クロッカス
- 2007/03/31(Sat) -


春のうららかな日ざしを浴びて、地表に花だけが先行して顔を出すクロッカス、ほぼ真上を向いてふんわりと膨らみをもった形がいかにも優しげでだ。家のは白い花片に青紫の絞りの模様が入って黄色い花心を包み込んでいる。西欧ではニンフに恋い焦がれて死んだ美青年クロコス Krokos が変身した花だと伝えられ、恋愛や青春の象徴とされているという。私には少女のように見える。時期を見ては毎年季節便りを我が家に配達してくれる春の郵便屋さんだ。
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ムクドリ
- 2007/03/30(Fri) -


春らしい穏やかな昼下がり、「ギュルルルー」と聞き慣れた鳴き声が頭の上でする。
見上げるとムクドリが電線に留まっている。黒っぽい体躯に足と嘴が黄色いので一目でわかる。通常複数で行動することが多いが、この日は1羽で来て寂しげに佇んでいた。パートナーとはぐれでもしたのだろうか。市街地ではよく大群でたむろしてその鳴き声が騒音化したり糞害が問題を引き起こしたりするようだが、この辺りには小グループで来るので気になるようなことはなく、秋には残り柿を啄む姿もよく見られ目を楽しませてくれる。だいぶ我が家の周りの空も交通量が増えてきた。
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白貂を抱く貴婦人
- 2007/03/29(Thu) -
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ダ・ヴィンチの『白貂を抱く貴婦人の肖像』を見たのは5年前の横浜美術館だったと記憶している。絵の解説としては重要な意味を持つであろう「彼女がなぜ白貂を抱いているのか」などの理由は別にして、漆黒を背景にして立ち、左斜めに視線を送る若い女性が強い印象を放つ。口元の微笑みと手の表現にはダ・ビンチ特有の表現が感じられ、額の装飾紐と首から胸に落ちる黒真珠が白肌と対比して画面を引き締めアクセントを与える。しかし、「モナ・リザ」や「受胎告知」など見られるように人物の後ろに自然の風景を配置し、空気遠近法と線遠近法によって奥行きを生み出す背景処理とはその構成を異にする。ともあれ繊細でディティールににこだわった緻密な描写力、そして絵に込められた芸術家としての彼の精神性にはあらためて深い感銘を受ける。 彼女が見つめるその視線の向こうには誰がいるのだろうか。
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アンズ
- 2007/03/28(Wed) -
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2泊3日の東京美術館紀行を終えて帰宅すると、庭の春も様々に動いていた。まず目についたのがアンズの開花である。出かける前につぼみが膨らみかけたいたのを確認してはいたものの私の予想より幾分早い。アンズはその色がいい。見ていて心を和ませる品のいいピンクの色だ。夏の初めに、ちょうど親指と人差し指の先端を合わせてできる形のような黄色い実を付ける。人はあまり生食しないようだが、口にするとほどよい甘さがあり私は好きである。

 古く飛鳥の人はその種の形を模して、仏眼造形のスタンダードとした。「杏仁形」と呼ばれるその典型は飛鳥の名作、法隆寺の釈迦三尊像などの眼の表現に見られる。また杏仁(アンニン)豆腐は、アンズの種の中にある白い食用部分を用いて加工したものである。アンズは古来より人との関わりの深い果樹といえる。
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受胎告知
- 2007/03/27(Tue) -
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雨と風の中にちらちらと桜の色が目に入るとはいうものの、まだ花見するには早い公園を抜け東京国立博物館のゲートをくぐる。この天候のせいか思いの外すいていて、待つことなく会場に入ることができた。
 
照明のない薄暗い広々としたメインの展示室の正面にそれはただ一つ鎮座していた。まるでルネッサンスの聖堂の中にいるかのような荘厳さと緊張感に包まれた空気が充満する。
天使ガブリエルがイエスの受胎を聖母マリアに告げる場面である。ガブリエルの薬指と小指を折り曲げて差し出す右手とマリアのまるで印相を表したかのような左手が神の言葉で結ばれる。見る人に語る言葉を与えない神聖さがそこにはある。

