ヤマブキ ~極暑の中で~
- 2008/07/31(Thu) -
一重やまぶき

「暑いと言ったら100円罰金!」と言われて300円。
分かっていても「暑い!」の言葉がついつい口を出てくる。
勤め先に持参したお茶はすぐに底をつく。
まるで口を開け、ハアハアと舌を出す犬のようだ。

しかし、暑さに負けじとして開く花もある。
本来春の花である八重、一重、菊咲きのヤマブキもちらほらと顔を覗かせる。
しかし、やはりヤマブキは眩しく強い太陽の光には似合わない。
離ればなれに一輪二輪と咲く姿も何か淋しげであったり、恥ずかしげにも見える。
そういえば、去年は9月にも咲いたことを思い出す。
近くでは紫陽花がこれから新しい花をさかそうと白い蕾を広げている。
青紫のクレマチスも2~3日前から咲き出した。
猛暑の中のこれらの時季外れの開花は何を語るのだろうか。

今日は7月最後の日、考えてみれば今年も折り返し点をだいぶ過ぎている。
今一度気を引き締め、着実な歩みをしよう。

山吹の狂ひ花ある極暑かな  (高浜虚子)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(4) | ▲ top
ルドベキア・タカオ (Rudbeckia triloba ・Takao)
- 2008/07/30(Wed) -
ルドベキアタカオ

大きな株となって庭にとけ込むようにたくさんのルドベキア・タカオが咲いている。
7株~8株ほどが自然の風合いよろしく、気ままな姿で野趣の味わいを楽しませる。
ひまわりを小さくしたような花で、頭花が枝先につく姿はキクイモにも似ている。
黄色い舌状花に囲まれて、中心にはこげ茶の管状花が半球形に盛り上がる。
きわめて丈夫な花で手をかけることなくとも、毎年この時期きまって夏の彩りとして顔を見せてくれる。
しかも花期が長く、秋まで咲き続けるのがありがたい。
一輪切って小さな花瓶に挿すのもいいし、枝を長く切りとって、ばっさりと大きな背丈の器に活けるのもいい。
花言葉は「鮮やかな態度」、この真夏の暑さにも負けずに次々に咲く健気さを読み込んでいるのだろうか。

世にも暑にも寡黙をもって抗しけれ (安住 敦) 恋ひしさも暑さもつのれば口開けて (中村草田男)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
アメリカフヨウ (クサフヨウ・草芙蓉)
- 2008/07/29(Tue) -
アメリカフヨウ

毎日のように、赤いアメリカフヨウが一つ二つと花開いていく。
ふんわりとしたやわらかな花だ。
しかし、翌朝には雑巾を絞ったようなねじれた形に姿を変える。
日の出とともに咲き、日が沈むと閉じる一日だけの顔見せ花である。
去年は両手を広げる大きさだったが、今年のは片手でおさまるほどである。
きっと、その成長に必要な何かが足りなかったのだろう。
クサフヨウとあるように、草本なので冬には地上部はすべて姿を消す。
忘れた頃の春に顔を出し、そしてこのように夏の暑い盛りに燃えるような色を再び見せる。
しばらくはこの花とともに夏をやり過ごそう。

昨日は突然の激しい雨、そして雷鳴が轟いた。
花や野菜にも夏ばて症状が出ていただけに、土にしっかりと水が供給されてありがたい。
天然シャワーを体いっぱいに浴びた木々や草花にも喜びの笑顔が浮かんでいることだろう。

木々の風雷雨はれたる雫哉 (星野麦人)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
オリヅルラン(折鶴蘭)
- 2008/07/28(Mon) -
折り鶴蘭

