上野の国立西洋美術館に出かけた。目的は【大英博物館古代ギリシャ展】での《円盤投げ》を観るためである。
展示は4つのテーマに分かれている。
第1のテーマ『神々、英雄、別世界の者たち』で、入って最初に迎えるのはブロンズの「ゼウス小像」。
高さは23,6㎝だが、天空の神らしく威光を持つ堂々として存在感がある。容姿や身体細部の巧緻な表現は見事だ。
第2テーマは『人のかたち』。《男性の身体美》と《女性の身体美》のコーナーを設ける。
「アフロディテの胸像」の美しい顔と豊満な肉体はミロのビーナスを思わせるような神聖さとエロチシズムが同居する。
第3のテーマは『オリンピアとアスリート』、古代オリンピックの選手像がメインとなっている。
円形になった特別室の広いスペースの中央に、1点だけ目的の「円盤投げ」が展示される。
中に入ると、多くの図版などに見られる側面の姿が見えるように置かれる。
正面、反対側面、背後へぐるりと廻り、全体を部分を、離れたり近寄ったりしてじっくり見る。
踏ん張る足先を見、左手に目を近づけ、下向きの顔の表情を確かめようと、しゃがんで見上げる。
それを繰り返しつつ、ミュロンの表現力と究極の肉体美に引き込まれていく。
まさに「THE BODY BEAUTIFUL」(図録のタイトル)である。
手足の指の隅々までに血が流れているかのような生命感を感じさせる。
腕や脚や胸は競技者としての理想の筋肉を有し、今にも動き出しそうな躍動感溢れる動勢を与える。
顔はややストイックな面持ちで、我々がイメージする投てき選手とは異なり、端整で美しい。
すべてがまるで生きた人間から直接、形取ったかのような精緻な彫刻描写である。
しばらくして、何か違和感を感じ、人前にもかかわらず私はその場で同じポーズを取ってみた。
違う、たしかに違う。そう、表現ポーズと実際に我々が投げる手足の動きが逆になっているのだ。
右手を振り上げるのなら、左足が前に出なくてはならない。左足が軸足となるはずだ。
その彫刻のポーズのままでは力が入らないばかりか、不安定でバランスを保ちにくい。
何度やっても同じである。運動力学としてはあり得ないポーズで制作したミュロンの意図はどこにあったのだろう。
この「円盤投げ」は美しい作品である。しかし、謎のある作品でもある。
家に帰り、古びた嘉門安雄の著を開いた。学生の頃に読んだ西洋美術の本だ。
もう少し、ギリシャ彫刻やローマ彫刻について知りたくなったからである。
そこで私は一つの自分の思い違いを知る。
著の中で、「円盤投げ」の解説に図版として掲げられているのは、これとは違う作品(ローマ国立博物館所蔵)だったのだ。
全体のポーズはほぼ同じである。
前後の足の開きがやや狭いことと、降ろした手が少し開いていること、髪の毛が短髪であることなどに違いが見られる。
ただ、決定的に違うのが、アスリートの顔が後ろ向きに円盤の方を向いている点である。
これが本来のミュロンの原作に忠実な作品(やはりローマ時代のコピー)だという。
「円盤投げ」は1点しかないと思い込んでいた私の大きな勘違いである。さらにはヴァチカン美術館にもあるという。
今一度、今回展示の作品解説を読むと、この作品は18世紀になり、顔が前方を向くように修復されたとある。
それやこれやと、いろいろ発見のあった「円盤投げ」の鑑賞だった。
昨日の事、暦は秋立つことを告げていた。
しかし、まだ蝉は賑やかい。秋は名のみの暑さである。
立秋と聞けば心も添ふ如く (稲畑汀子)