外に出ると雨は上がっていた。思索的な美の神髄は公園の喧噪をも入れぬバリアーで私を包んでくれた。満たされた思いはまた一つ、自分の美と心の財産となった。
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キバナセツブンソウ
- 2007/03/24(Sat) -
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玄関脇の小さく伸びてきた芽を見ても特に気を留めることなくいたが、気がついたらいつのまにか愛らしい花が咲いていた。咲いたその花をよくよく見てようやく思い出した。去年鉢植えで手に入れたキバナセツブンソウだ。すっかり記憶から離れていた。春の刻と香りを充分楽しませてくれ、その花期を終えたのを地に降ろしてものだった。背丈10センチに満たない小さな花だ。対称形の黄色い6弁の花が可愛い。あまり陽の当たらない、決していい場所ではなかったのにもかかわらずよく地上に出てきてくれた。感謝、感謝。
今日はこれから泊まりがけで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を見に東京へ行ってくる。洗練されたルネッサンスの精華をしっかり体で感じてこよう。
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キセキレイ
- 2007/03/23(Fri) -
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庭の先は川である。普段は浅い川だが魚もいる遊べる川だ。葦が生えているので鳥もよくくる。この日やってきたのはキセキレイだ。チチン、チチーンという鳴き声の方を向くと黄色い鳥が石の上をぴょんぴょん飛び跳ねて移り歩いている。尻をリズミカルに上下に振る。じっと同じところにとどまっていない。せわしい鳥だ。どこに巣作りするのだろう。我が家の鳥民票への登録がまた増えた。
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仏桑華 ~再びハイビスカス~
- 2007/03/22(Thu) -


またハイビスカスが咲いた。パステル色のさわやかな花だ。外に出して光の中で咲かせてやりたいが、ここ数日氷点下5℃近くの冷え込みが続くのでもう暫く待ってもらおう。 広く一般化したハイビスカスの名だが、私の記憶の中ではずっと「仏桑華(ぶっそうげ)」である。蒼穹をバックに強い陽射しを浴び風になびいて咲く真っ赤な花が脳裏に鮮やかに投影される。光沢を持った濃緑の葉に負けじとしてその色を際だたせて咲く深紅の仏桑華、萼から取り離し突出した花柱を持ってそれを口に含んで吸うと甘い。五つのそれぞれ花片と花片との切れ込みが深く、フリンジがフリルのようになったものも絵となって思う浮かんでくる。遠い過去の記憶である。
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サクランボ
- 2007/03/21(Wed) -


東京で桜の開花だという。いよいよ花見シーズンの到来だ。我が家でもサクランボ(桜桃)が開花した。これはソメイヨシノを小さくしたような控え目な色あいの花で、毎年のように多くの艶やかな実を付けてくれる。しかし去年まではその味を私を含め家族は知らなかった。その実の甘さを確かめることができたのは実は去年が初めてなのである。それまでは実が赤く色づき初め、そろそろ収穫しようかという日を2~3日過ごして迎えた休日にはその木の周りには種のみが無数に散らかっている。あれだけたわわに実で覆われ華やいでいた枝は哀れな姿、無惨な格好になっている。そう、ヒヨドリのデザートと化したのだ。いつも彼らに先取りされて、「だからネットを掛ければいいのに」と家族からの恨み節が私の耳を突き刺す。しかし、いいではないか。彼らも生きている。彼らも欲しがっている。自然の恵みだ。共生共存でいこう。さて今年はどれだけの「桜ん坊」が私に舌鼓を打たしてくれるのだろうか。今朝も早くからヒヨドリが来て庭は賑わっている。
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あとみよそわか
- 2007/03/20(Tue) -


「あとみよそわか」とは“幸田露伴が娘の文に常々言い聞かせたオマジナイであった”、と孫の青木玉の随筆で読んだことがある。露伴は溺愛とも言えるほど文を可愛いがったという。そしてその文に対して何をするにも言いつけたのが「あとみよそわか」であった。『やるべき事が一段落したら、必ず自分のやった後をふり返り、最後の最後まで見届けてから次へ移るのですよ』と。自分の仕事について細かなチェックをし、落ちはないか手直しするところはないか…安易に物事を終えてはいけないと戒めたのだろう。高田好胤の書によるとソワカ(蘇婆訶)とは仏の真言に出てくる言葉で“功徳あれ、成就あれ“という意味だと書いてあった。「常に自分の後ろ姿をふり返りなさい。そうすれば何事も成就しますよ』とでも取ればいいのだろう。何とも言えぬ不思議な音の響きと共に、重みを感じる言葉である。3月、今この時期、私も「あとみよそわか」を唱え、自らの仕事を率直にふり返り、よりよい形に整えて4月を迎えよう。
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水仙
- 2007/03/19(Mon) -


