アマドコロ(甘野老) ~雨蛙にも春~
- 2009/04/30(Thu) -
甘野老

アマドコロのそばに寄って腰を下ろし眺めた。
風鈴のような可愛い白い花が二つずつ並んでいる。
その花の先端は緑を帯び、少しだけ開く。
本来は山の雑木の中で静かに咲く花なのだろう。
我が家の庭で少しずつ増えている。
ふと、何かと目があったような気がした。
目を移すそこに雨蛙、葉の色に紛れて気がつかなかった。
小動物たちにもいい季節である。
彼はその後、数時間も同じ葉の上に座っていた。

木漏れ日と親しみ咲けり甘野老 (福原十王)
 
甘野老と雨蛙
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ツツジ(ミツバツツジ・三葉躑躅)
- 2009/04/29(Wed) -
みつばつつじ

ミツバツツジが咲いたのだが、その数は一つ、二つ、二つ、三つで淋しい。
蕊は花を飛び出、伸びたその先を鈎のように花に向けて戻す。
ところでツツジは躑躅と書く。躑躅(テキチョク)は「二、三歩いっては止まる」の意。
蕊のちょっと伸びて進み、そして踵を返すように先の戻る様からその字を充てたのだろうか。
何故だろうと想像してみるのも面白い。
その名の由来になる三つ葉は未だない。

躑躅赫し愛より強き言葉欲し (清水芳堂)

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ライラック(lilac・リラlilas)
- 2009/04/28(Tue) -
らいらっく

 リラ冷えといふ美しき夜を独り (関口恭代)

一昨日そして昨日と、3月下旬を思わせるような寒い日であった。
風も強く、せっかくの花々は花びらをちぎられ散らされる。
北海道ではこのような寒の戻りを「リラ冷え」と呼ぶと聞く。
「リラ冷え」…ロマンチックな響きを持つ語である。
我が家の2本のライラックも時を同じくして咲いた。
フランス語ではリラ(lilas)、花筒部が4裂した花が総状となる。
芳香があり、和名は紫丁香花(むらさきはしどい)、その名も美しい。
花言葉は「春先に咲くやさしい色合いの花であることから、〈初恋の味〉」だとか。(荒俣 宏)

 リラの花朝も夕べの色に咲く (阿部みどり女)

ライラック
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プルーン(prune) ~成蹊~
- 2009/04/27(Mon) -
プルーン

プルーンの込み入っていた枝をチェーンソーでばっさりと切り落としたのは厳寒の2月初旬のことだった。
その後の成長はどうなるのか、心配ではあったが適温の時を得て花も咲いてくれた。
この木は毎年夥しい実を付けるが、私はそれを収穫するよりそのまま落下させることが多いのが実情だ。
木が高くて収穫するのも大変で、せいぜい手の届く範囲をとって楽しむのである。
今年は木の中央部の枝(幹)を剪ったため、だいぶ空いていて収穫はしやすくはなった。
花は白い五弁、桃や林檎、梨に比べるとやはり他のスモモの仲間同様にやや小さめである。
白い中に黄色い蕊がチョンチョンと伸びる可憐な花だ。
その一つひとつが濃紫の実に姿を変えるのは夏の盛りの頃となる。

史記に「桃李ものいわず、下おのずから蹊(みち)を成す」とある。
花も良し、実も良し、桃李は人を自ずと寄せる木である。

花李美人の影の青きまで (泉鏡花)
 
ぷるーん
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グミ(茱萸)
- 2009/04/26(Sun) -
グミ

長い花柄を垂れて茱萸の花が咲き出した。
ことしも、あの甘酸っぱい赤い実を頂けるかと思うと、うれしくなる。
昨年より花数が多いのは、整枝したからなのだろうか。
不勉強の私は正しい剪定の仕方などもとより知らず、込み入った枝を適当に剪ってしまう。
花は白とも黄色とも言い難い微妙な色をしている。
クリーム色といった方が近いのかもしれない。
先が四裂して、中に4本の雄蘂と1本伸びた花柱が見える。
実際のところ、筒状のそれは花萼であって花弁ではないという。
花も色々である。

