サザンカ ~いのちの根~
- 2009/02/28(Sat) -
山茶花

涙をこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの目のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる ( いのちの根 相田みつを)

サザンカは厳しい寒さにも耐えてずっと花を咲かせ続けてきた。
時に重く雪に包まれ、時に烈しく霜に覆われるとも、中からほとばしる命を燃やし。
私もまた困難に突き当たった際の一つ一つの涙、悲しみ、苦しみ、いかりを
自分というかけがいのない木の深いいのちの根としよう

2月も今日で終わり。まさに逃げるが如くにその脚は速く。

こぼれても山茶花薄き光帯び (眞鍋呉夫)

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カランコエ ~花は誰のために咲くのか~
- 2009/02/27(Fri) -
カランコエ

  百花春至って 誰が為に開く 

瀬上敏雄が「こころの詩」で紹介している碧巌録の中の一句である。
彼はその中で次のように述べる。
花々はいったい誰のために咲くのか
それは花自身のために咲くのか。
それとも花を慕ってくる蝶や蜂や鳥のために咲くのか。
また私たち人間を楽しませるために咲くのか。
さあ誰のために咲くのか。
……
自然界の生きとし生ける生命あるものは、その頂いた自己の命を無心に生き、無心に終わっていくのであろう。
花は自分自身の命を無心に咲かせているのであろうが、しかしその花の美しさを知るのはその美を発見した蝶であり、鳥であり、 人間なのであろう。

花は自分の色を自分の形を見ることはできない。
人もまた、自分の行いを振る舞いを見ることはできない。
誰かが私を見るのであり、多くの人が私を観るのである。
花のように自己の命を無心に生き、無心に終われるのが究極なのだろうが…。
人には欲望と感情があまりにも多すぎる。

時は花ひたすら歩みつづけけり (前野雅生)
 
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デンドロビウム ~春の空はひかる~
- 2009/02/26(Thu) -
デンドロビウム

  春の空はひかる、
  絹のよにひかる、
  なんでひかる、
  なかのお星が、
  透くからよ。   (金子みすゞ「空と海」から)

まさにみすゞが詠う如くに、地に届く光はまばゆさを増している。
その光に誘われるかのように、草木も枝葉を空に伸ばし、あるいは地中深くへとエネルギーを漲らせる。
二月の異称の一つに草木張月があるが、「春」の語源には、草木が「張る」様子を示す説もあると聞く。
確かにこの時期の諸処の一つひとつの命にはそれを見つけ、感じることができる。
いずれにしても、この時期はフットワークを軽やかにするかのようなワクワクの躍動感に包まれる。
色も香も溢れる文句なしの嬉しい季節だ。
春の姿がもしも見えるなら、「待ってたよ」と話しかけたい。

 人は影鳥は光を曳きて春 (永方裕)
 
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モクレン(白木蓮)~木芽時(このめどき)~
- 2009/02/25(Wed) -
白木蓮

金田一春彦は日本人の季節に対する感覚が非常に細かいことに触れ、その著の中で次のように述べている。

『二月の末から三月の初めごろは、木芽時といって、木も草も一斉に芽を出し、春の開幕を告げる季節だ。
 日本には、この植物が芽を出すことを表現する言葉が多い。
 ちょっと数えても「芽ぐむ」「芽ざす」「芽ばる」「芽だつ」「芽吹く」「芽生える」などがある』

赤い芽、青い芽、小さな芽、やわらかな芽、毛に覆われた芽…まさに春の息吹が形になって表れている。
家の白木蓮も咲いた。といっても外の木から数本の枝を切って部屋の中に入れておいたものである。
その下には花を包んでいたビロードのような光沢を持つ殻が落ちている。
草木も衣を脱いで、いよいよ身を軽くする。いい季節の到来だ。

  美しく木の芽の如くつつましく (京極杞陽)

