バラ(水鏡)
- 2007/05/31(Thu) -


今朝庭に出ると、バラが昨日の雨をその花弁の斗に受けて水を湛えていた。その中が水鏡となって空を映し出す。それはまたそれで美しい。

これは一重の多花性のバラだ。名前は忘れた。波打つようにふわっと薄絹をまとったような花びらがいい。

こんな花を眺めながら、いつか講演会で聞いた下村湖人の詩を思いだした

バラに刺がある

   二人歩く
あなたは言う
バラは美しいけれど、とげがあると
わたしはう言う
   バラは刺があるけど 美しいと
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バラ(JFK)
- 2007/05/30(Wed) -


東京から帰ってくるとバラが一斉に咲いていた。

今年は冬の剪定がうまくいったようだ。これまで、自己流で大事に大事に優しく剪定していた。しかしある時見たテレビ番組で専門家の剪定の仕方を見て、それが間違っていたことがわかった。そこではきわめて大胆にかなり剪っている。思い切ってその方法を試みることにした。

約40本あるバラのすべてをこうして剪った。結果、春の芽吹きやその後の葉と枝の生育これまでない勢いがあった。驚いた。感動した。そして予感した。今年はきっと花を多く付けてくれるだろうと。

今、これまでの何年もの中で一番多くの花を咲かせているのを見てその剪定の正しさを確信した。

自分の無知を知った。独りよがりの甘さ、浅はかさを知った。スペシャリストに学ぶこと、一流に触れること、「深める、高める、広げる」感性を身につけるにはやはり知ること、学ぶことだと改めて考えた。

これは「John F Kennedy」かの悲劇の大統領の名を冠しているバラである。全体はホワイトだが、若干薄い紫色が感じられる。
もし、ジャクリーヌという名のバラがあったら、そばに植えてやりたい。
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あじさい(紫陽花)
- 2007/05/29(Tue) -


一冊の本を求めて神田へ出かけた。東京へ行くたびそこの古本屋街へ行き探すのだが見つけられない。今年も1月、3月と寄ってみたがどこにも置いていない。から振りを何回繰り返したことだろう。もう4年越しのことだ。

今回、その本『菱田春草とその時代(勅使河原純 著)』は3軒目にあった。一誠堂という美術専門古書を扱う書店の中央に荻原守衛の『彫刻神髄』の横に並べられていた。嬉しかった。棚から取り出す手が少し興奮していた。隣で息子はそんな父の姿をまるで自分のことのように喜んでいた。

これは私自身の「菱田春草」についての学びを深める上には欠かせない本だと認識している。すでに廃刊となる今から25年前に発行された608ペ-ジにのぼるこの本、読み終えるのにはかなり時間がかかるかもしれない。しかし読まなければならない。

春草には明治35年の「紫陽花」と題した横長の作品がある。画面を左下から右上に斜めに切るように青い紫陽花を配し、そのあいた左画面の端にアゲハチョウを1羽浮かべている図である。色彩の数を抑え、中央に何も描かれていない空間をもって表すところが感情を理性に転化し表現する春草らしさである。ところで彼は蝶に紫陽花に何をメッセージとして表したのだろう。
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キングサリ(金鎖)
- 2007/05/28(Mon) -


このキングサリは別名キバナフジの名が付くように、その垂れ下がって咲く花の姿を見るとまるでフジ(藤)のようである。しかし実際の藤には黄色い花はなく、これは種が全く違い、エニシダに近いマメ科の植物だという。もう植えてから何年経つだろうか。

人の心もこのチエーンのように繋がって長く伸びると人の世も平和なのだが。

この花には「金の鎖」という絵本を思う浮かべさせるような名からは似つかぬ有毒性があって「毒豆」と言う名も持つという。
そういえば、シクラメンも「豚のまんじゅう」などという有り難くない別名を有していることを思い出した。
由来は別にして、その花をイメージできる名をつけてほしいものではないか。
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かきつばた
- 2007/05/27(Sun) -


