クジャクサボテン(孔雀仙人掌)
- 2009/06/30(Tue) -
孔雀仙人掌

蕾がだいぶ膨らんできたので、もうそろそろだろうと思って楽しみにしていた。
昨日、それは見事な姿に形を変えて私を迎えてくれた。
花びらに配られる色の妙、そしてそこに構成される造形美。
さらに中から伸びる蕊もまたこの花の美しさを一層引き立てる
きわめて濃厚な甘い香りも魅力的な花だ。
仙人掌の仲間はどうしてこうも美しいのだろう。

字の如く仙人掌の花に隙もなく (文) 

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テッポウユリ(鉄砲百合・white trumpet lily)
- 2009/06/29(Mon) -
鉄砲百合

鉄砲百合にはどこか懐かしさを覚える。
私にとってはそれは野の花、目映い日射しの中に溢れるように咲いていた。
麦藁帽子を被り、その中を遊び歩いた少年の頃の記憶が甦ってくる。
純白でシンプルならっぱの形。蕊から漂う仄かな芳香。
何も足さず、何も引かないあるだけの美しさ。
まさにピュアな百合である。

百合の香を深く吸ふさへいのちかな (村越化石)

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ヤマアジサイ(クレナイ・山紫陽花「紅」 )
- 2009/06/28(Sun) -
クレナイアジサイ

初めは白、そして少しずつ色を獲得していく。
白の縁がピンクに染まり、最後は全てが真紅になる。
徐々に色の変化が見て取れ、その色変わりが楽しい。
昨日より今日、今日より明日とその色が濃くなりゆく様に毎朝の目が惹きつけられる。
装飾花は多くの山紫陽花がそうであるようにとても小さくて可愛い。
萼片は3枚あるいは4枚と不規則である。
葉にも部分的に赤みがあるのは、花のその色が出ているのだろうか、
この「紅」、今から30年程前にここ南信州伊那谷の山地「小川時峠」で発見された花である。

   紫陽花の末一色となりにけり (一茶)

くれないあじさい

紅紫陽花
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カラー(阿蘭陀海芋・ calla )
- 2009/06/27(Sat) -
カラー

白いカラーが開いた。
3月に10個ほどの球根を植えたもののひとつだ。
他に咲いているのは赤とピンク。
黄色やオレンジ、紫も楽しみである。

オランダカイウの和名は江戸末期に渡来した折り、オランダから来たイモを意味して名づけられたという。
カラーは水芭蕉にも似た仏焔苞のふんわり感が何とも言えぬ。
その苞に包まれて中から黄色く伸びるのが本来の花だという。
白い斑点を持つ葉も美しい。

アジサイにヤゴから羽化したオニヤンマがあった。
生まれたばかりの羽はあまりにも弱々しく透き通っていた。

  蜻蛉の力をぬいて葉先かな (粟津松彩子)

ヤゴからの羽化
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ツクシカラマツソウ(筑紫唐松草)
- 2009/06/26(Fri) -
ツクシカラマツソウ

その昔、暑い夏の夜には家族や兄弟や友達などと花火を楽しんだものだ。
灯りを消した庭先で、音を立てて広がる目映い花火の色と形をみんなで囲む。
線香花火では、同時に火を点けては誰が一番最後まで花を散らせるかを競ったりもした。
先っぽにできる小さな丸い玉をいかに落とさないように揺らさずに持つことがポイントだった。
そんな夏の夜のひとときは一人ひとりに共有され、心のアルバムに色褪せぬ写真として残っているのだと思う。
今はもう線香花火などする楽しみや団欒などより、デジタルでハイテクの個の遊びの世界なのだろう。
線香花火のようなツクシカラマツソウを眺めていて、ふとそんなことを考えていた。

昨日、今年初めて蝉の鳴き声を聞く。

   初蝉の生まれし穴を哀れと思う (文)

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キョウガノコ(京鹿子)
- 2009/06/25(Thu) -
キョウガノコ

これは「京鹿子」と美しい文字を持つ花。
淡紅色の小さな花が集まって咲く姿はシモツケ、あるいはシモツケソウによく似ている。
里山の路傍で咲いていそうな野趣あふれる楚々とした花である。
日本原産とあり、京の名を冠するところから京都に縁のある花かと思ったがそうではなかった。
実際のところは小さなその花序を京染めの鹿の子紋に見立てたもののに因るとある。
そんな花を見ると「野に咲く花のように風に吹かれて~」と、昔流行した歌を思い出したりする。
歌は続く。「人をさわやかにして~」…。

