カサブランカ 
- 2007/07/31(Tue) -


『カサブランカ』といえば、トレンチコートを身に纏い、ソフト帽のひさしを目深にかぶったたハンフリー・ボガードと美しいイングリッド・バーグマンが織りなすメロドラマを思い出す。
霧が立ちこめる空港で自分を犠牲にして、夫婦を脱出させるボガード演じるリックと元恋人バーグマンの別れのシーンが印象的だ。

 この「カサブランカ」は、近づくと百合特有のきわめて強い芳香が鼻を包む。先端の6本のおしべは指で触ると時計の振り子のように揺れて楽しい。花片は真っ白で縁辺は少し波を打ち、所々に小さなつぶつぶとした凸状があり、それがアクセントとなっている。我が家にいくつか咲いている百合の中では最大で一番華やかな花である。

 交配によりこの花を作り出した人は、名付けるときこの映画の中のバーグマンをイメージしたのだろうか。美しい花である。


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サニーレタス ( 苣  萵苣)
- 2007/07/30(Mon) -


サニーレタスにはだいぶ世話になった。つい先日まで、毎朝の食事の皿にあった。畑からそのまま食卓へ、まさに我が家の地産地消である。

初めて種から育てた二畝のそれは例に漏れず、口が追いつかず大半は食べきることができなかった。そのまま成長した草丈は1m近くにもなり、今ではその先端に十数個の黄色い花を咲かせている。蔬菜としての役割を終え、本来の植物の姿に戻った。

キク科の花らしく、多数の切れ込みのある花びらをもっている。ハルジオンやヒメジオンにも似た小さな花である。

そろそろ片付けることにしよう。

食ひくうて眺められけり苣の薹 木朶
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サルスベリ (百日紅)
- 2007/07/29(Sun) -


2本あるうちの1本の百日紅が花を咲かせた。昨日あたりから小さい手鞠のような丸い蕾が膨らみだしていたので、そろそろ咲き出すのだろうとは思っていた。

蕾には定規で引いたような均等に分割された6本の裂線がある。それが開くと、形の整った白い6角形の萼となる。その中心からめしべの黄色い葯がたくさん外に伸びだす。それを取り囲むように長い柄を持つ6枚の縮れた花片が咲く。細い柄の先端にあるフラメンコ衣装のフリルのような花片は少しの風にもしなやかに揺れる。

遠くで群がり咲く紅紫色の花を見るのもいいが、目を寄せて花心と共に見るとまたひと味違う。

別称「くすぐりの木」の名は、枝をこすると、葉や花が笑うような動きをすることから付けられたという。


愛されて耳を出したるサルスベリ 鳴戸奈菜

てらてらと百日紅の旱かな 正岡子規
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スイカ
- 2007/07/28(Sat) -


今年はスイカが食べられそうである。

目に見えて、日に日に玉が大きくなっていくのが嬉しい。昨日はわらを敷いた。

今年はというのには訳がある。それは去年のことだった。今年と同じように苗を買って来てスイカを育てた。花が咲き、実が付いた。そこまでは一緒だ。しかし、その後その実は意外な展開を見せる。実が大きくなるにつれ途中にくびれが入り始めたのだ。おかしい!と思いつつもそのまま懸命に水遣りをして育てた。たった一つしだけ付いた実だったからである。丸くない突然変異のスイカかもしれない、などと思いつつ。

思いむなしく、結局それは立派なユウガオとなった。子どもと収穫して笑った。食べるわけにもいかず、一年経った今でもそのままに畑の一角のテーブルの上に、あの洋ナシのような形のまま鎮座している。  

あとで調べて分かった。ユウガオはスイカつる割れ病予防のために,台木用としてよく用いられることを。私の購入した接ぎ木苗のスイカはユウガオを台木としたものだったのだ。  今では楽しい話だ。

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ネジバナ モジズリ (捻花 文字摺)
- 2007/07/27(Fri) -


捻花をねぢり戻してみたりけり 中原道夫    文字摺のねぢれて天に昇るらむ 大屋達治

 

ネジバナ(モジズリ)は公園の芝生など日当りのよい草地でよく見かけるたおやかな花だ。淡い紅色の小さな花が螺旋を巻いて下から上に咲いていく。白い唇弁がある。家に1本だけ咲いている。久しぶりに見つけた。

ネジバナ(モジズリ)は古く万葉の時代から多くの人々に詠まれ親しまれてきた。

河原左大臣は古今集で恋する心、愛する人への思いを次のように詠っている。

    「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」  百人一首~14~ 

あなたを思い ほんとうにあなただけをおもって 私の心は 乱れに乱れる 陸奥のしのぶ もじずり もじすりの 
 乱れ模様の乱れ心よ (佐々木幸綱 著より)


