シモクレン(紫木蓮)
- 2007/04/30(Mon) -


北側の窓を開けるとそこにシモクレン(紫木蓮)がある。日当たりの悪い場所にあって毎年けなげに花を付けてくれる。原産地である中国では古来より高貴な花木として宮城や寺院に栽植され,またシンイ(辛夷)の名で,頭痛,鼻炎等の漢方薬として、さらには香水,香料等にも使われたという。葉も香りがよく、食物をくるんだりあるいは直接食することができるというが、試したことはない。

別れと出会いの4月が去ろうとしている。今年の4月は初めて体験するできごとが多く、殊に長く感じたひと月だった。1年間エンジンを駆動するためのアイドリングがようやく安定しアクセル、ブレーキもコントロールできることが確かめられたひと月だったといえる。これからは無理なく無駄なくムラなく、そしてよりベターな自分のエコペースを守って心と体を走らせよう。
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桜散る
- 2007/04/29(Sun) -


風が吹く。そして予想したように山桜はその華やいだ祭りを閉じる。木を覆い尽くした花びらは少しの時間をかけながらひらりひらひらと雪が舞い落ちるかのように地上にたどり着く。一日にして庭は桜花の終焉の地と化してしまった。名残惜しい。

「祭りの後の寂しさは 嫌でもやってくるのだから…」という歌があった。

雀と鳩がその背中に落ちる花びらを受けながら散歩する。

良寛は桜の散るその様を次のように歌っている。
「散る桜 残る桜も 散る桜」 けだし名句である。

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リキュウバイ
- 2007/04/28(Sat) -


利休梅と梅の名が付いているが桜の仲間だという。利休を冠していのでその名に惹かれ欲しくなって手に入れた。植えてからもう数年になるのだがまだ幹は細く、やや頼りない。枝葉も昨年とあまり変わりないような気がする。成長が遅い樹木なのだろう。

波打つような純白の花は和の心を誘う。茶の心を知らない私でも、もし部屋の片隅にこの花があれば、確かにその身が閑寂なおもむきの澄んだ気分の中にあるような、そんな雰囲気を持つ花である。

悲劇の利休は実はこの花を知らない。彼が生きたその時代、この花は日本になかったからである。もし同時代にあったなら、きっと彼も愛でたことだろう。

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シャクナゲ
- 2007/04/27(Fri) -


初めての勤務地は標高800㍍を超す高地にあった。冬はマイナス20℃以下の日もあり、洗い髪や、朝自分の吐いた息で布団の襟が凍ったりする。あらゆる水分を持つものの管理には気を配らなければならない。酒や、清涼飲料水とて例外ではない。ましてや万年筆など破裂してしまう。土地の人々は冬はご飯を冷蔵庫に入れる。部屋の中に置いておくとそれが凍り付いてしまうため、冷蔵庫は5℃の保温庫となるのだ。南国育ちの私にとってはそれらのいろいろが驚きの連続で楽しく、愉快であった。

そこにはシャクナゲの自生地があった。里山の斜面をピンクの花が咲き揃う。まだカメラを所有していなかった私はただ自分の目の中にアルバムを作りファイルするしかなかった。

当時の先輩からは多くのことを学んだ。シャクナゲは移植を嫌い、ここからたとえ掘り起こして自分の庭に植え替えたとしても育たないということもその一つである。このことは幾人かの先輩が自分の実例として話してくれたので確かなことなのだろう。

年月が流れ自分で庭を持つようになってから何度かシャクナゲを植えた。しかしその多くは枯れてしまった。難しいものだと思った。そしてようやく根付いたのが数本元気に育ち、今では毎年花を付けてくれるようになった。
シャクナゲが花を付けるたび、小さな寒村の里山の光景を思い出す。
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- 2007/04/26(Thu) -


