朝顔と青空
- 2007/09/30(Sun) -


マイムマイマイムやオクラホマミキサーの曲が流れる。中学生が嬉し恥ずかし気分で楽しそうにフォークダンスに興じる光景。
そう今は秋、文化祭や運動会のシーズンだ。彼らにとっては青春の思い出のページを築く楽しく、貴重な時となることだろう。

この時期になると思い出すのが、青空の下での小学校運動会の練習だ。まだまだ暑い日射しが降り注ぐ中、小旗を持ったマスゲームなどを行っていた。小旗は各自で家で作る。あらかじめデザインされた紙に着色し、それを竹の棒にくるりと巻いてのり付けする。それを持って校歌などに合わせて踊るのである。

そんな子どもたちの上を、おびただしい数の鳥が空を渡る。サシバだ。故郷はサシバの飛来地だった。近くの森へ体を休めに行くのだろう。私たちはそんなサシバの群れに向かって声を揃えて叫ぶ。「鷹ドーイ、ジャングミ」と。その意味は分からない。ただ大人がそうして、きっと兄たちもそうしてと受け継がれたものなのだろう。

そしてそのサシバを家で飼うことが楽しみの一つであった。金目をした精悍な若鳥、赤目は少し年いった鳥だった様な気がする。
青空を見ていると、そんな幼い日の記憶が蘇る。

明日からは10月、空の色をした我が家の朝顔はまだまだ元気だ。

今日はこれから私の文化芸術の秋として、国立新美術館とニューオータニ美術館へ出かける。
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ミゾソバ ~ハナグモがいて~
- 2007/09/29(Sat) -


ハナモモの下の草むらに、枝先にたくさんまとまってピンクの色を付けている野の花がある。やはり初めて見る花のような気がするが、いやそうではなく毎年そこにあるのだが私が見る目を持たなかっただけのことかもしれない。

さわってみると下向きの棘がたくさん付いている。棘といっても刺すような痛さのものではなく、服に付くような引っかかる程度のものだ。花はいっこうに開く様子がなく、見つけてからずっとかたい蕾のままにも見える。

そんなことを手がかりに花の名を調べてみた。「ミゾソバ」と書いてある。コレクションの仲間が増えた。

その花に紛れるように小さなクもらしきものが見えた。透明にも近いやや薄緑色をしているごく小さなクモだ。合わせて撮るといい絵になるだろうとシャッターを切る。机に向かい画像を開いて見ると、ミゾソバは背景になり、小さなクモが主役に躍り出ている。よく見ると、人の顔のようにも見える愛らしい模様をしたクモだ。
早速調べてみた。網を張らず草花の陰に潜み,そこにくる小昆虫を捕食している「ハナグモ」だという。合わせて菜園や果樹園においては害虫駆除に役だっているとある。
そうか、こいつはいいやつなんだ。一つ友達を得た気分になった。

ある目的に近づくために出かけたのに、違う楽しい発見に出会えた、そんなハッピーな思いを持てたひとときとなった。

ミゾソバにはあらためてもう一度主役になってもらおう。
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クジャクアスター(白孔雀)
- 2007/09/28(Fri) -


いつもなら枝が無数に伸び、白い小花が溢れるように咲くのに、今年のクジャクアスターは淋しい。株が細々として見るからに毎年の姿と違って、勢いがない。たとえば、山吹や萩のようにそこが一つの白い花塊となり一斉に咲き揃うのが常のあるべき姿だが、そこにはそれが見られない。どこかに、なにか手入れの必要性があったのかもしれない。今年はきっとこの形で終わるのだろう。少し悲しい。

近くの田んぼでは稲刈りが始まった。はざかけのイネ束が景色となる。少しずつ秋色が増える。

てのひらに 山ありて川ありて秋      ゆみ 
天上もわが来し方も秋なりき        苑子
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり      蛇笏
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アスパラガス(オランダキジカクシ,松葉独活)
- 2007/09/27(Thu) -


今年はアスパラガスがうまくできなかった。穫れて食卓に上ったのはせいぜい5~6本だったような気がする。牛糞など追肥はきちんと施したはずだが、どこに原因があったのだろう。いや、そろそろ株の更新が必要かもしれない。考えてみよう。

今、そのアスパラの花が細々と咲いている。わずか2㍉ほどの花に顔を近づけてみた。小さいながらも艶やかな光沢がある。こんな花から、あのニョキニョキとした野菜が生まれるのか。何年も育てていて、花の顔を知らずにいた。

