シラヤマギク(白山菊) ~ムコナ(婿菜)~ 
- 2007/08/31(Fri) -


畑の片隅にシラヤマギクが咲いている。

1メートルほど伸びた茎の先にいくつもの白い花が咲く。高く大きな株の割にはその花は小さく、ほかの野菊と同じような愛らしさがある。ただ舌状の花びらはにはきれいに揃った形は見られない。花によって10枚以上あったり、5枚であったりとその数にはばらつきがあり、それぞれ花びらが一枚二枚抜け落ちたような間がある。それがまた、野の花らしい味を出していていい。
 
やはり地下茎で増え、ここでもだいぶ広がりだした。株の数を押さえ少し整理しよう。
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タカサゴユリ (高砂百合)
- 2007/08/30(Thu) -


私の背丈を超えすくっと真っ直ぐに伸びて、白く大きな花を咲かせているのはタカサゴユリだ。茎はかなり太く、支えを必要としない。

一見すると花の形はテッポウユリに似ている。しかし、細部に於いてはいくつかの点で異なる点を見つけることができる。
まずはテッポウユリの倍近くはあるその花の大きさである。花びらに目を向けるとその外側に赤紫の筋が貫く。また花心はテッポウユリの明るい黄色と違って、赤茶色で大きい。葉が細い所も特徴である。

 庭の周りに数本あるこの花は実は野生である。普通ユリというと球根を植えるが、この花はそうではない。何時しかそこに根ざし、大きく育っている。どこかから種が運ばれてその場所を得たのだろう。繁殖力が極めて強く、やはり近くの野などで目にすることが多くなった。

高砂の名がある通り本来の故郷は台湾だという。よくぞ、この信州まで風に乗ってきてくれたものだ。しかし外来種、帰化植物だけに在来種に影響を及ぼさなければいいのだが。
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ゼラニウム ~紫色の花~
- 2007/08/29(Wed) -


ゼラニウムがよくて、10種類ほどを鉢植えで育てている。花によっては香りが強くその匂いを好まない人がいるかもしれない。

もみじ葉など、葉形のバリエーションや斑入り、色模様の多様さから観葉としても楽しめる。

この花の名は忘れた。葉は周りを白く縁取られ斑入りとなっている。ほかのと違って花びらが細長いのが特徴だ。そして何よりもこの濃い紫色が魅力である。 いい色だ。

ゼラニウムは乾燥気味がいいという。それでほとんど水をやらないが炎天下で丈夫に育っている。冬になるとすべてを部屋に取り組む。これは大変だが、こうして心を和ませ、癒してくれるのだから、そんなことは厭わない。

次々と咲くこの花、この先まだまだ目を楽しませてくれそうだ。
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リナム・ペレンネ (宿根アマ)
- 2007/08/28(Tue) -


この花が咲き始めたのは5月である。

茎の先端に透き通った薄いブルーの花をたくさん付ける。葉も茎も細く、風が吹くたびに揺れ、雨が降るたびに垂れる。

寒さには強く、暑さには弱いということだが、我が家ではこのように毎年初夏から秋口までの長い間、目を楽しませてくれる。

もう何年も前に蒔いた種からの花だ。

花数も減り、花も少し小さくなってきた。そろそろ花期も終わりかもしれない。 いい色と優しい形をありがとう。
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ニラ ~韮の花の上で~
- 2007/08/27(Mon) -


虫が一斉に鳴き出した。初めて赤とんぼを見た。ツクツクボウシの遠くまで響き渡る声も聞こえる。もう秋?

