ホシザキゼラニウム(星咲きゼラニウム・スターテル) ~セルフコントロール~
- 2010/11/30(Tue) -
ホシザキゼラニウム

このゼラニウムもだいぶ古株になった。
もう何年目の冬になるのだろう。
5枚の花びらは細く、所々に不規則な切れ込みがある。
上のは小さく、横2枚下2枚とそれぞれに大きさを変える。
面白いのは同じ株でいく色もの花を咲かせることだ。
白だったり、オレンジだったり、ピンクだったりと。
それに加えてドリッピングしたような斑点があり、様々な表情を見せる。
まるで一人の人間の朝の顔、昼の顔、夜の顔のようにも。

11月も終わる。
流されないように、自分で時間をコントロールして過ごそう。
何事も口で言うのはたやすい。
目に見える形で事を運ぶ。
プレーするのは自分、そして監督も自分自身である。

   行秋の耳かたむけて音はなし (高木晴子)

星咲きゼラニウム

ホシザキゼラニウム 


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シダレモミジ(枝垂紅葉) ~冬隣の一人遊び~
- 2010/11/29(Mon) -
しだれもみじ

北海道では大雪になったところもあるようだ。
いよいよかと思いつつ、いよいよだなと構える。
どうぞ穏やかな振る舞をと冬には願う。

枝垂れ紅葉の色鮮やかなこと。
深い切れ込みの葉はまたひと味違う。

  「きれいな色だね」とあなたが言った枝垂れ紅葉一葉取り口にする (文)
俵万智風の現代短歌などにしてみる。
  「きれいだね」と言った貴方は今何処二人の紅葉は太宰の本に挟まれてある (文)
文学少女風の恋の歌にも。
   かたがはは紫襦子のふくさ帶べにの紅葉なつかしきかな
与謝野晶子はこう歌う。

11月も終わる日の歌遊び。

  控目に雲湧きいでて冬隣 (山田孝子)

枝垂れ紅葉 
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ペチュニア( Petunia ) ~花が咲いたら花を見ろ~
- 2010/11/29(Mon) -
白ペチュニア

   いいわるいは抜きにして
   花が咲いたら花を見ろ
   しづかに
            (高村光太郎「とげとげなエピグラム」より)

この頃予想も付かないような不思議な夢をよく見る。
潜在している「欲求」や「願望」や「ストレス」や「不満」が眠りの中で蠢いているのだろうか。
どこかでそんな思いが心の奥に閉じ込められているのかも知れない。
きわめて健康だと思っている自分の中に宿る不健康な精神…。
慢心への戒めと警告として受け止めよう。
惰性で事を運ぶ事なく、一つひとつを確実に。
単にノルマをこなすのでなく、心を込めてよりよいものとして進めるようにと。

秋も終わるというのにペチュニアはまだまだ元気である。
花のあるありがたさ。
光太郎の思い、智恵子の心で花を見よう。

   ゆく秋や何をおそるゝ心ぜき (久保田万太郎)

ペチュニア紫

ペチュニア白
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ゼラニウム( Geranium) ~自分が花になること~
- 2010/11/28(Sun) -
オレンジ色のゼラニウム

   「花」  東井義雄

  花をいけるということは
  花を生かすということ
  野にあったときよりも
  畑にあったときよりも
  もっとほんとうに生かすこと
  室を生かし
  室にも室の花を咲かせること
  そして 人の心の中にも
  花をいけること
  そうやって 自分が花になること
                  (東井義雄 「いのちの言葉」より)


11月も最後の日曜日。
そう思うだけで少し寂しくなる。
ゼラニウムも入れることにする。
春までは部屋の中で楽しませていただくことにしよう。

   ぽかぽかと霜月下旬のゼラニウム (文)

オレンジ色のゼラニウム  

オレンジ色のゼラニウム 
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干柿 ~金殿玉桜といふべけれ~
- 2010/11/27(Sat) -
干柿

吊しの糸が実に食い込んでいる。
干柿もだいぶやわらかくなってきたようだ。
あと三週間ほどもすれば粉(こ)を吹いて白い衣に覆われるはず。
今年は少なめとなった。
家から離れた畑にある柿の木へ足を運べなかったからだ。
今頃は鳥たちの楽しみの場になっているに違いない。
それでも家族で冬の間に味わうには充分である。
自然のありがたさがここにもある。