今一度、眺める、離れて見る、近づいて見る、寄せて見る、俯瞰して見る、拡大して見る、蟻の目になって見る、そんないろいろな見方を心がけよう。そしたらきっと新たな発見に出会え、もっと自分の世界が広がるかもしれない。。
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ヌスビトハギ(盗人萩)
- 2007/09/26(Wed) -


時折見慣れぬ花が我が家に訪れる。知らない間にいろいろな所に花を咲かせている。

5時少し過ぎから草取りをした。その時、ふれると枝から切れて実が軍手に付く花がある。それがヌスビトハギ、初お目見えだ。花はマメ特有の蝶形で紅紫色,長さ5mmほど、いわゆる一般的な萩、たとえばダルマハギなどよりかなり小さい。どこからやってきたのだろう。軍手や服にまとわりつく。陽がまだ昇らない朝の時間とはいえ、汗びっしょりになる。

”盗人“などと不名誉な名を抱くこの花、調べてみると、ヌスビトを冠する植物には果実や葉などが衣服に付くから名付けられたものが多いとある。なるほど名付けられるものには一つのルールというか、共通認識があるようだ。

花だけ見るとその名はちょっと可哀相でもある。

昨日の月はきれいだった。

(芭蕉) しみじみと立ちて見にけりけふの月    (芭蕉)名月や畳の上に松の影
(一茶) 名月をとってくれろと泣く子かな     (蕪村)名月やうさぎの渡る諏訪の湖
(青畝) けふの月すすきを活けにけり
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江戸の粋 ~その仕草と心~
- 2007/09/25(Tue) -


「七三の道」「「肩引き」「あとひきしぐさ」「うかつあやまり」「傘かしげ」……と~町人の知恵~『江戸仕草』といテーマで辻川牧子氏がテレビで語っていた。その言葉の妙に惹き付けられ、しばらく耳を傾ける。

「粋は息」、自分も他人も世の中も息をしている。自分だけではない。そんな思いを持つのがほんとの粋だと。
「人間」と書いてじんかんと読む。人は一人ではなく、多くの人が支え合って生きている。人と人との間で生きている。だからじんかんなのだ。
「お心肥し」、自分の心を豊かにさせる。自分の懐にたくさんの知恵を蓄える。生きている限り自分という木に肥料をまいてどんどん成長させる。「おしんごやし」とはそういうこと。江戸の人々は常に自分を向上させる生き方をした。

10分ほどの短い番組だが、いろいろと考えさせられた時間となった。常に人様を意識した生き方、それが江戸の仕草と心なのだろう。

そういえば、「お陰様」という言葉を聞くことが少なくなった。今ある自分は、先祖から奇蹟を頂いたのであり、過去に関わった多くの人々の支えがあったからの命だ。自分一人で何かができたのではない。そんな「お陰様」の気持ちを持って生きよう。辻川氏の語りを聞きながらいろいろなことを考えさせられた彼岸過ぎの日のことである。

昨日は窯出し、窯の横でたくさんのクヌギのドングリを拾った。拾っている間にも上から落ちてくる。器はうまく焼けた。

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ハクチョウゲ(白丁花)  Serissa japonica
- 2007/09/25(Tue) -


密生した細かい枝葉の上に白い花が咲く。桜の花にも見えるが、大きさは1㌢ほどと小さく可愛い。
昔の人はその白く小さな花を星や雪に見立てたのだろうか。満天星(まんてんせい)、六月雪(ろくがつせつ)の名もあるという。

今日は十五夜、しかし天気予報はよくない。各地で月見の宴があるようだが、はたしてどうだろう。

「月の美しさは十三夜 美童(女の子の)美しいのは十七つ」という、少し淋しげなマイナーコードの童歌を知ったのは、ようやくギターを覚えた大学に入って間もない頃だ。巷間では、南沙織の「十七歳」という歌がはやっていた。高音がやや鼻にかかりながら、爽やかで健康的な歌い方が好きだった。


 このままで別るるは惜し十三夜   ( 中村芳子 ) 十五夜のこそつく風や烏瓜  ( 阿波野青畝 )
  

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スイート・アリッサムsweet alyssum(香雪球)
- 2007/09/24(Mon) -


