菊(年の瀬の菊)
- 2007/12/31(Mon) -
菊と冬の花

ようやくと言うべきか、やっとと言うべきか、雪が降った。低気圧の影響か時折強風も吹き、桜の木の枝を大きく揺らし地面の落ち葉を宙に舞い挙げる。荒れ模様の年の瀬だ。

庭では菊も静かに年を越す。
菊には菊水長寿の言葉があるように、邪気をはらい命をのばす効果があるとされる。また匊には手の中に米をまるめてにぎったさまから、まるくまとめるという意味も含まれる。
菊の持つ意味の示すように、すべての皆様に健やかで家族まとまっての良いお年が来ることを祈りつつ、今年を送ることとする。

ひそかなる枯菊に年改まる (松本たかし) 年暮るる野に忘られしもの満てり (飯田蛇笏)

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チョロギ( 甘露子・草石蚕) ~ちょろいもをおせちにいかがですか~
- 2007/12/30(Sun) -
チョロギ

ご婦人の皆様方はおせちの仕上げやらできっとせわしきことだろう。地方によってそれぞれおせちの品数は異なることと思うが、ともあれ定番の料理の中にも、彩りなどに一工夫をこらして盛りつけておられるのではないだろうか。

その昔、といっても私の子どもの頃の話しであるが、、母は大晦日の日は朝から台所に立ち、そこから離れたことはなかった。昆布を煮込み、豚肉を煮込み、蒟蒻をを煮込みあれやこれやと正月料理の準備に勤しんでいた。 それが終ってやっと紅白が始まる頃に年越しそばである。それは毎年近くの食堂からの店屋物であったが、家族揃って一年の締めくくりの感慨を味わう喜びがあった。

元旦、子ども達は学校へ行く。そして担任の先生から紅白饅頭を頂く。「年の初めの…」と講堂で揃って斉唱する、それが昭和の子ども達の年の始まりだった。いや、私の地方だけのことだけだったのかもしれない。それを済ませ、親戚の家に新年のご挨拶に出かける。これが楽しみである。なぜならお年玉が父母より多く頂けるからである。中でも「平田屋」という大きな菓子屋へ行くと、いつも絣を着ている叔母がくれるお年玉袋には、正月の欲しい買い物を満たすだけのものが入っていた。子どもの頃の思い出は色褪せることなく映像となって蘇る。

今日、チョロギを掘った。地下に生ずる塊茎には数個の巻貝に似た輪状のくびれがある。梅酢に漬け赤く染めて黒豆に添え、おせちには欠かせない一品だ。夏に咲く花も可愛いが、こうして掘った時のくるくるとした姿は何ともいえない愛らしさがある。今年は訳あって赤く染まることはなく、白いままで年越すことになる。

紅紫蘇の色に漬かれる草石蚕かな (菅原師竹)
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ロウバイ(臘梅) ~慈愛心~
- 2007/12/29(Sat) -
ロウバイ

毎日5時前、NHKのラジオからは「今日の誕生日の花と花言葉」が流れる。それぞれの花の特徴や性質、そして育て方などをアンカーが易しく解説する。また、それに因んだ短歌を添えてくれるのも嬉しい。ほんの数分足らずの放送だが、それを聞くのが楽しみで私の日課の一つにもなっている。

昨日の花はロウバイ、花言葉は「慈愛心」「思いやり」、あの蝋細工のように艶々したやや控えめな花びらからくる印象なのだろうか。すべての人々に新しい年の幸せを願うかのようなこの暮れに相応しいいい言葉だ。

早速庭の2本のロウバイを見に行った。でもやはりまだまだ丸い蕾のままだ。そういえば我が家での開花は通常2月に入ってからなのだからちょっと気が早すぎた。しかし、顔を近づけてみるとその蕾の中に仄かに光沢を持った黄色い色味を確かめることができる。自らの色香を放つべきその時に向け、確かなエネルギーをじっと蓄えて待っているのだろう。楽しみである。

それやこれやと眺めているうちに雨が降り出した。もう年の瀬だというのに、雪はどこへ行ったのだろう。

臘梅や枝まばらなる時雨空  (芥川龍之介)

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文覚(もんがく) ~碌山の相克~
- 2007/12/28(Fri) -
文覚

先日見た「日本彫刻の近代」展(国立近代美術館)は、その標題に相応しい名作がセレクトされ、極めて充実した展示で見応えがあった。幕末・明治から昭和にかけて各テーマを設けて日本の近代彫刻の流れが一望できるように間を取ってレイアウトされ、見る者はゆったりと鑑賞できる。

第4のテーマ「個の表現の成立」の中心は荻原碌山と高村光太郎である。特に碌山の作品はその存在感が光る。
たくましい体躯の男が腕を組み、目に力をためて遙か遠くを見つめる堂々とした姿の「文覚」は、その隆々とした外形から来る力強さと内面にみなぎる揺るぎない意志を感じさせる。碌山がフランスから帰国した明治41年(1909)30歳の時の作品である。