日が差せば命のいろに京鹿子 (小松崎爽青)

京鹿子

 
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タチアオイ(立葵・蜀葵) ~雨の中で咲く~
- 2009/06/24(Wed) -
立葵

もうだいぶ前にラジオで聞いた話である。
広島のある通りではこの時期、何㎞かに渡ってタチアオイが咲き連なるという。
ある高齢の老人が一人で植え始め、今では町全体の通りを見事に彩っているという。
件のその方はさらに90の齢を越えても植え続けているとのことであった。
ひとつの継続は環境をも変える力を持っていること、人は若さで輝くのではなく「生き方」で輝くことを教えてくれる。
ところでタチアオイは、咲き始めて入梅となり、終わる頃梅雨が明けるので梅雨葵とも呼ばれると聞く。
この時期花序を上に伸ばし、すくっと立ち上がって咲く姿は一際目立つ。
我が家のはビロード様の黒に近い紫色している。
雨に濡れ、その色は一段と冴えて深まる。

そばの杏はもう熟しきっている。雨の中、全てを穫って籠に入れ、早速食べた。

     ひともとの葵咲き次楽しけれ (日野草城)

アンズ
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クチナシ(梔子・山梔子・口無) ~「私は幸せ者」~
- 2009/06/23(Tue) -
クチナシ

庭の花々を眺め、見つめる中で花にまつわる多くの言葉を知るようになった。
遠い万葉の頃から一つの花に寄せて、愛する人に伝える深い思いや物語にも触れることができた。
日本人の繊細な感性が花の名には込められていることが多い。
「『くちなし』は果実が熟しても裂開しないので「口無」と呼ばれる」と書で知ったのも最近のことである。
また、将棋盤や碁盤の脚がクチナシの実をかたどっているのは、〈口無し〉にて熟考することから来るともある。
なるほど、なるほどと比喩の巧みや掛け言葉の妙に古人の情緒の豊かさを感じ入る。

クチナシは香りの強い雪のような真っ白な花である。

花言葉は「私は幸せ者」「とても幸せです」とある。その意味も知りたいと思ったりする。

 今朝咲きし山梔子の又白きこと (星野立子)
 
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コマクサ(駒草) ~山野草の庭~
- 2009/06/22(Mon) -
コマクサ

「こまくさ」の名を初めて聞いたのは大学に入ってからである。
その大学ではなにかにつけ冠に「こまくさ」の名が付いていたが、その意味についてはよく知らなかった。
私は入っていなかったが、学生寮も「こまくさ寮」であった。
それが高山植物であることを知ったのはそれからずっと後のことである。
山の女王と呼ばれる花であることも、自分が山に登るようになってからのことだ。

薄いピンク色の可愛い花である。
基部はハートの形をして平たく、中心からは距が伸びる。
その両脇の花びらはそのハートに触れるように反転して反り返る。
名はその形を「駒」(馬)の顔に見たてたことに因るというが、なるほど、長い馬顔に似てないこともない。
本来は高山の強い風が吹き付ける岩場の砂礫に咲く花、今それは私の「山野草の庭」にある。

 霧よせて駒草紅を失したり (河合薫泉)
 
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ヒメシャラ(姫沙羅) ~雨の父の日~
- 2009/06/21(Sun) -
姫沙羅

この白い5弁は姫沙羅の花。
曇り空を背に透き通るような花びらがまた美しい。
優しく楚々とした情趣の花である。
これは釉を乗せない、濃い土の一輪挿しにあるのが似合う。
昨日の朝、畑仕事の鍬を休めて見上げたとき、咲いているのをはじめて知った。
時折、花が咲いているのを見逃してしまうことがある。
ところで、この時期に咲く花木には白が多いのはなぜだろう。

久しぶりの雨だ。強く降っている。
今日は夏至、そして父の日。
一枝の黄色い薔薇を剪って写真の父に見せよう。

空白と同じ父の日雨つづき (日向野花郷)

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シモツケ(下野・繡線菊) ~カッコーの声を~
- 2009/06/20(Sat) -
シモツケ