英名では lady’s‐tressesあるいはpearl twist、”女性の編んだ髪?ねじれた真珠?“どちらともその名にふさわしく思う。
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ほおずき (鬼灯)
- 2007/07/26(Thu) -


少し前のことになるが、ラジオから夏の風物詩として浅草寺境内のほおずき市が紹介されていた。多くの露店が出て、鮮やかなオレンジ色の実を付けたホオズキがびっしりと並び、身動きとれないほどの人で賑わっていたとのことだった。
浴衣を着た親子連れなどが縁起物としての鉢植のホオズキや風鈴を買い求めていたとラジオは伝えていた。イメージするだけで、これまた日本的情感を残した風景が思い浮かぶ。

 ホオズキはもともとナス科の多年草で、以前はどの野山にも自生していた。白っぽい小さな花が茎に沿うように一つずつ咲く。花が終わると、萼が大きく袋状になって実を包み、緑から赤く色づいていく。口に含んでポンポンと音を鳴らして遊ぶあの独特な形である。

今、家の庭でもちょうど見頃となった。

英名ではJapanese lantern plant、直訳すれば「日本の手提げランプのような植物」ということか。


     少年に鬼灯くるゝ少女かな  高野素十
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ネコノヒゲ
- 2007/07/25(Wed) -


 シソ科の花の代表といったらサルビアがあげられるが、その中においてこのネコノヒゲのようなユニークな形をした花はあまりほかにない。

見たままその名の通り、ネコノヒゲを思わせる形をしていてなかなかおもしろい。

茎の頂に長い穂状の花を段段に付け、下段から咲いていく。花から外に向かって細く長く反り返って伸び、まさに猫の髭を連想させているのは雄しべと雌しべである。

この暑い時期にはかなり水を欲しがるので、私は毎朝の水遣りを欠かせない。

 英名でもやはりそのまま cat's whiskers(ネコノヒゲ)、名は体を表すというが、きっとその呼び名も世界共通なのだろう。

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オクラ 
- 2007/07/24(Tue) -


ねばねば系の野菜は極めて健康にいいと何年か前に新聞に載っていた。何故の理由とその含まれている成分の科学的な根拠など詳しいことは忘れた。しかし、確かな記憶として「ねばねばは体にいい」の言葉は、私の頭の中に残っている。きっとその解説と医学的なデータに説得力があったのだろう。

ねばねば野菜の代表といえば納豆だが、その点に関してはこのオクラも負けてはいない。しかも納豆にないコリコリ感を食して味わうことができることのできる少ないねばねば野菜だ。エジプトでは2000年以上も前から栽培されていたという。日本がまだ文明を持たない時代の頃の話だ。

オクラは我が家ではこのところ毎日のように、莢が横に薄く刻まれ、形を星形の五角形に変えて、削り節とともに深小鉢の中に登場する。醤油をさっと掛けて熱いご飯と食べるととてもいい。たまの天ぷらなどもまたいい。

花はトロロアオイに似て黄色で中心部が赤い。きれいな花なのにすぐにしぼむので、会える時間が短いのが悲しい。

時々、一日花たちを見ると哀れを感じたりもするが、一方それらにとってはその色、形、時間すべてが真であり美なのであり、絶対的な生き様なのだ。生きとし生けるもすべてにおいて、与えられた一生は神が決めること、動物も花も、その許された中で精一杯に生きる。人もそういうことなのだろう。 松陰、龍馬などを見れば、一生の長さの長短は必ずしも生きることの濃度とは違うことを理解させてくれる。
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コニユリ (小鬼百合)
- 2007/07/23(Mon) -


コオニユリは花片を外側にくるりと巻くように反り返らせて咲く。
 実はこのコオニユリは食用の百合根として、籾殻に包まれて売られていたものを購入しておいたものである。
それは数年前の冬のことだったように思う。たぶん私の好きな茶碗蒸しの中に入れるためだったのだろう。しかしその存在は忘れさられたのか、料理にするタイミングを失ったのか、それはなかなか食卓に上らなかった。

 春の訪れを聞く頃になって私はそれを土に埋めることにした。その瞬間からその塊茎は食用の百合根から百合の球根に変わった。こうした経緯をたどり、それ以後、毎年夏になるとこのような鮮やかなオレンジ色の花を咲かせてくれる。もしあの時、私の腹の中に入っておればこんな素敵な花を我が家の仲間として迎え入れることはなかった。