万葉人、大伴家持は「かきつはた衣に摺り付け大夫(ますらを)の着装(きそ)ひ狩する月は来にけり」と詠んでいる。その昔、カキツバタは染料としても用いられたことを物語る歌である。その名は,そのように花で衣を染めたことに由来する書付け花から転訛したという。
また在原業平は古今集で「唐衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」と歌う。
これをそれぞれの句で区切って詠むとこうなる。
  からころも
きつつなれにし
つましあれば
       はるばるきぬる
       たびをしぞおもふ  
 はるばるやってきた旅の途中ふと目にしたかきつばた、それを見て遠く都にいる妻を思い浮かべ思いを馳せて、歌ったのだろう。妻への深い愛をかきつばたの5文字に詠み込んでいるところが業平の技巧に優れた歌人としての面目を感じる。
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さくらんぼ
- 2007/05/26(Sat) -


桜桃が今年もたくさん実を付けた。手の届くところの二枝三枝を折って家に入る。口に運ぶ。甘い。小粒だが十分な糖度がある。午前5時、早くもその周りでヒヨドリの声が響く。今日明日がきっと勝負だろう。明日の朝はヒヨドリより先に動こう。毎年そう思いながら、いつも彼らに先んじられて一日にしてほとんどヒヨドリのデザートになっているのが事実。今年はどれだけの数、家族の味覚を楽しませられるだろうか。

桜桃忌とは小説家太宰治の忌日。太宰は1948年6月13日、三鷹の玉川上水に入水。忌日の名は彼の作品「桜桃」にちなむ。
  ~『桜桃』の一節から~
私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創る事に努力する。……   夫婦は互いに相手の苦痛を知っているのだが、それに、さわらないように努めて、父が冗談を言えば、母も笑う。……  父はしばしば発作的に、この子を抱いて川に飛び込み死んでしまいたく思う。……  私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する。……   言い争いは好まない。沈黙した。…… 生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。……   首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。

 このような繊細な神経の持ち主ゆえの彼の下した結論。
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ヤマボウシ(山法師)
- 2007/05/25(Fri) -


ヤマボウシ(山法師)は花の丸くまとまった花序を頭、横に広がるような総苞を法師の頭巾に見立てたところにその名前が由来するという。これは黄花のヤマボウシだが、一般的には花は白い。日本古来の花で春の開花から秋の紅葉そして赤い実まで長く楽しめる木である。赤紫色に熟れた果実は甘く食べられるようだが、まだ一度も食したことはない。その全体像は少し前に咲くハナミズキによく似ている。
この木は山の中の多くの木々に囲まれて自然の形であるのがその本来の美しさが出るのだろうなどと、そんなことを思いながら、 風にひらりひらりと揺れる花を味わいつつ眺めている。
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シラン(紫蘭)
- 2007/05/24(Thu) -


シラン(紫蘭)の名はその花の色の紅がかった紫色に基づくという。家にはその色した株もいくつかあるが、今咲いているのは白い色のものである。日本を含む極東アジアが原産のランで関東以西の林で地生していると聞く。この花もケヤキの下でひっそりと咲いている。その本来の名のもとになる紫紅色のシランも隣にあって、少しずつ開きかけている。
この花は多くの人に好まれるのだろう、近所には果樹園の縁にあるいは道との境にと並べて植えてある家が多い。一つ、二つを静かに見るのも味わい深いがまたこのように多く揃って咲くのもそぞろ散歩の目を楽しませてくれて嬉しい。

 吾知るや雑草園に紫蘭あり 高浜虚子
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コデマリ
- 2007/05/23(Wed) -
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たくさん分枝した高さ1メ-トルほどの株に白い花が垂れ下がるように咲いているのがコデマリだ。一つ一つは1㎝にも満たない小さな花だが、数にして20数個がひとかたまりとなっている。ちょうどそれが丸くまとまって球のように見えるのできっとそのコデマリの名が付いたのだろう。株全体に咲くその姿もよし、近い付いてマリのような形をみてもよし、、小さな花の一つを見てもよしと、大に中に小に、そして遠近にも鑑賞して楽しめる花である。