仕事が予定より早めに終わったため、久しぶりに落陽前に帰宅した。
少しでも畑仕事をしようと、着替えて外に出る。
ニガウリ、キュウリの誘引。インゲン、ピーマン、レタス、ケルンを収穫。
ズッキーニ、オクラ、トマト、モロヘイヤ、二十日大根…水遣り。
ナス、サトイモ、ミョウガ、ショウガ、ツルムラサキ、エダマメ…順調だ。
近くの林で郭公が鳴いている。一人時間が癒される。
オニヤンマがヤゴから出ているのを見つけた。羽はまだ柔らかい。そっと草むらに置く。

庭の一角にはシモツケ、5㎜ほどの小さな淡紅色の5弁の花だ。
極細の糸のようなたくさんの雄蘂が花を飛び出る。
花は散房状に集まり、むらがり咲く。
まだ咲き始めだが、秋の声を聞く頃まで咲いてくれることと思う。
もともとは下野の国栃木県で、その自生が発見されたことにその名は因む。
私は近くの山で野生の株を見たことがある。それはその景色にしっかりと馴染んでいた。
また、少し前には白花があるのも知った。紅白で庭にあるのもいいなと思ったがまだ実現していない。
「繡線菊」と書くなど、それは歌を呼び込むようで美しい。

 後の日に知る繍線菊の名のやさし  (山口誓子)

しもつけ
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キハギ(朝鮮木萩) ~色仄かの姿ありて~
- 2009/06/19(Fri) -
きはぎ

朝鮮木萩は叢生して大きな株になる。
人の背丈ほどの落葉低木で、秋には葉を黄色く染め、その後全てを落とす。
家の渋柿の下を取り囲むように、あるいは道沿いの屏を飛び越えるようにある。
「木萩」とあるように一般的な「萩」とは異なり、別種である。
咲くのがこの夏の時期であること、そして「木本」であることなどの違いがある。
多くの「萩」が秋に咲き、そしてその後地上部を失う「草本」との違いでもある。
マメ科特有の形をした美しい紅紫の花が花穂の下部から徐々に咲いていく。
咲き始めたのは五月の終わり頃からだっただろうか、その花期も七月過ぎまでと長いのも嬉しい。

  梅雨晴れに紅色仄か木萩揺れ (文)

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カキ(kaki・Japanese persimmon) ~富有柿の花~
- 2009/06/18(Thu) -
富有柿の花

大きな葉のわきから乳黄色の柿の花が覗く。
しかしそれが花だと気づく人は少ない。
柿の実に見られる独特の大きな緑色の萼はすでにこの時点で形成されている。
花冠は4裂し、造形された深皿のようにその先を巻いて反り返らせる。
中からは小さな蕊達が顔を出す。
それからしばらくして今、それはすでにあの四角を帯びた実に姿を変えた。
今年の実の付き具合はよく、秋の収穫が楽しみである。
自然に落下しているのもあるが、込み入ったところは摘果してその成長を手助けする。
ところで、ランダムハウスにはkakiとして項が掲げられ、横にJapanese persimmonとある。
どうやら英語でもkakiとして通用するようだ。

   柿の花こぼれて久し石の上 (高浜虚子)

富有柿の実
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カスミソウ(宿根霞草)~六月の風にそよぐ ~
- 2009/06/17(Wed) -
カスミソウ

今まさに名の如き姿の霞草、その幅は数メートルにもなる。
宿根草ゆえ、このように毎年同じ場所にふんわりと咲いてくれる。
花は薄紅色の八重、夥しいほどの清楚な小花で埋め尽くされる。
時折、四方に広がる枝を根元から剪り取って、口広の大きな器に入れる。
そう、活けるというより、ただどばっと挿して入れるという感じである。
部屋が一気に明るくなり優しい雰囲気に包まれる。他に何も混ぜない。
ブーケや花束ではバラなどをや引き立たせる脇役になりがちの霞草だが、主役としても充分存在する。
花言葉は『深い思いやり』、そして英名では babys breath、赤ちゃんの寝息という可愛い心安らぐ名がある。
そんな、無垢で深い思いやりをもって生きていければと思うのだが…。

梅雨晴間風にそよぎし霞草 (文)
 
霞草

かすみそう
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ドクダミ(十薬・蕺菜)~八重咲きのどくだみ~
- 2009/06/16(Tue) -
ドクダミ

