ヒメヒマワリ(ゴールデンピラミッド・柳葉向日葵)
- 2009/09/30(Wed) -
ヒメヒマワリ

一週間ほど前から山茱萸の樹の下で黄色い花が咲いている。
菊のようにも見えるその花は嫋やかな茎の頂にあり、葉は細くコスモスにも似る。
品種名をゴールデンピラミッドという姫ヒマワリである。
和名に柳葉向日葵とあり、それはその細い葉に由来するという。
色を見れば確かに向日葵と同じであるが、花や葉は見た目に大きく違う。
宿根草で、大きな向日葵が姿を消したこの時期に、毎年顔を出す。
この先季節がさらに進みゆく中でもしばらくは咲き続けてくれる花期の長い花である。
周りにはもう山茱萸の赤い実がいくつも転がり落ちている。
櫻も栃も葉をだいぶ落としてきた。
9月も今日で終わり、景色も秋を徐々に濃くしていく。

     閂をすり抜けて来て秋がゐる (太田白羊)

姫向日葵
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ミゾソバ(溝蕎麦) ~水辺に~
- 2009/09/29(Tue) -
みぞそば

栗の木の下は水辺となっている。
落ちた栗を拾いに下りていくと、小さな花に出会った。
白い花びらの先を淡いピンクに染めている。
全体が透き通るように艶やかな5弁の花だ。
花茎の先端に10数個がまるで王冠のようにまとる。
それらは大きな葉の中にあって目立つこともなく、そしてせせらぎに紛れるようにある。
去年一昨年とは違って、その咲く場所はだいぶ下の方へ移動している。
栗拾いの手を休めて、しばらく風に揺れるミゾソバを見た。

  みぞそばの信濃の水の香なりけり (草間時彦)

ミゾソバ
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シソ(アオジソ) ~青紫蘇の白い花~ 
- 2009/09/28(Mon) -
シソの花と紋白蝶

紫蘇の花は白くて清楚な唇形の花である。
小さく可愛い花の中にはピンクの雄蘂がチョンチョン4本と見える。
それが穂状になって下から上へ伸びるように咲く。
そんな花にいろいろな虫たちがやって来る。
体の何分の一しかない花に口吻を挿している。
人間には感じることのできない何かがそこにあるのかもしれない。
きっと、味にしろ香りにしろ彼らは特別な鋭い感知能力を持った受容器を持っているのだろう。
蜂や蝶が花に留まる姿は、どれもが絵として愛らしく、惹きつけられる。

葉を小さくして青紫蘇の花用意 (大橋郁)

アオシソ

シソの花と蜂

シソの花とハチ




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サトイモ(里芋) ~地の底の秋~
- 2009/09/28(Mon) -
里芋

里芋を掘った。
品種は石川早生だったような気がする。
小芋、孫芋がたくさん付いている。
煮ころがし、いも煮、けんちん汁…どれもいいなあ。
皮を剥ぐにちょっと手間がかかるが。
十五夜には間に合った。

地の底の秋見届けし小芋かな (長谷川零余子)  

サトイモ
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キンモクセイ(金木犀) ~秋の香り
- 2009/09/27(Sun) -
金木犀4

この時期になると、仕事を終えて家に着くころには周りはもう真っ暗だ。
助手席に置いた重い黒の鞄を手に持ち車のドアを開ける。
と、涼やかな風とともにふわーっと甘い香りが鼻の奥まで届く。
迎えてくれる金木犀にあれこれやと使い切った体と頭も癒され軽くなる。
目を閉じて香りを胸いっぱい吸って脳の隅々まで行き渡らせる。
そして玄関を開く。
ラジオの中で誰かが言っていた。「金木犀って、芳香剤のような香りだよね」って。

今がまさに満開の時、今年はその開花はいつもより早い気がする。 
昼間、少しの時間、金木犀と遊んだ。
眺めては近寄り、離れては目をそばにやりと、それは幼子になった気分。
地面にも黄色い色が…、早いのはもう散り始めている。

  見えさうな金木犀の香なりけり (津川絵理子)