 百合は古くからヨーロッパでも愛でられ神話にも登場する。そしてそれは純潔、やさしさ、美のシンボルである反面、死や悩み、心の痛みを象徴する花でもある。対義するような二つの意味を持つ百合、それだけ見る人の心に様々なイメージを与える神秘さも兼ね備えた花であるということなのだろう。


  靄晴れて暑き空なり百合の花     石動炎天
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ムシトリナデシコ (虫取撫子)
- 2007/07/22(Sun) -


家の周りの土手やガレージの縁に沿うようにムシトリナデシコが沢山咲いている。

茎は細く、その先端に薄紅色の小さな花をたくさんつける。

繁殖力が強く、この夏の時期に次々と姿を現す。というのもこの辺りでは野生化しているため、至る所で数多く目にすることができる。背丈があり、花そのものは花壇に密植しても見栄えがすると思われるが、あまり植えてあるところを見ない。

ムシトリナデシコの名は茎の上の部分に粘液を分泌する部分があり,そこに小さな虫が着いて捕らえられるということからきているという。英名でもやはりsweet william catchflyとあるように、捕虫植物(catchfly)の名が入っている。

和名ではほかに小町草、蝿取撫子の名がある。

  此花を小町草とは知らざりし    原月舟

  小町草花壇に盛りすぎにけり    高野素十
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オリヅルラン
- 2007/07/21(Sat) -


オリヅルランは細長く弓なりに四方へ広がるその葉の姿から観葉植物として人気が高いが、実は花もとても形がよく愛らしい。。

その白い花は長く伸びた茎の先について咲くが,小さいためあまり目だたない。しかし目を近づけて見ると、とても可憐である。
  
寒さに弱いため、霜が降りる前に鉢を家の中に取り込む。そして春の終わり、遅霜が来なくなる頃を見計らって外に出す。こうして毎年優しく叢がる葉と、枝先に数輪咲く小花が目に優しさを与え、楽しませてくれる。

書によると、オリヅルランの名は,ランナーの先に出る数枚の子株の葉の姿が、折鶴に似るところから名づけられたとある。そう思って見ると確かに横に広げた羽、すっと伸びた首とそして嘴などに見える。

オリヅルランを置くだけで、視覚的に夏の暑さがやわらぐ。

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ジャガイモ ~マリアントワネットの花飾り~
- 2007/07/20(Fri) -


 昨朝ジャガイモを掘った。毎年二畝作るのだが、もったいないことにその大半が食べきれない結果となってしまう。そこで今年は一畝にした。それでも口数の少ない我が家では完全に食べきれるかどうか心許ない。
ジャガイモの花は星形にまとまって咲く。これもイモが目的で栽培されるものなのだから花を見て味わい、そのものを美しいと感じる人は少ないかもしれない。よく見るとピーマンやトマトなど、ほかのナス科の花同様に愛らしさがある。

歴史を遡ると新大陸からヨーロッパに入ったジャガイモは,当初はその枝葉や花が好まれ,もっぱら観賞用であった。食用としては一部の人々の食卓に並ぶことがあったようだが、それはまだ特権階級や金持ちにしか口にすることができなかったようである。
フランスでそれを国民の食用にと積極的に植え付けを推奨したのはルイ16世だ。

一方その王妃マリーアントワネットは帽子の縁にジャガイモの花枝を飾ったりしていたという。
美貌と才知に恵まれ、優美にして奢侈を好み、国民から総スカンを食らい最後はギロチンで処刑された彼女と、質素なジャガイモの花。描かれている彼女の華やかな絵からはその結びつきは想像しにくい。

いずれにしても新ジャガだ。ヨーロッパで高級品だったというジャガイモ、そして露と消えた王妃に思いを馳せながら、サラダ、コロッケ、カレー、フライドポテト、ポテトチップといろいろな形に変えて味わうこととしよう。私は中でも粉ふきいもが好きだ。

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セイヨウノコギリソウ ~アキレア~
- 2007/07/19(Thu) -


 セイヨウノコギリソウは長く伸びた茎の頂に密集して房になった小さな小花をつける。

これは何年も前に種まきをしたのが増え続け、今ではほぼ野生化し庭の一角を縁取るように一斉に花を咲かせている。地下茎が横に這い,よく伸びて他の花場所まで浸食するなど思わぬ所まで広がるので、かわいそうだが時折抜かれることもある。

葉は櫛の歯のようになってそれが一見、鋸のように見えることからその名があるのだろう。

別名のアキレアの名はでギリシアの英雄アキレスの伝説に基づいてつけられたものだという。

とにかく頑強な花である。


    のこぎり草揺れて疾駆す青目猫    加藤楸邨
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リアトリス ~蜩の鳴くを聞く~
- 2007/07/18(Wed) -


