ビワ(ひだまりの枇杷の花)
- 2008/01/31(Thu) -
冬の枇杷

褐色の綿毛をかぶり多数寄り集まって咲く、白い枇杷の花。
晩秋に咲き始めた花だが、庭に花の少ないこの寒い時期には貴重な花である。
枝をばっさり剪って家の中の大きめな花瓶に投げ入れるように差し込む。
無造作に見えるが、それはまた枇杷らしさが映えて結構見栄えがする。

この木、店に並ぶような栽培のとは違って小粒だが毎年実を付けてくれるので楽しみである。
今年は枇杷はいくつなるのだろう。
摘果をうまくしよう。

生花に事欠く頃や枇杷の花 (賀瑞)


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タアサイ(如月菜)
- 2008/01/30(Wed) -
雪のタアサイ

タアサイを作るようになったのは、その頑強な性質に合わせ、柔らかで甘味のある風味が好みだったからである。

この野菜はきわめて耐寒性が強く、この厳寒期にも光沢のある緑の葉を重ねるようにして横に広げる。

雪が降り、畑が一面白くなる。少し時間が経ち、日が当たり始めるとタアサイがその中から雪を溶かし顔をのぞかせる。

それはまるで呼吸でもするかのようでもある。

そんな姿もまた心惹かれる冬の光景となる。

寒ければ寒いほど甘みが増す。人もそうであるといい。

今日は二株抜こう。
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芝桜(花爪草 ground pink)
- 2008/01/29(Tue) -
芝桜

ラジオは各地からの花便りを届ける。テレビは菜花が咲きそろう様子を映像に流す。沖縄からは緋寒桜の満開を映し出す。
北海道には流氷の到着だという。話題に真冬と春が同居する。

芝桜は4月から5月にかけて地面を覆い尽くすように白やピンクの色を広げて咲く。富士山をかたどって立体的に定植したり、密生する花を色分けして花時計にしてあるのをよく見かける。

ところで昨日の凍みは厳しかった。朝は-10℃、日中も気温が上がらず氷点下に近い。ここ数日が冷え込みのピークだろう。
こんな冷え冷えとした冬さなか、霜に包まれて芝桜が1輪2輪と咲いている。
「えっ、なぜ今なの?」と霜と氷をまとう初夏の花を、哀れとも思い、健気とも思う。
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笹 ~春草が笹を描く意味~
- 2008/01/28(Mon) -
雪と笹

菱田春草の絵に笹が多く描かれるようになったのは、明治41年の後半からである。
失明の危機に瀕し、苦闘し暗闇になったその世界から、ようやく解き放され、明かりが灯され自然の姿を自身の目で確かめることができるようになったその頃のことだ。
当時、なぜモチーフとして笹が登場するか、その意味を彼は語っていない。

夏に青々としている笹は冬の寒さを体験することで、はじめてその白い縁を得る。
その縁取りは厳しい環境でのみ現れる姿、形なのだ。
画家としての生命線である眼病から解放され、再び絵筆を持つことが許されたその喜びと制作への迸る思い。
自分の人生の冬を乗り越えた強い意志を笹に託したのだろうか。
その翌年の明治42年に描かれたあの重文の「落葉」にも右双の片隅に目立たぬように笹は描き添えられている。
明治44年、「早春」に八つ手と南天と鵯を描き、それを絶作として彼はこの世を去る。享年歳36歳。 

笹を見るたび、晩年の春草の心を思う。
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ふきのとう ~雪の中から顔を見せて~
- 2008/01/27(Sun) -
雪とふきのとう

先日の雪が至る所に残る。
雪の表面は昨日の強い冷え込みで凍る。
一面の雪の上を歩く。
ザクッ、ザクッと靴が音を立てて沈む。

植物はその下で呼吸をする。
雪の中からフキノトウが顔を覗かせる。
ぎゅっとして表情は固い。
苞が開くのはまだ先のようだ。


蕗の薹みどり何枚着てゐるか (山田弘子)

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梅 ~白梅の蕾が開きかけて~
- 2008/01/26(Sat) -
白梅

