クチナシ(・梔・梔子・山梔子) ~山梔子の白きこと~
- 2010/06/30(Wed) -
梔子

山梔子が咲いているのに気がついたのは昨朝のことである。
傘を差しながら庭を歩いていると、その一角が芳香に包まれている。
目を向けると、そこに真っ白な花が雨に打たれてある。
やわらかな6枚の花びらの上には、柱頭の基部からヒトデの脚のようなのが伸びる。
葉は雨を受けて、その青は、一層艶を増す。
別の場所のも同じように甘い香りを広げている。
これからしばらくの間は、この香りの漂う中で、心地よい気分に浸ることができる。
日常の仕事を忘れさてくれる癒しの香りである。
その花言葉、「喜びを運ぶ」のごとくに。

   今朝咲きし山梔子の又白きこと (星野立子)  

クチナシ

くちなし
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クンシランとシクラメン ~季節感と季節の花~
- 2010/06/29(Tue) -
クンシラン

全国で今年初の猛暑日となったのは十勝地方足寄。
つい先日の6月26日に37・1度を記録した。
また、北見でも36度などと、その近隣各地でも軒並み気温の上昇が報告されていた。
6月の最高気温としては、北海道の観測史上初の猛暑となったという。
真夏の沖縄や日本の最高気温を記録地である埼玉県の熊谷の話ではなく、6月の北海道の話である。
いろいろと、「例年には見られない」とか「史上初めて」とかいう自然現象が各地で起きている。

私の家ではシクラメンとクンシランが咲き出した。
晩秋から冬にかけて咲くシクラメンとヤマモミジの春うららの頃に咲くクンシラン。
これもまた、そんな「例年」や「常識」を覆す開花である。
これらが細胞に内包する季節センサーのメカニズムを狂わす何かがあるのだろうか。
「夏のシクラメン」という歌など、やはりそぐわない。

      六月 や樹陰に佇(た)てば肌しめる (大竹孤悠)

シクラメン


 

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6月の雨 ~雨に思う~
- 2010/06/28(Mon) -
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時々思う。
美しいのは外にあるのではなく、美しく見る目が美しいと思わせるのだと。
本当の美しさとは色や形でなく、美しいと感じる心に見えるものではないかと。
美しいもののそばにありながら、それを見つけられていないのではないかと。
きわめて極小微塵なものにも美があって、大きな総体にも美がある。
自分の見る視点を何処に置き、見る角度を何処に置くかなのだろう。
つぶさに見る、広く見る研ぎ澄まされた確かな目を持ちたい。

白い花が立つ。
ガクが縁取る。
中には無数の小さな花。

6月の雨の深さ。
6月の雨のさやけさ。
6月の雨のやるせなさ。

       青梅雨の深みにはまる思ひかな (石川桂郎)

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ハナショウブ(花菖蒲「高嶺雪」) ~思邪無き幼児の心~
- 2010/06/27(Sun) -
花菖蒲

雨に打たれて白い花菖蒲がある。
その重みで花被片は、だらりと垂れ下がる。
黄色い模様が基部から放射状に細く伸びる。
ほかに色はない。
きわめて簡素な花姿である。

白い花を見ると、そこに清純なるけがれなさを感じる。
そして、どの色にも染まりゆく、無垢なか弱さをも感じる。

人もはじめは誰もが真っ白であった。

           白菖蒲眦切つてひらきけり (櫛原希伊子)

花菖蒲白
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ヤツシロソウ(白花八代草) ~しみじみ、しみじみと~
- 2010/06/26(Sat) -
白花やつしろそう

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい  
               (八代亜紀『舟歌』 より)

少し前になるが、ラジオ番組で八代亜紀の話を聞いた。
歌手になるまでの山あり谷ありの道のり。
目的達成のための重ねた努力とひたむきな芯の強さ。
そして父との葛藤とその父への深い愛と絆。
歌手を天命として真っ直ぐに生きる誠実さ。
一人の女性として一人の人間として強い信念に心を打たれた。
「舟歌」は好きな歌の一つである。

白いヤツシロソウの花言葉は「感謝・誠実」。
その名は「八代」で発見されたことに因むという。
八代亜紀の生まれ故郷である。

昨夕、初めて蝉の声を聞いた。

          蝉鳴けり泉湧くより静かにて (水原秋櫻子)

