ホトトギス(杜鵑草・時鳥草・油点草)
- 2010/10/31(Sun) -
杜鵑草 

やはり、落ち葉が舞い落ちる頃に咲く花にホトトギスがある。
名は杜鵑草、時鳥草の字が充てられるように彼の鳥に由来する。
初夏に鳴く時鳥の声はよく聞くが、実際の所その胸模様を私は見たことがない。
この花を眺めながら、逆にこのような形を纏っているのだろうと時鳥の姿を想像する。
赤紫の斑が花全体に施されている。
花柱の隅々までにそれは行き渡る。
ところどころは大きいかたまりになり、その色をいっそう濃くする。
それは美しいという形容より、むしろ毒々しささえ覚えさせる色模様だ。
私には色を変えた油滴天目に見える。
油点草の充てが分かりやすい。
いずれにしても〈ホトトギス〉の名は、風流である。

      紫の斑に同じはなくて油点草 (文)

杜鵑草

 杜鵑草
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ゼフィランサス(Zephyranthes candida・タマスダレ) ~深秋や身にふるるもの~
- 2010/10/30(Sat) -
ゼフィランサス 

    「不思議」
  こころが美しくなると
  そこいらが
  明るく かるげになってくる
  どんな不思議がうまれても
  おどろかないとおもえてくる
  はやく
  不思議がうまれればいいなあとおもえ〈っ〉てくる

    「響」
  秋はあかるくなりきった
  この明るさの奥(のほう)に
  しずかなひびきがあるようにおもわれる
                           (『定本 八木重吉詩集』より)

欅の下に一輪の白い花
枝を抜けて光が入る
枝が揺れて影が入る
光は影を作り
影は花を浮かび上がらせる
光と影の静かなコラボ
白ならなおさらだ
見るのに息をしてはならないように思える

    深秋や身にふるるもの皆いのち (原 コウ子)

ゼフィランサス



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シュウメイギク(秋明菊・Japanese anemone) ~空の青さをみつめていると~
- 2010/10/29(Fri) -
秋明菊

     「色」     谷川俊太郎

  希望は複雑な色をしている
  裏切られた心臓の赤
  日々の灰色
  くちばしの黄色
  ブルースの青にまじる
  褐色の皮膚
  黒魔術の切なさに
  錬金術の夢の金色
  国々の旗の色のすべての色に
  原始林の緑 そしてもちろん
  虹のてれくさい七色

  絶望は単純な色をしている
  清潔な白だ
                  (『空の青さをみつめていると』  谷川俊太郎詩集より)

白は初め
白は純粋
白は無垢
白は受ける
白は染まる
白は大らか
白は清らか

でも、詩人は言う
白は清潔な色
そして絶望の単純な色だと
絶望の色は黒ではなかったのか

庭の秋明菊は純白
これを絶望の色と詩人は言うのだ
  
    眺むれば愁いも深し秋明菊  (文)

秋明菊  

シュウメイギク
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サザンカ(山茶花・sasanqua・朝倉) ~秋の日は~
- 2010/10/28(Thu) -
サザンカ朝倉 

    「賦」     山村暮鳥

  秋の日は瑪瑙の如し
  空行く雁のさみしからまし
  わがゆめの
  一列のながき思い出…   
                     (『山村暮鳥詩集』 室生犀星編より)

生け垣に早咲きの山茶花。
蕾は濃い桃色。
開花するにつれそれは淡くなり、そして真っ白になる。
花はカップ咲きの八重。
冷たい雨の雫が花びらに残る。

県北に雪が降ったとか。
足の冷えも早い。
山茶花には「ひたむきな愛」の花言葉。
ひたむき…、ひたむき…、ひたむきに。

    山茶花に咲き後れたる白さあり (宮田正和)

サザンカ朝倉
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フジバカマ (藤袴) ~すがれゆく色~
- 2010/10/27(Wed) -
フジバカマ

昨日は風が強く、肌寒い日だった。
廊下を吹き抜ける風で、机の上の花瓶が落ちて割れる。
北国では雪が降り、関西では木枯らし一号も吹いたとか。
私もブランケットを出して膝にする。
季節が秋を飛び越えていく。
それにしても、「冬の姿」の訪れには早過ぎやしないか。
未だ紅葉の景色を味わっていないのだから。