冷え込みの厳しい日が続く。
日陰に残る雪は凍てつき固くなる。
霜が土を持ち上げる。
木に留まる雀も体を丸くする。
「ふくらすずめ」と呼ぶ。

しみた空気の中、梅に目をやるとその枝に白い色を見つける。
花びらの子どもが顔を覗かせている。
氷点下の空の下で、じっとその時を待つ。
かぐわしき香りが枝いっぱいに広がるのもそう遠くはなさそうである。

このころや梅咲くほとの日の力 (士喬) 冬木の芽明日は待たるるためにあり (新明紫明)

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ツワブキ ~雪の中の石蕗~
- 2008/01/25(Fri) -
つわぶき

久しぶりにまとまった雪となった。
サンシュユの広がる枝の上に並行して雪も枝を伸ばす。
椿の蕾は白く丸い帽子をかぶる。
櫻の根はそのなめらかな膨らみが青い影を作る。

雪が覆い、雪が包み、雪が囲む。
雪が生み出し作り出す風景。
白一面の中に少しだけ顔を出すそれぞれの色。

初冬に黄色い花を付けた石蕗は形を変えて雪の中にある。

   静かなる月日の庭や石蕗の花 (高浜虚子)
 
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新発見の『落葉薄氷』が語るもの ~菱田春草~
- 2008/01/24(Thu) -
落ち葉薄氷

ロシアのモスクワで発見された「落葉薄氷」という名の麦田春草の作品がある。その作品が里帰りした折り、直接鑑賞する機会があった。
 画面全体は灰褐色を基調とし、これまでに確認されている数点の「落葉」に比して画面の明るさは押さえられ、落ち着いた色調で描かれている。静謐なモノトーンにも近い表現が、林の中の水辺に広がる寒々とした様子をよく表している。澄んだ空気に満ちた静寂なたたずまいと茫洋とした奥行のある雑木林、質感のある密度の濃い樹肌表現、樹木の多くが幹の途中で切り取られている描写は朦朧体を抜け、深い自然観照の中で新機軸を打ち出した春草晩年初期の独特な表現の特徴を示している。
 部分に目を向けると、左手前には他のいくつかの「落葉」に見られるように若杉が描かれ,その他の樹々は右下から徐々にかすみつつ左上方に向かい,画面左奥には薄氷の水辺を配置し,そのほぼ中央に近い地面に烏(カラス)を3羽,そして近くに野菊がまさにその色を失い終えようとする姿で描かれている。きわめて暗示的でまたいかにも明確な意図を持った構成の感がある。特に若杉には他の作品に見られるような葉の茂りがなく、その色も彩度の弱い緑で描かれており、枝の数も少なくて、弱々しさを感じさせる点に一つの特徴を見ることができる。またほとんど葉を落として右側に立つ一番大きく描かれたブナの枝の形態と動き、そして地に曲がりくねって細々と立つ野菊の弱々しい姿とが合いまって一種の神秘的な世界を感じさせる。特にそれをさらに強めているのが、その枯れかかった十数本の野菊である。そして中に描かれたモチーフも〈烏,枯れた野菊、薄氷、若杉とアオキ、その他の樹々〉と鏡舌なはどあまりにも多く、実に不思議な印象を受ける心象的風景画といえる。

死の象徴の烏、命を終えんとする野菊、踏むと今にも割れてしまう薄氷等は先の短い自らの生命への不安か。
若杉はこれから伸びゆく力、いつも青々としたアオキは永遠の命、これらはもっと生きたいという願望か。
明治44年春草は36歳でこの世を去る。「落葉薄氷」は自らの死を予感したかのような作品に見える。

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野菊 ~色は変われど、その姿もまた味わい深くて~
- 2008/01/23(Wed) -
冬の野菊

ノコンギク、ヨメナ、ユウガギク…。
風に揺れる愛らしい小さな花々。
清楚で素朴な味わい。
その「野菊」の季節は秋の月とともに過ぎた。

今、時は冬。
薄紫色の花びらは白い綿毛に。
色、形は変われどもこれもまた野菊。
その姿もなお味わい深く美し。


 夢みて老いて色塗れば野菊である (永田耕衣)