白花八代草
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ヤエドクダミ(八重十薬) ~和みの白~
- 2010/06/25(Fri) -
ヤエドクダミ 

言葉の響きや語感というのは、そのものについての意味や形や特色をイメージづけることが多い。
ましてやものの名前はその印象を強く決定づけたりする。
ドクダミの場合もそうだろう。
文字として、視覚的にも音声的にも美しいとは言い難い。
その名は江戸時代より「毒を矯める、毒痛み、毒を止める」の意から用いられているとある。
十薬とも書かれることで解るように、それが持つ多くの薬効からいい意味でその名が使われているのだが。
また根茎はデンプンを含み,食料不足のときには煮て食べた歴史もあるという。(山崎 敬)

我が家では椿や枇杷の下でその特有の臭気を持つ葉を広げる。
白い花(総包葉)がその中に見える。
家にあるのは八重で、野でよく見られるのとは異なる。
花は階段状になり、そのてっぺんには黄色いおしべとめしべが見える。
雨で跳ね返った土が、それらの上に乗って汚れ模様をつける。
紡錘形の蕾も愛らしさがあり、和む。
私は一輪剪って職場の机の上に置く。

        どくだみの花の白さに和みあり (文)

やえどくだみ 
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シモツケ(繍線菊) ~縫い込まれる色模様~
- 2010/06/24(Thu) -
しもつけ

シモツケが咲き出したのは10日ほど前になるだろうか。
雨が続くようになる頃に合わせて、毎年咲く花である。
淡紅色のほんの小さな花がたくさん集まって、一つの花形を作る。
5弁の可愛い花びらの中から、長い雄しべが伸び出る。
秋の声がそろそろ聞こえるという頃までにこの姿のまま庭にある。
もともとは野の花で、私は林辺でも時折見かけることがある。
ほかの木々に紛れるように斜面からせり出して咲いていたりする。
そういえば過去に一度だけ、白い花も見たことがあった。
機会あれば、そばに植えて紅白で楽しみたいものだ。
 
     しもつけもひなびぬ花のさかりかな (維 舟)
 
繍線菊

シモツケ

しもつけ 
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ホタルブクロ(青花蛍袋) ~雨も奇なり~
- 2010/06/23(Wed) -
ホタルブクロ

蛍袋という名は「この花に蛍を入れて遊んだことから名付けられた」という。(角川歳時記)
可愛く小さなランプシェード。
この中に蛍を入れたら、きっとそんな感じになるのだろう。
灯りを消した縁側に、青紫の袋を透過して蛍の光が淡く幻想的に漏れる。
その奥にはすでに蚊帳が吊られている。
昔の夏の夜のそんな光景を想像する。

今朝は雨が降っている。
机に触れる肌も湿気で滑らない。
手にする新聞も張りを失っている。
この時期だからこそそんなことがわかる。
以前読んだ本の中の蘇東坡の言葉を思い出す。
「雨も奇なり 晴れも好し」。
雨の日は雨の情緒を味わい、晴れの日は晴れのありがたさを味わうと。
今ある状況の、今ある景色の,今ある姿のありのままを受け容れる。

また近い晴れの夜に、蛍を見に行くことにしよう。

      ぬくみある螢袋のふくろかな (森田公司)

ほたるぶくろ
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マツモトセンノウ(松本仙翁) ~ジムグリの訪問~
- 2010/06/22(Tue) -
松本せんのう

マツモトセンノウは朱の色が鮮やかなナデシコ科の花である。
その松本仙翁という和風の名が面白いと思って事典で調べてみる。
「和名は花の形が松本幸四郎の紋所(四つ花菱)に似ているためついたという」 とある。
また仙翁の和名は「昔、京都の仙翁寺で栽培されていたことによる」と解説する。 (三木 栄二+柳 宗民)
歌舞伎役者の名を戴く花なのかと、名の由来がわかって、少し嬉しくなった。
花の姿や形だけでなく、原産地や種やその名の謂われなどを知るのも楽しい。

初夏の庭の花を見て心を緩やかにする。
地に縄がある。
通り過ぎてから、いやそんなところに縄などあるはずがないと思って振りかえるとジムグリだ。
近寄ってもじっとして動かない。
70㎝ほどだろうか。
色といい太さといいまさに縄そのものだ。
数分はそこにそのままでいた。
時折、庭にはヘビが出没する。
私はヘビが苦手である。
でも、このジムグリは可愛い顔をしていた。

