
エゴンシーレの描く「カール・グリュンヴァルトの肖像」(1917年)である。
彼は両手を組み、見上げるように斜めに視線を送る。
微笑んでいるようにも見えるしそうでもないようにも見える。その表情は定かには捉えられない。
彼の視線の先には何があり、誰を見つめるのか、見る者に不安と哀感を伴った情感的視覚をもたらす。
椅子以外のものを確かめることのできない朦朧とした空間の中に彼は浮かび上がる。
両腕を肘掛けに置いているように見えるが、人物以外の背景はその輪郭を詳らかにしない。
黒い輪郭線を持つ人物、骨格の一部に朱を施す描写、質感を強調するかのような混ざり合った陰鬱な色彩。
心理的側面をデフォルメする独特なスタイルで描かれた晩年の特徴を示す作品である。
人の心の奥に内在する鬱屈とした感情、決して表に出してはならない内的混沌をあからさまに描くシーレ。
アカデミックに逆らい、不道徳的テーマを描き、人の求める美とは逆行するかのような表現にこだわる。
しかし、当時の美術界において「我が道を行く」異端の若き画家は非難と批判の渦の中で少しずつ居場所を築いていく。
そして1918年、個展で成功を収め画家としてその地位を確立した矢先、彼に訪れたのは忌まわしい運命。
それはヨーロッパ全土にパンデミックを起こした新型インフルエンザ。
数千万人が死亡したと言われる、いわゆる「スペイン風邪」である。
妊娠6ヶ月の妻エディットが先に冒され、シーレの腕に抱かれて死去する。
そしてその3日後、強烈な感染力はシーレにも容赦なく襲いかかり、若い命をいとも簡単に奪い去る。
享年28歳、独自の絵画言語を操り旧習に真っ向から立ち向かった反逆児は、激情と相克と苦悩の作品を残し帰らぬ地へ行く。
もし彼が長生きしていたらなどという仮定は無意味である。彼はその時を全力で駆け抜け、力尽きたといえよう。
エゴンシーレの命を奪った「新型インフルエンザ」は当時の日本においても38万人が犠牲になったと記録されている。
都立美術館で「日本の美術館名品展」を見たその週末、上野公園の周辺でもマスク姿の人が目立った。
エゴンシーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」(豊田市美術館蔵) 『日本の美術館名品展』(東京都立美術館)