折鶴蘭を、私が育てるようになったのはもう10年以上も前からになる。
植物としての魅力はもちろんだが、その音の響きと文字の組み合わせの美しさにもまた惹きつけられた。
多数のやわらかな細長い葉が鉢から四方に垂れ下がるように伸びて広がる。
時々知らないうちに、枝の先端に新たに生まれた子株が気根を出して地に付けていることがある。
それを切りとって土に埋めてやるとすぐに成長を続けるので、簡単に増やせる。
南アフリカ原産だけに、寒さにはきわめて弱く、冬は部屋に入れて管理する。
花は長く伸びた茎の先端に並ぶように咲くが、しかしそれは小さくてしかも葉に紛れているために目立たない。
いや、むしろ人はその葉に観葉植物としての価値を求めているために、花そのものに気づく人は少ないのかもしれない。
六弁の小さな愛らしい白い花は広めの花びらと細い花びらがそれぞれ交互に並ぶ。
折鶴蘭の名はその花の姿を鶴に見立てているのだと思っていたが、それは違うのだということを最近知った。
本には「新たに生まれる子株の葉の姿が,折鶴に似るところから名づけられた。」(坂梨 一郎)とある。
とんだ勘違いだったが、この白い花も私にはまるで白鶴が揃って空を飛んでいるように見えたりする。
猛暑が続く中、このあどけなさを感じさせる花が一服の涼を与えてくれる。

折しも昨日、千葉紘子の「折鶴」(1972)がラジオから流れていた。
 ~誰が教えてくれたのか 忘れたけれど折鶴を 無邪気だったあの頃 今は願いごと‥
    いろんなことが あるけれど それは誰でも そうだけど 悔いのない青春を うたって歩きたい~

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
セイヨウノコギリソウ(西洋鋸草・アキレア)
- 2008/07/27(Sun) -
西洋ノコギリソウ

庭の縁で白い花が集まるように咲いて、風に揺れる。
それはわずか数㍉の小さな五弁のセイヨウノコギリソウ。
その名のように葉が両刃鋸のようにぎざぎざになる。
地下茎で広がり増えていくので、思わぬ所に顔を出したりする。
それ故、時々根ごと抜かれてしまうことにもなる。今年も桔梗を脅かしている。
これはもう何年も前にアリッサムやクリムソンクローバーなどと一緒に蒔いたものだ。
すっかりわが家に馴染んで、夏の顔の一つとなった。
野の草のようなその自然の風合いがいい。

鋸草伸びゆく日々を湯治かな (矢数とり)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
アジサイ(額紫陽花)~両生花もまた~
- 2008/07/26(Sat) -
ガクアジサイ両性花

青紫色の装飾花に包まれるようにガクアジサイの中央には、ごく小さな両性花がたくさん集まる。
目を近づけると、5枚の萼片を持つ2㎜~3㎜ほどの花が咲いている。
よく見ないとそれが花なのかはわからないほどではあるが、10本のおしべがあることで確かめることができる。
多くは周りを縁取る4枚の装飾花に目がいきがちであるが、珊瑚の海をも思わせるこの淡青紫色の両生花もまた美しい。
ガクアジサイは、今我々が多く目にするアジサイの母種で、これから様々な品種が生まれたように聞く。
アジサイの語源として〈集(あづ)真(さ)藍(あい)の意〉と《大言海》にあるが、こうしてじっくり見ると確かにと思う。
荒俣 宏の記すところでは「アジサイの花ことばは〈高慢〉〈美しいが香も実もない〉。女性への贈物にはふさわしくない」とある。
これは気をつけなくてはいけない。

あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼 (佐藤佐太郎)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
ハツユキソウ(初雪草「氷河」・Euphorbia)
- 2008/07/25(Fri) -
初雪草と蜂と

波打つような白い葉を広げ、涼やかな気分にさせてくれているのは「氷河」という名の初雪草である。
葉と言うなら、それを縁どるように白く広い斑が入っているというのが正しいのだろう。
英名ではSnow on the mountain.、なるほど山の上の白い雪を思わせないでもない。
緑色が見せる形は、ここ信州で春に見られる「島田娘」などの雪形のようでもある。
1年草だというが、我が家ではここのところ毎年のようにこの時期に姿を見せてくれ、多年草化している。
花は数㎜ほどと小さく、4枚の花びらは葉に紛れて目を凝らさなければ見落としてしまうほどである。
蜂が来て留まるので、そこに花があることを教えてくれる。
いま蜜を吸っているのはフタモンアシナガバチ、去年首を刺されたハチだ。

寒山か拾得か蜂に螫(さ)されしは (夏目漱石)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(6) | ▲ top
チェリーセージ(Salvia microphylla) ~河童忌~
- 2008/07/24(Thu) -
チェリーセージ