ヒルスターという水仙だ。道路から家への入り口のサザンカの生け垣の下で咲いている。東側の我が家で一番早く日の当たる場所だ。グランドカバーのマツバギクの中からにょきにょきと背を伸ばし寄り添うように咲いていた。道作りをしたあと、ついでにぐるりを整えていて初めてその存在に気がついた。
 小さな庭でもこのように自然の香りや草花の声に気がつかないこともある。それはまた、時間をゆっくりかけて自らの足で歩くことによって見える世界でもあるのだろう。感じる思い、求める気持ちを持たなければ何事も見つけられない。星の王子様の言葉がよみがえってきた。「何も見えないよ。心の目で見なければ」。人の姿や世の中のできごともそうかもしれない。
 ピンクのクロッカスが咲いているのも見つけた。ほかにも……、久しぶりに土と過ごした昨日はいろいろの発見があった。
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後ろ姿の香る
- 2007/03/18(Sun) -


後ろ姿の香る

『香木を焚くとそのまことの芳しき気は、煙のまだ少しも立ち上らぬ先に迸りでる。人の心の匂いその人のもまた同じである。その人の一念が私に向かい、まことに美しきときは、その人が口を開いて言葉を出さずとも、身をもって行いを示さなくても、自ずとその優しき美しきさは溢れ迸り、私の胸に浸み透る心地がする。この心の匂いをいつも備えている人こそまさに徳のある人というのであろう。』 (幸田露伴「洗心録」より)
本物の香木は火を自らの身に寄せたそばから芳しい香りを放つ。その香を焚いた部屋に一日経ってから入っても香気は鼻の奥に浸みていく。人も同じで、口を開いて言葉を発する前に、身を動かす前に、その人の心の優しさ、温かさがほんのり伝わる人がいる。
あらためて自分の後ろ姿を思う。自分は発しない言葉を持てるであろうか。自分は示さない行いができるだろうか。自分は後ろ姿に香りを持つことができるだろうかと。
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シンビジウム
- 2007/03/18(Sun) -


花をうまく咲かせるのは難しい。特にランについては毎年連続してきれいに咲かせるということはできていない。一年のランの生育環境にとって何かが抜けているのか、何かが足りないのだろう。華麗で色鮮やかなランの花を楽しむのでなく、観葉植物の葉ランになってしまうことがこのところほとんどだ。ところが、うれしいことにこのランはここへ来て花茎が急に伸び始めて花を開き始めた。すべての蕾を大事に咲かせてみよう。
 このランの名前は忘れた。定かでないが、以前に買い求めた「プリンセスマサコ」だったように思う。全体が淡いピンクに包まれその中を濃い色のピンクが縁取るようにアクセントを付け、奥に黄色がワンポイントとして彩りを付けている。なるほど、高貴な女性のようにも見える。今苦悩するプリンセスの顔が浮かぶ。あなたはあなたでいい…。
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蟻を見る
- 2007/03/17(Sat) -


蟻は左の2番目の足から歩き始める
「地面に頬杖をつきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったのですが、蟻は左の2番目の足から歩き始めるんです」 これは画家熊谷守一の96歳の言葉である。(画文集より)
なるほど、ものを見るということ、観察するということはこういうことなのかと教えられる。同じ現象であっても何気なく眺めているのは見ているようでいて何も見ていない。見ようという意志があってこそ、見えないもの感じないものも見つけられ深く考えさせられる。また、熊谷のように同じ目線からでなく時には虫の目で、時には空高い鳥の目で見ることによって新しく発見する事柄も多いのだろう。私も自分のモノを見る眼鏡を顕微鏡のようにマクロにし視点を据えてじっくり見たり、広角レンズのように視野を広く保って見渡したり、あるいは望遠鏡のようにして遠くのものまで見通しながら物事のつながりを確かめつつ奥の奥まで思考を巡らせことができるようになりたいと思う。
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タンポンポン
- 2007/03/16(Fri) -
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家のすぐ側は川である。その川縁にもいよいよ春の彩りが広がってきた。ひとつ見つけ二つ見つけ四つと数えたタンポポも今では家族を増やし、たとえば「いわさきちひろ」の絵のようなほのぼのとした景色を野に描いている。
タンポポはなぜタンポポなのか。柳田国男の説によればその花が鼓に見え、鼓を打つときの「タンポンポン」の音に結びついてそこから子ども達が 「タンポンポン、タンポンポン」と口ずんだものがタンポポに転訛したものだという。この花を集め束ね、あるいは空に綿毛を吹く子ども達の姿が目に浮かぶ。子ども達は名付けの天才だ。
たんぽぽが たくさん飛んでいく ひとつひとつ みんな名前があるんだ おーいたんぽんぽ おーいぽぽんた おーいぽんたぽ ぽたんぽたん川に落ちるな
川崎洋の詩だ。
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サンゴ油桐
- 2007/03/15(Thu) -
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手足を伸ばしたようなオレンジがかった集合花とトックリヤシのような幹とのアンバランスの妙に味がる。 まとまって咲く花はその名の通り南の海に見られるサンゴを思わせ、他の花とは違った雰囲気を持つ。一時、葉を一切落とし枯れてしまったかと思ったが、2月頃から葉が成長し手のひら大になったところで花を付けてくれた。もちろん部屋の中でのことである。
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ジョウビタキの春
- 2007/03/14(Wed) -


