ハギ(白萩) ~いにしえ人は芽子といひ~
- 2008/08/31(Sun) -
白萩

万葉時代にもっとも愛された秋草だったという萩は古くから多くの詩歌に詠われてきた。
何すとか 君をいとはむ 秋萩の その初花の 嬉しきものを  (万葉集 巻十2273 詠人不知)
     なにゆえに愛しいあなたを嫌うことなぞありましょうか。
     秋に初めて咲く萩の花に出会えた歓びのように
     お会いできるたびに嬉しく思う私なのです    (文 私訳)

草冠に秋と書いて萩、つまり秋を代表する草を意味する。これは日本だけの読み文字である。
この名付けからしていかに日本人の感性を惹きつける花であったかが分かる。
因みに漢字の音で表す「萩(しゅう)」とは本来ヨモギのことである。
今、我が家の玄関前でも白萩が枝垂れて咲いている。
今日で8月も終わる。今年もまた様々な思い出を残して夏が遠ざかる。

 その花の名を聞くのみになつかしき白萩などの咲く頃となる (佐藤佐太郎)

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ユウゼンギク(友禅菊・ 宿根アスター)
- 2008/08/30(Sat) -
友禅菊

品のある鮮やかな色の友禅菊。
この美しい躑躅色は、清少納言が冬に着る下襲の色として『枕草子』で筆頭にあげている色。(福田邦夫)
花期が比較的長い花なので、他の菊が咲く頃までその色を繋いでくれる。
本来はNew York asterと呼ばれ、北アメリカが原産であるという。
その色といい、その姿といい、和の風情を感じさせるこの花には、確かに「友禅」の名が似つかわしい。
そばでは可愛い薄紫の野菊も顔を見せはじめた。
ぼつぼつと秋の花々もお目見えだ。

菊咲けり陶淵明の菊咲けり (山口青邨)
 
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バラ(宴) ~雨薔薇(あめそうび)~
- 2008/08/29(Fri) -
雨薔薇

『毎朝・・会うのが楽しみ・・優しいパステル色は・・「モーニングブルー」と呼んでるの』
晩夏に咲く濃い蒼、淡い蒼の朝顔を描いた素敵な文の一節を見つけた。(PANSY「蒼 濃く…淡く…」より)
「モーニングブルー」、なんて響きのいいイメ-ジ豊かなネーミングだろう。

突然、激しい雨が降り出した。庭が雨水で覆われる。たちまち、そばの川が濁り、流れが音を立て勢いを増す。
まるで夏の終わりを告げるかのような思いを抱かせる強烈な雨だ。
1時間程で小降りとなる。傘を差して外に出る。流れた後の水模様が庭に描かれる。
花々はどうだろう。枯れ色になった紫陽花が頭を地に付け、土の跳ね返りをかぶっている。
ニラの白い花が直立してすっと首を伸ばしている。

歩を進めると、その激しい雨の後にもかかわらず、いくつものバラが雨を溜めて綺麗に咲いている。
この赤い「『宴」を見た瞬間、ふと言葉が口からついて出てきた。
『雨薔薇(あめそうび)』……、雨滴を湛える薔薇をそう名付けて呼ぼう。
私の辞書にまた新しい言葉が加わった。「雨薔薇… モーニングブルー」。

    贅沢に寡黙に薔薇に降る雨は (原田青児)
 
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ハギ(萩・江戸絞り)
- 2008/08/28(Thu) -
江戸絞り

庭では白萩など、幾種類かの萩が揃って咲いている。
その中で、この江戸絞りは他に先駆けて7月の終わり頃から咲き始めていた。
マルバハギなどのような枝のしだれは顕著ではない。
白い花びらに薄紅色のグラデーションが部分的に広がる。
一番大きな上向きの花びらの中に、ちょうど絞り染め模様のような筋が広がる。
この花の名の由来はそこにあるのだろう。花自体は小さいが、品がある。
和の器に短く一枝挿して、さりげなく部屋の片隅に置くのがいい。

