北アルプス国際芸術祭(JAPAN ALPS ART FESTIVAL 2017) ~山奥にそして集落に現れる世界~
- 2017/07/10(Mon) -
リー・クーチェ 風の始まりwindy1
リー・クーチェ【風のはじまり】

車を走らせて大町へ向かう。
かねてより見たかった芸術祭。
吸い込まれる衝撃と感動。

たとえばそれは森の中に忽然と現れる古代人の住居跡のようだったり。
あるいは山あいの集落が丸ごとペインティング。
山を背景に巨大な風車を思わせる13の竹編オブジェ。
湖岸に直立する組紐の結い。
…………………………………

国内外の34名の作家による展示。
あまりにも広範囲の場所に分散しているため、車で移動して見ることができたのは3分の1ほど。
駐車場から作品に辿り着くまでにさらに時間もかかり、汗だく。

30日までの会期。
残りは日をあらためて足を運ぶことに。

スケールと発想と素材。
これがアート、これぞアート。
久々に心を揺さぶられるそんな時間となった。

   樹々そよぐ颯々の夏いさぎよし (森澄雄)

リー・クーチェ風のはじまりwindy2
リー・クーチェ【風のはじまり】
集落のための楕円1
フェリーチェ・ヴァリーニ【集落のための楕円】
集落のための楕円2
フェリーチェ・ヴァリーニ【集落のための楕円】
ニオライ・ボリスキ-Bamboo Waves1
ニコライ・ポリスキ-【Bamboo Waves】
ニコライ・ボリスキ-Bamboo Waves2
ニコライ・ポリスキ-【Bamboo Waves】
五十嵐靖晃雲結い3
五十嵐靖晃【雲結い】
五十嵐靖晃雲結い2
五十嵐靖晃【雲結い】
五十嵐靖晃雲結い1
五十嵐靖晃【雲結い】
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戸嶋靖昌 ~小さな美術館は情熱の迸る場だった~
- 2017/02/16(Thu) -
左アルパイシンの男―ミゲールの像ー50号 1990年  右「立つペドロ」40号 1991年アルパイシンの男―ミゲールの像ー50号 1990年               立つペドロ 40号 1991年

「新橋駅から…」
「銀座線で赤坂見附で半蔵門線に乗り換えて……」
「半蔵門線駅の4番出口を出て…」

便利な都市交通も、なれない田舎者にとっては、複雑で戸惑う。
道道、何度か尋ねつつ、その美術館にようやく辿り着いたときには11時30分を過ぎていた。
それは英国大使館、麹町警察署などに近いビルの中にあった。

「観覧を予約しておいた長野の…ですが」
「お待ちしておりました。ではご案内させて頂きます。」
学芸員と一緒にエレベーターで上がる。
開けて下さった白いドアの中が展示室となっている。
「順路は特にありませんので、ご自由に好きな方からご覧下さい」

戸嶋靖昌が目の前にある。
これが見たかった。

左回りで見ていく。
メインの壁にはあの『ミゲールの像』(1990年作)
テレビで紹介されていたあれもこれもそこにある。
これらを描いた日本人がいた。
たとえばゴヤやレンブラントからその表現の精緻さを省いたような荒々しい情念で描かれた人物像。
モデルと画家の激しくぶつかりあう感情が飛び出す『クリスティーナの像』。

一通り見て最初の位置に還り、今度は右回りで作品を戻る。
そしてやはり『ミゲールの像』の前で立ち止まる。

中央に置かれてある唯一の彫刻。
モデルは、無名だった彼の芸術性を高く評価し、今に送り出した館長執行草舟氏。
ブールデルを思わせる構築性を持った勢いのある大胆な肉付け。
それもそのはず。
戸嶋はもともと武蔵美の彫刻科を卒業し、助手まで務めていたのだから。
粘土ベラや彼の指や掌のタッチが残る勢いのある表現である。
しかし、あくまでも対象の根幹は力強く坐っている。
モデルの内面の奥深い人間性にも迫るまでの生命感。
360度、何処から見ても執行氏はこのような確固たる強い信念をもった人物なのだろうと想像させる。
最後に今一度確かめたい作品だけを見る。

やはり学芸員の方の案内で玄関ロビーに出る。
その礼儀正しさにも感銘受ける。
「長野からわざわざ来て下さったということですので…」
そう言って、美術館や戸嶋靖昌の資料、執行氏著作の案内などを下さる。
篤いおもてなしに恐縮。

