
橋本雅邦「龍虎図屏風」右隻「龍図」静嘉堂文庫美術館蔵

橋本雅邦「龍虎図屏風」左隻「虎図」静嘉堂文庫美術館蔵
橋本雅邦描く、六曲一双の《龍虎図屏風》である。
激しい気迫を見せて龍虎が対峙し、画面全体に張り詰めた緊張感が漂う。
右隻には龍が挑みかけるように波しぶきの上に浮かぶ。
左隻には虎が待ち受けるかのように岩の上に立つ。
龍の眼から雷光が発せられ、虎に向けられる。
虎は全身の気を楯にしてそれを受け止める。
勢いよくうねる雲と怒濤の中から姿を見せて迫る龍。
微動だにせず、激しい風雨に弓なりに撓る竹を背に泰然と見据える虎。
両雄それぞれの視線は一直線にぶつかり合う。
龍の伸びた首と爪をむき出しにして開いた脚は、今にも飛びかかりそうで瞬時も目が離せない。
虎は筋肉の盛り上がった肩と脚に力を漲らせて瞬発を備える。
前に立つ見る者の息をも飲み込ませるほどの臨場感と迸る生命感。
まさに、風雲急を告げるが如し躍動感に満ちあふれた作品である。
これが描かれたのは1895年 (明治28年)、雅邦は当時東京美術学校教頭職にあった。
ちょうど菱田春草が卒業制作「寡婦と孤児」を描き、その優劣を巡り、大論争を巻き起こしていた年である。
審査会の折、教授福地は「こんな作は絵ではない。化け物絵」だと評し落第点を主張した。
それに対し、雅邦は「こんなうまい絵はない」として一歩も譲ず、大変な激論になった。
その時ばかりは温厚な61歳の雅邦が烈士の形相だったと言われる。
双方の主張がぶつかり合い、結論を得ず、校長の岡倉天心に判断を委ねる事となった。
天心は最優等を与え、雅邦は「わたしがにも描いてもこれほどにはできまい」と嘆賞したと伝えられる。
しかし、これが後に天心が校長職を殉じ、雅邦を含め多くの教授達が連袂辞職する紛擾事件に繋がっていく要因になる。
あらためてこの絵を見ると、雅邦の内にある動と不動の両方の心、あるいは強固な意志が表出されているようにも思われる。
作品を描く、表現するということの作家のあるべき姿勢とコンセプトの重要性をこの絵は示唆してくれる。
求められるのは、ただ単に美しいとか、きれいだとかいうだけの作品ではない。
作家が情熱を持って描かれた作品は、鑑賞する人の目を釘付けにし、心に深く刻まれる。
絵が分かるとか分からないとかいう次元を越えた、作家の深い精神性が太鼓の振動のように響き入ってくる。
感動を生む本物がそこにある。
昨今、そんな重みのある作品、作家の心が伝わる作品が少なくなってきている気がする。
東京丸の内のオフィス街に爽やかな秋風が吹く。
この一枚を見るためだけに出かけたとしても、意味のある休日であり、価値ある時間であった。
秋は美術の石柱(ひらし)を囲む人ごころ (石原八束)