まるで、てるてる坊主が並んでいるように見えるのはチェリーセージ、サルビアの仲間で2㎝程の小さな花だ。
白いブラウスにおそろいの赤いスカートをはいてようで可愛い。
チェリーセージという名は、葉がサクランボに似た爽やかな甘い香りがすることからだろう。
私も元々はハーブとして買い求めて植えたあったが、今ではむしろ香りより花を楽しむようになった。
どうやら性質も強く、植えっぱなしだがこうして枝を奔放に伸ばし、次々に花を咲かせ楽しませてくれる。

梅雨明け宣言を聞いてから各地で猛暑が続き、人の体温を超える地域もあるとのニュースが流れる。
地面は乾ききり、葉も焼けて花や野菜も熱中症寸前だ。
蝉の声を聞く出勤前の早朝と、帰宅後、蜩を聞きながら夕方の水遣りで凌ぐ。

今日7月24日は河童忌、芥川龍之介の忌日である。
龍之介は河童を好み絵によく描き、また死の前年には小説「河童」を著している。

河童忌や水の乱せし己が影 (石川桂郎)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(4) | ▲ top
ゲッカビジン(月下美人)
- 2008/07/23(Wed) -
ゲッカビジン

今朝は目覚めが早かった。
明るい光に誘われて外に出ると見ると綺麗な月が出ていた。
何か得したようなそんな気分で部屋に入る。
午前1時30分、ふとカーテンを開ける。
「あ!」「しまった!」と一人慌てうろたえる。
そう、月下美人が咲いていたのだ。
いや、咲き終わりかけていたというのが正しい。
急いで部屋の中に取り入れる。
3輪とも、もうその一番きれいな時を過ぎていた。
そういえば去年は8時頃から開き初め、それを12時近くまで眺めていたものだ。
悲しい思いはするが、それでもこの時点で見ることができたのは幸いか。
そのかぐわしい強い香りが部屋に満ちる。
今3時、月の光が庭を明るく照らす。
月が起こしてくれたことに感謝しよう。

月盈ちぬ月下美人の咲く夜とて (後藤夜半)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
ヒペリカム(小坊主弟切・Hypericum androsaemum)
- 2008/07/23(Wed) -
ひぺりかむ

小坊主弟切もそろそろ花が終わりに近づいた。
丸い頭をした絹糸のような蘂が放射状に揃って伸びる。
黄色い花はやがて花びらを落とし、すべてが赤い実に変わる。
その花を蜂が次々に渡り歩く。羽を持つほかの可愛い虫たちも寄ってくる。
切り花、生け花に引き合いが多く、最近人気のある花だと聞く。
だが、求められるのは花よりその赤く色づく実だとか。
花はこんなに清楚で愛らしいのに。
花言葉は  「きらめき、 悲しみは続かない」
悲しみは続かない、この年になって振り返ってみればそんなことを実感する。

昨日は大暑、ここ南信州でも連日のように34℃を超す。
体はばて気味だが、心だけは干上がらないようにしたい。

兎も片耳垂るる大暑かな (芥川龍之介)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(0) | ▲ top
ムクゲ(木槿・Syrian hibiscus)
- 2008/07/22(Tue) -
むくげ

多数の白い木槿が夏の青空に映える。
五弁の花びらの中心には赤い面の中から面相筆で描いたような細い線がスッと外に伸びて広がる。
象牙色の突き出た花柱の下方には細く白い花びらのようなものが繋がっている。これは雄蘂なのだろうか。
朝方に花開き、夕方にはしぼむ一日花、昨日も今日も地に落ちた花を私は掃く。
生育力が強く、縦横にぐんぐん広がるので、道にはみ出た枝を伐ることもこの時期の仕事にもなる。
韓国においては無窮花とよび、次々にねばり強く咲き続ける様がその国民性を表すとされて、国の花だと聞く。
中国原産とあるが、英語ではSyrian hibiscus(中東シリアのハイビスカス)と呼ばれるのはなぜだろう。
和名で「はちす」とあもあるがその由来を確かめられない。

白木槿まいにち咲いてまいにち淋し (山口青邨)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
イトバハルシャギク(糸葉春車菊)
- 2008/07/21(Mon) -
イトバハルシャギク