              蛇のあとしづかに草の立ち直る (邊見京子)

マツモトセンノウ

ジムグリ
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キバナヤマボウシ(黄花山法師) ~少年の手に蛍~
- 2010/06/21(Mon) -
黄色山法師

黄花山法師が咲いている。
濃い緑葉に囲まれるようにして枝の先端にある。
淡い黄色の4枚の柔らかな花弁(実際は総苞片)は上に向かって開く。
中に小さくかたまってあるのが本来の花だ。
開花途中の花が盃のようになって雨を溜めている。
優しい色がいい。

家族で蛍を見に出かけた。
家から歩いて20数分の所にその名所がある。
草むらに、宙に仄かな光が点滅する。
その間隔はおよそ3秒。
西は2秒、東は4秒が定説だと教わった気がするが、ここはその中間地故のことなのか。
多数で群れての乱舞、あるいは一つだけ離れての静かな舞いはまさに神秘的である。
目の前をふわりと横切る。
草むらに留まって足もとで点滅を繰り返す。
「わあ、すごい!」「ほらほら、あそこ」「見て見て、ここにも」と闇夜に声が渡る。
小さな男の子は両手を包んでその中に一匹入れて、母親に見せていた。
夏の夜の風物詩に、童心に返る。
だいぶ前は家の近くでも当たり前のように見られたのだが。
そんなことを会話しながら帰途につく。

           蛍火の明滅滅の深かりき (細見綾子)

山法師黄色
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イボタノキ(疣取木・水蝋樹・ Ibota privet) ~暑いぞよ~
- 2010/06/20(Sun) -
水蝋の樹 

家の数ヶ所にはイボタノキがある。
イボタノキは生育力が旺盛で、強剪定しても新枝が次々に出てくる。
場所を選ぶことなく、どこでも順応する野性的で 丈夫な樹だ。
それらが今、花の時期となっている。
木を覆うほど、全体を白くする。
花序は密集して枝先に垂れる。
一つひとつの花は漏斗形で小さく、数㎜ほどだ。
花冠の先は4裂し、中に黄色い蕊が見える。
そこから若干の芳香が広がる。

この木は庭木としてはあまり見かけない。
園芸的には知られていないのか、有用ではないのかもしれない。
家では株の数が自然に増えていっているのだが。
また、その名も語感が少し可哀想である。
ウツギは「卯の花」と美しい名を得て歌にもなり、多くの家で植栽されるというのに。
「イボタノキ」あるいは「疣取木(いぼとりき)」では。
私なら、小白花(こじろ)とか白集花(しろづめ)などの名づけたいところだ。
もともとはイボタロウムシにその名の由来があるというのだが。

       暑いぞよ今日も一日遊び雲 (小林一茶) 

イボタノキ

いぼたのき

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ハクチョウゲ(白丁花)  ~降る音や耳も酸うなる~
- 2010/06/19(Sat) -
白丁花 

1cmほどの小さな白い花は白丁花。
これは高さ1メートルほどの木の花。
葉とほぼ同じくらいの大きさの花があふれる。
5裂した花びらにはそれぞれに薄い赤紫の筋が走る。
丸く閉じた蕾の、その赤みは強い。
ツゲのような葉は周りが黄色く縁取りされた斑入り。
庭からこぼれるような場所で、他の木々に紛れながら咲いている。

今朝は激しい雨に起こされた。
ようやく梅雨らしさが5感にも感じられる。

        降る音や耳も酸うなる梅の雨 (芭蕉)

 白丁花

ハクチョウゲ

白丁花
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キョウガノコ(京鹿子) ~漂ひごころ~
- 2010/06/18(Fri) -
キョウガノコ

キョウガノコは小さなたくさんの花が集まり、ふわふわのかたまりとなる。
今、ちょうど咲き出し始めたところで、まだ丸い蕾が多く見られる。
目を凝らすと、その花は梅のように丸みを帯びた5弁で、たくさんの蕊がチョンチョンと伸びている。
紅葉のような葉と併せ、その姿や形は、まさに野の味わいそのものの。
林の縁辺などにあっても、誰にも気づかれることもなく黙って風に揺られているのかも知れない。
しっとりと周りの景色に溶け込むような楚々とした静かな花だ。

昨日はまた、いきなりの31℃。
立っているだけで背中から汗がしたたり落ちてきた。
私の口の中は乾ききって、まるで犬のように開いたまま水分を何度も欲しがる。
部屋の中にいても、熱中症対策などをこまめにしなくてはなるまい。