この萩のやさしさやいつも立ちどまる (高浜虚子)
 
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ヘクソカズラ(屁糞蔓)
- 2008/08/27(Wed) -
へくそかずら

人は時々勝手で、とんでもない発想をするものだ。
たとえば、自然が先にありきなのに、自分を中心に考える傲慢さがあったりもする。
この花の名前についてもその一例といえよう。
他の木々に絡みつきながら咲く可愛い小さな花「ヘクソカズラ」、葉茎の緑に白い色が映える。
フリンジのように縁を飾られた花びらと、その芯を彩る紅紫のコントラストも綺麗である。
しかし彼女は、自身に「屁」と「糞」を合わせて名付けられるなんて、思いもよらなかったことだろう。
茎を折ると強い匂いを発することに由来するというが、それにしても可哀想ではないか。
絡みつかれているのはエニシダ、これには金雀枝の字を当てる。随分な違いだ。

柳宗民の著の中で、その最後の行に「その花の可憐さからサオトメバナとも云う」とあるのを見つけ、溜飲が下がる。

名をへくそかずらとぞいふ花盛り (高浜虚子)

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マツヨイグサ(待宵草・ツキミソウ)
- 2008/08/26(Tue) -
マツヨイグサ

夕刻に開き翌朝にはしぼむ黄色い一夜花、マツヨイグサ。
以前、その開花を見ようとじっとその前に腰を下ろして待ったことがあった。
その時の様子は次のように記述されている。
 “開花はまだ周りが明るい夕方、細長い蕾のがくの部分に亀裂が入り、中の花びらがのぞき始める。
  そして15分後にはほぼ完全にはらりと開き終えた。”
朝が早い私はしぼむ前に、そのやさしいレモンイエローの花を見ることができる。

「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草(よいまちぐさ)のやるせなさ 今宵も月は出ぬそうな」
しかし実際には、竹久夢二が歌う宵待草(よいまちぐさ)という花はない。
彼は待宵草(まつよいぐさ)を音の響きと、その「人を待つ」にかけて「宵を待つ」と前後を入れ替えたのだろう。
またマツヨイグサは月見草としても一般化されているが、これも正しくはない。
本来の月見草(ツキミソウ)は白色4弁の花である。
私はそれを写真でしか見たことがない。

月見草夕月よりも濃くひらき (安住敦)
 
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クズ(葛・kudzu‐vine)
- 2008/08/25(Mon) -
クズ

蝉もいつやらその声が少なくなり、夜は秋虫が時を告げるかのように草むらで奏でる。
朝、キリギリスが庭で遊ぶのを見て捕まえ、部屋に入れた。
その胴に比して長い角度のある脚と前に伸びた触角の形態が面白い。
昔読んだイソップを思い出しながら、しばらく童心に返って眺める。

そろそろ秋の七草という言葉が語られ、耳に入る頃となった
葛がまるでニューロンのように庭先へ伸びてくる。
その芳香のある紫紅色の花はそれなりに美しさもある。
しかし、その強健な繁殖力を放任すればとんでもないことになる。
下の川から這い上がってくるのだが、これはとても困る。
ほっとくわけにはいかないので、様子を見て時々、大鎌でその蔓を切らなければならない。
情緒ある秋の七草とは言え、葛については花だけなら味わいもしようが、他は遠慮願いたい。
葛粉、葛湯、葛根湯…その有能な資源植物として、あるいは薬効は承知はするが…。
葛の英名は「[kudzu‐vine](葛という蔓植物)」、そのままである。

兎追ひし山こそ思へ葛の花 (所山花)


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ケイトウ(鶏頭・cockscomb)
- 2008/08/24(Sun) -
ケイトウ