鎌倉時代の高僧文覚はもとは、武士遠藤盛遠である。彼は同僚の友人、源渡の妻(袈裟御前)に恋し、その思いを告げた時「それならわが夫を殺してください。」と言われて、彼女に教えられた通りに寝室向かい夫を殺害する。しかし実は手に掛けたのは愛する御前のほうだった。彼女は自ら寝る位置を変えて夫への貞節を守った。盛遠はその罪を悔い仏門に入り、行を重ね仏像を彫る。

帰国後新宿中村屋の主人、相馬愛藏夫妻に支援を受けていた碌山は故あって夫人相馬良(黒光)に対する思いを深め悩み煩悶する日々が続いていた。そして鎌倉の成就院にある文覚の自刻像と伝えられる「怪しの木像」を訪ねた。両腕を組むその小さな彫刻を見て「そこにあるのはまさしく自分だ」とその像に自分の苦悩の姿を重ねる。東京のアトリエに戻ると早速制作に取りかかったのがこの「文覚」であった。

今、長野県穂高にある碌山美術館の正面石壁には「Love is art, struggle is beauty」(愛は芸術なり、相克(そうこく)は美なり)という碌山の言葉が刻まれている。日本のロダンとも呼ばれた愛と相克の彫刻家碌山は32歳の若さでこの世を去った。
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ひおうぎ(射干玉 ぬばたま)
- 2007/12/27(Thu) -
ひおうぎ12/6

この時期、外で咲く花は山茶花や枇杷そして冬知らずなど、数えるほどになった。サンタが街にやってきたのにクリスマスローズは未だ咲いていない。「葉は花知らず、花は葉知らず彼岸花」と詠われるリコリスは青々とした緑の葉を伸ばしている。他の植物と花と葉の順序が違う。いくつかの木々には花芽を確かめることができる。ボケには米粒のような小さな赤い蕾が、ロウバイにはブルーベリーほどの丸い蕾が枝いっぱいだ。サンシュユは木全体に花芽が無数に見られる。それぞれが新しい年を迎えるスケジュールを立てているようだ。

薔薇を剪定した。思い切ってばっさりと。今年はそれぞれがいつもより多く長く咲いてくれた。それぞれの顔が美しい貴婦人だったり、あどけない少女だったり、威厳のある老婦人だったり、優しい田舎娘だったりと様々な表情を見せ楽しませてくれた。また、来年が楽しみだ。
 
背丈が短くなった薔薇が並ぶ中に、ヒオウギがすくっと立って黒い種を輝かせている。艶々として丸いぬばたまだ。揃えて切って束ね部屋に入れた。花人はそれを生け花の材料とすると以前聞いたことがある。なるほど、花を引き立てる要素を持っている。
学生の頃「万葉集」の講義を受けた頃、初めてぬばたまのことを知った。それ以来、ヒオウギ(ぬばたま)は私の心の花である。

 我妹子がいかに思へかぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
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紫陽花 ~冬の紫陽花もまた美を秘めて~
- 2007/12/26(Wed) -
128紫陽花

昨日の職場の話題は当然のことながら、クリスマスのことプレゼントのことが中心であった。冬の一大イベント故、それぞれのイブの過ごし方を報告しあって盛り上がっていた。隣の若い女性は名古屋へご主人と二人で出かけ肉料理に舌鼓打ちつつ、美味しい酒を飲んできたという。右隣の彼は奥さんと二人でディズニーランドへ行き楽しい夜を過ごしてきたとのこと。羨ましい限りだ。私などアンディ・ウイリアムスを流しているうちにいつの間にか寝てしまっていた。クリスマスは遠くになりにけりである。

 そのイブの昼間はせっせといろいろな片付けをした。書架を整理し本を80冊ブックオフへ持って行ったら、320円にしかならなかった。一冊4円の計算である。これも捨てるよりいいだろうと納得する。「もったいない」である。「勿体」とは世の中のすべてが互いに数え切れないほどの縁で繋がりあっていることをいう。この縁を切ってしまうのが「勿体ない」で、むやみに使い捨ててしまうのはおそれ多いということだろう。少しでも誰かがまた読んでくれればそれでいい。

 それやこれやの片付けも一段落して外の空気を吸いに庭に出た。枇杷の木の下では切らずにおいていた紫陽花が冬の陽射しを浴びていた。装飾花の花びらはそのままだ。本来の小さな両性花も形をとどめている。無いのは赤や青や紫の彩りである。しかしこれはこれでまたいい。何とも言えぬ味、枯淡の美がある。最後の一枚が散るまでそのままにしておこう。

紫陽花にことばのあやの如きもの (岬雪夫)
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ジョウビタキ(尉鶲) ~クリスマスの贈り物~
- 2007/12/25(Tue) -
ジョウビタキ24

夕べはみんなどんな聖夜を過ごしたのだろう。楽しいパーティーだったり、愛を語らう親密の夜だったり、夫婦二人だけのしっとりとしたイブだったりと想像してみたりする。
子ども達への今朝のサンタからの贈り物は、きっとお願いしたものが靴の中いっぱい詰め込められていたにちがいない。

