ケイトウ( cockscomb・ヤリゲイトウ) ~八月にさよなら~
- 2009/08/31(Mon) -
鶏頭

毎年のことだが、この時期にケイトウの赤い花序が並ぶように広がる。
その先が尖っているのでヤリゲイトウだろう。
こぼれ種からなのだが、とにかく揃って芽を出し揃って咲いてくれるのだ。
派手やかさはないが、ひと味違うその色や独特の形が目を楽しませる。
ところで、ケイトウを見るとき、その総体としての形で眺めるのでそれが一つの花だと思ってしまう。
しかし目をよくよく近づけると、それは小花が密集していることが分かる。
米粒のような小さなその一つを手に取ると花びらは5枚ある。
何事もそうだが、ものを見るとき、距離や視点を違えてみると、見えていなかったことが見えることがある。
あるいは、見ているようで見ていなかったことことに気づくことがある。
ものの本質を知るには、ただ単に見る、眺めるだけでなく、見入り、見つめ、見極めることが肝要なのだ。
今日で夏最後の暦となった。

鶏頭を三尺離れもの思ふ (細見綾子)

ケイトウ
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リコリス(Lycoris ・ヒガンバナ)
- 2009/08/30(Sun) -
りこりす

「葉知らず花知らず」のリコリスに今、葉はない。
地表からすーっと伸びた花茎の先端に花が外を向くように環状に咲く。
蝶の触角のような蕊が上に湾曲しながらいくつも伸びる。
上から見ると広がった花火のようで美しい。
昨日、初めて咲いているのに気づいた。ああもうその時期なのか。
この花が咲くと、視覚的にも「秋」を近くに感じるようになる。
しかし、同じ庭にはヒマワリ、ダリア、ルドベキア…とまだまだ夏の花がある。
目に映る私の周りでは夏と秋とが重なり合っている。

   打ち上げし花火のごとや赤リコリス (文)

リコリス
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カラスウリ(烏瓜・Japanese snake gourd)
- 2009/08/29(Sat) -
からすうり

なんとも不思議な形をしているのはカラスウリ、白い花びらの先は細長く糸状に裂けている。
どんな働き、どのような意味をもってこのような姿を作るのだうかとふと考えてしまう。
自然の造型というのは本当に豊かで深く、人間の創造性を遙かに超えるものがある。
そのデリケートな糸の花はもうすぐ秋という名とともに形を変え、赤い楕円形の果実となる。
薔薇に赤い蕾が付いている。烏瓜と対照的である。

   花見せてゆめのけしきや烏瓜 (阿波野青畝)

薔薇のつぼみ
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ハクサンフウロ ~南アルプスの花々~
- 2009/08/28(Fri) -
ハクサンフウロ

赤石山脈とも呼ばれる南アルプスは海底から隆起した山脈である。
太古の昔、遙か彼方の赤道付近から押し出され、ゆったりと持ち上げられてできた。
そしてまた、氷河期を経験した遺物を多く残している山でもある。
小仙丈と薮沢のカールやモレーンなどはその痕跡である。
そんな過酷な自然条件を持つ山にはまた、多くの高山植物が息づいている。
ハクサンフウロ(白山風露)はフウロソウ科のピンクの花。あのゲンノショウコと一緒の仲間。
シナノキンバイ(信濃金梅)は優しく可愛い黄色い花。
モミジカラマツ(紅葉唐松) は線香花火のよう。その白い花は雄しべの集まり、花びらはない。
ヨツバシオガマ( 四葉塩竃)は鮮やかな赤紫の唇形花。
トウヤクリンドウ(当薬竜胆)はまだ蕾であった。
事情有っての急ぎ足登山であったが…、またいつか登ることとしよう。

登山道右に左に花を見て (文)

シナノキンバイ

モミジカラマツ

ヨツバシオガマ

トウヤクリンドウ


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トリカブト(細葉鳥兜) ~一歩一歩山をも谷をも踏み越えよ~
- 2009/08/27(Thu) -
細葉鳥兜