  干柿の金殿玉楼といふべけれ (山口青邨)

ほしがき 

干柿 


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モミジ(紅葉・イロハモミジ) ~いろはにほへと~
- 2010/11/27(Sat) -
桜の木の下のモミジ

いつのまにか増えたモミジ。
桜の下、椿の横、一位のそば。
杏の下に、樅の下に、百日紅と並んで。
山吹と梅擬きに挟まれてもある。
居間に座すれば、その窓の外にもたくさんの「いろはにほえと」。
手を伸ばせば届く。

褐色の枝桜を背景にすると、光を浴びたその朱の鮮やかさは一際となる。
光が影を作り、葉の形を葉に重ねる。
整った対称。
ギザギザの鋸歯、透かされた葉脈。
所々の穴のそのむしばまれた形さえ美しく感じられる。

場所によっては落ち始めている。
地面に重なり合う葉の色模様。
そのままにしておくのはもったいない気がして拾い集めた。
どうするあてもないのだが。
ただ集めたいと思った。
袋いっぱいになった。
そんな自分がおかしかった。
でもうれしかった。

   青空の押し移りゐる紅葉かな (松藤夏山)

もみじ 

モミジ

いろはもみじ

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ヤツデ(八手の花) ~みづからの光をたのみ~ 
- 2010/11/26(Fri) -
ヤツデの花

  「手」 山村暮鳥

  しっかりと
  にぎってゐた手を
  ひらいてみた

  ひらいてみたが
  なんにも
  なかった

  しっかりとにぎらせたのも
  さびしさである

  それをまた
  ひらかせたのも
  さびしさである
             (室生犀星編「山村暮鳥詩集」より)


今、玄関前にはたくさんの白い八つ手の花が咲く。
蕾はまるで固く握った拳のよう。
それは開いて、ふわふわやわらかな毬かしら。
いや、夜空にぱっと咲く花火かな。
う~ん、海の中のいそぎんちゃく?

私も「にぎってゐた手を」「ひらいてみた」。
それは父と母がくれたありがたい手であった。

    みづからの光りをたのみ八ツ手咲く (飯田龍太)

やつでの花

八つ手の花


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野の花 ~花になりたい~
- 2010/11/25(Thu) -
紫色の小さな花

    「秋」

  草をふみだしてゆくと
  秋がそっとてのひらをひらいて
  わたしをてのひらにのせ
  その胸のあたりへかざってくださるようなきがしてくる

    「花になりたい」

  えんぜるになりたい
  花になりたい
                  (「定本 八木重吉詩集」より)

寂しい秋にある紫色。
それは僅か3㎜ほどの小花たち。
寄り添うように落ち葉の上。
毎年咲くのだが、何という名だろう。

えんぜるになりたい?
花になりたい?
心は幼児(おさなご)に。

庭のそぞろ歩き。
花を見つける微笑み。
「♪野に咲く花のように♪~」

  晩秋の野の明るさを歩きけり (前田震生)

紫の小さな花


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ビワ(枇杷の花) ~蜂のみの知る枇杷の香~
- 2010/11/24(Wed) -
枇杷

多くの木は葉を落とし、枝幹を露わにする。
一方、この寒空の下で開花を迎える木もある。
咲くのは枇杷の花。
いつもの年の倍以上ものたくさんの花付きだ。
絨毛に覆われた薄茶の蕾は開くと白い花に。
それは半年後の黄色い実。
実るまでの長い時間。
花は黙して風雨に耐え、日光月光に委ねて時を待つ。

蜂が来る。
蜜を得るためか。
顔は花の中。
1匹2匹3匹、次々に移って4匹5匹。
同じ花めがけてのニアミスも。
誰かに歌でも作ってもらいたいような楽しい光景だ。
彼らもひたすらなんだ。

  蜂のみの知る香放てり枇杷の花 (右城暮石)

枇杷に蜂

枇杷に2匹の蜂
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コケ(苔の花) ~歳月のふはふはと~
- 2010/11/23(Tue) -
桜

桜もすっかり裸だ。
それがかえってすがすがしいのはなぜだ。
春の桜は女性の美しさを思わせるがこれはきっぱりと男だ。
すべてをさらけ出して堂々としている。
目を下に向けると、土の上に盛り上がった太い根は苔むしている。
その緑の中にちょんちょんと細く伸びるのがある。
先端は少し膨らみ蝋燭のようにも見える。
これがいわゆる苔の花か。
大きな古い木の下にある寄生する新しい命。
「私はここにいます」と。
小さな幸せを見つけた気分。