フジバカマが、梢の上に小花を集めて咲いている。
花はくねくねと糸のように伸びる。
少しの芳香を持つこの花をアサギマダラは好むという。
去年、家族で山に登った折り、自生のフジバカマにアサギマダラが留まっていたのを思い出す。
ここにも来てくれるといいのだが。

    すがれゆく色を色とし藤袴 (稲畑汀子)

藤袴

藤袴 
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フユザクラ(大阪冬桜) ~ひとゆれに消ゆる色とも~
- 2010/10/26(Tue) -
オオサカフユザクラ

落葉掃きをしての一休み、目を置いたその先に冬桜が咲いていた。
「おお、だいぶ早いなあ」。
いつもなら霜降る頃、11月も半ば過ぎから咲くのに。
気温の上がらない曇り空の下で、眺める。
今年は、いろいろな花が咲く時期を前や後ろにする。

この桜は春と冬、1年に2回咲く。
今年も3月にも賑やかに咲いていた。
そしてこうしてまた再びの開花だ。
花はやや小振りの白い八重。
それが咲き進むにつれ、徐々にピンクに染まっていく。
二度咲きは相当にエネルギーを費やし、木の体力を消耗させるのではないかと思ったりも。
これがこの木の特性としての常ならば、私が案ずることではないか。
こうして下がり行く寒気の中で咲く花の健気さに感傷を深くする。
春の桜は明るく、楽しく、会話が聞こえる。
秋の桜は控えめで、静かで、寂しい。

    ひとゆれに消ゆる色とも冬ざくら (平子公一)

大阪冬桜

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アキチョウジ(白花秋丁字) ~可愛い子狐さんがやってきた~ 
- 2010/10/25(Mon) -
アキチョウジ  

2~3日前から白いアキチョウジが咲き出した。
たくさんの小花がお行儀よく仲良く並んで咲く。
それを支える茎は細く、少しの風が吹くたびに上に横にと揺れる。
花は筒のように長く付き出し、その先端の上と下で表情を作る。
いつものことだが、その姿が私にはどうしても可愛い子狐に見えてしまう。
この花が咲くと、私の中では、「今年もキツネさんが来てくれた」と嬉しくなるのである。
 
    思うことなきごと居りて秋思かな (富安風生) 
 
アキチョウジ 
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スイフヨウ(酔芙蓉) ~頬染めの酔い佳人~ 
- 2010/10/24(Sun) -
酔芙蓉

朝はすっかり寒さが肌身に沁みるようになった。
そういえば昨日は「霜降」、一段と秋が深まっていく。

庭を歩いていて、酔芙蓉が咲いているのに気がついた。
今年はもう咲かないのではないかと思っていた。
本来の咲く時期は盛夏、蕾は順調に付いていたのだが一向に花開く気配がなかった。
そのうち、蕾は一つ、二つと落ちていった。
連日の猛暑がダメージを与え、耐えられなかったか。
しかし、夏が去った頃、また再び蕾がいくつも見え始めた。
おやおやどうしたのだろうと思いつつも、気温が下がっていく中で無事咲くのかとも心配した。
そしてまず一輪が開いた。
朝の太陽をちょうど背に受ける形で。
逆光が花びらを透かす。
白い牡丹のように八重の花びらがやわらかい。

休日だったが、訳あって仕事場に出かける。
数時間後再び戻った時には花びらは赤く染まっていた。
「酔芙蓉」の名の如く、酒の酔いでほんのり頬を染めた佳人のように見えた。

   白といふはじめの色や酔芙蓉 (鷹羽狩行)

酔芙蓉 

午後の酔芙蓉 
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ペチュニア(Petunia・衝羽根朝顔) ~心静まる日あり~ 
- 2010/10/23(Sat) -
ペチュニア 

     (『定本 八木重吉詩集』より)