白一面になったニラの上ではモンシロチョウやミツバチなどが蜜を吸う。

鬼灯が編み目になりつつある。オニグルミの葉が、ガサッガサッと地面に落ちる。

トワエモアのメロディーがふと思い浮かぶ。「今はもう秋、誰もいない海 知らん顔して 人が行き過ぎても…」

私の夏も終わる。


  赤とんぼ 一つふたつと 8月の空
 
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ヤマブキ ~返り咲き~
- 2007/08/26(Sun) -


ヤマブキは本来4月から5月の春に咲く花である。しかし、我が家ではまた7月頃から再び花が咲き出し、まだずっと咲き続けている。八重、一重、細花のすべての株が数輪ずつ花を付けている。
暑い太陽の日射しを受けて咲く姿は、知らなければその黄色い花はこの時期の彩りとして相応しくも見えるが、しかしやはり爽やかな春の涼風を受けてびっしりと垂れ下がるように咲く趣とは異なる。

花々も最近の自然の働きに違う何かを感じてとまどっているのだろうか。返り咲き、狂い咲きという言葉では片付けられないような彼らから私たち人間へのメッセージにも思える。

季節感を味わう。季節を楽しむ。身の回りでそんな当たり前のことが当たり前でなくなってきている状況が生まれつつある様な気がする。

夏に咲くヤマブキの花を見ながら今一度、自然や環境の変化について見つめ直してみたいものだと思った。


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ノウゼンカズラ(凌霄花) ~蝉と蟷螂~
- 2007/08/25(Sat) -


3本ある凌霄花はすべての花を落とした。そのあとに残るのはこれはこれできれいな形をした花のようにも見える黄色い萼である。近いうちにこの2階の屋根まで伸びた幹を、半分か3分の1ほどに伐って、コンパクトに整えようと思っている。

 その中の1本で、アブラゼミが激しく鳴いていた。毎日何十匹という数が庭で鳴いているので、たかが一匹の蝉のこと、どうでもいいのだが、しかし少し様子が違う。それは悲鳴にも似た尋常でない鳴き方なのである。側に寄ってみてその状況が分かった。
 5㌢ほどのカマキリが蝉を襲っていたのだ。カマキリはあの小さな逆三角形の顔で自分の何倍もある蝉の首根っこ(蝉に首はないので頭の部分といった方が正しい)に食らいついて放さない。蝉は必死にもがいて羽根を震わせながら鳴いている。

それらを持って部屋に駕籠の中に入れることにした。もちろんカマキリは蝉に食いついたままである。小一時間して覗くと哀れにも蝉は裏の頭部の一部と、腹の上部が無くなり、動かなくなっていた。そこまでだ。カマキリは生きているものしか食べない。

その後そのカマキリは脱皮した。元の大きさより一回りも大きかった。そしてなぜだか自分の右脚を食べてしまった。

私の思考を超える昆虫の不思議な光景を目の当たりにした。しかし、これが自然界の法則なのだろう。

      雌が雄食うかまきりの影と形         西東三鬼
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オカトラノオ (丘虎の尾)
- 2007/08/24(Fri) -


1㌢ほどの白い花が、下から上に向かって徐々に咲いていく。大きくなるにつれ、その密集した花序が先端を横に傾けていく。その形が虎の尾にも見え、この和名があるという。花が上の方まで咲き進むと茎もその重さを支えきれないようにさらに垂れ下がるようになる。
一つ一つの花は小さく可憐で、虎の尾というより子猫のしっぽといった方が似合う気もする。

この花は玄関脇の大きな金木犀とツゲの下で自然にとけ込みながら咲いている。暑さに強い野の花だ。


穂に出でて靡くも哀れ草の花   杉田久女

久女が詠んだのはオカトラノオのことだろうか。


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シロハギ (白萩)
- 2007/08/23(Thu) -


久々の雷雨である。暑さと乾きに悲鳴をあげていた草木も、ひとまず凌ぎを覚え、「やれやれ」と大きく息をしていることだろう。これで早朝の水遣りも少しは楽になりそうである。

 白萩はミヤギノハギの白花種だという。蕾はライトグリーンで開花しても花の付け根に少し薄緑の色合いを残す。葉のグリーンを地色にして白花の咲く絵柄の組み合わせは目にも優しく、 趣深い。枝はしなやかに枝垂れ、冬になると枯れてその姿をすべて消してしまう。花の数も少なくなりそろそろ終わりなのかもしれない。



白萩の雨をこぼして束ねけり    杉田久女

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チェリーセージ?
- 2007/08/22(Wed) -


猛暑、猛暑で、各地から最高気温の観測が届き、連日のようにこの夏の暑さをテレビやラジオが語る。これまでの日本の最高気温も70数年ぶりに山形から多治見、熊谷の40,9度に塗り替えられた。熱中症でお年寄りの死亡も相次ぐ。暑い夏だ。