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マツバギク
- 2007/05/22(Tue) -


マツバギクが咲きだすと「ああ夏が近づいたな」という思いになる。ショッキングピンクともいうような鮮やかな色をした花が太陽の光をはね返すかのように咲いている。 花は朝の周りが明るくなる頃から日中ずっと開き続け,光が弱まる夕方に閉じる。今はまだ5,6輪だけだが、夏の盛りには地を這うようにカーペット状に広がりあるいはコンクリートの壁の上から垂れ下がるように菊のような放射状した花で埋め尽くされる。

明治の初期に渡来したというが、もうすっかり日本の景色になじんでいる花といえよう。
誰もはるか南アフリカからやってきたとは思うまい。
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キショウブ(黄菖蒲)
- 2007/05/21(Mon) -


トマト、ナス、ピーマン、ズッキーニ、ツルムラサキ、モロヘイヤなどなど畑に野菜の苗を40本ほど植えた。例年より2週間ほどの遅れての作業だ。

永田農法を知ってからできるだけその野菜の原産地、育った環境に近い状況を考えて育てるようにしている。去年は水やりをほとんどしなかったトマトがその前の年よりも多くの実を付けた。まだまだだが、納得する部分共鳴するところが多い。

植え付けを終えて一休みする。腰を下ろし、しばし周りに目をやる。5月の爽やかな風を受けて、キショウブが咲いているのが目に留まる。それは畑を縁取るようにおよそ20㍍ほどに植えてある。

優しい花だ。濃い緑の葉に黄色の花が引き立つ。 いかにも日本の風土に合うかのような色形をしているが、本来はヨーロッパ原産で、明治の頃に渡来したものだという。繁殖力が強くその後日本で野生化したとのことだ。

1日花である。
それがまた日本人の情感に合うのだろう、私も好きな花の一つだ。


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メイフラワー
- 2007/05/20(Sun) -


今、松坂大輔が活躍するレッドソックスはボストンにある。ここはメイフラワー号に乗ってやってきた敬虔な英国清教徒たちによって建設された都市だ。米国独立戦争の発端となった町だと歴史の授業で習った記憶がある。

〈メイフラワー 5月の花 May flower〉 船の名前になるくらいイギリスでは親しまれる花なのだろう。花ことばは〈希望〉、新天地を求めて海を渡ったその思いを乗せた船の名にまさにふさわしい。

その名の通り5月になってから咲き出した。大きさは1センチほどで色はピンクに近い八重の花。寄り添って咲く姿は荒波の中、船倉で身を寄せ合う清教徒の姿にも見える。
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レッドロビン
- 2007/05/19(Sat) -


これがなんの花かをすぐにわかる人はよほど植物に詳しい人だろう。なぜならこの木のメインは「葉」だからである。レッドロビン、あるいはベニカナメ。生け垣の定番だ。剪定にも強く全体の形を整えやすい。我が家のぐるりを赤く取り囲む。「名は体を表す」というが、この時期一面真っ赤に芽吹く様は美しくまさにその名に相応しい。

しかし立ち止まっていその花を眺める人はまずいない。多くの人はその横をただ通り過ぎる。大きさは1センチ弱の集合花。顔を近づけてよく見ると小さな五弁の白い花が愛らしい。

あくまでも葉が主役、人々に気づかれることもなく、話題に上ることもなく、その存在を主張することもなく花は咲く。葉を前面に出し、まるで自分を抑えるかのように。

目立つ花も目立たない花もどんな花でも花は花。人は見なくとも、小さな昆虫が花から花へと飛び移り、その花を愛している。
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あじさい(ユングフラウピコティ)
- 2007/05/18(Fri) -


昨日は雷鳴が轟き、激しい雨が降った。沖縄ではもう梅雨入りだという。

朝、庭に出てみるとアジサイが小さな水の粒を乗せていた。昨日の雨の置きみやげだろうか。ほかにダルマアジサイも咲いている。雨に似合う花といえばやはり様々な色を集めるように咲くこのアジサイを置いてほかにない。咲き始めの白緑色から、そのあと次々と薄紅色や淡青色、あるいは青紫や赤紫へと変化し、我々の目を楽しませてくれる。中でも「墨田の花火」や山アジサイの「紅(くれない)」が好みだ。