アカゲラが木を突っつきながら、てっぺんまで上っていくのを見た。
心と体を様々なものが癒してくれる。
ほんの短い時間だったが、至福の時を得た。

転生のなぞを解いてる茱萸の木よ (斎藤慎爾)

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ハナモモ(白八重花桃)
- 2009/04/25(Sat) -
花桃白

八重の花桃がたっぷりと咲いている。
まさにたっぷりとである。
それにしても純白である。
それは雪のようである。
まさに真っ白である。
何枚の花びらがあるのだろう。
すがすがしい花である。

  匂ふとも見えずゆかしや桃の花 (樗良)

花桃
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シモクレン(紫木蓮)
- 2009/04/24(Fri) -
シモクレン

白木蓮に遅れること一月近く、紫木蓮に花を見る。
それは風呂の外にあり、窓を開ければ見える。
大きさは人の手をひとまわり小さくしたほどであろうか。
京紫から若紫への階調が美しい。

このところ毎日のように鶯の声を聞く。
目に時間を与え、ゆるりと見渡せば外は緑のグラデーション。
抹茶色、若葉色、裏葉色、浅緑、柳色、若苗色、青磁色、若草色、萌黄色…。
私の好きな白緑(びゃくろく)も見つける。
自然は偉大な芸術家だ。

ほんたうの色と思へず紫木蓮 (正木ゆう子)
 
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ハナズオウ(白花蘇枋)
- 2009/04/23(Thu) -
ハナズオウ

紅白一対の花蘇枋が並んであった。
しかし、赤い花は数年前に枯れてしまった。
この白花を見るたびに、もう一本の花を思い出す。
そして新たにそばに添えて植えてやろうかと。
花蘇枋は葉に先立って枝上の節に束になって花を咲かせる。
小さな蝶のような翼弁を持つ可愛い花である。

突如、熱が出てきた。
不覚である。
食事をとれない。

    花蘇枋弥勒の指は頰にあり (吉田汀史)

花蘇枋
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サクラ(フゲンゾウ・普賢象)
- 2009/04/22(Wed) -
普賢象

我が家の長いお花見もこの普賢象を最後に終わる。
これは淡紅色の八重の花が重なり合うように咲く。
この花にはほか桜と違った特徴がある。
それは雄蕊が葉化して花芯から伸びることである。
花の中から緑色の象の鼻のように伸びるのがそれである。
それを普賢菩薩が乗っている象になぞらえ、名づけられたとある。
一月余りのマイお花見は今年は天候に恵まれ、どの花をも楽しむことができた。

さて4月も下旬、出会いの季節というアイドリングモードはもう切り替えなくてはならない。
あれもこれもと私がしなくてはならないことが待っている。

  咲ききってさくらのしべの青みざす (高井北杜)

フゲンゾウ
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ウコンザクラ(鬱金桜・黄桜)
- 2009/04/21(Tue) -
ウコンザクラ

この鬱金桜が好きである。
淡い黄色の桜である。
ところどころに少しの緑を帯びる花びらもある。
ふんわりやはらかな八重の花だ。
空が青いと、その黄色が一層優しく生える。
この黄桜が好きである。
この色が好きである。
今年も咲いてくれた。
「ありがとう」
黄桜の下で一人佇む。

  身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな (黒田杏子)

鬱金桜
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カスミザクラ(霞桜) ~花咲き花散る~
- 2009/04/20(Mon) -
カスミザクラ4

   ゆさゆさと大枝ゆるゝ桜かな  (村上鬼城)

