ウメ ~白梅と鵯と~
- 2010/02/28(Sun) -
鵯と梅

鵯の花食(は)みに来る午後三時 (文)

このところ、朝の気温が氷点下に達しない。
日中の風も少し前の肌を切るような寒さが抜け、ぬるくどろんとしている。

土手への下がり口に石積みをする。
40㌔~50㌔ほどもある石を置き、並べて高さとラインを整えていく。
土もや軟らかくなり、能率良く捗る。
小一時間の作業に汗が出る。
暖かい…というより暑い。シャツを一枚脱ぐ。
思えば明日から三月だもの。
階段状のいい形に積み終えることができた。
足腰に痛みを感じるが、それは心地よい疲労感に変わる。

定時のお茶にする。
いつものように鵯も私の時間に合わせてやって来る。
彼が選んだ今日のおやつは白梅だ。
お茶を飲みながらしばらく眺める。
いろんな食べ方(吸い方)をするものだと感心したり、驚いたり、思わず笑みが出たりする。
頭を前後させるほどに回転して捻る様には「なにもそんな格好しなくても」と言ってやりたくもなる。
あるいは首をスーッと伸ばしたり、振り返るようにして嘴を挿す様子はなどはなんともユーモラスである。
人にとって梅花は目と鼻で愛でて、歌に刻み心に残すものだが、鵯にとっては単に腹を満たすためのものなのだ。
私にとっての花の色香は味わい楽しみめばいいが、彼にとっての花は生きるための糧なのである。
彼の立場も認め、尊重しよう。
「いつでも好きなだけどうぞ」。

仰ぐとは愛しき姿勢鵯(ひよ)仰ぐ (奈良文夫)

鵯と白梅

ひよどりと白梅

ひよどりとハクバイ
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カランコエ  ~二月の雨~
- 2010/02/27(Sat) -
カランコエ


  あめ   (文)

あめですね
雨ですよ
二月ですよ
そうですね

あめと書けば童謡になりますね
歌いたくなりますね
雨と書けば詩人になりますね
そうですか

私は重吉の詩を思い出しましたよ
彼は三行で書いていますね

窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかな気持ちでいたいとおもう

分かりますよね
ああ、そんな気分ってありますね

実は私は雨が好きなんですよ
ほお、そうなんですか
なにか、その、理屈じゃないんですね
情緒的になりませんか
すこし現実を忘れさせませんか
心の中を想像が飛ぶ少年のような気持ちにさせませんか
なるほどね
見えるものを見えなくしたり
見えないものを見させてくれるような
ちょっと秘密の魔法があるような感じになるんですね
いわれてみれば、そうかもって気にもなりますがね
もうすぐ三月ですよ
そろそろですね
そろそろですよ

    真直なる幹に雨沁む二月尽 (福永耕二)

カランコエ
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デルフィニウム (飛燕草・Delphinium) ~空色のスカート~
- 2010/02/26(Fri) -
デルフィニウム

野のまつり  新川和江

 空色のスカートをはいた少女たちが
 ひろい野原でステップをふむ
 するとその足もとから
 ぐん!
 と芽を出す春の草
 おさげがぷらんぷらんゆれるたびに
 そのさきから
 うまれてとび立つ春のちょう

 こんどは森でかくれんぼ
 少女たちはいっぽんいっぽんの木のかげに
 いそいでかくれて くすくすわらいかみしめる
 するとみるまに
 木はしなやかに枝葉をのばして
 やさしく少女をかくまってしまう

 遠くのほうからなにやらきこえるさざめきに
 人々がさそいあわせていってみると
 野も森も
 いちめんみどりにぬりかえられて
 少女のすがたは
 ひとりも見えない。

モンシロチョウが飛び出したのだそうだ。
スギ花粉が飛散し始めたのだそうだ。
太宰府の梅も満開だそうだ。

朝、センダイムシクイの響きを聞いた。
朝、ホトケノザを見つけた。

毎朝、新しい春がある。

     窓あけた窓いつぱいの春 (種田山頭火)
 
デルフィニウム 
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ウメ (八重白梅) ~茂吉忌~
- 2010/02/25(Thu) -
ウメ・ハクバイ

  深空より茂吉忌二月二十五日 (飯田龍太)

茂吉を初めて知ったのは大学に入ってからである。
受講した「国文学」のテキストが、茂吉の『万葉秀歌』(上・下)だった。
それをきっかけとして私は万葉集をはじめとした和歌や誹諧の世界に引き込まれていった。
今でもいくつかの歌を諳んじることができるのは、ほとんどがその当時に学んだものである。
中でも繰り返し読んだのが中臣宅守と狭野茅野娘子の相聞歌だった。
時々に、二人の歌を懐かしむことがある。
講義の最後に鑑賞課題が出され、私が選んだのは有間皇子の二首「いはしろの…」「いへにあれば…」だった。
手書きのそのレポート原稿が今も手元に残されているのは、自分の青春アーカイブとして捨てがたいのだろう。
『万葉秀歌』(上・下)の初版は1938年であるが、私達が用いたのは岩波新書の赤版だった。
こうして本棚から取り出してみてると、当時の担当助教授の顔までが浮かんでくるから不思議である。
これには定価が記されていない。
我々の若い頃の新書版や文庫版の奥付には定価が書かれていないのが一般的だった。
帯の部分や星印の数でその値を確かめて買ったものである。