金木犀3

金木犀2

金木犀1
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クリ ~栗おこわ~
- 2009/09/27(Sun) -
クリおこわ

今年は栗が豊作なのだ。
記憶の中では今までで一番の収穫である。
昨日は栗おこわにした。
栗をいろいろな食べ方で楽しむ。
焼き栗の場合、冷蔵庫に入れておいてからすると、よりいっそうの甘みが増すと聞いた。
今日にでも試してみよう。

玄関にも並べて置いてみた。
柿も色づき始めた。
一つ食べた。甘かった。
庭ではその葉が堆朱となってだいぶ落ちている。
柿もいつもより早い収穫となりそうだ。
次々とたくさんの秋が目に飛び込んでくる。

  栗飯のほくりほくりと食まれけり (太田鴻村)

柿と菊芋と栗
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キクとダリア ~秋は喨々と~
- 2009/09/26(Sat) -
ダリアと菊

この時期になるといつも思い出す高村光太郎の詩がある。
  秋は喨々と空に鳴り 空は水色 鳥が飛び 魂いななき 
  清浄の水こころに流れ こころ目をあけ 童子となる(略) 
確かにそうなのだと、デリケ-トな詩人の目、詩人の心に共感を覚える。

黄色い菊とピンクのダリアが並ぶように咲いている。二つとも背が高い。
ダリアにいたっては2㍍を超える。私は見上げるようにして眺める。
これはもう3ヶ月以上もずっとずっと咲き続けている。
数本を剪り取って部屋に入れ、大きめの花瓶に挿す。
無造作で安上がりのデコレーションだ。あまり長持ちしないのが難点ではあるが。
キクは確かベンチャーという名だった。「冒険」というネーミングとはちょっと離れた感もする。
幾つもある菊の中で先駆けて夏の終わり頃から咲き、花期も長い。
これは和の器に入れる。10日以上はその姿を保ってくれるのが嬉しい。

いつしか蝉の声がしなくなった。
秋という名のプロデューサーが自然の主役を交代させ、新しいステージを演出していく。
私もそのときどきの花鳥風月に、そのときどきの水と風と土に、自分を溶け込ませ、その一員となる。

地と水と人を分かちて秋日澄む (飯田蛇笏)

ぴんくのだりあ

黄色い菊
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『仏桑華』 ~この夏の思い出~
- 2009/09/25(Fri) -
仏桑華4

『仏桑華』、いろいろな思いを込めてこのタイトルにした。
いや、いや、そうではない。今度の作品はタイトルが先にあったというのが正しい。
発想から構想まで、イメージはきちんと固まり、筋となって流れていたのだが。
しかし、思い通りの表現までは昇華しきれなかった。

毎年の事、多くの人がそれぞれの休暇を楽しむ間、私は木と格闘する。

5年ほど前に手に入れ、ずっと寝かしたままにしていたかなり太い楠である。
立ち上げてじっと眺めているうちに、想は練り上がりできあがった作品が見えてくる。
一気にチェーンソーで大きく面を落としていく。細かいデッサンはない。モデルも居ない。
頭が腕に次々に切る角度と面を命令する。エンジン音が呻って、切り取られた塊が落ちていく。
オーバーグラスの中が切り屑により視界をぼかし、額からは汗が目に入って、腕が休みをとらせる。
おがこと木屑が徐々に足下に広がる。およそ7割ほどのイメージがチェーンソーによって形作られる。
アトリエに運び込む。ここからは鑿での仕事。1.1キロを主に3種類のハンマーを使い分けて何千回、何万回とたたく。
初めて外気に触れた楠が、何十年も内に閉じ込めていたなんとも言えぬ心地よい香りを部屋中にたちこめさせる。
右手は機械のようになってひたすら打ち続ける。やがて木が一つの顔になる。

仕上がった時、自分の作品が客観的に見える。その瞬間から、できばえに満足できない一人の評論家になる。
それがまた次への動機付けとなり、新たな構想が生まれ湧き起こる。
こうして私の夏は終わる。毎年の事だ。

仏桑華1

仏桑華2

仏桑華3

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クレマチス(Clematis・ドクターラッペル) ~秋なのに…~
- 2009/09/24(Thu) -
1輪のクレマチス