    「○」
  秋空を見て心静まる日あり

    「秋」
  草を踏み出してゆくと
  秋がそっとてのひらをひらいて
  わたしをてのひらへのせ
  その胸のあたりへかざってくださるようなきがしてくる

毎年、肌にも優しい麗らかな日射しが庭に届く頃に顔を出す花がある。
夏の花が一段落し、薔薇も寂しくなったその周りに、ひっそりとして咲くペチュニアである。
本来、ペチュニアは夏の花、園芸店でも初夏から多く見かける。
大輪小輪一重に八重、覆輪二色咲きなどと、様々な色と模様の多くの種類が並び売られる。
コンテナに寄せ植えされ、家々の庭をきれいに飾る。
しかし、我が家のペチュニアはいつもこの時期に花を開く。
植えたものではない。
多年草化したものか、それともこぼれ種からかはよくわからない。
園芸品種として改良される前は色もこんな風だったのだろうか、店で見かけるのとは違って控えめである。
立ち上がった花茎も、自然のままありのままといった伸びやかな感がする。
野の花のような味わいと趣である。
秋の花は秋らしい。

   秋麗ら足元の花静かなり (文)

ペチュニア

ペチュニア  
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シーマニア ~こころのなかに 花が咲いた~
- 2010/10/22(Fri) -
シーマニア

     (『定本 八木重吉詩集』より)

    「秋の日の こころ」
  花が 咲いた
  秋の日の
  こころのなかに 花がさいた

    「秋」
  (秋)
  わたしが花のそばへいって咲けといえば
  花がひらくとおもわれてくる

勤めを終えて、立ち寄った店にシーマニアはあった。
端境期なのだろう、店内には花の数も種類も少ない。
その中に、なんとも変わった花を付けて目を惹いたのがシーマニアだった。
長く伸びた花茎の先に袋状の花が横向きに咲く。
花は鮮やかなオレンジ色で、その先端だけが黄色い。
袋の中には、小さな突起状のオレンジ色が無数にある。
「水を多く欲しがります。水切れしないようにこまめに水遣りをして下さい」と、店員さんの言葉。

模様替えした部屋のテーブルの上に置く。
見ているとおしゃべりが聞こえてきそうな、楽しくなる愛らしい花だ。

昼はカーディガンを着るようになった。
夜はガウンを着るようになった。
季節が一段とギヤチェンジする。

     秋の風かざす十指に吹きわかる (斎藤空華)  

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ノギク(野菊) ~やさしい野菊~
- 2010/10/21(Thu) -
野菊  

     「野菊」      (石森延男作詞・下総皖一作曲 「野菊」より二番  ) 

  秋の日ざしを  あびてとぶ
  とんぼをかろく 休ませて
  しずかに咲いた 野辺の花
  やさしい野菊  うすむらさきよ

可愛い合唱団が歌う「野菊」が朝のラジオから流れる。
「野菊」を表現するにふさわしい素直な歌い方で、懐かしさを覚える。
いつも思うことだが、童謡の中には日本の心が歌い継がれているような気がして、安らぐ。
ところで、作詞した石森が歌にしたのはどの野菊のことだろう。
色は「うすむらさきよ」とある。
とすると「ヨメナ」か「ノコンギク」か。
誰の目にとまるかは関せずに、ただ今を咲く。
家にも何種類かの野菊が静かに咲いている。
もちろん野菊であるから、自然発生的にどこからともなくやってきて、根付いたものだ。
「やさしく咲く」野菊、癒しの花だ。

   いつまでも野菊が見えてゐて暮れず (黛執)

野菊
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アリッサム(庭薺) ~奥ゆかしい美しさ~
- 2010/10/20(Wed) -
アリッサム  

アリッサムは3月29日の誕生花だというから、本来は春を盛りとする花ということになる。
私の家では秋の始まりの声を聞く頃から咲き始め、今、場所を隔てて至る所で咲いている。
苗を植えたり、種を蒔いたりしたのではないので、前の年のこぼれ種からの発芽だ。
もう何年も前に、ワイルドフラワー混合種の中の一つとして一度だけ蒔いたのが最初である。
それ以来、こうして毎年可愛い小花を咲かせてくれる。
花が少なくなってきたこの時期だけに、その顔を広げてくれるのはなおさら嬉しい。
花言葉には「奥ゆかしい美しさ」とある。