   歳月のふはふはとあり苔の花 (長篠旅平)



苔

苔 
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蘭(デンファレ) ~雨降る秋の日はさびし~
- 2010/11/23(Tue) -
デンファレ

    「雨」

  窓をあけて雨をみていると
  なんにも要らないから
  こうしておだやかなきもちでいたいとおもう

    「雨」

  雨がふっている
  いろいろなものをぬらしてゆくらしい
  こうしてうつむいてすわっていると
  雨というものがめのまえにあらわれて
  おまえはそう悪いものではないといってくれそうなきがしてくる
                                 (「定本 八木重吉詩集」より)


この雨で気温もだいぶ下がった。
最高気温は5.5度だったとか。
冷たい雨の慕情。
晩秋の雨は音さえも感傷的だ。

部屋には蘭の花。
理屈抜きにきれいだと思う。
こんな日は考えずに感じればいい。

  こちら向け我もさびしき秋の暮 (松尾芭蕉)
 
デンファレ  
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キク(菊・紅孔雀) ~澄心静慮~
- 2010/11/22(Mon) -
紅孔雀 

   「断章」  佐藤春夫

  さまよひくれば秋ぐさの
  一つのこりて咲きにけり、
  おもかげ見えてなつかしく
  手折(たを)ればくるし、花ちりぬ。
                   (佐藤春夫「殉情詩集」より)


この菊にはたしか“紅孔雀”の名があった。
鶴首に挿す。
やはり和室がいい。
部屋が落ち着く。
花を置く自分も落ち着く。
菊ありて「澄心静慮」。

  今日はまた今日のこゝろに菊暮るる (松尾いはほ)

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ツグミ(鶫・噤) ~桜の木の上で~
- 2010/11/21(Sun) -
ツグミ

おやおや、窓の外が賑やかだ。
顔を出すと、桜の上で「キイ、キイー」と聞き覚えのある声。
ああ、鶫だ。
来るのはいつも柿の木に葉や実がなくなる頃。
今年もそろそろだろうとは思っていた。
シベリヤの地からはるばると。
「ようこそ」と鳥語がしゃべれるといいのだが。

そろって隣家の畑へ降りていく。
どうやら採食しているようだ。
その様子に、私も目で仲間に入れてもらう。
時間を止め、のんびり鳥と遊ぶ。

こうした渡り鳥の飛来は秋の楽しみの一つである。

仕事に戻り、キーの上に指を置く。

  鶫飛び木の葉のやうにさびしきか (細見綾子)

鶫
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バラ(薔薇・フリューテ) ~深秋と人はいふ~
- 2010/11/21(Sun) -
フリューテ 

「全国的に良い天気となるでしょう」。
早朝のラジオで予報士が言う。
言葉通りに、空は青く、風のない穏やかな小春日和。
こんな日は何をしてもいい。
いや、何をしなくても外にいるだけでいい。

掃いた後に又落ちてくる落ち葉。
交差しながら飛び交う鳥たち。
ブロッコリーに留まる名残の黄蝶。
色づき始めた柚子。
裸木になった銀杏。
花火のような八手の花。
枝にある木守り柿。
蜂が遊ぶ枇杷の花。
取り残された無花果。
驚いて飛び出した冬眠前の土蛙。

画面の機械文字。
仕事を少し置いて、庭を歩く。
秋のひだまり。

鮮やか色のフリューテ。
見る幸せ。
感じる。
味わえる。
そこにいる。

  深秋(しんしゅう)の言葉(ことのは)溢るる昼下がり (文)

フリューテ
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カキ(柿) ~枝にぶらさがってゐたい~
- 2010/11/20(Sat) -
柿一つ

   「柿も林檎も」 高橋元吉 

  柿も林檎もすっかりいろづいて
  うっとりとして枝にぶらさがっている
  甘い果汁が身内をひたしてきて
  果肉がまんべんなくやはらかになる
  成熟するといふことはどんなことなのだ
  自分もそんな気配を身内に感じないこともない
  茜色の雲など眺めながら
  うっとりと枝にぶらさがってゐたい
  そんな気持ちだ
  なんといふこともない自然のなかに
  落ちるときにぽつりと落ち
  どこといふこともなくひろがり消える
  成熟へのねがひといふものは
  謂はばこんなふうなものででもあらうか