モクレンの殻

 
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シンビジウム(ハーフムーンワンダーランド)
- 2009/02/24(Tue) -
シンビジウム・ハーフムーンワンダーランド

“半月の不思議な国”そんな魅力的な名のシンビジウムである。
何年前に手に入れたかは記憶が定かではない。
株元を見ると、だいぶ切り取った後がいくつも見えるので数年は経っているのだろう。
丹色がかった花びらにターキーレッドの筋を入れ、舌花にもその色が施される。
派手でもなく、地味でもなくといった落ち着いた大人の色合いの花だ。
手入れが悪く、アブラムシを付けたり葉先が枯れたりと散々だったのにこうして花を咲かせてくれた。
申し訳ないと園芸の無知を詫びつつ、そんな私につきあってくれることに感謝して味わう。
シンビジウムは花期が長いのが嬉しい。この花もしばらくは夜な夜な不思議な国に私を誘ってくれることだろう。

 月落ちてひとすぢ蘭の匂ひかな (大江丸)

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小さな春 ~見えぬけれどもあるんだよ~
- 2009/02/23(Mon) -
野のピンクの花

作品の梱包を終えて展覧会の搬入の準備も済み、お茶で喉を潤し一息ついて外へ出る。
白梅も蕾に色を与え今か今かとその時を待っている。
沈丁花もだいぶ膨らんでいる。
クロッカスの葉が地面の中から伸びる。
土手に小さなピンクの花を見つけた。
何の花だろう。蕊が五つに分かれて可愛い。
葉はぎざぎざと特徴があるがよくよく分からない。
歩けば外には小さな春がある。

金子みすゞの歌を思い出す。
   春のくるまでかくれてる、
   つよいその根は眼にみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ、
   見えぬけれどもあるんだよ。 (金子みすゞ『星とたんぽぽ」から)

こころまづ動きて日脚伸びにけり (綾部仁喜)

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ラン(デンドロビウム・キンギアナム) ~命といふもの~
- 2009/02/22(Sun) -
エピデンドラム

日本画家堀文子が「命といふもの」という随筆を長い間に渡って雑誌に連載をしている。
御年90歳にしてまだまだ画人としてのその制作意欲は旺盛で、衰えることは微塵もない。
私が彼女に畏敬の念を抱くのは、それにも増して美しく気品のある言葉で文を綴る一人の女性としてである。
反物を織るかのように紡がれる琴線に響く数々のふるきよき言葉。
そのような古来より受け継がれてきた色と香りと魂を持つ言の葉が、今消えつつあるのは悲しい。
ところで最新の号で彼女は自らの物忘れについてこんな文を述べている。
『冷蔵庫の前に来たのに何のために来たのか解らない。演技も風貌も好きなのにその俳優の名が出てこない』と。
彼女は自らの記憶力の欠落を直視する。
そして『ふと読んだ脳科学者・池谷裕二博士の学説にこれまでのコンプレックスが一遍に吹っ飛んだ』と書く。
“もの知りが頭がいい訳ではなく、周囲に細やかに気配りを見せ、的確な状況判断ができる頭をいい頭という”
“初めて世界を見る子どもの視線で物を見れば、脳は想像以上に潜在能力を発揮し始める”とも。
博士の言葉により、『記憶の欠落は何ら致命的ではないことを知り、清々しさに充たされた』と感慨を述べる。

最近私も、何をしにその部屋に来たのか思い出せず、もう一度行動を起こした場所へ戻ることがしばしばである。
その場へ立ち、休みつつ少し頭を巡らせると、自分の動いた意味が見つかる。
白髪が増えてきたのと同時に自分もそいう年なのだと、決してそこから目をそらすことなく自分の現実認識をしよう。
そして文子にならい“いい頭”になる努力を重ねていこう。

風光る閃(ひら)めきのふと鋭どけれ (池内友次郎) 

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ツルニチニチソウ(蔓日々草・ツルギキョウ)
- 2009/02/21(Sat) -
ツルニチニチソウ

