
我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり (詠人不詳 万葉集第十巻1903)
万葉の女性は、愛しい人へ向け、溢れんばかりの深い思いを鈴なりに咲く馬酔木の花に喩えて詠む。
「恋焦がれる気持ち」をこのように奥ゆかしく歌にして伝える古人(いにしえびと)のなんと素敵なことか。
万葉の世では名もない市井の人までがさらさらさらと、思いの丈を歌で表す。
時には、燃えるような激しさとあからさまな求愛の言の葉で、あるいは花や景色への見事な暗喩にして。
現代の軽薄な文化ではとても太刀打ちできない。
その馬酔木が家でまさに今盛りである。
垂れ下がるようにして、小さな壺のような花が多数に咲く。
その先端を赤く染めた花は小さな提灯が並ぶようでもある。
そんな馬酔木に昇ったばかりの朝陽が低く当たる。
それがまた一層静かな叙情感を与える。
ところで俳誌『馬酔木(あしび)』を主宰したのは水原秋桜子だった。
『ホトトギス』を離れた彼が自らの雑誌に『馬酔木(あしび)』の名を冠した思いは何だったのだろう。
その真意を知りたいところでもある。
「馬酔木咲き 野のしづけさの たぐひなし」 (水原秋桜子)