帰路に就く中央道高速バスの中で執行館長と武蔵美学長による対談「戸嶋靖昌とその時代」に目を通す。
戸嶋の真髄に触れた言葉を拾う。
・日本の芸術家として歴史に残る人物だと信じている
・戸嶋の絵は非常に彫刻的で音楽的
・美しさより、崇高さを持っている
・戸嶋にとって大切なのは「生命」の探求
・魂の画家であり、芸術の求道者
・すべての飾りを取り除いた上での生命を描こうとしている
・血みどろのリアリズム
・打算のない、自分の造形に一直線という生き方から出て来る哲学を持っている
・エネルギーのおもむくままに描いている

しばらくは戸嶋靖昌から受けた衝撃を懐に抱きつつ。

  晴れわたる浅黄の空の二月かな  (物種鴻両)

リーフレット 執行草舟著「孤高のリアリズム」ー戸嶋靖昌の芸術ーリーフレット 執行草舟著「孤高のリアリズム」ー戸嶋靖昌の芸術ーより部分

戸嶋靖昌記念館資料
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日本民藝館 ~『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展~
- 2017/01/11(Wed) -
日本民芸館3

かねてよりどうしても訪ねたい所があった。
目黒の東大駒場キャンパス横にある日本民藝館だ。
それがさる成人の日、この何年も前からの行きたい見たいの思いがようやく叶った。

新宿から渋谷に出て、井の頭線に乗り換え駒場東大前駅で降りる。
西口から閑静な住宅街を7分ほど歩けば、いかにも一昔前の佇まいを見せる白壁の大きな建物が目に入る。
道を挟んで対になるように左に西館、右に本館が建つ。

大きな引き戸を開くとそこは広い石敷になっており、その先の黒光りする上がり框で靴をスリッパに履き替えて入る。
10時の開館時間を少し過ぎたところで入館したが、すでに10数人の靴が並んでいた。
あとからも人の姿は途切れることなく、ことに外国人の姿が目立つ。
彼らもまた柳の主導した民藝運動の奥深さを知って訪ね来るのだろう。

「順路は特にありませんのでご自由にお好きなところからご覧下さい」と受付の方からの案内。

バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、棟方志功、芹沢銈介等々、斯界の巨人たちの作品が贅沢なほどずらり並ぶ。
その充実した所蔵品や展示等は様々に得られる情報から頭にはイメージ化されてはいたが、目の前にしてただ息をのむばかり。
「この作品なら飾りたいわ」
「こっちの方が形がいい」
連れ添う家人達は口々に軽薄な評価をしては見ている。
ほとんどが人間国宝級だということは微塵にも頭にはない。
「うちにもこんないいのが欲しいね」
何を言っているのだろう、作家の質とレベルが丸っきし違うということは、お金の問題でもあることに気づいていない。
そうした会話に少しの恥ずかしさを覚え、いくぶんの距離を置いて先を進む。

あの作品この作品に触れてその感想を記したいのだが、なにせ館内は撮影禁止。
目を凝らして内なるシャッターを切って頭のファイルに収めるしかない。

二階には壺屋焼の金城次郎の作品や平良敏子の格子文芭蕉布など、沖縄の工芸家の作品も並ぶ。
「うちにも金城次郎の作品があったよね」
「そう、魚のやつね」
よく覚えていたもんだ。
たしかに魚文の小壺が一点、昭和51年頃手に入れたと記憶している。

作品を撮れないので、窓の外の壺のある風景をシャッターに収めることにした。
その風情がまたよく、いい絵になる。
全体を見終え階下に降りて、今一度第1室「柳宗悦の仕事」を見る。

靴に履き替え門を後にした時家人がぽつりと言う。
「良かったね。気に入った。また来よう」
そう、何時の日か、西館も観覧できる水曜か土曜の日にあらためて来ようと思った。
所蔵品は言うまでもないが、登録有形文化財の建物や微に細に技を駆使した家具調度品に触れるだけでもその再訪の価値はある。

新宿に戻り、蕎麦のある店を見つけて入る。
それぞれ違うのを頼む。
会計を済ませて、外に出て10歩ほど歩を進めたほぼ同じタイミングで言葉を口にする。
「美味しくなかった」
「だめだったね」
きれいな店で客も多かったのにと、首を傾げる。

高速バスに乗って家路に就く。
諏訪辺りはかなりの雪が降ったようだ。
着けば留守していた家の庭にも多くの雪が地を覆っていた。

   一月の汚れやすくてかなしき手   (黒田杏子)