木槿の下にはその根元に蔓日々草ががある。
茎を伸ばし匍匐して横に広がり、時に他の草木に絡みつく。
夏は光沢のある卵型の青々とした葉が美しく、グランドをカバーする。
また、冬の凍てつく寒さをも気にしない極めて丈夫な植物でもある。
しかし、その勢いがあまりにも強いので私は時折無造作に切って抑えることたびたびである。
捨てて置いた場所から根を広げる事もあり、繁殖力はきわめて旺盛だ。
そんな蔓日々草の緑と黄色が少し入り交じった葉の中に桔梗色の花を見つけた。
いつもなら4月頃の開花のような気がしたが、やはり季節の進みが少し早いのだろう。
花冠は深く5裂しているので5弁花のように見えるが、ひとつの長い筒状花である。
ツルギキョウの別名もあるようだが、確かにそれは色も形も少し似ている。
また、「古くは西洋で霊草として媚薬(びやく)にも使われた」とある。(浅山 英一)
この花が相手に恋慕の情を起させるという惚薬(ほれぐすり)だとは面白い。
果たして効き目はあるのだろうか、処方箋と使用法など知りたいものだ。

春と呟く唇を湿らせて (林なつを)

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クンシラン(君子蘭の蕾)
- 2009/02/20(Fri) -
君子蘭の蕾

ぐんぐん花茎を伸ばすクンシラン。
裏葉色の薄袋を破って中からをいくつも蕾が顔を出す。
部屋に三鉢あるこのクンシランだが、昨年の春は一つも咲かなかった。
忘れかけていた頃にようやく一鉢咲いたのは、確か季節外れも8月初旬のことである。
今年は残り二つもこの時期に蕾があるのがうれしい。
ところでこのように、花育てはなかなか一筋縄ではいかないものだ。
毎年同じようにしているつもりでも同じようには育たないのだから。
しかし花はその体全体で微妙な環境条件の違いを感じ取っているのだろう。
もしかすると、手の掛け方や声がけなど、私の扱い方の手抜かりへの反応かも知れない。
花を見、花を味わい、花を楽しみつつ花育てをしながら、花から様々なことを学ぶ。
色、形、香り、造形、神秘…花は感じることを教え、考えることを教えてくれる。

    横笛を袋にしまふ君子蘭 (伊藤敬子)

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オウバイ(黄梅・迎春花)
- 2009/02/19(Thu) -
オウバイ

黄梅が春の陽を受けて咲き出す。
まだぽつぽつとではあるが。
艶々とした小さな蕾は親指と人差し指で挟みたくなるような気分にさせる。
花片は5枚あり、6枚ありとどうやら一定ではなさそうである。
葉はなく緑色の枝に直接無数の花が付く。
4稜の枝はむらがり、その先は地面に向かって下に垂れるように伸びる。
梅の仲間ではないが「黄色い梅」と書かれるこの花、別名の迎春花の名もあわせて美しい。

   川筋に黄色が飛びて迎春花 (中西舗土)

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シバザクラ(花爪草)~冬色の葉の中に咲く~
- 2009/02/18(Wed) -
芝桜

霜色の葉の中に白い五弁の小さな花
深い切れ込みのハート形に黄色い蕊
花びらの付け根には細い線描の青紫
体を寄せて間近に覗くと、それは芝桜
去年この一番花を見たのは3月10日
やはり、流れる風はいつもより温かい
さきがけて花だけが冬から目を覚ます
凍れる朝に、二つの花は仲むつまじく
咲くときはいつも一緒と寄り添うように

草よりも影に春めく色を見し (高木晴子)

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クリスマスローズ ~春と冬の綱引き~
- 2009/02/17(Tue) -
黒紫クリスマスローズ