うれしいことに昨日私にも神様からクリスマスプレゼントがあった。といっても何かもらったわけではない。
それはジョウビタキの雄が我が家へ訪問したことである。毎年やって来るこの鳥、いつもなら11月の初旬に顔を見せてくれくれる。しかし今年はなかなかその姿を見ることができなかった。もう来ないではないかと少し諦めもしていたところへの訪れだ。その顔見せは通常より一月半以上も遅れとなる。今年このジョウビタキに少しの異変を感じたのは、実は雌鳥がやってきたことだ。もう何年も彼女は我が家とは無縁であった。それが今年は11月に早々と来てずっとずっと居座っている。今でも時々私が庭作業する後を付いてきたり、働きぶりを監視する。その人なつっこさから北の地方では逃げない鳥だというのでバカドリという有り難くない名もあるという。そこへ現れた雄だ。嬉しい。その黒色の翼によく目だつ三角の白斑があることから紋付き鳥とも呼ばれる。胸から腹にかけての鮮やかなオレンジ色も彼を示す特徴だ。頭部は銀白色で人でいえば、まさにロマンスグレーともいうべき熟年の白頭、名は体を表すと言う通り鶲(ヒタキ)という字には翁が付く。
いつもなら3月まで彼は「ツッツッ、カタカタ」という声で私を和ませてくれる。朝早い通勤の私を見送りもしてくれる可愛い鳥だ。
こうして今年はひと味違ったクリスマスイブの日となった。

昃(かげ)りしもの慕はしや鶲来る (後藤夜半)
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ゼラニウム(ホシザキゼラニウム?)
- 2007/12/24(Mon) -
白いゼラニウム

寒さに弱い植物を部屋の中に取り入れてあるが、その中のいくつかはまだ花を咲かせている。この白いゼラニウムもその一つだ。他のゼラニウムと違うのは、花弁が剣のように細くなっているところだろう。階段状に切れ込みがあるのと、大きめなのが下にそれより小さく細めの花びらが上の方に付く点はモミジバゼラニウムにも似ている。白い花びらの上にはドロッピングしたように赤い小さな斑点が乗ってアクセントとなっている。
 
 今日はクリスマスイブ、家々に飾り付けられたイルミネーションが美しい。こんな田舎でも年々華やかになっていく。子ども達や若者にとっては楽しく嬉しいイベントの一夜となることだろう。

“明日はクリスマス、しかもジムにプレゼントを買ってあげられるお金はたった1ドル80セント。でも、これでも彼女が何ヶ月もかかって、鐚一文だって無駄遣いしないようにしてきた結実だ。”
“デラの美しい髪の毛とジムの金時計”……、この時期になるとO・ヘンリ-の「賢者の贈り物」が懐かしい。
私はアンディ・ウイリアムスのクリスマス・アルバムを流しながら静かな夜としよう。
 
聖しこの夜人の世に人愛し ( 向田貴子)

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ネムノキ ~冬至、ゆず湯に入って~
- 2007/12/23(Sun) -
ネムノキ12/22

昨日は冬至、私は柚子を六つ風呂に浮かべてゆず湯を楽しんだ。柚子の香りが湯船に広がり、アロマテラピーではないが、心地よい香りが鼻を抜けて頭の奥まで行き渡りその天然のエッセンスがゆったりとした気分にさせ、ちょっとした癒しの時間となった。
風呂を上がると部屋ではネムノキが咲いている。赤い糸を集めたようなふんわりとした優しく美しい花だ。しかし、花を見ていて初めて気がついたことがある。それは、花だと思って見ていたのは確かに花なのだが、一つの花ではなくたくさんの花のかたまりであるということだ。数えてみるとそれは10~20花ほどの集まった花序であることが分かる。その先端には多数の小さなおしべがある。見ているようでなにも見ていない、そんなことを知ることになった冬至の夜だった。

柚子風呂の重たき柚子となり泛ぶ (田中一荷水) さめかゝる肌に柚湯の匂ひけり (長谷川かな女)

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南部中央アルプス
- 2007/12/22(Sat) -
空木とカール


家を出て1分も足を伸ばすと、西側に空木岳から南駒ヶ岳をへと続く中央アルプス南部の山々が望める。 。
空木というのはあの卯の花、ウツギに由来する。ここ伊那谷でウツギの白い花が満開となる6月頃、空木岳にはまだ雪が残っていてその残雪にウツギの花を重ね合わせて山名を付けたようだ。深田が隣の南駒と空木のどれを百名山に入れるか迷った時、“うつぎ”というひびきのよい優しい名前、美しい韻が決め手になったと書にはある。
 遠望してもはっきりと確かめられるもう一つの特徴は空木平と呼ばれる圏谷地形(カール)だ。アイスクリームをスプーンですくったような氷河による氷食で作られたゆるやかな盆状の凹地だ。あの宝剣岳の下に位置するお花畑同様、空木平も夏になると高山植物が繁って美しい場所となる。
山のその向こうは木曽である。今は伊那市の権兵衛峠と清内路村の清内路峠に新たなトン年ルが開通して、木曽と伊那谷のルートは短時間で結ばれるようになった。しかし昔はそれぞれが、通じる道を作り行き来していたようである。空木岳の鞍部は木曽殿越と呼ばれ、木曽義仲が越えたという伝説も残る。

