「ウルビーノのヴィーナス」~美の女神の系譜展~
- 2008/03/31(Mon) -
ウルビーノのビーナス


 国立西洋美術館で「古代からルネサンス、美の女神系譜」展を観てきた。
古来よりヨーロッパにおいてテーマとされてきたヴィーナスを巡る展覧会である。
ギリシャ・ローマから、ルネサンス、そしてバロックに至るまでの彫刻・工芸と絵画作品を集めている。
イタリアのフィレンツェを支配していた彼の名高いメディチ家が蒐集していた作品も並ぶ。
中でひときわ目を引きつけたのが、本展のメインであるティツィアーノ作「ウルビーノのヴィーナス」(1538年)だ。
愛と美の女神ヴィーナスがそのふくよかな白い裸体をベッドの上で艶めかしく横たえる。
彼女の目は見る者を誘うかのように惑わし、右手にはまさしく「愛」「美」の象徴の赤いバラを持つ。
輝く宝石がちりばめられたヘヤバンド、そしてブレスレット、さらにはイヤリングと裸身を装飾品が包む。
ベッドの上で眠りにつく「従順」を意味するイヌ、奥の長押で少女が探しているのは大人が忘れた「清純」なのか。
500年ほども前に描かれた作品であることを一瞬忘れてしまいそうになるほど、絵の中に引き込まれていく。
ルネサンスの表現技能と精神性、そのコンセプトの奥深さをあらためて感じさせる作品だった。
 この絵を見てマネの《オランピア》やアングルの《オダリスクと奴隷》《 グランド・オダリスク》を思い出す。
構図、ポーズ、モチーフの配置などの類似から、それの作品はこの絵にヒントを得たのだろうと思われる。
女性の美、殊にヌードの美しさを描く後世の画家に大きな影響を与えた作品であることは違いない。
美しいばかりのその芸術性についてはいうまでもないが、加えて極めて魅惑的、官能的な絵である。

美術館を出ると上野公園では満開の桜の下、まさしくイモ洗うが如くの形容が相応しいほど花見の人々で溢れていた。

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ミツマタ(三椏・黄瑞香 paper‐bush)
- 2008/03/30(Sun) -
ミツマタ


     三椏や皆首垂れて花盛り (前田普羅) 

三椏は全くその名の通り枝が3本に分かれて生育する。
黄金色の花が枝先に下向きに咲く。
30~50個の小花が密集するように集まって一つの花のように見える。
しかし4裂して花のように見えるのは花萼で、実際は無花弁である。
その樹皮は繊細でありながら頑強かつ弾力性に富む。
幾度の折り曲げにも耐えうる強度を保つこの特性から紙幣用として明治以来用いられている。
楮と共に価値の高い高級和紙料としてその名は衆知の通りである。

万葉の歌人、柿本人麻呂はそれを三枝(サキクサ)と歌っている。
「春さればまず三枝の幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ吾妹」

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ボケ(木瓜Japanese quince)~黒潮・放春花~
- 2008/03/29(Sat) -
木瓜


朱紅色の緋木瓜、枝には棘がある。
径が3cmほどの花は丸い5弁花、昨年より二週間も遅れての開花だ。
こんな小さな花だが果実は意外と大きくなる。
Japanese quinceとあるようにカリンを丸くした感じをイメージすればいい。
熟すと黄色くなり、香りが良く木瓜(もつか)の名で、砂糖煮や果実酒にも使われる。
しかし私はまだ作ったことはない。
この花を「ボケ」と名付けた由来を知りたかったが辿り着けなかった。

  赤き木瓜揺れをはり我揺れゐたり (加藤楸邨)

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オウバイ(黄梅)~迎春花という名の花~
- 2008/03/28(Fri) -
おうばい

 
ケヤキの下では黄梅が小株を黄色く染めている。
筒のように伸びた六弁の小花が細い枝に付くように咲く。
黄色い梅と書くが、梅の仲間(バラ科)ではなく、モクセイ科の花である。
英名ではwinter‐jasmineと、その名の通り、寒さに強くジャスミンのように芳香がある。
それにしても春はなぜ黄色い花が多いのだろう。

黄梅に佇ちては恃む明日の日を (三橋鷹女)

