
我が家の王林の樹はまだ大人とはいえない。
高さは2㍍にも満たず、人に喩えるなら、中学生といったところか。
若々しさがあるが、どことなくひ弱さもある。
しかし実際のところ、薄紅の美しい花も咲き、こうやってちゃんと実もなる。
先日の早朝のことである。
帰省していた息子がそんなリンゴを見て、「折れそうだよ」と心配して声を掛ける。
手に持って支える息子に「まあ、大丈夫でしょ。」と私は取り合わなかった。
それから二人はそれぞれのイメージで彫刻に汗を流す。
制作も一段落した夕刻、再び畑に歩を進めた私は王林の変わり果てた姿に唖然とした
朝息子が指摘した枝が実を付けたままぽっきりと折れていたのだ。
その枝を息子の前に持って行き、「支柱をしておけば良かったなあ」と私。
そして息子は苦笑いしながら「ほかのも気をつけろよ」と一言。
注意を促し忠告してくれることへ、素直に耳を傾け受け止め、行動に移せること。
当たり前のことだが、息子とのやりとりと身近な失敗からまた一つ考えた。
知識は水に似ている 「ユダヤ格言集」 岡井隆~けさの言葉より~