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ヨーロッパ美術の精華 ~神々と自然の形たち~展
- 2008/01/22(Tue) -
ルクレティア

「自然」「神々」をテーマにした「ヨーロッパ美術の精華 ~神々と自然の形たち~」展(国立西洋美術館コレクション)を観た。絵画21点、版画62点、彫刻10点の美術史上に名を残す作家達を集めた企画展である。絵画においてはモネ、マネ、ドラクロワ、クールベ、ゴッホ、など、版画ではデューラー、ブリューゲル、ドーミエ、ルドン、彫刻ではロダン、マイヨール、ブールデルと精選された作品が並ぶ。
久しぶりに観たマイヨールの「夜」とブールデルの「アポロンの首」は懐かしくもあり、やはりロダンと違った独自性が据わっていてコンセプトや表現への思いを感じることができる。

絵画で惹き付けられたのはグイド・レーニの「ルクレティア」(1636頃)だ。彼女(ルクレティア)は裸身に白布を纏い、右手にナイフを持つ。これから自死するのである。豊満な肉体を持つ美しい若い女性がなぜそうしなければならないのか。彼女の目は考え、嘆き苦悩している。それは「悲しみ」と「詫び」、「恨み」と「復讐」とに包まれた強い意志を語る。背景の暗褐色が白い柔肌と紅潮した顔を際だたせる。そして自ら命を絶つ。身に起きた悲しくもつらいできごとを見る者は感情移入して描かれている画面の中に感じ取る。ローマが王制から共和制へ移行するきっかけとなった史実をもとに描かれた作品である。

優れた1枚の絵は何百ペ-ジもの物語に匹敵する。見る者を立ち止まらせ、考えさせ、心を揺さぶり、深奥に感慨を刻む。

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イボタノキ ~水蝋(いぼた)の黒い実~
- 2008/01/21(Mon) -
イボタの実

 和室から眺める庭には、高さ3メートルほどの水蝋(いぼた)の木がある。6月頃枝いっぱいに白い小さな花を咲かせる。
歌に詠まれるような華やかな櫻や梅とは趣を異にし、山野に似合うような飾り気のない質素な花である。

植えてからかなりの年月を経ているのに幹は10㌢ほどしかなく、その材は緻密にしまっていて堅い。生育力は強く、株分けで簡単に根付くので庭の所々に植えてある。
今はすべての葉は落ち、やや紫がかった黒い実をいくつか残す。この実も冬鳥にとっては有り難い自然からの贈り物なのだろう。

芽吹き、葉を広げ、枝を伸ばし、花を咲かせ、実を付け、葉を落とし、また季節が来れば芽吹く。
季節とともに生き、季節に合わせて姿を作る。こうして永劫回帰に続く自然の営み。

大寒のよき眠りより覚めにけり  (八木林之助)
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葦 ~氷に包まれる~
- 2008/01/20(Sun) -
氷の葦

昨日は寒い日だった。
氷点下4度の朝、いつものように重ね着をし散歩に出かける。このところ、コースを替えて違う道を歩くようにしている。
こうして歩くと、様々な発見があり、人々の生活の中からいろいろな知恵を得ることがある。特に農家の畑や庭からは学ぶものが多い。冬の作物の扱い方や、その保存の仕方などを見て、なるほどそうすればいいのかと一人で納得したりする。
いつも目にする道がどこへ繋がっているのか、散歩することで初めて分かったりする。早朝に車で勤めに出て、夜、車で帰宅する生活を続けていると、近所のことでも知らないことが多いことに気づく。
小一時間し、帰ってくる頃には体も温まっている。

庭へ周り、草木を見る。それぞれに少しずつ蕾を膨らませている。すぐ下は川だ。降りると、葦が氷に包まれていた。
落ちる水のしぶきが周りに付き、それが凍って丁度つららを逆さにしたようになっている。
よくホテルなどで花を氷柱に閉じこめ、美しくアレンジして飾ったりするのを見かけることがあるが、これはまさに自然がなせる技である。その造型に見とれ、しばし眺める。