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ミニスイセン(ヒルスター)
- 2008/03/27(Thu) -
ヒルスター


これはヒルスターという名のミニスイセン、去年より一週間も遅れての開花だ。
山茶花の生け垣の下で、松葉菊に紛れるように咲いている。
まだ朝に霜の降りる南信州だが、ここ2・3日の暖かかさでようやく水仙の花開く時となった。
庭に30~40株ある種類の中で、この背丈が低い花が毎年一番先に顔をのぞかせる。
あとを追うように色、形、大きさを変えた水仙がこれから勢揃いすることになる。
この花が風に揺れる姿を見ると、春の到来を一段と感じ、幸せな気分に浸る。

 水仙の花のうしろの蕾かな (星野立子)

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ジンチョウゲ(白花沈丁花)
- 2008/03/26(Wed) -
白い沈丁花


沈丁花の香る季節となった。
目をつぶり鼻を突き出してしばし香りを楽しむ。
えも言われぬ芳香が鼻に届く。
鼻だけを残しておきたい気分になる。

四裂した白い小花(萼)が一つ二つ三つと咲いていく。
次々に咲いて一日ごとにその数は増えていく。
伝播するかのように外側がぐるりと開きそして中へ中へと移る。
すべてが開くとまるで白い手鞠のようになる。
沈香と丁香にたとえたその香りはそこで頂点に至る。

沈丁の四五はじけてひらきけり   (中村草田男)

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ネコヤナギ(猫柳)
- 2008/03/25(Tue) -
ねこやなぎ

 
アトリエの南の窓からは手の届くところに猫柳が見える。
あの銀白に輝いていた柔らかな毛が形を変えて大きなふくらみとなり、花の顔になった。
黄色い花粉を付けたしべが、それぞれに向きを変えて楕円の輪郭のまま伸びる。
それが、化粧したかのような美しい表情を見せる。

暫く眺めていると、蜜蜂がやってきた。
盛んに嘴をのばし蜜を吸う。それがよくも伸びるものだと思うほど長く伸びるのだ。
一つ二つと好みの密を求め、場所を移しては移り飛ぶ。
花は花として命を紡ぎ、蜂は蜂として命を繋ぐ。
そこに命の行き交いを観る。

きのふけふ大きな入り日猫柳 (高田秋仁)

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紅梅(一重咲き)
- 2008/03/24(Mon) -
紅梅一重

 
東京では桜の開花となり、上野公園はすでにお花見客の賑わいとか。
ここ2、3日はぐっと暖かい日が続く。
わが南信州でも昨日は今年初めて20℃を超え、4月並の気温となった。
菜花の上を蝶が飛び交い、土の中から蛙が顔を出した。
花々もかぶったベールを脱ぎ、色繕いをしていく。

白梅と八重咲きのに遅れて一重の紅梅が咲いた。
朝一輪、昼に5輪そして夕にはその数を一気に増していた。
この梅は中粒の実を多く付ける。しかし、それを梅漬けにしたことはまだない。
今年辺りやってみよう。

紅梅の蕾の中の花一つ ( 中村汀女 )

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サンシュユ(山茱萸)~春黄金花~
- 2008/03/23(Sun) -
さんしゅゆ


サンシュユが満開だ。木全体が黄色く染まる。
枝の先端にたくさんの小花が溢れている。
桜同様、葉に先だって咲くので一層その鮮やかな黄色が際だつ。
誰が名付けたかは知らないが、春黄金花(はるこがねばな)とはまさしくふさわしい。
一枝剪って竹編みの籠に挿すなどはこの花に似合う。
和の雅趣に富む花である。

 さんしゆゆの花のこまかさ相ふれず (長谷川素逝)

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ユキワリソウ(赤い雪割草)
- 2008/03/22(Sat) -
雪割草赤

 
  うらうらと雪割草に南風  (文)

雪割草最後の一輪である。
春風に誘われて外へ出してみた。
空の青に薄紅色が映える。
光を受けてくっきりと花の陰影が浮かび上がる。

暫く前に知った陶淵明の「閑情賦」十願の章の一節を思い出した。
  願わくは衣にありては領(襟)となり、あなたの顔のまわりの香の中に埋もれていたい。
  願わくは昼にありては影になりたい。影ならいつもあなたと一緒にいることができる。