最近、華麗とか豪華とかいうより、「奥ゆかしさ」とか「控えめ」とかいう言葉が好きなのは年のせいか。
主張の強い目立つ存在より、地道に確かな歩みをすることを求めたりする。
派手なパフォーマンスや多言よりも、寡黙で陰徳を積むことを大事にする。
軽い言葉が飛び交う雰囲気から離れ、なすべき事を落ちなく着実に進めることを心がける。
言うからにはやる自分自身のマニフェスト。
中味を伴わない口先だけの存在ではありたくない。
人にではなく、自分を最も厳しく律し、厳しく観る。
人にではなく、自分への厳しい批評家、評論家でありたい。
やはり、そう思うのは年のせいか。
四季にたとえるなら、私ももう秋。

    秋の日のかりそめながらみだれけり(去来)  

アリッサム 


アリッサム

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ゲッカビジン(月下美人) ~力かぎりに更けにけり~
- 2010/10/19(Tue) -
月下美人

月下美人が咲いた。
咲く兆候はあった。
クレーン現象が始まっていたからだ。
部屋に入れておいた。
そして今宵。
空には月があった。

いつもなら夏の盛りに咲く。
2回3回と咲くのがここのところの通例だった。
春先の寒波、夏の猛暑。
いつもと違うまれに見る気象は、この花をも戸惑わせたのだろう。
その時期が来ても花芽はなく、咲く気配は全くなかった。
今年は諦めた。
いつしか花のことを忘れ、時は何事もなく過ぎていった。
季節は移った。
秋。
秋が来て小さな蕾が二つ付いていたのに気がついた。
それから毎日のように徐々に大きくなるその膨らみを楽しんできた。
「ありがとう」。
両の手を合わせる。
もう一つもどうやら今日か、明日の夜のようだ。

花も香りも「美人」の名にふさわしい。

    月下美人力かぎりに更けにけり (阿部みどり女) 

月下美人 

ゲッカビジン
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落葉 ~葉を掃く~
- 2010/10/19(Tue) -
落葉 

     (『定本 八木重吉詩集』より)

    「落葉」
  葉が落ちて
  足元にころがっている
  少しの力ものこしていない
  少しの厭味もない

    「三つの秋」
  きょねんは
  水のおとがうれしかった
  おととしは
  空がうれしかった
  ことしの秋は
  まっ赤なさくらの葉がうれしい

庭の桜から次々と葉が落ちる。
赤い葉は茶色に。
そして反り返り、丸まり、縮む。
まるで主張するかのように一つひとつ違う表情を見せる。
美しいと思う。
生きている気さえする。
音のない静かな世界。
箒を手にする。
次の命のために掃こう。

松茸が豊作である。
知人がからいただいた。

    箒あり即ちとつて落葉掃く(高浜虚子)

落葉

松茸
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オキザリス(Oxalis・ボーヴィー) ~一つの影が横たわっているような~
- 2010/10/18(Mon) -
 オキザリス 

    (『定本 八木重吉詩集』より)

    「影」
  秋になると
  心の中に一つの影が横たわっているようなきがする

    「秋のひかり」
  ひかりがこぼれてくる
  秋のひかりは地におちてひろがる
  (ここで遊ぼうかしら)
  このひかりのなかで遊ぼう

いい天気だった。
しかし空気は深まる秋だった。
一枚重ね着をした。
足の冷えを感じた。
厚手の靴下にした。
家の中を模様替えした。
夏を収め、冬を出した。
季節が一歩進み、二歩進む。
心も一歩進め、二歩も進めなくては。

秋のひかりを浴びてオキザリスが咲いている。
幼い頃、父がその名を教えてくれた「紫カタバミ」を思いだした。

     憩う人秋色すすむ中にあり (橋本鶏二) 

おきざりす

オキザリス
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ダイモンジソウ( 大文字草 ) ~大の字のみなやさし~
- 2010/10/17(Sun) -
ダイモンジソウ 

葉が舞い落ちる頃に大文字草はいつも咲く。
大文字草の根元を地に届いた葉が包む。
枯れ葉色が広がる中にある優しい紅色。
花びらの形を「大」の文字として生み出す自然の造型の不思議。
目を降ろしてそれぞれの「大」を眺める。
秋が進むひだまりの片隅。
「大、大、大…」。
心嬉しくなる一人午後3時。

     大文字草の大の字みなやさし (石倉啓補)

ダイモンジソウ  

ダイモンジソウ
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ヤブラン(薮蘭) ~秋がこころにしみいる~
- 2010/10/16(Sat) -
ヤブラン