初夏をも思わせる汗ばむような陽気に、地植えのクリスマスローズも開きつつあった。
それは堅い蕾の握りをゆるめて深いカップの形になる。
色は極官の象徴黒紫(こきむらさき)、まさに至極色(しごくいろ)。
当然のことながら、この花を見る私の目線は地面10㌢の上にある。
日射しから蕊を守るかのように自らを傘にして花片を下向きに広げる。
それがまた愛おしく、この花姿に私は惹かれてしまう。
桜の木の下に5株あるうち咲いたのは二つ。あと三つはまだ蕾も見えない。
春一番の吹き荒れて「ああ春だー」と喜んでいたのも束の間、あれあれまあまあ季節はまた真冬に戻る。
春に進めば冬に引き戻されて季節の行ったり来たり、ここでは春の陣と冬の陣の綱引き。
福寿草もたちまちに強い風に黄金(こがね)色を撒き散らす。
春二番が吹くのだと予報士は告げる。
しかし今朝も氷点下、我が家に本格的な春の到来はもう少し先に伸びそうだ。

   春日和なにせんといふ事もなく (呉地ぬい)

ふくじゅそう


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ウメ(紅梅) ~梅一輪~
- 2009/02/16(Mon) -
紅梅1輪

河原の藪へ行って竹を伐る。
よそ様の田んぼがかげらないように伸びて傾くのを選ぶ。
長さはおよそ10㍍、それを20本ほど伐る。
チェーンソ-で短くして藪へ寝かせる。
小一時間の作業で体が汗ばむ。

戻り、庭を歩くと梅が一輪咲いている。
朝はみんな揃って蕾だった。
待ち遠しい私の気持ちが伝わり、その思いを察してくれたのだろうか。
一輪咲けば二輪咲く。二輪咲けば五輪、五輪咲けばもう競い合い。
そこからは鳥誘い、詩歌詠まれる香りの庭模様となる。
隣の白梅も綻びを見せている。
春風が春空が、花たちに袋の紐を解かし始めた。

     ひらきたる薄紅梅の空に触れ (深見けん二)

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サザンカ(山茶花・sasanqua) ~手紙~
- 2009/02/15(Sun) -
さざんか

制作の手を休めて庭に出る。
山茱萸の黄色いつぼみが膨らんでいる。
三椏も色を少し見せ始めた。
そういえば一昨日は母から「あの香りのいい三椏の花が咲いたら届けて欲しい」と電話があった。
そして昨日はお袋の味と手紙が届く。
『……そちらの方はまだ寒いんでせうか。…このところ文字など忘れかけておりますので…』
私に学生の頃から届いていた文字は変わらずに、昔から点画のしっかりした字体である。

家の入り口へは山茶花の生け垣が招く。
白と赤の2種類あるのだが、今年の白に花はない。
同じ種類の花でもその年の相に対して、それぞれに自分に合うバイオリズムがあるようだ。
ともあれ、赤は木全体が花を付けて賑やいでいる。
時折、鳥たちが遊ぶ姿が見られる。
初夏を思わせる暖かさだ。
私の冬の生活を眺め続けた大好きな尉鶲の北帰行も、いつもより早まるかも知れない。

  山茶花や雀顔出す花の中 (青蘿)

サザンカ生け垣


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デンドロビウム ~一人記念日2月14日~
- 2009/02/14(Sat) -
デンドロビウム

今日2月14日、そこかしこで嬉し恥ずかし喜びの光景が見られることだろう。
チョコレートを介在にして、それぞれがヒロインとヒーローとなる様々な物語。
淡く小さな思いやストレートな告白、そして感謝の気持ち…それぞれにシチュエーションは違えども。
誰もがいつもこんな優しさに包まれるなら、互いに思いやる気持ちを懐に抱くのなら世に不幸はないはずなのだが。