急な温かさである。
一つ二つとまた春の花色が広がっていく。

勇気こそ地の塩なれや梅真白 (中村草田男) 

白梅

万葉秀歌
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カンパニュラ (ブルー・ゲットミー)
- 2010/02/24(Wed) -
カンパニュラ

カンパニュラの恋    平原綾香

Love true love それはただひとつ
貴方に捧げる愛

… (略)
Love true love いつか私が愛した あなたの声を
忘れられる日はくるの?
My love この胸に
あなたが住んでしまったから
きっとどれだけ季節が廻ったとしても

My love かえる場所は
ふたり過ごした カンパニュラの刻(とき)
そっと降るはずのない雪が舞う

ラベンダーブルーのカンパニュラの名は「ゲット・ミー」
桔梗を小さくしたような花が溢れんばかりに咲いている。
眺める夜のしじまの幸せ気分。
花言葉には「感謝」「誠実」「思いを告げる」と。

こんなにも湯飲み茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり (山崎方代)

カンパニュラ ゲット・ミー
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オキナグサ(翁草) ~重吉の春と私と~
- 2010/02/23(Tue) -
翁草

春  八木重吉
このこころ
このこころ
明日になれば私も知らないこころ
ほかの人が知ってくれないにきまっているこころ

春 八木重吉
夕方赤らんだ空
私の心がやすらかになる空

春 八木重吉
縁側へしゃがんで
夕陽が落ちたのを見ていた

春 八木重吉
どんよりとした空を
雲が早くとぶのはさびしい

春  文
光が春 虫が春 土も春 雲も春
春が踊っている
春が遊んでいる
春が笑っている
春が歌っている
花も鳥も風も月も春
草の上にも春
小川のせせらぎにも春
木々の枝にも春
道の石ころにも春
春がそこかしこにあふれている
春の時間がああ、もったいない
春が心の扉を開ける
春の色に僕も染まる

春の風ルンルンけんけんあんぽんたん (坪内稔典)

おきなぐさ
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鵯と蝋梅 ~茶の時間に~
- 2010/02/22(Mon) -
ヒヨドリとロウバイ 1

サテト、キョウハドレカライコウカナ。

週末を寛ぐ時、きまって三時にお茶の時間を取る。
午前中に大方の作業を済ませ、買い求めた本を開いたり、定期購読の雑誌をぱらぱらと捲る。
あるいは、部屋にある鉢花の花がらを摘んだり弱った葉を取り除く。
ゆったりまったりのんびりのひとときとなる。
そんな私のお茶の時間に合わせるかのように鳥もよく遊びに来る。
宇田喜代子の本を読んでいると、鵯がやってきた。
留まるのはまたしても蝋梅。
「君はもう蝋梅をさんざん食べたではないか」。
「見てご覧よ。もういくつも残っていないよ」。
「しかもどれもこれもまだ咲く前の蕾だよ。可哀想と思わないかい」。
「私にも花を観賞させてくれよ。」
懇願するそんな私にお構いなしで彼はこれ見よがしに悠然と食事を始める。

ヒヨドリとロウバイ 2

マズハ、ソッチノシタニアルノガイイナ。

ヒヨドリとロウバイ 3

ヨイショット、クチバシヲノバシテト。

ヒヨドリとロウバイ 4

ヨシ、ゲット。オイオイ、ジロジロミルナヨ。ココハオレノナワバリナノ。ジャマスンナッテ。

ヒヨドリとロウバイ 5

エーット、ダイブスクナクナッテキタナ。4ツモタベタコトダシ。
ジャ、キョウハココラニシテ、カエルトスルカ。
オマエモタベタラドウダイ、オジサン。ウマイゼ。マタクルカラナ。ココハホントニイイトコダゼ。

三寒四温に花を食むひよのとり (文)



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カランコエ(カランコエ・ウェンディ) ~日向ぼこ~
- 2010/02/21(Sun) -
からんこえ・うぇんでぃ

朝の散歩にはポケットラジオを友にする。
各地からの花便りや風物詩が電波を通して届けられる。
河津桜が咲いたことや菜の花が今が盛りだということも知る。
鶯の初鳴きがあったことや雲雀の囀りについても教えてくれる。
一歩一歩の歩みごとに、様々な情報が私の脳裡で想像の触手を繋げていく。

新しい歌や懐かしい歌、心惹かれる歌に出会うこともある。

 また君に恋してる  ビリー・バンバン (作詞:松井五郎 作曲:松井五郎)
 