この週末を待っていたかのように、家のカスミザクラが満開となった。
その全体像はカメラに収めきれないほどに、家のかなりを枝が伸びて覆う。
びっしりと咲き揃うその花びらは小さく、色は白に近い。
花が咲くと、追いかけるようにすぐに赤みを帯びた葉も出てくる。
そこがソメイヨシノなど、他の桜と違うところだ。
咲き始めから満開になるまで要するのは僅か、そして花期も数日と短い。
目の前の満開の花を見て、部屋で昼食をとる。
3時のティータイムにはもう散り始め、窓を開けた部屋に花びらがいくつも入り込む。
夕方には庭の大部分は花びらで埋め尽くされ、地面は白く染まっていた。
私の黒い車も花びらでデコレーションされ、牡丹などはその白い花びらを乗せて纏う。

一瞬の生命いとほし桜咲く (碓氷すすみ)
 
カスミザクラ3

カスミザクラ2

カスミザクラ1

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ハナカイドウ(花海棠) ~はにかむ乙女色~
- 2009/04/19(Sun) -
ハナカイドウ

顔をうつむき加減に花海棠。
下から見上げる薄紅色の花がなんとも美しい。
花びらが薄く透ける。
重なる八重の花びらは濃く、淡くと色を僅かに変える。
はにかんだようなその花姿。
「乙女色」「乙女花」、そんな名さえ付けたくなる。

 「私を見てください」 
 「私に気づいてください」
 「私を知ってください」

爛漫の花々に朝からの畑仕事の体も癒される。

海棠に乙女の朝の素顔立つ (赤尾兜子)

花海棠


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ゲンゲ(紫雲英・蓮華草)
- 2009/04/18(Sat) -
レンゲソウ


勤めの帰り、車のFMをつけると「ビリーバンバン」の懐かしい声が聞こえてきた。
もう還暦をとっくに過ぎた二人だが、軽妙洒脱の語り口は変わらない。
スタジオからの生中継の中、あの焼酎メーカーのCMソングを歌ってくれた。
兄弟故のソフトなハーモニーは相変わらずに心地よく、安らぐ。
『白いブランコ』『恋の花うらない』『さよならをするために』『れんげ草』…。
ギターを持った長い髪の、あの頃の青春が甦る。

櫻の木の下に「れんげ草」を見つけた。今年は種は蒔かなかったはずなのに。
花を見ていると自然に二人の歌が口をついて出てきた。
山のふもとの小さな村に 咲いたかわいい れんげ草よ
おぼえているかいあの娘のことを えくぼがかわいい娘だったね
黒いひとみでほほえんで れんげ草をぼくにくれたっけ

     十本の指ありげんげ摘んでゐる (三橋鷹女)

紫雲英
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リキュウバイ(利休梅)
- 2009/04/17(Fri) -
利休梅

朝の庭に露を受けた利休梅が開く。
やはらかに波打つ五弁の白い花。
清楚で控えめな味わい。
利休梅の文字を読み、利休梅と口にする。
すると静かな時空にいざなわれ、心穏やかになる。
そんな花を眺めていると、ほんの数ミリの蜘蛛がやってきた。
小さな命にもいい季節だ。

利休梅その下蔭の好もしき (後藤夜半)

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ヤマブキ(山吹) ~面影草とも~
- 2009/04/16(Thu) -
ヤマブキ

大伴家持は山吹を見て
 「山吹の花のさかりにかくの如君を見まくは千年にもがも」と歌う。(万葉集巻二十4304)
恋い慕う相手と会うことが何時まで続いて欲しいと、山吹の盛んに咲く様に寄せて思いを詠む。
山吹はなにかしら、物語を生み出すような魅力を持つ花だ。
面影草、かがみ草の異名を持つというのもそんなことを思わせる。
庭では一重の山吹とちょっと変わったキクザキヤマブキ(菊咲山吹)それに八重の3種類が同時に咲いている。
太田道灌に農家の娘が差し出したのは八重の山吹。
枝を黄色く染めて揺れる山吹はどれもこれもが、歌人武人、娘にあらずとも心に歌わせるものがある。

     あるじよりかな女が見たし濃山吹    (原石鼎)