「一歩一歩山をも谷をも踏み越えよ」(西尾実)との言葉を胸に抱きながら、山に登った。
仙丈ヶ岳(3033㍍)は南アルプスの女王、3年ぶりの山だ。

高山植物が好きな私にとっては、道々にある花々も登山の楽しみの一つだ。
ゴゼンタチバナ、カラマツソウ、チングルマ、ハクサンフウロ、チシマギキョウ、…。
薮沢周辺から馬の背にかけては綺麗な青紫色のホソバトリカブトがたくさん見られた。
上部が帽子のように突き出た花の形はまさに、舞楽の装束に用いる「鳥兜」のようだ。
鹿が大発生して多くの高山植物が食い荒らされているという。
しかし鳥兜だけは姿形そのままにあるのは、その強い毒性を彼らも知っているのだろう。
昆虫がやってきてその袋状の花芯に顔を寄せている。彼にとってどんな味、香りがするのだろう。

登りは大きなパーティーでゆっくり4時間半かけて登った。
翌日、どうしても外せない用事があって、一人で下った。
単独で山を下りるのは初めてであったが、2時間で北沢峠に着いた。
すぐに着替え、そのまま佐久まで車を走らせ重要な会議に出た。
3000㍍の大自然に囲まれた山から、一気に日常の喧喧とした世界に引き戻らされる。

入口と出口に高く鳥兜 (宇多喜代子)

鳥兜に虫
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シラヤマギク(白山菊) 
- 2009/08/26(Wed) -
シラヤマギク2

シラヤマギクが庭の片隅で咲いている。
その高さは1メートルほど。
小さな白い花びらのその数はばらばらである。
間が抜けたりの不揃いがまた何とも言えぬ野の味わいをもたらす。
その素朴さが私は好きである。
いつのころからかそこにあり、そこを住処としている。
我が家のその場所を気に入ってくれて有り難うと言いたくなる。

山菊の白も淋しき夏果てぬ (文)

シラヤマギク
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ハギ(白萩) ~ダリアと蝶と~
- 2009/08/25(Tue) -
しらはぎ

朝が寒い。
昨日は通勤の車に暖房を入れて走った。
涼しいを通り越して寒いのである。
ここ3日ばかり、当地では低温注意報が出ている。
まだ八月というのにだ。
白萩が咲く。
蟋蟀が鳴く。
いきなり季節が入れ替わる。
夏を名残惜しむ間も与えずに。
尾長揚羽蝶がやってきて、ゆらゆらゆらりとダリアに留まる。


くらくらと晩夏を壊れゆく蝶か (寺井谷子)
尾長揚羽蝶
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ユリ(タカサゴユリ・高砂百合)
- 2009/08/24(Mon) -
タカサゴユリ

大型の白いタカサゴユリが咲き出した。
背の高いのは2㍍を越している。
それは数年前、我が家に突然一株の花を咲かせた。
それが今では庭の至る所に顔を出している。
お隣さんにも同様にいくつも咲いている。
形は鉄砲百合に似ているが、花の大きさと背丈の高さにおいて大きく違う。
なによりの相違は、鉄砲百合のように花全体が純白というのでなく、赤紫の筋が見られることだ。
そして多くの百合が球根で増えるのに対し、これは種で繁殖する。
花として眺め楽しむならいいが、こうして今後も増えていくのかと思うと少し戸惑いも感じる。
百合根として食したら美味しかったと聞いたことがあるが、さてどうしたものだろう。

楠を彫り込んだ私の長い夏が終わった。鑿を置く。槌を置く。そしてまた新しい制作の想を練る。

鑿置きて暑き夏かな百合の花 (文)

高砂百合

タカサゴユリの蕾
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バラ(薔薇) ~薔薇は何も語らねど~
- 2009/08/23(Sun) -
ばら
 
薔薇は何も語らねど
吾は秘められた言の葉を知る
薔薇がそこにある当たり前に
吾はその思ひの深きを知る
薔薇の花びらのやはらかきに
吾は人の心の優しさを知る
薔薇は咲く
薔薇は語らぬ
薔薇はそこにある
時空を駆け抜ける物語が薔薇にあり
吾は薔薇に己の命の幸せを感ず

幸せは得るものでもない
幸せは作るものでもない
幸せは探すものでもない
幸せは感じるものである

   花びらの薔薇のかたちを守りけり (辻美奈子)

バラ
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アサガオ・ヒルガオ(morning glory・bindweed)
- 2009/08/22(Sat) -
アサガオ