おやっ、あれっ、ああ、クレマチスだ。
梅の枝に絡みつくように2輪咲いている。
花びらの中に濃いピンクが縦に入るドクターラッペルだ。
これは確か他のクレマチス同様に5月に咲いたはずだった。
秋だというのに、秋なのに、うーん。
季節外れの花が咲くと、少し戸惑ってしまう。
花開くそのことは嬉しいのだが、思わぬ狂い咲きには素直に喜べない感もある。。
今年は夏に雨が多かったことや日照不足もあったりで、花たちも咲く時を迷うのかもしれない。

クレマチスの花言葉には「美しい心」あるいは「精神的な美しさ」とある。
秋の日に私の目を止めたのは、あなたも「心の映え」を持ちなさいというクレマチスのからの声…。

   秋晴や瞼をかるく合はせても (鷲谷七菜子)

クレマチス
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クリ(栗・Japanese chestnut) ~実りの秋を楽しむ~
- 2009/09/24(Thu) -
栗

一つ二つと栗が落ちてくる。
地面に転がっているのを拾い集める。
手が届く範囲にあるのをひねり取る。
上の方は無理である。それらは自然に落下するのを待とう。
手袋をしてもその上から何度も棘が刺さる。
そっと包むように両手で拾い上げて籠に入れる。
今年はシラガダイジンの被害もなく、例年より実も大きい。
1時間弱の働きで結構な収穫となった。
我が家には2本の栗の木がある。
次の週末にもう一度収穫するとしよう。
栗ご飯にしようか。勿論そのまま煮てもいいし、渋皮煮もいいだろう。
夕食に出てきたのは丸ごとの唐揚げだった。
香ばしく、他にないなかなかの食感だ。
穫りたて味わえるちょっとした贅沢。
数個をディスプレーして、秋を見て楽しむことにした。

  栗の毬割れて部屋にも秋のあり (文)

クリ

くり

部屋の中の栗
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コスモス(Cosmos) ~秋桜という~
- 2009/09/23(Wed) -
コスモス

コスモスは和名を「アキザクラ」というと事典にはある。
続いて「秋に群生して咲く様子がサクラの花に見えるので秋桜の名がある」と解説は続く。
つまりは「秋桜」と書けば、本来アキザクラと読むのが正しいということになるのだろう。

青空に色とりどりのコスモスが映える。
風が吹くたびに高く伸びた花茎がさわさわと揺れる。
こうして見る花の色は秋の色、秋の姿、そして秋の想い。

薄紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽溜まりに揺れている…
あれこれと思い出をたどったら いつの日もひとりではなかったと…
眺めているうちに、いつのまにか哀調を帯びたメロディーが脳裏を流れる。

まとまり咲くのもいい。数輪寄り添ってあるのもいい。一輪だけでもまたいい。
私の庭が優しい秋の風情に包まれる。
これらの花々は今年もこぼれ種から。
来年も同じ数だけ出てきてくれるだろうか。

   コスモスの揺れ返すとき色乱れ (稲畑汀子)

ピンクのコスモス

白いコスモス
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サツマイモ ~秋を味わう~
- 2009/09/23(Wed) -
サツマイモ畑

サツマイモを掘った。
植えてから4ヶ月少し経った鳴門金時である。
まずまずのできだ。
早速、落葉や枯れ木を集めて焼き芋にした。
少し、取り出す時間が遅れ焦げてしまった。
昼に食べた。香ばしい香りに包まれた。
一足早い秋の味覚に舌鼓を打った。

畑火よりにほひほのぼの藷焼けぬ (飯田蛇笏)

サツマイモ

焼き芋

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『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』 ~ゴーギャン展~
- 2009/09/22(Tue) -
ゴーギャン『我々は…』

ゴーギャンは言う。
「私はこれ以上のものも、あるいはこれに匹敵するものも二度と作ることはできまいと思う」と。
当時、彼はタヒチにおいて貧困と病苦の中にあり、さらに追い打ちを掛けるように娘の死という人生のどん底にいた。
そして深い絶望の中、自らの命を葬り去ろうと決意し、全身全霊を込め遺言的な意味を持って描いたのだった。
その宗教的なタイトルが示すように、彼は自身の存在について自問自答しつつ、人の生と死についての答えを求める。