    (『定本 八木重吉詩集』より)

    「○」
  秋がこころにしみいる日は
  怒っても かなしんでも
  しょせんは みずからみるほかのこころが
  みずからのかたわらにしずかにすわり
  かなしみと いかりとをささげいつき
  うつくしいおどろきにひざまずいている

秋の空は澄む。
秋の雲は高い。
秋の虹は淡い。
秋の雨は冷たい。
秋の月は明るい。
秋の星は。
秋の風は。
…………………
そのすべてがなぜなのかはわかる。
でも、秋がこころにしみいるのはなぜだろう。
感覚を揺さぶる秋。
今も昔も秋はもののあわれを誘う。

  身にしみて思ふこころの年ふればつひに色にも出でぬべきかな (『拾遺集』権中納言敦忠)
  秋ふくはいかなる色の風ならば身にしむばかりあはれなるらん (『詞花集』和泉式部)
  秋風は身にしむばかり吹きにけり今や打つらむ妹がさごろも (『新古今』藤原輔尹)

やぶらん

薮蘭
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ヤナギバヒマワリ(柳葉向日葵・ゴールデンピラミッド) ~光る日影かな~
- 2010/10/15(Fri) -
ヤナギバヒマワリ

    (『定本 八木重吉詩集』より)

   「夕陽」
  秋のゆうひは
  地におちさえすればすぐにひろがって ひかる
  ひかりながら夢をみてる
  あんまりしずかなので
  こどもが ひかりの中でさわいでいるようなきがした

   「夕焼」
  ゆう焼をあび
  手をふり
  手をふり
  胸にはちいさい夢をとばし
  手をにぎりあわせてふりながら
  このゆうやけをあびていたいよ


秋の夕陽はその色が遠く遠くずっと遠くまで届く。
秋の夕陽はその優しさが小さな花と、か細い草にも注ぐ。
秋の夕陽はその寂しさが深く深く、物思う心に届く。
秋の光は「今」を立ち止まらせ、魂に語りかける。

柳葉向日葵の黄色。
秋の陽を映して。
「私も見てね」と。

    秋光のつぶさに光る日影かな (松村蒼石)

柳葉向日葵
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ムラサキツユクサ(紫露草・オオムラサキツユクサ) ~大きな樫の木も~
- 2010/10/14(Thu) -
紫露草

人にはそれぞれに忘れ得ぬ言葉というものがある。
時にはそのひとことが、その人の後の人生を大きく変えることもある。
そして、生きる指針となり、生き方を支える力となる。
自分を励まし続けてくれる「座右の銘」との出会い。

「大きな樫の木も小さなドングリから」。
これは、今年のノーベル化学賞を受賞した、米パデュー大の根岸英一特別教授が大事にしているという言葉だという。
かつての恩師ブラウン教授が、若い研究者達に常々語りかけた言葉だそうだ。
その薫陶を受けた根岸さんは、「夢」という風呂敷に包んで、日本から持ってきた小さな団栗を大きな樫の木に育てた。

何事も小さなたった一歩から始まる。
何事も小さなたった一粒の種から生まれ育つ。
小さくとも確かな積み重ねがモノやコトやヒトを大きな形にする。
歩み出さなければ結果は出ない。
蒔かぬ種からは芽はでない。
思い出すのはイチローのこと。
彼の10年連続200本安打という大―リーグ記録も、スタートはたった1本のヒットから始まる。
その一本がなければ200本も2000本もない。

「大きな樫の木も小さなドングリから」。
今一度、この言葉を噛みしめながら私自身の「心の宝箱」に入れることにしよう。

ムラサキツユクサが咲き出したのは5月の末頃のこと。
一頃の賑わいはないが、まだまだこうして秋の朝にも素敵な顔を見せてくれる。
花言葉として「尊厳」「貴ぶ」「知恵の泉」「尊敬しています」「優秀」などの紹介。
言葉とともに味わおう。

     鰯雲ひとに告ぐべきことならず (加藤楸邨)

ムラサキツユクサ

紫露草に蜂
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クジャクアスター(孔雀草) ~色無き風~
- 2010/10/13(Wed) -
クジャクアスター 