    朝露が招く 光を浴びて はじめてのように ふれる頬
    てのひらに伝う 君の寝息に 過ぎてきた時が報われる
    いつか風が散らした花も 季節巡り 色をつけるよ
    また君に恋してる いままでよりも深く
    また君を好きになれる 心から
(略)
木々の枝を抜ける風のように、葦原の川の上を渡るさざ波のように、切々と深い思いを歌い上げる。
二人のしみじみとした歌唱が胸に染み入り癒され、心に響く。

ビリーバンバンといえば、私がギターを手に入れた頃、「白いブランコ」が練習曲だった。
メロディーラインもコード進行も初心者の入門曲に適していた。
寝室にはそのままの古いギターがスタンドに立てかけてある。
時々、ボロンと弾く。
青春を捨てられないんだろう。

あたたかな日だった。
雪で押しつぶされた作業場を片付けた。

    三時まであと十五分日向ぼこ  (星野立子)  

カランコエ・ウェンディ
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シクラメン ~わたしはつう~
- 2010/02/20(Sat) -
しくらめん1

   わたしはつう     川上 鴨

そのひとの前では わたしは夕鶴のつうであらねばならない

「立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は百合の花」と言われるような/大和撫子であり
「色の白いのは七難隠す」と言われるように/色白な女であり/餅肌の女であり
みどりなす黒髪はからすのぬれば色であり/瓜実顔であり/富士額をした女であり/蛾のような眉であり
「明眸皓歯」と言われるように/あざやかな目もとと白い歯の女であり/鼻筋の通った女であり
おちょぼ口の女であり/襟足の美しい女であり/なで肩の女であり/柳腰のなよなよした女であり
素足の似合う女であり/魚のように すんなりした指の女であり/花のように笑まう女であり
水仙の香のする女であり/夢二の描く愁いを帯びた永遠の女であり/どこか淋しげで夕顔のような風情を持つ女であり
労咳を病み細い首に白い繃帯を痛々しげに巻いた女であり/浴衣の似合う楚々とした湯上がりの女であり
すべての男が夢見ている真に女らしい女であらねばならない
わたしはそのひとの前で「つう」を演じながら美しい織物をくる日もくる日も織り続けなければならない
決して機を織るわたしの姿を見てはいけません とそのひとことに願い続けなければならない
「よひょう」が「つう」の姿を知った時
ふたりの愛は虹が消えゆくように儚くもこわれてしまうのであるから
あなたとわたしは 互いの姿を知ろうというような欲深い妄想を断ち切って
永遠に「つう」と「よひょう」でありたい
     (川上 鴨  昭和15年 島根県松江市生まれ 広島大卒)

男の思い、女の性(さが)。
男のわがまま、女の哀しみ。
男の罪、女の優しさ。
男の責任、女の慎ましさ。

ずっと咲き続けるシクラメンがある。
12月入ってから直ぐに咲いたのだが、まだまだ花の衰えを見せない。
別の多くはすでに葉だけの姿に変わっている。
同じ仲間の花も色々である。
人も色々…。

薄氷(うすらひ)に書いた名を消し書く純愛 (高澤晶子)

しくらめん6

しくらめん4
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カランコエ ~心も雨水なり~
- 2010/02/19(Fri) -
カランコエ白

こころ    鈴木蝶次

どのような かたち
なんの いろ
そして
どれほどの おもさなのだろう

こころ よ
いつも とざされたとびらのなかで
じっとしている おまえ
きょうも
わたしは かぜをきき
うつくしい ゆうやけをみた

こころ よ
いつか とぎれたとびらをあけて
おまえにも
かぜのおとを きかせよう
うつくしい ゆうやけを
みせてあげよう

きっと わすれずに
    (鈴木蝶次 昭和9年川崎市生まれ)

大切なものは目には見えないんだよ。心の目で見なくてはね。
大切なものは表には出てこないんだよ。なんでも深いところにあるんだ。
大切なものは多くは語らないんだよ。無口で必要なことだけぼそっと言うんだよ。
大切なものはどっしりとして動かないんだよ。色褪せても昔からずっと同じままさ。

今日は雨水だね。風も迷っている感じだね。
土の中ではミミズもモグラもカエルもうずうずしているだろうね。
菜の花や蒲公英も黄色いスカートを着て早く踊りたいだろうね。
せせらぎに映る光のはね返しも眩しくなってきたね。
うれしいね。まだ足は冷えるけどね。

雨水より啓蟄までのあたたかさ (後藤夜半)

カランコエ 白
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シクラメン・ポエット ~2月18日、人の命~
- 2010/02/18(Thu) -
シクラメン(ポエット)

若い女性が線路上に転落する。電車は迫る。佐藤さんはとっさに線路に飛び降りる。
酔った相手は意識がなく、呼びかけにも反応しない。電車が視界に入る。引き上げる時間はない。
とっさに女性のだらりとした手を揃え、レールとレールの間に体をあおむけに押し込む。
そしてすぐさま自身はホーム下の退避スペースに飛び込む。
間一髪、電車が通過。4両目までが女性の真上を通過して停車する。女性はかすり傷の軽傷。
去る2月15日午後9時過ぎ、高円寺南のJR高円寺駅の中央線快速の上り線ホームでの出来事だ。
「落ちた人が見えたのでとっさに体が動いただけ。必死だったのでよく覚えていない。無我夢中でやった」と彼は言う。
佐藤弘樹さん24才、都内在住の児童福祉施設職員。