八重の十薬が梅や椿の緑陰で広がり咲いている。
輻輳して重なり合うというのでなくどちらかというと段階状の八重である。
濃緑色のハートの葉の中に純白な花が控えめに乗る。
控えめに…、そうこの十薬の花には控えめという形容の語が合う。
花に見えるのは苞、そのことはその一部が緑色に染まっていることでも分かる。
中心から穂状に密生して、花芯のようにも見える黄色く伸びるのが本来の花である。
十薬(じゅうやく)、毒矯(どくだめ)とあるように、それは毒を矯め(止め)、薬効が多いことからその名がついたと記される。
特異な臭気を持つことから苦手な人も多く、「ドクダミ」という響きも何か損をしている気がする。
花はこんなに可愛いのに。

  どくだみの香にたつ土の薄暑かな (西島麦南)

どくだみ
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サルナシ(猿梨・コクワ)
- 2009/06/15(Mon) -
サルナシ

花から実へとそれぞれの木が添える形も変わりつつある。
サルナシも少し前までは黄色味がかった可愛い花をたくさん付けていた。
今は小さな広楕円形の実が鈴なりとなっている。
名の由来はサルが食用にするということに因み、ほかにも熊などの野生動物の好物だという。
小動物などが実を求めて家にもやって来ると嬉しいが、今のところ見たことはない。
実はキウィフルーツの小型版といった感じで無毛の緑色をする。
味も少し酸味ある甘みを持ち、キウィフルーツに似て生食しても美味である
蔓はかなり伸びるが、私は手の届く程度に抑えて収穫できるようにしている。

杏、桃、李、梅はそろそろ収穫時期だ。
梨、林檎はだいぶ大きくなった。
そんな実の姿に出会うことができる六月である。

しみじみと見てこくわの艶の面かな (文)

さるなしのみ実

 
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『展』 ~その時々の初心~
- 2009/06/14(Sun) -
展

折々に書いたノートを開いてみる。

山本常朝は「只今が其時、其時が只今」といって、其の時々の一時、一瞬が大事であり、其の時々が自分の未来の道につながっていると説く。
小さく些細なことであっても、其の時々のなすべき事や判断を疎かにしてはならないと述べている。
人は誰でも明日を夢見、将来に希望を抱く。
しかし、「明日とは、実は今日という一日の中にある」(亀井勝一郎)のだから、もっと足下を見つめて着実に過ごしていくことが大切である。
「汝を高むるものは、汝自身の中にあり」(阿部次郎『三太郎の日記』)、「今日まで自分を導いてきた力は、明日も自分を導いてくれるだろう」(島崎藤村)。

心に残る言葉をこうして書き留め、自分の頭で咀嚼してファイルしておく。

彫刻を始めた私の初心、碌山、光太郎の彫刻を目指したあの時。
今の自分の制作は果たしてどうだろうか。土を握り、鑿を取る手に以前のような情熱があるだろうか。
「思邪なき心」で制作することを大事にした「無心」は何処にいったか。
表現の原点に戻ってみよう。
自分の作品を見直す。『展』というタイトルである。
少しでも自分を高めるように「展開」をしようと。
小さな一歩を踏み出そうと。

六月のゆふべや肩に道具箱 (山口誓子)  

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アジサイ(柏葉紫陽花) ~ことばのあや~
- 2009/06/13(Sat) -
柏葉紫陽花

雨の季節、そのしじまに雨の辞を引く。
遣らずの雨、心の雨、漫(そぞ)ろ雨、一味の雨、袖笠(そでがさ)雨、涙の雨、私(わたくし)雨、肘(ひじ)雨…
横方(よこざま)雨、繁(しば)雨、法(のり)の雨、地雨、小糠(こぬか)雨、しぶき雨、丑(うし)雨…
木の葉の雨、若葉雨、柴榑(しばくれ)雨、時知る雨、花の雨、紅(くれない)の雨、水取り雨、時の雨、…
まだまだ続く。
雨を見て昔の人は感性豊かに言葉を作った。
雨の一つひとつに思いを込めた。
雨に寄せて心を伝えた。
雨は物語を作り情感を深くする。
雨は美しい絵を描き、雨は女人の歌となる。
そして雨は「ちひろ」の絵本となる。
一つの言葉は長い小説にも負けぬ不思議な力を宿す。 

柏葉紫陽花が咲いた。

紫陽花にことばのあやの如きもの (岬雪夫)