私には母から手作り料理の故郷便が届く、いちばんの"Be My Valentine." だ。

ところで2月14日はもう一つ、私だけの記念日でもある。
このブログを始めたのが二年前の今日この日、訳も分からぬまま見切り発車でのスタートだった。
爾来、一日も休まずに書き続けた記事が今日で768、よくも続いたものだと自分でも感心する。
ここに至るには、拙い文を読んで頂く方、コメントをくださる方々が居たからであればこそと感謝したい。
正直のところ、私の中では今日をもってこのブログを閉じる予定だった。
日常の勤務、ライフワークとしての制作と研究、花や畑…あれもこれもでキャパスティーいっぱいという思いがあった。
しかしよく考えてみれば、記事を書くことで他を客観的に見、自己を再認識する作業となっているのではないか。
多くの知己を得る中で、自分の知らない世界やこと、ものへ導かれ教えられているのではないか。
この繋がりを通して自分の心の幅を広げ、人の感性から豊かさをいただいているのではないか。
様々な思いが交錯し、葛藤し迷う中、自らの思いを整理しまた続ける事にした。
いつも温かく見てくださる多くの皆様にこの場をお借りしてあらためて感謝とお礼を表したい。

激しい雨が屋根に音を立てている。季節は春へまっしぐら、もう雪を見ることはなさそうである。

  バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ (上田日差)

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ゼラニウム ~春は来ぬ~
- 2009/02/13(Fri) -
ゼラニウム

藤村詩集を手に取り『若菜集』を読む。
春三題「春は来ぬ」より
………
春はきぬ 春はきぬ
浅みどりなる新草(にひぐさ)よ とほき野面(のもせ)を画(えが)けかし
さきては紅(あか)き春花(はるはな)よ  樹々の梢を染めよかし
春はきぬ 春はきぬ
霞よ雲よ動(ゆる)ぎいで 氷れる空をあたゝめよ
花の香(か)おくる春風よ 眠れる山を吹きさませ
………

ラジオのキャスターは春一番の訪れを説く。
「春一番」はもともと漁師言葉であることをキャンディーズの歌をからめながら。
顔を通り抜ける風はやわらかい。
薄ら氷(うすらい)など見逃すほどに今年の冬は足早に過ぎ去った。
春が光を連れてやって来る。
春が山を笑いに誘う。
春が心を軽くする。

春風の美しき空や棚曇り (矢野奇遇) 

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フクジュソウ(福寿草・springadonis)
- 2009/02/12(Thu) -
フクジュソウ

「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲けるを見るとき」
江戸時代後期の歌人、橘曙覧の『独楽吟』にある歌だと、コラム人が「中日春秋」で採り上げていた。
コラムは続けて、曙覧観を説く作家新井満の言葉を載せる。
彼は曙覧をして〈幸せ探しの達人〉と呼び、「常に五感を全開にしてかすかな変化を見逃さないこと」と述べる。

休日にひだまりの庭を歩くと、確かに昨日までと庭にある顔が少しずつ違うことに気づく。
一週間前まで蕾もあったフクジュソウの集まりは全てが花開いている。
ひとつだけだったスノードロップも7~8個ものかたまりの花となった。
コブシと木蓮の毛を持った光沢ある蕾も膨らみを大きくしている。
薔薇も赤い芽を伸ばしはじめてきた。
木瓜もそろそろ咲きそうだ。
フキノトウもある。
そう、「常に五感を全開にしてかすかな変化を見逃さないこと」だ。
そうありたい、そんな感性を持とうと新井の言葉に一人頷く。

フクジュソウは英名でspringadonis。
adonisとはギリシャ神話の愛と美の女神アフロディテに愛された美少年。
ならば「春の美少年」ということか。
確かに福寿草には輝きがある。

    福寿草むかしはらから睦みけり (樋笠 文)

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ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)
- 2009/02/11(Wed) -
ヒメオドリコソウ

私の好きなシンガーソングライターに村下孝蔵がいる。
自身の作詞作曲による「踊り子」は淡くせつない恋心を切々と歌う。
  
 (略)  つまさきで立ったまま 君を愛してきた
      南向きの窓から 見ていた空が
      踊り出す くるくると 軽いめまいの後
      写真をばらまいたように 心が乱れる   (略)