毎年同じ場所に群れなして花咲く鶏頭。
数え切れない程の顔を見せてくれる彼女らのために、そのスペースは確保してある。
花序が尖卵形になっていることから、どうやらこれはヤリゲイトウのようだ。
推測で言うのには、私には植えた記憶がないからだ。
美しいとか可愛いとか言う前にただただ時を知って一斉に咲く姿が愛おしい。
種は飛ぶのだろうか、思わぬ所に次々と顔を出して困ることもある。
増えすぎて抜き取った数は200本を下らない。
その後ろではカスミソウが溢れている。
これも6月に花の盛りを終え株を切りとったのに、また元気に2度咲きするのも嬉しい。
朝夕めっきり涼しくなった。秋は足音も立てずに静かに近づいている。

鶏頭は終始を花の盛り哉 (徳野)

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ゲンノショウコ(現の証拠・ミコシグサ)
- 2008/08/23(Sat) -
現の証拠

小さな白い花びらのゲンノショウコ。
それは可愛い5づくしの花。
5つの花びらには薄紫色の5本の花脈が走る。
花びらの外に覗くのは5本の萼の先端。
雌蕊は5裂し、雄蘂は5の倍10本。
5の花ゲンノショウコ、庭の周りでひっそりかんと風に揺れている。

ゲンノショウコ ゲンノショウコ ゲンノショウコ…。
さあさあ、よく効くお薬だよ。さあさあ、いい子でお飲みなさい。

うちかゞみげんのしようこの花を見る (高浜虚子)

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ヒマワリ(日車・日輪草) ~遅れやってきた向日葵~
- 2008/08/22(Fri) -
ひまわり

ここへ来てやっと向日葵が咲き出した。しかし、まだ一本だけだ。
「向日葵の迷路で遊ぶ子等、一面の向日葵畑でシャッターを切る…」はだいぶ前の新聞の見出し。
我が家の向日葵はさしずめ周回遅れのランナーのよう。
次々と賞賛のインタビューを浴びている中で、ようやくゴールにたどり着く。
でも、これが自分のペース、自分のレース、私色のメダルと太陽に向かっての笑顔。
ラジオから秋虫の声の便りが届く中、我が家の向日葵はこれからが本番を迎える。

子ども達が荷物を手に鞄を背負っている。そうだ、もう夏休みは終わったのだ。

ひまはりかわれかひまはりかわれか灼く (三橋鷹女)
 
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バラ(ミニュエット) ~落ち葉よ~
- 2008/08/21(Thu) -
ミニュエット

桜が葉を落とし始めた。
また、春の花咲かせに備え出したのだ。
黄葉、病葉(わくらば)を楽しみつつ、箒を持つ。
胡桃も大きな葉を花の間に舞落とす。
季節を肌で感じ取る木々。

薄いピンクを主調色に周りを濃く縁取られるのはミニュエット。
優しい色合いのバラだが甘く強い芳香を放つ。
箒を動かしながら古からの薔薇の名を諳んじてみる。
しょうび そうび 月季花 長春花…詠うのにもまた美しい。
ミニュエットを一輪部屋に入れて楽しもう。

 薔薇の香に伏してたよりを書く夜かな (池内友次朗)
 
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バラ(ウエストミンスター) ~久しぶりの雨~
- 2008/08/20(Wed) -
ウエストミンスター


久しぶりの雨である。しかも雷を伴う激しい雨だ。
草花も一息付ける。ありがたい。
小やみになったところで庭へ出る。
花を見る。
雨を受け、その重みで傾く花々。
雨を纏い、艶やかさを増す花々。
雨が花の表情を変える。

遣らずの雨 小糠雨 篠突く雨 柴榑雨 漫ろ雨 ほまち雨 時知る雨…。
私は雨が好きである。

花薔薇やこぼれそうな雨滴かな (文)

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バラ(レディローズ) ~やさしき言葉~
- 2008/08/19(Tue) -
レディーローズ