人の一生をまるで絵巻物にしたように、人生の縮図を彼の苦悩の哲学は描く。
絵は右に生の象徴である無辜な赤ん坊が眠り、そして左端には人生の終点に近づいた老婆が手を頭にする。
その間には果実の甘さを手に入れた少女、愛と性の喜びを知った若い女性、さらには幸せな家庭を持つ豊満な女性が描かれる。
背景には自らの将来を見つめるかのように立つ一人の女性と青春の蹉跌と煩悶のまっただ中にいるかのような若い二人。
どの人物も目に感情が宿っている。目が語っている。目を閉じて眠る赤ん坊すらも語らぬ多くの言葉を持つ。
島の信仰神は両手を広げ、黙って世俗の人々の全てを聴き、全てを見つめ、全てを包む。
さらには暗喩として描かれる黒い犬と白いネコ、ヤギと鳥。彼がそれらに込めた意味とは…。
全体として調和の取れた画面構成でありながら、個々のモチーフはそれぞれがきわめてシンボリックに描かれる。
文明とはかけ離れ打算も策略もない平和な土着の人々。
自然の一員として今をひたすらに生きる金儲けとは縁のない世界。
そこには一人も「男」は描かれていない。そこにいるのは彼女らを優しく見つめる彼、ゴーギャンだけ。

大きい作品である。先ず流れに沿って絵の間近で観る。さらに離れて全体を観る。もう一度前に出て部分を観る。
それを繰り返し好きな位置、好きな距離、好きな間合いで観る。満足いくまで時間を掛けて観た。
作品の上部両サイドには、装飾的な金地の中に花と讃が描かれる。
これは当時着物、浮世絵、漆器、襖絵などのジャポニズムが印象派を初めとした画家達に好まれていた影響だろうか。
重いテーマ性を持った作品だけに、観る人の足も自ずと止まる。
それが伝わってくるからこそ、人をこれだけ惹きつけるのだろう。
作品を作るということは単なる写生ではないことを、作者の心情、コンセプトがいかに大事であるかをこの作品は強く示す。

連休の中日とあってか、国立近代美術館は大勢の人だった。
外へ出ると、皇居のお濠端はカラフルなウエアに身を包んだジョギングする人たちが次々に流れていた。
神聖な空間から、またいつもの現実に戻る。

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アサギマダラとフジバカマとトリカブトと ~山に登る~
- 2009/09/21(Mon) -
浅黄まだら

昨日は家族で山に登った。標高1,535㍍の風越山(権現山)だ。
頂上付近には白山神社奥社本殿があり、信仰の山としても知られている。
空は雲一つなくどこまでも晴れ渡り、その青の深さに吸い込まれそうになる。
木々の間を抜ける登山道は、木陰が続き涼しい。風もなく、登山には絶好のコンディションだ。
虫たちに目をやり、草花を楽しみ、鳥の声に耳を傾けながら登る。
大きな松の根元に「ヒキガエル」を見つける。体はひんやりとし、何とも言えぬ感触だ。
掌をはみ出すほど大きいのだが、持ち上げると「クゥッ、クゥッ」と犬のような小さな可愛い声で鳴く
途中、展望の利く場所で休憩を取ると、対峙して見えるのは赤石、聖などの南アルプスの山々、そして眼下には天竜川が見える。
奥社付近にはトリカブトをはじめとして、たくさんの花が咲いている。
一羽のアサギマダラが空より下りてきてフジバカマに留まる。
よくもこんな高くまで飛んでくるものだと感心する。そういえば、アサギマダラの飛距離は半端でないと聞く。
信州でマーキングされた蝶が奄美や沖縄で捕獲されたという記事を読んだことがある。
この蝶もこれからどこか遠い南の島に行くのだろうか。
さらに歩を進め、ようやく頂上に着いたのは歩き始めてから3時間ほど経ってのことだった。
少し休んでから、下山する。急ぎ足での強行軍であったが、いい思い出と爽快な気分の秋の一日となった。

