ロウバイ(ソシンロウバイ・素心蝋梅) ~無口な花とさよなら冬~
- 2011/02/28(Mon) -
ロウバイ

このところ続いた暖かな陽気に草木も開花を促される。
ここへ来てソシンロウバイも咲き出した。
黄色い花はその丸い蕾から艶やかで、開くと透き通る。
そばへ寄ると強く芳しい香りが鼻を抜け脳に届く。
英名にWinter sweetとあるが、まさにスイートな花だ。
鵯もその蕾を好きなのがちょっと困るのではあるが。


冬と春を橋渡ししてくれた2月君さよなら。
控え目で静かで内に秘めたるエネルギーを貯めていた2月君さようなら。
いろいろ考えさせてくれた2月君ありがとう。
ではまた逢う日までさようなら2月君。


   臘梅を無口の花と想ひけり  (山田みづえ)

ロウバイ 

ロウバイ  
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ヒヨドリ(鵯) ~ぽかぽか~
- 2011/02/27(Sun) -
フユハイッタンデセウカネ
ドウシテデスカ
ハルイチバンダッテイッテマシタヨ
タシカニカゼガツヨカッタデスネ
ニガツモマツデスモノ
キャンディーズをオモイダシマスネ
フツウノオンナノコニモドリタイッ
ソロソロジブンノフユモカタヅケマスカ

1

  ん?りんごだ。かわがむいてある…。

2

  おいしそう。

3

  がまんできない。

4

  いっちゃえ。

5

  ふじだ。あ・ま・い。

6

  でもほんとにいいのかなあ。



デザートに林檎が出た。
4等分した。
皮を剥いた。
そのとき、「ピーヨ、ピーヨ」と木の上から声がした。
「そうか。そうするよ」。
皿の上の林檎を外へ運んだ。
すぐに彼はやってきた。
いい顔をして食べた。
そんな様子を見て嬉しくなった。
デザートは私の口に入らなかったが…。
ぽかぽかな日だった。

   鵯の大きな口に鳴きにけり  (星野立子)





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バラ(薔薇・メッシーナMessina) ~夜薔薇~
- 2011/02/26(Sat) -
バラメッシーナ

  「夜の薔薇(そうび)」   八木重吉

   ああ
   はるか
   よるの
   薔薇


長い一週間だった。
気遣いと心配り…デリケートな仕事。
頭に重さが残る。
まだ解放されるわけではない。
しばらくは緊張感をもってきめ細かく進めよう。


  「おもたい かなしみ)」   八木重吉

  おもたい かなしみが さえわたるとき
  さやかにも かなしみは ちから
  みよ かなしみの つらぬくちから
  かなしみは よろこびを
  怒り なげきをも つらぬいて もえさかる

 かなしみこそ
 すみわたる すだまとも 生くるか 
                    (『定本 八木重吉詩集』より) 


ヒトやコトに悲しみや怒りを感じた時、私自身を「そうならない」自分に育てる。
ヒトやコトに悲しみや怒りを感じた時、私自身はどうなのかを謙虚に振り返る。
豊かな知識はもちろん吸収できるように努力しよう。
それ以上に「智恵」や「心」を深く学び、自分を高め成長させる。
日常の中でも「机」をそばに置き、「鉛筆」を持ってノートする。
「感性」を磨く。
「生き方の学習」は続く。

  怒り流れる体温を夜薔薇抑ゆ  (文)  

薔薇メッシーナ

バラ メッシーナ
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ウンナンサクラソウ(雲南桜草) ~雨が好きか~
- 2011/02/25(Fri) -
雲南桜草  

   「雨の日」     八木重吉

   雨が 好きか
   わたしはすきだ
   うたを うたう
                   (『定本 八木重吉詩集』より) 


一日雨の日だった。
土の下では草木の根が大喜びしていることだろう。
産毛のような子どもの根が生まれているのかもしれない。
蚯蚓はムズムズ、土竜は鼻をクンクンさせ。
蛙は手を伸ばしてあくびしているのかもしれない。
かすかではあるが、地の上にも下にも空にもこころおどる鼓動が聞こえる。
雨に「しずかなるながれをかんずる」。