日本民芸館4

日本民芸館6

日本民芸館1

日本民芸館2
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クラーナハ展 ~「ホロフェルネスの首を持つユディト」~
- 2017/01/10(Tue) -
クラーナハ99

“たまには都会の空気でも吸おう”そう思って二泊の旅に出た。

最初に足を運んだのは上野の国立西洋美術館『クラーナハ展』。
少し風があり肌寒さを感じさせる曇りの日だったが、多くの人が訪れていた。
チケットは事前に手に入れてあったので並ばずに入ることができた。
音声ガイドを頼み会場に踏み入れる。

クラーナハのすべてに魅了される展覧会だった。
そしてその企画構成もまた素晴らしい。
彼ををリスペクトする多くのアーチストの作品が並行して展示されており、クラーナハの魅力を更に引き立てる。
たとえばピカソの版画「ダヴィデとバテシバ」の第一ステージから第九ステージまでの一群。
クラーナハとピカソの融合に足が止まり惹きつけられる。
森村泰昌のセルフポートレートやレイラ・バズーキの絵画コンペティション、さらにはマン・レイ、マルセル・デュシャン等々。
それらの多視点での発想と多様な表現性にも驚嘆させられる。

90点を超える作品の中でやはり一番の存在感は「ホロフェルネスの首を持つユディト」。
元になった史実や背景は省く。

着飾った美しい女性が手に持つのは男の首。
それは自らの手で切り落とした敵軍の司令官ホロフェルネス。
祖国のために淡々と計画を実行しただけと、さも何事もなかったかのように前方へやわらかな視線を落とす冷静な表情のユディト。
一方、ホロフェルネスの白目を剥いた不気味で無機質な死顔。
そこには善と美と官能に権力と支配と醜悪との対比を思わせる。

全体を見終わって、もう一度戻り再び「ホロフェルネスの首を持つユディト」の前に立つ。
焼き付ける。

クラーナハと向き合ったおよその二時間は、十分満たされたものとなった。
しばらくは剣を持つユディトの顔が脳裏から離れないだろう。
外に出るといつものように周辺は人で混雑していた。
今にも雨が降ってきそうな空模様、ホテルへの帰途を急ぐ。

  冬の空昨日につゞき今日もあり   (波多野爽波)

クラーナハ60

クラーナハ02

クラーナハ70
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シーラス(Cirrus)  ~秋の雲と彫刻展~
- 2016/10/19(Wed) -
彫刻展139

青空の高いところにいくつもの絹雲があった。
それは平刷毛を軽く当て、さっと引いて巻き上げたような美しい形だった。

30分ほど車を走らせ創造館に着く。
彫刻展の搬入と展示作業である。
総数70点ほど、それぞれの作家の人間性と表現性が並ぶ。
私は旧作の頭像2点を出品。

疲れた。
家に着いてからも節々が痛かった。
特に腰。
「もう若くはないさ」と体が私に囁く。

  どちら見ても山頭火が歩いた山の秋の雲  (山口誓子)

想

沁
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『夜桜美人図』 ~応為(お~い)、お栄(おえ~い)~
- 2016/02/12(Fri) -
夜桜美人図

葛飾応為の肉筆画『夜桜美人図』がどうしても観たいというのだ。
メナード美術館は遠い。

中央道を南下し、小牧ジャンクションで名神に入る。
小牧ICで降りて国道41号を進み、左折。
左手に小牧城を過ぎればすぐそば。
休日とあってか行路は順調、ほぼナビの設定時刻に到着。

開催されていたのは絵画・書・工芸からなる企画展『和のかたち』。
求めた応為の作は第三室、―うたを楽しむ―の章の中にある。
描かれるモチーフや主題へ想像を膨らませつつ、近寄って観て、離れて観る。

春の夜、妙齢なる女性が左手に短冊、右手に筆を持って、二つの石灯籠の間に立つ。
想が練り上がり、いよいよ筆を走らせんとするその時だろうか。
灯りが映す表情から量ればそれは想いを届ける恋の歌なのかもしれない。
灯籠の中の揺らぐ炎が作る光と影が女性の内面あるいは物語性をいっそう深める。
少し離れて、ほのかに浮かび上がる桜の花。
木々のシルエットを越して見える無数の星。
画面下に目をやれば雪見灯籠が振り袖と着物の裾を照らす。
足元には幾ばくかの散った花びら。
そのどれもにもそれぞれ付加された意味と、なくてはならない必然性を感じさせる。