庭の片隅には白い小花の孔雀草。
小さな虫もやってきて花の上で遊ぶ。
細い茎と細い葉は少しの風に揺れる。
「色無き風」とは、この秋風のことか。
風流な言葉だ。
寂寥の景色に、爽籟が流れる。
日ごとに秋思深まる。
少しの時間、感傷がいざなう瞼の中の物語。
……。
我を戻す。

    佇みて深き秋思の孔雀草 (文)

クジャクアスター

 クジャクアスター
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タマスダレ(ゼフィランサス) ~時と数字~
- 2010/10/12(Tue) -
ゼフィランサス 

2008年10月12日。
2009年10月12日。
『ひだまりの花々』を遡って捲る。
去年、一昨年と同じ日に、タマスダレについての記録がある。
そして今日。
2010年10月12日。
やはり今年も欅の下には、同じ白いタマスダレが。
一年をきちんとサイクルとする花の遺伝子時計。
この小さな花々の方が、人よりも規則正しいリズムで過ごしているのかもしれない。
あたりまえのようでいてふしぎな時の刻みがそこにある。

私にはもう一つ、数字が並ぶAnniversaryがあった。
愛車の走行距離が200000㌔になったのである。
ちょうど地球を5周したことになる。
よくも走った。
長く乗っているが、然りとて異状もなく、頗る調子いい。
仕事にプライベートに。
雨の日雪の日猛暑の日と、四季折々に。
まさに幸せ運ぶ私の「青い鳥」、いや大事な足だ。
感謝、感謝、ありがとう。
私の生活とずっと一緒だった。
これからも一緒だ。
大事にするよ。

     秋澄むや欅の下のたますだれ (文) 

走行距離

 ゼフィランサス
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キンモクセイ(金木犀) ~香をたしかめんと深く吸う~
- 2010/10/11(Mon) -
キンモクセイ

    「金木犀」 (作詞・作曲・歌 笹川美和)

  桃色 紫 紅色 山吹色の金木犀
  あなたがため あなたが好き 池ができるほどの涙
  あなたがため あなたが好き 星の紅を口に塗った
  あぁ頂だい 愛頂だい
  金木犀の香りに
  抱かれて抱かれた日々
  ……(略)
  あなたがため あなたが好き 沙漠の砂ほどの嫉妬
  あなたがため あなたが好き 雪のようなあなたの愛
  あぁ頂だい 愛頂だい
  金木犀の香りに
  あなたの香りを重ねて
  …… (略)

早朝のラジオから「金木犀」という歌が流れた。
初めて聴く曲だった。
歌う歌手も初めて聞く名だった。
哀調を帯びた美しいメロディラインのバラードだった。
切ない歌詞を感情込めて歌い上げる。
一つひとつの言葉に相手への思いを深く切々と伝える。
悲しいラブソングだった。

雨上がりの庭に金木犀が香りを広げている。
花と花の間に雨粒がある。
雨に打たれて落ちた花が地面を橙黄色に染めている。

    木犀の香をたしかめんとする息する (篠原 梵)

金木犀 

 金木犀 

地の上の金木犀
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ハマギク(浜菊) ~雨が誘う~
- 2010/10/10(Sun) -
 ハマギク

    あめ  (文)

   しろいはな
   しろいきく
   きいろいまる
   きいろいつぶつぶ
   あめ
   ぬれている
   あめ
   おとがはねる
   あめ
   しずかなひ
   あめ
   しろいはな

休日、雨。
私は雨が好きである。
無条件に好きである。
昔から好きだった。
空から落ちてくるふしぎが好きだった。
自分が空に繋がっているようで好きだった。
すべてのものがスリガラスを通して見るようで好きだった。
自分もオブラートに包まれているようで好きだった。
形を違う表情に変えるのが好きだった。
周りを閉ざし一人の世界にいるようで好きだった。
空想の翼を広げてくれる雨。
雨はいつも私を誘う。
休日、白い浜菊も雨の中にある。

    浜菊の咲くや静けし雨信濃 (文) 

浜菊
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キンカン(金柑・金橘・姫橘) ~水のこころ 人のこころ~
- 2010/10/09(Sat) -
キンカン

