戸張孤雁「をなご」三度目の正直というわけではないが、ようやくにしてというかである。
新宿中村屋サロン美術館が2014年秋に開館した折、早速訪ねた日の火曜日はうかつにも休館日だった。
そして昨年9月下旬、再び訪れた私たちの目に入ったのは「展示入れ替えのため休館」の案内。
いずれも休館日を事前に確認しなかった方がいけない。
地方から東京まで出掛けていくことは折々気軽にというわけにもいかないだけに自分を笑うしかなった。
それで今回は念を入れて確認し、思いを果たすことができたというわけである。
美術館はこじんまりとして、テーマ展示と常設の2室からなる。
今回の企画1室は彫刻家荻原碌山を語る上で欠かすことのできない無二の親友、戸張孤雁を取り上げる。
孤雁は碌山死後、その遺志を継ぐように彼の粘土を譲り受け、絵画から転向し彫刻制作を始めた。
まず目に飛び込むのは代表作「をなご」。
同伴者はそれに心惹かれたらしく、「この作品が一番好き」と、館を出る間際まで何度も何度も目を近づけていた。
私が最初にこの作品を見たのは1986年(昭和61年)の秋、碌山美術館での戸張孤雁展だったと覚えている。
芸術はあるいは作家は造形の何処までを完成とするか、そんな方向性を強く示唆された作品だったと、今も記憶に残っている。
彫刻以外に油彩、水彩、版画などにも孤雁の多彩な世界が展開されていて、その豊かで深い表現力を堪能することができた。
所蔵品を中心とした常設展第2室には碌山の絶作「女」、そして帯仏作の「坑夫」など。
これらはいつ見ても、何度見ても言葉を発することができいないような張り詰めた空気感を見る側に与える。
ただただ求道師の如き碌山の精神性を感じて見るだけである。
この部屋で特に目に留まったのは鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」と中村彝の「小女」の2点である。
「盲目のエロシェンコ」の前に立ったとき、「オレ、この絵を見たことがある」と息子。
「私も見たような気がする」もう一つの声。
これは私を含め、三人にとって初めて見る作品、二人が勘違いしていることに私はすぐに気づく。
なぜなら、彼らが見たというのは家にある中村彝の画集の中の「エロシェンコ氏の像」だからだ。
同じモデルを競作のようにして中村彝と鶴田吾郎は並んで描いたのだから、表情や色調も含め作品は似通っている。
タッチが彝の方が強く明瞭なのに対し、鶴田のはソフトで緻密な描写という点で二つには違いがある。
いずれも個の深い人間性、あるいは情感が見事に表現された作品である。
感銘しきりの二人だったが、サロンを出る直前にそのもう一つの「エロシェンコ」のことを話してやると、納得したようだった。
そして彝の代表作の一つ「小女」。
自分の生き方に信念と強い意志を感じさせる目と口元、聡明な中村屋の長女俊子がモデルになった作品だ。
人物の内面性が十二分に伝わると同時に、男としての彝が「小女」に抱く強い思いの丈が筆に込められ表現されている。
彝の俊子への恋は実らず、中村屋との関係も悪化し、失意の中で徐々に体も蝕まれていき、37歳でこの世を去る。
作品数は少ないが、そのサロンは一人一人の作家の息づかいや生き様を肌で感じさせ、潔さと崇高さに導かれる空間だった。
満足である。
ところどころにはまだ銀杏の樹に黄葉が残っている1月の都会に心地よい温かな風が吹いていた。
目つむりて己れあたたむ冬の旅 (岡本 眸)
鶴田吾郎「盲目のエロシェンコ」
中村彝「小女」