部屋入ると、コートに包まれたセンター試験会場の受験生がテレビで映し出されていた。
遠い昔、自分も受験生だったことを思い出す。その頃は4当5落と言った。その意味を分かる人はもう少ないだろう。
高石ともやの歌の世界である。高田渡、中川五郎、岡林信康、浅川マキ…青春が蘇る。

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ブロッコリー(ミドリハナヤサイ)
- 2008/01/19(Sat) -
1/13ブロッコリー

ブロッコリーは私の好きな野菜の一つだ。
ボイルしてマヨネーズをつけてあっさりとした形で食べる。
生育期は比較的長く、まだ畑の中にいくつかある。
少しずつ採ってきては皿に並べる。
今季のできはまずまずだ。

その葉はキャベツ同様に虫たちにも好まれる。
中でも3㌢ほどの青虫が多くいる。
小さな口で食べ放題に不揃いの穴を開ける。
見つけては手でつまんで草むらへ置く。
農薬を使わないのでそこは虫との共存だ。
彼らが食べるということは美味しいからに他ならない。
また安全な野菜であることの証左でもある。
我々が食べるのはその花軸の頂花蕾。
目を近づけると、びっしりと蕾が集まっているのが分かる。

ネギと大根も抜いて土をかけ、こもをぶせた。
土も凍てつく。
あと残るのは芽キャベツだけとなった。
昨年の春に始まった畑も今年の啓蟄が訪れる頃までしばらく一休みとなる。

  大根引(だいこひき)大根(だいこ)で道を教えけり (小林一茶)
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「雪中群鴨」(仮題)~菱田春草の未完成作品から~
- 2008/01/18(Fri) -
雪中群鴨

あまり人の目にふれることのない菱田春草の未完成の作品が4点ある。その貴重な作品を鑑賞する機会があった。これらの作品がなぜ未完成のまま残されたのか、その意味の解明などを含め興味深く作品に向き合うことができた。

群れで遊ぶ鴨が描かれたこの作品、題名も定かでないのでここでは「雪中群鴨」としよう。
冬らしさが漂う静かな作品である。しばらく降り続いた雪も今はやみ、鴨たちが動き出す。鴨は13羽、そのうちオスが7羽メスが6羽、それぞれに上を向き下を向きと変化と動きがある。そして一つ一つの姿態が何とも可憐で、雪の白さと静かな広がりに一層の対比を見せている。中央に位置する鴨たちからは楽しそうな会話が伝わってきそうで、真冬の雪面の中にもほのぼのと温かいものを感じさせる。静かな自然の中に息づく生命、そして計算されたかのような隙のない画面構成、それらが寒い情景の中のあたたかな物語を作り、惹き付ける。
 作品は全体に色が施されていない鴨が多く、オスは灰色、メスは肌色で着彩が止まっている。しかしよく見ると、水、岸辺、そして上部の一羽は十分描き込まれており、左上部の一羽だけは首と羽の一部に色が重ねられている。全体の色調を伺いつつ一つ一つの個体(部分)を順を追って完成させていくという手法を採っていることが分かり、春草の制作現場を見るようで興味深いものがある。

春草にはその代表作に重文の「落葉」があるが、やはり全く同じように未完の「落葉」が存在する。それが未完であるのは奥行きと広がり表現の失敗にあるということで理由は明確になっている。しかしこの「雪中群鴨」を見る限りでは失敗として筆を置かざるを得なかったという要因を見つけることができず、その未完の意味をどうしても見つけ出すことはできない。
一枚の絵の中に残された「未完」というメッセージ、これをどう読み取っていったらいいのだろう。
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モミジバゼラニウム ~葉に休む蝶のように~
- 2008/01/17(Thu) -
モミジバゼラニウム

どことなく蝶が羽を広げて休んでいるようにも見える。
上部の細い花びらはまるで触角だ。
淋しくなった冬の部屋に明るい色を添えてくれる。

昨季はゼラニウムを室内に取り入れるのが遅くなったため、いくつかの鉢をだめにしてしまった。
今年はそのタイミングが良かったようで、すべて元気で青々としている。
中にはこのモミジバや細咲きゼラニウムなどのように途切れなく咲き続けている有り難い花もある。