近くにJRの「やまぶき」駅がある。そのホームは「ヤマブキ」で埋め尽くされている。駅のあるそこは以前「山吹村」という地区で、当然のことながら、学校の名も「山吹小学校」だった。しかし、今は合併してその名はコミュニュティーセンターなどにわずかに残るのみである。

その村落を通ると、今まさに野山のいたるところに「やまぶき」が溢れている。竹藪の道沿いに、あるいは梨畑の下の土手にと手を加えられていない自然のままのヤマブキが田舎ののどかな春の風景を演出する。

一重、八重に加え細花のヤマブキと我が家の三種類のヤマブキもいよいよ花盛りである。それぞれに素朴にして清楚な美、しっとりと落ち着きのある優美さ、軽やかで天心爛漫な美しさを醸し出す。

ところで、太田道灌に歌を贈った村娘の家のヤマブキはどれだったのだろう。
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大正シック展
- 2007/04/25(Wed) -


六本木に宿を取り、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)へ出かけた。「大正シック」展を観るためである。
月岡芳年を源流として年方、清方、深水等々、当時の画壇で一つの表現スタイルを形成していたその系譜を具に味わうことができた。彼らの表現を端的に言えば、総じて線に豊かな表情と語りがあって繊細であり美しい。

一方では「モボ・モガ」や大正ロマンを彷彿とさせる作品群がある。中でも目を引くのが中村大三郎の「婦女」像である。女優の「入り江たか子」が洋風のモダンな長椅子に体を横たえる図である。モデルの均整のとれた柔らかな姿態が包み込まれた赤い無地の着物のラインによって想像できる。全体の色面を主構成する赤と、帯や草履にあしらわれたワンポイントの補色が利いて美しく、脚部の暗褐色が画面を引き締める。クッション、髪飾り座部の刺繍等々の緻密な質感表現も見事である。

皇族生活の一端にふれながら、明るく進取で粋な15年という大正の時代にタイムトリップした心地よいひとときだった。
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ヤマザクラ
- 2007/04/24(Tue) -


ソメイヨシノは江戸末期にできたサクラなので,古歌に多く詠まれているのはヤマザクラのことなのだろう。花は茶色味がかった葉と同時に開き、白に近くほんのり紅がかって小さい。今、庭の山桜も満開だ。その花蜜を吸いにメジロが枝を渡り歩いている様などを見ると誰しも歌心を誘われる気になる。

岡本かの子も次のように歌っている。
「桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり」

今度の週末にはきっと散ることであろう。桜吹雪を受けながら小さな家族の花見としよう。
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丁字サクラ(フジモドキ)
- 2007/04/23(Mon) -


この花は丁字サクラという名だが、サクラではない。青紫の小さな4枚の花びらが枝びっしりと咲く。そばによるとほんのりと甘い香りが広がる。しかし気をつけなくてはいけない。この花はきわめて強い毒性があるのだ。その色からフジモドキ(藤擬き)とも言われるようだが、実際はジンチョウゲ科の花で、「丁字サクラ」という桜の木が別に存在するのだからこれまたややこしい。どうやら成長が遅い木のようでもう数年庭に鎮座するのにいまだ樹高50センチほどのままだ。本物の藤が垂れ下がって咲く前まで、この藤色が目を優しく包んでくれる。
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椿
- 2007/04/22(Sun) -


2泊3日の旅で神社仏閣を巡りながら、それを取り囲む花木など諸々の植物に目をやるとやはり関西は季節が進んでいた。薬師寺ではすでに「シャガ」が咲いていたし、北野天満宮では梅は実を大きくしていた。どうやら奈良京都の草花は当地信州より2~3週間も先を走っているようだ。

翻って庭に目をやると、椿は満開となりすでに地面にその身を置いているのもある。よく見ると1本の木だけが上は赤で下は紅白の絞りで咲いている。昨年はどうだったのだろうか記憶に乏しい。「赤く咲くべきか、絞りで咲くべきか、それが問題だ。」ハムレットの言葉ではないが、きっと彼のDNAが先祖返りの指示をだしてどの色で咲くべきか葛藤しているのだろう。
隣の赤い椿と白い椿は何食わぬ顔で悠然と咲いている。河東碧梧桐の句を思い出した。
「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」
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カタクリ
- 2007/04/21(Sat) -