こんな暑い日射しを受け、他の植物がグロッキー気味の中、何事もないかのように元気に咲いている花がある。
チェリーセージだと思うが、それを特定するよりどころを持っていない。今度詳しく調べてみよう。

並ぶように白と赤い花が2株咲いている。株は右に左にと様々な方向に枝が伸び、乱れ咲く。

花をよく見ると、例えば白バナはテルテル坊主のようにも見える。いや懐かしい月光仮面の容姿を思い浮かべる人がいるかもしれない。

いずれにしても、愛らしい形をした花だ。
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ツユクサ (露草) ~月草~
- 2007/08/21(Tue) -


紫陽花の葉の茂りの下に、隠れるように咲く露草を見つけた。左右対称になった2枚の花弁と2本のおしべが空を飛ぶ小さな昆虫にも見える。
その鮮やかな青紫の花の色は、昔からその汁を染料に用いたという。古語では月草、万葉集にも詠われる。

 月草の うつろひやすく 思へかも 我が思ふ人の 言も告げ来ぬ (大伴坂上家之大娘 万葉集 4-583)
 
ほかにも蛍草、うつし花 百夜草 碧蝉花など、情致あふれる美しい名を持つ。


  露草も露のちからの花ひらく   飯田龍太
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タラノキの花 (タラの芽)
- 2007/08/20(Mon) -


春に舌鼓を打たせてくれた「タラの芽」はその葉を大きく伸ばし長さ1mにも達している。その複葉の大きな葉に紛れながら花が咲いている。

花は乳白色で小さく、ほんの2㍉ほどである。はじめは丸くそして開くと中からやはり小さな花心が腕を伸ばしたように外へ飛び出す。花びらは5弁で,開くにつれちょうど鬼百合のように外に大きく反り返る。

 もともと数本あった木だが、地下茎や種で広がるので、その繁殖を抑えるのに困ったりする。抜いたり伐ったりしするのだが、幹にびっしりとある鋭く堅い棘に難渋する。分かっていてもそれで怪我したことは数え切れない。

 このあと、秋にはその色を真っ黒に変え、やはり2~3㍉ほどの小さな丸い実となる。
そしていっさいの葉を落とし、また春にはあの独特の香味を持つ若芽となって生じ、私の口の中であえ物やてんぷらとなって運ばれることになる。

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ちょろぎ   Japanese artichoke
- 2007/08/19(Sun) -


正月料理として梅酢にシソで赤く色付けされた野菜がおせちの片隅にのる。ソフトクリームのようにくるくると輪状になったチョロギだ。これがほんとに自然のものかと思うほど、人工的に造形されたようなその可愛い形は眺めているだけで楽しい。たくさん食べるものでもないし、さほど美味というわけでもなく、何故チョロギがおせちの定番となっているのだろう。その形に何か意味があるのだろうか。

今、群生したそのチョロギが茎の先に淡い赤紫色の花を咲かせている。その花穂を見るとちょうどサルビアのようでもある。
もう何年も畑の一角でたくさんの花を咲かせている。ところで私はチョロギを植えた記憶がない。いや実はこの花がチョロギだということすらしばらくは知らなかった。

アシタバ、モロヘイヤ、パセリを脅かすように増えすぎたので、何本か抜き取ったときその先端にあのくびれを持つ独特な形をした小さな白色い塊茎が付いてきた。そこではじめてそれがチョロギであることを知った。それは地下茎で増殖するので、あまり広がらないように毎年少しずつ抜き取っている。ただし、料理にしたことはまだ一度もない。

なお、チョロギの語源は朝鮮語のジロイ(ミミズ)の転訛といわれている。なるほど、似てないこともない
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ハギ (萩) 「江戸絞り」 
- 2007/08/18(Sat) -


連日の猛暑で庭の草花もバテ気味である。紫陽花などはまるで熱中症にかかったように葉が垂れ下がって力を失い「水が欲しい」と訴えている。水遣りにそう多く時間を費やせないので、もっぱらスプリンクラーに任せている。時間を見て移動すればその間仕事ができる。