そして代表曲の「初恋」などを聴くと涙したくなる。
46歳で夭逝した同世代の歌手の、これらの歌を時々流してアトリエで作業をする。

制作は失敗だ。仕上がったのを見ると陳腐である。
構想の計算と実作に距離がありすぎる。発表できる作品ではない。
急遽新しい材を求め、町の材木屋へ出かけた。老いた職人に檜を切ってもらう。
一から出直しだ。期日は迫っている。とにかくやろう。間に合わせるしかない。

綻びはじめた梅の木の下にヒメオドリコソウを見つけた。
唇形のその花はホトケノザよりさらに小さい。
淡紅色の花は短毛を持つ赤みがかった葉に紛れて目立たない。
「姫踊り子草」とその名前がいい。
確かに踊り子が手を前に出して踊っているようにも見える。
身の周りの野には春が萌えている。
もう一度頭をリセットして、制作に取りかかろう。

  踊子草みな爪立てる風の中   (岡部六弥太)

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ハコベ(繁縷・あさしらげ・chickweed)
- 2009/02/10(Tue) -
ハコベ

川に面した西の土手に緑の絨毯の如くにハコベが広がる。
小さな葉がぎっしりだ。それは軟らかな葉だ。優しい茎だ。
手を置くとふんわりとして腰を下ろしたくなる。
そんな溢れる緑に紛れるようにして、わずか数ミリほどの白い花がある。
五弁の花びらは切れ込みの深いハート型をしているため10枚に見える。
目を凝らすと可愛らしい雄蘂雌蕊も伸び、花を受ける萼は短い微細な絨毛に包まれる。
そんな白い小花がいっぱい。
いつもの年なら3月の姿である。やはり暖かなのだ。

書には、「小鳥などの餌として広く親しまれ,別名をヒヨコグサとかスズメグサともいう」とある。(三木 栄二)
chickは雛、weedは草、英名のchickweedは、なるほどまさにそのままである。
「雛の草」の名の通りに、西洋に於いても小鳥たちへの有用な草として親しまれてきたのだろう。

朝はまだ素直な心はこべ萌え (船迫たか) 

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ロウバイ(蝋梅・唐梅) ~四十雀も好きなんだ~
- 2009/02/09(Mon) -
蝋梅

うららかな日和にロウバイも咲く。
まだ多くは固い蕾のままだが、ふたつみっつと香りのよい黄色い花が下向きに開いている。
透き通る薄い花片の背は陽をはね返すように光る。

シジュウカラがつがいでやってきた。
ロウバイの枝に留まる。
花をくわえる。
おいしいのだろうか。
「食べてごめんなさい…」。
桜の枝で私に頭を下げている。

二枝剪って玄関に挿した。
いい香りが広がった。
 
  臘梅を無口の花と想ひけり (山田みづえ)

シジュウカラ
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マンサク(満作・金縷梅)
- 2009/02/08(Sun) -
まんさく

葉のない枝に花のあるマンサク、きわめて個性的な形をしている。
黄色い紐が捻れたように、花びらは内巻きしたりくねくねしたりして2㌢ほどに伸びる。
裸の枝からニョロニョロと出てくるかのように寄り集まって不規則に咲く不思議な花だ。
目を近づけて見ると、卵形の蕾は淡灰褐色、花片は4枚、雄蘂は4本、奥には形の整った暗紫色の萼。
なんともなんとも面白いと、自然の造形に心楽しくなる。
この花には金縷梅の字もあてられる。
『漢字源』によれば、縷とは「糸のように細長くつらなるさま。くどくどとしているさま。破れ布をつないだぼろ」とある。
なるほど、そんな形だ。

朝庭に出て、この花が咲いているのを初めて知った。たしか、去年は下旬の開花だったように思う。
いつのまにやら隣の臘梅も艶やかな花片を開いている。
暖かな今年はやはり季節の進みが早い。
春の日は一日違えばその日一日の表情が違う。
川面の光がきらきらと反射する。