  薔薇はつつましやかにほほ笑みて
  われ等が心の底にまでも清き匂いにしむ許り
   やさしき言葉を語るなり
(ルミ・ド・グールモン)
最近知った言葉である。
声に出して読む。その通りだと心に飲み込む。
暑い日が続く。綿菓子のような白い雲が浮かぶ。
呟く。
 人だけだ。この暑さに右往左往しておろおろするのは。
 デリケートな薔薇だってきれいに花咲かせているではないか。
 薔薇に言葉があるのならこの暑さをなんという。
でも、ただほほ笑み返すだけかもしれない。
 
深々と礼をするかに薔薇見入る (上田日差子)
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アサガオ ~朝露を受けて~
- 2008/08/18(Mon) -
朝顔二輪

庭の至る所にアサガオが顔を出している。毎年のことだ。こぼれ種から出てくるのだろう。
それらは棚を作るでもなく、お構いなしの野放図のままである。
しかしこのように、ほかの草木に混じってきままに咲く姿もまたいい。
花は外輪が白に縁取られ、空色から露草色へと色を濃くし、最後は紫に収まる。
そして花模様として描き出されるのは警察章のような整った5角形。
しかも中の小さな紫模様も角度を変えて5角形になっているのも面白い。
我が家のそこかしこで咲く朝顔の色や形がすべて同じなのは、これが本来の顔ということなのだろうか。
そういえば、以前観た酒井抱一や下村観山の描く朝顔はこの色だった。
どこか懐かしささえ覚えさせる。

露深く朝顔の花の並び哉 (聞詩)

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バラ(ピンクノックアウト) ~茄子の馬~
- 2008/08/17(Sun) -
ピンクノックアウト

しばらく雨が降らない。日中どんどん気温が上がる。土が乾ききっている。
朝夕に水遣りをする。ヒマワリはまだ咲かない。ユズの実が膨らみだした。
アゲハの幼虫がパセリを食い尽くして移動している。赤とんぼがやってきた。
そんな夏の日射しの中で咲くバラの名はピンクノックアウト、中輪の優しい色をしたバラだ。
私のノートにはバラに関した記述がいくつかある。
「バラに刺がある 
  二人歩く あなたは言う バラは美しいけれど、棘があると
  わたしはう言う バラは刺があるけど 美しいと」
言葉は生きている。言葉はその位置、前後で意味が変わる。
言葉は使い方一つ、そのニュアンスを大事にしたい。

お盆も終わる。夏が駆けていく。私の野菜や果物を写真の父は味わってくれただろうか。

父乗せてビールをそばに茄子の馬 (文)
 
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キキョウ(桔梗・Japanese bellflower)
- 2008/08/16(Sat) -
キキョウ

朝、空を見上げたら鰯雲があった。
それは時間が経つにつれ、気温の上昇とともに消え、また夏雲に変わった。
空の上ではもう秋と夏とが出入りしているようだ。
早朝のラジオからはコオロギの初鳴きの便りが各地から届けられる。昨日私もその声を初めて聞いた。
日の出も遅くなり、朝夕の涼気は確かに忍び寄る季節の移りを感じさせる。
庭の桔梗もそろそろ花数が少なくなった。
星のような花の中には五裂に反り返った可愛い白い雌蕊が顔を覗かせる。
そして花びらには内から外へ向かって線描されたような筋がいくつも伸びる。日本画の世界だ。
開く前の蕾は懐かしい紙風船にも似る。 英名ではballoon‐flowerとも呼ぶとあるが、この形に因むのだろう。
そういえば「野生でほとんど姿を消しているキキョウ」の記事を目にしたのは去年の今頃だった。
万葉や平安の人々にも愛された花が消えゆくのは淋しい。
花言葉は「変わらぬ愛」、その優しく美しい花姿にふさわしい。

きりきりしやんとしてさく桔梗かな (一茶)

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チョロギ(草石蚕・Japanese artichoke)
- 2008/08/15(Fri) -
チョロギ