あの猛暑の中でも、ずっと咲き続けていたのがこのアリッサム。ちょうどセイヨウノコギリソウと取って代わるかのようにいたるところで庭をカバーしてくれている。

小さく白い花が寄り集まる姿はじっと見ていると心を穏やかにさせてくれる。両手を合わせ丸くして包み込みたくなる。華やかでもなく、色鮮やかでもないが庭に優しさを運んでくれる。

芳香がする。 別に香雪球の名があるという。きれいな名だ。

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清春白樺美術館 紫陽花~今頃になってなぜ咲く~
- 2007/09/24(Mon) -


東山魁夷の「自然との対話展」が開催されている清春白樺美術館に行ってきた。リトグラフによる展観なので、やはり原画を知るものにとっては、その内容には物足りなさを感じる。ただ、晩年の彼が身魂注いだ「唐招提寺襖絵」による小品リトグラフだけは壮大な本画をイメージさせるものがあり、唯一足を止まらせるものがあった。それより、別室でルオーの作品が一切のバリア無しで見ることができたのが嬉しい。あのステンドグラスを思わせる太い線の黒い縁取りに描かれたキリスト像など、キャンバスの中に彼の息づかいが感じられる。これらはいつ見てもいい。それにしてもこのコレクションは凄い。

人はまばらである。外へ出ると広々とした芝生の庭の大きな桜が並ぶ片隅に、藤森照信氏の設計による茶室「徹」がある。一本の木に支えられた地上約四メートルの上にある何とも奇妙な茶室だ。この茶室ができあがるまでの過程が以前NHKで放映されていて一体どんなものか興味を持っていた。藤森氏らしい発想の茶室といえばそうだが、下から眺めていると一つの野外彫刻的な造形としての存在感もある。銅板で葺かれた屋根が周りの景観にとけ込み違和感なくマッチしている。なかなかいい。

 また、隣のギャラリーで富本憲吉やバーナード・リーチの器を目にすることができたのは幸いであった。この展覧、柳宗民、浜田庄司、河合寛次郎、金城次郎…等々一連の日本民芸運動の先駆者達の輪の一部分にふれることができたことは嬉しい。私の飾り棚には金城次郎の「魚」図器2客がある。

昼食は「翁」でとった。これが蕎麦だという職人の技が味に出ている。さすがにうまい。札幌や京都ナンバーの車があった。外には多くの人が待っている。街から遠く離れた山あいにあるこの店を全国から訪ねてくるのが分かる気がする。

その後、車を移し、「平山郁夫シルクロード美術館」を訪ねた。作品には彼のライフワークとしてきたシルクロードのテーマが全展を通して一貫しており、その点については申し分ない。ただ、彼の作品を見たい者にとってはその数の少なさは物足りない。新しい美術館だけにいろいろなソフトの面でまだ整備されていない感を受ける。

秋の一日、心地よいアートシーンに身を置き、予定より早く家路につく。庭を一回りするとそこには、紫陽花が本花を咲かせていた。装飾花はない。花にはクロハナムグリ(黒花潜)が体を沈めている。今頃になってなぜ咲くのだろう。
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リコリス(ダイヤモンドリリー) ~お彼岸の中日~ 
- 2007/09/23(Sun) -


今日はお彼岸の中日、恰もこの日を知っていたかのようにダイヤモンドリリーが咲いた。これは少し前に咲いた黄花のリコリスと同じく3年目にしてようやく咲いた花だ。今年はもう咲かないだろうとあきらめていただけに、この姿を目にすることができたのは素直に嬉しい。

ヒガンバナの特徴に違わず、このリコリスも地面から直接花茎が直立して、先端に反り返った花を咲かせる。花心は湾曲して伸び、上に向かう。今は葉はない。葉は花が咲き終わったあとに出る。冬に葉があり夏に葉がないというちょっと変わった植物だ。

朝のラジオは、花が咲くこの時期に葉がなく、葉が緑の冬に花がない彼岸花の仲間を指して 「葉は花知らず、花は葉知らず彼岸花」と教えてくれた。なるほど、その通りだと聞きながら頷いた。 そして昔から田畑の土手に彼岸花を植えるのは、その鱗茎にリコリンやアルカロイドの有毒成分があるからだという。なぜなら、モグラなどの小動物がそれを嫌うからだそうだ。たしかに田んぼに穴が開くと農家の人は困る。なるほど、そういうことだったのかと一つ勉強になった。今私の畑はモグラの運動場と化している。そんな話を聞くと、周辺に少しリコリスを増やそうかとも思ったりする。でもせっかくこの畑まで来て楽しんでいるモグラ一族から生活の場を奪うのは可哀相か。思案しよう。