こうして我が家からは西に中央アルプス木曽山脈、東に南アルプス赤石山脈を見渡すことができる。
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フユシラズ(冬知らず Calendula)
- 2007/12/21(Fri) -
冬知らず

寒い寒いと多くの花々が縮み凍える中で、黄色の小さな花を元気に次々とに咲かせているのはフユシラズだ。この花が咲くと冬がさなかであることをあらためて教えてくれる。私の所ではまるで野の花のように土手の草に紛れながら沢山咲いている。この花を見るようになったのはもうだいぶ前のことだが、こうして何年も同じ場所で咲いているということは、こぼれ種が命をつないでいるのだろう。花の形はキンセンカ(金盞花)の小型版という感じで経は1~2㌢の可愛い花だ。霜が降り、凍てつき、雪をかぶってもなお咲き続けるフユシラズ、どうしてこの小さな花にこのような耐寒性があるのだろうといじらしくもなる。

 色の少ない凍み渡るこの時期にあって、お日様のような暖かな色が春まで顔を毎日覗かせ、心を和ませてくれる。

“冬知らず”も詩的なネーミングでいいが、例えば「冬タンポポ」などと名付けてみたい気もするが、いかがだろう。
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メジロ(コナラの樹の上で目白が)
- 2007/12/20(Thu) -
メジロ

休みの日に庭を眺めているといろいろな小鳥が来ては囀り、跳びはね、踊っては楽しませてくれる。小さな丸い目を白く縁取られたメジロは大勢でやってきて、うるさく烈しく騒々しく、ピチピチプツプツと木から木へ、枝から枝へと飛び回る。キジバトがつがいで来て地面を啄むなどはほほえましい。桜の木の上に白い腹を出して静かにじっと佇んで居るのはツグミ。そういえばツグミは最高の美味であると聞いたことがあるが、ほんとだろうか。今は捕獲禁止の鳥だ。シロハラはスズメやツグミが側に来てもいっこう構わず熟柿を突っついたりしている。性格的に大人しく他の鳥をあまり意識しないのんびり屋で、マイペースの感がある。コゲラはその愛らしい体に似合わず、「ギーギー」と車が軋むような声を出す。ネムノキや桜の幹に垂直に留まり、まるでアニメーションのコマ送りのように嘴をリズムよく突さし、上下に動く姿は見ていて楽しい。
 しかし、我が家にあってなんといっても一番の顔は、通年で飛来し果樹や木の実、花芽をほおばるヒヨドリだ。「義経鳥」などと呼ばれるものの、その名のイメージとは違いどちらかというと腕力(鳥力?)の強い強面で、人なつっこいジョゥビタキなど、彼の姿を見るとすぐに逃げていってしまう。しかしスーッスーッとワンバウンドするように下降しそしてサーッサーッと勢いよく流れるように飛ぶ姿は独特の美しさがある。ほかにモズ、エナガ、ムクドリ、カワラヒワ、キセキレイ、セグロセキレイ等々、多くの鳥たちが立ち寄ってくれ、おかげで私は居ながらにして探鳥会が楽しめる。
来年は新たにどんな鳥が庭に訪れ仲間になってくれるだろうか。

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ルドベキアタカオ(冬にも咲いて)
- 2007/12/19(Wed) -
タカオ

ルドベキアタカオは夏の花だ。初秋まで小さな向日葵のような黄色い花を次々に咲かせる。
その盛りとなる時期はとっくに過ぎ、多くは枯れ果ててその姿は忘れ去られていた。
しかしまたひだまりの中で花が細々と咲き出したではないか。
このところ氷点下の寒さが連日のように続く。
そんな季節の中で咲くのはけなげと言えばけなげだ。
だが、裸木になったモミジの下で咲くこの花を見ていると「やはり君には夏が似合うよ」と声をかけたくなる。
ましてや隣には冬枯れ色をした変わり果てた仲間の姿がある。

夏が来て秋が来て夏の花に戻り、秋が暮れ冬が来て、また秋の花が咲く。
そんな植物の生態の不思議な光景が今年は多く見られる。
植物にとっても今年は「偽」の一年だったのだろうか。
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綿毛~なんの種だろう~
- 2007/12/18(Tue) -


一仕事を済ませ、薔薇の周りを歩くと、キラキラ光るものが地面にある。なんだろうと近寄ってみるとどうやら花の種のようだ。そっと手に取ろうとするとその動きが作るわずかな空気の流れで揺れて離れる。きわめて軽い。無数に伸びたシルクの糸のような繊毛は艶やかである。なんの種かは知らない。自らの子孫を残そうとどこやらか旅して我が庭に飛んできてくれたのだろうか。  
こうして、冬は冬で草花はまた一つの営みをする。初めて目にするこの美しい種子にじっと見とれていたが、 しばらくすると、一つを残して少しの風がまたどこかへと運んでいった。その一つを、そおっと取って手を袋のようにしながら家の中へ入れた。

ほんの短い時間ではあったが、幸せ気分になった。

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リンゴ(王林の実が今なる)
- 2007/12/17(Mon) -
王林