ゼラニウム、独特の香りがするこの仲間の花たち。
色や形、大きさにもバリエーションが多く楽しい。
園芸店で見ようものなら買いたくなってしまうほど、はまる花の一つである。

藪入も過ぎて篭のゼラニウム (文)

117  鎮魂の歌  晶子の「関東大震災」を詠むを昇りし人々に捧ぐ。
空にのみ 規律残して 日の沈み 廃墟の上に 月の昇りぬ  (与謝野晶子)
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龍のヒゲ ~瑠璃色の玉~
- 2008/01/16(Wed) -
竜のヒゲ

この瑠璃色した玉は「竜のヒゲ」の実だ。
真珠のように丸く、艶々としている。
夏に咲く薄紫の小さな花が真冬にこうして色鮮やかな竜の玉に変わる。
それにしても綺麗な実である。
すべての竜のヒゲが今、この玉を抱いている。
見ていると拾い集めてヒモに通し、ネックレスにしてみたくなる。
童心に帰る。


誰がための深き瑠璃いろ竜の玉 (鈴木二郎)  日を知らず実のりて碧し龍の玉 (高橋淡路女)
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霜柱 ~朝の散歩で~
- 2008/01/15(Tue) -
霜柱2

休日は早朝散歩するのがこのところの日課だ。といっても私が家を出る頃はまだ辺りは暗い。氷点下の寒さへの完全防備で家を出る。今朝は-5度くらいか。最近はネックウオーマーが欠かせない。勿論帽子は耳まで覆う物だし、手袋は二重でなくてならない。こうして30分から一時間歩く。歩く内に日が赤石のやまなみに顔を出す。夜明けを散歩の途中で迎える。こうしてラジオを耳にしながらの散歩ではいろいろな発見がある。

 南アルプスに昇る朝日が対面にある中央アルプスを赤く染める。空木岳や南駒ヶ岳が徐々に赤のグラデーションを纏う。それを眺めているだけで幸せな気分になる。果樹園地帯では梨が整然と剪定されている。冬の田んぼの水際は凍って光を不揃いに反射する。そんな自然の営みを見ると、人がいくら頑張ろうと自然には勝てないことを思う。

家に帰る頃には足先は冷え切っている。庭を一周りすると霜柱が立っている。地面を5㌢ほど突き抜けて水飴のような氷の柱が立つ。押し上げられた土が氷の先端に乗る。これも自然が作り出す美しい造型だ。やはり人は自然にはかなわない。こんな形は人の手では成し遂げられない。ロダンの言うように「自然は最大の師である」という言葉を実感する。
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ほおずき ~同光返照(どうこうへんしょう)~
- 2008/01/14(Mon) -
ふゆのほおずき

松本章男の文章の中で”同光返照“という言葉を知った。もとは道元禅師の「普勧坐禅儀」という書にある「同光返照の退歩を学ぶべし。自然に身心脱落して、本来の面目現前せん」とい文言で、同光返照とはあらゆる生きものとのとの間に自分の気持ちが通じ合うと感じる心理作用を成立させることだという。
「進歩発展は棚上げにし、木々や草花とも自己を照らし合わせ、仲良く大自然と語りあう、後ずさりするほどの気持ちのゆとりを持ちなさい。そうすれば身も心も抜け落ちたように楽になり、地球の持つ根本まで見えてきますよ」。道元の言葉はそのように勧めていると解説する。
道元は鎌倉幕府の執権、北条時頼に招かれた時、「自然を痛めつけてばかりでは国も文化も滅んでしまう。春夏秋冬の豊かな自然と共生して情操をつちかい直そうではないか」と法話している。そして「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」の歌を朗吟したという。まさに今に、現代に繋がる言葉である。

ほおずきにも冬には冬の姿がある。こうしてある衰相もまた自然である。
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スイート・アリッサムsweet alyssum(庭なずな)
- 2008/01/13(Sun) -
スイートアリッサム