         野草園に漂ひごころ京鹿の子 (山口素子)

京鹿子

赤花京鹿子
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ユズ(柚子の花) ~みすゞと熊と~
- 2010/06/17(Thu) -
ユズ

葉陰から白い小さな花が顔を覗かせている。
その少し厚みのある5弁花は柚子の花。
柑橘類特有のいい香りがする。
眺めていてふと思いだした。
いつもの年なら、この花が咲く頃は揚羽蝶の幼虫が葉を盛んに食べていたことを。
そしてそれらを手で取っては、繰り返し草むらに放してやったことを。
その幼虫がひとつも見えないということはどうしたことだろう。
こんな身近な生活の中にも、少しずつ生態系の変化を感じたりする。
蟻がやってきた。花の中に入っていく。
そんな様子を見ていて、金子みすゞの 「蜂と神さま」詩が頭に思い浮かぶ。

   蜂はお花のなかに、
   お花はお庭のなかに、
   お庭は土塀(どべい)のなかに、
   土塀は町のなかに、
   町は日本のなかに、
   日本は世界のなかに、
   世界は神さまのなかに。
   さうして、さうして、神さまは、
   小ちやな蜂のなかに。  

仕事帰りに、家近くのガソリンスタンドに寄る。
顔なじみの店の人がガラス窓を拭きながら声を掛ける。
「気をつけてくださいね。先ほど熊が二頭出たそうです。」
「直ぐそこの公園下の唐・川付近らしいです。」
「さっき来たお客さんが目撃したと言って、役場へ連絡していましたよ。」

たとえば、みすゞは「熊」に寄せてどんな詩を書くのだろう。
 
     柚の花はいづれの世の香ともわかず (飯田龍太) 

ゆず
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ツクシカラマツ(筑紫唐松) ~雨の日は雨を友に~
- 2010/06/16(Wed) -
筑紫唐松

この季節は山野草にとってもいい時期なのだろう。
そんな草花が庭にも少しずつ顔を見せるようになってきた。
このツクシカラマツもその一つ。
カラマツの名は束になる細い花を松葉に見立てた連想からだろうか。
他にはあまり類を見ない一風変わった姿の花である。
ほんのり紫がかかった淡い色、この地味さがまた爽やかさでもある。
この花もそうだが、山野草はどれもが慎ましやかである。

今日は雨の一日になりそうだ。
私は昔から雨の日が好きだった。
拓郎の「ある雨の日の情景」と伊勢正三の「雨の物語」も。
今でも時々、ギターをポロリと奏でながら歌うことがある。
雨の日は雨を友としよう。

             青梅雨の深みにはまる思ひかな (石川桂郎)

ツクシカラマツ
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ユキノシタ(雪の下・虎耳草) ~梅雨入りした模様と~
- 2010/06/15(Tue) -
鴨足草


庭の片隅で小さな雪の下が6月の風に揺れている。
白い花びらは上部と下部で形をたがえた5枚からなる。
上3枚の花びらは小さく、トランプのスペードのよう。
全体に濃赤のドットが数個散って、付け根だけが黄色いドットとなる。
それに比べ、下2枚は長さも幅もサイズがひとまわりも大きい。
総体として、日本画の画題としてよく描かれる「立雛図」を思わせる愛らしさがある。
ところでアジサイ、バイカウツギ、アスチルベなどもこの「雪の下」に代表されるユキノシタ科の仲間。
見れば全く形や花容を異にするのに、植物学的には同一のグループというから面白い。

「役場産業振興課からお知らせ致します。上・・地区において熊が出没したとの目撃情報がありました。」
「危険ですので、見かけたら直ちに役場へ連絡をしてください。」
胡瓜やトマト、苦瓜などの誘引を済ませ、一息着いた夕刻に町のスピーカーが注意を呼びかける。
猿はよく見かけるが、近くに熊とは少し驚きだ。
彼らも色々と考えるところがあるのだろう。

ようやく梅雨入り宣言だ。
雨は嬉しい。しかし、恐ろしくもある。
野菜や花への恵となるような、ほどほどの雨であって欲しい。

        低く咲く雪の下にも風ある日 (星野椿)

ユキノシタ
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カキ(フユウガキ・富有柿) ~誰見るやこの柿の花~
- 2010/06/14(Mon) -
富有柿の花