    「水のこころ」  高田敏子

   水は つかめません
   水は すくうのです
   指をぴったりつけて
   そおっと大切に―

   水は つかめません
   水は つつむのです
   二つの手の中に
   そおっと大切に―

   水のこころ も
   人のこころ も 


「そおっと」。
そうすれば手のなかに受け止められる。
「ぴったり」くっつけ合わせる。
そうすればこぼれずに溜められる。
勢いよく力ずくでは指から逃げていく。
やはり水をすくうには、その形を作り、ゆっくりとそおっとである。

私も両手をあわせて深い形にしてみた。
優しい手の器になった。
10本の指先はみんな違う方向を向いていた。
「怒り」とか「憎しみ」とかがすき間からこぼれ落ちた。
「慈しみ」とか「温もり」とか「思いやり」とかが浮かんでいた。
人のこころも、そおっとである。
時々、両の手を合わせてみよう。

キンカンの花が咲いている。
白い五弁の小さな花が咲いている。
艶やかな丸い実が付いている。
黄色く色づいた実が付いている。

    金柑にひよどりさわぐ日和かな (田中汀氓)  

金柑

キンカン 
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コルチカム(イヌサフラン) ~あと3ヶ月です~
- 2010/10/08(Fri) -
コルチカム

         ○
   何だか心細いな 秋はな    (『定本 八木重吉 詩集』より)


庭に10月が訪れる時、家の入り口にあって咲く花がある。
風呂敷模様を思わせるような白と薄紫のぼかしのコルチカムだ。
優しい色合いとふんわりとした形の花びらはいかにも嫋やかである。、
いつもの年なら20を越えるほどに揃い咲きするのだが、今年は3輪だけと少し淋しい。
葉を伴わない花径は、自分の姿勢を保てずに傾いている。
そっと支えてやりたくなる。

赤い羽根が届いた。
年賀ハガキの案内がポストに入っていた。
新年の集いへの誘いが町からも届く。
そうか、あと3ヶ月か。
時の刻みは脇目もふらずに、ひたすら正確に進む。

    秋うらら木漏れ日届く花三輪 (文)

コルチカム 

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チェリーセージ ~「秋」の会話~
- 2010/10/07(Thu) -
チェリーセージ


朝は霧が立ちこめて大変でした。
ここは霧が多いので有名ですからね。
いよいよ空気が冷えてきた証拠です。
田んぼも稲刈りを済ませたところが目立つようになりました。
「秋」が言葉だけでなく、形でも感じられますね。
よく見れば、あなたもネクタイ姿に替わったんじゃないですか。
そうなんです。もう上着も必要です。
道行く生徒の姿も白から黒へとすべて切り替わっていますし。
知らず知らずのうちに、季節は移っていますね。
秋ですかあ。
秋ですよ…。
ほら、アキアカネ(秋茜蜻蛉)もブロッコリーの上に留まっていますよ。
生姜の葉の上にも。
秋の風情ですね。
絵手紙などのモチーフになりそうです。
静かな秋の言葉を添えてですか。
哀愁の叙情を漂わせて…いいですね。
そう、感傷の秋ですよ。
センチメンタルとかメランコリーとかいう言葉が秋には似合いますね。
自分の中にもう一人の自分を見つけさせたりします。
誰もが詩人になる季節です。
ところでチェリーセージの花言葉って知っていますか。
たしか、「燃ゆる思い」だったと。
そうです。
深いですねえ。
「燃ゆる秋」です。
そろそろ、おいとましましょうか。
そうしましょう。

        誰彼もあらず一天自尊の秋 (飯田蛇笏)

ブロッコリーに赤トンボ

生姜に赤トンボ
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ミョウガ(茗荷の花) ~白芽草とか爽香草とか~
- 2010/10/06(Wed) -
茗荷の花

茗荷は好きなほうである。
多くは酢の物だが、汁の具にも登場する。
その独特の辛みと香りが、しゃきしゃきとした食感を伴って、口の中で広がる。
左党の人なら、削り節を乗せてさっと醤油をかけるなどすると、いいつまみになるのだろう。
今年もいっぱいの収穫だ。
まだしばらくは続きそうである。