 この萩もここへきて、花が小さくなったような気がする。やはりこの暑さのせいだろうか、水分補給をしっかりして彼女の熱中症対策をしなくては。

「江戸絞り」と名があるように、花は白地に、布帛をつまんだり縫い締めたりしてできる絞り染めのような文様の紅絞りが現れる。視覚的にも、文学的にもやさしく情緒的な花である。


 空さまの葉末や萩の花すくな 松瀬青々

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ノギク(野菊) ~ノコンギク(野紺菊)~ 
- 2007/08/17(Fri) -


庭には野の花もたくさんある。それらはまた、園芸品種の花々とは違った清楚で素朴な味わいがある。このノコンギクもその一つだ。

ノコンギクは株の上部で枝分かれした先に薄い紫色の花をたくさん咲かせる。遠目では分からないが、薄紫色した舌状花のその中心部分に黄色の筒状花がある。今、咲き出したところなので、小さな蕾から徐々に膨らみ、そして花開き最後を迎えるまで、その花咲く過程を見ることができて嬉しくなる。

ほんの米粒より小さなやや白い蕾は少し大きくなると紫色を得て縦に伸び上がる。さらに開花すると花の中央に黄色の筒状花がまとまった形を現す。そしてさらにはそのごく小さな花の中からやや濃い黄色の花心が上に伸びて満開の状態になる。

一つ一つの花は色、形ともにやさしく、歌にしたくなる趣がある。そういえば「野に咲く花のように、風に吹かれて~」という歌が何年か前にあったが、まさにそんな感じのする花である。


何の花とも知らず野菊に交り咲く 桜井芳水
その人を恋ひつつ行けば野菊濃し 高浜虚子
芯を突き上げて野菊の花終る 高浜年尾
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パルマ展 ルドン展 日展百年展
- 2007/08/16(Thu) -


上野の国立西洋美術館、渋谷Bnkamura、六本木新国立美術館と二日にわたりパルマ展、ルドン展、日展百年展を観てきた。
お盆で東京から人々は故郷へ帰り、街は静かなのだろうと思っていたが、豈図らんやどこもかしこも人で溢れていた。

 パルマ展は「イタリア美術、もう一つの都」と銘打ってのイタリア中部の都市パルマに花開いた美術を紹介する展覧会だ。しかし、フィレンツェ、ローマに比べその作品の質は明らかに劣る。見るべきものは少ない。一つ取り上げるとすれば、スケドーニの「キリストの墓の前のマリア達」だろうか。色数を絞り、色面のコントラスト強調し、人物の一人一人の表情、ポーズに理知的な表現性が見られる。今見てもモダンである。

「ルドンの黒」~目を閉じると見えてくる異形の友人達~は、ルドンの高い精神性、深い哲学を感じさせる作品が並ぶ。今回のメインであるエッチングやデッサンなどの「黒」のモノクローム作品より、むしろ添え物ように展示に加えられている小品の油彩の方に見るべきものがあるように思う。特に「風景」「ペイルバードのポプラ」などはルドンの色彩感覚の鋭さを感じさせる。先年見た「眼をとじて」をまた見たくなった。

 「日展百年展」はさすがに見応えがある。文展に始まり、帝展、日展と名前を変えながら今日我が国において最大規模と最古の歴史を持つ日展に相応しい展観だった。第1回文展に出品された菱田春草の「賢首菩薩」、観山の「木の間の秋」、そして4回文展荻原碌山の絶作「女」など私にとっては、それだけでも十分価値ある展覧会であった。上村松園、中村不折、中村彝、黒田清輝、朝倉文夫、平櫛田中、岸田劉生、伊藤深水等々日本の美術史を作った作家達に会えたのは心底嬉しい。繊細、重厚、不屈といった作家の心、作家の感性、作家の生き方がまた自分の栄養となり、満たされた時間を過ごすことができた。

 外に出ると一段と暑い東京だった。
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ペピーノ
- 2007/08/15(Wed) -