今日2月18日というと、私にはどうしても忘れられない出来事がある。
今から20年前、平成2年2月18日夜の事である。
溺れている5歳児を救助しようと、川に飛び込み力尽きて尊い命を犠牲にした大学生がいた。
長野県飯田市出身の神奈川大学4年生、三井篤さんである。
アパート近くの東京大田区の新呑川清水橋付近で溺れている子どもを発見。
彼は誰も見ていない凍てつく夜空の中、何の躊躇もせず、深さ3㍍の川冷水の中へ飛び込む。
絶壁のコンクリートの岸辺まで幼児を左手で抱えて運び込む。
しかし、暗がりの中、捕まるモノを求めて手探りで探しても何一つなく、手は壁を何度も滑り落ちる。
「手の5本の指先は肉がなくなり、骨まで削って何とか助けるためにはい上がろうとしたすごい傷跡」。
発見された時、そのような悲惨な彼の変わりはてた姿があったという。
翌朝スキーに出かける為、駐車場へ車を取りに寄った折、溺れる子どもを目撃し、衣服のまま川に飛び込んだのだった。
その春卒業し、4月からオーストラリアの大学留学許可通知を手にした矢先のことであった。
両親は涙にくれて語った。
「幼い頃から正義感の強い思いやりのある子でした」。
「息子を失った悲しみは言葉に尽くせないが、人のために身命を捧げてくれたことが、せめてもの慰めです」と。
この正義と勇気は新聞に『若者の勇気は死なず』との見出しで紹介され、多くの人々に深い悲しみとともに感動を与えた。
見て見ぬふりをする風潮が嘆かれる昨今であるが、三井さんの尊い行いに心打たれる。

新大久保駅で人助けのために命を失った李さんと関島さん、そして今回の佐藤さんの行為と三井さん。
自分の命と人の命。救助するということ。正義と究極の勇気…思うことと実行するということ。重い決断。
この日がくるたび、私は三井さんのことを思い出す。そして考えさせられる。

世を恋うて人を恐るる余寒かな (村上鬼城)

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ウメ(白梅) ~麗ら麗らかに一つ二つの春~
- 2010/02/17(Wed) -
白梅

ようやくの梅である。
まだ多くは蕾だが、ここへ来て一輪二輪と咲き出した。
朝の冷えは連日氷点下が続くものの、木々たちの肌は風の中に確かな春を感じ始めているのだろう。
気がつけば2月も半ばを過ぎ、聞こえる歌にも春のタイトルが並ぶようになった。
季節の歩みは確実に明るい日射しに向かって進んでいる。
これからは今日の庭の顔と明日の庭の顔が少しずつ変わっていくのが見えるようになる。
モノトーン色の景色が一つまた一つと彩りを増やしていく。

そんな梅のそばにはセピア色の紫陽花がある。

   青天へ梅のつぼみがかけのぼる (新田祐久)

ウメ白梅

冬アジサイ
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マンサク(満作・金縷梅 ) ~春一歩~
- 2010/02/16(Tue) -
満作

マンサクの花はちょっと変わっている。
撚れた紐のような黄色い花びらが葉のない枝から直接吹き出るように咲く。
それはあたかも、貝紐が風で飛ばされて来て枝に引っかかったようにも見える。
なんとも不思議な咲き方だ。
その名は春真っ先に開花する事,つまりまず咲くに因むという。
あるいは花が枝に満ちるさま、つまり満ちて咲くことからくるともある。
さらに紐状の黄色い四弁花が稲穂を思わせ、豊年満作につながったとも記されている。
いずれにしても人々の春の訪れの喜びを示す名付けなのだろう。
我が家の庭の春告げ花のひとつである。
 
こんな花をヒヨドリが食べていく。
枝にはもう幾つも残っていない。
私がゆっくりと愛でるこことも許さずに、彼はほとんど腹の中に入れてしまった。
「ヒヨドリ君、マンサクってそんなにおいしいかい?」 
そしていつもの口調で「ま、いいか」。

    まんさくや中也詩集の染み一つ (火村卓造)

マンサク

ヒヨドリ

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シロハラ(白腹・Pale Thrush ) ~岡林信康・シルヴィ・ヴァルタン~
- 2010/02/15(Mon) -
シロハラ1

作品を車に積み込んで搬入に向かう。
展覧会場まで約20分。
FMをつける。
森山良子がパーソナリティを務める番組をやっている。
 ♪丘のホテルの 赤い灯も
 ♪胸のあかりも 消えるころ…
男の声で美空ひばりの「悲しき口笛」が流れる
歌うのは岡林信康、ソフトなイントネーションと訥々とした語り口で自分の歌を紹介する。
懐かしの岡林、京都の田舎で農業をしながら隠遁生活をしていたかと思っていたが…。
若い頃、彼のすべての歌は私の横にあった。
特に好んで弾き語りしたのが「山谷ブルース」と「チュ-リップのアップリケ」。
今でもボロボロになった黄色い表紙の彼の歌本がある。
時々、あの頃を思い出すかのように取り出すことがある。
そして、あの独特の震わし伸ばすアルペジオで歌うことがある。
森山も「セフィニ」を歌う。
C'est fini~ Mon am~our 切ない高音が響き渡る。