リアトリスには別名キリンギクの名がある。誰が名付けたのか長く伸びた花穂は確かにキリンの首のようにも見える。英名ではprairie pine、“草原の松”とでも訳すのだろうか。本来北米原産のキク科の花なので、こちらの名の方が本家なのだろう。

一つの株から沢山の茎が出て、その茎の上部に長い穂状の密になった赤紫色の頭状花をつける。一つの花のように見えるが近づくと実際には沢山の小さな花が上から下に向かって咲いているのがわかる。

これまで1本2本と切り取っては活けて、家の中に彩りを添えてきたが、それも後数本となってきた。結構長持ちするので切り花としては重宝だ。
 
昨日はまだ暗くなる前に帰宅できたので、着替えて庭に出た。ほどなくすると「カナ、カナ、カナ………」と一種哀調を帯びた声が長く響き渡って聞こえてきた。蜩だ。暫く耳を傾けながら声のする方を見渡したが、その姿を見つけられなかった。

小泉八雲は蝉の鳴き声のなかでヒグラシが一番美しいといった。なるほど、そう思う。

突として蜩の鳴き出でたりな 高浜虚子
蜩を背骨にしまう夕となり 中田美子
日ぐらしやあかるい方のおとし水 一茶
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キハギ(木萩)
- 2007/07/17(Tue) -


家のキハギはそろそろ、その花期を終わろうとしている。6月の中頃から咲き出して、約ひと月、花穂の下の方から次々と紅紫色の花を咲かせてきた。色仄かで静けさが漂うこの花を飾るには、竹や木製の和の器が似合う。

キハギはその名の通り木本なので、他の草本の萩のように冬にすべての形を消すということなく、葉が落ちても叢生した枝木は残る。本来は山地、丘陵地の林縁や崖など生育地としていたらしいが、現在では所を選ばず分布地を広げていると聞く。

ところで私はこの木を植えた記憶がない。いや、勝手に生えてくる種類の植物ではないのだから、きっと忘れたのだろう。

最近いろいろと忘れることが多い。何かを取りに行こうとして部屋を移動したのに、何しに行ったか忘れて戻ることがあったりする。しかしその多くの場合、元へ戻ると動いた理由を思い出す。

過去の蹉跌を思えば、忘れてしまいたいことはたくさんあるのに、そんなことはしっかり記憶に残っていて、今必要なこと、今やらなければならないことを忘れ、思い出せないことの多い現実…。

 何年も乗った古い車は丁寧なメンテナンスが必要だ。油漏れもするだろうし、スターターの働きも悪くなる。気持ちを切り替えて、自分の脳のエンジンルームに少しガタガ来たと思えば、それでいいではないか。 悩むことなどない。

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ムラサキシキブ(紫式部) ~台風の後に~ 
- 2007/07/16(Mon) -


各地に大きな爪痕を残して台風が去った。川が家の側を流れているだけに降水量が心配だった。過去にすぐ横の道が幅4~5メートルに渡ってえぐり取られ陥没する被害を経験しているだけに、雨の怖さ、川の怖さは十分認識している。

 風が落ち着いたところで、庭へ出た。鉢花は無事だった。畑へ廻った。トマトを支えていた支柱が斜めになって平行四辺形をいくつも作っていた。6本の杭を打ち補強した。

畑の一角では何事もなかったかのようにムラサキシキブが咲いている。2~3ミリの小さな薄い赤紫の花が集まって咲く。4弁の花からこれも数㎜の可愛らしいおしべが伸びる。この集まった花が秋には艶やかな実となり、またこれも楽しませてくれる。ジョウビタキやヒヨドリの好みでもある。

ところで私は子どもの頃、大きな台風をいくつも体験している。大木がなぎ倒されたり、家屋が倒壊したりする事を目の当たりに見てきた。そんな記憶の映像を巻き戻すと父の思い出にあう。

4年生の頃だったように思う。極めて強い台風が接近した。当時はミリバールで表していた気圧は930mbほどではなかったかと思う。古い家は軋んでいた。父は言った。「みんな学校へ避難しろ。お父さんはこの家を守る。急いで行け。」 私達家族は父の言葉に従って横殴りの雨の中を近くの小学校へ避難した。多くの人が避難してきていた。夜が明けた。家に戻った。家は無事だった。父も元気だった。父がその家で一晩どのように過ごしたかはしらない。しかし一家の長たるものの威厳を幼いながらもそこに見た気がする。

 「父の威厳、家長としての存在感」、最近死語になりつつある言葉だが、今求められているように思う。
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キキョウ (桔梗)
- 2007/07/15(Sun) -