ペピーノはナス科の植物だ。花はこのようにナスやジャガイモに形は似ている。中に青紫の筋が出るのが特徴だ。

これは野菜といえばいいのか、果物といえばいいのか、ナスやトマト同様にその実を食する。
今は真っ白い実だが、食べ頃になると黄色く熟し、その中に花と同じように青紫の筋が入ってくる。大きさは卵ほど、味は洋梨のような甘さがあり、ビタミンの含有量がイチゴより多いという。

収穫するには少し早いが、一つとってナスや苦瓜、胡瓜、大根などとともに仏壇に供えた。小さな仏壇では義母が優しく微笑んでいる。


ひとたびは畳の上に盆のもの 佐藤博美

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ホスタ ~ハルシオン~ (ギボウシ)
- 2007/08/14(Tue) -


庭を取り囲んだ多くのギボウシはその盛りを過ぎ、幾段にも連なり咲いていた薄紫の花は、枯れたベージュに色を変えまるで蝉の抜け殻のように、花茎に淋しげに付いている。

そんな中にあって、遅れて今花を咲かせているものがある。ハルシオンという一般にホスタの名で園芸店などに並ぶギボウシの仲間だ。日本在来のギボウシなどをもとに、英国などで葉の色や形、大きさなどが改良され、様々な品種が作り出されて彼の地では人気があると聞く。花の色合い、形のバリエーションが豊かで葉を見て花を見て楽しめる日陰に似合う植物だ。
庭に植えてあるワイルドプリム、ボールドリボン、フランシー、そしてこのハルシオンもそれらの一つである。

これらホスタの花は日本在来のギボウシより若干咲く時期が遅い。花はハナバチにとってはどうやらお好みのようで、その深い漏斗状の中に入り込んでいる姿をよく見る。出ては入り入っては出てと、その動きを見ていると、ついつい時間を忘れて眺めてしまう。

 その側の地面には1㌢ほどの穴がいくつも開いている。今日もまた蝉が地上に出たのだ。庭には無数の穴が開いている。そしていくつもの蝉の抜け殻が桜の木などにある。

今しがた 此世に出でし 蝉の鳴く (小林一茶)

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アメリカフヨウ (草芙蓉)
- 2007/08/13(Mon) -


昨日は全国的に猛暑日の地が多く、人の体温を上回る気温が各地で記録されたそうである。そんな中、県庁所在地で一番涼しかったのが沖縄那覇の28度だという。「沖縄に避暑に行こうか」などの声が聞こえてきそうである。とにかく暑い日が続く。

そんな強い日射しを浴びながらも、けなげに大輪の花を咲かせているのがアメリカフヨウである。花の大きさは両手を合わせたほどになる。次々に咲いてはしぼみ咲いては閉じる一日花だ。草丈は1メートル近くなる宿根草で、冬にはその姿をすべて消してしまう。アオイ科のほかの花同様、5枚の花片は縮み織のような筋をもつ。

 合体した多数のおしべの中からめしべの花柱が現れ、外に向かってにょきっと伸びる。
その部分だけ見ると、ハイビスカスやムクゲやモミジアオイなどと区別が付きにくいほどよく似ている。

 
 東側の開けた所に植わっているので、我が家では朝一番早くから日を浴び、そして一番長くお日様に当たる。
照りつける太陽を直に受けながら、ひらひらと風に揺れてゆったりとした様を呈して咲くこの花を見ていると、「夏に負けないで」と言われている気がして元気になる。
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ガイラルディア (大天人菊)
- 2007/08/12(Sun) -


蜂に刺された。今夏4度目である。3回まではキアシナガバチ、そして今回はキオビホオナガススメバチだ。花壇の草取りをしていたら、突然右手薬指の第2関節に強い痛みを覚える。「しまった」と思った時には遅かった。そこに蜂の巣があることは知っていたし、家人に注意を促していたのは自分だったからだ。熱を持った5本の指と手の甲と腕が赤ちゃんの手のように、ぱんぱんに腫れ上がっている。
蜂は雑庫の入り口にありちょうど腰の高さくらいに巣を作ってある。そのすぐ横で草取りしたり、あるいは農具や肥料などのために出入りしてもこれまでは刺されることはなかった。不覚と言えば不覚である。