冬の陽を浴びたこの林檎の実を見ていると、ふと北原白秋の詩が頭に浮かんできた。
  「薔薇二曲」という詩である。
一    薔薇ノ木ニ/薔薇ノ花咲ク/ナニゴトノ不思議ナケレド/
二    林檎ノ花/ナニゴトノ不思議ナケレド//照リ極マレバ木ヨリコボルル/光コボルル/

今年は草花の不思議な現象を多く見た。この王林の花咲く姿もその一つである。昨年20数個の実を付け、この春も淡い紅色した綺麗な花をたくさん咲かせたこの木、秋の収穫が楽しみであった。しかし、夏にもう一度花が咲き、初秋にも花が咲き、晩秋にさらに花が咲きと1年に4度も開花したのである。この花は何を考えたのだろう。この花に異変をもたらしたのはなんなのだろう。そんなことを考えていたら、今度はこの冬に実が付いているではないか。しかもまるで姫林檎のような可愛い小さな実である。

白秋の詩の薔薇の言葉を換えてみた。
  林檎ノ木ニ/林檎ノ花咲ク/ナニゴトノ不思議ナケレド/
  林檎ノ木ニ/林檎ノ花四度咲ク/ナニカ不思議アリテ/
  林檎ノ木/ナニゴトカ思ヒテ/冬ニ小ヒサキ実ヲツケリ/照リ日ニ極マリテ/光ヲカエス/
  林檎ノ木ナニゴトカ思ハン/
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高村光雲(老猿)
- 2007/12/16(Sun) -
老猿

皇居のそばにある国立近代美術館で「日本彫刻の近代展」を観てきた。東京は穏やかな日である。この美術館は何度も来ている好きな場所の一つだ。
 入った途端に堂々とした揺るぎない量感に圧倒される。第一室の正面で迎えるのは高村光雲の「老猿」だ。直径1㍍を悠に超すであろうかと思われる栃の一木造りである。これまで図版で見ていたイメージよりかなり大きい。左右前後をぐるりと廻ると後面はほとんど手つかずの自然の木肌のままであることも初めて知る。1983年(明治26年)、シカゴ万博に出品された今から100年以上も前の作品である。表現に触れよう。光雲の技がまさに光る。年老いた猿の頭のてっぺんからつま先にいたるまで、その刀の切れ味に一寸の隙もない。左斜め上に瞳を鋭く向け、口を真一文字に結ぶその顔には今しがた鷲と格闘したであろうことを伺わせるような息づかいが漂う。彼の呼吸が届くようである。鷲の羽を強く握りしめる左手、流れるようなやわらかい毛波と併せ、それが一瞬木であることを忘れさせる。光雲の鑿音を聞こうとその前に息子と立って時間が過ぎる。
歩を進めると、高村光太郎、荻原碌山、新海竹太郎、石川光明、朝倉文夫、そして佐藤忠良、舟越保武等々日本の近代彫刻に燦然と輝く作品が並ぶ。こうした作家達を一度に観ることのできることの幸せ、1年の美術鑑賞の締めくくりとしては満ち足りた気分になり、申し分なかった。
現代作家において、例えば明治という彫刻の黎明期のこれら作品を越えた作品はあるだろうかということ、江戸の根付け、牙彫りの優れた表現性について、本物に触れることのこの言い表しようのない感動などについてなど、息子と語りつつ地下鉄に乗った。

伊那谷へ向かう帰路、黄昏の空にはきれいな三日月が浮かんでいた。
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シャコバサボテン(蝦蛄葉仙人掌  Christmas cactus)
- 2007/12/15(Sat) -
シャコバサボテン

この花にはとって我が家で何年目の冬となるのだろう。根に近い生え際の茎などはすでに褐色に木化していて、だいぶ年取った花だ。
買ってからその後一度鉢を変えただけでずっとそのままにしているが、毎年12月も半ばを過ぎるとこのようにきれいな花を付けてくれる。
花びらは透き通るように美しい。それはまるで赤い嘴を持った白鳥が羽を広げて飛んでいるようにも見える。

この時期に咲くので,英国ではクリスマス・カクタス Christmascactus と呼ばれるという。日本でいうシャコバサボテンの名はその葉が鮨のネタとして欠かせない蝦蛄の形に似ることによるとある。葉の先に角の出たような平べったいところなどははなるほど見れば確かにそっくりだ。

こうして一つ一つ見る花も魅力的だが、また一斉に咲き揃う満開時の姿には喩えがたい雰囲気を醸し出す美しさがある。

しゃこばさぼてん繚乱と垂れ年暮るる (富安風生)
 
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白南天
- 2007/12/14(Fri) -
白南天

小さな丸い菓子にも似たこの白南天、一つ二つと取って口に入れてみたくもなる。しかしよく見ると、二段三段にたわわについていた実の半分近くがなくなっている。どうやら私にだまって口に運んだものがいるようだ。