花は白く、土のすぐ上、花芽の先端で咲く。
食べるには開花前に採る。
ついつい取り忘れると、こんな静かな花を開く。
そして翌日には萎む短い命の花だ。
茗荷は育つに場所をあまり選ばないのもいい。
私のところでは柿と銀杏と林檎の下、それにブルーベリーの株もとにある。
日陰、日向どちらでも順応性があるようだ。

鈍根草(どんごんそう)の異名もあるという。
茗荷を食べると物忘れするという言い伝えからなのだろうが、その名付けは少し可哀想である。
私なら白芽草とか爽香草などと付けるのだが。
 
    いと白き茗荷の花や垣の外 (高須稲村)


茗荷
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マンジュシャゲ(曼珠沙華・彼岸花) ~葉は花を思い、花は葉を思い~
- 2010/10/05(Tue) -
彼岸花 

彼岸花、如意花、相思華、はみずはなみず…多くの異名を持つ曼珠沙華。
地方によってその呼び名はさまざまで、それは全国で400以上もあるといわれる。
曼殊沙華は天界の花、五天華(てんげ)の一つで、「会いがたいことに会う喜びをあらわす」という。                       
見ていると、確かに違う世界の花のような気がしてくる。
天上にはこんな花が満ちあふれているのではないかと思ったりもする。
現世で役目を終えた人々が、そんな花々に囲まれて過ごしているのだろうと。

曼珠沙華を眺めながら緩やかに流れる時間に一人身を委ねていると、頭上で突然、百舌が鳴く。
高い木のてっぺんで、けたたましく甲高い声で鳴く。
ここは自分の支配下にあると、縄張りの宣言をしているのだろう。

来る鳥、帰る鳥と鳥たちも渡りの季節だ。
そういえばこの時期、故郷には無数のサシバが飛来するのだった。
空飛ぶサシバに向かって「鷹どーい、じゃんぐみー」と、子ども達は口々に声を発する。
おまじないなのか、何なのか、そのはやすかけ声の意味は未だによく分からない。

   曼珠沙華浄土の雲に紅移す (平畑静塔)
 
彼岸花

彼岸花  

 彼岸花


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キク(菊・セザンヌ) ~ねがい~
- 2010/10/04(Mon) -
セザンヌ 

     『定本 八木重吉 詩集』より

     「ねがい」
  きれいな気持ちでいよう
  花のようなきもちでいよう
  報いをもとめまい
  いちばんうつくしくなっていよう

     「ねがい」
  ものを欲しいこころからはなれよう
  できるだけつかんでいるちからをゆるめよう
  みんな離せば死ねるようなきがする
  むりにいこじなきもちをはなれ
  いらないうものからひとつずつはなしていこう

また一つ菊が咲いた。
白い花びらの内側には赤紫が施される。
毎年咲くのだが、しかしその赤紫は年々薄くなっている。
数年前に植えた時は、もっとくっきりとし鮮やかだった。

菊を見るとこころが静かになるのはなぜだろう。
「報いをもとめまい いちばんうつくしくなっていよう」
そんな気持ちになる。
 
     わがいのち菊にむかひてしづかなる (水原秋桜子)

菊セザンヌ
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サツマイモ(薩摩芋・甘藷・sweet potato) ~ほの赤きもの~
- 2010/10/03(Sun) -
甘藷

サツマイモを掘った。
例年より幾分早めである。
去年はりっぱな芋というか、 あまりにもデカ芋が多かった。
今年は、ほどよい大きさの収穫をと思った。
特に焼き芋に適した形のものが欲しかった。
掘りあげてみると、ほぼ求めたものであった。
よかった。

ところで、私は今から数年前に一度だけ、花を見たことがある。
それは色も形もアサガオに似た漏斗状の花だ。
以来、花を見る機会はない。
今年は猛暑で、そのチャンスもあるかとも思っていたが。
故里では、広がる葉の上にいくつも花が咲いていたのを記憶している。
畝に鍬を入れながら、そんな少年の日のことなどを思いだしていた。
文献によれば、サツマイモは1597年に宮古島にやってきたのが、日本への最初の伝来とされる。
それがはるばる海を越え、山川を越えてこの寒い信州まで…か。

さて、家族で食するには充分の収量だ。
まずは焼き芋にしよう。

          ほの赤く掘起しけり薩摩芋 (村上鬼城)

サツマイモ 
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