   「ひとつのながれ」   八木重吉

   ひとつの
   ながれ
   あるごとし
   いずくにか 空にかかりてか
   る る と
   ながるらしき 
                   (『定本 八木重吉詩集』より) 


重吉が「雨が好きか」と問う。
私は答える。
「大好きだ」と。
昔から好きだった。
昔から。

    春雨のあがるともなき明るさに  (星野立子)


雲南桜草 

雲南桜草
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オダマキ(苧環) ~だんだんの春~
- 2011/02/24(Thu) -
苧環

花びらをすべて落として苧環がある。
5枚の花びらの後の形。
先を反り返らせ重なり合う。
それもまたこれから咲く花の蕾のよう。
5つの袋は中に種を包む。
終わりははじまり。
生命を閉じて新しい生命を育む。
こうしてすべては輪廻する。

3月下旬から4月なみの暖かさだったとか。
昨日から朝の運転時の手袋を外した。
職場でもカーディガンからベストに替えた。
だんだん春である。

  春日和「いい日旅立ち」と歌う午後  (文)

オダマキ
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マンサク(満作) ~先ず咲く 春告げ花~ 
- 2011/02/23(Wed) -
マンサク

不思議な花。
黄色い紐がよじれたよう。
四本の花弁はそれぞれが絡み合い。

昔の人はこの花を見て考えた。

春に「まず咲く」からマンサクと。
花が枝に満ちて咲くからマンサクと。
黄色い四弁花が稲穂のようで豊年満作を思わせるからマンサクと。

そうして名づけられたマンサク。

葉のない冬枝に黄色い変わった花がある。
春告げの花、マンサク。

心にスケッチしたくなる。


   まんさくの花びら縒(より)を解きたる   (仁尾正文)

まんさく 

満作
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スノードロップ(ゆきのはな・松雪草) ~雪の雫~
- 2011/02/22(Tue) -
snow-drop

そう、それはまるで「雪の雫」。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ…。
二つの葉に一つの茎。
一つの茎に一つの花。
枯れ葉色の上にいのちの緑と雪の白。
凍てつく土をやぶる可憐な強さ。

イブが触れた悲しみの雪が。
天使が変えた清らかな花に。

白、白、白、汚れなき白。
それを見る懐かしい純情。

   スノードロップ乳白の露地より湧く  (田川節代)

スノードロップ 
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フクジュソウ(福寿草) ~春の姿、春の色~
- 2011/02/21(Mon) -
フクジュソウ

ここしばらくは丁寧な仕事が求められる。
週末とはいえ職場に出向き仕事をすることが増える。
まとめや報告書に加え、対外的な提出書類に落ちがあってはならない。
個別の事案と今後の展開についても慎重な配慮と具体的な指標を示す必要がある。
気の抜けない日々が続く。

一仕事を終え、帰宅して寛ぐ。
庭に出ると落葉の中に福寿草がある。
「あゝ、春の姿、春の色だ」。
微笑にも見える黄色いかたまりにほっとする。
ファミリーのように寄り集まって咲いている。
その景色が私の疲労した頭を心地よい軽やかさに戻す。
福寿草を“光の花”と形容した人がいる。
たしかにそんな情趣の花だ。

シゴト、しごと…、良い結果をもたらすような思いのある仕事をしよう。

   花かずに過不足のなき福寿草  (鷹羽狩行)

ふくじゅそう

福寿草
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キジバト(雉鳩) ~お前を見ていると~
- 2011/02/20(Sun) -
キジバト

    鳩   八木重吉

   やさしい鳥
   お前を見ていると惚っとりとする


    鳩    八木重吉

   あんな細い足がどうして傷つかないのだろう
                          (『定本 八木重吉詩集』より)


