
彼女はいつも後ろ姿で現れる。しかも同じ黒い服を着て。
髪は無造作にまとめられ、手や耳、そして首には一切の装飾を身につけずに。
口を開くことも、笑みを浮かべることもなく、白く塗られた壁やドアの質素な部屋の中で佇む。
光沢のあるピアノと壁に掛けられた額のダークブラウン以外、色らしい色のないモノトーンの世界。
無声映画を見るかのような音のない静かな室内。
まるで描く画家もモデルも呼吸するかすかな音さえ憚っているかのように。
水平と垂直に構成されるモチーフの中で、彼女の左腕と手に持つ盆が斜めの角度をもって絵に少しの動きと変化ををもたらす。
《背を向けた若い女性のいる室内》1904年はヴィルヘルム・ハンマースホイ40歳の作品、モデルは彼より5歳年下の妻イーダ。
展覧会を6つのテーマに分けた第三章「人のいる室内」には27のイーダが描かれる。
そのうち18の絵はすべてこのような、顔を見せない後ろ姿を切り取った作品である。
残る9枚のややおぼろげな表現に僅かに彼女の顔の輪郭を伺うことはできるのだが。
そしてまたこの絵の前に立つと、誰もが彼らの室内に入り込んだかのように口を開くことができない空気になる。
ハンマースホイも妻も、きっと必要なこと以外語らぬ寡黙な夫婦だったのだろう。絵を見るとそんな夫婦の世界すら感じさせる。
椅子の脚が3本だったり、ピアノに2本の脚しかなかったり、影が光源と逆に動いていたりと、いくつかの絵には構成としての破綻がある。しかし、この室内にあるそれらはさもそれが真実であるかのようにきちんと位置付いて存在するのだから不思議である。
実際と異なる現実より絵の世界の中の事実の方が優る表現の世界だ。
《雪のクレスチャンボー宮殿》などの建築物を中心とした風景画も心を惹きつけるものが多かった。
それもまた、多くは人物が登場せず、小鳥や荷馬車の音さえ全くしない静かな風景である。
デンマークコペンハーゲンのヴィルヘルム・ハンマースホイが演出する静かなワンダーランドで過ごした晩秋の一時。
小春日和の上野公園はまだ銀杏が青々とし、木々の下ではホームレスピープルの食事の配給を待つ長い列が続いていた。
小春日や眼底までも光たり (阿部みどり女)
《"室内、ピアノと黒いドレスの女性とストランゲーゼ30番地》

《雪のクレスチャンボー宮殿》