この頃は冬鳥が毎日のように庭に来て賑わっている。可愛い元気なメジロが来た。セグロセキレイは水辺で遊んでいる。
ぴょこぴょこ歩く鶫も来た。四十雀は群れで来る。ジョウビタキは庭の散歩を楽しんでいる。
でも、食べたのはこれらの鳥たちではない。考えられるのは鵯だ。桜、さくらんぼ、柿、椿と彼の食欲は一年中旺盛である。南天ももちろん好物の一つだ。ヒヨドリが来ると他の鳥たちは逃げる。すると彼はそこにバリアを引いて独り占めにする。よく見られる光景だ。少しは分けてやったらいいのにと思う。

こうして三月まで、「ひだまりの庭」に鳥たちが代わる代わる来ては目を楽しませる。
そういえば今年は未だのんびり屋のシロハラや眼光鋭いツミを見ていない。これも楽しみに待とう。

遠き嶺の 雪に映えゐる 南天切る      (加藤知世子)

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サザンカ ~咲いてゐる 散っている~
- 2007/12/13(Thu) -
赤い山茶花の蕾

サザンカを見れば、蕾あり散る花ある。
霜を何ともせずに赤い色がそこにある。
葉が光をはね返す。
緑葉が一層艶を増す。
地の上の花びらを掃く。
ジョウビタキはそんな私をじっと見ている。
もうすぐ雪が降ることだろう。
白い雪がその上に乗る光景も美しい絵となる。

    山茶花はさびしき花や見れば散る (池上不二子)

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ツグミ ~今年初めてのご面会~
- 2007/12/12(Wed) -
二羽の ツグミ

今年も鶫がやってきた。シベリヤ地方での住み心地はどうだったのだろう。冬も寒さが厳しさを増す頃になるとこうして我が家の周りにやってくる。特に好きなのが柿の木のようだ。その下を数歩足早に歩いては立ち止まり、頭を下げては嘴を地に刺しまた歩く。どうやらミミズなどの虫を地面から誘い出して食べているみたいである。

 これはつがいだろうか。しばらく2羽で同じ木に留まっていた。一方はどうやら口に小さな虫をくわえている。二人の夕餉かもしれない。
鶫の美しい声は,そのさえずりによって人々に恋心を芽ばえさせるいい伝えがあるという。今度じっくり耳を傾けてみよう。

   田の風のあふれくるさへ夕つぐみ 福島小蕾
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寒菊(寒椿)
- 2007/12/11(Tue) -
寒菊

李の木の下に、「寒椿」という名の赤い寒菊が咲いている。多くの菊は霜が降りるに合わせるかのように花を消していった。そんな中で、いくつか残った冬咲の菊が、地面をむき出しにして淋しくなった庭に色をおいて和ませる。その姿には愛おしさすら感じる。

大雪を過ぎた。冬の本格的な到来だ。寒さに負けずに命を育んでいる小さな草花を見つけてみよう。


寒菊や年々同じ庭の隈 高浜虚子
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柿 (kaki) ~木守りにして~
- 2007/12/10(Mon) -
木守りの柿12/8

柿は英語でもkaki だという。辞書を引くとa kaki treeで載っている。ほかに(Japanese) persimmともある。詳しく調べてみると柿が日本へ入ってきたのは8世紀頃の奈良時代で、中国より渡来したとある。平安前期の承平年中、皇女勤子内親王の命によって撰進された和名抄には〈赤実菓也、和名賀岐〉と記されているとあり、柿の栽培歴史の古いことが分かる。

 今年の我が家の富有柿はすべて食卓に上り、一つもなくなった。しかし、その恵を与えてくれた木には、まだいくつも実が残っている。私が残した柿である。
 この柿の木を植えて何年か経ってから初めて実がなり出した頃、私はキマモリといって果実を最後に一つを残す土地の風習があることを知った。稔りを与えてくださった神に感謝し、また来年も実がよくなるようにという願いの意味があるという。それ以来私も、キマモリをするようになった。いまではそれは一つでなく、三つに増え四つに増え、10近くになった。そんな残る実をヒヨドリ(鵯)をはじめとして鳥たちが啄みに来る。それを見るのもまた楽しい憩いの時間となる。

 天より朱落せし如く柿赤し (上野泰)  柿の朱を点じたる空こはれずに (細見綾子) 

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塩見岳 ~窓を開ければ、自然が師~
- 2007/12/09(Sun) -
塩見

窓を明ければそこに塩見が見える。南アルプスの中ほどにあってやや角度ある形を持った標高3047mの山である。北壁は塩見岳バットレスの別称があって、遠くから見てもあのマッターホルンを彷彿とさせるような急峻にせりあがる絶壁となっている。
こうして我が家からは、赤石山脈の山々が望める。

 彫刻家荻原碌山が自分の師として仰ぐロダンを訪ねた時、彼は次のように語っている。
「彫刻は形式や技巧など、うわべの美しさばかりにとらわれていてはよいものができない。あくまでも自然に忠実でなければいけない。」
また、帰国が近づき、その挨拶を述べにロダンのもとを訪れた時、「僕は日本に帰ると、師と仰ぐ人もなく、また手本と頼むような作品を見ることもできなくなりますが、何を頼りにしていったらよいのでしょうか?」と尋ねた。するとロダンは答えていった。「君は私とかギリシャやエジプトの傑作を手本などと思ってはいけない。仰ぐべき師はどこにでも存在する。それは自然だ。自然を師として研究すれば、それが一番いいことではないか。」「自然が師だ。」碌山はそれを心に帰国した。
ロダンの「考える人」を見て、碌山は彫刻家としての道を進むことを決意した。19の時、碌山の「彫刻神髄」を読み彼の作品を見て私は彫刻を制作の柱とすることに決めた。

