福島の皆さん、希望を失わないでください”
“東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています”
という市長の結びの言葉がずっと残っている。

夏化偸草が咲き出した。
まだ花序の下方の三輪だけだが。
花は薄紫の優しい色。
茎先にはまだたくさんの蕾。
木陰が似合う花だ。

   化偸草咲き木陰も静か祈りの日    (文)

ナツエビネ   

ナツエビネ 

ナツエビネ
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《円盤投げ(ディスコボロス)》 原作ミュロン(BC440~450年頃) ローマ時代の複製 
- 2011/08/09(Tue) -
円盤投げ  

上野の国立西洋美術館に出かけた。目的は【大英博物館古代ギリシャ展】での《円盤投げ》を観るためである。
展示は4つのテーマに分かれている。
第1のテーマ『神々、英雄、別世界の者たち』で、入って最初に迎えるのはブロンズの「ゼウス小像」。
高さは23,6㎝だが、天空の神らしく威光を持つ堂々として存在感がある。容姿や身体細部の巧緻な表現は見事だ。
第2テーマは『人のかたち』。《男性の身体美》と《女性の身体美》のコーナーを設ける。
「アフロディテの胸像」の美しい顔と豊満な肉体はミロのビーナスを思わせるような神聖さとエロチシズムが同居する。
第3のテーマは『オリンピアとアスリート』、古代オリンピックの選手像がメインとなっている。
円形になった特別室の広いスペースの中央に、1点だけ目的の「円盤投げ」が展示される。
中に入ると、多くの図版などに見られる側面の姿が見えるように置かれる。
正面、反対側面、背後へぐるりと廻り、全体を部分を、離れたり近寄ったりしてじっくり見る。
踏ん張る足先を見、左手に目を近づけ、下向きの顔の表情を確かめようと、しゃがんで見上げる。
それを繰り返しつつ、ミュロンの表現力と究極の肉体美に引き込まれていく。
まさに「THE BODY BEAUTIFUL」(図録のタイトル)である。
手足の指の隅々までに血が流れているかのような生命感を感じさせる。
腕や脚や胸は競技者としての理想の筋肉を有し、今にも動き出しそうな躍動感溢れる動勢を与える。
顔はややストイックな面持ちで、我々がイメージする投てき選手とは異なり、端整で美しい。
すべてがまるで生きた人間から直接、形取ったかのような精緻な彫刻描写である。
しばらくして、何か違和感を感じ、人前にもかかわらず私はその場で同じポーズを取ってみた。
違う、たしかに違う。そう、表現ポーズと実際に我々が投げる手足の動きが逆になっているのだ。
右手を振り上げるのなら、左足が前に出なくてはならない。左足が軸足となるはずだ。
その彫刻のポーズのままでは力が入らないばかりか、不安定でバランスを保ちにくい。
何度やっても同じである。運動力学としてはあり得ないポーズで制作したミュロンの意図はどこにあったのだろう。
この「円盤投げ」は美しい作品である。しかし、謎のある作品でもある。

家に帰り、古びた嘉門安雄の著を開いた。学生の頃に読んだ西洋美術の本だ。
もう少し、ギリシャ彫刻やローマ彫刻について知りたくなったからである。
そこで私は一つの自分の思い違いを知る。
著の中で、「円盤投げ」の解説に図版として掲げられているのは、これとは違う作品(ローマ国立博物館所蔵)だったのだ。
全体のポーズはほぼ同じである。
前後の足の開きがやや狭いことと、降ろした手が少し開いていること、髪の毛が短髪であることなどに違いが見られる。
ただ、決定的に違うのが、アスリートの顔が後ろ向きに円盤の方を向いている点である。
これが本来のミュロンの原作に忠実な作品(やはりローマ時代のコピー)だという。
「円盤投げ」は1点しかないと思い込んでいた私の大きな勘違いである。さらにはヴァチカン美術館にもあるという。
今一度、今回展示の作品解説を読むと、この作品は18世紀になり、顔が前方を向くように修復されたとある。
それやこれやと、いろいろ発見のあった「円盤投げ」の鑑賞だった。