桜の木にキジバトが留まっている。
最近またよく来るようになった。
オレンジに縁取られた黒目が愛らしい。
降りて地面をつついている。
腹を満たす何かいいのがあるのだろうか。
羽の一枚一枚を重ねる鱗状模様がきれいだ。
横首にある青と白の横縞がさりげない飾りとなってオシャレである。

沖縄の寒緋桜、熱海の「あたみ桜」と、早咲き桜の便りをしばらく前に聞いた。
我が家の桜の芽は未だ固い。
しかし、空の色はたしかに春色をしている。


  雉鳩の目が見ている二月かな   (文)

雉鳩
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ツグミ(鶫) ~雨水~
- 2011/02/19(Sat) -
冬鶫  

昨日までの雨がしっとりと土に浸み込む。
草木の深い根までしっかりと届き、生命の活力をかき立てる。
雪解けの水は小川に流れ込み、新しい音を作る。
黄色い花を見つけた。
心動かす春の訪れがそこかしこの身近に感じられつつある。

とはいえ信濃の春は未だ寒い。
今は二つの季節で綱引き合戦。
今朝も厳しい氷点下だ。
春の足取りはなかなか一気とはいかず、小刻みで行ったり来たりともどかしさがある。

鶫も体を丸くし膨らめる。
天然羽毛でもやはり寒いのだろう。


  雨水より啓蟄までのあたたかさ    (後藤夜半)

冬鶫 

冬鶫
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クンシラン(君子蘭) ~花~ 
- 2011/02/18(Fri) -
君子蘭   

    「花」     岡倉天心

人間に就いてみると、花の観賞は慥(たしか)に戀愛の詩歌と同時代に始まったに違ひない。
無意識なるが故に美しく、沈默のために芳しい花の姿でなくて、何處に處女の魂のうち開ける姿を想像することが出来よう。
原始時代の人は、その戀人に始めて花環を捧げると、それによって獣性を脱した。
彼はかうして粗野な自然の必要を超越して、人間らしくなった。
彼が不要物の微妙な用途を認めた時、彼は藝術の世界に入ったのである。
            (昭和13年発行聖文閣版  岡倉天心『日本の覚醒』 福田久道訳より 「茶の書」の第六章花から)

天心四十五歳(明治39年)の著である。
原文は英文でニューヨークで出版された“The Book of Tea”。
彼は続けて次のように述べる。
   「喜びにも悲しみにも、花は我等の不斷の友である。」

こうして花に囲まれた生活をしていると、天心の言葉を同じ思いで感じることができる。
花を見ているとマイナスの感情が起きてこない不思議さがある。
あるいは忘れかけていた童心回帰への思い起こしが。
時を遡及して家族と過ごした映像を甦らせたりする。

雨降る夜、君子蘭を眺めながら天心の著の一節を思いだし、表紙の取れかかったその本を読んでいた。
明日は雨水、この時期の雨は花の慈母である。

  二月雨に芽の根の花の声のする  (文)

君子蘭  

君子蘭 

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ゼラニウム(紅葉葉ゼラニウム) ~花というもの~
- 2011/02/17(Thu) -
モミジ葉ゼラニウム4


   已(や)むを得ざるに薄(せま)りて
   而(しか)るに後に諸(これ)を外に発する者は花なり。
                            (『佐藤一斎 言志四録』より「言志録」九十二)

   やむにやまれぬぎりぎりの状態になって、
   初めて蕾を破って外に咲き現れてくるのが花である。
                             (渡邉五郎三郎 訳)


練って練りあげ、深め深めて、さらに確かめ膨らめる。
「行」に向かう蓄えられたエネルギーが満ちあふれた時に、それは一気に外にあふれ出す。
表に現れ出て見えるはただ一つの形だが、それを生み出すまでの長い時間と自問自答の相克。
そしてぎりぎりまでじっと待って内包されたものが解き放される充実感。
花の蕾と人の「想」、開く花と人の「仕事」。
花を見て感じ、花を見て思う。

寒さのピークはそろそろだろうか。
日中の陽射しが明るく感じられる。
聞けば三寒四温の言葉もちらほらと語られる。

   三寒の四温を待てる机かな   (石川桂郎)