キキョウは輪郭のくっきりとした星形の花を、茎の頂に開く。咲くのは一輪だったり、数輪一緒だったりする。

開花前の花は閉じてふくらんだ風船を思わせるので,英名ではそのまま balloon‐flower という。また Japanese bellflowerとの名があり、これは同様に鐘状した形から来ているのだろう。

清少納言は《枕草子》の67段に草花の代表格としてナデシコや、キク、リンドウなどと並べて紹介しており、古くから人々に親しまれた花であることが分かる。

また、画人も多く絵のモチーフに選んでいる。琳派の画家酒井抱一もよく描き、二曲一双「四季花鳥図屏風」に女郎花や芒などととともに表している。横山大観も二曲一双屏風「野の花」で体を休める大原女の周りに白百合などとともに 桔梗を配している。

確かに絵にしたほうが、この花のこの花らしさが引き立てられるかもしれない。

朝露や桔梗ふくらむ草の中 小川煙村
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むくげ (木槿)
- 2007/07/14(Sat) -


先週の日曜日の早い朝、白い木槿が1輪咲いた。一仕事して昼を摂ろうとその前を通りかかったら、もう10輪ほど咲いていた。
それからは、日々次から次と咲き続けている。今では2株の木が白く覆われている。しかしまた同時に、1輪2輪と、もう落ちていく。

  咲く花、散る花、木にある花、地にある花、どれも花。

ムクげはやはり同属のハイビスカスや芙蓉に似て、花が大きくふわりとして包み込むような優しさがある。またその命が短いのも特徴だ。

種子もよく発芽し、家の二つの株の下ではいくつもの小さな木が育って来ている。無窮花との別称があるように秋の涼しい風が吹く頃までに、間断なく咲き続け目を楽しませてくれることだろう。


日の出待つやむくげいつせいに吹かるる中 大野林火


強い台風が故郷を襲っている。心配な朝だ。
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ノウゼンカズラ (凌霄花)
- 2007/07/13(Fri) -


ノウゼンカズラは夏に似合う花だ。英名はtrumpet‐creeper、まさにトランペットが木にたくさん咲いているように、ラッパ状した美しいオレンジ色のが次々に咲く。


花は円錐花序の形をして垂れ下がり、無数に付いて横向きに咲く。それが咲いたまま、色も美しい状態で一日のうちに次々に落ちていく。まるで木の下はオレンジ色の絨毯を敷いたようになる。

木そのものは高く大きくなり、幹も太くはなるが、蔓性植物なので自分では立っておられない。それ故、支えが必要で、支柱かあるいは壁、他の樹木に茎から出る付着根をからみつけ、よじ登って上に伸びていく。

とにかく花はその鮮やかな色が遠くからも目立って惹きつける。毎日落ちる花を片付けるのも大変だが、それも楽しみとしよう。



  霧深よ 花ぽとりと 次々にまた咲く  金子皆子

凌霄花の あふられてゐる 門に着く  八木絵馬
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ナンテン (南天)
- 2007/07/12(Thu) -


南天の小さな白い花が次々に咲いている。最初は袋状でそれが風呂敷の包みをほどくように、6枚の花弁を開く。

遠くから見ると白一色に見えるが、小花に近づくと6本の黄色いおしべがめしべを取り囲んでいる。それが秋に、熟して美しい実となる。鮮やかな赤い実が多いが、家には白実南天もある。

ナンテンは〈難転〉に通ずるということで,縁起木として好んで栽培されるが、私が植えたのは「菱田春草」の絵がきっかけだった。
気がついたら10数本にも増えている。


南天の人声にさへ花こぼす 長沼三津夫


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アジサイ (紫陽花)
- 2007/07/11(Wed) -


雨に紫陽花、 晴れても紫陽花、そして日向に紫陽花、かげろひに紫陽花、この時期は天気にかまわず場所を選ばず、紫陽花が美しい。

空梅雨を心配していたら、久しぶりの雨だ。草木がしっとりと濡れて葉や花が水のオブラートに包まれまた興趣がある。

そんな草花を眺めていると、心が穏やかになる。植物は心の医者である。

高村光太郎は詠う。
「晴れればかがやき、降ればにじみ、人なつこく風にそよいで、ああ植物は清いと思ふ」
私は人にとって植物たり得ているだろうか。努力しよう。
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ネムノキ (合歓木)
- 2007/07/10(Tue) -