雨が降った。この時期に雨は珍しい。今シーズン、まだ一度も雪かきをしていない。去年の暮れ新しく用意したラッセルもお呼びがない。こんな冬はあまりなかったような気がする。でも、雪の心配をしなくて生活できるのは有り難い。

スイートアリッサムが白く可愛い小花を咲かせている。一頃の溢れんばかりの花数からすれば、半分にも満たないがそれでもこの寒空の中でけなげである。一つ一つの花は3㍉ほど、それが集まって雪を散らしたように咲いている。
葉も茎も弱々しく細々としているのに、寒さにこんなに強い花だったのだろうか。

下関ではつくしが顔を出し、沖縄宮古島では夏日となってもう蝉が鳴いているという。

風も強まってきた。一枚の葉が空を横に飛んでいく。
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細花ゼラニウム
- 2008/01/12(Sat) -
細咲きゼラニウム

 10を越える蘭の鉢がある。しかしそれには一つも花がない。
同じように育てても毎年違う姿を見せるのが植物、今年は蘭については失敗だ。
まさに葉蘭(波乱?)である。
家の中に花の色がないのは淋しい。
一鉢買ってこよう。

そんな中にあって、このゼラニウムだけは次々に花を咲かせてくれて和ませてくれる。嬉しい。
花びらは白の色合いが増え、全体の赤い彩度は落ちたようにも見える。
部屋の中だけに置いて、花に鮮やかな色を求めるのは虫が良すぎる。
週末は外に出して、陽に当ててやることにしよう。

 鏡開きも過ぎた。1月は足が早い。 

わが庵(いほ)の鏡ひらけよ鼠ども (蝶夢)
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バラ・冬薔薇 ~部屋の中で静かに咲く~
- 2008/01/11(Fri) -
冬薔薇

 淋しさは愉しさに似て冬薔薇(ふゆそうび) -中村芳子-

 外の薔薇には1枚の葉も一つの花もない。
ただ固い棘を枝に纏うだけである。
剪定された白い切り口が空に向かう。
今は
じっとして根を張る。
ただじっとエネルギーを蓄える。
じっと静かに春を待つ。

部屋の中は季節の移ろいを知らない。
厳寒の北風を知らない。
鉢に小さな薔薇一つ。
心なしか色も控えめに淋しげに。

  かりそめの色にはあらず冬薔薇(ふゆそうび) -片山由美子-

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ツグミ ~桜の花芽を啄んで~
- 2008/01/10(Thu) -
つぐみ

沈丁花、カルミア、サンシュユ、ロウバイ…、辺りを見渡すと少しずつ木々に花芽の膨らみを見つけることができる。
桜も例外ではない。葉一つなく、広がり伸びる枝に沿うように無数の花芽が付いている。

ところで桜の花芽は鳥たちにとっては美味であるらしい。
我が家の大きなカスミザクラにも様々な小鳥たちが来ては花芽を口に運んでいる。
なかでもヒヨドリの食欲といったら、見ていても驚嘆するほどの喰いぶりだ。
他の控えめな鳥たちはヒヨドりがいない頃を見計らってやって来る。
メジロはつがいで仲良く語らいながら食事をし、シジュウカラは群れで賑やかに会食だ。

そんな中、静かにプライベートのランチタイムを楽しんでいるのはツグミだ。
じっくり腰を据えて首をかしげたりしながら、ゆっくり味わって食べている。
私との距離的は5㍍もなく、当然目に入ってはいるのだろうが一向気にする気配はない。
ツグミは内気の象徴で,孤独な隠者にも擬せられるという(荒俣 宏著による)が、確かにおとなしく、のんびりとしたもんだ。
3月、シベリアの大地が住みよい気候に戻るまで、どうぞゆっくりと我が家の木々でくつろぎを。

つぐみ飛び木の葉のようにさびしきか (細見綾子)
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冬知らず(フユシラズ) ~冬よ私に来い~
- 2008/01/09(Wed) -
冬知らず1/4