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ゼラニウム ~鳥は足が冷えないんですかね~
- 2011/02/16(Wed) -
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寒いですね
さむいです
積もりましたね
つもりました
大変でしたね
たいへんでした
竹が道を塞いでいました
わたしもすべりました
ずっしりと重い雪でした
このじきのゆきはそうですね
国道は通行止めになっていましたよ
なんだいもうごけなくなっていました
甘く見ないことですね。
ゆとりをもつことです
それにしても今朝は晴れましたね
すっきりとはれましたね
綺麗な澄んだ青空ですね
すいこまれそうです
雪の枝に鳥が留まっていますよ
とりはあしがひえないんですかね
2月も半分過ぎましたね
すぎましたね
ほら福寿草ですよ
はるですね

   スノーホワイトスカイブルーのツートン二月  (文) 

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98.jpg
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初めの日に ~雪の2月14日~
- 2011/02/15(Tue) -
撓る

   「初めの日に」   坂村眞民

    その一

   何も知らなかった日の
   あの素直さにかえりたい
   いっぱいのお茶にも
   手を合わせていただいた日の
   あの初めの日にかえりたい

    その二

   慣れることは恐ろしいことだ
   あゝ
   この禅寺の
   一木一草に
   こころときめいた日の
   あの初めの日に
   かえりたい
              (『自選 坂村眞民詩集』より)


平和な2月14日。
せいいっぱいの2月14日。
包装された2月14日。
物語が作られる2月14日。
それぞれの2月14日。
そして私の2月14日。
迷い自問しつつ、時間と年を重ねる。
何かをきっかけに何かがはじまり、そして何かが終わる。
そしてまた始める。
 
「あの素直さにかえりたい」
「あの初めの日にかえりたい」
「こころときめいた日のあの初めの日にかえりたい」

大雪の日だった。混み合う国道を避け高速で帰った。家の近くで坂を上れず何台もの車が立ち往生している。
重い雪だ。ラッセルがずっしり腰にくる。庭の木々が大きく撓っている。今にも折れそうだ。雪を払い落とす。
心配になって裏へ回った。彫刻作業小屋のテントが壊れていた。困った。

   バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ   (上田日差子)

2月14日雪

2月14日雪の日
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ビオラ ~おはなし~
- 2011/02/14(Mon) -
20120214204744de3[1]

ねえ はなして
なにかいって
きいているとたのしいの
どらえもんのように
いろんなのがでてくるんだもの
どんなしょうねんだったの
はつこいは?
ねえねえおしえて
どんなこ?

ねえ はなして
なにかいって
ききたいの

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クンシラン(君子蘭) ~皆我が師なり~
- 2011/02/14(Mon) -
クンシラン1

   「○」    八木重吉

   私に出来ない善い事を
   他の人がしたのを見ればうれしい
                        (『定本 八木重吉詩集』より)

人の仕事に学ぶ
人の形が教える。
人が方向を指し示す
人が考えさせる。
人に感じる
人が私を育てる
人が私に知恵を授ける。
私以外は皆私の師。


君子蘭が西日を背にする。
影が重なりあう。
蕊の形も映る。
陽が花びらをスクリーンに影絵をつくる。
君子蘭の姿もまた「造型」を教える。
自然も師。

   冬の日を愛して心まだ老いず   (富安風生)  

クンシラン2

クンシラン3

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struggle ~造形的典型美と一つの遠像~
- 2011/02/13(Sun) -
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   「彫刻」        高村光太郎   (昭和15年6月)

 彫刻は言ふまでもなく視覺による立體藝術であって、繪畫と違って、
 空間をそのまま材料として實質的に使用し、空間の中に或る空間を劃つて其を造型する。
 卽ち立體表面の凹凸によつて形成される藝術である。