我が家の果樹にとって今年の天候は厳しかった。
柿も花梨も林檎もほとんどならなかった。
こんな年は初めてである。
今、ほんの僅かが枝にある。
採るには及ばない。

年々歳々同じからず。
過ぎたるを思うべからず。
未だ来たらずを思うことなかれ。
師は今なすを為せという。

  日あたりや熟柿の如き心地あり (夏目漱石)

カリン
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バラ(薔薇) ~ 今といふ刻 ~
- 2010/11/20(Sat) -
一重の赤い薔薇 

花薔薇(さうび)よ
今咲くというのか
花びらは5枚
黄から赤への階調
花薔薇よ
今がいいというのか
花薔薇は今がいいというのだ。

誰(ひと)にも今という「刻」。
誰(ひと)にも今という「色」。
誰(ひと)にも今という「形」。

「今」に注ぐ光。

   今といふ刻(とき)またあらず秋晴るる (成瀬正とし)

一重の赤い薔薇
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キク(菊) ~秋の空の下~
- 2010/11/19(Fri) -
 菊 

  去年咲いた花が
  今年咲くのではない
  今年咲いた花が
  また来年咲くのではない
  この花は
  今しか咲くことができないのである
  だから
  いのちがけで 咲いているのである
  力いっぱい 咲いているのである
  こんなに つつましく
  真剣に咲いているのである
                    (東井義雄「いのちの言葉」より)


義理のおばの通夜があった。
唇には紅が引かれ、まるで眠っているかのようだった。
棺に納め、周りを花で囲んだ。
俳句をたしなんでいた。
その句集も一緒に納めた。
雲の上でもきっとたくさんの句を詠むのだろう。

    有る程の菊なげ入れよ棺の中  (夏目漱石)

菊

 菊  
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落葉 ~匂ふ落葉~
- 2010/11/18(Thu) -
桜落葉

   「落葉」  西條八十

  落葉よ 落ちて
  つめたかろ
  わたしの 袂(たもと)に
  入れてあげよ

  日向に霜が
  とけるまで
  わたしの袂(たもと)に
  入れてあげよ。


桜の下に桜の落ち葉。
欅の下に欅の落ち葉。
ハナノキの下にハナノキの落葉。
それぞれの色の落葉。
それぞれの形の落葉。
そして色と形は土となる。

  陽の清らにある匂ふ落葉落葉かな (文)

ハナノキ落葉

ケヤキ落葉
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バラ(薔薇) ~おれいをもうしたい~
- 2010/11/18(Thu) -
オレンジの薔薇

    「○」  八木重吉

  こういうくらしができたなら
  平凡のようでいて平凡でない
  よるは うつくしいゆめばかりみていて
  なんのおもいもなく
  ただありがたさにみちてあさをむかえる
  すべて きょうのひとひは
  秋のひに  けやきがすくすくと野にたつように
  ひとすじに まじりけなく
  じぶんのこころと身をひとつに統(す)べて
  できるかぎりのことをけんめいにしたい
  ありがたさのおもいのかげに
  すべてのひとつにささぐるねがいをかきいだいて
  きょうの日をあゆんでいき
  ゆうがたをむかえたらば
  きょうすごしたるを 手をあわせて おれいをもうしたい


太陽が西山の上にある。
角度をかたむけて届く。
陽のあたる所、寂しい日陰。
あたってかがやくもの。
あたらなくても咲き続けるもの。

あたえられたところで自分を生きる。
あたえられたことにつくす。

  秋の日の薔薇の上にある哀愁 (文)

黄色薔薇
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キク(菊) ~誰が暖める晩秋~
- 2010/11/17(Wed) -
薄紅菊 

   「ある時」     山村暮鳥

  おや、いつのまにか
  自分のこころも
  なんとなくうすぐらくなつた
  静かな晩秋である
  ちろちろと
  赤い小さな灯(ともしび)が
  もうそのくらがりには
      ともされてゐる
  そんな氣がする