夏になれば、こうして毎年朝顔が木々に絡みついて咲いてくれる。
我が家ではほとんど野生化していると言ってよい。
花の内側にはまるで星のような正五角形の模様。
水や空を思わせる色相が一服の涼感を与えてくれる。

隣ではやはり、他の草花に蔓を巻きけて昼顔も咲く。
こちらは爽やか色の淡いピンクの花だ。

ところで、これらヒルガオ科の中には、もう一つ夕方に咲く夜顔(moon flower)もあるという。
夜開草の名もあるというのだが、どんな花なのだろう。
機会があれば見たいものだ。

朝顔に故里思ふ海の色  (文)

ヒルガオ
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ペラルゴニウム・シドイデス
- 2009/08/21(Fri) -
シドイデス

この花の名前が「シドイデス」だと教えてもらったのは2年ほど前になる。
細く伸びた茎の先端がさらに分岐してそれぞれの花が開く。
舌の形のような小さな花びらが3枚4枚5枚とつつましい。
そしてなによりその濃い紫色が魅力的で美しい。
私のお気に入りの花である。
我が家のゼラニウムの仲間達も大分増えた。
これらはあまり手がかからないのがいい。

8月も下旬、虫の音も聞こえ始めた。
空にはうろこ雲、季節が入れ替わりつつある。

   うつくしき世をとりもどすうろこ雲 (鷹羽狩行)

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レンゲショウマ(蓮華升麻) ~心の平和~
- 2009/08/20(Thu) -
蓮華升麻

他の草花に囲まれて、ひっそりと咲くのは淡いすみれ色の蓮華升麻。
花の内側はまるでアメジストを思わせるような気品高い色合いのグラデーションとなり美しい。
その形もまた何とも言えない造型の妙を見せ、指輪にでも加工したくなるなどと思わせる。
大きさは径3.5cmほど、それはほぼ真下を向いて開く。
蕾は真ん丸でこれも可愛い。それがちょうどセレモニーでくす玉が割れるように開く。
そういえばアメジストは恋人を呼ぶ石といわれ、その石言葉は、誠実、心の平和。
こんな奥ゆかしい素敵な花を見ることのできる歓びを感謝する。
花は人を優しくさせ、人を穏やかにさせ、人に慈しみを覚えさせ、人に思いを深くさせる。

手のひらに蓮華升麻を乗せたき夏 (文)

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カネノナルキ(花月・dollar plant)
- 2009/08/19(Wed) -
カネノナルキ

「おや?」、この花の咲くのは冬ではなかったか。
そう思って去年の記録を捲ると、やはり12月の開花となっている。
カネノナルキ花月、真夏に真冬の花が咲く不思議。
最近、説明つかないことが色々と多い。

ところで「金が成る木」とは縁起のいい名がついたものだ。
打ち出の小槌のように金が増えていくなんて想像するだけで楽しくなる。
でも私は自らの労働の対価として得られる必要な分の金だけでいい。
テレビで授業料が払えない高校生とか、職を失った若者が炊き出しに並ぶ姿を見ると悲しい。
そんな世相を見ると、ほんとに困った人のところへ行く金を、生活保障、医療保障の金をと願う。
私は「平和の鐘が鳴る木」がほしい。

ぐるりからいとしがるゝ暑さかな (正岡子規) 

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サルスベリ(百日紅・猿滑)
- 2009/08/18(Tue) -
さるすべり93

鮮やか色のサルスベリが夏の強い日射しを受ける。
久しぶりの青空にその桃色がコントラストよく映える。
枝の先端に花弁に縮みを持つ花が群がって咲き、賑やかだ。
遠くから見ると木を染めるように、まとまって咲く姿はとても目を惹く。
また、目を近づけて見る一つひとつの花も、スカートのフリルを思わせるような美しい花である。
百日紅(ヒャクジツコウ)の漢名を持つようにその花期は長く、次々に咲いていく。
サルスベリは夏によく似合う花である。

  散れば咲き散れば咲きして百日紅 (千代女)

さるすべり71
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ゲンノショウコ(現の証拠)
- 2009/08/17(Mon) -
現の証拠