こうして塩見を見ると「自然が師だ。」というロダンの言葉を思い出す。碌山同様、私が大事にしている言葉である。
山川草木、虫や花、動物など生きとし生けるすべての生命において自然は人間の作るいかなる作品も及ばぬ造型を見せる。
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栃(春の芽) ~春草の「落葉」~
- 2007/12/08(Sat) -
栃の葉と若芽

菱田春草の六曲一双の「落葉」(重文)は、彼が前年の眼疾からようやく回復し、医師から筆を持つことを許された明治42年に描かれた作品である。樹幹の上部が切り取られた様々な樹木が直立する中に右双に若杉、左双に枯れた栃を配している。この風景は当時居を構えていた代々木付近に取材を得たものだと言われている。その頃の代々木界隈は「武蔵野」と呼ばれる如くの広々とした原野や森林に覆われた地帯だったという。私は以前、彼がその絵を描いた時に住んでいた当時の代々木山谷160番地、そして腎臓を患い失明の中、終焉の地となった代々木163番地付近の地を訪ねたことがある。歩き歩き見つけたそこは小田急沿線の新しい住宅街の一角にあった。驚いたことにそこには「菱田春草居宅跡」という標柱がきちんと立っていた。心ある人が建ててのだろうか、詳細を確かめることはできなかったが、彼の存在が大切にされていることが分かり嬉しかった。
話を戻すと、描かれた右双の若杉と左双の枯れた栃、一方は若々しいいつまでも青々とした伸びゆく生命力を、又一方は葉が枯れ落ちて静かに自らの命を根に張る姿を描く。自分の大病と今後の行く末を暗示的にそして象徴的に描いたのだろうか。
翌43年には「黒き猫」(重文)、そして44年には「早春」を描き、これが絶筆となる。

若い時に春草を知った私は彼の孤高を守った真摯な制作者としての態度と生き方に惹かれた。それ以来いつも側には春草がある。
そして自分の表現に妥協許さない一徹さと変革の精神を持ち続けたその心をいつまでも自分の座右としたく、春草が「落葉」に描く”栃と杉“を庭に植えることにした。
今、家の栃は葉が落ちて、光沢のある春の芽を膨らめ始めた。

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バラ(冬薔薇) ~白いミニバラの咲く~
- 2007/12/07(Fri) -
白いミニバラ

デコレーションされた素焼きの四角い鉢を玄関前に五つ並べてミニバラを植えてある。その中のいくつかがこの寒くなった季節にも咲いてくれいて嬉しい。これは「雪姫」というきれいな名を持つバラだったような気がするが、どうも記憶は曖昧である。
その色香、形がただ好きだというだけでたくさん植えてあるのだが、実際のところ私はあまりバラの育て方を知らない。ほんとはもっときちんとした知識を身につけ、こまめに手を掛けてやらなければならないと思う。そんな素人園芸でもこれらのバラはそれなりに応えてくれ有り難いと思う。

近くの山々は雪で白くなった。もうすぐこの里にも雪が降ることだろう。人は凍える中、花は黙して咲き続ける。

     冬薔薇の咲くほかはなく咲きにけり     中村草田男

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カエデ(楓) ~イロハモミジが織る錦~
- 2007/12/06(Thu) -
青空とモミジ

カエデとは、葉の形がカエルの手(蛙手(かえるで))に似るところから名付けられたといわれる。その代表は家や公園などで最もよく植えられているイロハモミジ(Japanese mapleイロハカエデ)だ。その名は葉が掌のように5~7裂しその片を端からイロハニホヘトと数えることに因るという。このように青空を背景にすると、オレンジのトーンとのコントラストが又一段と美しい。
私の庭には、いつの間にかたくさんのカエデが育ち、その数は10をゆうに越える。これらのほとんどが実生のものだ。親であった木は数年以上も前に病気で朽ちてしまったが、きっとあの竹とんぼのような2枚の翅を持つ小さな果実が方々に飛んで広がり、根付いたものだろうと思われる。場所によって又その紅葉の色が違って表れるのも魅力である。

身近で自然の描く錦織の美しさを楽しませてくれたこれらの木々も、今週末にはそろそろ散るのではなかろうかと少し淋しくなる。
地に舞い散った葉もきれいである。それらをたくさん拾い集めて本に挟んでおいた。

   あながちに紅ゐならぬ紅葉哉 (橋仙)

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 「草木塔」 ~枯れた鬼灯~
- 2007/12/05(Wed) -
枯れほおずき