人の心を深く細い世界へと誘(いざな)う晩秋。
景色は穏やか、花は静か。
時間までもがゆっくりと流れ。
自分を一人の人間(男)にする刻(とき)。

薄紅色の小菊が咲いている。
繰り返して並ぶ整った形。
まるでコンパスを使って描いた剪紙(せんし)のよう。
何という名の菊だったか、思い出せない。
和む。ほっとする。
心の中にもこんな風な花をいつも咲かせられるといい。

知人はもうスタットレスに変えたという。

  晩秋の誰が私を暖める (高澤晶子)

薄紅菊  

薄紅菊   

薄紅菊
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バラ(薔薇・コリブリ) ~聖き薔薇よ~
- 2010/11/16(Tue) -
バラ コリブリ

なんともゆかしき色、これは「黄丹(おうに)」ともいうのだろうか。
黄色でもなく、赤でもなく、かといって橙でもない。
しかし、それらのすべてを内包する。
目が深くなる。
たしか「コリブリ(Colibri)」の名が付いていたと思う。

   「薔薇」 山村暮鳥

  かなしみの薔薇よ
  聖き薔薇よ
  
  黒き花よ
  ゆめの薔薇よ
  
  わかき生命(いのち)のいちはやくも
  君が吐息にちりそめたり

 曇天にシュールになれる薔薇であり (広井和之)

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イチョウ(銀杏) ~ひらりはらりと舞う銀杏かな~
- 2010/11/15(Mon) -
銀杏 

銀杏も盛んに舞い落ちる。
葉は幾重にも重なって地面を覆う。
樹下を一面黄色い色に変える。
その上を歩くのはもったいないような。
しばらくそのままにしておく。
表あり裏あり、向きもそれぞれ地面に着いたままに。
そんな不規則模様を愉しむ。
仰向けになって体を預けたくなった。

    銀杏(いてふ)落葉桜(ざくら)落葉や居を移す (芥川龍之介)

イチョウ 

 イチョウ 
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キク(白菊) ~影日なた~
- 2010/11/15(Mon) -
白菊 

オクラやモロヘイヤ、ナスなどなど、時期を終えた野菜の株を抜く。
残るは大根と、ほうれん草や小松菜、水菜などの菜物、それにブロッコリ-や芽キャベツなど。
畝がなくなり平らになっていく。
思いの外、暖かく作業も捗った。
だんだんに、土には春まで休んでもらう。

白菊が薫りを放って咲いている。
丈は1メ-トルを越す。
霜を受けてなお、凛とした美しさがある。
菊は強い。

   白菊や匂(にほい)にある影日なた (芥川龍之介)

白菊
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落葉を掃く ~寒山拾得になれるのか~
- 2010/11/14(Sun) -
新国立美術館

“没後120年 ゴッホ展”は込んでいた。
“日展”は比較的空いていた。
穏やかな秋の日、東京六本木の国立新美術館へ出かけたときのことである。
見る、肥やす、入れる、深める、そして自分を駆る。
見終えて、東京メトロへ抜ける小路にある小さなキューバレストランで昼食をとる。
チェ・ゲバラの、あのよく知られた写真が壁に貼ってある。
サルサが流れる。
料理は香辛料が利いて美味い。

中央道は渋滞した。
戻ると落葉が庭に広がっていた。
見上げると欅の葉がだいぶ少なくなっている。
ほかに栃や桜、山茱萸なども混じる。
掃き集める。
無心になって箒を動かす。
私は箒を持つのは好きである。
目に見えてきれいになる、それがうれしい。
無我の境地と言おうか、寒山拾得にでもなった気分になる。

掃いた地にはらりはらりと落ち葉が舞い落ちてくる。
また、喜んでそして楽しみながら掃く。

    拾得は焚き寒山は掃く落葉 (芥川龍之介)


ケヤキ

落葉掃き

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ノボタン(野牡丹) ~秋が心にしみいる日~
- 2010/11/14(Sun) -
ノボタン  

   「○」
  しみじみと
  秋がこころにしみいる日は
  怒っても かなしんでも
  しょせんは みずからをみるほかのこころが
  みずからのかたわらにしずかにすわり
  かなしみと いかりをささげいつき
  うつくしいおどろきにひざまずいている

   「○」
  色は
  なぜあるんだろう
  むかし
  神様は
  にこにこしながらお色をおぬりになされた
  児どもが
  おもちゃの色をみるようなきもちで
                      (「定本 八木重吉詩集」より)