昨日の事、暦は秋立つことを告げていた。
しかし、まだ蝉は賑やかい。秋は名のみの暑さである。

   立秋と聞けば心も添ふ如く    (稲畑汀子)

円盤投げ手

円盤投げ脚

円盤投げ顔
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サルスベリ(百日紅・crape myrtle) ~天の簪(かんざし)~
- 2011/08/08(Mon) -
百日紅

百日紅もその時期だ。
6枚の花弁は不規則なフリルのようにひらひらと開く。
もっとも、どこまでが一つの花かよく目を凝らさなければわからない。
蕾は紙風船のように六つの合わせ目で丸く閉じられている。
それがはじけ割れて、中から蕊と花びらが飛び出してくる。
それはくす玉が割れて華やかなテープが出てくるのに似ている。
あるいはまるで手の中から鮮やかなハンカチが出される手品師の術のようでもある。
そんな蕾の開く過程を見るのも面白い。

高校野球が熱戦を繰り広げている。
ひたむきな球児のプレーにはいつもながら感動を覚える。
故郷のチームが今年はどんな戦いをするのか、楽しみである。

   咲き満ちて天の簪百日紅    (阿部みどり女)

百日紅   

百日紅 

百日紅  
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チョロギ(草石蚕・丁呂木) ~楽しい人生~
- 2011/08/07(Sun) -
チョロギ  

「チョロギ」という名そのものがなんともユーモラスな感がある。
塊茎はおせち定番の、愛らしいくるくるしたご存じの姿である。
何であの形になるのかと、その意味を知りたくなる。
そのチョロギの花は薄紫色で小さく、シソ科の特徴を示す花びらを持つ。
とにかく丈夫で、手間がかからず毎年増えていく。
あの可愛いくるくるが収穫できるのはもちろんのことである。
こんな花にも花言葉があるという。
「驚き」と「楽しい人生」だそうだ。
「ふーん、そうなんだ」…。

   めでたさはちよろぎの紅の縒(よぢ)れかな    (梅村すみを)

チョロギ

チョロギ   
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アメリカフヨウ(アメリカ芙蓉) ~時々のクリーニング~
- 2011/08/06(Sat) -
アメリカフヨウ   

久しぶりに青山俊董師の講話をお聞きする。
いつもながらの研ぎ澄まされた鋭い説法が、歯切れ良く講堂に響き渡る。
そして、多くの先人たちの言葉を引用しながら、「生命と生きること」について、我々に厳しく問いかける。
たとえば、日蓮上人と曾野綾子の言葉を紹介しつつ。
  病にて道心は起こり候。悲しみ、苦しみに導かれてアンテナが立つ。
  アンテナが立てば至る所から御説法が聞こえてくる。苦しみがあなたを救うと。
たとえば渡辺和子先生の体験をもとに。
  時間の使い方は生命の使い方である。
  事を運ぶに、“いやだ、つまらない”と思えば、つまらん時間を過ごすことになる。
  “相手を思い浮かべ、お幸せに”の思いをもってすれば、愛と祈りの時間となると。
一つひとつの言葉は縱糸と横糸となり、教えの布となって紡がれていく。
78歳の師はずっと立ちっぱなしで、休憩無しの2時間を淀みなく話される。

自分を真ん中においての価値基準による評価からの転換。
相手の立場からものを見る懐の広さや深さ。
皮相の見にとらわれることなく、事象の本質(真理)を見失わない思考と洞察力。
欲や見栄やつまらぬこだわりが染みついている私。
洗い落とさなければならないことが多い。
夏のひととき、心がクリーニングされる。

アメリカ芙蓉が、両の手ほどの花を開いている。
開ききったもの、これから開くもの、開きを終えたもの…
その一つには雨蛙の姿も。
花びらの大きさに比べ、それはあまりにも小さい。
二つの微妙なバランスと対比。
それぞれの只今。

   物かげに芙蓉は花をしまひたる    (高浜虚子)

アメリカフヨウ

アメリカフヨウ 

アメリカフヨウ  
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ムクゲ(木槿・無窮花) ~どこかにいいくにがあるんだ~
- 2011/08/05(Fri) -
ムクゲ   