この木はもう10㍍にもならんとしている。成長の早い木だ。複葉が大きく広がって夏の日射しを涼やかにしてくれる。
 
綿のようにふんわりした薄紅の花が一面に木を覆う。ネムノキは日没前に開花する。しかしその咲く時はそう長くはない。

暗くなると葉をとじて眠るように見えるので,この名があるという。その名がまた詩情誘う。


総毛だち花合歓紅をぼかし居り 川端茅舎

合歓の花衰えやすき人の端に       平田薫
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花菖蒲  ~白いハナショウブと蜩~
- 2007/07/09(Mon) -


今頃になって花菖蒲が咲いた。いつもよりひと月も遅れての開花だろうか。周りの仲間はもうとっくに表舞台から去っている。7月の強い日射しを浴びて花びらも少しばてているようにも見える。日傘を差してやりたい気分にもなる。
隣ではもうコスモスが咲いている。

胡瓜、苦瓜、トマトの棚を補強した。薔薇の周りの草取りをした。落ちた桜の実を掃いた。午前2枚、午後1枚シャツを換えた。

夕方清流苑に行った。第3セクターのこの温泉施設は何時いっても賑わっている。東京、名古屋、横浜などのナンバーが並んでいる。駐車場に入れるのに苦労した。露天風呂がいい。地元にこんないい温泉があるのは嬉しい。

帰ってビールを片手に庭に出た。風があって気持ちいい。ふと、「カナカナ、カナカナ、カナカナカナカナ……」と蜩の鳴く声が耳に入ってきた。少し聞き入った。20代に知った山村暮鳥の詩を思いだした。

             ある時
  また蜩(ひぐらし)のなく頃となった
  かな かな
  かな かな
  どこかに
  いい国があるんだ
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ヤブカンゾウ
- 2007/07/08(Sun) -


ヤブカンゾウは古い帰化植物で、別名ワスレグサとも呼ばれる。
柳宗民の著によると、中国ではこの花を見ると憂さを忘れるといわれ、「忘れる」という意味のある萱の字をあて、萱草と呼んだという。 

これも一日花だ。朝、大きく開いた八重の花は夕方には絞られたように形を変える。それ故、この花の一番にいい時を見るには午前中がいい。属名のヘメロカルリスは「一日の美しさ」という意味がある。見た目は全く同じだが、近種で花が一重のノカンゾウには英名でやはり同じように「一日花」を意味する「デイリー・リリー」の名が付いている。

ヤブカンゾウは繁殖力が強くちょうど今、土手の至る所に花を咲かせている。一般に野草として認識されているので人から見向かれることはあまりないが、ユリ科の植物らしく、オレンジの花弁を大きく反り返らせて広げて咲く。背も高くそれらが咲き揃う姿は堂々として魅力的なのだが、それを庭に植えているところをあまり見ない。

庭の土手に次々と咲くヤブカンゾウを何することなく目にすることができる私は贅沢かもしれない。

萱草は随分暑き花の色         荷兮

花萱草乙女ためらひ刈つてしまふ 加藤知世子
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ぎぼうし(擬宝珠) ~ホスタ~
- 2007/07/07(Sat) -


夏に入り、百合科の花がいろいろと見られるようになった。このギボウシもその一つである。

すっと長く伸びた花茎に下の方から段段に花を咲かせていく。一日花で、朝に咲きだし、午後にはもうしおれてしまう。

これは日陰でもよく育つ。はじめは2~3株だったのが今では40~50株まで増えた。また、そして本来日本の山野に野生しているオオバギボウシやコバギボウシに加え、今はホスタという名で一般に出回っている園芸品種も庭を彩るようになった。

ホスタは英国ガーデンなどヨーロッパではかなりの人気だというが、これもシーボルトによって日本からのギボウシがヨーロッパにもたらされ、様々な改良を加えられたものだという。形、色、大きさの違い、その葉のバリエーションを楽しむ植物の代表といえよう。

私の庭でも矮性のものから、黄色や白の斑が入ったワイルドプリム、フランシーボールドリボン、さらには青みがかった丸葉のハルシオンなどその葉の魅力に誘われて、気がつけばいつのまにか種類が増えている。

花は百合科に多く見られるように漏斗状筒形をし、優しい赤紫色でやや下向きに咲く。一番いい状態を見るにはやはり朝早い時間がいい。

今日は七夕、空の彼方の若者達は大河を超えて無事会えるだろうか。空模様が心配だ。

花売りの擬宝珠ばかり信濃処女 橋本多佳子
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クリ ~栗の雌花~
- 2007/07/06(Fri) -


栗の雌花だ。もうすでにイガのとげとげらしきものが見える。栗の赤ちゃん誕生。 長い穂状の雄花はすでに木から落ち、色を無くして地面に乱れ模様を描いた。そして私に熊手で掃かれ、株元へまめられられた。