正月の料理に欠かせない赤染めされたチョロギ、その花は今が盛りである。
シソ科の多年草で、茎の先にヒメオドリコソウに似た薄紫色の花を咲かせる。
小さな巻き貝のような形は地下に生ずる塊茎だ。
茎を引き抜くと、やや白みがかった、あのくびれた形がいくつも付いてくる。
チョロギは、ビフィズス菌増殖作用があるオリゴ糖を含むため、きわめて健康にはよい。
しかし、実際にはそれはめでたい席での料理の彩りとしての役割が大きい気がする。
花が終わる頃になると、毎年土の中で待っているニョロニョロに出会える楽しみがある。

紅紫蘇の色に漬かれる草石蚕かな (菅原師竹)
 


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キク(スプレーギク セザンヌ
- 2008/08/14(Thu) -
キク

玄関左手のヤツデの下で8月の初めから咲いている菊がある。
我が家のキクの中ではいつも一番先に咲く、セザンヌという名のスプレーギクだ。
臙脂色の花びらが白で縁取られたバイカラーとなっている。
野菊を一回り大きくした程の小輪の菊で、楚々として可愛い。
後期印象派セザンヌの名がなぜ付くのかも興味深い。
その洋風の名を持ちながらも、風知草や秋明菊に混じって違和感なく溶け込んでいる。
女郎花とともに盆の器に活ける。

新盆や悲しけれどもいそいそと (田口秋思堂)
 
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ホオズキ(鬼灯・酸漿)
- 2008/08/13(Wed) -
酸漿

ほおずきの語源を調べてみる。
子どもの赤い頬(ほお)にたとえたもの。
その実を鳴らして遊ぶ際の顔、すなわち頬を突き出す(頬突き)様子から。
蝥(ほう)という虫(根切り虫)が付くから蝥付(ほおずき)だという説、これは牧野富太郎博士が採る。
ほおずきの異称を調べてみる。
アカカガチ、カガチ、カガミコ、ヌカズキなど。
古事記にはその形を八岐大蛇(やまたのおろち)の目の形容として赤酸漿(あかかがち)の語があるという。
ほおずきの字を調べてみる。
鬼灯と書くのは、盆の精霊迎えにホオズキちょうちんを使用したことに関係がありそうだ。
英名でJapanese lantern plant(日本手提げランプ草)とあるのもその形が提灯のように見えるからか。
酸漿と書くのは中国で漢方の酸漿根(さんしょうこん)から。
これは利尿剤、小児の解熱、頭痛、腹痛などとして用いられる。 (矢原 徹一・飯島 吉晴)
鬼灯・酸漿の字に誘われて色々と調べてみたがなかなか面白い。
庭で赤くなった一茎を切りとって父の元へ送った。

 鬼灯やまことしやかに赤らみぬ (高浜虚子)

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グラジオラス(唐菖蒲)~北島の金メダル~
- 2008/08/12(Tue) -
グラジオラス

昨日の北島康介の世界新でのゴールドメダルという、最高のパフォーマンスには興奮した。
メダルを取って当たり前と期待されたプレッシャーの中での金の獲得という快挙は凄いとしか言いようがない。
アテネ以来、この4年間を精神的にも肉体的にも最上の状態で維持するのは並大抵のことではなく、まさに偉業といえる。
直後のインタビューでタオルで顔を覆い、涙で声を詰まらせていた彼の姿が印象的だ。
そこには人知れず、苦しみを乗り越え、困難を克服してきたことへの万感の思いがあったのだろう。敬服する。

他の色のに少し遅れて青紫のグラジオラスが咲いている。
一つの方向を向き、長い穂先の下から上に昇るように咲くグラジオラスの花言葉は「たゆまぬ努力」。
まるで一心不乱に頂点をめざしてきた北島を象徴するかのような言葉である。
もう一つある言葉は「楽しい思い出」、私のこの夏の思い出にはどんなファイルが綴じられるのだろう。
暑さに負けず、一日一歩、一所懸命に。