その丸々とした手のまま、午後から昼神温泉で行われる同級会に行った。 作家、消防士、エアロビクスのインストラクター、コンピュータの設計技師、教師、電車の車掌等々職業も様々の懐かしい面々に行き会った。みんなおじさん、おばさんになっていたもののあの当時の中学生のままだった。すでにおばあちゃんになっていたのもいて驚いた。


 蜂の巣は、大株となって広がり咲いているガイラルディアのすぐそばにある。その花の中心は赤みを帯びた褐色で、花弁の先には黄色の縁どりがあり、覆輪となっている。英名ではblanket‐flower、その名の通り長い花茎から伸びた花が次々と一面を覆う。

蜂の巣を取ろうかどうするか、迷っている。彼らの巣作りする姿も見ていて楽しいし、自然の営みや造形の美にも心奪われるものがあるからである。
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ニラ (韮)
- 2007/08/11(Sat) -


畑の真ん中の一畳ほどにニラが植えてある。植えてあるというより、植わっているという方が正しいかもしれない。なぜなら、そのニラは畑の縁に自然に生えてきたものを移植したもので、気がついたらその広さまで占めるようになったというのが正しい。

それ以後、ずっとその場所で冬に枯れては春には芽を出しを繰り返し、何年も味噌汁や餃子の具として重宝している。一つやっかいなのは極めて生命力、繁殖力が強いので、ほかの野菜や花々の間にもすぐに顔を出すことである。抜いても抜いても根が少しでも残っていると必ず復活する。

 今、ちょうど花が咲き出した。これがすべて揃い咲きすると、白一色になり結構な見応えになる。ばっさり切り取って花瓶などに活けてもまた自然の味があっていい。
 花は不思議な咲き方をする。花柄の先端がまず紡錘状に膨らむと、その薄い幕がベールを脱ぐかのように外れ、中から三角錐のような蕾が20~30現れる。それがさらに割れて花開く。花は白く小さく可憐である。

そういえば以前、建築家藤森照信氏が、『ニラハウス』を建築したことを思い出した。木で葺かれた屋根にニラを植えてあった。夏にはその白い花が一面に咲き揃って、その自然と建築との融合というユニークな発想には驚かされた。赤瀬川源平氏の自宅である。(1997年、日本芸術大賞受賞)

この強健な植物ならいろいろな可能性があるのかもしれない。私もテラスに植えてみようかなどと、密かに目論んでいる。
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ケイトウ (槍鶏頭)
- 2007/08/10(Fri) -


ケイトウというと、あの鶏のとさかのような独特の形をしたものがポピュラーなのだろうが、この花は上に向かって円錐状に咲いている。
種類はよく分からない。先端が細く伸びているのを見ると、ヤリケイトウ(槍鶏頭)だろうか。

毎年のように咲くこの花は、実はこぼれ種からでてきたものだ。それはかなりの数になるので、かわいそうだがおよそ3割ほどだけ残して後は抜き去る。それでもこのように庭の一角を占めるほどになる。強健な花だ。

 そのそばでニイニイゼミが腹を上に向けて、羽を少し動かしもがいていた。7年もの命を閉じる。彫刻にしてみようと思った。


鶏頭を三尺離れもの思ふ 細見綾子

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月下美人
- 2007/08/09(Thu) -


月下美人が咲いた。

夕食中、息子が「少し開き始めたんじゃない。?」という。見ると先ほどまできれいな紡錘形で閉じていたつぼみの先端がほんの少し割れていた。その時点ですでに強い香りが部屋に漂い始めている。午後8時のことだ。それからはもう目を離すことができない。30分おきに写真を撮る。徐々に開き、クラゲの脚のようなめしべが見える。

12時半、満開。いや満開だと思うことにした。夜に弱い私は、どうやら途中うとうとしたようだ。子どもに起こされたのがその時刻だ。隣の部屋までその香りは広がっている。いつもの生活パタ-ンからして、私にはもう起きているのは限界だった。それ以上、その開花を見続けることはできなかった。満開だと思うことにしたのは、その後の様子を見なかったからである。