暖冬の影響が各地に現れている。今年は桜の開花が全国的に早まる傾向にあるというが、逆に温かすぎて休眠打破ができなかった九州ではかなり遅れるという。鳥たちにとってはどうなのか気になるところである。半年家族のように一緒に過ごしたこのジョウビタキは例年だと3月下旬に大陸の方へ帰って行く。これだけの気候変化故に葉を落としたカリンの枝に留まる彼の北帰行も早まるのだろうか。
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スペシオキンギアナム
- 2007/03/14(Wed) -
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スペシオキンギアナムはデンドロビウムの仲間である。白い小振りな花舌の中で赤紫の斑点が慎ましく彩りを添えて可憐だ。しかし、この花はそんな愛らしさからは想像できないほどの、鼻を抜けるというか例えようのないきわめて強い香りがする。玄関を開けるその香りがぱっと広がるほどである。1月から今日まで目を楽しませてくれたが、ここへ来て一つ二つと花の命を閉じ始めた。彼女のお祭りもそろそろ終宴かもしれない。
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ハイビスカス
- 2007/03/13(Tue) -
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今朝出かける前はまだ蕾だったが、仕事を終えて帰ってくるとこのように開いていたピンクのハイビスカス。夜の光の中ですぐさまシャッターを切る。本来亜熱帯の植物なのでここ信州では当然のことながら外植えはできない。これは11月に家の中に取り入れ、リビングで育てたものだ。それにしても私もこの時期に花を見るのは初めてである。あと2株深紅とレモンイエローのものがある。それぞれに小指大の蕾が確かめられるのでそのうちこれらの南国の香りが部屋に漂うことだろう。
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ボケ
- 2007/03/12(Mon) -


「黒潮」とい名のボケだ。元々鉢植えにしてあったのを地植えに移したものだ。真っ赤な花弁の中に黄色い花心が引き立つ。昨年は黄色くて香りの良いピンポン球の大きさの実を数個付けた。なるがままにしておいたが、あとで砂糖煮や果実酒にも使われるということを知った。今年は作ってみよう。
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ネムノキ
- 2007/03/12(Mon) -


室内に取り込んであるネムノキである。赤い糸をいくつも重ねて伸ばしたような花が2輪咲いている。 本来夏の花なのでこの時期に咲くのは珍しい。これは鉢植えだが、7~八メートルにもなる木が庭にはあり、その時が来ると木が赤く染まる。その種がこぼれ運ばれて勝手にそこらでいくつも育っているが、成長が早いので伐らざるをえない。
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アオジ
- 2007/03/11(Sun) -


昨日は珍しい鳥の訪問があった。アオジだ。遠目に見てはじめ、姿、形、大きさから雀かなと思ったが、よく見ると腹が黄色く縦に黒斑が見られたので、これは違う鳥だと気づきすぐにカメラを取り出してシャッターを切った。ここに写っているのは雄であるが、通常つがいで縄張りを張る仲の良い鳥ので、そのうち雌も訪れてくれるのでないかと心待ちにしている。
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サンシュユ
- 2007/03/10(Sat) -
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サンシュユ

ハルコガネバナともいわれる庭のサンシュユは高さが5メートルほどになる老木ではあるが、黄色い小花が今を盛りと幹を覆い尽くすように咲いている。一つ一つは4弁花であるが、それが枝に沿いながら散形になって空に広がる様子は桜にも匹敵するほどひきつけるものがある。毎年鮮紅色の楕円をした実を無数につけるが、それは必ずしも多くの人に好まれるような味ではない。
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オウバイ
- 2007/03/09(Fri) -


オウバイ

オウバイが咲いた。元々は鉢植えだったのを土に降ろしたものでまだ小さい。一つひとつの花は可憐だが、もうしばらくすると下垂した枝が黄色一色に染まる。「迎春花」との別称もあるというが、明るくなった春の光の中にある姿はなるほどその名に相応しい。
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ふきのとう
- 2007/03/08(Thu) -