ノボタンの紫。
きれいだ。
どうしてこんな色ができるのだろう。
絵の具を混色して作ることはできるかも知れない。
でも、きっとちがうなあ。
そっくりな色ができたとしても、この深さにはならないだろうなあ。
そうだ、うっかりしていた。
掘り上げて部屋の中に入れなくては。
繊細な心の持ち主のこと、扱いを丁寧に。

    日清らか野牡丹の色貴しや (文)

ノボタン 

ノボタン   
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カエデ(楓・紅葉) ~秋のひかりがこぼれて~
- 2010/11/13(Sat) -
紅葉に太陽 

   「木」
  はっきりと
  もう秋だなとおもうころは
  色色なものが好きになってくる
  あかるい日なぞ
  大きな木のそばへ行っていたいきがする

   「秋のひかり」
  ひかりがこぼれてくる
  秋のひかりは地におちてひろがる
  (ここで遊ぼうかしら)
  このひかりのなかで遊ぼう

   「静かな 焔」
  各(ひと)つの 木に
  各(ひと)つの 影
  木 は
  しずかな ほのお
              (「定本 八木重吉詩集」より)

「もみじ」がようやく目の中にひろがる
もう暖房ががんがん焚かれているのだよ。
今年の秋は、夏と冬に押しつぶされてどこかへ行ったのではないか。
そんなことを思うほどに、季節は列をなすことなく、規律なく動いていた。
短い秋を凝視する。

   かざす手のうら透き通るもみぢかな (大江丸) 

紅葉光芒

光芒紅葉
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ツツジ(躑躅) ~一輪二輪、ここそこの返り咲き~ 
- 2010/11/12(Fri) -
秋つつじ

   「あなたなら」
  あなたなら
  いいこと たのしいことはもちろんだが
  つらいこと 苦しいことも
  あなたを伸ばし
  あなたを磨くことに生かして
  進んでくれるでしょう

   「見えないところ」
  見えないところが見えるところを支えている
  見えないところが本物にならないと
  見えるところも本物にならない
                   (東井義雄「いのちの言葉」より)

躑躅を見つける。
裏に回ると、そこにもある。
一斉に揃い咲くのもいいが、こうして季節外れにひっそりと咲くのもいい。
ちゃんと、赤い斑化粧まで施して。
誰に気づかれることなくとも、確かな意志で。
自分だけのために、その思いを燃やすかのように。

昨朝は氷点下となった。
職場でも暖房が灯る。

    返り花ひとりになればまたひとつ (中岡毅雄)

秋ツツジ

秋躑躅

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バラ(ピンクノックアウト) ~静かな琴線の響き~
- 2010/11/11(Thu) -
ピンクノックアウト

   「響」
  秋はあかるくなりきった
  この明るさの奥(のほう)に
  しずかな響があるようにおもわれる

   「素朴な琴」
  この明るさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美しさにたえかね(て)
  琴はしずかに鳴りいだすだろう
                      (「定本 八木重吉詩集」より)

11月に入り、時の過ぎるのを早く感じるのは私だけだろうか。
気がつけば中の旬日、「体裁」と「中味」がきちんと揃った、まとめの「形」が求められる時期だ。
ぎりぎりの仕事や余裕のない仕事はミスが多い。
急いでやったものは、内容の乏しい上辺だけのものになってしまう。
なによりも、「適当にやった」ことか、「心を入れて」やったことか、人はそれを見透す。
アリバイ的に「ハイ、やりました」、「ハイ、できました」のものではありたくない。
慌ただしいとか忙しいとか言う前に、為すべき事を確実に今為そう。
「荒い心」で「心を亡くす」ことのないよう、着地点を逆算してイメージしながら動く。

心に琴線を響かすゆとりをもつ。
ピンクノックアウトの名を持つやわらかな薔薇が咲き揃う。
「見える」「聞こえる」「感じる」秋の美しさ。

    秋深き言葉を探し礼を作す (轡田 進)

ピンクノックアウト 
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バラ(蔓薔薇) ~季節の心を知る~
- 2010/11/10(Wed) -
蔓薔薇  