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クリスマスローズ(Christmas rose)
- 2008/03/21(Fri) -
クリスマスローズ真紅


ようやくクリスマスローズが咲いた。
カスミザクラの下で、10輪ほどが顔を下に向けて咲いている。
今年は寒い日が続いたのと、何度もの雪に覆われたため、開花が遅れた。
そのせいか、いつもの年より色の鮮やかさが失われている気がする。
これは何年か前に知人より株分けしてもらったものだ。それ故、名前は知らない。
遅れてゴールしたランナーのように今年の花はなぜか寂しげである。
花言葉は〈私の不安を救いたまえ〉あるいは〈追憶〉。

クリスマスローズ気難しく優しく (後藤比奈夫)

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カランコエ(Kalanchoe 紅弁慶)
- 2008/03/20(Thu) -
カランコエ


この時期、ラジオから流れてくるのは「白い光の中で 山なみは萌えて……」のメロディー。
自分を育ててくれた学舎を去る子等の涙顔。
白球を追った汗を地面に吸わせ、友との諍いの後肩を組みあった青春。
いくつもの思い出をかみしめて校門に別れを告げる。
そしてまた、新たなスタートへ思いを馳せ己を奮い立たせる。
春は終わりと始まりが繋がる季節である。
           校門の枝垂れ桜芽ぐみ初(そ)め 伸び枝(え)の先は風に揺れおり

カランコエがまるで大きなブーケのようになって咲いている。
花言葉は「たくさんの小さな思い出」

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クロッカス(ハナサフランCrocus)
- 2008/03/19(Wed) -
クロッカス


気がつかないところでクロッカスが咲いていた。
いつの間にこんなになっていたのかと驚きつつ腰をかがめた。
梅や桜に気を取られ、ついつい目線が上に向いていたのだろう。
葉があまりないのに地から出るように純白の花が咲いている。
その優しい蓮弁のような六弁の花びらの形がまた美しい。
ソフトフォーカスしたかのような柔らかな芯から可愛らしい黄色のしべが伸びる。
そこを離れて目を移すと、近くで薄紫のも咲きかけている。
それだけでけではない。その向こうには黄色いのも顔を出している。
庭の至る所で、花々が春を待ちわびたかのように背伸びしているではないか。
気づかなくてごめんよ。
クロッカスにはギリシア神話の悲しい物語があるという。
それはスミラクスに恋したままその思いを遂げられず死んでしまった青年クロコスが変身した花だというのだ。
純愛に生きた青年の花、それがクロッカス。

日が射してもうクロッカス咲く時分 (高野素十)

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オオイヌノフグリとナナホシテントウ(seven‐spot ladybird)
- 2008/03/18(Tue) -
テントウムシとイヌフグリ


虫たちも動き出した。
オオイヌノフグリの花畑を散歩するのはナナホシテントウ。
花の上で遊び、花の下に隠れ、葉に潜りまた現れてはひなたぼっこ。
赤い翅に7つの可愛い黒い斑紋、seven‐spot 。
そんな彼女をちょっと指でつまんで手のひらに乗せる。
花の香りのない無骨な手を感じ、彼女は羽を広げて飛んでいく。
今度はオドリコソウの花畑へ。
彼女の好物はアブラムシ。
花にとっては体に付いたアブラムシを捕ってくれる有難い存在。
見ていると時が経つのを忘れる。
春のひだまりのひととき。

翅わつててんたう虫の飛びいづる (高野素十)
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桜 ~寒さありて桜咲く~
- 2008/03/17(Mon) -
冬桜


うれしい桜の開花だ。
今咲いているのは八重咲きの白い小さな大阪冬桜、初冬と春の二度咲く変わり種の桜だ。
庭に10本ほどある桜の中で一番先に咲き、春の訪れを告げる。
今年はことのほか、二月が寒かったので、桜の花付きもいいのではないか。
このあとソメイヨシノから我が家の主のカスミザクラまで、五月の初旬にかけて順次咲いていく。
しばらくは部屋の中からのマイお花見ができる。

さまざまの事思ひ出す桜かな (松尾芭蕉)
  
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タンポポとオオイヌノフグリとハコベと
- 2008/03/16(Sun) -
たんぽぽとフグリとハコベ