  かなかな  八木重吉

  かなかなが鳴く
  こころは
  むらがりおこり
  やがて すべられて
  ひたすらに 幼く 澄む

私の朝は早い。
いや、朝というより深夜というのが正しいかもしれない。
しじまの中で、一つのデスクワークを終える。
そのうちに、私に続いて早起きの声が響く。
それはひぐらしの「かな かな かな かな…」。
その鳴き声を「どこかにいいくにがあるんだ」と暮鳥は詠んだ。
4時半を過ぎた頃、辺りはまだ暗い。
その声を聞きながら着替えて畑に出る。
そして草取りや誘引、追肥など、朝飯前の一仕事。
終えて、花を見、花を楽しむ。
そんな日常。

今日の花は薄紅色の木槿。
韓国では無窮花と書くらしい。
込められた深い思いを感じさせる素敵な綴りだ。
この花は隣りにある白いのより、いつも2~3週間ほど遅れて咲く。
同じ木槿なのになぜだろう。

   たちまちに蜩の声揃ふなり    (中村汀女)

ムクゲ  

ムクゲ
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ハツユキソウ(初雪草) ~見ゆるもの皆涼し~
- 2011/08/04(Thu) -
ユーホルビア

初雪草も夏に咲く。
緑と白の覆輪の葉はいかにも涼しげである。
下方は緑、そして上にいくにしたがって白へと、占める割合を変えていく。
小さな花はその白い葉に紛れて目立たない。
主役はあくまでも雪を被ったような葉である。
目を凝らしてみれば、その花の形も可愛いのだが。

Today is my little anniversary.
My Bluebird, Thank you for a long time.
今日は、ちょっと淋しくて、ちょっと嬉しい日である。

   此あたり目に見ゆるものは皆涼し    (松尾芭蕉)

ユーホルビア 

ユーホルビア  
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カラー(calla・海芋) ~とほき旅の行方、この先どこまで行くのやら~
- 2011/08/03(Wed) -
カラー 

立原道造を読む。

   風の歌つた歌

  一日 草はしゃべるだけ
  一日 空は騒ぐだけ
  日向へ 日かげへ過ぎて行くと
  ああ 花 色とにほひとかがやきと

  むかしむかし そのむかし
  子供は 花のなかにゐた
  しあはせばかり 歌ばかり
  子供は とほく旅に出た

  かすかに揺れる木のなかへ
  忘れてしまつた木のなかへ
  やさしく やさしく笑ひながら

  そよぎながら ためらひながら
  ひねもす 梢を移るだけ
  ひねもす 空に消えるだけ

「子供は とほく旅に出た」という一節が自分の歴史に重なる。
そして、「思えば遠くへ来たもんだ~」と、海援隊の歌が脳裡に流れてくる。
この歌は中也の「頑是ない歌」が原詩となっている。
道造が中原中也賞の受賞の知らせを聞いたのは重篤の病床の中だったという。
1939年3月29日逝去。享年24歳8ヶ月。

庭では白いカラーとピンクのカラーが咲いている。
包み込むような柔らか苞。
その滑らかな曲線が美しい作る造形。
それは慈悲の形にも見える。

ここ数日は夏の盛りとは思えぬ涼しさが続く。
蝉だけはいつもと変わらず賑やかである。

  川風を頬にあつめて海芋見ゆ    (文)

カラー  

カラー白

からー
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フシグロセンノウ(節黒仙翁) ~楚々と佇(た)つ~
- 2011/08/02(Tue) -
フシグロセンノウ 

柿の木の下にある朱色の花は節黒仙翁である。
六月に咲いていた松本仙翁と同じ仲間で、葉や花の色形、そして草丈も似ている。
しかし、これは名前の通り、節が暗紫色となっているのですぐにわかる。
また、松本仙翁は花びらの縁辺に小さな切れ込みがあるが、これにはないことでその区別ができる。
どこの林にでも佇んでいそうな、楚々とした花である。
最近、そんな飾らぬ花たちに惹かれる。

   八月や節黒仙翁楚々と佇(た)つ  (文)

フシグロセンノウ

フシグロセンノウ   
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