家の入り口には蔓薔薇がある。
上へ上へと空に向かう枝、大きく湾曲して垂れ下がる枝。
それぞれの枝は方向を定めず、自由気ままに伸び放題だ。
イチイを支柱にするかのようにして寄りかかり、数㍍の高さにまで枝を広げる。
束ねてアーチ仕立てにでもすれば、また洒落た絵にもなろうかというものだ。
そのうちにと思いながらも、いまだ往来に邪魔にならないよう、誘引だけですませている。
花の赤と秋空の青とのコントラストが映える。
あるいは、葉に紛れるようにしてある静かな佇まい。

私は眞民さんの詩が好きだ。
ワークを切り離し、理屈や立前を仕舞い、ただ感じて読む。
こんな深まる秋の夜などに開くと、心安まり、ピュアな気分になる。

  「六魚庵箴言 その一」

    狭くともいい
    一すじであれ
    どこまでも
    掘り下げてゆけ
    いつも澄んで
    天の一角を
    見つめろ

  「六魚庵箴言 その二」

    貧しくとも
    心はつねに高貴であれ
    一輪の花にも
    季節の心を知り
    一片の雲にも
    無辺の詩を抱き
    一碗の米にも
    労苦の恩を感じよう     
                  (「坂村眞民詩集」より)

  天高し蔓の先皆よるべなき (高浜虚子)  

つるばら

蔓バラ
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尉鶲(ジョウビタキ)の来る頃 ~ヒペリカムの返り咲き~
- 2010/11/09(Tue) -
ジョウビタキ  雌

ピッピッピッ…カタカタカタ。
その聞き慣れた声を耳にしたのは10月23日。
ジョウビタキとの1年ぶりの再会はほぼ例年通り深まりゆく秋の中。
椿から柿へ、梅へ、李へと飛び移っては仲睦まやかに雌雄2羽で木遊びを楽しんでいる。
海を隔てた北の大地から毎年我が家を訪れる長年の客人たちだ。
鳥には国境はない。
「長旅をお疲れ様。どうぞごゆっくりと日本の冬をお楽しみ」。
3月まではその可愛い声と姿で私を毎日癒してくれる。
そして、未だ暗い朝早い時間に勤めに出る私を「ピッピッピッ…」のあの声で見送ってくれる。
そんな声を聞きながら車に乗ってハンドルを握るなぞは心も嬉しくなる。

最近、雄の姿が見えなくなった。
雌を残してどこへ行ったのだろう。

注文しておいた年賀状が届く。
今年は早めに出せそうだ。

ヒペリカムが返り咲く。

    返り花きらりと人を引きとゞめ  (皆吉爽雨)

ヒペリカム

尉鶲 メス
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セゾン現代美術館 ~秋の日の~
- 2010/11/08(Mon) -
雨境峠

立冬の昨日、確かに朝は冷え込んだ。
白樺湖、女神湖を経て軽井沢へ向かう。
途中、雨境峠(標高1580m)の牧場売店で温かい牛乳を飲む。
落葉松林の向こうに浅間山を望む。
佐久を越えて軽井沢に入る頃から車が混み出す。
瀟洒な別荘が建ち並ぶ林をしばらく走ると、セゾン現代美術館はあった。
門前の小さな池に映る木々の影が、逆さ景色となって美しい。
クレーやミロ、カンディンスキー、マン・レイ、フォンタナ、カルダー、ポロック…。
特別展は荒川修作ととマドリン・ギンズの「意味のメカニズム」。
これがアート?これもアート!と思考を戸惑わせ、価値の転換を訴求する現代アートがずらりと並ぶ。
広大な庭に、贅沢な空間と距離を得て展示される野外彫刻にも惹かれる。
安田侃の大きな白御影の「天聖」「天沐」はひときわ目に付く。
背景の浅間と美術館とマッチした配置が、風景そのものとのコラボレーションになっている。
イサム・ノグチの「雨の山」「雪の山」の表現スタイルは、またひと味違う。
小川が流れる中に点在する彫刻を眺め、そぞろに歩いていると、猿の群れが木々の間を走り抜ける。
こんなモダンな美術館の庭に猿…、これも軽井沢ならではか。
視線を上に向けると、葉を落とした樹間から浅間が見える。
現代アートに雄大と繊細な自然。
仕事を置いてそこにいる私のそんな秋の一日。

   立冬のことに草木のかがやける (沢木欣一)

軽井沢セゾン現代美術館の池 

軽井沢セゾン現代美術館

浅間山
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