先日までの氷点下の朝が嘘のように暖かな朝であった。
久しぶりにぶらり歩きをすると木々や草花がこれまでと違った顔を見せている。
タテハチョウが川面を横切る
猫柳は柔らかな毛を大きくふくらませている。
白木蓮は今にもその蕾の殻を破りそうだ。
ボケ、ユキヤナギ、サンシュユ、ハナモモにもそれぞれの花色が見える。
モンシロチョウが子持ち甘藍に留まっている。

前日の雨で増水した川縁の土手を歩く。
その川の輝きにも水の温みを感じる。
ああ、タンポポとオオイヌノフグリとハコベが並んで咲いているではないか。
確かに春だ。春だ。春がやってきた。
私の目と耳と体のすべてに春が声をかける。

麗しき春の七曜またはじまる (山口誓子)
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アイビーゼラニウム(トムガール)
- 2008/03/15(Sat) -
アイビーゼラニウムトムガール


三月も中旬を迎え、今年度の仕事が終わろうとしている。あれやこれやで慌ただしさが増す。
三月、時が去り、また四月の新たな時が来る。別れと出会いの季節である。

そんな時、以前書いた文を開く。青山俊董師の言葉を綴ったものだ。
  過ぎ去れを追うことなかれ、未だ来たざるを思うことなけれ。過去そは過ぎし、未来そはまだ来たらず。
  今日、まさになすべきことをなされ。誰か、明日死のあることを知れ。

過ぎ去りし日のことは自分で線を引くしかない。過去は修正できない。
まだ来ぬ日のことを頭に思い描いても仕方がない。未来は予測できない。
その日その時、今なすを為そう。

部屋の中ではカルメンのフリルのような深紅のアイビーゼラニウムがあでやかに咲いている。
三月の雑誌の上の日影かな (前田普羅)

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ノースポール(クリサンセマム)
- 2008/03/14(Fri) -
ノースポール


この花色は透き通る雪のような白さと形容しようか。
まさに純白あるいは真っ白な無垢な色だ。
この白から北極が連想され、「ノースポール(北極)」と名付けられたのだろう。
しかし実際の原産地はアフリカ北部、北極とはほど遠い。
花言葉は「誠実(reliability)」、なるほどそんな感じがする。

この花を見ていると、「思邪なき幼児の心」という碌山の言葉を思い出した。

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ミニバラ(ミスピーチヒメ)
- 2008/03/13(Thu) -
ミニバラミスピーチヒメ


日射しの暖かさを日ましに感じる。
その陽気に誘われるかのように鳥たちも庭に盛んにやってくる。
外に出て大きく息をする。ああ、春の風だ、春の空気だ。
沈丁花が開きかけている。ロウバイの香りが鼻を抜ける。ああ、芳しい、春の香りだ。
歩を進めるとオオイヌノフグリが一面に広がっている。フユシラズも負けじと咲いている。
春がそこらに姿を見せ始めた。
マンサクは満開、まるで枝に貝ひもがぶら下がっているようで本当に変わった花だ。
花知らず葉知らずは今、その名の通り青い葉の姿をしている。秋の妖しげで鮮やかな花が楽しみだ。
バラは剪定されたままの姿でその時をじっと待っている。今年は少し強い剪定にしたが、だいじょうぶだろうか。
まだスペースがある。今年は新しい仲間を加えることにしよう。

部屋の中ではミニバラが待っててくれる。名前はミスピーチヒメ、桃姫様というピンク色した八重のバラだ。
うるさい鵯がやってきた。仕事の邪魔をしないでくれ。

ばらの芽の人なつかしくほぐれけり  (池上浩山人)
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白梅 ~梅の咲いている日~
- 2008/03/12(Wed) -
黄筋白梅