  高々と蝶こゆる谷の深さかな (原石鼎)

南アルプス

ヒキガエル

とりかぶと

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リコリス(曼珠沙華) ~観世音の御心~
- 2009/09/20(Sun) -
リコリスラジアータ

秋の花といえば、彼岸花を思い出す人も多かろう。

私が彼岸花で思い浮かぶのは学生時代、奈良の古寺を訪ねたときの事である。
岩船寺から浄瑠璃寺へ続く山道を歩いた時、そこの野を埋め尽くすように彼岸花が咲いていた。
その赤い花が背丈を揃えて一面に咲いている様子を想像するとよい。
一瞬、どこか違う世界に足を踏み入れたような、不思議な感覚に囚われたことを思い出す。
主任教授の講義の一つとして臨地実習に参加した遠い昔のことだ。
当時の若者がそうであったように長い髪に、長袖のTシャツとGパンという出で立ちだった。
その後で拝観した浄瑠璃寺の「矜羯羅童子」と「制多伽童子」の無垢な表情が忘れられない。
記念に買い求めたその二つの白黒写真は今でも大事に持っている。

私の庭にも時を分かちながら幾種類かの彼岸花の仲間が順に咲いている。
花姿はその名が示すように、仏の世界とを結ぶような得も言われぬ趣がある。

  曼珠沙華咲く野に出でよ観世音 (橋本鶏二)

リコリスダイアモンドリリー

ダイアモンドリリー

  曼珠沙華不思議は茎のみどりかな (長谷川双魚)

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ツルムラサキ・ニガウリ ~野菜の花姿を~
- 2009/09/19(Sat) -
つるむらさき

畑仕事をする。
耕す土の上に鬼胡桃の大きな葉がバサッと音を立てて落ちる。
鵙が桜の木のてっぺんで鳴いている。
手を休めて野菜の花を見る。

ツルムラサキはそのヌルヌル感がいい。
一度植えると、長い間に渡って収穫できるので重宝だ。
厚めの葉を摘み取って軽く炒めて食べる。
削り節などを乗せて、さっと醤油をかける。
花は天麩羅にするといいとも聞くが、これは試したことはない。
そのピンクの花はやがて黒光りした丸い実になっていく。
それがこぼれて毎年こうして恵をもたらす。

苦瓜については近年ブームなので、今更説明するまでもない。
今年のできはいつもの年より若干少なめではあるが、ほどほどによい。
何年も何年も作り続けている、私の夏に欠かせない野菜だ。
幼い頃より、この時期の私の食卓にいつもある。
花は黄色い5弁花、生まれたばかりの実もあのぶつぶつをすでに持っている。

野菜の花たちは主役ではないけれど、どれも可愛い。

また鍬を持つ。空には飛行機雲が伸びる。

  去るものは去りまた充ちて秋の空 (飯田龍太)

苦瓜花
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シュウメイギク(秋明菊・Japanese anemone) ~秋を感じるとき~
- 2009/09/18(Fri) -
秋明菊

秋を感じるときは人それぞれである。
例えば草木の色の移ろいを見てそれを感じたりする。
例えば小さな木の実を見つけ、例えば赤とんぼを見つけた時だったり。
例えば空の雲の形に、例えば空の青さにそれを感じたりする。
例えば朝の露に、例えば彼岸花に、例えば薄の穂に、例えば夜の月に…。

このところ、朝の出勤の道にタヌキの姿を目にすることが多くなった。
といっても生きているのではなく、交通事故によって痛ましく横たわる姿である。
ハンドルを握る早朝に見るそんな情景も、私が感じる一つの秋である。
このような悲惨なタヌキの姿は春夏秋冬において、空気が冷え始める秋に多く見られるからだ。

だいぶ栗が落ちるようになった。今年はいつもよりその数も多い。そこにも秋がある。
庭でも名に秋の字を持つ秋明菊が咲く。

片づけて秋明菊を挿しにけり (黒田杏子)