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ギガンチューム(Allium giganteum)
- 2009/06/12(Fri) -
ギガンチウム

ギガンチウムの草丈はおよそ私の肩くらいになる。
4月、大きな葉が横に広がり出てきた。
中心から茎が伸び、太さと高さを増していく。
その先にネギ坊主のお化けのような大きな玉ができる。
ぐんぐん伸び、周りの草花をあっという間に追い越す。
そしてその包みを解いた中からたくさんの小花が開く。
濃藤色の散形花序の径は15cmほど、酒屋の杉玉にも似る。
中の小花はおよそ2000輪以上と、まあまあこんなによくもたくさん、仲良く集まってと感心する。
ネギやタマネギ、ニンニク、ニラなどと同じユリ科の植物で、イランが原産の花だという。
最近ネギ坊主とチャイブを天麩羅にして食べた。なかなかいけた。
しかしさすがにこれは天麩羅には無理である。

  六月の万華鏡の如く花に会う (文)

ギガンチウム部分

ギガンチウムの蕾
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スイカズラ(吸葛・忍冬・金銀花)
- 2009/06/11(Thu) -
スイカズラ

スイカズラが木々に絡みついている。
近づくと甘い香りが広がる。
花は対をなして2個ずつ仲良く咲く。
花色の初めは白、そして黄色、さらに色を濃くしていく。
そんな色を違えた花が蔓の広がり添って見られる。
花びらは5枚、上に反り返る4枚は合着し、1枚だけが下に向かって伸びる。
その筒状の花の中から、雄蘂が5本と1本の雌蕊が突き出す。
花冠の奥には蜜があり、吸うと甘い味がすることからその名の由来がある。
別名に忍冬の名があるが、それは冬でも葉が緑のまま落ちないことによる名付けのようである。
花言葉は「愛の絆」「献身的な愛」。
 
  忍冬の花のこぼせる言葉かな (後藤比奈夫)

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バラ(ブライダルピンク) ~複芯のバラ~
- 2009/06/10(Wed) -
ブライダルピンク

花の芯がダブルのバラが咲いた。
寄り添うような二つの芯。
このバラの名はブライダルピンク…。
そういえばジューン・ブライド(June bride)、六月の花嫁の季節。
幸せに包まれる花嫁にふさわしい。
こんな薔薇を見ている自分も幸せだ。

抱かれたくゐて花束のままの薔薇 (かとうさきこ)
 
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イボタノキ(疣取木・水蝋樹)
- 2009/06/09(Tue) -
いぼたのき

高さは2~3m、横の広がりも同じほど、イボタノキはかなり強健である。
増殖力も旺盛、家の数ヶ所の好き好きなところで自由気ままに育つ。
それは白い小花を総状にして密につける。
ギンモクセイほど強くはないが、それに似た香もする。
花冠は先端が4裂し、1㎝に満たない。
筒状の中に黄色いおしべを2本ずつ突き出す。
今が花盛りだが、散り際もまたいい。
しばらくするとその木の下は真っ白になる。

イボタノキとはその名が珍しい。解説書には次のようにある。
「山林中に多いモクセイ科の落葉低木で、イボタロウカイガラムシが寄生して樹皮上にイボタ蝋を生ずる。
イボタ蝋は止血剤などの薬用のほか、戸の滑り、家具のつや出し等に用いられる」(浜谷 稔夫)  
長い付き合いの木だが、「イボタロウカイガラムシ」など見たことがない。時を見て、じっくり観察してみよう。
畳の部屋を開ければ、目の前の一番いいところに場所を取るのもある。
廊下に入り込みそうな勢いだったので、春先にかなり強く剪定したものだ。

窓明けて白花白花の夏来たる (文)  

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バイカウツギ(梅花空木)
- 2009/06/08(Mon) -
バイカウツギ

日陰でふんわりとした白い花を咲かせているのはスノーベル。
八重の梅花空木。
日向で白い花弁に紅色を添えて咲くのはベルエトワール。
一重の梅花空木。
それぞれに、それぞれの趣があり、味わい深い花たちだ。

朝からずっと一日、畑仕事である。
そんな汗する私を鳥達も励ますようにそばに来て、あるいは遠くで歌ってくれる。
シジュウカラ、コジュケイ、カッコウ。
ヒヨドリは歌うというよりうるさい。
コゲラは相変わらず鳥の声らしくない。
スズメは畑に降りてきてなにやら突き、ツバメは頭の上で絵を描く。
蚊に刺された、何ヶ所も。蜂も飛んでいる。
もうそんな季節だ。