菊咲き山吹


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カタクリ(黄花片栗) ~堅香子(かたかご)の花~
- 2009/04/15(Wed) -
キバナカタクリ

「もののふのやそをとめらが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花 」(大伴家持)『万葉集 4143』

朝庭へ出たら黄花片栗が咲いていた。
昔から親しまれているあの淡紫色の片栗ではない。
しかし、くるりと反り返った花びらとうつむいて咲く姿は一緒である。
その表情を伺うには、やはり顔を地面すれすれに近づけなければならない。
それはイボタノキの下でひっそりと目立たぬように咲いている。
片栗の古名は「かたかご」といい、家持もその可憐な姿を歌う。
他の片栗も蕾を持っている。

     かたかごの花の辺ことば惜しみけり (鍵和田秞子)

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ナシ ~五弁の白き梨の花~
- 2009/04/14(Tue) -
梨

ウグイスが鳴いていた。
モンシロチョウがのんびりと花の上を渡る。
ソメイヨシノはもうその役目を終えた。
気象庁の観測には桜の開花とともに、初モンシロチョウもあるのだとか。
春の進みの様子をそれによって確認するのだという。
外に出ると、浴びる日射しもまるで夏のように強い。
ここ数日は、一日ごとに草花や木々の表情が違う。
昨日はなかった色があり、土を割り新顔がデビューしていたり、花が一斉に咲いていたり。
梨の花も咲いた。真っ白なその花の美しさを知る人は意外と少ない。
蜜蜂が全国的に不足しているという。
自然の受粉に任せている私にとっては蜜蜂は大事な存在だ。
今年の秋の収穫はどうなるのだろう。心配しても仕方がない。
なるようになるのを待とう。

    青天や白き五弁の梨の花 (原石鼎)

ナシ

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ハナモモ(照手白・照手赤) ~タラの芽の天麩羅~
- 2009/04/13(Mon) -
ハナモモ照手赤

五月、いや六月の気温だと気象予報士が伝える週末。夏日の所も多く観測されたとか。
春が飛んで、一気に夏がやってきたような陽気だった。
この気温の上昇に草木も驚き、どれも遅れとらじとたちまちに花を咲かせている。
眺める塩見岳や空木岳の頂上には黒い山肌が見える。いつもの年なら山全体が全て真っ白なのだが。
庭の山菜も駆け足だ。昨日はウコギをおひたしにし、タラの芽を採って天麩羅に。
いつもは下旬のことだから、これもかなり早い。
もうコシアブラや、コゴミ、ウルイ、ウドもお目見えだ。
しばらくは家で山菜料理が楽しめる。
隣り合うハナモモの白と赤が仲良く咲いている。
ああ、山笑ういい季節だ。

     裏山といふ名の山も笑ひけり (伊藤政美)
 
ハナモモ照手白
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コブシ(辛夷) ~コゲラも来て~ 
- 2009/04/12(Sun) -
コブシ

汗ばむような日だった。一日、畑仕事に費やした。
ひたすら、草取りである。立ちっぱなしの仕事だ。
風が吹くたびに、黒い土の上に桜が積もっていく。
一休みして椅子に腰を下ろす。見上げる空はどこまでも青く澄んでいる。
コゲラがやってきた。合歓の木を突っつく。櫻へ移動して幹を登っていく。
さらに松へ飛び移る。そしてコナラへと。
ドアが軋むような「ギーッ」という鳴き声が特徴。それ故、その所在はすぐに分かる。
草カキの柄に顎を付いてしばらく眺める。
彼は普通の鳥と違って、枝から枝へと横へは移動しない。
幹に添うように縦に留まり、そのままの姿で上に、下にと動く。
そんな上り下りする姿は、まるで機械仕掛けのおもちゃのようで可愛い。
その後、小一時間私の働く側で彼は一緒に居てくれた。

完全防備にして取りかかったはずなのに、唇がひりひりする。
紫外線がたっぷり顔に入り込んだようだ。

白い辛夷も満開を迎えていたが、午後にはやはり散り始めていた。
一仕事を終えて、その下を通ると捩れたような花びらがすでに何枚も落ちていた。

  白辛夷円空仏にかしづける (土岐錬太郎)  