なにごともなきが如くに唐菖蒲 (文)
 
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ハイビスカス ~暑い太陽の下で~
- 2008/08/11(Mon) -
赤い仏桑花

普段はあまりテレビを見ない私だが、昨日は仕事が一段落したところでスイッチを入れた。
画面では高校野球の熱戦が繰り広げられている。
第4戦、沖縄浦添商業と千葉経大付属との試合に照明が点灯される。
少し早いがビールを取り出して、テレビ観戦をする。
好投手同士の戦いということで投手戦になるとの大方の予想と違い、凄まじい打撃戦となった。
結果は12対9、ともに激戦区を勝ち抜いてきた両チームであるが、エースがこんなに打たれたのは初めてだろう。
浦添商業の選手の溌剌としたプレーと全力疾走、そしてなにより常に笑顔を絶やさない表情が印象に残る。
春の選抜の沖縄尚学に続いて、沖縄勢の春夏連覇に期待したい。

話は変わるが、沖縄では民家に生け垣として、琉球木槿の異名を持つハイビスカスが植えられていたりする。
濃緑の葉と赤い花が石垣を覆うように咲く様は、どこかのどかで懐かしさを覚えさせる。
およそ季節の違うここ信州ではあるが、我が家でも降り注ぐ太陽の強い日射しを受けて、今赤いハイビスカスが咲く。
ところで私はハイビスカスと呼ぶより、幼い頃より親しんできた仏桑花(ぶっそうげ)と呼ぶのが好きである。

仏殿の前に一対仏桑花 (太田正三郎)
 
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サルスベリ(百日紅・紫薇花)
- 2008/08/10(Sun) -
百日紅

多くの花が枝先に群がるように寄せ集まって咲くサルスベリ、顔を近づけてよく見ると造形のおもしろさがある。
一つの花は6枚の縮れたフリルのような花びらが等しい間隔で放射状に広がる。
花の中心からは弧を描くような1本の雌蕊と黄色い柱頭を持つたくさんの雄蘂がにょきっにょきと伸びる。
萼は星のような整った6角形をし、花びらはその谷から花柄を細く伸ばした先に付く。
咲く前の萼は手鞠のように真ん丸で、まるで正確に測られたかのように6等分され仕切られる。
しばらく経ち、花終わる頃になると鮮やかな紅色は青紫に変わり、そして萼も再び丸く閉じて花びらを落とす。
花期が長いことでヒャクジツコウ(百日紅)の名を持つが、異名の紫薇花と書くとまたその色姿を表すようで美しい。

てらてらと百日紅の旱かな (正岡子規)

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トンボ ~シオカラトンボとケイトウ~
- 2008/08/09(Sat) -
シオカラトンボ

秋立ちぬと暦で季節の行き合いを知れども蝉時雨激しくて、炎暑が続く。
何処何処で37℃などと聞いても驚かなくなった麻痺状況、これではいけない。
8月の朝、ホトトギスがホーホケキョと鳴くのはそれも哀しい。
この時期いまだ一人さえずるのは恋が実らなかった雄だと聞く。
草取りの手を休めて木陰に入る。
アゲハチョウやシジミチョウ、モンキチョウが散歩にやってくる。
ケイトウの上に留まるのはシオカラトンボ、今年初めて見る。
ちょっと飛び去ってはまたケイトウを抱え込むように留まる。
そのやわらかな触感が彼女には心地よいのだろうか。
トンボが教えてくれる季(とき)の移りを感じつつまた草を抜く。

  翅に風あしらひとんぼ止りをり (齋田鳳子)
 
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ナシ(新水) ~ああ ヒヨドリ殿よ~
- 2008/08/09(Sat) -
新水