今回搬入したのは、この地に春を告げる五科揃いの総合展である。
彫刻には遠く東京清瀬、世田谷、群馬からも出品がある。
オーソドックスな塑造から、きわめて冒険的実験的なもの、インスタレーションなど、多様な構成が見られる。
飾り付けも、最後にキャプションを取り付けてすべて終了した。

帰って直ぐ風呂に入り、少々疲れた体を休める。
時計は3時半を回る。
茶を注ぎ、Materials tool Booksのカタログを捲りながら寛ぐ。

窓の外を見るとシロハラが庭にいる。
落葉を嘴で跳ね上げ、まるで人がスコップを使うように上手に葉が取り除かれる。
中にいる虫を見つけ補食する。
何度かそれを繰り返し、そして私の視線を感じたのか、チョチョッと走り去った。
毎年、我が家の庭でこのような光景を見せてくれるシロハラである。
彼が北の大陸へ帰るのはいつ頃になるのだろう。

鳥の立ち去った後をボーッと眺めていると、ラジオから流れてきたのはシルヴィ・ヴァルタンが歌う“哀しみのシンフォニー”。
モーツアルトの交響曲第40番ト短調 が元歌になっている。
朝からラジオに時代を引き戻された日となった。

虫を食む白腹のいる聖日の午後 (文)

白腹1

しろはら

白腹5

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スノードロップ(snowdrop) ~『ジュ・トゥ・ヴー』(Je te veux)・あなたが大好き ~
- 2010/02/14(Sun) -
スノードロップ

ラジオからエリック・サティの『ジュ・トゥ・ヴー』が流れていた。
ジュ・トゥ・ヴーは日本語の題名に『お前が欲しい』あるいは『あなたが大好き』とある。
ピアノを弾いているのは坂本龍一。
「ほお、あの坂本がピアノを…」と思いつつその演奏に耳を傾けた。

サティは27歳で一生に一度の恋をする。
相手はサーカスのブランコ乗りシュザンヌ。
しかし恋は6ヶ月で破局を迎え、その後独身で生涯を閉じる。
私がサティを好きになったのは20年ほど前、初めてジムノペディを聴いてからだった。

迫る展覧会。
ようやく仕上がる。
アトリエの外に出る。

落葉の中にスノードロップが開いていた。
純白の花弁の中には緑色のハート形。
蕾はその名の通り雪の雫のよう。
まだ春浅いこの時期、優しく暖かいイヴ伝説を持つ花。
花言葉は“希望”と“慰め”。

作品が頭から離れない。
もう一度やり直そう。
ぎりぎりまで。

早春の土踏めば土応へけり (藤松遊子)

スノードロップ2/14


スノードロップ2月14日
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シンビジウム(Cymbidium Half moon wonderland) ~背中との対話 ~
- 2010/02/13(Sat) -
Cymbidium Half moon wonderland

背中との対話   島 木綿子

いそがし過ぎる背中が
ねむりを引きずりこんで明日に向かっているから
水に染まった手は
テーブルの上で
一日をおりたたみます
鬼になり
慈母になり
じだんだを踏み
仙人にさえなれた今日の終止符は うそ
-とても陽気にすごせているのよ-

もう やすみます
竿にこしかけて 星がひとつ 待っています      

                        (島木綿子(しま・ゆうこ) 昭和16年鹿児島県名瀬生まれ。大島高校卒。)

結局、このシンビジウムにはたった2輪の花しか咲かなかった。
花が咲くには、花を咲かせる前の11ヶ月をどう過ごさせるかだ。
私が、その月日の中できちんと愛を注がなかったことの証左だ。
陽当たり、置く場所、部屋の中に取り入れるタイミング、温度管理等々に注力しなかったことを示している。
ほんとは、もっとたくさんの花として咲きたかっただろうに。
放っておいて、それは虫が良すぎるってもんだよな。
なにもしなければ、なにも生まれないのさ。
手をかければ手をかけただけの答えが必ずあるんだよ。
要はやるかやらないかだけ。動くか動かないかだけ。
ずくを出すかどうかってことだよ。
2つの花よ、ありがとう。
もう少し、勉強するね。
いつになっても反省ばかりだなあ。
ごめんよ。
時間は自分で創るもんだからな。
…だったから、…があったから、なんて言い訳しない。
そこにあるのは、しなかったという事実と二輪の花があるという事実。

蘭の香や詩を読みて又た夜を寐ず (荻原井泉水)

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カルセオラリア(Calceolaria ・巾着草) ~火の愛 ~
- 2010/02/12(Fri) -
巾着草