3日間の奈良京都を訪ねての旅から昨夜帰宅した。古都の歴史と文化に触れるたびに心が穏やかになるのは日本人の原初的精神風景がそこにあるからなのだろう。帰路、信州の白い山なみが近づくにつれ、西岡常一や高田後胤の薬師寺物語や聖徳太子や徳川慶喜と対話した時間から現実に引き戻されていく。

留守の間、一段と草木も萌え多くの色が庭に加わっていた。中でもキバナのカタクリがいくつも咲いていたのは嬉しかった。花びらをくるりとそり返し、うつむくかのようにそっと下向きに咲く様ははにかむ少女のようでもある。細い花軸はほんのささやかな風でも首を振って揺れ動き、その姿になおさら愛おしさを覚える。
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ジューンベリー
- 2007/04/19(Thu) -


今びっしりと白い小花が咲いているジューンベリーはその名の通り6月頃に暗い紫色した小さな甘い実を付ける。散歩がてら黒ずんできたものから一口、二口とつまんで食べるのが楽しい。もっとも最終的にはこれらの多くも鳥たちの食事となることが常だが。秋になると葉が色づきそれはそれでその彩りを楽しめる。
ジューンブライドではないが、この白花はウエディングドレスのような清らかさを持っている。
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ムスカリ
- 2007/04/18(Wed) -



その細く長く伸びた葉だけを見ていると野の「ノビル」とも間違えそうなのがこのムスカリだ。実際、球根もノビルのように白く丸く小さい。また丈夫で、自然にどんどん増殖していく。花は小さく房状に集まって直立して咲く。その濃い青色はこの時期に咲く花の色としては珍しいのでよく目立つ。なによりもその形が可愛い。ムスカリが庭に居住し始めたのはいつの頃からか定かではないが、日当たり日陰、木の下とところかまわず咲いている。毎年この光景が繰り返されるので心うれしくなる。時折、ホームセンターなどに行くと鉢に寄せ植して売られているので、驚いたりもするが、地の土にマッチして咲いているのがこの花には似合う。ムスカリという名もまたいい。
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シャクナゲ
- 2007/04/17(Tue) -


雨が降った朝、傘を差してラジオを聴きながら庭を歩いているとシャクナゲが咲いているのに気がついた。葉に隠れるようにしていたのでここまで咲いていたとはと、自分でも驚いた。雨のしずくが花びらに乗ってまた絵になる。いくつか蕾にもなっている。ここ数日のうちにこれらも咲くのだろう。また楽しみが増えた。
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ヒヤシンス
- 2007/04/17(Tue) -


葉芽が膨らみ開き始めたアジサイの横で青と白のヒヤシンスが咲いている。数年前に園芸店で購入したものだ。赤や紫ピンクなどカラフルに早春を彩るヒヤシンスは一月も前にその姿を店頭から消しているので、我が家のヒヤシンスはかなり遅れた開花ということになる。店のヒヤシンスはたっぷりとした大きな房で、見るからに存在感がある。しかしここで咲いているのは房になるのでもなく、一つ二つと右を向き左を向いてまばらに咲いている。しかし色は冴えて鮮やかだ。その芳香も風に乗って鼻に浸み通る。

そんなヒヤシンスを眺めながら以前書いた文を思い出した。

「三色のヒヤシンス」
……あれから一月が過ぎピンクは花を咲かせ、紫は蕾となり、白はいまだ葉だけのまま。同じように陽に当て、同じように水を与え、同じように育ててきたつもりなのに。それぞれに違う姿で生きている。
我々も同じことなのだろう。同じ机で学び、同じ環境で働き、同じ時を共有しても、言葉の力と行動の厳しさと感性の深さの違いを感じる。同じようで同じようでない我々の様相。それぞれが違ってそれぞれでいい。自分のペースで生きていこう。自分の色として。