  むらがりていよいよ寂しひがんばな    日野草城
 
  もぐらみち塞ぎといふ彼岸花をゆく    山崎昭登


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秋明菊 (貴船菊)
- 2007/09/22(Sat) -


秋明菊が咲く季節となった。我が家でも数カ所に分かれてあるその株は、ほぼ時を同じくして白い花を開きだした。長い花茎の頂に優しい花びらが載る。年を経るごとに数が増え、居場所を広げ、背丈を伸ばしている。今では高いのは1メートルを超えるものもある。

もし絵を描くとしたら、これは油絵の世界の花ではない。日本画の花だ。たとえば、画家堀文子氏の手になると、見る者の心に染み入る味わい深い素敵な絵となるのではないかと思ったりする。      

”秋明菊”その字、その名、その響きがまたいい。 秋をさやかに感じさせてくれる、私の好きな花の一つである。


菊の香や垣の裾にも貴船菊    水原秋桜子
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クレナイアジサイ ~紅はうつろふものそ~
- 2007/09/21(Fri) -


菱田春草は”あらゆる美は永遠不滅のものでなく変化衰退していくものである“という主題をもって作品「水鏡」を表した。
透き通る薄絹をまとって、画面中央の池辺に立つ天女の姿は若々しくて美しい。天女は自らの姿を映す池へと視線を落とす。しかし水面の天女の姿はその瑞々しい相を失って映っている。画面左の池畔には大きな株となった紫陽花が描かれ、天女の手にはその一枝が添えられる。ものみなうつろい変わっていくという象徴としての紫陽花、そのはかなさを見事に描き出した作品だ。

しかし、想を深く練り、確固たるコンセプトを持った春草のこの作品は「この絵の作者は一体何を描こうとしたのだろう。…技法も欠点だらけだ」など発表直後から散々な批評の的となる。
その批評を受けて若き春草は言う、「私の絵はみな勉強中のもので、後に遺したいものはまだ一枚もできていない」と。


秋の風を受け、ひとつ一つと、花びらを落としていくクレナイアジサイ。そこにはもうクレナイの色はない。

9月21日、今日は春草の誕生日である。

紫陽花に秋冷いたる信濃かな   杉田久女
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サンゴ油桐
- 2007/09/20(Thu) -


玄関の両脇に2鉢並べておいてあるこのサンゴ油桐、3月中頃から咲き出してからずっと咲き続けている。この花にとっては今この時期が一番生活しやすいシーズンらしい。体の割には大きな、人の両手ほどもある葉をいっぱいに広げている。咲いては実を付け、実を膨らませては種を落とす。たしかにその名を抱くように海の珊瑚を思わせる色と形をしている。

二股のハの字になったその種を「これ絶対に植えてよ」と息子が言って東京へ帰ってから、もう3週間にもなるのにまだそのまま本棚の上に残されている。この週末、いろいろと冬から春への準備をしようと考えている。そこで一緒に植えることにしよう。
下旬には東京六本木へ息子と展覧会を見に行く予定だ。その時は「ちゃんと植えておいたぞ」と言おう。

赤い珊瑚のネクタイピンがある。もう長いことしたことがない。その故郷である沖縄の海は以前のように珊瑚がとれるのだろうか。時折、「美ら島、美ら海」の形容を脅かすような映像がテレビで流れることがあって気になる。

こんな事を書きながら「珊瑚でこさえた 赤い指輪あげよう」と加山雄三の歌が出てくる自分がおかしい。
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シソ ~赤紫蘇とシジミチョウ~
- 2007/09/19(Wed) -


いつの間にか野草化した赤紫蘇が庭や畑の至る所に広がって見られる。赤紫蘇はこぼれ種でよく育つので、風に乗りながら少しずつ移動し生活の場を広げているようだ。イヌタデや露草などの野の草花にとけ合い混じりあって静かに共存している。

もうだいぶ前のことだが、義姉が赤紫蘇の実を甘漬けにして出してくれたことがある。ほかにはないようなその素朴な味わいはそれ単独でつまみにもいいし、またふりかけのようにご飯に乗せても合う。作り方を教えてもらい、試みることにした。
左手で根元を持ち、右手で下の方から枝先へ一気に引いていくと、手の中いっぱいに実が採れる。こうして3年ほど作ったと思う。
その時植えた赤紫蘇の子孫である。