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ムラサキシキブ(紫式部の実) ~古き世の色~ 
- 2009/09/17(Thu) -
ムラサキシキブ

ムラサキシキブの丸い実も色づき始めた。
浅緑の色が艶やかな赤紫色に徐々に変わっていく。

周りが一層、秋の彩りを深めるにあわせ、実の全てにその色も届く。
さらに時が進み、葉を落とし木が裸になった後も実はそのままに残る。
色鮮やかなそんな実を尉鶲などの遠くからやってくる渡りの小鳥たちが啄みに来る。
しなやかな枝の上で、小さな丸い実を嘴にくわえる小鳥の姿を眺めるのも楽しい。

    紫は古き世の色式部の実 (山本鬼園)

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アブチロン(アブチロンオレンジ) ~秘めた想い~
- 2009/09/16(Wed) -
アブチロンオレンジ

大きな葉の中でオレンジの花をたくさん咲かせているのはアブチロン。
風鈴がいくつもぶら下がっているように見える。
咲き出したのは7月の中頃からなので、花期はだいぶ長い。
もともとは鉢植えの花、それを鉢から土に降ろしたのが5月。
秋いっぱいは外で育て、霜の前に鉢に植え替えて部屋に取り込む。
葉に白の覆輪のものなど4種類のアブチロンがあるが、このオレンジはその中で一番の古株で愛着がある。
はにかむ如く楚々と下向きに咲くこの花の花言葉は『秘めた想い』。
秘めた想い…か、そこにはどんな物語が…。

  野の秋へ鈴ふるやうに花の咲き (岩津厚子)

オレンジアブチロンオレンジ
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ミョウガ(茗荷の花) ~槃特の悟り~
- 2009/09/15(Tue) -
茗荷の花

土から白い花が出ている。
ミョウガの花だ。
花の頭にはまだ少しの土を被っている。
地を突き出たばかりのようだ。

不器用、律儀、愚直、無我、純心、この花を見るとそんな言葉を連想する。

今年も茗荷がだいぶ育った。
私はその独特の変わり香りをもつ茗荷が好きである。
さて、この秋の風味をどうやって口にしよう。

  つぎつぎと茗荷の花の出て白き (高野素十)

ミョウガの花
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クジャクアスター(孔雀アスター・Asterhhbrids)
- 2009/09/14(Mon) -
孔雀アスター

昨日は久しぶりのいい天気だった。
いつもの散歩に出かける。
轟くような雷鳴を伴った前夜の強い雨は、土深くしみ込み、草花を元気にさせている。
シューマンの『ロマンス』がラジオのイヤホンから流れる。
愛する妻クララへクリスマスに贈った曲だとアナウンサーが解説する。
そんな二人の愛を感じながら、野の花を見て歩く。
農家はもう働いている。
「おはようございます」と声を掛けると、これから柿の消毒をするのだという。
農家に日曜はない。
帰ってくる頃には、体は少し汗ばんでいる。
庭のクジャクアスターに小さな虫が留まっていた。
同じ花の上にずっといる。何という虫なんだろう。
秋はこうした虫たちを見る楽しみもある。
そういえば蝗をしばらく捕っていない。
子どもが大きくなった今、袋を持って、田の畦でぴょんぴょん跳ねるのを追いかけたことも懐かしい。

  山国の秋迷ひなく木に空に (福田甲子雄)

クジャクアスターと虫



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キクイモ(菊芋・Canada potato) ~蓮如の言葉~
- 2009/09/13(Sun) -
キクイモ

キクイモを初めて植えたのはいつのことだったか。
イヌリンが多く含まれ、その効能が糖尿病や血液などに作用すると知ってのことだった。
たくさんの芋が収穫できたときは嬉しかった。
芋はさほど大きくなく、ショウガのような凸凹の不定型をする。それ故、調理するには少し手間がかかる。
その上、口にしたとき、どんな料理の場合でも土臭さが残り、独特の食感を持っている。
味噌漬けにすることが多かったが、しかし今ではほとんど食することはなくなった。
また、その繁殖力はというと半端でない。一旦植え付けるとそれを絶やすのは難儀である。
私の所では、それはいつの間にか畑から土手に居場所を移して広がっている。
今では秋の花として、見る楽しみに対象が変わった。
花は向日葵にも似て黄色い。