もう10年以上も前の文だ。
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白い花
- 2007/04/16(Mon) -


この花の名を私は知らない。もちろん植えたわけでもない。花は直径1センチ、草丈は5センチほどの小さな花で、チューリップの陰に物言わぬ形でひっそりと咲いている。これまでに見たことがあるのか、育てたことがあるのか記憶が不確かだが、いわゆる園芸植物ではない気がする。雑草の一つなのだろうか。

「『雑草』という名の植物はないんです。それぞれの植物には名前が付いています。」これは昭和天皇の言葉だったような気がする。確かにそうである。人ぞれぞれに名があるように、生きとし生けるものにすべてに名がある。華やかであろうがなかろうが、香りがあろうがなかろうが、形が美しいかろうがなかろうが、その存在はすべて天の与えた命である。雑草などとひとくくりするのは申し訳ない気がする。

「みんなちがってみんないい」
この花の名を調べてみよう。
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ナシ
- 2007/04/14(Sat) -


ナシの花は真っ白である。おしべはちょうどハートをひっくり返したような形でめしべを大事に取り囲んでいる。それはつぼみが開き始めころは赤紫だが、花びらが開くにつれ黒い点のようにく移り変わる。この木はいわゆる赤ナシと呼ばれる「豊水」だ。果樹農家のように大きな実をうまくたくさん稔らせることはできないが、それでもほどほどに箱一杯分は収穫できる。ほかに「幸水」と「二十世紀」があるが、それらはまだ花を付けていない。

 ナシの木がない地方で育った私はこの時期、野山を背景に辺り一面がナシの花で真っ白になるこの南信州の風景が好きである。ましてや天竜川を眼下にして南アルプスの山々を遠くに望んでナシ棚広がる様は、言葉を介して言うを得ずほどに美しく、とても独り占めにするにはもったいない。機会あれば多くの人に私の住む梨源郷を訪れてもらいたいものだと思う。
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やまぶき
- 2007/04/13(Fri) -


小さい頃母から教えられたことの一つに太田道灌の逸話がある。年を重ねてもそれだけはなぜだか頭の片隅に残されている。きっと幼い心にも響く印象深い話だったのだろう。 
彼が江戸城を築き名君としてその名を後世にまで遺すに至るきっかけになったといわれる農家の娘との出会いの、あの多くの人に膾炙されている話だ。
七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき
兼明親王 後拾遺集
 
 庭に山吹が咲き出した。一重と八重がそれぞれにいくつも並ぶ。枝に沿って花が咲き連なり、ひと風ふた風に揺れる様はまた風情がある。それら10数株の山吹が咲き揃うと家の周りは一面に黄金色に包まれ、華やいだ気分になる。その叢にシジュウカラなどがやってきて戯れるのを見るのも楽しみの一つでる。
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無理せず自然のまま自分を大切に
- 2007/04/13(Fri) -


「自分が生きているように体も作られるんですよ。自分を大事にした生き方をするとそれに応えた体ができるんですね。楽な生き方をしようと思うと体も楽なことを求め、ゆるんで病気になりやすいからだになっちゃんです。心が無理すると体にも無理がかかるんです。心と体は繋がっているんですよ~」「お年寄りでも、若々しく肌つやがいい方はやはり心も元気で前向きに生きている方ですよね。」
 今朝のラジオからは新潟大学の「あぼとおる先生」(どんな字を書くのだろう)が訥々と、そして北日本のイントネーションで優しく話しかけてくれる。少し疲れたとき、あるいは何か前へ進めないときなど、早朝にラジオから流れるこれらの言葉は心のビタミンになったり気持ちを温める懐炉になったりする。まだ日も完全に昇りきらぬしじまに身を置くひととき、先達の語りによって自分の心が耕されることを実感しながら、言葉は言葉であって単に言葉でないことをあらためて深く考えさせられる。
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うこぎ
- 2007/04/12(Thu) -