 まんさくの花びら縒(より)を解きたる (仁尾正文)

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木を剪る 木を刻む
- 2009/02/07(Sat) -
剪定1

プルーンを剪定した。剪定というより伐採に近い。
チェーンソーで5~6㍍に伸びた枝を落としていく。
10㌢ほどの枝は思いのほか堅く、木が焼けチェーンソーが時折止まる。
一枝落としては離れて眺め、次の枝を定める。木に登り剪っては降りて、また登る。
こうしてほぼいいだろうと納得して30分ほどで終わる。
箒状に混み合っていた枝が透かれ、互いに陽が当たるようになる。
切り落とした枝を一カ所に集めてさらに細かく切って燃やす。

その暖にあたりながら、作品を作る。搬入日が迫っている。
材は欅、堅さはプルーンの比ではない。機械が負ける。
刃が悲鳴を上げ白い煙を吐く。叫ぶように、荒げるように呻る。
熱くなったチェーンソーを休ませながら、3台を交互に使い分け木を刻む。
腕が重くなり腰が痛くなり体中が道具となる。
木の声を聴きながらさらに造形をしていく。
思い描く5割ほどは進んだ。もう一踏ん張りだ。

横には直径約1㍍長さ4㍍の楢、5月の展覧会向けの材料だ。
これにもぼちぼち取りかからなければならない。
仕事は次々に私を待っている。

剪定の済めば日輪力あり (森田峠) 

楢
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デンドロビウム ~「色鳥よ」と謳う~
- 2009/02/06(Fri) -
紫デンドロビウム

今朝一番に目に届いたのは白秋の歌であった
  色鳥よ、
  よろこべよ、このあした
  ふくらむ花の
  いろがきこえる
  (北原白秋「春朝」より)

ラジオも各地から、鶯の初音や桜の開花を伝える
去る季(とき)と来る季(とき)のすれ違う風の中で
赤石は白磁のような玻璃質のかがやきを増し穏やかな目で伊那谷を包む
ダイヤモンドのように光を照り返すせせらぎは温かな香りを重ねたハーモニーを奏で土手に小さき命をいざなう
風に揺れる「星の瞳」の如しオオイヌノフグリと浅緑に愛らしハコベ
いつしか私の足下にも春がある
春がそこかしこで動いてる

三春へ先ず一歩する心かな (高木晴子)

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クリスマスローズ(Christmas rose) ~ 春にこころあらば~
- 2009/02/05(Thu) -
赤紫クリスマスローズ

このクリスマスローズは我が家にある中で一番の古株である。
10年ほど前に知人が株を分けてくださったものを地植えにしてある。
土から直接伸びた花茎の先に花がある。
低い位置に下向きに咲いているのでなかなかその表情をとらえにくい。
同じ高さに自分の顔を沈めて目を近づけて見る。
ようやくのことして黄色い蕊が見えたのは1輪だけ、他はほぼ真下を向いているので中はまるで見えない。
腹ばいになった尋常でない格好の私を、他人は「何してるんだろう」と奇異な目で見るかも知れない。
自分でもおかしくなるようなそれほどの姿態である。

地べたに蛙のようになりながら、アリを見ては描いた熊谷守一や植物画家の熊田千佳慕の事を思い出していた。
彼らはまさにこうして対象に近づいて観察し自分の表現を貫いた。
何事も求め深めるためには最もいい形は自分で作るしかない。
クリスマスローズにシャッターを切り、胸や膝に付いた土を落としつつそんなことを思った。

春にこころあらばむらさきいろの衣を (八幡城太郎)

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ホトケノザ(仏の座・三階草) ~春立ちぬ~
- 2009/02/04(Wed) -
ホトケノザ