 人體ほど彫刻にとつて都合のよいものはない。
 實に單純であつて無駄がなく、しかも無限に複雑微妙であり、其上いくら見ても飽かぬ魅惑がある。

 胴體から四肢の岐れる關係などの不思議な、のつぴきならぬ機構の美は此上もない造形的典型でる。
 それが温かく息づき、ものを思ふのであるから彫刻家が魅惑されるのは當然である。

 裸體の四肢胴體の量の均衡、動勢の傾きは汲むめども盡きない造形的構成の源泉であり、それは遠く宇宙の構成理法を示す。

 そしてその人體の動勢を瞬間から永遠に置きかへようとするのである。
 一つの形にまで人體を上昇させようとするのである。

 彫刻の全體が一つの遠像として形成された時彫刻は彫刻らしくなる。

 彫刻とは量の世界であり、此世の一切を量の比例均衡に於て見、捉へる者のみ作り得る藝術である。
 彫刻家は一切を觸知する。そこに地肌があり、肉合ひがあり、隆起と陥没とがある。

                              (高村光太郎著 『造型美論』 筑摩書房  昭和17年1月26日発行より)   

今回はトルソーを出品した。
タイトルはstruggle。
"Love is art,struggle is beauty."
碌山の言葉を借りた。
私自身のstruggleはこれからもずっと続く。
展覧会初日は雪の降りしきる日となった。

  雪降れり時間の束の降るごとく (石田波郷)


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アジサイとホウズキと ~満目蕭絛の美~
- 2011/02/12(Sat) -
雪を被った冬紫陽花

  「満目蕭絛の美」         高村光太郎   (昭和6年12月)

冬の季節ほど私を底知れぬ力と、光をつつんだ美しさとを感じさせるものはない。
満目蕭絛といふ形容詞が昔からよく冬の風景を前にして使はれるが、
私はその満目蕭絛たる風景こそ實にいきいきとした生活力を感じ、心をうたれ、はげまされ、限りない自然の美を見る。
(略)
葉を落とした灌木や喬木、立ち枯れた雑草やその果實。
實に巧妙に微妙に縱横に配置せられた自然の風物。
落ちるものは落ち、用意せられるものは用意せられて、
何等のまぎれな無しにはつきりと目前に露出してゐる潔い美しさは、およそ美のなかの美であろう。
彼等は幸水を持たない。ウヰンクしない。見かけの最低を示して當然の事としてゐる。
私はいつも最も突き進んだ藝術の究極が此の冬の美にあることを心ひそかに感じてゐる。
(略)
                            (『美について』 道統社 昭和17年2月20日発行 より)

展覧会への作品搬入と飾り付けを済ませる。
各界関係者のテープカットのセレモニーも無事終わる。
多少の疲労感を感じながら、雪道を慎重に運転して家路につく。
車を庭の中途で駐める。
雪かきをしなくてはならない深さだったからだ。
そのまま作業用に着替え、長靴に履き替え帽子と手袋を着けて手押しのラッセルを持つ。
小一時間ほど、家の周りから畑まで雪を片付けるとネックウオーマーの中は汗をかいている。
道具を片付け、肩に乗った雪を払って車を奥に入れる。

少し歩く。
紫陽花はかき氷のようだ。
鬼灯も埋もれている。

人の手では決して作り出すことのできない風景。
これが光太郎の言う「満目蕭絛の美」なのだろう。

  ガラス張りて雪待ち居ればあるあした雪ふりしきて木につもる見ゆ    (正岡子規)

雪と鬼灯

雪と冬紫陽花
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エピデンドラム(蘭) ~またか~
- 2011/02/11(Fri) -
エピデンドラム

  「また」 谷川俊太郎

  またか
  まただ
  またまたか
  またまたさ
  なれつこだな
  なれつこさ
  よくないな
  よくないよ
  ………


外に目を向けた時、「また」か。
自分に目を向けた時、「また」だ。
周りのことに「なれつこさ」。
自分のことに「なれつこさ」。
「よくないな」と小さく呟く。
「よくないよ」と自分を叱る。
「おこない」に学習していない私。
「言葉」をものにしていない私。
「また」を繰り返す。
「また」から「また」にならないように学ぶ。