富有柿の枝にクリーム色の花が見える。
多くの人には気づかれることもないだろう静かな花である。
萼の部分はすでに大きくなっていて、それに包まれるように先が4つに別れた小さな合弁花がある。
碇のように先を返した可愛い蕊もその中に見える。
この先花は形を実に変え、涼風の吹く秋まで膨らみを成長させて甘い柿になる。
4裂の萼は緑そのままの色で蔕となり、今見える花や蕊の部分が丁度あの赤い実の尻となる。
昨年の収穫は例年より少なかった。
今年は見える花数はいつもよりさらに極端に少ない。
これは各地で凍霜害をもたらした、今春のあの驚くほどの寒さの影響だろう。
別にある次郎柿や2本の渋柿も同じ状況である。
その悪い状況を乗り越えたこれらの花たち。
多くを望まず、あることに感謝しよう。

      長く住みて此頃咲きぬ柿の花 (笠井歎水)

富有柿
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キバナオナガオダマキ(黄花尾長苧環) ~6月の富士を見たい13日~
- 2010/06/13(Sun) -
黄花尾長苧環 

黄花尾長苧環には花の裏側に長い距がある。
それは花丈の倍ほどにして、すーっと伸び、まるで海月の足のようにも見える。
黄色い花びらは芯の近くで洞窟のような窪みを持ち、飾り金糸のようなたくさんの蕊が前に突き出る。
大きさや形において、和苧環とはその趣を異にする味わいがある。
いろいろな花にいろいろな色といろいろな形。
どれ一つとして同じものはなく。
こうして花を見るたびに、花の造型の妙やその不思議さを改めて思う。

6月の半ば、毎朝の水遣りが必要な日が続く。

         山の膚艶ますばかり梅雨旱 (相馬遷子)


キバナオナガオダマキ
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バイカウツギ(梅花空木・ベルエトワール) ~過ぎ去りし日の歌~
- 2010/06/12(Sat) -
梅花空木

ヘリ飾りを持つ白い花の梅花空木。
一重の花は黄色い蕊を束ね、花びらの付け根を牡丹色で染める。
甘い香りがふんわりと届く。
ああ、朝から幸せ気分だ。

そういえば昔、「花びらの白い色は 恋人の色…」という歌があった。
『白い色は恋人の色』はベッツィ&クリスのハモリが素敵な曲だった。.
最近、過去を思い出すことが多い。

まだ空は乾いている。

     夏の朝真白き花より届く香 (文)  

ばいかうつぎ

バイカウツギ
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シラン(白花紫蘭) ~暦は日ごと季節の言葉をめくる~
- 2010/06/11(Fri) -
紫蘭白

      「ねがい」

    どこを
    断ち切っても
    うつくしくあればいいなあ

     「おだやかな心」

    ものを欲しいとおもわなければ
    こんなにもおだやかなこころになれるのか
    うつろのように考えておったのに
    このきもちをすこし味わってみると
    ここから歩きだしてこそたしかだとおもわれる
    なんとなく心のそこからはりあいのあるきもちである
                            (『定本 八木重吉詩集』より)

求めるのか求めないのか。    あれもこれもと求めすぎるから不幸になるのじゃないかな。ほどほどの幸せがいいと思う。
欲するのか望まないのか。    豊かさを一つ手に入れるとそれ以上の豊かさが欲しくなる。その連鎖だな。
頑張るのか頑張らないのか。  無理するから体も心も綻ぶんだよな。草を取ったり、温泉にでも入ったりするとほぐれるよ。
走り続けるのか休むのか。    ハーフタイムがあったり、守備と攻撃が変わったりと、生活も切り替えようよ。
向かうのか引き戻すのか。    選択する価値基準の問題だな。眼前の行為より、もっと大きな本質を見失わないようにしなくちゃ。

花は画策をしない。
自分の今ある居場所で、風の声を聞き、雨の物語のキャストになりながら、色を生み、形を作る。
暑かろうが寒かろうが、自然に身を委ね、できることの中でできることをして「生」を育む。
そのときどきに、その場所場所に相応しい姿を整える花たち。
彼女らはあくまでもひたすらありのままである。

白い紫蘭。
その清らかさに「ありがとう」。

もうだいぶ雨が降っていない。暦では今日が入梅だというのに。

    静かに生き方を問う紫蘭あり (文)