コゲラ
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スモモ(李・巴旦杏) ~雪色に染まる花李~
- 2009/04/11(Sat) -
李

樹を真っ白に覆いくしているのは巴旦杏。
それは雪が降り積もったように枝の隅々まで白一色だ。
一つひとつの花は小さい五弁花、桃に似る。
この李、受粉などせずとも毎年、たくさんの甘い実を付けてくれる。
しかし、せいぜい収穫するのは数十個、後の多くは鳥たちの昼食会へ提供する。
こうして花を眺め、実を少しを頂ければそれでいい。
花が咲き、実がなることで鳥たちも庭にやってくる。
そんな愛らしい姿を見られるのは嬉しいことではないか。
こうして目を楽しませてくれることに喜べばいい。
実際の所、高く大きな木故に、採るのがおっくうということもあるのだが。

   隙間なく風吹いてゐる花李 (廣瀬直人)

スモモ
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モモ(白桃) ~紅匂ふ~
- 2009/04/10(Fri) -
桃

中国原産である桃は古くに日本にやってきたようである。
すでに万葉の頃には歌人達の目にもとまり、その花色や恋に寄せる思いを歌にしている。
「桃花褐(つきそめ)の浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも」(詠人不詳 巻十二2970)
【私訳】
けっして、あの桃染めの衣のような薄い思いとは違うのです。
どうして、そんな軽い気持ちで会うことができるのでしょうか。
私があなたにお会いするのはもっと強い色の熱い思いなんですよ。
分かって頂けますか、この気持ち。
恋人に会うときの熱い思いを桃の花の色にたとえて比喩的に歌う万葉人の心憎さが感じられる。
最近では「桃色遊戯」や「桃色吐息」などと男女間の色っぽい物語を指すときに用いられることも多い。

当然な事ながら私が桃を植えたのは「花より団子」、目的はその実にある。
昨年は数えるほどしか口にできなかった。
今年こそは摘花をうまくして、大きい実をならせたいものだ。

  匂ふとも見えずゆかしや桃の花 (樗良)
 
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ヒュウガミズキ(日向水木)
- 2009/04/09(Thu) -
ヒュウガミズキ

ヒュウガミズキは山茱萸の樹の下にある。
垂れ下がるように下向きに咲く、控えめな淡い黄色の花だ。
色も形もトサミズキに似るが、花がひとまわり小さいことでそれは区別が付く。
木もさほど大きくならず、我が家のはずっと腰の高さのままである。

満開となった櫻を風がさっとひと掃きして通りすぎる。
子等がその下で舞い散る花びらを受けようと両手を広げる。
枝離れの花びらを手にすると『恋が成就する』とのおまじないだとか。
誰もが過去には純な青春を持っていた。
そんな淡い時を忘れて、日常を勤める。
テレビでは「松任谷由実」が子ども達と『卒業アルバム』を歌っていた。
時折、あの頃の自分に戻ってみようか。

春も半ばとは言え、霜は地の側に降り来て、私の足はまだ冷える。

    春愁や冷えたる足を打ち重ね  (高浜虚子)

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アセビ(紅花馬酔木・Japanese andromeda)
- 2009/04/08(Wed) -
アセビ

アセビは他にアシビ、アシミとも呼ばれるがこれは「悪し実」からきた名だと本にある。
またアセビに馬酔木の名を充てるのはアセボトキシンという有毒物質を持ち、牛馬が食すると中毒して痺れるからだという。
本当に、牛馬を酔ったようにさせるというのだから驚く。
一般的な白花はもう終わりになっていて、今咲いているのはもう一本あるこの紅花馬酔木である。
可愛い壺状の小さな赤みを帯びた花が房状となって垂れる。