火の愛 北岡淳子

木の存在が打ち消される
そのことに
いちばんいたむのは 火だ
めらめらと舐めまわす
その 炎のしぐさで
よくわかる

いとしくてならないものが
両腕の中から
術なく去っていくとき
私もきっと
あんなしぐさをするだろう

火は木を舐めつくすと
その炎の色を自ら消して
打ち消した木のうえに
そっとかぶり
ともに
灰になるのだ
(北岡淳子 昭和22年長野県生まれ)

カルセオラリアは二つの膨らんだ花びらが可愛い。
上唇弁は少し小さめで、下唇弁はそれを受けるようにやや大きめの袋状になっている。
幸せのポケットみたいだ。
その中をのぞくと小さな白いおしべが2本、茶色いめしべが1本ある。
咲き疲れた花は、色を濃くしていきその形のままぽろりと落ちる。
落ちて机の上を転がる花もまた可愛い。

さゆらぎてさゆらぎて花心かな (稲畑汀子)

カルセオラリア
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プリムラ・ポリアンサ(Primula polyantha・九輪桜) ~女~ 
- 2010/02/11(Thu) -
プリムラ・ポリアンサ


  女   宮田久美子

いくつになっても/女の中には
少女のときのまま /変わらない場所があるのでしょうか
そこには/これまで出会った/心の恋人たちが
住んでいるのでしょうか
夜中/夢の中に現れて
熱い思いを囁き/目覚めと共に消えていくのでしょうか
心のすき間に/昔語った言葉と共に入り込んで
次の瞬間立ち去っていくのでしょうか
いくつになっても/女の中には
少女のときのまま/変わらない場所があるのでしょうか
           (宮田久美子 昭和22年輪島市生まれ 静岡大学卒 沼津の小学校勤務後退職)

眼があったときに、強く感じたのだ。
私をじっと見つめている。
甘えるように訴えるように。
囁くような可愛い声が心に届く。
「私を連れて行って」。
ちょっとすました微笑む化粧顔。
「貴方の部屋へ行きたい」
私は引き寄せられる。
「自分のものにしたい」
気がついたときは抱き寄せていた。
車の助手席に乗せる。
シートに体を密着させ、黙って揺られている。
私は少し浮かれる。
明るく爽やかな春色。
今一度、彼女の名を確かめる。
プリムラ・ポリアンサ。
398円の恋人。

春寒にゐるや少女の膝ゑくぼ (加藤楸邨)  

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カランコエ ~五十路の早春賦~
- 2010/02/10(Wed) -
からんこえ

五十路   奥田晴義

不意打ちをくらったようなあんばいで/ある日ぼくは五十の坂を越していた。
そういえば街路を往き来する連中も/ぼくよりずっと若そうだし。
その若そうな連中からオジサンと呼ばれて/へえ、おれはオジサンなのかといぶかってみたりした。
いぶかってみたものの/皮膚は次第に艶を失いはじめ眼もショボクレてきたようなのだ。
ショボクレてきたものの/今まで見えなかったものがチト見えだしてきたのには驚いた。
驚きながら/お互い持ち時間がすくのうなったなあと友人と話し合ったりする始末だ。
その友人の作家だが/世界苦を一身に背負っているようだと評されたりして/今もそれにちがいはないが。
一身に背負うにはあまりに重い地球だったのだろう。
鍼灸通いをしていると淋しげにつけたすのであった。
                (奥田晴義 大正11年愛媛県生まれ。松山商業を経て中央大学へ進学。)

鏡を見るとそんな自分がいる。
瞼にも首にも口にもそんな自分がいる。
いつの間にか私もそうなのだ。
そして、自分がそうだと自覚する所がある。
そこを見て、悲しく思いつつもそうなのだと納得する。
そこを見る度、私は冷静になる。
眼は自分の年を理解する。
体は正直に齢を教える。
弾力性を失った皮膚はその意味を伝える。
私が今何歳であるかということを明確に。
   
白き花を眺むる五十路の早春賦  (文)  

カランコエ
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サイネリア ~積仁とは~ 
- 2010/02/09(Tue) -
サイネリア1

「積仁」とは枕元で読んだ本の中にある。
  積仁とは仁を積むと書きて、常に慈善の心を抱きて人を利益(りやく)する事なり。
  かくのごとくつとめてその効を積むを積仁というなり。
江戸後期の心学者、鎌田柳泓(りゆうおう)の言葉だという。
続いて『仁を積むための八則』が述べられる。
第一に怒りの心を断つべし。
第二に誹謗の言葉を出(いだ)すべからず。
第三に驕慢の心を断つべし。
第四に妄(みだり)に財宝を費やすべからず。
第五に人に接(まじわ)る時、常に顔色を柔和にすべし。
第六に言(ことば)を謹んで妄(みだり)に悪口(あくこう)などすべからず。
第七に若(もし)家に害なき所の財宝あらば貧者または乞食(こつじき)などに施すべし。
第八に物の命を惜しむべし。
柳泓がどういう人物か、また八則の出典についても手元ではその詳細は分からない。