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ヒペリカム(Hypericum) ~良寛さんと自分と~
- 2010/06/10(Thu) -
ヒペリカム 

時折、ふと思い出し自分を戒める言葉がある。
良寛さんの書かれた90箇条になる『良寛戒語』である。

一ことばの多き
一口のはやき
一とわずがたり
一さしで口
一手がら話
こうして始まり、自分に重ねて耳に痛く、恥ずかしさを振りかえさせられる言葉がずっと続く。
以下、心する言葉を書き留めておく。
一人の言いきらぬ中に物言う
一能く心得ぬことを人に教うる
一話の長き
一自まん話
一へらず口
一たやすく約束する
一ことごとしく物言う
一いかつまがしく物言う
一人のはなしのじゃまをする
一物知り顔に言う
一へつらう事
一人のかくすことをあからさまに言う
一はやまりすぎたる
一人のことわりを聞き取らずしておのがことを言いとおす
一おれがこうしたこうした
……
そして最後は
一あう致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる
一はなであしらう

人と話すとき、良寛さんの言葉を噛みしめながら、話せるようになりたい。
一つでも二つでも意識しながら。

黄色い花も少しずつ庭に姿を見せ始めた。
ヒペリカムには「悲しみは続かない」の花言葉。

      六月や身をつつみたる草木染 (大石香代子)

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サラサウツギ(更紗空木) ~紅白更紗の花模様~
- 2010/06/09(Wed) -
更紗空木

季節外れの八重桜かとも紛う更紗空木。
薄紅色の花は枝に沿って下向きに咲く。
蕾のうちより、外の花びらだけは紅色をまとい、その中側はほんのり淡色を添えた白である。
紅白うちまじるその花模様から更紗の名を与えられたのだろう。
優しくそして美しい色のウツギである。

ハンドルを握る帰りの車のFMからは稻垣潤一の「ドラマティック・レイン」が流れていた。
久しぶりに聞く懐かしい曲に、少しボリュームを上げて聴き入った。 
  今夜のお前は
  ふいに
  長い髪 ほどいて
  …
  …
  Rain
  How much I love you
  Rain… 
少し鼻にかかったような高く伸びる細い声が好きだ。
いまだに彼のカセットテープを持っている。
CDでないことで、彼の歌を聞いていた頃の私の時代がわかる。
ドラマティック・レインのような、そんなロマンチックでなくてもいいが、今は普通に雨が欲しい。

    入梅はまだかと更紗の花に問ひ (文)  

サラサウツギ
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ハコネウツギ(箱根空木) ~色移る花姿に時の流れを見る~
- 2010/06/08(Tue) -
はこねうつぎ

白、ピンク、そして赤と三色の花が並んで咲いている。
それらは、どれも一株のハコネウツギの中にある。
その色の違いは、開花からの時間の流れを示す。
真っ白な丸い蕾は、そのまま開いて白色の花に。
さらに花びらは赤みを得てピンクになり、徐々に濃さを増していく。
そして最後の盛りの色は濃い赤に。
こうして花の命の時間の経過とともに、色変わりする三色の花姿が同時に見られる。

各地の梅雨入りが遅れていると聞く。
この時期、いつもなら黒い山肌を見せるはずの遠くの山なみにも未だ雪模様が見られる。
寒かった春の足跡が、そこいらに残る。
この先、季節は順調に夏の階段を昇って歩んでいくことができるのだろうか。
半袖にするか、長袖にするか、今でも毎朝着ていくものに迷う私なのである。

       はこねうつぎらし霧よりも白く見ゆ (五木田告水)

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ナツロウバイ(夏臘梅・Chinese sweet shrub) 
- 2010/06/07(Mon) -
ナツロウバイ

木漏れ日の中で葉に隠れるように咲いてるのはナツロウバイ。
その名の通り、暑さ増すこの時期に咲くロウバイの仲間。
春のロウバイと違うのは、色はもちろんだが、花が大きめであることと、光沢が無いことだろう。
白い花は少しずつ薄いピンク色に変わっていく。
これは木陰が似合う静かな花である。

だんだんに雲も空も景色も夏になっていく。
枝葉を透いて光が地面の上で揺れる。

     咲くときはいつも葉陰の夏の花 (文)  

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《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 ~マネとモダンパリ展~
- 2010/06/06(Sun) -
ベルト・モリゾ
(《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 ~マネとモダンパリ展~ ハガキより部分)