2月も半ば、冬と春が綱引きする。
花便りと雪模様のはざまに自分を思う。


    風の耳拾ひあつめし二月かな   (木村敏男)
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鉛筆削り ~名を消し書く純愛~ 
- 2011/02/10(Thu) -
鉛筆削り 

  手  山村暮鳥

  しつかりと
  にぎつてゐた手を
  ひらいてみた

  ひらいてみたが
  なんにも
  なかつた

  しつかりと
  にぎらせたのも
  さびしさである

  それをまた
  ひらかせたのも
  さびしさである
              (『室生犀星編  山村暮鳥詩集』より)

伊東屋で買った小さな鉛筆削り。
何年も愛用している。
長さ2㎝ほど、親指と人差し指で挟んで持つ。
右手の鉛筆と左手の鉛筆削りとを呼応させてそれぞれを逆に捻る。
リズムをもって回すと、形の綺麗な削り屑が外に出てくる。
ちょうど林檎の皮を剥いていくように。
そんな何気ないことにうれしくなったりする。
部品は小さなネジ一本と一枚の刃と穴の空いたブロンズ色の本体だけ。
そのシンプルさがいい。
削るというだけの単純な構造と形の機能美

今はいろいろなことにたくさんのものが組み込まれる。
わたしたちはいろいろを求めすぎているのかもしれない。。
欲張らないモノ、絞り込まれた形、素のまま。
生き方もこうあれば…。

   薄氷(うすらい)に書いた名を消し書く純愛    (高澤晶子)

鉛筆削り
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デンドロビウム(蘭) ~文は人なり~
- 2011/02/09(Wed) -
デンドロビウム赤紫

“文は人なり”という古い言葉がある。

仕事柄、多くの文章や報告書などに目を通す。
まさに“文は人なり”の姿をそこに見たりする。
いや“仕事は人なり”の姿を。
人それぞれだとはいうが。
文のみならず、他のさまざまな面でも感じることが最近多い。

若い頃、「プロ」であることを厳しく教え込まれた。
気づくこと、考えること、工夫すること、整えること、守ることを。
個を表すこと、個を伝えること、自分を高め、自分を深めることを。
他へ思いを寄せること、様々なシチュエーションを想像する感性を。
職業人としての自覚、専門職としての意識を。

「なあなあ、まあまあ」のことなかれが漂う。
アマチュア的な仕事がまかり通っていくはがゆさ。
自らの矜持はいずこに…。

己に対して「恥」を感じる仕事したい。
他を鏡として自分の襟を正そう。
曇らないように、鈍くならないように磨く。


雪の予報だったが、雨がしとしと降っている。
雨に草花の囁く聲が聞こえてくるよう。

    福寿草に待ち通しかりし二月雨(文)

デンドロビウム赤紫 
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デンドロビウム(蘭) ~或る時~
- 2011/02/08(Tue) -
デンドロビウム白

   或る時   山村暮鳥

  (略)
  さいてゐる
  花をみよ
  かうしてはゐられぬと思へ

  花をみること
  それもまた
  一つの仕事である
  それの大きな仕事であることが解ったら
  花をみて
  その一生とするのもよからう

  花はおそろしい
  ほんたうにおそろしい
  なんという真劔さであろう
  だが、またそれは
  あまりの自(おのづか)らである


二月 二月 二月 二月、二月…。
二月に入ってなんとも一日が早いこと。
二月逃げる月、駆け足の月。
二月荷の月、片付ける月。
二月土(に)の月、耕す月。
そして二月は「過去を聞く月」、流れの音に耳を傾ける月。

  命あるものの呟く二月かな    (滝川名末) 

デンドロビウム

デンドロビウム 
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オダマキ(苧環) ~あしたもゆこう~ 
- 2011/02/07(Mon) -
オダマキ 


   ○ 八木重吉

   いつわりのない
   こころをもとめ
   あいてのないこころをいだき
   きょうはすぎた
   あしたもゆこう
            (『定本 八木重吉詩集』より)
  