花の名前にはいろいろと面白いのがある。
ゲンノショウコもその中の一つといえよう。
薬草として、よく効くことから「現の証拠」と名づけられたという。
名のある花を薬草にしたのでなく、薬草にした花に名前が付いたのである。
ほかに「医者いらず」「医者殺し」の名があるというからその効能が分かる。
以前人に勧められて一度、乾燥したのを煎じて飲んだことがあるが、枯れ草の匂いがした。
花は白の五弁、花びらの中に赤紫の5本の脈があり、赤い雌蕊や青紫の雄蕊と相まって愛らしい。
花色は東日本に白、西日本では紅紫色が多いというが、私は白以外見たことがない。
見慣れぬ小さな昆虫がやってきた。
虫たちにも何かいい薬効があるのだろうか。

隣の木にイトトンボが留まった。
夏と秋が隣に座っている。

虫も来てげんのしょうこを口にする(文)
 
イトトンボ
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ニラ(韭の花)
- 2009/08/16(Sun) -
韮

群がり生える葉の中から伸びた花梗の頂に白い花が幾つもある。
それは小さな花が寄り集まり、まとまりとなって咲く。
この涼しげな花は韭の花。星形の楚々としたかわいい花だ。
あの蔬菜としての強い匂いのニラとはちょっと結びつかない。
それを挿すには、細い鶴首か釉掛していない蔓柄の花瓶がいい。
線香の香りの側に置く。

朝早く畑に出ると、肌をなでる風にも涼しさが感じられる。
赤とんぼが柚子の枝先に留まっている。
御仏も彼の地へと戻られ、田舎の賑わいにも静けさが戻る。
祈りの日々が過ぎ、色々を心に刻んで、残る夏を過ごす。

   風涼し葉を抽(ぬき)んで韮咲けり(文) 

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ガイラルディア(天人菊)  ~いつまでもいつも~
- 2009/08/15(Sat) -
ガイラルディア


花茎を長く伸ばしたガイラルディアが風に揺れる。
赤褐色を内側にして、外環が黄色い覆輪の花。
一輪ずつはそれほど目を惹くわけではない。
たくさんまとまって咲くところがこの花の魅力だ。
性質は強く、よく増え、至る所で株となって咲いている。
地味で野趣あるそんな花の上に蜜蜂もやってくる。
花に遊ぶ昆虫などを見ていると、ついつい心も和む。

昭和20年夏の夜明け、喜界島からは多くの若者が沖縄向け飛行機で飛び立った。
島の娘達は彼ら特攻隊員に花を手渡し見送った。
花を道連れにするのは忍びないのか、ある者は窓から落とし、ある者は滑走路にそっと置いたという。
娘の祈りと決意の若者を繋いだ花は「天人菊」、ガイラルディアであった。
「お母さん」と叫びながら搭乗していく若者達は、程なくして「天人」になった。
今、その島では当時のままにその花が咲き続けているという。
『特攻花』という名もあるという、そんな悲しい歴史を伝える花である。

久しぶりに夏の日射しが戻ってきた盆の日、テレビでは沖縄戦の記録映像が流れていた。

   いつまでもいつも八月十五日 (綾部仁喜)

ガイラルディアと蜂
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マツバギク(松葉菊)  ~心を鎮める~
- 2009/08/14(Fri) -
マツバギク

しみじみと両手を合わせた形を見た。
二等辺三角形の美しい形だ。
まさしく祈りの形である。鎮めの形である。
仏と心が繋がる形である。

供物の中に父の笑顔がある。
花と盆栽の好きな父だった。
いつしか私も花とともに生活するようになっていた。
脈々として父の心が私に流れている。

父を迎える門ではマツバギクがカーペットのように咲き乱れている。
梨(幸水)はあと一週間もすれば収穫できそうである。
少し早いが、一つ採って父にも食べてもらおう。

御仏はさびしき盆とおぼすらん(一茶)
いつまでも笑顔のままに盆の父 (文)

マツバギク

梨 幸水
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キバナコスモス(黄花秋桜)  ~人は天気が悪いと言う~
- 2009/08/13(Thu) -
黄花秋桜