イトバハルシャギク(糸葉春車菊)はその名の通り、スギナにも似た細い葉を持つ花だ。
コスモスのような薄い花びらの黄色い花が株全体を覆うように咲く。
人の腰ほどの高さになる一つの株に次々と鮮やかな夏色の花を無数に付ける。
株分けも容易なため、場所を変えて植えてあるが、やはり一番日当たりのいい場所のが元気で花も多い。
細い茎は風が吹く度にそよそよと揺れ、その黄色の花畑にシジミチョウなどが散歩にやって来る。
花言葉は「楽しい思い出」、私は今年の夏どんな「楽しい思い出」ができるだろうか。

朝から蝉が激しく鳴く。桜の木の下、地面に蝉の穴が幾つもある。
3つの蕾を大きく膨らませて、月下美人がもうすぐ咲きそうだ。
赤石のやまなみに夏雲がいくつもの弧を重ねて盛り上がる。

木漏れ日をひそかに生みて蝉の穴 ( 長沼紫紅 )
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
ノウゼンカズラ(凌霄花・trumpet‐creeper)
- 2008/07/20(Sun) -
凌霄花

息子が土産に輪島塗の食盆を五枚持ってきてくれた。一枚7万円もしたという黒漆の大きなものだ。
早速、畑でとれた自前の夏野菜を上に食卓に並べて使う。器や箸、そして料理そのものが盆の重厚さに負けている。
それはそれとして、同じ盆を使うという東京銀座某高級料理店での食事の雰囲気を味わうことができた。
これを日常に使うのは少し無理がある。節目節目に出すことにしよう。

彫刻の材料を揃え二人で公募展の準備に取りかかる。彼の方は着々と形ができていく。
私の方は全体構想ができあがり、心棒作りの想を練り上げている段階だ。遅れている。息子がハッパをかける。

アトリエを出て外へ空気を吸いに行く。暑い日射しが降り注ぐ。
そんな中、夏は私の季節とばかりに元気に花を開くのは3本のノウゼンカズラ。
いずれも他の木などを支えにしてからみつき這い上がり上に伸びている。
もうすでに2階の屋根を越えている。遮熱にはいいがそろそろ半分程の高さに切らなければと思う。
枝先に漏斗状の朱橙色の花が垂れ下がるように、横向きの形で無数に咲き乱れている。
そして次々に咲いていく一方で、色も形も咲いたままに地面に落ち、周りを埋めつくしていく。

空を見上げる。青い。梅雨明けだという。今年は雨の少ないこの時期だった。水遣りをしなくては。

雨のなき空へのうぜん咲きのぼる (長谷川素逝)
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
オミナエシ(女郎花)
- 2008/07/19(Sat) -
オミナエシ

   をみなへし秋の野風にうちなびき心ひとつをたれによすらむ 
                           藤原時平『古今集』
【私訳】 秋の野では茎先のおみなえしが爽やかな風を受けて同じ方向になびいています。
       その美しい花がなびくようにあなたは心一筋の思いをどなたに寄せられているのでしょうか。
万葉の時より人の目を惹きつけ多くの和歌にも詠われる女郎花、その花言葉は「美人」あるいは「はかない恋」。

まだ夏の走りだが、我が家の女郎花は背丈、株周りとも1㍍を超える大株となって庭の一角でひときわ存在感を示している。
いくつかをまとめて切りとり揃えて活けると、涼やかな風情が部屋に広がり野趣の味わいに満たす。
秋の七草と知られる女郎花だが、最近では減少が確認されて絶滅危惧種のリストにその名が記載されているという。
これから本当の秋風が吹くまでの長い間、小花が次々に咲いて目を楽しませてくれる。
蜂がその黄色い色の上を次々に飛び渡る様子もまた楽しい。

休らへば手折りもぞする女郎花 (河東碧梧桐)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
ツユクサ(露草・あおばな)
- 2008/07/18(Fri) -
ツユクサ

蜩の鳴く朝早く、緑葉が伸びる黄菖蒲の株もとに鮮やかな色を見つけた。
小さい野のツユクサである。
青い花びら二枚と一枚の白い花びらの中から蘂が伸びる。
思わず見とれ、腰を落とししばらく眺める。
そして思い出した、1年程前に聞いた話を。

