
若い女性が線路上に転落する。電車は迫る。佐藤さんはとっさに線路に飛び降りる。
酔った相手は意識がなく、呼びかけにも反応しない。電車が視界に入る。引き上げる時間はない。
とっさに女性のだらりとした手を揃え、レールとレールの間に体をあおむけに押し込む。
そしてすぐさま自身はホーム下の退避スペースに飛び込む。
間一髪、電車が通過。4両目までが女性の真上を通過して停車する。女性はかすり傷の軽傷。
去る2月15日午後9時過ぎ、高円寺南のJR高円寺駅の中央線快速の上り線ホームでの出来事だ。
「落ちた人が見えたのでとっさに体が動いただけ。必死だったのでよく覚えていない。無我夢中でやった」と彼は言う。
佐藤弘樹さん24才、都内在住の児童福祉施設職員。
今日2月18日というと、私にはどうしても忘れられない出来事がある。
今から20年前、平成2年2月18日夜の事である。
溺れている5歳児を救助しようと、川に飛び込み力尽きて尊い命を犠牲にした大学生がいた。
長野県飯田市出身の神奈川大学4年生、三井篤さんである。
アパート近くの東京大田区の新呑川清水橋付近で溺れている子どもを発見。
彼は誰も見ていない凍てつく夜空の中、何の躊躇もせず、深さ3㍍の川冷水の中へ飛び込む。
絶壁のコンクリートの岸辺まで幼児を左手で抱えて運び込む。
しかし、暗がりの中、捕まるモノを求めて手探りで探しても何一つなく、手は壁を何度も滑り落ちる。
「手の5本の指先は肉がなくなり、骨まで削って何とか助けるためにはい上がろうとしたすごい傷跡」。
発見された時、そのような悲惨な彼の変わりはてた姿があったという。
翌朝スキーに出かける為、駐車場へ車を取りに寄った折、溺れる子どもを目撃し、衣服のまま川に飛び込んだのだった。
その春卒業し、4月からオーストラリアの大学留学許可通知を手にした矢先のことであった。
両親は涙にくれて語った。
「幼い頃から正義感の強い思いやりのある子でした」。
「息子を失った悲しみは言葉に尽くせないが、人のために身命を捧げてくれたことが、せめてもの慰めです」と。
この正義と勇気は新聞に『若者の勇気は死なず』との見出しで紹介され、多くの人々に深い悲しみとともに感動を与えた。
見て見ぬふりをする風潮が嘆かれる昨今であるが、三井さんの尊い行いに心打たれる。
新大久保駅で人助けのために命を失った李さんと関島さん、そして今回の佐藤さんの行為と三井さん。
自分の命と人の命。救助するということ。正義と究極の勇気…思うことと実行するということ。重い決断。
この日がくるたび、私は三井さんのことを思い出す。そして考えさせられる。
世を恋うて人を恐るる余寒かな (村上鬼城)