バランスの取れたプロポーションとそのしなやかな姿態。
繊細に描かれる人物のディテールや背景に置かれた木々。
その江戸美人の居る場と同じ時間にいざなわれるよう。

応為は葛飾北斎の三女お栄。
父から受け継いだ画家としての才能がこの一枚だけを観ても十分伝わる。
一説によれば北斎よりも描写力に優れていたとか、北斎同様かなりの変人だったとかも伝聞される。
研ぎ澄まされた構想力と緻密な技巧と豊かな感性を隙なく感じさせる「夜桜美人図」だった。

せっかくだからと、足を伸ばして国宝犬山城の天守に登っ後、帰路に就く。
二月のいい日、満たされた鑑賞の旅。

   年々に春待つこゝろこまやかに (下田美花)

夜桜美人図2
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肉筆浮世絵展 ~美の競艶~
- 2016/01/16(Sat) -
美人愛猫図1
葛飾北斎 「美人愛猫図」

肉筆浮世絵展が上野の森美術館で開催されている。
並ぶまでもなくスムーズに入館できたが、中は思いの外混んでいた
滅多に目に触れる機会もなく、どちらかというとマニアックなジャンルかと思っていたが、意外であった。
最近はこうした和文化に造詣の深い外国人が多いということで、その姿も散見される。

~美の競艶~のサブタイトルが付いたシカゴ ウエストンコレクションからの日本初公開の展示である。
江戸初期の寛永年間から大正に至るまでの129点がほぼ時代の順を追って並べられる。

浮世絵の代名詞にもなっている多色摺版画の錦絵は絵師、彫師、摺師の共同作業によって生まれる。
多数に摺られた絵は版元によって一般庶民に販売される。
比して肉筆画は絵師が和紙や絵絹に直接絵筆を執って描き上げた一点物である。
多くの注文主はおそらく財を成した商人かあるいは裕福な武家なのだろう。
今回展示されていた軸物には刺繡などが施され、その豪華な表装から相当に高価であったことが伺える。

一点一点、どれも見逃せないほどの繊細かつ重厚な存在感がある。
時代ごとの絵師の豊かな感性と描写力が存分に発揮された逸品ばかりである。
描かれる美人の周りに配置された小物や、身につけている着物の柄、そしてその仕草に興味を惹かれる。
花魁、禿、遊女、夜鷹など当時の風俗も垣間見ることができる。

歩を進めた中程には3点の北斎、足が止まり、目が釘付けになる。
あらためてこの絵師の凄さを実感する
代表作『富嶽三十六景』やよく知られる『北斎漫画』とはまったく異なるは繊細な美人画。
「美人愛猫図」、その極められた表現力にただ見入る。
奇人と称された北斎だが、天才というに相応しい。

もう一つ、特に印象に残ったのは河鍋暁斎の『一休禅師地獄太夫図』。
骸骨たちが太夫の周りでどんちゃん騒ぎ。
袈裟を着た一休さんが三味引くのの頭の上で楽しげに踊る。
太夫の着物の柄は閻魔地獄か。
暁斎奇天烈ワールドが遺憾なく発揮されていてうならせる。
こちらは変人、奇才、鬼才の魅力。

この二人の肉筆画を見るだけでも出掛けた価値があるというものと納得し、しばしその余韻に浸り合う。
それにしてもこれだけの秀逸なる作品が一外国人の手元に所蔵されているとは、いろんな意味で嘆息しきり。

西郷隆盛像の近くでは民族衣装を着たパフォーマー達がケナーとサンポーニアで「コンドルは飛んでいく」を演奏していた。

   わが胸に旗鳴るごとし冬青空  (野澤節子)

美人愛猫3

一休禅師地獄太夫図
河鍋暁斎「一休禅師地獄太夫図」

一休禅師地獄太夫図1

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「をなご」と「盲目のエロシェンコ」と「少女」 ~三度目の正直~
- 2016/01/11(Mon) -
をなご
                       戸張孤雁「をなご」

三度目の正直というわけではないが、ようやくにしてというかである。
新宿中村屋サロン美術館が2014年秋に開館した折、早速訪ねた日の火曜日はうかつにも休館日だった。
そして昨年9月下旬、再び訪れた私たちの目に入ったのは「展示入れ替えのため休館」の案内。
いずれも休館日を事前に確認しなかった方がいけない。
地方から東京まで出掛けていくことは折々気軽にというわけにもいかないだけに自分を笑うしかなった。
それで今回は念を入れて確認し、思いを果たすことができたというわけである。