ところで私は「馬酔木」というと、抒情的な作風で知られる新興俳句の流れを作った「水原秋櫻子」を思い出す。
「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」など、中学の頃学んだ俳句なのに今でも覚えている。
俳誌「馬酔木」を主宰し、当時の主流から離れて独自の文芸論を展開していった気骨な俳人である。
彼が馬酔木を好んだかどうかは知らないが、染井にある彼の墓地の奥には馬酔木が植えられているとも聞く。
高浜虚子(「ホトトギス」)という巨人に叛旗を翻すのは容易ではなかったことだろう。
何事も旧来を打ち破って新たな道を切り拓くのは困難なことである。
しかし、古い座布団の上で安座しているだけでは自分を変えられないし、新しいものも生まれないのも事実である。

  来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり (水原秋櫻子)
 
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サクラ(染井吉野) ~桜香とは如何なるや~
- 2009/04/07(Tue) -
ソメイヨシノ

家の染井吉野と江戸彼岸桜も満開を迎えている。
これで8本の桜が咲いたことになる。
残るは八重の普賢象と黄色い鬱金、そして家を覆う一番大きな霞桜。
しばらくはマイお花見で喉が潤う。
そばに寄ると夥しい数の蜜蜂が羽音を立てて飛んでいる。
集まって響く大きな羽音はまるで古い扇風機のようだ。
溢れて咲く花はよりどりみどり、ひとところにじっとはしない。
次々に花を飛び移る蜜蜂たち、彼らにとって桜は貴重な栄養源であるらしい。
そういえば桜にも香りがあることを先日のラジオは話していた。
朝陽の昇る前後の僅かな時間にのみ、その香りを放つという。
今まで桜の香りを気にしたことはなかったが、どんな香りがするのだろう。
こんど、蜜蜂をも惹きつけるその香りを確かめてみよう。

咲きいずるや桜さくらと咲きつらなり (荻原井泉水)
 
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ツクシとミズバショウ(土筆・水芭蕉) ~朝の散歩道~
- 2009/04/06(Mon) -
ツクシ

    一握りとはこれほどのつくしんぼ (清崎敏郎)

週末は早朝に散歩するのが日課である。
まだ陽が昇らないうちに家を出て、およそ一時間半の道のりを歩く。
農家の仕事を見て学び、家々の花々を見てその手入れを目で教わる。
そして、鳥の声を聞き、川のせせらぎを聴き、木々の息づかいを体感する。
日常を離れると、色々が分かり、色々なことに驚く。
コースはその都度変え、変化を楽しむ。
できるだけ姿勢良く歩き、大きくゆっくり息をしながら歩く。
嬉しい出会いや、嬉しい発見がある。
昨日は家を出て程なくして土筆を見つけた。
水辺に水芭蕉も。そこは斜面の肌を水が流れ、木々の間に山葵が広がる。
そして注ぐ小さな川は源氏蛍の棲息地でもある。
豊かな自然に恵まれて生活できることをありがたく思う。

    水はまだ声を持たざる水芭蕉 (黛執)
 
ミズバショウ
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ムスカリ(grape hyacinth)
- 2009/04/05(Sun) -
ムスカリ

庭の至る所にムスカリが顔を出している。
春の色といえば、黄色そしてピンク。
しかしムスカリは青紫、野趣あふれる可愛い花だ。
細くて少し厚めの葉と、小さな球根を持つところはノビルにも似ている。
丈夫で自由に増えて、気ままに好きな場所で咲く。
その房状になった姿からグレープヒヤシンスの名もある。
我が家の春告げ花の一つだ。
「鶯の初音を聞いたよ」と人は話す。
あの伸びやかな声が私の耳に届くのも近いことなのだろう。

われも春の野に下り立てば紫に (星野立子)

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ヒイラギナンテン(柊南天)
- 2009/04/04(Sat) -
柊南天

丸みを帯びた黄色い花は柊南天。
長く伸びた花穂の元の部分から順に咲いていく。
剪って職場の机の上の小さな一輪挿しに生けた。
手に持ったとき、その葉先が指を刺した。
鋸歯の先端は棘になっていて痛かった。
4月、何もかもが輝く今、私も何か変わろう。
そう思って、今年は机上に毎日花を置くことにした。