南信州飯田で生まれた明治の日本画家菱田春草は「水鏡」で池の畔に立つ美しい天女の右手にアジサイを持たせて描いた。天女衰相をテーマにした彼は、「美しいものは必ずや衰え色香を滅していく」との考えのもと「その花の色が移り変わりゆき、最後は色を失い枯れ果て散っていく紫陽花(アジサイ)」によってそれを暗示的に表現した。

天女に限らず、人もまたいつまでも同じ事、同じ状況が維持されるわけではない。過去の良き思い出を振り返り懐かしむことも大切だが、しかしそれはあくまでも過去でしかなく、今現実に生きている自分の存在とは違う世界である。また予測も付かない未来をいくら考えてもこの先はどうなるかはわからない。あれこれ過去や未来に思いを巡らせるより、「今を生きる、今をよりよく生きる」このことが大切なことのように思う。自分自身へのメッセージとして、自分の耳に語りかける。
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アヤメ
- 2007/05/17(Thu) -


先日オープンした東京ミッドタウンに家族で出かけた。すごい人出であった。その近代高層建築の一角に現代ファッションの靴音や周りの喧噪とは遮断されたかのように照明が落とされた静謐な空間があった。目的のサントリー美術館である。

仁清をはじめ過去の芸術家達が作品を通し時空を超え、声なき声として語りかける。
なかでも尾形光琳・乾山兄弟の合作の器には強い印象を受けた。

そこにいる多くの人々もまた作者に思いを寄せるかのように目のみで会話する。日本の美の神髄や精神を肌で感じ、満たされた時間を家族と共有することができた。

光琳といえば、六曲一双の国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」が思い浮かぶ。金地にカキツバタがリズミカルに上下に繰り返されて構成されるその構図はまさに彼の優れた衣装デザイナーとしての感性を見る思いがする。

ところで「いずれがアヤメかカキツバタ」とあるように、姿形が見分けにくいのに加え、これらの仲間はどれも甲乙付けがたい美しさがある。ちょうど今がまさに盛りの時期である。
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エニシダ
- 2007/05/16(Wed) -


金雀枝、これでエニシダとはなかなか読めない。 この花に関する何か資料を求めようと思い、広辞苑でエニシダと引いたところ(金雀枝・金雀児)と出ていてその表記を初めて知った。 なるほど金の雀がたくさん留まる枝の喩えは言い得て妙である。

枝があふれるように出るのでイギリスではこれを束ねて箒にするといい、伝説の魔女がまたがり飛行する箒もこれだという。宮崎駿のアニメ「魔女の宅急便」の空飛ぶ13歳の魔女キキが乗っているのもこれで作られたものだろうか。

蝶のような姿をした花はエンドウやインゲンなどと同じマメ科特有の形をしている。一般的なエニシダは黄色だというので、これはホオベニエニシダなのだろう。ほかに暗赤色が主体のものも咲いている。切り花にして玄関に置いておくのも趣がある。
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クンシラン
- 2007/05/15(Tue) -


君子蘭と漢字で書くとその文字が放つイメージから高貴さと華やいだ雰囲気が伝わってくる。30輪ほどの房状の花が花茎の頂に咲く様は確かに気高さを感じさせる。艶やかな濃緑の葉と、花の鮮やかなオレンジ色との補色コントラストに惹きつけられる人も多いのではないか。

それほど世話するわけでもないのに、いやむしろほったらかしと言った方がいいのかもしれないが、それでももう何年も同じ鉢の中で目を楽しませてくれるこのクンシランには他の花とは違った愛着を感じるものがある。
いつも母の日の頃に咲くこの花に「感謝」という文字を私だけの花言葉としよう。

蘭とは縁もなきヒガンバナ科のその花に君子蘭と名付けたその人のセンスのよさを思う。
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ニシキギ
- 2007/05/14(Mon) -


漠然と川の側に家を作りたかった。川のない地で生まれ育った私は水が光に輝いて揺らめきながら流れ、川魚が泳ぎ、少年の頃読んだ草野心平のヨシキリの詩の風景が広がる、そんな川に憧れがあった。
偶然ドライブ中に見つけたそこはまさに川が目の前にある土地であった。すぐに決めた。そこに家を建てよう。