ふきのとう

 朝のラジオからはその時々の季節にちなんだ歌が流れ、各地のさまざまな伝統行事へいざなってくれたり自然の移ろいを伝えくれる。
昨日はさだまさしの「ふきのとうのうた」だった。             
ふきのとうが咲いたよ 春はもうそこまで
   君の笑顔に似ているね  水辺で 輝いたよ
   僕を忘れちゃいやだよ  季節が過ぎても
   時々でいいから 少し思い出してね
暖冬の今年、うちでは1月の早い時期から見られるようになって、今では毎日のように味噌汁の香り付けやフキ味噌としてそのほろ苦さを食卓に添えてくれる。
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たんぽぽ
- 2007/03/07(Wed) -



啓蟄も過ぎて自然界の仲間達が土の下から顔をのぞかせ手を出し賑やかな足跡のデザインを描き始める。南斜面の一番日当たりのいい土手ではタンポポが2輪1輪3輪と咲いていた。福寿草を初めとして菜の花、オウバイ、サンシュユ等々、この時期の多くの花の色が黄色いのはなぜだろう。昆虫界にとっては黄色が一番目立つ色だと聞いたこともあるが、果たしてどうなのか確かなところを調べてみよう。
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菜の花
- 2007/03/06(Tue) -


菜の花

 房総半島の菜の花畑が映し出されていた。青い海を背景にした黄色い絨毯とのそのコントラストが美しい。日常と切り離されたようなゆったりとした時間が流れているのを感じた。風の声が聞こえてくるいい景色だ。
ふと思い立って、庭の川縁の土手に降りてみた。するとそこにやはり菜の花があった。もうすぐモンシロチョウもやってくるのだろう。
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サクラ咲く
- 2007/03/05(Mon) -


サクラ咲く

 やはり季節の時計が早回りしているのだろう。今年はいろいろな植物の衣装替えがきわめて早い。これは10本あるサクラのうちの『十月サクラ』だが、3月の声を聞くと同時に咲き出した。通常より一月も早い咲き出しである。1年に秋と春に二度咲く、白くて小さい八重の可愛いサクラだ。昨年11月から今年の1月まで咲いていたので、休む間もなく再び花の季節を迎えていることになる。人間にたとえるなら走りっぱなしで体力が持つか心配になる。でも、我々の想像を超えるのが、植物のコンピュータであり、自然力なのだから、今の姿が一番彼らにとっては理に適っているのだろう。 このあと、ソメイヨシノ、エドヒガン、カスミザクラ、黄色い鬱金桜 そして佐藤錦とナポレオンのサクランボと5月の初め頃まで家で花見が楽しめる。
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メジロ 椿に睦まじく
- 2007/03/04(Sun) -
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メジロ

まず椿の木に仲良く留まり、周りの様子をうかがいながら少しずつ枝から枝へと移動し、そしてリンゴへと移る。その間ふたり(ふ鳥)の距離が離れることなく、その楽しそうに会話するほかほかムードを見ていると、焼けるほど睦まじく愛らしい。
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夫婦メジロ
- 2007/03/04(Sun) -


夫婦メジロ

 昨日は次々と鳥たちが訪問してくれ、一日中庭がにぎわっていた。あまり替わり映えしないいつものメンバーだが、入れ替わり立ち替わりに姿を見せてくれる。おもしろかったのは、シロハラだけが単独で、メジロ、ヒヨドリ、キジバトはつがいでやってきたことだ。特にメジロは仲睦まじくいつも寄り添うように行動している。直接彼らに聞けなかったが、新婚ほやほやの夫婦のような気がする。そのうち住民票、いや鳥民票でも作ってやろうか。
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あたらか
- 2007/03/03(Sat) -
あたらか

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
広く膾炙された啄木を代表する歌の一つである。
 先日、NHKのテレビであるシンガーソングライターが取り上げられていた。同郷のアーチストだという。その中で彼の歌う歌の、言葉の一つ一つが単語として耳に入ってこない。歌の意味として聞き取れず、音として流れていく。それはまさしくふるさとの言葉なのだが。何曲か、聞くうちに少しずつ、幼い頃過ごした砂浜や岬の映像とともにいくつかの言葉を確かに使っていた記憶がよみがえってきた。でも最後まで全体の歌詞の意味を理解できないまま、番組は終わった。しかしそのあと頭の中ではなく、血潮の中に「ふるさとの訛なつかし」が巡り回っていた。翌日母に電話した。「あたらかってどういう意味だったっけ」「大切、大事ということよ」との答え。そうだ、そうだった。遠く離れた故郷へ思いを馳せながら、あらためて自分の出自が青い海と青い空の下にあることへそにしまい込んだ。
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