薄い赤紫したその花に、ウラゴマダラシジミが遊んでいた。じっと見ていると楽しい。まず普通に天地を上下に蜜を吸う。そして体を宇宙遊泳するかのように一回転させながら蜜を吸っていく。人間なら血が頭に上るところだ。それを何度も繰り返す。その動きに見とれ、暫く眺めていた。こんな小さな生き物の生態に、日常の喧噪を癒される。

赤紫蘇の花は人の目では見過ごされてしまうほど極めて小さい。しかし、こうして目を近づけてみると可愛い花である。
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木槿(無窮花) ~秋空の下で~
- 2007/09/18(Tue) -


秋の空はどうしてこんなに青いのだろう。  吸い込まれそうな青だ。 ずっと仰いでいたくなる。


  空の青さを見つめていると
 私に帰るところがあるような気がする

  空を陽にすかしていると
  無の持つ色が美しい
  時が私に優しく訊ねるが
  私は黙っている
谷川俊太郎 「六十二のソネット」より(1953年) 41 42 


白い木槿が空の青を得て誇らしげだ。  咲き始めたのは7月初旬、もう2ヶ月も前のこと。

朝鮮では mugunghwa(無窮花)の名があるという。  次々と咲くこの花には実に相応しい。

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メロン ~たった一つの収穫~
- 2007/09/18(Tue) -


メロンを収穫した。収穫と言えば聞こえがいいが、またもたった一つである。西瓜、メロンに関しては毎年のことながら、「立派に、たくさん」の収穫を得たことがない。どうやら神様は、このたぐいの栽培について私に試練を与え続けて下さっている。 あてにしていない家人はスーパーでさっさと買ってくる。


前政権では「再チャレンジ」が標榜された。私もその言葉を来年の西瓜とメロンに向けて戴こう。


炎帝につかへてメロン作りかな    篠原雲彦
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きく(菊)  ~「敬老の日」の黄色い菊~
- 2007/09/17(Mon) -


「敬老の日」、一人遠く離れた地にあっては両親に何をするということもできない。ただ健康を祈り、電話で安否を尋ね、声を聞く。そして、きっといつものように何らかの祝いをするであろう兄や姉たちに感謝するのみである。


当地の美術館には菱田春草の『菊慈童』が所蔵されている。彼の朦朧期の代表的な作品である。慈童が紅葉する深山の水辺で菊を手にして佇んでいる。背景にも点在して見られる薄紫した小さなその菊は野紺菊のようにも見える。
画題は周の穆王に使えた侍童が罪を犯し、河南酈県の山奥に流され、孤独の中その地で風に歌い鳥と語り草木に話しかけては菊の露を飲みつつ不老不死の若さを保ったという故事に因む。菊水、菊の露はそれに由来して長寿、長命の意味を持つ。


 お流れや千代に八重さく菊の水 ( 貞室 ) 秋を経て蝶も嘗めるや菊の露 ( 芭蕉 )


今日は母の名でもある黄色い花を生けよう。
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苦瓜(ゴーラ) ~まだまだ元気~
- 2007/09/17(Mon) -


冬野菜の準備をした。ブロッコリーと芽キャベツの苗を植え、春菊、タアサイ 水菜、大根を蒔いた。来週は白菜とキャベツを植えよう。そろそろサツマイモも掘り時かもしれない。

少しずつトマト、ナス、胡瓜などの夏野菜もその勢いを失いつつある。その中でまだ棚いっぱいに青々として元気なのは苦瓜だ。コの字に組んだ棚からいくつもぶら下がってなっている。今年はいつもの年よりできがいい。このところの食卓には毎日のように顔を出す。今日は輪切りにしての天ぷらだ。苦手な人も多いようだが、小さい頃から親しんできた野菜だけに毎日出てもそう気にはならない。

この苦瓜、私はアイデンティティーを確かめながら親しみを込めて「ゴーラ」と呼ぶ。


苦瓜の小さき穴こそ棲みたけれ 正木ゆう子
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ススキ ~タカノハススキの花~
- 2007/09/16(Sun) -