庭下の土手では小さな黄色い花の「冬知らず(フユシラズ)」が点在して咲いている。
金盞花の仲間だというこの花、その名の通り周りが氷点下になろうがいっこうにかまわず元気だ。
「私、冬が大好きなの」と小さな声が聞こえてきそうである。

陽射しを受けて広がるその鮮やかな黄色は寒々とした辺りを温かくする。
それはまるで昔からそこにあるかのように川縁の景色にとけ込んでいる。
自然の中に息づく小さな命、いつもの真冬に見られるありふれた光景だ。
寄せ植えの一つとして鉢植えにするのもいいだろうが、私はこうして自然のままで咲く姿が好きだ。

小寒も過ぎた。これから冷え込みも厳しくなり一番寒い時期を迎える。
しばらくは寒さを友とし、寒から造型を学び、寒さから知恵を学ぼう。
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ホトケノザ ~冬の朝の散歩~
- 2008/01/08(Tue) -
冬のヒメオドリコソウ

冷え冷えした朝の凛とした空気の中を散歩するのは気持ちも引き締まる。
時々吐く息が眼鏡を曇らせる。
顔を出すすべての草は真冬の白い色に包まれている。

地面を這うように、にゅっと突き出た赤い小さな花を見つけた。
その形からしてホトケノザのようだ。
その花以外は葉も茎も霜色しているので実際の所よく分からない。
赤い二つの斑点が目にも見えまるで猿か人の顔のようでもある。

何かを思って、何かを感じて厳寒の中で花開く。
よく凍みずにいるものだと感心する。

体を起こして家に向かうと丁度、塩見と赤石の真ん中ほどから朝日が顔を出した。


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たんぽぽ ~冬の朝の散歩~
- 2008/01/07(Mon) -
冬のたんぽぽ

早朝の散歩に出かけた。外気は氷点下2度、雲のないいい天気だ。
川が凍っている。キラキラと氷の色をして。
草も凍えている。サムザムと霜の色をして。
整然と直立して伸びる梨の枝を眺めながらしばらく歩く。

道端に黄色い色を見つけた。 
タンポポだ。
しかし、そのすべては冬の使者たちに覆われている。
真冬という衣を着たタンポポの姿。

冬の朝の散歩で見つけた。
春告げ草、たんぽぽ。
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ハコベ(繁縷)~緑なすはこべは萌えず~
- 2008/01/06(Sun) -
はこべ

はこべを見つけた。もう咲いている。可憐で優しく愛らしい花が軟らかい緑の葉の上で咲いている。大きさは5㍉ほどでごく小さく、10弁に見える白い花びらはよく見ると5弁であり、深いところでハート状に切れ込みが入っているのがわかる。

ハコべの仲間はステルラリア属と称される。ステルラリア(stellaria)とはラテン語の「星stella」が語源で、小さな花が星形に開くことから名付けられたものだろうという。(柳宗民の著より)確かに夜空に瞬く星のようにも見える。

正月7日に若菜を摘み採って七草粥とする春の七草のひとつでもあることはよく知られるところだ。
    君がため春の野に出て若菜(七草)摘む わが衣手にゆきはふりつつ(光孝天皇)
古今集にも詠み込まれたこの花、遠き昔の世から人々に身近なものとして愛されてきたことを伺わせる。
「はこべ」というと私には口をついてすぐに出てくる藤村の歌のほうがなじみ深い。
                             
「小諸なる古城のほとり」  島崎藤村
小諸なる古城のほとり          雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず          若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る
 -落梅集(明治38年)より-

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オオイヌノフグリ ~春の息吹を見つける~
- 2008/01/05(Sat) -
おおいぬのふぐり1/4

昨日は空が晴れて風もなく、日影の明るい穏やかな日であった。そんな麗らな日和に庭を歩くと、早いことかな春の息吹を少しずつ見つけることができる。

オオイヌノフグリが空色をした小さな可憐な花を咲かせている。一つ二つ三つ二つと、あるいはいくつもがかたまって一様に空を向いて咲く姿は愛らしい。なによりそのさわやかな青色が草花の季節の始まりを伝えてくれようでいて嬉しい。