何年かぶりに『ロダンの言葉』(高村光太郎訳)を紐解いた。
ページの中にいくつも引かれた線は私の学生時代の生きた証だ。
だいぶ色褪せてきたが未だに手放せないでいる。
ロダンは彫刻のみならず自然についても多くのことを語っている。
 小さな花弁が開く。愛の神の翼のように爽やかだ。
 花はその小さな手を太陽に向かってさしのべる。
 花の美しさ。われらの動勢のように彼らの動勢もその思想を表現する。
 この小さな葉や花が皆君を見ている。
そして次のように述べる。
 人は天気が悪いと言う。それに就いてわれわれは何を知っているのか。
 判断するなら全体に就いてせねばならぬ。
 会得するまで待つ忍耐を持ちなさい。

このところ、自然のエネルギーについて考えさせられるできごとがあまりにも多い。
叡智を集め遙かな宇宙へ行けるといえども、自然の前では人間は小さい存在である。

庭では黄花秋桜が咲く。
私はジャガイモを掘る。

胡桃の葉はらり一枚秋隣り (文)  

ジャガイモ
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キク(セザンヌ)  ~秋菊有佳色~
- 2009/08/12(Wed) -
キク セザンヌ

菊の中でいつも先陣を切って咲くがこの「セザンヌ」という名のスプレーギクである。
花火を思わせるような臙脂色の花びらは輪郭を白く染める。
それはヤツデの下、他の草花に紛れるようにひっそりと。

陶淵明に「秋菊有佳色」の詩がある。学生の頃読んだ本だ。
 秋菊佳色有り
 露に裛(うるほ)ひて其の英(はな)を掇(と)る
 此の忘憂の物に汎(う)かべて
 我が遺世の情を遠くす
   (以下略)    集英社中国詩人選「陶淵明」星川清孝著より
彼が見た佳色の菊とはどんな色だったのだろうなどと想像する。
盃にその花を一つ二つ浮かべて香りを楽しみつつ、菊酒に酔ったに違いない。
五柳先生が酔えばまた口滑らかに、叙情抒景が詩になり歌になる。

    菊咲けり陶淵明の菊咲けり (山口青邨)

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ハギ(萩・Japanese bush clover) ~風に雨にうなずく~
- 2009/08/11(Tue) -
ハギ

雨が続くと思えば、今度は台風だという。
さても今年の夏はどこへ行ったのだろう。
こんな年、秋の訪れも早いのだろうか。
風や草木にもその気配が少しずつ感じられる。
萩が咲き、モミジまでもが色づく。
そういえば、アシナガなどの狩蜂を見ない。
毎年2~3回刺されるのだが。
代わってイラガに刺され、これは痛かった。

そんな雨降る外を眺めながら、堀口大学の「自らに」という4行詩を思い出していた。
雨の日は雨を愛さう。
風の日は風を好まう。
晴れた日は散歩をしよう。
貧しくば心に富まう。
  
  風立つや風にうなずく萩その他 (楠本憲吉)

萩

もみじ
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ダリア(dahlia・天竺牡丹・浦島草)
- 2009/08/10(Mon) -
だりあ

ダリアは江戸末期に日本にやってきた当時、「天竺牡丹」と呼ばれたという。
また別名「浦島草」はその花期が長いことから浦島太郎の長寿に因んで名づけられたと花の本にある。
確かに庭のダリアも咲き出してからだいぶ経つが、さらに多くの蕾を持っている。
背丈は50㎝から私の身長ほどまでと種類も様々のものが10株ほどある。
それらを剪って、とりどりに合わせ部屋に飾る。
色も形も花持ちもよしの、切り花としてとても重宝の花である。

千万年後の恋人へダリア剪る (三橋鷹女)

ダリア

黄色だりあ

赤色ダリア

だりあ
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ヘクソカズラ(屁糞蔓)
- 2009/08/09(Sun) -
へくそかずら

木槿(ムクゲ)に蔓を絡みつけているのはヘクソカズラ。
伸びた蔓の節々で多数の小さな花が集まって咲く。
一つひとつは5裂の筒状をした可愛い花である。
白い花の中心部が赤紫色なのは木槿の色作りと同じだ。
大小の紅白花が並ぶ姿がほほえましい。
ヘクソカズラ、屁糞蔓…声にしても書いても印象が良くない。
さらにはヘクサカズラ(屁臭蔓)の名もあるという。
こんなに愛らしい花なのに、なんとも不憫ではないか。
少し書物をあたっていると、「乙女蔓、早乙女花ともいう」とあり、ほっとする。