家の道端に、たくさんの赤紫の花を見つける。
顔を近づけないと見逃してしまうほどの小さなこの花、ホトケノザだ。
草の先端に複数の花がそれぞれに外を向いて咲く。
唇形の花はよく見ると何かしらの顔にも見えて可愛い。
葉は車座のようになり対生しその中心を茎が伸びる。
別名の三階草とはその葉の付き方が一段二段三段と分かれていることによるという。。
確かに葉がきれいに段々状になっている。
春の七草にホトケノザがあるが、それはこの花ではなく、別のタビラコ(田平子)のこと。
野の花には同じよう名を持つのがあって少しややこしい。

立春、そろそろ一枚衣を脱ごう。
肌身だけでなく、心の衣も少し軽やかにして。

春立つや愚の上に又愚にかへる (一茶)

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スノードロップ(Snowdrop) ~雪の花とはまた愛(かな)し~
- 2009/02/03(Tue) -
スノードロップ

欅の木の下でひっそりと咲くのはスノードロップ。
ピーナツ一粒ほどの小さな可憐な花である。
Snowdropは雪の雫の意だが、この花には「雪の花」の別名もあるという。
茎も葉も枯れ葉に紛れるほど、その丈は片手にも収まる。
白い小花は下を向いて、なかなかその顔を上げようとはしない。
それでもと覗いてみると、ガルウイングのように開いた中には緑色の小さな逆さハート。
一人、この花の秘密を見つけたような嬉しい気分になる。
暦は季節を分ける時を教えるものの、まだまだこの地の風は冷たい。
そんな中に咲く、恥じらうようなうつむき姿の真っ白な小花。
花言葉は「希望と慰め」、私も癒される。

「マルスの首」が未だあることを伝える遠き懐かし友の声、一瞬にしてプレイバックする。
石膏デッサンの後の夕闇の語らい…、時が遡る。
青春の映像は色褪せない。

スノードロップ乳白色の露地より湧く (田川節代)

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フクジュソウ(福寿草) ~小草生月(おぐさおいづき)に~
- 2009/02/02(Mon) -
ふくじゅそう

草木を照らす日射しも、幾分明るさを増したように感じられる。
風は光り、日脚も確実に伸びている。
草木張月、木芽月、小草生月、初花月、梅見月、雪消月…2月の異称はどれも美しい。

庭の福寿草も咲いた。
まだ葉はなく土の上に花がある。
艶やかな多数の花弁を持つ黄金色の花、それはまさに地から福寿を持って出てきたかのようである。
北国ではツチマンサグの名もあるというが、これは「土の上でまず先に咲く」花という意だろうか。
朝の光を浴びて徐々に開き、昼に全開となり、3時頃には閉じ始め、夕方には眠っていた。
春告げ便りが届いたような嬉しい如月の初めであった。

 りんの中に春やもてくる福寿草 (信徳)

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メジロ(Jjapanese white-eye) ~梅に目白~
- 2009/02/01(Sun) -
梅に目白

梅に蜜柑を切ってを刺しておく。
しばらくするとメジロがつがいでやってくる。
眼の周りを白い環が縁取って愛らしい。
それはまさにwhite-eye、その名の通り眼白。
全体は綺麗な草色、喉は黄色く、腹部は白い。
雌雄同色なので、つがいのどれがどっちだか判別がつかない。

蕾の付いた細枝を爪で掴み、均衡をとって嘴を入れる。
一口二口突いては、きょろきょろ辺りを見渡す。
ときおり、チュチュッ、チュチュッと可愛い鳴き声をあげる。
「どう、そっちはおいしい?」「うん、とっても」、そんな会話だろうか。
二人の甘い至福の一時は、突如ヒヨドリの登場で破られる。
遠慮のない強面に彼らは蜜柑をおいて素早くその場を離れる。
そんなやりとりをガラス越しに眺める。

今日から二月、しかしこの白梅が心地よい香りを届けてくれるには、まだ時間がかかりそうである。

 梅に来て蕾に遊びし眼白かな (文)

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