西に傾く日射しの逆光を浴びて銀色に輝くススキは、えもいわれぬ美しさがある。土手にあるススキには赤とんぼが来て留まる。その光景を見ただけで幸せな気分になる。

今日は新しい発見があった。というより、初めて知った喜びといった方がいい。いや、無知の再認識かもしれない。ススキの花を、花の色を見つけたのだ。

穂が伸びてきたタカノハススキの前に来た時、「ン?」と目を止まらせるものがある。顔をマクロのように近づけるとその中に黄色い色が見えるではないか。眼鏡をはずして見るとさらに赤紫や白く伸びた形が見える。確かにこれは花だ。伸びているのは花心だろう。

白色の穂というススキのイメージ、しかし、それは固定観念のフレームの中でススキを眺めていただけのことだったかもしれない。見ているようで何も見ていない…・じっと見入る、しっかり見据える、と何かしら不思議が見える、そんなことを思った秋空の下でのできごとだった。

「心の目で見ないと、何も見えないよ」と『星の王子様』は言う。
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6月の紫陽花と9月の紫陽花
- 2007/09/15(Sat) -


切り取られずに残された紫陽花が淋しげに秋露を受けている。その麗しき過去の姿は、今や色褪せて年老いた姿となる。

菱田春草はまさにそのようなテーマで「水鏡」を描いた。彼は「もともと美人はいつまでも美人ではない。ついには衰える時があるという考えがあった。」と述べている。描かれているのは天女、そして右手に色が変化しながら枯れていく紫陽花。春草23歳の時の作品である。

花に限らず、当然のことながら何事においても今が今のままに継続するというものではない。最高の地位を占めたものが一転してどん底に陥ることは、直近の政界、相撲界が如実に語っている。もてはやされた「プリンス」や「大」という形容の賞賛が批判に、栄光が挫折に取って代わる。

私は紫陽花が好きだ、色形がどう変わろうとも。変化したものにはまたその中に必ずや美がある。いや、見つけたい。



そのかみの絵巻はいづこ濃紫陽花    久保より江

紫陽花にことばのあやの如きもの    岬雪夫
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ピンクのカンナ Canna
- 2007/09/14(Fri) -


ランドセルを背に「カン カン カンナの花咲けば 赤いカンナの花咲けば~」と歌いながら下校した幼い日の頃、私の故郷には真っ赤なカンナの花が家々に、あるいは道ばたに多く植えられていた。鶏のとさかにも見えたカンナは、日焼けした子どもたちの顔を隠すほど背丈の大きい花だった記憶がある。


 去年に比べると一月ほどの遅れで、二株あるピンクと黄色のカンナが我が家でも咲き出した。童謡に歌われているのは大型の檀特の花のことだろうが、これらは70~80㌢ほどの矮性の種である。

あの故郷にあるような大きなカンナの苗が見つかれば今度植えてみよう。


    あらあらとカンナの真昼逢ひに行く    野木桃花
  
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マツバギク ~首相辞意と空の通い路~
- 2007/09/13(Thu) -


少しずつ夏の花が景色の中から姿を消していく。己の役目を終え、場を他に譲り、静かに身を引く。

花は風が吹けば風のままに、雨が降れば雨に身を包み、日照りにはじっと耐えて命をつなぐ。自然のままにありのままに。
マツバギクも周りの草木の装いを感じ、虫の音色を聞きながら、そろそろ身の処し方を考え始めた。

昨日の突然の首相辞意の真相は誰にも分かるまい。ただ、極限に至る苦悩があったに違いない。

 福岡県飯塚市の詩人山本良樹の「ピンチの裏側」という詩が暫く前の新聞コラムに紹介されていた。

「神様は決して/ピンチだけをお与えにならない/ピンチの裏側に必ず/ピンチと同じ大きさのチャンスを/用意してくださっている」
「グチをこぼしたりヤケを起こすと/チャンスを見つける目がくもり/ピンチを切り抜けるエネルギーさえ/失せてしまう」


夏と秋とゆきかふ空のかよひじはかたへすずしき風や吹くらむ   凡河内躬恒 (古今和歌集)
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ミニュエット ~ピンクの薔薇~
- 2007/09/12(Wed) -


家の庭にある40株ほどの薔薇には香りのするもの、しないものといろいろある。

その中にあって、このピンクの薔薇「ミニュエット」は極めて強い芳香を放つ。その甘く魅惑的な香りは、もう一つの「ロゼ・アンジェ」という深紅の花と並び双璧をなす。香りは辺りに霧のように広がり、脳にある原始的部分を刺激してうっとりさせる。