何もなかった土地に少しずつ木を植え、花を植えた。成長の早いヤマザクラは一人では抱えきれないほどの幹となり、二階の屋根をはるかに越え家のすべてを覆うほどになった。

しかし、自分で植えなかったものがある。このニシキギだ。購入したその土地の片隅にあった。我が家の歴史の初めから共に歩んだ唯一の木だ。
花は1㎝にも満たない。葉の色にも似たその花の色はよく見なければわからない。目をこらして見て初めてそれが花だとわかる。秋には美しく真っ赤に紅葉するその葉の色から「錦木」と名が付いたという。

枝にコルク質の翼があり、独特の姿を持っている。室町の昔、その枝は男性から愛しい人への恋文代わりだったという。
そんなニシキギに見守られて私は今日まで生きてきた。そして明日からも。
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牡丹
- 2007/05/13(Sun) -


駕籠に乗したる美ら女  ウヌ齢 春ヌ若みどり …… 昔ヌ楊貴妃 クリガヤラ

たしかそんな歌詞だったと思う。耳になじんだ古里の「戻り駕籠」という歌だ。滑稽な振り付けと共にそのメロディーが思い出される。

それに続くのが次の歌詞だったように記憶している。

牡丹 芍薬 百合ぬ花 匂いぬ香ばさや 梅ぬ花 ……
姿形の美しさ、香りのすばらしさを喩えるものとしてあげられたのがそれらの花々だったのだろう。

今ちょうどその中の牡丹が咲いている。芍薬ももうじき咲きそうだ。梅はもう実を付け、百合の咲くのはまだまだ先のことになる。

そういえば彼の地にはテッポウユリが自生し、野山が一面に真っ白になる時期があった。野生のグラジオラスも百合と競うように咲いていた。
同様に「マッコウ」という小木が生えており、盆栽用に父とよく採りに行ったことも懐かしい。
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赤い仏桑華(ハイビスカス)
- 2007/05/12(Sat) -


赤い仏桑華が咲いた。私の子どもの頃の仏桑華はみんなこのような色をしていたように思う。それが石垣の上から並んで顔を出しているのが、その土地のありふれた風景だった。もう遠い過去のことだ。

目をつぶると室生犀星の「小景異情」が脳裏にあの頃の懐かしい音となって流れる。

ふるさとはとおきにありて思うもの   そして悲しくうたうもの
よしや  うらぶれて異土のかたいとなるとても 帰るところにあるまじや
ひとり都のゆうぐれに   ふるさと思い涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかえらばや  遠きみやこにかえらばや
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クレマチス
- 2007/05/11(Fri) -


これはニオベという名のクレマチスである。暗赤色のその色が魅力の花だ。家に4鉢あるうちの一つで、今はほかに白い「白馬」という品種が咲いている。これらクレマチス類は冬には葉が全部枯れ落ち、死んでしまったかのようになる。しかし実際は寒さに強く,その枯れ木状態から春に息を吹き返し、芽を出してたくさんの花を咲かせてくれる。以前はテッセンやカザグルマなどはそれぞれ和名で呼ばれていたように思うが、いまはそれらを含めて園芸的にはすべてクレマチスと総称されているようだ。

 青山俊董師の「花有情」という本のなかに、テッセン(鉄線)に触れた文がある。
古い枝のみ花を咲かせることができるというのに。花も葉も何もないときの、根や茎の養いこそ大切なのに、その結果としての花であるのに。結果だけを欲しがり、結果だけを賞める人間のわがままと、視野の狭さを思う。……(略)鉄線の花を見るたびに、自分の身勝手を思う。

自省と自戒の念を抱きつつ、師の言葉を咀嚼する。
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イチハツ
- 2007/05/10(Thu) -


5月になるとアヤメ科の花が多く見られるようになる。我が家でもシャガをはじめカキツバタなど幾種類も咲いている。
これは家への入り口にあるイチハツだ。アヤメの仲間では〈最初に咲く〉の意でイチハツと呼ばれるようになったと聞く。アヤメ科の独特の剣状の葉だけに、葉だけでは見分けが付きにくい。イチハツは淡紫色の花で,濃紫色の斑点と内側にとさか状の突起があるので咲くとその違いがわかる。乾燥に強く,じょうぶな花で、うちのも道路脇のあまりいい環境でない場所で車の風や排気ガスを吸いながら咲いてくれている。