   乙女顔にへくそかずらとは憐れかな(文)

ヘクソカズラ

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ヤマブキ(山吹) ~秋立ちぬと蜩は鳴く~
- 2009/08/08(Sat) -
返り咲き八重ヤマブキ

天候があまりにも不順である。
お日様の顔がなかなか拝めない。
起きた朝は曇りで安心していると、突如としてスコールのような雨になる。
あるいは霧雨かと思えばしとしとの雨に変わり、そしてそのまま一日降り続く。
時には急に空が黒くなり、強い風を伴って木々の枝葉を落としていく。
こうして8月に入っても尚、夏が一向に見えてこない。
庭の草花や畑の野菜を見てもいつもと違う光景が目に映る。
たとえば、ヤマブキが至る所で咲いている。
それは二度咲き、返り咲き、狂い咲き。
モミジの中にはすでに色づき始めているのもある。
こんなに涼しくていいのだろうか。
「夏」が欲しいなどと思っていると、よく考えれば昨日は「立秋」だった。
この頃、季節が時折季節らしくなくなる。
蜩の鳴く声も、どこか淋しげだ。

    立秋と聞けば心も添ふ如く (稲畑汀子)

返り咲き星咲きヤマブキ


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ムラサキシキブ(紫式部) 
- 2009/08/07(Fri) -
ムラサキシキブ

ムラサキシキブは見逃しそうなくらいの小さな花だ。
それが寄り集まっ一つのてかたまりとなっているのだが、それでも目立たない。
4裂した花冠からは黄色い頭のおしべと白い頭のめしべがつき出ているのが見える。
そこへミツバチがやってきた。
彼が乗っかると、花全体が覆われて仕舞うほどになる。
こんな小さな花からも蜜を集めるのかと感心する。
桃色の可愛い花は、秋にはさらに色を濃くして紫色の艶やかな丸い実に変わる。
そして今、蜂がせっせと働く花は、今度はたわわな実となって鳥達を呼び、その嘴を楽しませることになる。

うち綴り紫式部こほれける  (後藤夜半)

蜂とムラサキシキブ
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ヒマワリ(向日葵・sunflower)
- 2009/08/06(Thu) -
向日葵

今年はヒマワリの種を蒔くのがいつもより遅かった。
夏に間に合うのかと少し心配もしたが、今は元気な立ち姿を見せてくれている。
山本健吉はヒマワリをおよそ次のように解説し述べている。
 「別名に日車(ヒグルマ)、日輪草(ニチリンソウ)、天蓋花(テンガイカ)、日向葵(ヒュウガアオイ)がある。
 盛夏、太陽の炎のような鮮烈な黄色の舌状花を付けて、大輪の頭状花を横向きに開く。
 それを黄金日車(こがねひぐるま)と名づけたのは与謝野晶子の造語である。
 積極性、向日性に富んだ性質、外観を持つ点で、関心を集め多くの詩歌に詠まれる。」
英名ではsunflower、「太陽の姿に似た花」とはまさにその花を言い得ている。

私はヒマワリというと幾つか思い出すことがあるが、その一つがゴッホとヒマワリだ。
その作品「ヒマワリ」も実際に何度か見た。滝沢修が演じる劇団民藝「炎の人」も見た。ザッキンの彫刻「炎の画家」も見た。
若い頃、その貧困の境遇の中で燃える情熱を持って描き続けた狂気の画家に惹かれるものがあった。
彼は好んでヒマワリを描いた。多くは丸みを帯びた広口の花瓶に挿してある構図だ。
なぜ彼はヒマワリだったのだろう。その鮮烈な黄色は、彼の不安定な激情を表すに必要な色だったかも知れない。
彼自身のユートピアの象徴であったと言う人もいる。

いずれにしても、多くの人の心を惹きつける花である。

向日葵がすきで狂ひて死にし画家 (高浜虚子)

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ゲッカビジン(月下美人・女王花) 
- 2009/08/05(Wed) -
月下美人