昨日は多くの小学校で入学式が行われた。
愛らしいぴかぴかの1年生と晴れ着姿の親御さんを目の前にした。
これから親も子も長い長い学びの生活が始まる。
手を繋ぐほほえましい光景を見ながら、そんな親子に心でエールを送った。

   入学児手つなぎはなしまたつなぐ (右城暮石)

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ミツマタ(赤花三椏・paper‐bush)
- 2009/04/03(Fri) -
赤花三椏

三椏が咲いてきのふの夢枕 (手塚美佐)

朱紅色の赤花三椏も咲き出した。
枝先に筒状の花がたくさん集まる。
花は外輪からだんだんに内側に向かって咲いていく。
全てが咲き揃うまでに時間差があり、長く楽しむことができる。
ミツマタは「鳥の子紙」などの高級和紙の原材料として雁皮とともに用いられていることはよく知られる。
英名でもそのままpaper‐bushである。
ジンチョウゲ科の植物はいい香りを持つものが多い。
ミツマタも漢名では結香、黄瑞香とあり、やはり香りがいい。
枝は必ず3つに岐かれること、つまりそのまま文字通り三叉になる

「春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば後にも逢はむな恋ひそ吾妹」(柿本人麻呂 万葉集巻十1895)

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レンギョウ(golden‐bell) ~連翹忌~
- 2009/04/02(Thu) -
レンギョウ

たった一度何かを新しく見てください
あなたの心に美がのりうつると
あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます
どんなに切なく辛く悲しい日にも
この美はあなたの味方になります
仮の身がしんじつの身に変わります (略) 「高村光太郎『手紙に添えて』より」

美を見る眼をもつものにとっては、世人の捨てて顧みない、もしくはまるで気のつかない路傍も雑草も美しく、石のかけらも美しく、落葉の枯れた一片も美しい。桜の花には桜の美があり、茶の花には茶の美がある。美の生命のおごそかに変わりはない。
「高村光太郎『言葉の美しさ』より」

黄色く可憐な小花が湾曲する枝にびっしりとついている。
光太郎がこよなく愛した連翹の花。
花言葉は「希望」。
今日、4月2日は光太郎の命日、「連翹忌」。
言葉の力を信じ、言葉は魂であり、言葉は心の表出であることを彼は書く。
そして幼子のような純粋無垢な眼で人を見つめ、自然を愛する。
私は若い頃より光太郎に憧れ生きてきた。
しかし、彼のように純心には生きられなかった。
ただ、彼のように生きようとする思いは持ち続けられる。これからも。

    連翹に挨拶ほどの軽き風 (遠藤梧逸)

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ジンチョウゲ(薄紅沈丁花)
- 2009/04/01(Wed) -
薄紅沈丁花

甘い香りがふわりふわりとゆれながら飛んでくる。
この時期の強い香りといえばそれは沈丁花に他ならない。
ところで沈丁花その名の由来は沈香と丁香の如き芳香をあわせ持つからと聞く。
沈香と丁香、いずれも古来より重宝されてきた名高い香料である。
香りの高さ、強さ、馨しさ、その秀逸なることを喩え表した故にあろう。
他に瑞香(ずいこう)、芸香(うんこう)の名もあると歳時記にはある。
どれもこれも抱く文字は香であることからも沈丁花がいかなる花であるかは察しがつきよう。
家の薄紅沈丁花も今盛りを迎えつつある。

今日から4月、暦も粧い新たとなり、昨日までの3月とは違った気分の朝である。
一日、時を重ねただけなのに、昨日は昨年度と過去になり、今日は新年度と未来へ続く。
時間は途切れる事なく繋がるも、人の営みはそれぞれの節を作り、新しい航海を促す。

縁とは絆とは春の愁かな (富安風生)

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