今日、こんな言葉を目にした。
「人のわろき事は よくよく見ゆるなり わが身のわろき事は おぼえざるものなり」(蓮如)
自省と自戒をもって、この言葉を胸に抱きつつ、人と交わろう。

秋風のなぜる菊芋に見る私  (文)

きくいも

キクイモと蛾

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ゼラニウム ~秋ですね。待っていましたよ。と誰かが言う。~
- 2009/09/12(Sat) -
ゼラ

朝のひんやりとした空気は確かに秋である。
1枚余分に羽織って庭へ出る。
昨日掃いたはずの地面にまた葉が舞い落ちている。
茶色くなって少し巻いたような栃の葉が萩の花の上に乗る。
散るは哀し、残るは淋し、されど残る葉もいずれ落ち葉の秋の木々。

見る秋、感じる秋、考える秋、する秋、味わう秋、作る秋…、何の秋。
何をするにもいい秋だ。
浮かぶ雲までもが人を感傷に誘(いざな)う。
玄関にはゼラニウム。花言葉は「愛情」。

その高さ深くとも見え秋の雲 (高浜年尾)

栃の葉


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ススキ(薄) ~穂の前に~
- 2009/09/11(Fri) -
すすき

朝に薄を見る。
まだ尾花(おばな)といわれるような穂ではない。
小さな米粒のようなのが並んでぶら下がっている。
さらに、近づき寄ると禾(ノギ)が見える。
花は淡い黄色、目を凝らさなけれ見逃してしまうほどに小さい。
なにより薄の花など誰も気には留めない。
多くの場合、歌にも絵にも薄は銀に輝く穂が主役である。
風になびくそんな薄も素敵だが、私は人の目にとまらない小さな薄の花も好きである。
「花嫁の行列」のようなその姿はとても愛らしい。

 君が手もまじるなるべし花芒 (去来)

すすきの穂

花芒
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秋思清心 ~しずごころ~
- 2009/09/10(Thu) -
白い5弁の花

  しずごころ乗せてゆくなり秋の雲 (森澄雄)

空にある雲が変化に富む。
すーっと幾筋ものの糸を引くような雲。
薄いベールを重ねたような雲。
ふんわりとやわらかな綿のような雲。
同じ形をいっぱいに並べた鱗のような雲。
あの重厚でどっしりとした雲ではない。
もう、あの無彩色で作られた大きなかたまりの雲ではない。

「おおーい、雲よ-。いい形しているね-。」
「どうやって作るんだい。みんなで相談するのかい。」
「君たちは天才だね。とても人間じゃそんな美しい形なんかできないよ。」
「そこから何が見えるんだー。」
「ぼくも君たちのところへ行ってみたいなあ。」

目を戻す。
白い花が咲いている。
もの思わせる秋がある。

美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきとはいと口惜し(正岡子規)
 
白い花
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アズレア(ブルーセージ) ~夜明け前の花~
- 2009/09/09(Wed) -
アズレア

山の端(は)が少しずつ明るくなってきた。
陽はまだ山脈(やまなみ)の裏にあり、もう少しで顔を出す。

出かける前に花々を見て歩く。
青い色はアズレアの花、ブルーセージ。
特有の可愛い姿が茎の上の方に並んで咲いている。
私にはそれが幼い女の子のように見え、ついつい話かけたくなる。
そんな花々を眺めていると、自ずとほのぼのとした心持ちに、そして心穏やかになる。
静かな朝のほんのひとときの花と私。
そろそろ出勤の時刻。

   秋暁や胸に明けゆくものの影 (加藤楸邨)

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初秋に見る ~白露も過ぎ~
- 2009/09/08(Tue) -
秋虫1

ここ2、3日の月がとても綺麗である。
月明かりで文字まで読める。
空気が澄んでいる証拠だ。
日中は暑さも続くが、朝夕は肌をほどよさの冷気が包む。
夏は徐々に土俵から押し出されていく。