目を近づけると、それぞれの枝にいくつもの雌花を確認できる。秋には栗の実拾いができる。栗ご飯が楽しめる。安心した。去年はクスサンの被害を大きく受け、ゼロ収穫だっただけに喜びも一塩だ。

今年はそのクスサンを一つ一つ手で根気よく除去した。かわいそうだがつぶしたり、川に流した。去年の今頃は彼に葉を一枚残らず食べられた。そうして枯れ木同然になって、その生命の危機に瀕していた2本の木が息を吹き返したのだ。嬉しいの一言に尽きる。

私は自分の口に入れるものだけに、野菜などに農薬は一切使わないようにしている。果樹も同様である。それ故、病害虫との戦いには根気がいる。去年の経験から学んだことは、病害虫は卵のうちに退治すること、できるだけ小さなうちに取り除くこと、目に付いた時点で除去することなどである。とにかく手間をかけることだ。

最近、食への信頼を大きく揺らがす事件が相次ぎ、食の安全に関わる問題でかまびすしい。
それに太刀打ちできるのは最終的には自己防衛だけだろう。
自分の健康と安全を保持するために、自ら学び、できるだけ多くの知恵を得て、賢い生産者、賢い消費者になろうと思う。
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ツキミソウ ~夏の夕べに咲く待宵草~
- 2007/07/05(Thu) -


この時期、ほかの花たちとは趣が違って、夕方から夜にかけて咲く花がいくつかある。その一つが、一般にツキミソウと呼ばれる待宵草(マツヨイグサ)である。

開花はまだ周りが明るい夕方、およそ小一時間かけて満開となる。開花にかかる時間が短いため、その前に腰を下ろしていると、肉眼で、まるでスローモーションの映像を見ているかのように、その開花を眺めることができる。時間を作り、その開花を観察することにした。午後7時、細長い蕾の、がくの部分に亀裂が入り、中の花びらがのぞき始める。そして15分後にはほぼ完全にはらりと開き終えた。レモンイエローの淡い色合いは夕刻にもはっきりと目に鮮やかに映って美しい。
今朝早くもう一度見に行くと、既に花は色褪せて閉じていた。

マツヨイグサ(ツキミソウ)はもともと江戸末期に渡来した、南米原産の観賞用の花であったが、今ではすっかり野生化して、野山や、土手などに草に取り囲まれるかのように人にあまり見向きもされずにひそやかに生きている。

この花を見ていると、若い頃聞いた日本を代表するプロ野球選手の言葉を思い出した。
「彼は昼に花咲く大きなひまわり、私は夜に咲く月見草」
彼とは誰のことか、そしてこの言葉を発したのが誰であるかを知っている人はかなりの野球通であろう。

なお、本来の月見草(ツキミソウ)はこの待宵草とは違い、生け花に用いられることもある白色4弁の花だと教えてもらったことがあるが、まだ私はそれを見たことがない。

 半夏生も過ぎ、いよいよ夏本番を迎える。風鈴の音が涼を誘い、そろそろ蝉も土から出てくる頃となった。
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シモツケ (下野)
- 2007/07/04(Wed) -


松の木の下で、小さな5弁の淡い紅色の花が密集して咲いている。シモツケだ。いくつもの白いおしべが長く伸びて花から飛び出す。

赤い小花の一つ一つはとても可愛いが、どちらかと言えば全体として地味な花である。

和の部屋に一房をとって、小さな器に生けるなどは趣がある。あるいはまとめて竹筒の花活けなどにあしらうのもこの花の味を引き出す。


シモツケは,栃木県の日光などの山地の湿原に自生しているといい、その名はその本来の生育地、下野国(今の栃木県)からつけられたものであるという。


また、同じように可憐な紅色の五弁花をつけるシモツケソウなる花もあって少しややこしい。



塗り壁を 色紙にして 花シモツケ   文

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キュウリ (胡瓜)
- 2007/07/03(Tue) -


キュウリを収穫した。今年の初物だ。これからは毎日のように収穫ができる。
キュウリはさまざまな食べ方ができるのがいい。スティックにしてサラダで食べるのも好きだ。塩もなども食を進める。何より贅沢な食べ方は、畑でとって、その場で口に運ぶことだ。無農薬栽培だからできる楽しみだ。

キュウリの成長は早い。朝行って、そろそろかなと思って放っておくと、夕方にはかなり思いの外大きくなっている。一日二日、収穫を忘れると、ズッキーニのように太くなってしまう。それでも自分の口に入るものなので、大きさや曲がりは気にすることはない。

畑で穫るキュウリはまだ花柄を付けたままだったりする。店で売っているように、表面がなめらかで艶々しているということはない。柔毛や棘状のいぼいぼがある。キュウリは実はすべてにおいて毛をまとう植物と言ってよい。