オオイヌノフグリをこうして眺めていると日本古来の野の花のように思えるが、実際はヨーロッパ原産で,明治初年に渡来した比較的新しい帰化植物だという。でもこんな愛らしい花を見て「イヌノフグリ」とは少し興がないではないか。虚子の言葉を借りて「青の星くず」などと可愛い名にしたい気がする。

いぬふぐり星のまたたく如くなり (高浜虚子) いぬふぐり咲くよと見ればかたまれる (清崎敏郎)

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UFO? ~正月の東京の空に見なれぬ飛行物体が~
- 2008/01/04(Fri) -


正月、渋谷で「日本画名品展」を観た。河合玉堂、横山大観、速水御舟、伊東深水等の近代から、平山郁夫、高山辰雄、千住博に渡る現代作家までを集めた展覧会である。

昨年亡くなった高山辰雄の「行く道」は、東山魁夷の「道」と共通するなにか人間の根底を揺さぶるような重さを感じる。郊外の仲秋を描いたであろうこの作品、一本の道は右へ曲がりその先は見えない。風景でありながら人間の道をそこに観る思いがする。小品ではあるが鑑賞者を立ち止まらせ、考えさせる深いものを持っている。彼の作品には、やや暗い色調で描かれた蒙昧とした暗示的な人間像が多いが、ここには彼の作画に対する精神性を見る思いがし、また一つ心が豊かになった気分である。
若手で一番気を吐いている千住博の「ウォーターフォール」は青と白で構成され、彼の独特の世界が展開された単純明快な作品である。ただこの作品を含め、彼の多くの作品に私は鑑賞コメントをする事ができない。日本画と現代日本画のその落差を強く感じるからである。

場所を移し、箏とチェロとバイオリンによる「和響」というコンサートを聴いた。和と洋ではあるが、同じ弦楽器それが見事に調和しモーツアルトなどの美しいハーモニーを奏でている。箏奏者が若い男性であるのもまたいい。ゆったりとした時間が流れ、隅々の細胞に弦の響きが入り込むような満たされた思いだ。

空を見上げると、六本木ヒルズと東京タワーの間になにやら見かけぬ飛行物体が浮かんでいる。UFO?段々に近づいてくる。正体は大きな飛行船だった。
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白南天と赤南天 ~難を転じて福となす夢違観音のありがたきかな~
- 2008/01/03(Thu) -
白ナンテンと赤ナンテン

明治神宮に参拝した。家内安全を祈る。破魔矢を買った。小さな家族のいつもの正月風景だ。
 
紅白の南天を揃える。正月はすべての部屋が和の佇まいになる。一年に一度、誰しもが古式ゆかしきいにしえ人の雅に至る。日本の心のアイデンティティーをそこに感じる。紅白の南天がいかにも縁起いいと揃えて生ける。

母から送られし田イモも食す。正月もそろそろである。ゆるりとした時間もそろそろである。新年の様々なイベントを享受した。スイッチを切り替え日常モードに戻ろうかと、心も体もそろそろである。

歳月はいま急流や実南天 (北登猛) ふるさとの海の香あり三が日 (鈴木真砂女)
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紫の小花 ~君の名は~
- 2008/01/02(Wed) -
なんという名の花か

正月も二日、「書き初めやをさなおぼえの万葉歌」(竹下しづの女)ではないが、硯を目の前において吉書を認めている人もあろう。

あの鳥も いつか旅立つあの羽で 僕もいつかは自分の羽で
あと少し 勇気出したら跳べるはず 自分信じて一歩踏み出す
人間は 色とりどりだその個性 咲かせてみよう自分の花を 「全国短歌フォーラム塩尻」中学生入選作品より
こんな短歌を筆で書いてみるのもいいではないか。   

ところで、庭の片隅に小さな紫色の花が咲いている。なんという名の花かは知らない。11月の初め頃から咲きだし、この寒風吹き渡る中でもじっとして咲いていて愛おしくなる。花にも鳥にも月にもそれぞれの正月がある。

二日にもぬかりはせじな花の春 (芭蕉)
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