六月を綺麗な風の吹くことよ (正岡子規) 

梅花空木
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サラサウツギ(更紗空木) ~風うつる間も~
- 2009/06/07(Sun) -
サラサウツギ

八重咲きのサラサウツギが満開を迎えている。
蕾はピンク、開き出すとピンクと白が混ざり合い、最後はそして白色に。
学名を調べるとDeutzia crenata f.plenaあるいはDeutzia crenata f. bicolorとある。
plenaは「たくさんの、八重の」 bicolor「二色の」の意味、どちらもその特徴を示す。
下向きに咲くその花容は色も形もソフトで、優しい。
他の空木も咲き出した。
この雨の季節に似合う花の一つである。

紅うつぎ風うつる間も紅たもつ (菟絲子)

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ハコネウツギ(箱根空木) ~色変わりの妙~
- 2009/06/06(Sat) -
ハコネウツギ

咲き始めの白から徐々に色変わりしていくハコネウツギ。
白、桃、そして紅から紅紫と様々な色が隣り合う。
花びらの昨日の色は今日はもうその色でなく、明日もまた違う。
一つの木の中で花色は一日ごとにグラデーションを進める。
筒状の花冠は少し伸びて垂れ下がり、葉は紫陽花に似る。
それをまとめてばっさり剪って部屋に入れ、色変化の妙を楽しむ。

小雨の中、二十日大根を蒔いた。
それもカラーラディッシュ、白、桃、紅…と5色である。
そういえば、もうすぐ梅雨である。
雨に似合う花たちの嬉しそうな囁きが聞こえてきそうだ。

はこねうつぎらし霧よりも白く見ゆ (五木田告水) 
 
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バラ~薔薇ノ木に薔薇ノ咲く~
- 2009/06/05(Fri) -
JFK

この薔薇は「マダム高木」という。
我が家の庭の新しい仲間である。
ほんのりとした紫のベールを纏ったような花びらが、純白とはまたひと味違う美しさを醸し出す。
こんな薔薇を眺めていると、自ずと心も穏やかになる。

私はそんな薔薇を剪り取っては、毎日勤め先の机の上に置く。
スチール机の上にあるパソコン、並ぶ無表情な書類やファイル。
刻まれた時間で次々と義務を果たしていく。
そして目の前の薔薇を時折見ては、香りを嗅いでは頭を休める。

白秋は薔薇を3行で歌う。
 薔薇ノ木ニ
 薔薇ノ花サク。
 ナニゴトノ不思議ナケレド  (「白金之独楽」より)
それで薔薇の全てを言い得ているような気がする。

薔薇を見て自分を青春だと思う (文)
  
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ワスレナグサ(勿忘草・forget‐me‐not)
- 2009/06/04(Thu) -
ワスレナグサ

すっかり「寅さんの妹さくら」が定着している倍賞 千恵子、もう67歳だという。
懐かしき日本の良さや、情緒を感じさせる庶民的な温もりを持つ数少ない女優である。
もともと松竹音楽舞踊学校を首席で卒業した、歌って踊れるSKD出身だけあって、歌唱力は秀でている。
彼女が歌う「忘れな草をあなたに」、その素朴で伸びやかな歌声は今も心に残る。
発表が1964年(昭和39年)だというから、かれこれ45年も前の曲である。
日本を代表する叙情曲の一つと言えるが、もう知る人も少ないのだろう。
腰を屈めて庭のワスレナグサを見ていると、自ずとその歌のメロディーを頭が歌っていた。

 別れても 別れても 心の奥に
 いつまでも いつまでも 憶えておいてほしいから
 幸せ祈る 言葉にかえて
 忘れな草を あなたに あなたに

英名にforget me notとあるように、西洋では愛と誠のシンボルとして昔から多くの民謡や詩に歌われてきたという。
「ドナウの川辺で若者が恋人のため珍しい花を摘みとったとたんに足をすべらし、川に落ち急流に流され、いまわの際に〈僕のことを忘れないで〉といった。残された少女は,若者の墓にその花を植え、彼の最期の言葉を花の名にした」(谷口 幸男より)
ヨーロッパ各地にはこれに類した「愛」と「誠」にまつわる花伝説が多く伝わっているとある。
小さな青いこの花、古くから多くの人々の心を惹きつけてきた花である。