昨日の朝、その予感はした。
庭に置いてある月下美人の蕾を見たときである。
膨らんだその先がほんの少しだけ反り返り始めていた。
私には彼女のデリケートな内なる力が見えた気がする。
今日か、遅くとも明日にはきっと開く。
彼女とのこれまでの長い付き合いの中での直感だ。
仕事を終え、夕刻に家に戻りもう一度見る。
朝より蕾の先端に隙間ができている。
確信した。咲く日は今日だと。
急いで部屋に入れる。もちろんのこと、大事にそっと優しくである。
夕食を済ませ、本を読みながらその時を待つ。
午後8時30分、蕾から芳香が広がりはじめる。
それからというものはまるでスローモーションの映像を見るかのように花は形を変えていく。
開くにつれて香りが部屋に満ちていく。
時計の針は10時を回る。
いつしか眠いのも忘れて、私は彼女のワンマンショーに見とれる。
11時30分、ほぼ全開となる。
そろそろ一夜だけのステージは終幕を迎える。
外に出て空を見上げると、そこには満月があった。

女王花咲く夜空には盈(み)ちの月  (文)

月下美人開花

月下美人開花中

月下美人の花芯


 
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キレンゲショウマ(黄蓮華升麻)
- 2009/08/04(Tue) -
キレンゲショウマ

朝早いテレビは自然の風景や山々、そして動植物などの映像を流す。
昨日はキレンゲショウマが紹介されていた。
黄色の美しい筒状花が映し出され、ナレーターは次のように語る。
「キレンゲショウマは明治期に四国で発見された高山植物です」と。
そうだ、家にもキレンゲショウマが…。
見に行くと、花と蕾に加え、すでに花びらを失ったのもあった。  
先夜の強い雨が散らしたのだろう。
花はややうつむき加減に横を向いて咲くため、その花芯を見るには少し顔を見上げるようにする。
蕾の形もいいし、花びらをなくした後の姿も可愛い。
石榴の木の下、緑蔭で静かに咲いている。

緑蔭をよろこびの影すぎしのみ (飯田龍太)

きれんげしょうま

 
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セイヨウフヨウ(西洋芙蓉) 
- 2009/08/03(Mon) -
セイヨウフヨウ

セイヨウフヨウは朝の早いうちに咲き出す。
ちょうど太陽が山から顔を出して日射しを届ける東を向いてある。
花びらの縁取りは全体に丸みを帯び、縦にいくつもの筋を持つ。
蕊の形なども含め、その花容はハイビスカスにも似る。
このふわりとした姿を見ることができるのは一日だけである。
咲く花の横にはたくさんの蕾が生まれている。
日ごとに花は萎み、日ごとに蕾は開く。

   枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな (芭蕉)

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ユリ(オリエンタルリリー「ソルボンヌ」)
- 2009/08/02(Sun) -
ソルボンヌ

このピンクの百合は「ソルボンヌ」という。
カサブランカよりやや小さいが、それでも掌を広げても余る。
タグには次のように書いてある。
「夏の西日に照らされる場所は避ける。半日陰で水はけの良い場所がいい。」
どれも、満たしていないところに植えてある。
秋に堀上げて、そんな場所に移してやろう。

八月のスタートも雨である。
これだけ降り続くと花や野菜にとっても根腐れなどをきたしそうである。
なによりも日照不足による発育障害が心配となる。
太陽がさんさんと照って、地面に濃い影を作るのがこの時期なのだが。

雨蛙にとっては嬉しいのかもしれない。

   青蛙ぱつちり金の瞼かな (川端茅舎)

雨蛙・ソルボンヌ
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ハイビスカス(ブッソウゲ・hibiscus)
- 2009/08/01(Sat) -
ブッソウゲ

この南国を思わせるような鮮やか色のハイビスカスは確かレッドスターという名だった。
赤い5弁の花びらは、フラメンコダンサーのスカートのようにひらひらと襞を持つ。
にゅーっと伸びた柱頭の先は小さな円を作って5つに分かれ、すぐ下にはたくさんの黄色い雄蘂がある。
なんとも情熱的で魅惑的な女性を思わせる花だ。
例えば、小麦色した「南沙織」の長い黒髪に似合う花である。

私はこの花を小さい頃より仏桑華と呼んでいた。今でもその方が馴染む。
漏斗状の花を口にして甘い汁を吸った記憶が甦り、日焼けした少年の頃の原風景が浮かんでくる。

石の垣越えて広がりし赤花(あかばな)を口に一つの灼けし少年  (文)
 
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