久しぶりに漂白の俳人、種田山頭火の「草木塔」を手にして読んでいる。彼を初めて知ったのはもう20年以上も前のことだが今でもこうして時々開く。 
 「草木塔」は山頭火の自選句集である。行乞の生活の中で詠んだ9000句の中から、自ら厳選した総数701句。余分な言葉を吟醸した不定型の句、時にはほのぼのとした自然を友にし、時には怜悧なまでに人間を深く見つめたその句は70年余を経た今でも心打つものがある。

真っ直ぐな道で さみしい        木の葉散る 歩きつめる       どうしようもない わたしが歩いている               ぬれて てふてふ どこへいく      かえる啼いて わたしも一人     窓あければ 窓いっぱいの春
いちりん差しの 椿いちりん      雪がふるふる 雪見ておれば      分け入っても 分け入っても 青い山

山頭火は伊那高遠への途中、この飯田の地を二度行脚している。一度目は昭和九年の四月のこと、しかし残雪多き清内路峠で疲労困憊し、「長田屋」に宿す。その時、峠に寄り添うように流れる清内路川の清新なせせらぎの音を詠んだのが次の句である。
飲みたい水が 音を立てていた
その後、山頭火は飯田に着くが、その直後に肺炎で入院する。病の中で次の二句を詠んでいる。 
  まことに山国の 山ばかりなる月     あすはかへらう さくらちるちつてくる
山頭火が目指した目的地である、伊那高遠の乞食俳人「井上井月」の墓参りが実現するのはそれから五年後のことである。

私の庭ではホオズキが枯れた姿で冬を迎えている。春までそおっとそのままにしておこう。

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ネムノキ(silk tree)~窓際の陽を受けて~
- 2007/12/04(Tue) -
冬の合歓木

我が家には大きなネムノキがある。通常花は夏の盛りの日没前に開花する。そのたおやかな赤い花が木に溢れるように揃い咲きするさまは見る者を優しさに包む。初冬の今はその面影もなく枝を横に大きく広げるのみである。
 
花は紅色の細い糸のようにふわっとして美しく、それを絹糸に見取った異国の人の感性はsilk treeと名をつける。我が国において先人達が、歓楽を共にする男女の関係を表す意の「合歓」と充てたのは、暗くなると葉をとじて眠ったようにみえることに由来するのだろうか。

ネムノキも鉢植えにするとこうして冬でも花を咲かせてくれる。もちろん陽の当たる部屋の中の話である。

花は疲れた心を慰め、尖った気持ちを癒す。

     総毛だち花合歓紅をぼかし居り (川端茅舎)

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サザンカ ~ようやく咲いた白い山茶花~
- 2007/12/03(Mon) -
白い二つのサザンカ

植えてから何年も咲くことのなかった白い山茶花が初めて花開いた。八重の花が二つである。
赤やピンクなどいくつもある山茶花は冬の寒々とした庭に彩を添えてくれる。しかしこの木だけはどうしたことか、春も秋も冬も緑の葉だけの同じ姿で立っていた。日当たりが悪いわけでもない。場所を言うならこの山茶花よりもっと日当たりの悪い北側の5本の山茶花は赤い花がたくさん咲いている。土の下で何か成長を阻害する相性の悪いものでもあったのだろうか。ともあれ、私にとってはとても嬉しいできごとだ。

 宮沢賢治の気分になって小さな庭を歩くと、そこにいろいろな物語を発見することができる。


山茶花や小さき庭に石二つ ( 岩本はな)
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枇杷 ~白い花と蝶~
- 2007/12/02(Sun) -
チョウと枇杷の花

早朝のラジオからはアサギマダラの飛行についての話題が流れていた。今年9月に長野県大町で放されたアサギマダラが遠く1200㎞離れた奄美の島で見つかったという。アサギマダラの好物のフジバカマが大町市にあって多く飛来し、そしてそこから南下していったとのことだ。よくもあの薄羽で海を越えて遙かな南の島までたどり着いたものだと感心する。途中どのようにエネルギーを補給するのだろうかと、その計り知れない生命力に驚きも覚える。ましてやあの小さな体のどこに飛行機のような精密な方位磁石やジャイロスコープを積み込んでいるのだろうと、自然の神秘さにただ感嘆する。

 『てふてふが1匹 韃靼(だったん)海峡を渡って行った』 という安西冬衛の詩を思いだした。
そして、冬衛が「春」というこの1行詩に詠んだ、北へ向かうチョウの名を知りたくなった。

 我が家の枇杷にもチョウが来た。のんびりと日だまりで蜜を吸っている。彼女は海の見えるどこか遠くへと旅することはないのだろうか。
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ニラ ~冬色模様~
- 2007/12/01(Sat) -
韮11/25

 青々としたあの葉、清楚で白く小さな花、今はそれも時が移って無常の姿を示す。もののあわれ、盛衰隆替の相を見る思いがする。ふと光太郎の詩が頭に浮かび、口に出る。

   「冬が来た」   高村光太郎 「道程」より  
きっぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木もほうきになった

きりきりともみこむような冬が来た
人にいやがられる冬
草木にそむかれ
虫類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い 僕に来い
僕は冬の力
冬は僕の餌食だ    (略)  

めくるカレンダーもあと一枚、残る31日に今年をどう締めくくろう。

   愧かしき三百余日師走かな    (喜谷六花)
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