陽に当たる白梅を見ていると、いつか読んだ井上靖の「梅の咲いている日」 という文を思い出した。

庭にただ一本ある梅の木が白い花を付けていた。私は初めて娘を嫁がせる父親の落ち着かない気持ちでそれを眺めていた。
どれだけ時間が経った時であったろうか。長女が部屋にはって来て、梅がきれいね、そんなことを言ってから、ふいに改まった口調で、「長い間、いろいろご厄介になりました。有り難うございました。では、これから家をでますので」と言った。(略)
「では、ご機嫌良く」そんな言葉しか、私の口からは出なかった。(略)
私は再び書斎の縁側に出て、籐椅子に腰を下ろした。こんどは梅の花の白さがさっきまでとは少しだけ異なったきびしいものに感じられた。 (「わが一期一会」〈別離-梅の咲いている日〉より)

父がいなくなった今、私の白梅も寂しさを感じさせる。

白梅の真中はいまも父の椅子 (波多江敦子)
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ユキワリソウ(ミスミソウ・Hepatica nobilis var.japonica)
- 2008/03/11(Tue) -
赤雪割草


紅白のユキワリソウ(雪割草)が今咲いている。
涙をこらえ重い旅から帰ってきた時、その心を優しく迎えてくれた花である。
この春初めて我が家に仲間入りした。植え付けられた素朴な器と共にとても気に入っている。

ところで、ユキワリソウと呼ばれるものにはサクラソウ科のとキンポウゲ科の違う2種類の花があることを知る。
書を紐解くと、それらは花や葉のいずれにおいてもその形を異にする。
ここにあるのはキンポウゲ科のミスミソウ(三角草)、葉がクローバーのように浅く三つに切れ込んでいるのでこの名があるという。
学名にjaponicaと名が付くところを見ると、どうやらこの花の原産地は日本らしい。
花弁のように見えるのは実は萼(がく)片で、花弁のない花だということもわかった。
それだけでもなにか愛おしさを感じる。
しかし私はまだこの花のことについてはよくは知らない。

ただこの花、目立ぬ場所でひっそりと咲いているのが似合う気がする。

花終へし雪割草を地にかへす (軽部烏頭子)
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シバザクラ ~三月弥生花の月~
- 2008/03/10(Mon) -
白芝桜


三月弥生も旬日を過ぎようとしている。
見渡せば辺りには春の調べが聞こえる。
枯れ草色の中にも花の色が広がってきた。
ところで「弥生」(やよい)には「いやおい」との読みもある。
「弥」は「いよいよ」「ますます」の意。
たくさんのものが生まれ、すべての草木が春の陽気に恵まれながら、生い育ち花盛りになるという意味が込められている。
三月の異称としてさらには、「花月」「桃月」「桜月」「早花咲月」「花津月」などこの季節にふさわしい名がいくつかある。
もっともほかに、暖かくなり眠気を誘う季節になってきたので「夢見月」の異名もある。
確かに「春眠暁を覚えず」の世界だ。油断してはいけない。

どうやらそんな陽気に誘われて白いシバザクラも目を覚ましたようだ。

芝ざくら遺影は若く美しき  (角川源義)
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ゼラニウム ~赤い花つんであの人にあげよ~
- 2008/03/09(Sun) -
朱色ゼラニウム


昨日は穏やかな春の日だった。
外へ出るにも、一枚薄くていい。
部屋に入り込む日射しも、強くて眩しい。

そんなひだまりでのんびり外を眺めているとラジオから懐かしい曲が流れてきた。
ソフトできれいなハーモニーの「赤い花白い花」、赤い鳥の歌だ。
Am Em Dm Cだけの単純なコード進行だが、メロディーラインが語りかけるように美しい。
「赤い花つんで あの人にあげよ   あの人の髪に  この花さしてあげよ」
「赤い花赤い花 あの人の髪に    咲いてゆれるだろう  お陽様のように」
ギターを取り出して弾いてみた。歌える。
若者の髪がみんな長かったあの頃、私もギターを手にしていた。
フォークソングと言うジャンルがあったことなどもう昭和の過去のことか。
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白梅(八重)
- 2008/03/08(Sat) -
八重の白梅


  君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる  ( 紀友則 )
 
白梅は空の青に似合う。
花折りて挿すもまた美しい。
梅は蕾より香ありて
万葉人は香栄草(こうばえぐさ)とその香を讃ゆ。
白梅は優しく、人を呼ぶ。

  白梅や日光の高きところより  (日野草城)

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イベリス(Iberis)
- 2008/03/07(Fri) -
イベリス