 道脇に 一八さきぬ 朝日浴び
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カリン
- 2007/05/09(Wed) -


諏訪湖畔の約2キロにわたるカリン並木が今満開だという。湖上を渡る風に淡いピンクの花が風林火山にゆかりのその地を初夏の装いに包んでいる。諏訪を訪れるとその加工品として砂糖漬けやジャム、ゼリーなどにしたものが多く目に付くが、実際には並木のほとんどが「マルメロ」である。マルメロとカリンは樹形や花、果実がきわめて類似しており、遠目には見分けにくいが、実の大きさの違いやその果皮に柔毛があるかないか、花が淡いピンクか赤みがかっているかでわかる。カリンを手にすると甘い香りが手に移り暫くその芳香が手から離れない。車の中に入れておくと1週間は車の中全体にその香りが漂い、自然の芳香剤として私は良く用いる。
我が家の2本のカリンも満開を迎えている。木全体を包むやや赤みがかった花がこの5月の空気のようにさわやか感を演出してくれる。昨年の秋の稔りはこれまでで一番の豊作だった。その後、冬の一シ-ズンはカリン風呂としてその香りを湯船で楽しんだ。昔から果実酒として咳止めなどに効用があるようだが、作ったことはない。今年は風呂の友になるか、喉の友とするか、思案してみよう。
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だいこんの花
- 2007/05/08(Tue) -


日当たりのいい南の土手の縁に「だいこんの花」が咲いている。こぼれ種から成長したのだろうか、あるいは昨年収穫を終え残りの小さな大根を抜き取って放ったものが再び花を咲かせたのものか。いずれにしても植物の生命への執着力、生きる力の強さを感じさせられる。薄い赤みをほんのり含んだ白い花を見ていると、控えめで飾らずそして黙々と働く田舎の若い嫁さんを連想してしまう。大根の花は都会には似合わない。

あいだみつをの詩に 「だいこんの花」というのを見つけた。

人知れず
忘れられた茎に咲き
人知れず
こぼれ散り
細かな白い
だいこんの花
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れんげ
- 2007/05/07(Mon) -


ミニラジオを耳にして畑仕事をしていると、「やまのふもとの小さな村の…… れんげそうよ」とビリーバンバンの懐かしい「れんげそう」が流れてきた。優しいメロディーに暫く耳を傾け、何気なく見たニラ畑の真ん中に「レンゲ」が2輪咲いている。どこかから風に乗ってその場を見つけたのだろうか。

以前はよく田畑を肥やすために植えられたと聞く。そういえばここらあたりでもまだ水の張られていない田んぼが一面にレンゲのピンクに染まっていた光景を思い出す。今はほとんど見ることがない。

速効性と品質の良い肥料が多く出回り、自然の力を借りて農を営むことは効率の良さに負けたのだろう。しかしそれはまた、自然本来の力を弱めているように思われる。

小さな畑だが、私はこれからも無農薬と有機栽培にこだわろう。
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シャガ(著莪)
- 2007/05/06(Sun) -


展覧会に間に合わせるために連休中はずっと檜に向き合っていた。前半体調を崩し力が入らず、思考も停滞し、思うように進まない。焦る気持ちが募るが仕方ない。

昨日は5月5日、天気は晴れ。何とか面取まで終える。テントの下でチェーンソウを使った仕事はこれで一段落。後はアトリエに入れてノミを振るう。とにもかくにも間に合わせなければいけない。長年自分に課してきた義務だ。

10時にお茶の時間にする。ガードのマスクやオーバーグラス等を脱ぎ、作業着に付いた木くずを落として、庭を一回りし木々や草花の表情を楽しみながら家に入る。

ふと、サンシュユの木の下に咲く花に気がついた。シャガだ。今年もシャガが咲いてくれた。これはだいぶ前にいただいた株を移植したものだ。しかし何年も咲くことはなかった。このように花を付けだしたのは2年前からだったろうか。長く待ちわびていただけにその花が咲いたときの思いはひとしおで、言葉に表しようのない喜びと感激があった。そしてまた今年も咲いた。著莪はまた胡蝶花の名もある。まさに蝶を思わせるような縁に細かい切れ込みのある白い花びらの中に淡い青色と黄色の色あわせが美しい。1日花だけになお愛おしい。
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ライラック
- 2007/05/05(Sat) -