花よりも勿忘草といふ名摘む (粟津松彩子)
 
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シャクヤク(芍薬・peony)
- 2009/06/03(Wed) -
芍薬

牡丹が終わるのを待って、それと入れ替わるように芍薬が咲く。
近縁種なので、花容はよく似ている。
ところで芍薬について荒俣宏は次のように書いている。
「イギリスの伝説では、過ちを犯した妖精が不面目を恥じてシャクヤクの陰に隠れたため、花が赤く染まったとされる」
「花言葉の〈恥じらい〉もそれにちなむ」
それによると、芍薬の赤は妖精の「自省」の色ということのようだ。
ところによって様々な花伝説があるものだ。
実際の芍薬を見ると、愛らしい妖精というより、私は妖艶なる美女といった感がする。
人に物語や歌を生み出させるような色香漂う魅力ある花である。

芍薬に身の一箇所を意識せり (鳴戸奈菜)
 
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アッツザクラ(ロドヒポクシス)
- 2009/06/02(Tue) -
アッツザクラ

アッツザクラという名から、かの北方の玉砕地を原産とする花だと思っていた。
しかし、豈図らんや全く逆の南アフリカの高地、1500~3000mに野生する高山植物だという。
なぜそう名づけたられたのか分からないが、名前だけでは判断できないのが面白いところでもある。
葉はうぶ毛を持ち幅広の線形をして10㎝ほど、その中心から短い花茎が伸びる。
花びらはピンクで2cmほどの星形をした6枚、ゼフィランサスにも似る。
山野草に位置づけられる花だというのは最近知った。
庭に二株あるアッツザクラ、花言葉は「可憐」とある。

卯月曇りにうるみて可憐アッツザクラ (文)
 
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エゴンシーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」
- 2009/06/02(Tue) -
エゴンシーレ

エゴンシーレの描く「カール・グリュンヴァルトの肖像」(1917年)である。
彼は両手を組み、見上げるように斜めに視線を送る。
微笑んでいるようにも見えるしそうでもないようにも見える。その表情は定かには捉えられない。
彼の視線の先には何があり、誰を見つめるのか、見る者に不安と哀感を伴った情感的視覚をもたらす。
椅子以外のものを確かめることのできない朦朧とした空間の中に彼は浮かび上がる。
両腕を肘掛けに置いているように見えるが、人物以外の背景はその輪郭を詳らかにしない。
黒い輪郭線を持つ人物、骨格の一部に朱を施す描写、質感を強調するかのような混ざり合った陰鬱な色彩。
心理的側面をデフォルメする独特なスタイルで描かれた晩年の特徴を示す作品である。
人の心の奥に内在する鬱屈とした感情、決して表に出してはならない内的混沌をあからさまに描くシーレ。
アカデミックに逆らい、不道徳的テーマを描き、人の求める美とは逆行するかのような表現にこだわる。
しかし、当時の美術界において「我が道を行く」異端の若き画家は非難と批判の渦の中で少しずつ居場所を築いていく。
そして1918年、個展で成功を収め画家としてその地位を確立した矢先、彼に訪れたのは忌まわしい運命。
それはヨーロッパ全土にパンデミックを起こした新型インフルエンザ。
数千万人が死亡したと言われる、いわゆる「スペイン風邪」である。
妊娠6ヶ月の妻エディットが先に冒され、シーレの腕に抱かれて死去する。
そしてその3日後、強烈な感染力はシーレにも容赦なく襲いかかり、若い命をいとも簡単に奪い去る。
享年28歳、独自の絵画言語を操り旧習に真っ向から立ち向かった反逆児は、激情と相克と苦悩の作品を残し帰らぬ地へ行く。
もし彼が長生きしていたらなどという仮定は無意味である。彼はその時を全力で駆け抜け、力尽きたといえよう。
エゴンシーレの命を奪った「新型インフルエンザ」は当時の日本においても38万人が犠牲になったと記録されている。
都立美術館で「日本の美術館名品展」を見たその週末、上野公園の周辺でもマスク姿の人が目立った。

 エゴンシーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」(豊田市美術館蔵) 『日本の美術館名品展』(東京都立美術館)

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