いくつもの白い小さな花がひとかたまりになり、一つの花のように見えるのはイベリス。
中央の花心のように見えるのは、蕾たち。
だんだんに咲いていく。
黄色い雄しべや雌しべが見えるのが実際の花だ。
花弁は四枚、内側の二枚は小さく、外側はその倍ほどの大きさで左右対称の形。
それがぐるりと廻って咲くので一つの花のように見える。
可愛い花だ。

きさらぎをぬけて弥生へものの影 ( 桂信子 )

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ユキワリソウ(白花雪割草)
- 2008/03/06(Thu) -
雪割草


   息留め見る雪割草の迎えたる  (文)

長い旅から帰ってくると、雪割草が迎えてくれた。
控えめに「はにかむ」ように咲く姿に、温かいものを感じほっとする。
その名は春の訪れをいち早く察知して咲く花であるというところに由来する。

虫蠢く時と暦は告げている。
冬にさよならを、心に春を、体に躍動をといこうか。

 みんな夢雪割草が咲いたのね (三橋鷹女)

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ネコヤナギ ~やわらかにふくらみ~
- 2008/03/05(Wed) -
ねこやなぎ


   紫雲に乗って、父は空へ昇っていった。
 
背に射せる春の日差しに汗ばみて ふっと息を吐き軽く眼を閉じぬ

仮宿の窓辺に倚れば啓蟄の 陽はやはらかに我が肌身に親しむ

 菊の香包まれしわが命の礎は小さき白き形となりて帰りきぬ
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風に乗って紫雲の上に
- 2008/03/04(Tue) -
八重の梅

  故郷の福木の上に東風(こち)吹きて 小さきなりし父の顔 (文)

母が手を握って最期を看取ったという。
そうすることは、もう何年も前から、父との約束だったと。
最後はスーッと静かに息を引き取ったと。

綺麗な顔をしていた。
信州から 持ってきた「干し柿」をそばに置いた。

母は背筋を伸ばし、ピンとして座っている。
崩れた姿がない。
完全主義者らしい母だと、姉は言う。

柿は一緒に棺に入れてもらい、彼岸でゆっくり食べてもらおう。
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パンジー ~悲しいほどの青い色して~
- 2008/03/03(Mon) -
パンジー

父が逝った。
昨日午前5時55分。
電話の向こうで姉は言う。「お父さんは幸せな人生を送ったのよ」
前に訪ねたとき、「君は誰?」と私の顔も覚えていなかった父。
その時は涙が出た。

これから空路、冷たくなった父の元へ向かう。
作った干し柿5つ持って、父の枕元へ。
手を握ろう。顔をなでよう。私を作ってくれた父。
間に合わなくてごめん。

お父さん、ありがとう。

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ロウバイ(臘梅)
- 2008/03/02(Sun) -
蝋梅

 
ロウバイがようやく花開く。
去年より、半月も遅い開花だ。
今年の二月は寒い日が続いたからだろう。
艶やかな光沢のある花が枝に付く。
ほんのりとした香気が鼻に届く。
下向きの花弁が空の青に透き通る。
足下の腐葉土の下にミミズを見つけた。
ああ、春だ。
春だ。

臘梅を透けし日射しの行方なし  (後藤比奈夫)

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白梅(黄筋梅)~歳寒の三友~
- 2008/03/01(Sat) -
黄筋白梅

 
ある本で「歳寒の三友」という言葉を知った。「松」と「竹」と「梅」は三つとも寒さに耐えるので「歳寒の三友」と呼ばれ、めでたいものとして多くの慶事に用いられることが多いという。
「松」は、一年を通していつも鮮やかな緑を呈し、その姿を変えることがないことから、堂々とした存在や長寿を象徴するものとして古来より尊ばれている。
また、「竹」は節があって風雪に耐え、しなやかで弾力性があり、少しのことではへこたれない特性があり、ねばり強さを表すととも、すくすく伸びることから成長のシンボルとして取り上げられる。
「梅」は、香りよく、春一番に咲く花として知られる。周りの木々が裸の時に真っ先に咲くことから、何事も先陣を切る勇気を示す花として知られる。
家にはちょうどこの「歳寒の三友」がある。。
今日から3月、これらを見ながらまた気持ち新たにしてアグレッシブな心でと思う。

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