東京駅・丸の内南口を出て程なくすると、目的の三菱一号館美術館は目の前にあった。
近代的な高層建築やモダンな東京国際フォーラムに囲まれて、そこだけが異次元と異空間の一角となる。
明治がそのまま都心の一等地に取り残されたかのように、その存在感は際立つ。
コンドルが設計した赤レンガの洋館は、それだけで明治を代表する第一級の美術品として鑑賞の対象となりうる。
朝倉響子やヘンリームーアの彫刻が置かれた、バラであふれる中庭を回遊してエントランスへ向かう。

中に入ると、一般的な美術館のイメージとは全く違ったその造りに、少し戸惑う。
広々とした受付ロビーで切符の購入をと思いきや、そこはそれほど大きなスペースを確保していない。
よく見られるような手の差し出し口のみが開いた隔絶された受付でなく、親しみのある対応となっていてありがたい。
そしてなにより、それぞれの展示スペースがさほど広くなく、まるで迷路で繋がれ部屋を移動するようで嬉しくなる。
もともと、三菱財閥の事務所として建築されたビルなので、廊下とドアで仕切られたくさんの部屋があるのだ。
それはきっと当時そのままなのだろう、床はすべて板材が用いられ、歩くにも優しく、心地よさが感じられる。
時代やテーマ毎に揃えられた作品を見ては、廊下に出て外光を浴びてから、また次の部屋で新たな画家の心に出逢う。
別の部屋へ移るとき、今度はどんな展示が仕掛けられているのだろうかなど、期待感を持たせる楽しさがある。
まるで明治という時代の中を散歩するかのような新しいコンセプトの美術館だ。

私が会いたかった黒い服の彼女は、奥の部屋の中程にいた。
55.5㎝ ×40.5㎝と、予想していたより小さく、新聞を若干大きくした程度だ。
帽子もベールも服もすべて黒である。
左側に窓があるのだろう、顔の左半分は強い光を受けて一段と肌を白くする。
鼻筋はいとも簡単に明暗の境で着彩されているのにもかかわらず、彫りの深さとその高さが出ているから不思議である。
こちらを見つめる琥珀色の目は、これまた、一筆二筆で軽く描写されている。
特に左の白目の部分など、あっさりとした半月の筆致が残って見える。
帽子の外にはみ出たブロンドヘヤーなど、まるで勢いで筆を動かしたままのような軽い表現だ。
筆にあまり絵の具を付けずに、穂先が割れたままに捌かれたタッチが、やわらかな髪の質感をうまく引き出す。
今にも語りかけてきそうな唇は、輪郭など曖昧にもかかわらず、そのやわらかな厚みの中に体温すら感じさせる。
この絵には、画家とモデルという仕事での関係性以上の深い繋がりのようなものが感じられる。
絵は単なる写実でなく、モデルの内面性をどう画面に表すのか、作者の思いの表現であることを改めて教えられる。
彼女はその後、マネの弟の妻となる。

「ベルト・モリゾ」に別れを告げて外に出ると、6月初めの土曜日の東京は暑くもなく、寒くもなく過ごしやすい日和であった。
満たされた心は、都会の空の下で私の顔に晴れやかな笑みを呼ぶ。

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シャクヤク(芍薬Chinese peony) ~つくゑの上の紅楼夢~ 
- 2010/06/05(Sat) -
芍薬

イギリスに伝わる赤いシャクヤク伝説。
それは、「過ちを犯した妖精が不面目を恥じてシャクヤクの陰に隠れたため、花が赤く染まった」という話。
花言葉の〈恥じらい〉もそれに因むとある。 (荒俣 宏による)
妖精が自らを恥じ入ったという罪とは…。

山口誓子は  「芍薬を嗅げば女体となりゐたり」 と詠む。
鳴戸奈菜は  「芍薬に身の一箇所を意識せり」  と詠む。
いずれも艶めかしい女性をイメ-ジさせる句である。

心を戸惑わせ、誘い込まれそうな赤い芍薬。
「花の命は短くて」と、まとめて剪りとり、部屋に入れる。
和の器に入れて机の上に置いた。
夜に眺めると、その花の中から妖しげな美女が出てきそうな。
夢の中に出てきたらどうしようか。

      芍薬やつくゑの上の紅楼夢 (永井荷風)