新水は幸水、豊水そして南水などと並ぶ赤梨を代表する一つだ。
しかし、我が家の新水はこのように無残な姿となっているのがいくつかある。
これは朝からうるさくやってくるヒヨドリ殿の嘴によるものだ。
我が家の果物の多くは家人が口にするより先にいつも彼らの食事となる。
いくら寛大な私でも、これだけは遠慮願いたい。
今年は父の新盆への供物にしたいからである。
一番いいのを選び、御仏の前に届ける予定だ。
今日はヒヨドリより先に全部の実を取ることにしよう。

一つ捥ぎさらに大きな梨を捥ぐ (山崎ひさを)

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オカトラノオ(丘虎尾)
- 2008/08/08(Fri) -
オカトラノオ

庭に生えてくる野の花や草をできるだけそのままにしてある一角がある。
そこに赤まんまや虫取り撫子などが広がる。
そして、このオカトラノオも毎年その場所で同じように咲いてくれるひとつである。
数㍉ほどの小さな白い花が下から順に開いていく。
花数が増すに従い、花穂は徐々に垂れ下がるようにその先を傾けていく。
事典を開くと「丘のような場所に多いこと,白い花序を虎の尾に見立てたことから,和名がついた」とある。
また「中国では薬用、植物油の原料、家畜の飼料にも用い、若芽は食用になる」(井上 健)そうだ。
いかめしい虎の尾というより、私にはじゃれつくような可愛い白い子猫の尾のように見える。
しかし、その清楚で可憐な姿が今年はいつもの年より少ない。
人、花も年々歳々相同じからずである。
 
掌に承けて虎尾の柔かき (富安風生)
 
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クンシラン(君子蘭) ~猛暑の中で~
- 2008/08/07(Thu) -
君子ラン

「猛暑にフジの花満開」との見出しで、持ち主の笑顔とともに綺麗なフジが中日新聞に掲載されていた。(8/6)
よそからもそのような話題がラジオなどを通していくつも届く。
自然の成り立ちのなかで花々を狂わせる何らかの素因が生まれているのだろうか。
我が家でもヤマブキをはじめとして、いくつかの花に返り咲きや狂い咲きが見られる。
このクンシランもその一つである。いつもの年なら3~4月頃ににかけて咲く花だ。
それが今年はどの鉢も花を咲かせることなく春が過ぎた。
そして猛暑のこの時期になって、鮮やかな橙赤色の美しい花を開いたのである。
真夏にクンシラン、そぐわない光景だが、複雑な気持ちを持ってありがたいと言おう。

石も木も眼(まなこ)に光る暑さかな (去来)
 
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リンゴ(王林) ~重みにたわみ~
- 2008/08/07(Thu) -
林檎王林

我が家の王林の樹はまだ大人とはいえない。
高さは2㍍にも満たず、人に喩えるなら、中学生といったところか。
若々しさがあるが、どことなくひ弱さもある。
しかし実際のところ、薄紅の美しい花も咲き、こうやってちゃんと実もなる。

先日の早朝のことである。
帰省していた息子がそんなリンゴを見て、「折れそうだよ」と心配して声を掛ける。
手に持って支える息子に「まあ、大丈夫でしょ。」と私は取り合わなかった。
それから二人はそれぞれのイメージで彫刻に汗を流す。
制作も一段落した夕刻、再び畑に歩を進めた私は王林の変わり果てた姿に唖然とした
朝息子が指摘した枝が実を付けたままぽっきりと折れていたのだ。
その枝を息子の前に持って行き、「支柱をしておけば良かったなあ」と私。
そして息子は苦笑いしながら「ほかのも気をつけろよ」と一言。

注意を促し忠告してくれることへ、素直に耳を傾け受け止め、行動に移せること。
当たり前のことだが、息子とのやりとりと身近な失敗からまた一つ考えた。

知識は水に似ている 「ユダヤ格言集」 岡井隆~けさの言葉より~
 
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コオニユリ(小鬼百合・菅百合)
- 2008/08/06(Wed) -
コオニユリ