 
 時折、満開になった花をたくさん切り集めては薔薇風呂としゃれ込む。芳香に包まれ、花が一面に浮く湯船につかると、まるで中世の貴婦人の間に誘われたかのような少々贅沢な気分になる。

こんな花だけを見ていると、薔薇に刺があることをついつい忘れてしまう。


雨に剪る薔薇の色のこぼれつゝ 稲畑汀子

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キクの花 (白い縁取りの菊)
- 2007/09/11(Tue) -


懐かしい文部省唱歌に「菊の花」がある。

   きれいな花よ 菊の花
   白や黄色の 菊の花

   日本の秋を かざる花
   きよいかおりの 菊の花

 今はもう文部省唱歌といっても何を指すのか、その意味を理解できる人は年輩者に限られるのかもしれない。「日本の心」「日本の情景」あるいは「物語に広がる世界」「親と子の愛」などを歌った、情感溢れるメロディーと詩情豊かないい歌がたくさんあった。


 私の家でもいよいよ菊の花が咲き始めた。多くある株のうち、一番先に咲くのはいつもこの白く縁取りされた赤紫の菊だ。これから年の暮れを迎えるまで、様々な色と形をした菊の香りが楽しめる。


鶺鴒(せきれい)の歩き出て来る菊日和 松本たかし
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赤とんぼ ~ノシメトンボ~
- 2007/09/11(Tue) -


赤とんぼが夕空を飛び、ススキの穂に留まる光景は日本の秋景色の代表的な風情といえよう。このように木の先端に細く長い足で枝を抱え込むように留まる姿には心安らぐ愛らしさがある。彼らは人が体を寄せても逃げることは少なく、一旦離れてもまた同じ所へすぐ戻ってきてくれることが多い。また、そのプロポーションも造形的に美しい。じっと見ていると英語でdrgonflyという意味が分かる。まさに顔が竜のように見えるからだ。

 赤とんぼには数種類あるが、その多くはアキアカネという種類のとんぼである。アキアカネの生態は比較的はっきりしている。ヤゴとして池や水田などで冬を越し、6月頃水中から出て脱皮し、トンボになる。そして小昆虫を捕って食べながら成長を続け、夏は涼しい高山地域で過ごし、ここで体に赤味をつけてさらに飛ぶ力を増す。澄み渡る青空の見られる頃、赤とんぼの群は再びこの伊那谷に下って来る。故郷に帰ってくると、池や水たまりに尻を水面に打ち付けて産卵を始める。

こうして我が家の棗の木にじっと留まっているのは、産卵という重大な任務を終えてほっと一息ついているトンボかもしれない。

ところでトンボの種類は長野県で89種が確認されているという。そのうち下伊那だけで68種もいて、ここはトンボの宝庫といえよう。


むれ立ちて穂の飛ぶ草や赤蜻蛉 河東碧梧桐
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リコリス オーレリア Lycoris aurea Herb
- 2007/09/10(Mon) -


学生の頃、現地実習で秋の奈良を訪ねたことがあった。観光客の多い著名な寺でなく、そのルートから離れた通常あまり人が行かないような小さな寺をいくつか歩いた。その中で印象に残っているのが、岩船寺から浄瑠璃寺へと続く野中の道である。小さな石仏が並ぶ田畑の畦道や紫のアケビが蔓にぶらさがる里山の端を通る。そこに真っ赤な曼珠沙華の花(彼岸花)が土手やその細い道を埋め尽くすように咲いていた。日本画の世界だ。

そしてようやくたどり着いた浄瑠璃寺の矜羯羅童子,勢吒迦童子のその無辜な表情は今でも忘れられない。遠い過去のことだが、その映像は私の頭の中でいつでも再生できるほど鮮明である。


 黄色いリコリスが咲いた。球根を植えてから3年めで初めて咲いた花だ。いつもその周りの草を取りながら、今年は咲いてくれるだろうかとじっと待っていた花だけにその開花は殊更嬉しい。曼珠沙華と同じヒガンバナ科の花だ。同じ日にもう一緒に植えた
赤いダイヤモンドリリーは今年も咲かない。来年に期待しよう。

ところでこの山に近い野原にあっても最近は曼珠沙華(彼岸花)をあまり見なくなったような気がする。

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りんご ~王林の花が今頃~
- 2007/09/09(Sun) -


