(《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 ~マネとモダンパリ展~ ハガキより部分)
東京駅・丸の内南口を出て程なくすると、目的の三菱一号館美術館は目の前にあった。
近代的な高層建築やモダンな東京国際フォーラムに囲まれて、そこだけが異次元と異空間の一角となる。
明治がそのまま都心の一等地に取り残されたかのように、その存在感は際立つ。
コンドルが設計した赤レンガの洋館は、それだけで明治を代表する第一級の美術品として鑑賞の対象となりうる。
朝倉響子やヘンリームーアの彫刻が置かれた、バラであふれる中庭を回遊してエントランスへ向かう。
中に入ると、一般的な美術館のイメージとは全く違ったその造りに、少し戸惑う。
広々とした受付ロビーで切符の購入をと思いきや、そこはそれほど大きなスペースを確保していない。
よく見られるような手の差し出し口のみが開いた隔絶された受付でなく、親しみのある対応となっていてありがたい。
そしてなにより、それぞれの展示スペースがさほど広くなく、まるで迷路で繋がれ部屋を移動するようで嬉しくなる。
もともと、三菱財閥の事務所として建築されたビルなので、廊下とドアで仕切られたくさんの部屋があるのだ。
それはきっと当時そのままなのだろう、床はすべて板材が用いられ、歩くにも優しく、心地よさが感じられる。
時代やテーマ毎に揃えられた作品を見ては、廊下に出て外光を浴びてから、また次の部屋で新たな画家の心に出逢う。
別の部屋へ移るとき、今度はどんな展示が仕掛けられているのだろうかなど、期待感を持たせる楽しさがある。
まるで明治という時代の中を散歩するかのような新しいコンセプトの美術館だ。
私が会いたかった黒い服の彼女は、奥の部屋の中程にいた。
55.5㎝ ×40.5㎝と、予想していたより小さく、新聞を若干大きくした程度だ。
帽子もベールも服もすべて黒である。
左側に窓があるのだろう、顔の左半分は強い光を受けて一段と肌を白くする。
鼻筋はいとも簡単に明暗の境で着彩されているのにもかかわらず、彫りの深さとその高さが出ているから不思議である。
こちらを見つめる琥珀色の目は、これまた、一筆二筆で軽く描写されている。
特に左の白目の部分など、あっさりとした半月の筆致が残って見える。
帽子の外にはみ出たブロンドヘヤーなど、まるで勢いで筆を動かしたままのような軽い表現だ。
筆にあまり絵の具を付けずに、穂先が割れたままに捌かれたタッチが、やわらかな髪の質感をうまく引き出す。
今にも語りかけてきそうな唇は、輪郭など曖昧にもかかわらず、そのやわらかな厚みの中に体温すら感じさせる。
この絵には、画家とモデルという仕事での関係性以上の深い繋がりのようなものが感じられる。
絵は単なる写実でなく、モデルの内面性をどう画面に表すのか、作者の思いの表現であることを改めて教えられる。
彼女はその後、マネの弟の妻となる。
「ベルト・モリゾ」に別れを告げて外に出ると、6月初めの土曜日の東京は暑くもなく、寒くもなく過ごしやすい日和であった。
満たされた心は、都会の空の下で私の顔に晴れやかな笑みを呼ぶ。