このように春先に芳香のあるやさしい淡い紫色の小花を咲かすことから,この花の花言葉は〈初恋の味〉なのだという。青空に向かって左右対称形した小さな花序が総穂状に咲いている。

日本語の美しときリラの花   後藤夜半
    
リラと呼ぶのはそのフランス語読みだが、夜半はこの花の頃には様々な色化粧した多くの花々も咲き揃い、その様を情感豊かに修飾する日本の言葉の深い感性をこのように歌ったのだろう。 

風流人はこの花に惹きつけられ石塚友二もまたその花に惹かれて次のように詠んでいる。
  真昼の夢の花かもライラック
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みつばつつじ
- 2007/05/04(Fri) -


この時期南信州の山々や渓谷などに足を運ぶと鮮やかな明るい紫色した花が目に入る。
「みつばつつじ」だ。至る所に自生しているため、当地のシンボルとしてここ南信州を代表する都市飯田の市花ともなっている。近隣の多くの公園でも植栽されこの地の人々に親しまれた身近な花である。
私の家でも2本のうち、1本の木が咲き出した。派手やかさはないが、その形と色は「ツツジ公園」などに見る多くのツツジと違って楚々として引きつけられる。枝先に3枚葉を出すのが名の由来だと聞く。3枚の葉が、親指と人差し指と中指を揃えたように仲睦まじく上を向く姿も見ていて和む。

今日は「みどりの日」、窓を開ければ近くの里山も様々な緑葉のグラデ-ションが広がっている。それぞれの木々の若葉もまた美しい。
抹茶色、裏葉色、淺緑、柳色、若苗色、青磁色、若竹色、鶸色、若草色、萌黄色、などなど古人は萌える葉に豊かな情緒を持って多くの名を付けてきた。中でもコナラの芽吹き色の「白緑」が私は好きだ。金木犀のやや赤みを帯びた薄い「亜麻色」もいい。

      
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ハナモモ
- 2007/05/03(Thu) -


我が家のハナモモは今年は少し淋しい。去年枝を剪りすぎたのが原因かもしれない。並ぶスモモや桜が勢いを増し、その木の陰になってきたせいもあるのだろう。でもそれなりに咲けば咲いて、一本の木に色が混じり合う彩りは他にない美しさの妙がある。

 近くの昼神温泉郷では「ハナモモ祭り」を開催中だという。その奥の月川温泉郷でも約3千5百本が満開で古い歴史の山里は観光客で賑わっていると聞く。さらにその隣の清内路村も道沿いが赤、白、ピンクの三色に染まって「ハナモモ街道」と呼ばれる。そこには放浪の俳人 種田山頭火が清内路を通った際に詠んだ句碑がある。
山しずかなれば笠をぬぐ
    飲みたい水が音をたてていた

南信州は今、美しい季節の中にある。
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八重桜
- 2007/05/02(Wed) -


大きなヤマザクラがその華やかな衣装を脱ぎ捨てた直後から、その隣の八重桜が今満開となった。その花びらの重なり合ったふんわりとした柔らかさは、またソメイヨシノと違った優しい趣がある。

月が変わり5月となった。この5月という月は私にとっては1年で嬉しい月のひとつである。家族揃っての生まれ月だというこもあるが、そしてもましてなにより、若葉青葉のグラデーションがいっそう美しさを増すからである。この時期必ず思い出すのが江口いとさんの「5月」という詩である。

5月 江口いと
野も山も草も木も     生命力のみなぎる五月 さわやかなそよ風は
悲しみも苦しみも運び去る 青葉は私に生きる希望を教える
小鳥は私に歌を教える 花は優しくあれと告げ 青空は心を広く持てと言う
雲は夢を抱けとささやく 雨は深く考える事を教える 風は強く生きる事を教える
人は私に悲しみを与えるが 大自然は私に無限無数の喜びを与えてくれる
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