若い俳人達はこのツユクサにある種の思いを込めて作句するという。
それは心の中の秘めた恋心を歌う時に詠み込むのだと。
ツユクサは閉じているときは分からないが、花開くとハートの形になる。
つまり自分のハート=恋心をツユクサに託して俳句にするのだと。
そんな現代の若者に、いにしえの歌人に通じるつつましくも奥ゆかしさを感じる。

露草も露のちからの花ひらく (飯田龍太)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
キキョウ(白桔梗・Balloon flower)
- 2008/07/17(Thu) -
白桔梗

多くの男性の中において唯一の女性のことを紅一点と言うはよく聞く。
王安石の「万緑叢中紅一点」の句に由来する言葉である。(『詠柘榴』)
一面の緑の中に咲く一輪の紅色の花(ザクロ)があり、その存在がひときわ目立つと詠っている。
我が家の桔梗はちょうどその逆、鮮やかな松葉菊に囲まれ「紅花満中白一点」というところか。
小さなつぼみが徐々に風船のように膨らみ、そして先端のとがった星形の五弁の美しい花を開く。
開花前のそのふくらんだ風船を思わせる形からの連想だろう、英名で balloon‐flower とあり、まさしくと思う。

花言葉は「誠実な愛」。
計算しない愛の美しさ、ただひたすら想う無償の愛。
平安の時代より培われてきた日本人の愛の形や、オーヘンリーの「賢者の贈り物」をふと思い出す。
「誠実な愛」の形は文学の中だけにとどめたくない。自身の心の中にも持ち続けたい。

仏性は白き桔梗にこそあらめ ( 夏目漱石)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
ギボウシ(擬宝珠・plantain lily・Hosta)
- 2008/07/16(Wed) -
擬宝珠

今、庭は擬宝珠の花で埋め尽くされている。
花茎が伸びすぎて自らを支えきれずに大きく地面に傾いて、行く手を阻む。
ばさばさと切って束ねて花器に入れるがなかなか収まり付かない。
日陰にも強いということもあって、その緑陰を楽しもうと植えたのがはじまりだった。
しかし今ではその種類も増え、株の数は50~60にもなる。いやきっとそれ以上だろう。
欧米では花より葉そのものに惹かれる人が多く、かなり人気が高い植物だと聞く。
ホスタの名で呼ばれる欧米産のものは斑入りや色、形大きさなどのバリエーションも豊富だ。
これらの元となる日本産のギボウシをヨ-ロッパに持ち込んだのはあのシーボルトだと知る。(藤田 昇)
この漏斗状の花は昆虫にも好まれるようで、熊蜂が盛んに出入りするのを見かける。
濃紫の雄蘂が6本、白い雌蕊が一本の薄紫色のギボウシ、花言葉は「清楚」、なるほどだと頷く。

雨だれにこちたくゆるゝ擬宝珠かな (野村泊月)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
ヤブカンゾウ(藪萱草・忘れ草)
- 2008/07/15(Tue) -
ヤブカンゾウ


家の周りには藪萱草があちこちで花を咲かせている。
植えた物ではなく、根茎で増え続けるユリ科の野生の花である。
1㍍ほどにもなる茎頂に朱紅色の八重の花を開く。
この花は一日花で、翌日にはねじられたようにしぼむ。

中国の故事に、この草を眺めると憂いを忘れるとして、「忘憂草」「忘れ草」とも呼ばれるとある。
日本には古くに伝わったようで、万葉集にも大友家持、旅人など幾つかの歌がある。
 忘れ草垣も繁(しみ)みに植えたれど
    醜(しこ)の醜草(しこくさ) なお恋にけり   (万葉集 巻十二3062 読み人知らず)
【私訳】 この悲しく辛い恋を忘れようと家垣にたくさん植えたのに
 忘れ草よ、話が違うじゃない。この恋をちっとも忘れ捨てさることなんかできやしない。
 あなたは本当に効果があるのかしら。