昨日は白露、一つ二つと身の回りにも秋の現象や秋言葉が見られるようになってきた。
このところ、勤めに出る車のフロントも露に濡れる。

初涼、早涼、秋涼し。
秋づき、秋じみ、秋日和。
秋爽、秋麗、秋は澄む。 
秋容、秋望、秋の声。
秋雲、秋天、空高し。
秋香、秋気、秋の色
秋陰、秋光、秋の虹。
素風、爽籟、風奏で。
ああ、秋はげに言葉も楽し美し奥深し。

庭を歩けば、秋の虫たちも遊んでいる。
その愛らしさにしばし足を止める。

露涼し形あるもの皆生ける (村上鬼城)

秋虫2
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ホオズキ(鬼灯) ~秋冬野菜と野良仕事~
- 2009/09/07(Mon) -
ほおずき

久しぶりに自分の時間が持てた週末、野良仕事に精を出した。
秋冬野菜の種蒔きと苗の植え付けだ。
蒔いたのは青首ダイコン、ビタミン大根、タアサイ、ホウレンソウに聖護院。
植えたのは実エンドウ、鞘エンドウ、小松菜、葉ネギ、蔓なしインゲン、金時草。
そして白菜、キャベツ、リーフレタスに、カリフラワー、ブロッコリー。
苦瓜をはじめとしてナス、ピーマンなど多くの夏野菜はまだまだ元気だが、間断なく収穫できるように。
地産地消という言葉が膾炙されるが、私の場合はできるだけの自産自消。
花が咲き、葉が広がり、実がなり、根が太くなり、そして蝶や蜂が来てと、野菜作りにはその節々の喜びがある。
ところで熱中症にならないように気をつけなくてはならない。
水分補給は冷やしておいた「甲斐駒ヶ岳・白州の天然水・森の水だより」。
喉を通って胃に届いていく冷たい水の流れが分かる。
麦稈帽子を取り汗をぬぐう。

畑の周りには熟して朱赤に色づくホオズキが目に入る。
秋の色が増えてきた。

   ほほづきのぽつんと赤くなりにけり (今井杏太郎)


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コチョウラン(胡蝶蘭) ~木漏れ日の草陰に~
- 2009/09/06(Sun) -
胡蝶蘭

木漏れ日が射し込む草陰に綺麗な白い花を見つけた。
草陰というのは正確ではないかも知れない。
そこは秋明菊、もみじ、杜鵑草、木賊、紫露草、そして水の中の燕子花と睡蓮などの中だ。
それらの葉の中に紛れるようにその顔がある。
ああ、胡蝶蘭だ。そう、胡蝶蘭が咲いている。
3月に咲いた花を鉢ごと、そこへおろしておいたのだった。
咲いているのはまだ一つだけだが、蕾がほかにもたくさん付いている。
なんとも懐かしい人に出会った、そんな嬉しさだ。
でも、なぜ今ごろなんだろう。
人のちっぽけな頭では想像できないとが多い。

身を容(い)るる葉陰あかるき九月かな (鷲谷七菜子)
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バラ(イントゥリーグ・Intrigue) ~夏の名残の薔薇~
- 2009/09/05(Sat) -
イントゥリーグ

少しずつ時間を遅らせて朝の光が届くようになった。
暗い中で起きる日課の私には、徐々に白々と景色が見えていく時の流れも季節を感じるひとときである。
一人そのしじまの中で文を書き、勤めの準備を済ませ、ラジオを付ける。
流れてきたのは心地よいバイオリンの調べ。曲は「夏の名残の薔薇」。演奏するのは松本蘭。
最後まで聞けなかったのは惜しい。
夏の名残…そう、もう夏は少し前のこと。

私の「夏の名残の薔薇」はと見に行けば、イントゥリーグが咲いている。これはワインレッドの薔薇。
Intrigueとは「人の好奇心(興味)をそそる」意、いい香りのする魅力的な薔薇だ。
そういえば昔よく聞いた歌に「ワインレッドの心」というのがあった。

色に香に心惑わせる名残薔薇 (文)
 
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