9つあった蕾が最終的に咲いたのは5つである。

朝4時、花はまだ咲いてはいるものの、半閉じとなり、あのクレーン状に伸びていた花柄はだらりとしていた。部屋に充満していた香りは、どこかに消えていた。

美人薄命。
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モロヘイヤ (王様の野菜)
- 2007/08/08(Wed) -


夕食に今年初めてモロヘイヤを食べた。口にしたときのそのネバネバ感は納豆にも匹敵する。いや、とりたての葉がそのままネバネバとなるということにおいては加工された納豆とはその質を異にする。刻まれたモロヘイヤに削り節を乗せるとそのネバネバの味をうまくコントロールしてくれる。好きな野菜の一つだ。毎年苗を買ってきて4株ほど植えている。

 モロヘイヤは栄養価が高く、ビタミン類のほか,カルシウム、カリウム,鉄などのミネラルが豊富に含まれていて、多くの人々が食しているポピュラーの野菜と思っていたが、調べてみると実際には日本で利用が始められたのは1980年代からと、比較的新しい野菜であることを知る。

時々酒のつまみに、納豆、オクラと混ぜ、ネバネバ3兄弟として興じて味わったりするが、これはなかなかいける。

花は1㌢ほどの大きさで黄色く地味で、株に一つ、二つと葉に隠れるように咲く。
オクラは花も食べられるというが、この花はどうだろう。

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ヒマワリ (向日葵)
- 2007/08/07(Tue) -


今年は花や野菜など、すべてのものを植える時期が遅れた。そのせいか、成長が遅かったり、いつもより大きくならないものが多い。この向日葵もその一つだ。毎年2㍍近くになって大輪の花がその存在感をきちんとアピールしてくれていたのに、今年はまだ背丈が50㌢ほどで咲き出している。花も手のひらより小さい。やはり植物にとって播種時期、発芽と成長期の気温などはデリケートな問題なのだろう。
そんなことを思いながら「人にとっても事を起こすにタイミングを失ってはならない。」と自分に言い聞かせる。
来年はきっと大きく立派な向日葵を育てよう。

 「ひまわり」といえば戦争によって切り裂かれた夫婦とそして男女の悲しい出会いと別れを描いたイタリア映画を思い出す。男と女の運命とその悲しみの心理をマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが巧みに演じ描き出す。
広大なロシアの地に一面に広がるひまわりの花とヘンリー・マンシーニのメロディーが涙を誘う。
エプロン姿のローレン、汽車から降り立つローレン、そこに見つけたシベリア娘と幸せな結婚をしているマストロヤンニ、憔悴していくローレンなどなど、一つ一つの光景とその表情など、その映像は今でも鮮明に覚えている。

 今夜のビールのつまみはヒマワリの種とでもしようか。
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キキョウ (白桔梗)
- 2007/08/06(Mon) -


【身近な草花も消えるかも】『日本の絶滅危惧植物、1600種-人が原因6割以上、みんなも目を向けて-』
環境省が3日、植物のレッドリストを発表したとのこと、上はそれを受けて、8月5日付けの中日新聞の見出しである。

その記事のメインの写真に載っているのがキキョウであった。説明では「野生でほとんど姿を消しているキキョウ」とある。キキョウは特にこの50年から20年の間に急速に減っているそうだ。
「身のまわりの草花が10年後や30年後に消えているかもしれない」とリストを作成した環境省の委員は警鐘を鳴らす。

我が家ではちょうど今、青紫のキキョウと並んで白いキキョウが咲いている。驚きと戸惑いを持ちながらそんな記事を読むと、野趣の味わいを持つそれらの花々がなおさら愛おしくなる。



仏性は白き桔梗にこそあらめ 夏目漱石
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紫陽花 (両性花)
- 2007/08/05(Sun) -


いつもより遅れて、ここ南信州も8月に入りようやく梅雨が明けた。全国的には台風や集中豪雨での災害等があり、雨、水、河川、土砂のパワーとエネルギーの怖さを改めて実感する。