さてこの花、生育力が強く気をつけないと広がって群生し、他の植物を圧倒する。
若葉と花は食用になり、和え物、お浸し、煮物に適すと聞くが食したことはない。

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
ネムノキ(合歓木・ silk tree)
- 2008/07/14(Mon) -
合歓木


大きなネムノキの伸びすぎた枝を切った。
道にはみ出し、また花々を日陰にしていたからである。
枝といっても径は10㌢を越え、長さは4㍍程にもなる。
チエーンソウを使って30分、何とか片付いた。
春には10㍍にもならんとする木そのものを小さくしよう。

ネムノキの細い糸を集めたような花は今が盛りである。
その花が溢れるように木全体を紅色に染める。
英名でsilk treeとあるように、その絹糸を思わせるふんわりとした花糸は優しく美しい。
一つの花のように見えるが実際には小さな花が10~20集まってその形を作っている。

母から夏の味覚が届いた。荷をほどき早速に口へ運び味わう。
そういえば遠い故郷にもネムノキが至るところにあったのを思い出す。

合歓咲けりふるさと乙女下駄小さし (西東三鬼)
 
この記事のURL | 日常・おはなし・他 | CM(2) | ▲ top
アジサイ (ライムライト・lime light)
- 2008/07/13(Sun) -
ピラミッドアジサイライムライト


映画『ライムライト』、初老の道化師カルヴェロと美しきダンサー、テリーの悲しい物語。
言わずと知れたチャールズ・チャップリンの代表作の一つだ。
病気のため歩行できなくなった失意のテリー、「幸せのために戦いなさい」と励まし支えるカルヴェロ。
彼の献身的な介抱によってテリ-は再び歩け踊れるようになり、そして舞台で名声を得ていく。
スターとなったテリーが 舞台で踊る。
それを袖で見ながらがらカルヴェロは静かに息を引き取る。

若い頃はチャップリン、キートンなどをよく観たものだ。

事典によると、ライムライトとは電気に代わる前の石灰照明のことだという。
転じて名声、あるいは名優のことを差すのだと知る。

この房になった淡いライムグリーンのアジサイもライムライトという名。

紫陽花にことばのあやの如きもの (岬雪夫)
 

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
バラ (ラブ・LOVE) ~西尾実を訪ねて~
- 2008/07/12(Sat) -
ラブ


訪ねた西尾実記念館には彼の著作や実際に使ったノートと並んで、直筆の書が多く展示されている。
「知っているか、伊那の谷の入り口に立って遠く望む南の空の夕映えの美しさを、
 あの遙かな空の下で、父と母が炉を囲んで、私の帰って行くのを待っていたのは
 幾とせ、幾たびであったか。それは過ぎ去った日の思い出に過ぎなくなった。
 が、あの南の空の夕映えの美しさは、今も私を立ち止まらせ、私の心を惹きつける」(昭和31年)
これは縦1㍍横2メートル程の大きな額に納められた言葉である。
彼がいかにこの小さな故郷を愛していたかを、両親をいかに愛していたかを物語る言葉である。
日常を忘れ、言葉の持つ力、美しさに、そして一人の人間としての生き方を心に留めた時を過ごすことができた。
夏の静かな山間(やまあい)の里にホトトギスとウグイスの声が響き渡る。

このバラは表の弁が赤く、裏弁は白い。そのコントラストが美しい。
少し変わった姿のこのバラには「ラブ」の名が付く。
私の好きな薔薇の一つである。

曇天にシュールになれる薔薇であり (広井和之)
 
この記事のURL | 思い・感じ・考えたこと | CM(2) | ▲ top
バラ (花薔薇) ~君が花~
- 2008/07/11(Fri) -
赤紫の薔薇


    君が花

君くれなゐの花薔薇(はなそうび)
白絹かけてつつめども
色はほのかに透きにけり。
いかにやせむとまどひつつ、
墨染衣(すみぞめごろも)袖かへし
掩(おお)へども掩へどもいや高く
花の香りは溢れけり

ああ秘めがたき色なれば、
頬にいのちの血ぞ熱(ほて)り、
つつみかねたる香りゆゑ
瞳に星の香も浮きて、
佯(いつ)はりがたき恋心、
熄(き)えぬ火盞(ほざら)の火の息に
君が花をば染めにけり
石川啄木『あこがれ』より