この芽吹きの季節はまた山菜の季節でもある。野や山からの恵みが食卓に載り、春の香りを喉に届けてくれる。一年の内でもこの時期だけの旬を味わえる喜びの一つだ。私は山菜が好きで自分でいろいろと植えてある。タラの芽、コゴミ、ウドは人に分けてもなお余るくらい毎年のように多くの収穫が得られるようになった。他にウコギ、コシアブラ、それにノビルなどもある。またユルイ(オオバギボウシ)もあるがそれは食べるためでなくグリーンとしてのその葉を楽しむために植えたものだ。
さて、ここ数日は毎日がウコギの出番だ。私はあのシャキシャキ感がたまらなく好きである。枝全体にはとげがあって、新芽をかき取る時指に突き刺さったりするのが難点だが、それも削り節を上に乗せ薄口の醤油かけて口に運ぶころには舌が鼓を打ってその痛さもどこかへ行ってしまう。
 そろそろタラの芽も開き始めた。今週のうちにはきっと衣を包んで天ぷらになっていることだろう。
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ゼラニウム
- 2007/04/11(Wed) -


珍しい色のゼラニウムだ。赤い斑点がインクのように花びらの上に落ちている。さらに普通のと違うのはまず葉が星形であること、花弁が細長いこと、そしてその先端がサクラと同じように切れ込みがある点だ。昨年、霜が降りる頃に部屋の中に取り入れておいたものが3月の終わり頃から咲き出した。もうそろそろ、外に出してもいいだろうと春の光に当てることにした。ゼラニウムは全般に生命力が強く水をあまり求めない。さらに途切れなく次々と花を付けてくれるのもこの花の魅力の一つである。しかし、その特有の匂いを敬遠する人もいるが、私は嫌いではない。
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つばき
- 2007/04/10(Tue) -


春の木と書かれるごとく、椿はまさしく春の到来を告げる花木である。陽光の作る影も一段と濃くなるこの時期、待ちかまえたかのように一輪二輪と咲き出した。ピンクの花びらに紅の縦絞りが入った花が艶やかな緑の照葉と対照色のコントラストを奏でる。昨年はこの花にたくさんのメジロがよく蜜を吸いに来た。今年はどうだろう。
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オキナグサ
- 2007/04/09(Mon) -


ツゲの木の下にひっそりとオキナグサが咲いている。4輪咲いたのの最後の一つである。他にあまり見られない彩度の落ちた暗赤紫色の花だ。よく見なければ見逃しそうなにもなる。全体に白毛におおわれており、翁草の名はそれを白髪の老人の頭に見たてたことによるのだろう。目立つことなく派手さのなくやや下を向いて咲くところががどことなくクリスマスローズにも似ている。こんな小さな花にも他にない可憐な美しさがあり、愛らしい。
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ももとすももとはなももと
- 2007/04/08(Sun) -


庭にモモと名の付く樹が8本ある。本来の実桃を代表する白鳳と白桃、同じく生食用のスモモ2本、さらに紅白それぞれ1本ずつの箒状花モモ、そして一本の木に赤と白と紅白が半混じりの花が入り交じって咲く源平桃、さらに大株になって枝を埋め尽くして枝垂れるように咲く白花モモである。今咲いているのは写真の3本、八重であったり色の違いで区別は付くのだが、ぱっと見るだけでは普通どれが何の花なのかよくわからない。それにサクラやアンズなどが加わるとバラ科の花だけに姿形の相似から余計混乱させる。しかし、それらはいずれも人目を引きつける美しさがある。いつの日からか、私は写真だけでもそれらの花の見分けができるようになった。自然の眼に近づいてきたのだろうかとうれしくなる。
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もも
- 2007/04/07(Sat) -