さて、梅雨時の象徴的な花である紫陽花もそろそろその色マジックショーの最終章を迎えようとしている。あでやかな花片は色を失いつつ、少しずつ茶褐色に褪色していく。

 体を寄せ、目を近づけて本来の花である両性花を見てみた。ほんの数㍉の星のような尖った青紫の花片に10本ほどのおしべが伸びている。紫陽花といえば色鮮やかに変化する装飾花(萼片)だけに目がいくことが多いが、このように額に縁取られた中心の両性花はよく見るとそれはとても可愛らしい。
アジサイの語源は「集(あづ)真(さ)藍(あい)の意」であるという。(大言海)こうしてみると確かにその名の意味を納得することができる。

ものは遠くから見るだけでなく、近寄ってみることで発見できる美もあることを再認識させられた夏のひとときとなった。
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イトバハルシャギク (コレオプシスverticillata)
- 2007/08/04(Sat) -


 黄色いコスモスのような、一重の優しげな花が一つの株に無数に咲いている。この時期、次から次と一度に沢山の花を咲かせるイトバハルシャギクだ。イトバとは糸葉のことなのだろうか、葉は細長くて密集し、一株の経は1㍍近くにもなる。

芳しい香りがするわけではないが、この花には昆虫ががよく集まり、いくつものハナバチなどが花から花へと楽しそうに飛び交う。
きっと人には感じられないような虫達を惹きつける美味の蜜でもあるのだろう。

 昨日は台風5号の影響で、風がかなり強くなった。外に出しておいた「月下美人」の花がテラスから落下していた。9つ付いていたつぼみが二つとれてしまった。台風が離れ、風が収まるまで部屋の中に入れることにした。この月下美人は昨年は時期をずらし3回も咲いた。夜に弱い私だが、そのスローモーションのようにゆっくりと花開く神秘的なショーに遅くまで付き合った。今年は果たして何回咲くだろうか。 月下美人酒にも再チャレンジしよう
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ハツユキソウ (初雪草) ユーホルビア氷河
- 2007/08/03(Fri) -


5㎜ほどの小さな花にいろいろな虫が飛んできて蜜を吸っている。花の色は白く、同じく白い葉に紛れて目立たない。

日に日に気温が上昇する夏の盛りに咲く花が初雪草とはおもしろい。きっとその名は真っ白な斑入りの葉からイメージして付けられたものだろう。この時期、赤や黄色、オレンジなどの鮮やかな暖色系の花が多い中、白い初雪草は見る人を涼やかにさせてくれる。

年末のクリスマスを飾るポインセチアと同じ灯台草の仲間だという。一方は冬の心を温め一方は夏の暑さを和らげる、そんな対照の妙も楽しくなる。
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ハギ (筑紫萩)
- 2007/08/02(Thu) -


ツクシハギは薄い紅色から青紫色へグラデーションを描くかのような花を咲かせる。楕円をした濃い緑の葉がその花の色を一層引き立てる。

細く伸びたしなやかな枝は、人が側を歩き空気が動くだけの少しの風でも揺れる。またその葉や花の重みに耐えられないかのように地面に向かって湾曲しながら垂れ下がる。何かもの悲しさも感じさせる花である。


7月の下旬から咲きだし8月に入り次々とその優しい彩りを増やしつつある。


この萩のやさしさやいつも立ちどまる 高浜虚子
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ヒオウギ
- 2007/08/01(Wed) -


あかねさす ひるはものおもい ぬばたまの よるはすがらに ねのみしなかゆ

中臣宅守のこの歌を知ったのは大学1年の時である。岩波新書6 斎藤茂吉著「万葉集歌 下巻」に収められていた。
年を経てもすぐに諳んじることができるのはある深い思いがあったからである。

ぬばたまとは円くて黒いヒオウギの種のことで、花が咲き終わった後、つやつやしたちょうど小豆ほどの種が数個できる。私は毎年、茎に付いたままにしてそのまま切り取る。それはそれでドライフラワーのようにして何時までも飾っておくことができる。

 昨日からヒオウギが咲き出した。今年は背がかなり伸び、1㍍ほどになった。やや明るいオレンジ色の6枚の花片の中に赤い斑点がある。

ぬばたまは、その色から「黒」や「夜」などにかかる枕詞となり、歌の世界で多く使われる。この花を眺めていると時空を超えて万葉人と同じ思いになる。

私はこの花が好きだ。
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