啄木のような言葉を投げかけられたらどんなに嬉しいことだろう。      
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(1) | ▲ top
バラ(赤き薔薇) ~一足一足~
- 2008/07/10(Thu) -
雨に濡れ


『一足(ひとあし)一足(ひとあし)山をも谷をも踏み越えよ』
これは岩波国語辞典の著者、西尾実(国語学者)の残した言葉である。
今日はこれから彼の故郷を訪ね、その記念館に立ち寄る。
 『山も川もわれにほほゑみ木も石も何かささやく冬なれど心ぬくもるふるさとの道』
彼は終生この空の狭い故郷を愛した。地元の各所には彼の言葉を記した碑がある。
『年々去来の花を忘るべからず』
そこはササユリ、ヤマユリが自生する山間(やまあい)の小さな町だ。

雨が降っている。激しくならなければいいが。
「一輪の赤き薔薇(そうび)の花を見て火の息すなる唇(くち)をこそ思へ」 石川啄木
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
バラ rose ~愛と情熱~
- 2008/07/09(Wed) -
群薔薇


西洋においては昔から美と愛,喜びと青春の象徴とされてきた薔薇。
史実の中にも多くの物語を見ることができる。
クレオパトラは床に30cmもバラの花を敷きつめたともある。
求愛のシンボルとしても薔薇が贈られる。
たとえば、加藤登紀子の歌う「100万本のバラ」では貧乏画家が踊り子に恋をする。
~百万本のバラの花をあなたにあなたにあなたにあげる~
そして100万本のバラを、彼女の家の窓から見える広場に敷き詰めてその想いを伝る。

家にも一つの花束のようになって咲く朱色の薔薇があるが、私はその名を知らない。
もしかしてロマンチックな名が付いていたりするかもしれないと思ったりもする。

抱かれたくゐて花束のままの薔薇 ( かとうさきこ)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
バラ(ブルームーン) ~七夕の逢瀬~
- 2008/07/08(Tue) -
ブルームーン


昨夜は七夕、店にはそれぞれの願いを託した五色の短冊が竹をカラフルに飾っていた。
学問、技芸、恋愛、金運、スポーツ、それに世界平和を願う言葉が綴られる。
曇りの夜空、それぞれの思いはきっと遙か遠くの天帝まで届いたに違いない。
そして牽牛は織女との許された短い時間の中での逢瀬を楽しむことができたことだろう。

淡い紫色の薔薇、その名もブルームーン(Blue Moon)青い月、七夕の夜にふさわしい。
恋人達を酔わせ、夕闇の秘めた物語を作りそうな強く甘い香りがする。

たなばたや恋せよとての生れあひ (季吟)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
バラ(プリンセスミチコ)
- 2008/07/07(Mon) -
プリンセスミチコ


今日は七夕、各国からの首脳を迎えて「洞爺湖サミット」も開かれる。
世界の賓客同士の「天の川」ならぬ遙かな海越えての出会い、成果を期待したい。
それぞれの国のファーストレディもまた映像で紹介される。
どんな夫人外交が展開されるか、これも楽しみである。
ところで、ファーストレディといえばどうしてもダイアナ妃を思い出す。
あれだけの存在感のあった女性は他に類を見ないだろう。
そして皇后美智子様、その気品溢れるお姿には「日本女性のすべての象徴」を見る。
平成になってもう20年になるが、私にとっては皇太子妃美智子様の方が記憶に長い。
御成婚の若きより齢を重ねし今日においてまでも、すべての面において尚お美しい。

庭ではバラ「プリンセス ミチコ」が咲いている。
今から40数年前に作られ、美智子様に捧げられたバラだという。
オレンジ色のきれいなバラである。

ひたむきに空を仰ぎて咲く花の色なるからにあざやけきかも (岡本かの子)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
バラ(フリューテ) ~薔薇戦争~
- 2008/07/06(Sun) -
フリューテ


イギリスの薔薇戦争(Wars of the Roses)が起きたのは、1455年。
日本でいうとちょうど一休さんが活躍していた時代、室町の頃となるのだろう。
それは王位継承を巡るランカスター家とヨーク家の間で戦われた権力闘争。
ランカスター家は赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を紋章としていたと高校の歴史で学んだ記憶がある。
現代でもそうだが、権力や地位名誉に関わっての醜い争いは至る所で耳にする。