二本のモモがある。昨日まで蕾だったのが今朝見たら一斉に咲いていた。桃やサクランボなどバラ科の果樹は自家結実しないものが多いというので「白鳳」と「白桃」の異品種をを隣り合うように植えてある。「桃栗三年柿八年」とよく言われるが、まさにその通り、このモモも植えてから3年目にして昨年実を付けてくれた。初めての年だったので、樹に負担がかからないように、摘花と摘果をして数個がなるようにした。期待通りに大きな実がなった。自分で植えたモモを口にできるのはうれしい。今でも初穫りのモモをほおばったその喜びの記憶は鮮明だ。今年も欲張らず、モモに感謝つつ少なめの稔りにしよう。
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シジュウカラ~心に自然を~
- 2007/04/06(Fri) -


あちこちで真新しい制服をまとって登校する初々しい新入生の姿が見られる。いよいよ新年度が始まり、希望を胸に膨らませてやる気いっぱいのフレッシュなメンバーを加えて、希望と決意に満ちた組織がスタートしたことだろう。
 
 さて、自然が動く時期である。こんな時こそ生き物を慈しむ心、自然の美しさを感じる心、物の変化を敏感に感じとる心を大切にしたいものだと思う。
風越山の中腹あたりに目をやると、緑に混じって白くちらちらと辛夷と山桜が目にはいる。この時期、道々に彩りを添えるのは水仙、レンギョウ、オウバイ、サンシュユ、タンポポ、そして菜の花など、黄色の花が多いのも不思議である。 南を望むとアルプスの山々はまだ雪をかぶっている。連なる山々は春霞に包まれて遠くかすんで見えるが、農家の人々はその雪の消える姿形から農作業の時期を決めるという。今年はいつになく農作業が早くて大変だとも聞く。

 鳥も早朝からやってきていい音色を耳に響かせてくれる。今朝「ケーン」という鳴き声に庭に目をやるとキジが歩いている。ほかにもキジバト、メジロ、ヒヨドリ、ツグミ、シジュカラ、シロハラなどがやってきて我が家はにぎやかである。しばらくはこの4月の豊かな自然を心いっぱい感じてみよう。
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スモモ
- 2007/04/05(Thu) -


一面真っ白に花を付けているのはスモモだ。多くは自家結実しないようだが、そんなことは特に気にせず人工授粉などまるでしたことない。しかし秋になるといわゆるプラムという名の紫色の実をそれなりにちゃんと付けてくれる。それは少ない家族にとっては十分すぎるくらいの自然の恵みとなる。またそれはヒヨドリにとっても有り難いプレゼントとなり、熟したものはおよそ彼の尖った細い嘴で果肉の奥まで穴を開けられた形に変えられる。この樹においても真っ先に恩恵にあずかるのはヒヨドリだ。どれが一番食べ頃かをその特異な鑑識力によって彼はよく知っている。もし、生食としてその実を味わうのなら、家人は樹の上で完熟させるのを待つことなく少し早めに収穫しなくてはならない。本来はきちんと管理して多くを収穫すべきだろうが、でも「ま、いいか」といつものお気楽さで彼の啄んだものを食べ頃の目安として収穫する結果となることが多い。

このたくさんの白い花を見ながら、「李下に冠を正さず」の故事成語を思い出した。新年度が始まった。襟を正し、今為すべき事、あるべき姿を着実に進めていこう。
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ジョウビタキは行った
- 2007/04/04(Wed) -