近くの農園では「ツガル」の出荷が始まった。すでに「幸水」などの梨は出荷のピークを迎えている。これから当地は赤梨から二十世紀などの様々な梨にはじまり、最後は11月から12月かけての林檎の「フジ」まで、果樹農家は大忙しとなる。

近くの農園へ行き故郷へ梨と林檎を贈ったあと、台風後の畑を見回った。「苦瓜」の棚が傾いていた。20本ほどのヒマワリが横倒しになっていた。それ以外はおおむね無事であった。

そのほか薔薇など、花の様子なども確かめながら歩く。女郎花にたくさんの虫が遊ぶ。赤とんぼやモンシロチョウが畑の中を散歩している。アオジがつがいで電線に留まっている。平和でのどかな風景だ。

歩を進めると何か変、ちょっと様子が違う。そうか、家の「王林」(リンゴ)の花がいくつも咲いているではないか。これはどうしたことだろう。あの夏の猛暑がリンゴの体内組織に異変をもたらしたのか。本来は爽やかな五月の空の下で咲く花なのに。その横では一回幕を閉じたはずのネコノヒゲまでまた咲き出している。うーん、わからん。


空ことにまぶし林檎の花のもと    木下夕爾

りんご紅し机上に愛をころがして    飯村寿美子

「林檎の花」は春の季語であり、「林檎」(の実)は秋の季語である。
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ニラとヒョウモンチョウ
- 2007/09/08(Sat) -


さしずめ昆虫にとって、広がるニラ畑は憩いの広場といえるかもしれない。次々といろいろな虫たちがその白い花の上を賑やかに楽しそうに渡り歩く。蝶、黄金虫、蜂などなどその種類も多い。小一時間眺めているだけでそこには数え切れないほどの昆虫が入り交じって乱舞する。白い花の上にそれぞれが身に纏う様々な色が点景として写り、見ていて和む。

このヒョウモンチョウの仲間もよく来る。オレンジがかった羽に黒い紋のヒョウ柄が白一面の上で一層引き立つ。

ヒョウモン類はスミレの仲間を食草にするという。そういえば畑のそこかしこにタチツボスミレがよく顔を出す。それを栄養として育った蝶たちなのかもしれない。

野菜としては独特の風味がある韮だが、咲き揃う花は昆虫にとって楽園のようだ。


齢かな摘みて眺むる韮の花   河原枇杷男


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友禅菊 New York aster (宿根アスター)
- 2007/09/07(Fri) -


優美で多彩な文様染の友禅といえば、華やかな振袖、訪問着の女性のイメージが浮かぶ。先日も「美の壺」というテレビ番組で紹介されていたが、古くから続く約26工程を経て染めあがってできた着物は「日本の美・和の美・技の美」と呼ぶに相応しい総合芸術といった感がする。

このキクはその「友禅」の名を冠する。小輪の花が茎の先端に群開して見応えがある。次々と咲き続け花期も長いので秋風が終わる頃まで楽しめる。

切り花として和室にでも似合うやや野の風情を持つこの花、実はNew York asterの英名があるように北米原産である。
現地ではどのように人々の生活の中にあるのだろうか。株全体を切り取って自然の風合いのまま、まとめて一つの花束にするのもいい。


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キクイモ Canada potato
- 2007/09/06(Thu) -



 ここ南信州ではキクイモの栽培が盛んである。イヌリンを多く含んでいることもあって健康にいいと、村の特産にしようとする動きもある。ある地区ではすでにキクイモ焼酎として販売もされている。

 食用として私も数年前から作るようになった。塊茎は不定型な形をしているため、調理するにはすこし手間がかかる。一口サイズにしての味噌漬けなどは手軽でいい。コリコリとした食感はつまみとしても合う。

黄色い花はヒマワリのようにも見える。一株に多数の花を付け、切り花にも用いてもいい。

食べても良し、飾っても良しといいことずくめのようにも思えるが、実はこの植物はやっかいなのである。一回植えると次々と増殖し、どんどん広がっていき、気がついたらかなりの面積を占めることになる。「ねずみ算」を思えばいい。そして抜き取っても少しでも小さな芋が残っているとさらに息を吹き返す。その繁殖力といったら半端でなく、絶やすのは難しい。

今、私の家の北側の土手はそれらによって立錐の余地もなく埋め尽くされている。

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