山百合やカサブランカに比べると、その斑の入ったオレンジ色はひと味違う素朴感がある。
そして、豪華絢爛の彼女らと違い、いくつも揃って咲く姿がまたなんとも庶民的だ。
花びらの先端を外側にくるりと反り返らせるところなど、リズミカルに踊っているようにも見える。

話は変わるが、私は茶碗蒸しが好きである。特に銀杏(ぎんなん)などが入ると嬉しい。
ましてや百合根など入るというまでもない。このコオニユリ、実のところそういう運命だった。
しかし、スーパーで購入したこの百合根、いつの日にかそのことさえ忘れら去られ食卓上ることはなかった。
その哀れな彼女を私は庭に植えることにした。それがこの結果である。もう数年も前の話だ。
それからというものはこうして花として、彼女は人生を歩んでいる。

ひだるさをうなづきあひ百合の花 (支考)

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ナシ(幸水) ~アトリエの外には~
- 2008/08/06(Wed) -
アトリエと梨

アトリエの窓を開ければ、手を伸ばすところに幸水がある。
今のところ、病気もなくその玉は順調に丸みを太らせている。
お盆には、父の元へ送り届けられるだろう。
ところで、ほかに新水と二十世紀もある。
だが、二十世紀には一つも実がなっていない。
思い当たるのは剪定、他の2本に比して強く剪ったからだ。
やはり、植物はデリケートだ。もっと勉強しなくてはと反省する。

8月を迎え、ネオマスカット、プルーン、甘柿の富有、次郎…と様々な果実が大きくなってきた。
サルナシは親指大の可愛いまま、そろそろ採り時だ。
夏は花の季節でもあるが、果実の成長の時期でもある。

仏へと梨十許りもらひけり (正岡子規)

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ダリア(天竺牡丹・dahlia)
- 2008/08/05(Tue) -
赤いダリア

過日、花卉農家を訪ねる機会があった。
ダリアやデルフィニウム、リアトリスなどの出荷準備で忙しい様子だった。
短い時間ではあったが、プロフェッショナルとしての蘊蓄のある話を色々とお聞きすることができた。
一番興味深かったのはダリアの話だ。最近は結婚式などでの需要が多いという。
そこで一番大切にすることは、花の付く茎をいかに長くするかということだという。
直接的に言えば、茎の長さによってその値が決まるのだ。
花の美しさより茎の長さに価値があるという市場原理、よく分からないがそれが求められている。
我が家のダリアはそんなこと関係なく、私のために短い茎で深みのある赤い色を披露してくれる。
品として流通される花と、楽しみ育てる花の違いだなどと、ひとりで声にしない言葉を交わす。
ダリアはもともとメキシコが原産地、そこではアステカ族により薬草として栽培されていた。(小西勇作)
仕事として花を育てる人はそれなりのマーケティングの術を持たなければならない。
私は、花がそばにあればそれでいい。

曇る日は曇る隈もつダリアかな (林原耒井)
 

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シモツケ(繍線菊・Japanese spirea)
- 2008/08/04(Mon) -
シモツケ

枝先に小さな淡紅色の花が密になって多数咲いている。
3㍉ほど小さな五弁花のシモツケだ。
多くの細い枝が根元から群がって伸び、80㌢くらいの高さになっている。
シモツケは,生育地の今の栃木県下野国からつけられた名で、山野に自生しているという。
本来はそのような人里離れたひなびた地で咲く野の花なのだろう。
そういえば、以前通った山あいの道沿いにもそんな姿で多数咲いていた。
車を止め、蜩の声を聞きながら、他の木々に紛れて咲く姿を少しの時間眺めてのを思い出す。
昨日は、汗が流れる公園で白花のシモツケも見ることができた。
地味で素朴な花だが、野趣に富んだ味わいのある花だ。

後の日に知るに繍線菊の名もやさし  (山口誓子)
 
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