彼の存在が私の記憶の歴史に登場するのは今から10数年以上も前のことである。それは多くの木々が葉を落とし、季節が秋の終わりを告げようとしていたそんな日の午後のひとときだった。何気なく眺めたムラサキシキブの青紫の実を啄む小鳥に気がついた。鮮やかなオレンジがかかった腹にそして白い三角のポイントが目立つ黒い羽根の小鳥だ。植栽した木がそれぞれに生長し自ら実を付けるようになって庭が一つの景色になり始めた頃のことだ。
 その後、彼が北の大陸から毎年訪れる渡り鳥であること、名前がジョウビタキであること、その色形から“紋付き鳥”と呼ばれることなどを知った。人が近づいても逃げることないことから古くは農家の間では“バカ鳥“など有り難くない名前を頂戴している鳥だということも。
 それ以来毎年彼は私の家にやってくる。私が畑で鍬を降ろすときは、周りのオニグルミやトチに留まってあるいは土に降りてきてその働きぶりを観察している。もう長い付き合いだ。 しかし、彼にも北に家族がいる。3月も終わりになると引っ越ししなければならない。その日はいつだろう。そろそろ別れの時が近づいた。そう頭に描いていたその時は予告もなく訪れた。ツッツッッと朝早くから耳を楽しませてくれた彼の声がついに先週の休みから聞こえなくなった。帰ったのだ。また半年後にその声を頼む。少し寂しい気分で鍬を持っていると、頭上に2羽のツバメが軽やかな飛行を見せていた。
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j沈丁花
- 2007/04/03(Tue) -
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日本中が黄砂に覆われた先日の朝、庭の片隅にジンチョウゲを植えた。以前一度植えたことがあったが、半年も経たないうち枯らしてしまったことがある。場所が悪かったのか、土壌が悪かったのか、管理が悪かったのか、その独特の芳香を楽しむことなくそれは引き抜かれる結果となった。

ジンチョウゲは花が沈香と丁子の香りを併せ持つので『沈丁花』の名が付いたのだという。
確かにその香りの強さは、数㍍離れたところからも鼻に奥に届き、秋の金木犀にも匹敵するように思う。

白に紫を帯びた4弁の花が手鞠のように丸く形を作り、葉の先に乗るかのように枝先にいくつも咲いている。
今回は枝葉の声に耳を傾けながら花に語りかけつつ、過ちを繰り返さないように成長を見守り大事に育てよう。
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サクラ咲く
- 2007/04/02(Mon) -


昨日は大陸からの黄砂の飛来により、ここ伊那谷も遠くの赤石や伊那山脈の輪郭をオブラートに包み、朦朧とした一日だった。しかし気温はぐんぐんと上がり、朝開き始めた庭のサクラは夕刻には多くの枝梢がいわゆるその淡い桜色の花びらで覆われていた。我が家でも桜の開花宣言だ。さて、“花の命は短くて…”どのくらい眺めていることができるのだろうか。今咲いているのは、ソメイヨシノとヒガンであるが、時を置いてさらに黄色のウコン、八重、ヤマザクラが次々と咲き出し、しばらくは庭であるいは窓から花見ができる。我が家の春の楽しみの一つである。

 そしていつかきっと、日本一大きいといわれる武川村の山高神代桜や樹齢千数百年といわれる根尾谷の薄墨桜を見に行こう。
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姫コブシとお袋と
- 2007/04/01(Sun) -
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『北国の春』に歌われているのは各地の山野に自生し古くから春告げ花と知られる白花の辛夷のことだ。この南信州でも木肌色に染まる段丘や里山の中に点描されたように山桜と並んで白く見えるのがそれである。
同じ辛夷でも我が家のこれは淡紅色の姫コブシ、十数個の花弁が不規則な形に開いていく。『コブシ』の名の由来は蕾の形が“握りこぶし”に似ていることから来ていると言う。確かによく見ると似てないこともない。
もう一本、樹高が4~5㍍ある白花の辛夷も咲き出したが、それもそのうちカメラに収めよう。

「季節が都会ではわからないだろう、届いたお袋の小さな包み~」の歌でもないが、タイミング良く故郷便が届いた。中に入っていたのはサツマイモの天ぷらや手作りのサラダなどだ。太陽をいっぱい吸ったお袋の味をしっかりかみしめながら食しよう。
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