これは花を見ると分かる。5枚の花びら先端にはいずれも細い毛のようなものが付いていることが確かめられる。キュウリはすでに花の段階から毛に覆われているのだ。茎もびっしり産毛のようなものに包まれている。葉とて例外ではない。キュウリをさわるとちくちくして痛い、などというと大げさにとるかもしれないが実際のことである。

ところでキュウリは病気になりやすい。農薬を一切使わないだけにその管理には気を配る。農薬を使う代わりに、自分の手間を掛けるしかない。自分の頭の「脳薬」と体の「農役」を使えばいい。

日本に近代化がもたらされる以前、人々は農薬を用いずして野菜を栽培してきた。江戸野菜、京野菜に代表されるように、昔から日本には自然の力と自然の恵みを最大限活用した伝統の「農」が、脈々として、人々の叡智の元で受け継がれてきた。今一度、効率化、均一化、生産性を少し洗い直せば、薬に頼らない農はきっとできると思うのだが。素人の戯れ言だろうか。
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ナツメ (棗)
- 2007/07/02(Mon) -


昨季の剪定でうまくいったもの、失敗したものがある。

バラ、プルーンなどは教則にのっとって成功した例であり、これまでの中で多くの花を咲かせているし、たくさんの実を付けて朝夕の散歩を楽しませてくれている。
悲しいことかな、黄桜とナツメは後者である。特に黄桜は強い剪定をしすぎたせいか、今年は一つとしてあのやや黄緑がかかった八重の花を付けなかった。初めてのことだ。

ナツメも歩くのにじゃまだになりつつあったので、大きく広がりだした枝をばっさり伐り落とした。しかしその結果、そこには若い枝が伸びず、新芽も出ず、褐色の幹がただ枯れ木のような姿をさらけ出しているだけとなった。青葉若葉の季節を迎え、みずしい緑色がそれぞれの木々を覆う時期になっても、そこに褐色以外の色を見つけることはなかった。

6月に入り、あきらめていたナツメに変化が見られるようになった。側枝が伸び出したのだ。1本2本、5本6本と、そしてさらに枝の数が増え、本来のナツメの枝振りが徐々に復活してきた。ほっと胸をなで下ろした。しかし上に伸びる大きな3本の主幹はまだ色も形も沈黙したままだ。

そんなナツメの側枝に花が咲いた。ほんの3ミリ前後の黄色を帯びた小さな花だ。まるで定規で書いたかのような正五角形に近い形をしている。

「詩経」にもその記述が見られるというように、中国では重要果樹として位置づけられていたというナツメの実は小粒ではあるが、味は若干の甘みがあってややリンゴにも似ている。

  なつめ盛る古き藍絵のよき小鉢    杉田久女

去年のような面影はないが、きっと今年も夏が過ぎ9月頃になると、赤茶色したなめらかでつやつやした楕円形の実を付けてくれることだろう。    久女の句のような日を待つこととしよう。
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iインゲン (隠元豆)
- 2007/07/01(Sun) -


私の朝は早い。しかしそれよりも早く働く人々がいる。午前3時20分、我が家にはそれを定刻として新聞が届く。激しい雨が吹き付ける朝であれ、雪が長靴を隠すほどの日であれ、その時間はおよそ変わらない。感謝である。

今朝の中日新聞文化欄に載っていた詩である。

いのちの饗宴 榎本 栄一
       人も 草木も 虫も
       同じものは一つも生まれない
       いまうまれたものも
       これからうまれるものも
       ごらんください
       同じやなくて
       白色白光 青色青光

これは毎週日曜日に瀬上敏雄氏によって編まれている「こころの詩」の中で取り上げられた詩である。
氏はその詩の紹介のタイトルに「一人には一人の光」と掲げた。
そして「60億の生命があれば60億の異なった存在がある。それぞれがみんな自分の光を放って生きているのだと。自分で自分の光は見えないが、私たちも自分の光に気づいて生きてみたいものである」と解説を加える。

花にもいろいろな形、色があり、役割がある。華麗な花びらが、花そのもののその存在理由であったり、あるいは実を付けるための過程としての目立たぬ花であったりする。しかしいずれも榎本の言うように「白色白光 青色青光」なのだ。

インゲンの花が咲いた。マメ科の特徴を示す白い蝶形花だ。旬日もすれば食卓の味噌汁の椀の中に、長い船のような柔らかな形を浮かべることになるだろう。

最近、感謝という言葉が自然に口から出るようになった。生かされて感謝、頂いて感謝、自然に感謝、…感謝、感謝。
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