白から青紫への美しいグラデーションを見せるているのはオダマキ。
5枚の萼と花びらが互生するコラボの妙味。
いい。
ところで漢字で苧環とはなかなか書けない。
またオダマキともなかなか読めない。
人差し指でなぞって書いてみる。
そんなことをしつつ見ては楽しむ二月初め。

    苧環と指で味わう浅き春  (文)


苧環 

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クリスマスローズ ~草を除ろうよ 草を除ろうよ~
- 2011/02/06(Sun) -
クリスマスローズ

厳しい寒さから一変してぽかぽかの暖かい日である。
日射しも眩しく3月半ばの陽気だとか。
その穏やかさ、気持ちの良さに誘われて畑とバラ園の除草をした。
立鎌の先を草の根元にあて手前に引く。
乾燥が続くため土が砂地のようにさらさらになり草がいとも簡単に抜けていく。
見る見るきれいになっていく。
気持ちいいもんだ。

作業をしながら北川冬彦や宮澤賢治や徳富蘆花など詩や文を思いだしていた。

    『草とり』   (徳富蘆花 より抜粋)

  一本また一本。一本除(と)れば一本減るのだ。草の種は限なくとも、とつただけは草が減るのだ。
  手には畑の草をとりつゝ、心に心田(しんでん)の草をとる。心が畑か、畑が心か、兎角に草が生え易い。
  油断をすれば畑は草だらけである。吾儕(われら)の心も草だらけである。

  四囲(あたり)の社会も草だらけである。
  然しうつちやつて置けば、我儕は草に埋もれて了(しま)ふ。そこで草を除る。
  己(わ)が為に草を除るのだ。生命(いのち)の為に草をとるのだ。

  美的百姓の彼は兎角見るに美しくする為に草をとる。除るとなれば気にして一本残さずとる。

  誰か其懐(ふところ)に多少の草の種を有つて居らぬ者があらうぞ?
  畑の草にも色々ある。つまんでぬけばすぽっとぬけて、しかも一種の芳(かんば)しい香(か)を放つ草もある。

  一度落した草の種は中々急に除り切れぬ。
  草を除らうよ。草を除らうよ。             
                             『日本の名随筆94 草』 作品社


ちょっとした油断から草が茂るのは人の心。
はびこる草の名は「なまけ草」「ずくなし草」「ごまかし草」「いいかげん草」「したくない草」。
風に運ばれてやって来るのは「ゆうわく草」「あそぼう草」などなど。
私が耕作する心畑の「さまざま草」も除らなければならない。
いい作物を育て、綺麗な花を咲かせるためにも。

しばらくは暖かな日が続くという。

    早春に立鎌持てば埃たつ  (文) 

冬のバラ園

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サンゴアブラキリ(珊瑚油桐・podagrica) ~一歩する心~
- 2011/02/05(Sat) -
サンゴ油桐  

   静かな 焔   八木重吉

   各(ひとつ)の 木に
   各(ひとつ)の 影
   木 は
   しずかな ほのお


三鉢の珊瑚油桐がある。
その一つが咲き出した。
珊瑚の名を冠すにぴったしの花容である。
小さい鉢にあるのは花後にできたたった一つの種から息子が育てたものだ。
中央アメリカ原産だというので本来は常夏の環境を住とするのだろう。
氷点下が続くここ信州にあっても咲いてくれるのだから感謝である。
こうして幾年も咲いてくれのは我が家を気に入ってくれたのか。
花が応えてくれるありがたさ。


   三春へ先ず一歩する心かな    (高木晴子)

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『福翁百話』 ~愛美の情~
- 2011/02/04(Fri) -
福翁百話

染みのついたぼろぼろの『福翁百話』を書棚から取り出して読む。
福澤諭吉が明治29年から一年ほどの間に「時事新報」に掲載したものをまとめた著である。
明治30年の7月に発行し、その年の11月にはもう5版を重ねている。
この本が当時、多くの人々に求められていたことが分かる。
1897年、今から114年前のことである。
百題の中味は「宇宙」(一)にはじまり「夫婦」、「教育」、「愛情」、「史論」、「政論」など、多岐にわたる。