しゃくやく

シャクヤク
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クレマチス(Clematis) ~風の花車~
- 2010/06/04(Fri) -
クレマチス薄赤

突然の夕立だった。
突然の雷鳴だった。
ようやく、夏の空が動き出したようだ。

庭で蛇を見た。
赤と黒の模様がある。
1㍍ほどのヤマカガシだ。
今年、初めて見る。
「初蝉」、「初時鳥」は句になるが、果たして「初蛇」はどんなものか。
残念ながら、やはり俳句や短歌には詠まれることはないのだろう。

そんな中にクレマチスも咲く。
風吹けば、それはぐるぐると回りそう。
「風の花車」など私流に名を付けて遊ぶ。
この花を見ると、幼い頃によく聞いた『花の風車』という可愛らしい軽快なテンポの歌を思い出す。

      夕立に頭に手を乗せ走る子等 (文)  

クレマチス薄紫
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ピラカンサ(常磐山査子・Pyracantha) 
- 2010/06/03(Thu) -
ぴらかんさ

沖縄では蝉が鳴き始めたという。
しかしその声はまだ小さく、控えめな感じがするとリポーターはコメントする。
そして、そろそろ梅雨明けが近いとも言う。
別のレポートは、北海道ではまだ桜を楽しむ地があることを伝える。
ストーブや炬燵が未だに片付けられないのだと。
季節は夏入りするも、各地にいろいろと違った景色がある六月。

濃い緑葉の中にたくさんの白い小花があるのはピラカンサ。
それは霜が降りる頃、小鳥が好む赤い実に姿を変える。
可愛い花はその枝に鋭い棘を持つ。
知っていても剪定する折に、それでケガをすることが時々ある。
白い花を多く目にするようになった。

      初蝉や人松陰をしたふ頃 (小林一茶)

ぴらかんさ 
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シラン(紫蘭) ~六月の白い風~
- 2010/06/02(Wed) -
紫蘭

道を行く子等の姿が、黒い制服から一斉に白に変わった。
六月の風とともに、夏の到来を目に教えてくれる日本の風物詩である。
ニュースでは各界の人々のクールビズ姿も映し出される。
しかし、肌に感じるのは四月頃の気温、私はまだ半袖にするのを躊躇う。
順調にこのまま夏の盛りを迎えることができるのだろうか。
市井の凡夫も冷夏を憂う。

紫蘭が木陰にある。
唇弁に中を数本の白い縦襞が走る。
色も形も、その造型が美しい。

       六月を奇麗な風の吹くことよ (正岡子規)

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セイヨウシャクナゲ(西洋石楠花) ~心の外に更衣の風~
- 2010/06/01(Tue) -
西洋シャクナゲ

年のせいなのか、この頃昔の歌がかかると妙に琴線に染み入る。
その歌を聞いていたのは、何十年も前のことなのに、一気にあの頃に引き戻されるのである。
先週だったかは、荒木一郎の『今夜は踊ろう』と『空に星があるように』が流れていた。
純粋な心に導かれた青春のバラードである。
当時には珍しく、彼は作詞、作曲、歌のすべてを一人でこなしていた。
いわゆるシンガー・ソングライターの先駆けといえる。

先日は、シャデラックスの『君について行こう』(詞・曲 平岡精二)だった。

 君について行こう どこまでも ついていこう
 すばらしいことを 教えてくれた 生きるよろこびを 教えてくれた 君について行こう
 君について行こう いつまでも ついていこう
 苦しいときも 悲しいときも 木枯らしに顔を まっすぐ向けた 君とともに 行こう
 君について行こう なによりも 愛を持って 
 はかないこの世 ひとりの生命に こよないひかりを そえるものは ひとの愛のまこと

あの頃の歌はどれも「詞」に心があった。
飾らぬ平易な言葉の中に感じる深さや伝わる重さがあった。
当たり前の身近な生活や愛を語る爽やかな物語があった。
自分と重ね合わせることのできる何気ない情景があった。
そして、何より歌いやすかった。
キーの高さ、刻むリズム、コード進行、メロディーラインのスムーズな移行…。

「た」「た」と、すべてをこうして振り返りの過去形で語る自分に、また年を感じる。


家の入り口の一対になったシャクナゲの右側の花が風を受けて咲く。
更衣だというのに、その風はまだ寒い。

    鏡には今が映れり更衣 (喜岡圭子)

西洋石楠花

セイヨウシャクナゲ
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