心を揺り動かす言葉が並ぶ。
私に仁ありやと自らに問う。
心して八の一でも積んでいこうと。

白から紫へのグラデーションがきれいなサイネリアだ。
その色は昔のやんごとなき人のお召しになった色なのだろうか。
そういえば今ある私の風呂敷の色だ。
最近、風呂敷で包むことが少なくなった。
小さい頃、父や母のお使いは私の役回りだった。
いつも風呂敷で届けた。
届け先の相手の顔や庭なども未だに覚えているから不思議である。

   目瞑(つむ)りて眠るにあらず花のもと (下村梅子)

サイネリア

サイネリア2


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ロウバイとヒヨドリ ~I love you~
- 2010/02/08(Mon) -
蝋梅と鵯

一仕事を終えて、寛ぎの時間に白磁の湯飲みでお茶を飲む。
頭の中でできあがるイメージと、実際に手を動かして作る作業の流れにギャップがある。
もう一度整理しよう。

ラジオから尾崎豊の「I LOVE YOU」が流れる。
ライブバージョンで聴衆も一緒に歌っている。
彼のデリケートで整った顔を思い浮かべながら耳を傾ける。

I love you 今だけは悲しい歌 聞きたくないよ
I love you 逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋
何もかも許された 恋じゃないから
二人はまるで 捨て猫みたい
この部屋は 落葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは 小猫の様な泣き声で
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は 目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬ様に

私は尾崎のドキュメンタリービデオをコレクションの一つとして持っている。
最後に見たのは10年も前になるだろうか。
歴史や人生にifはないのだが、たとえば彼の26歳以降の生き方はどんなだったのだろうかと思ったりする。
派遣切り、ニ-ト、路上生活、貧困ビジネス、介護心中、本当の恋、真実の愛、I love you…。
きっと人々に、体制に、社会に人の尊厳という命題を突きつけながら「魂の歌」を叫ぶように歌っているのだろう。

急に窓の外が騒がしくなった。
ピーッ、ピーッ、ピーッと特徴ある鳴き声はヒヨドリだ。
見ると蝋梅の枝に留まり、その蕾を啄んでいるではないか。
「ああ、ダメだよ。これから咲く花だよ。香りがいい花なんだ。お願いだから止めてくれないか。」
そんな私の心の声は届くはずもなく、彼はひたすら口に運ぶ。
私の蝋梅のかなりは、こうして彼の昼食となる。
見る度に花数が少なくなっているような気がしていたが、やはりそういうことだった。
彼も生きている。生きるのに必死なのだ。
その残りの僅かな蕾が花開き、私はその姿と香りを楽しむ。

    臘梅の蕾の数が花の数 (倉田紘文)

ロウバイとヒヨドリ
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アカシアとカリンのある雪の風景 ~住宅顕信~
- 2010/02/07(Sun) -
雪の上のカリン

  春へまっすぐ雪溶けてゆく道

昭和62年(1987)2月7日23時23分、住宅顕信(すみたくけんしん)白血病にて永眠。享年25。

私が顕信を知ったのは今から7年前のこと。
書評で彼を紹介していたのは精神科医の香山リカだったように思う。
私は直ぐに「住宅顕信 全俳句集全実像」(小学館)を買い求めた。
  夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
本の副題としてこの句が表紙に書かれる。

監修した岡山大の池畑秀一教授は「はじめに」で次のように述べる。
 難しい言葉など何もない、易しい言葉で書かれた顕信の俳句。
 人生の壁にぶつかり悩んだことのある人には、素直に心に響いてくるはずである。

その壮絶な生き方は単眼的に簡単にまとめるわけにはいかない。

 陽にあてたうすい影を置く
 短い影の影といさかう
 考え込んでいる影も歩く

数日前に降った雪がまだ残る。
カリンがその上にある。
アカシアがその上にある。
私の足跡がある。

 顔をさすっている淋しい手がある(住宅顕信)

アカシア
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ナンテン(南天・nandin) ~本当の恋~
- 2010/02/06(Sat) -
ナンテン

春立ちぬと暦は告げ、歌は冬にさよならと挨拶するのだが。
ここは未だ名のみの春、朝夕にマフラー手袋は離されず。
氷点下の日々は続き、頬をなぜる風は冷たい。
寒い、寒い、寒い、私の足は冷える。

南天は白い霜の衣に身を包み、じっとして温かくなる日を待つ。
一所懸命、その場その時を生きる。
南天は何を聞き、何を見て何を考えるのか。
鳥のおしゃべりに耳を傾けるのか。
愚かな欲と戦を嘆くのか。
人の恋をだまって見つめるのか。

    一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております (山崎方代)

なんてん
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デンドロビウム ~青春の輝き~
- 2010/02/05(Fri) -
デンドロビウム205

急な出張が入る。
仕事のやりくりをして黒いマイカーに乗り込む。
ハンドルを握り、中央道を北上する。
窓の外には雪景色の美しいアルプスの山々が映る。
車のFMからは「青春の輝き」が流れる。
カーペンターズの特集をやっている。
2月4日は1983年にカレンが亡くなった日だ。
32歳という早すぎる死だった。
懐かしさに浸っているうちに車は長野道へ入る。