(十一題)は「善心は美を愛するのに情に出づ」である。
前後を略し、要を抜いて紹介する。

  人の心は醜を惡(にく)んで美を愛するものなり。
  冬の枯野は物凄くして春の櫻には氣も浮き立つばかりなり。
  秋の夕べの雁は悲しくて花に戯るゝ鶯は耳に快し。
  (略)
  善を為して其人の欲する所に従ひ其喜ぶ聲を聞き其の笑ふ顔色見るは
  春の野に鶯の囀づるを耳にし百花の爛漫たるを見るに異ならず。
  (略)
  善を為すは人の為にあらず己の為めなり。
  愛美の情即ち為善の端なりと知る可し。

福澤諭吉もまた言うのである。
「善を為すは人の為にあらず己の為めなり」と。
「愛美の情即ち為善の端なり」と。

人の為に何ができるか…それはとりもなおさず己の為なのだが。
「愛美の情」という素敵な言葉。
私も自分のものとしよう。

   立春や目の前に階段のあり   (佐藤和枝)

福翁百話   

福翁百話 
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クンシラン(君子蘭) ~わがこころ しずかなり~
- 2011/02/03(Thu) -
クンシラン

   矜持ある 風景      八木重吉

   矜持ある 風景
   いつしらず わが
   こころに 住む
   浪(ろう)浪 浪 として しずかなり


   夜       八木重吉
 
   夜になると
   からだも心もしずまってくる
   花のようなものをみつめて無造作にすわっている
                  (『定本 八木重吉詩集』より)
  
一日早く豆を食べた。
年の数というわけにはいかなかった。
煎ったその香りが少年にする。
暦には「旧正月」とある。
今一度、心持ちを引き締め直す節目にしよう。

数日前から君子蘭が開きつつある。

   琉球王国よりの旧正にぎやかに  (上村占魚)

クンシラン 
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ハス(蓮の実) ~視る、聴く~ 
- 2011/02/02(Wed) -
蓮の実と蜂の巣

庭木に蜂の巣があった。
綺麗な形だった。
取り離して部屋の中に入れた。

部屋には蓮の実があった。
横に置いてみた。
そっくりだった。
蓮に「はちす(蜂巣)」の古名があるのを思い出した。
並ぶ二つを見ていると嬉しくなった。
万葉の人々もこうやって並べて見ていたのだろうか。

淡い黄色である。
どの蜂の営みによるものなのか。
しばらくインテリアとして置くことにしよう。

机には読みかけの『言志四録』(渡邉五郎三郎著)。
一斎の八十越えてからの語録「言志耋録」の一節が目に留まる。

   視るものに目を以てすれば則ち暗く
   視るものに心を以てすれば則ち明なり。
   聴くに耳を以てすれば則ち惑い、
   聴くに心を以てすれば則ち聡なり。
   言動も亦同一理なり。 
                        (佐藤一斎『言志四録』より 耋録七一)

心で視て、聴いて感じる。

     ぞろめの2動く季節の楽しさよ  (文)



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カルセオラリア(Calceolaria・巾着草) ~昨日今日~
- 2011/02/01(Tue) -
カルセオラリア

  冬の朝    八木重吉    1926年(昭和元年) 1月12日編

  雲はひとつも無く
  空やけが
  うすく野末をめぐり
  冬の朝にはおのずと頭が下がる


  夕焼    八木重吉      1926年(昭和元年) 1月22日編

  じっと自分を見据えて
  冬を昨日今日とすごして行くと
  こんな綺麗な夕焼にはうっとりとする


きのうは1月のよる。
きょうは2月のあさ。

2月です。
2月ですか。
2月ですよ。
2月ですって。
2月ですね。
2月なんです。

こよみをいちまいめくるようにこころも2がつにしましょう。


    晴れわたる浅黄の空の二月かな  (物種鴻両)

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