このフリュ-テという名の赤薔薇、今年初めて咲く薔薇である。
隣では大輪の白薔薇も咲く。それぞれに美しい。

夕焼け消え真紅の薔薇を抱き来し (野見山朱鳥)
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
バラ (ニミュエット) ~ヒグラシの鳴く~
- 2008/07/05(Sat) -
ロイヤルハイネス


昨夕、林の中から「カナ、カナ、カナ………」と美しい声が響き渡って聞こえてきた。
今年初めて耳にする、ヒグラシの鳴き声だ。しばらく耳を傾けた。
ほんの少しの時間だったが、幸せに包まれた嬉しい気分になった。
蜩が鳴くと私はきまって山村暮鳥の詩を思い出す。

    ある時 (山村暮鳥)
  また蜩(ひぐらし)のなく頃となった
  かな かな
  かな かな
  どこかに
  いい国があるんだ


 ミニュエット、淡いピンクのこの薔薇、私の好みの一つである。
 
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(1) | ▲ top
グラジオラス (唐菖蒲sword lily)
- 2008/07/04(Fri) -
グラジオラス


蝉の声を聞くと時を同じくして咲き出したのがこの白いグラジオラス、例年より2、3週間ほども早い気がする。
いくつもあるグラジオラスの中でもこれは一番背が高く、花も大きく豪華である。
なによりその真っ白さが際だつ。
本来なら咲き終わった後、堀り上げて春に植えるのがよいと聞くが、これはもう何年も植えっぱなしだ。
穂状に付いたすべての花が、一斉に顔をこちらに向けて「私を見て」と声を掛ける。
英名でsword lily(剣百合)、アヤメ科特有の剣状になった葉からのイメージだろう。
私にはオレンジ色したグラジオラスが野原いっぱいに咲いていた記憶がある。
白いテッポウユリと朱色のグラジオラスが同居して広がる風景。
遠い幼い日の夏の思い出である。

グラジオラス一方咲きの哀れさよ ( 村山古郷 )
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
バラ(白いミニバラ)
- 2008/07/03(Thu) -
白薔薇


今年はバラに病気がほとんど出ずに、それぞれの持ち味を出してきれいに咲いている。

ただ薔薇が好きだというだけで植え続け、気がつけばかなりの数になった。
しかし薔薇についての知識はまるでない。
時間のある時、じっくり調べてみようと思う。
また、なおざりにしておいたそれぞれの名前についてもそろそろ整理しよう。

これは白いミニバラである。
時々蜂が来て楽しんでいる。
そんなことを眺めていると、日常の仕事の疲れも癒される。

薔薇は物語を紡ぎ、薔薇は考えさせる。
薔薇は歌わせ、薔薇は慰める。
薔薇は惑わせ、薔薇は導く。
薔薇は歴史を作る。薔薇は深い。

夕風や白薔薇の花皆動く (正岡子規)
この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(3) | ▲ top
クリ ~栗の雄花と蜘蛛と~
- 2008/07/02(Wed) -
栗雌花

鼻をつくような栗の花の特有な匂いが広がる。
雄花の付け根には小さな雌花、イガにも似たその姿を少しずつ大きくしている。
白い紐のような雄花は風吹く度に落ちていく。
先に落ちたのはすでにその色を褐色に変えて地に横たわる。

毎朝ハサミを持って棲み着くシラガダイジンを探す。
彼らはすごい食欲で気を許せば一枝の葉を食い尽くす。
先年はそれで枯れた枝が何本にもなり、この木を瀕死状態に追いやった。
今年退治したシラガダイジンは数え切れない。

そうして栗の木を眺めていると雄花に蜘蛛が遊んでいるのが見える。
脚が緑色に透き通った小さな蜘蛛だ。腹部はやや白い。
アオオニグモだろうか、花に紛れるようにじっとしていて可愛い。
そこには彼を惹きつける何があるのだろう。

花栗に寄りしばかりに香にまみる (橋本多佳子)

この記事のURL | 草と花と鳥と | CM(2) | ▲ top
| メイン | 次ページ