4時半、会議は終了する。
諏訪湖を見ながら、家路につく。

季節のおしくらまんじゅうがあちこちで見られる。
徐々に春が勢いを増し冬を隅に追い込んでいる。
光も風も空もたしかに1月と違う色になっている。

紫のデンドロビウムが咲き出した。
寄り添う二つ。

私にも「青春の輝き」は確かにあった。

   紫の淡しと言はず蘭の花 (後藤夜半)

デンドロビウム2052
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カランコエ ~ひとすじの気持ち~
- 2010/02/04(Thu) -
カランコエ

   花    八木重吉 
花はなぜうつくしいか
ひとすじの気持ちでさいているからだ


重吉はそういう

私も考えてみた
ひとすじの気持ちがあれば
ひとすじの気持ちがあれば

私は振り返ってみた
ひとすじの気持ちがあれば
ひとすじの気持ちがあれば

私は恥ずかしくなった
ひとすじの気持ちがあれば
ひとすじの気持ちがあれば

私の知るひとすじで生きた人は
みな若くして世を去っている

私は思った
ひとすじの気持ちを
ひとすじの気持ちで
ひとすじの気持ちに

くれなゐの色を見てゐる寒さかな (細見綾子)
 
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雪の絵、雪の歌 ~雪見ておれば山頭火~
- 2010/02/03(Wed) -
雪山茶花

同じ花でも雪があると絵が生まれる。
同じ木でも雪があると歌が生まれる。
雪は不思議な力を持っている。

山頭火はたくさんの雪を詠う。
  雪を見てゐるさびしい微笑
  雪ふるだまつてゐる
  雪も晴伸びた芽にぬくいひざし
  雪あしたやすやすとうまれたといふか
  雪はかぶるままの私と枯れ草
  雪のあかるさがいつぱいのしづけさ
  雪ふるひとり踊る
  雪の夕べをつゝましう生きてゐる
  雪へ雪ふるしづけさにをる
  雪ふる一人一人ゆく
  雪のふりかかる二人のなかのよいことは
  雪ふれば雪を観ている私です
  雪ふれば雪のつんでおちるだけ
  雪がふるふる雪見ておれば
  安か安か寒か寒か雪雪
 誰も来ない木から木へすべる雪 
 少年の夢よみがへりくる雪をたべても     (種田山頭火)

雪の山茶花を見る。
雪の梅を見る。
山頭火と同じ気分になる。

節分や流転重ねしまめの数  (美津夫) 



雪の梅
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木立セネシオ(桂華) ~二月の雪~
- 2010/02/02(Tue) -
木立セネシオ

久しぶりの雪だ。
みるみる積もっていく。
べっとりとした重い雪だ。
撓った竹が国道を遮る。
避けるように潜って通り抜ける。

新型インフルエンザの予防接種を受ける。
用心に越したことはない。

家について直ぐに雪かきをする。
ずっしりだ。
ラッセルが容易でない。
朝、凍結しないかと出勤が心配になる。
まだ雪は降り続く。
暗い中での小1時間、体は汗をかいている。
そろそろにしよう。


木立セネシオはデリケートな花である。
時々顔を見てやらねばならない。
そうでないと、機嫌を損ね萎えてぐったりすることがある。
暑くはないですか、水を欲しくはありませんかと声を掛けてやる。
結構な気難し屋さんだ。
菊にも似た美しい色の花である。

両の手を闇にひろげて二月(にんがつ)の雪くろぐろと受け止めている (山崎方代)

桂華
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ヘーベ(Hebe・グリーンフラッシュ) ~冬如月~
- 2010/02/01(Mon) -
ヘーベ

いつものように少し暗い中から散歩に出かける。
ぐるぐるの着ぶくれだ。
耳だけは寒さから逃げ場を失っている。

リンゴ畑で煙が上がっている。
剪定した枝が積まれて火に覆われている。
夫婦が赤い炎に映し出される。
冷え冷えとした朝とて、農家の人は働くのだ。

   冬の朝   八木重吉

雲ひとつも無く
空やけが
うすく野末をめぐり
冬の朝におのずと頭が下がる     (1926・1・12)


   冬の日    八木重吉

冬の日は
やわらかく
慈悲の顔のようにあかるい     (1926・1・22)

   冬    八木重吉

冬は疲れている
冬は貧しい
冬はうすうすと
美しさをもっていて奪うことができぬ  (1926・1・22)

1926年(昭和元年)重吉29歳。肺結核発病。絶対安静。翌1927年死去。享年30歳。
短い詩の中に、たくさんの心とたくさんの景色とたくさんの言葉が詰まっている。

房咲きの小さな白い花はヘーベ。
1㎝にも満たない尖った四弁の花びらが可愛い。
   
     如月の指よりこぼるるものばかり (谷中隆子)

ヘーベ・グリーンフラッシュ
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