美術館はこじんまりとして、テーマ展示と常設の2室からなる。
今回の企画1室は彫刻家荻原碌山を語る上で欠かすことのできない無二の親友、戸張孤雁を取り上げる。
孤雁は碌山死後、その遺志を継ぐように彼の粘土を譲り受け、絵画から転向し彫刻制作を始めた。
まず目に飛び込むのは代表作「をなご」。
同伴者はそれに心惹かれたらしく、「この作品が一番好き」と、館を出る間際まで何度も何度も目を近づけていた。
私が最初にこの作品を見たのは1986年(昭和61年)の秋、碌山美術館での戸張孤雁展だったと覚えている。
芸術はあるいは作家は造形の何処までを完成とするか、そんな方向性を強く示唆された作品だったと、今も記憶に残っている。
彫刻以外に油彩、水彩、版画などにも孤雁の多彩な世界が展開されていて、その豊かで深い表現力を堪能することができた。

所蔵品を中心とした常設展第2室には碌山の絶作「女」、そして帯仏作の「坑夫」など。
これらはいつ見ても、何度見ても言葉を発することができいないような張り詰めた空気感を見る側に与える。
ただただ求道師の如き碌山の精神性を感じて見るだけである。
この部屋で特に目に留まったのは鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」と中村彝の「小女」の2点である。
「盲目のエロシェンコ」の前に立ったとき、「オレ、この絵を見たことがある」と息子。
「私も見たような気がする」もう一つの声。
これは私を含め、三人にとって初めて見る作品、二人が勘違いしていることに私はすぐに気づく。
なぜなら、彼らが見たというのは家にある中村彝の画集の中の「エロシェンコ氏の像」だからだ。
同じモデルを競作のようにして中村彝と鶴田吾郎は並んで描いたのだから、表情や色調も含め作品は似通っている。
タッチが彝の方が強く明瞭なのに対し、鶴田のはソフトで緻密な描写という点で二つには違いがある。
いずれも個の深い人間性、あるいは情感が見事に表現された作品である。
感銘しきりの二人だったが、サロンを出る直前にそのもう一つの「エロシェンコ」のことを話してやると、納得したようだった。

そして彝の代表作の一つ「小女」。
自分の生き方に信念と強い意志を感じさせる目と口元、聡明な中村屋の長女俊子がモデルになった作品だ。
人物の内面性が十二分に伝わると同時に、男としての彝が「小女」に抱く強い思いの丈が筆に込められ表現されている。
彝の俊子への恋は実らず、中村屋との関係も悪化し、失意の中で徐々に体も蝕まれていき、37歳でこの世を去る。

作品数は少ないが、そのサロンは一人一人の作家の息づかいや生き様を肌で感じさせ、潔さと崇高さに導かれる空間だった。
満足である。

ところどころにはまだ銀杏の樹に黄葉が残っている1月の都会に心地よい温かな風が吹いていた。

   目つむりて己れあたたむ冬の旅 (岡本 眸)

盲目のエロシェンコ
              鶴田吾郎「盲目のエロシェンコ」

小女
                        中村彝「小女」
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ルーブル美術館展 「鏡の前の女 」  ~文化のシャワーを浴びに~
- 2015/03/17(Tue) -
ティツィアーノ「鏡の前の女」

文化のシャワーを浴びに行こう、そう思って2ヶ月ぶりに東京へ。

まずは六本木、国立新美術館で「ルーブル美術館展」。
最初に逢いたかったのは『鏡の前の女』(1515)、ルネサンスのティツィアーノが送り出した美女。

想像してみよう。

豊満でなまめかしい白い柔肌。
甘い香りのするやや縮れた長いブロンド。
玉のように輝く深い色の目。
形の整ったやわらかな赤い唇。

頬は紅潮し、胸もほんのり赤らむ。
男が差し出す小さな鏡で顔の色艶を確かめる。
もう一つ大きな丸鏡を彼女の後ろに置く。
乱れ髪はうまくまとめてセットされているか。
濃密な時間を過ごしたあとの二人。
日常に戻すために入念に隅々まで身を整える。
彼女が左手にするのは、香水?
その手に被さる青い布は何だろう。
右手にはかかっていないから彼女の服の一部ではなさそうだが。
小指の指輪と瓶と青い布、何かしらの暗示か。

そういえば、2008年3月下旬にもティツィアーノ先生の作品に感動したことを覚えている。
あれは国立西洋美術館での「ウルビーノのヴィーナス」(1538年)だ。
愛と美の女神ヴィーナスがそのふくよかな白い裸体をベッドの上で艶めかしく横たわる。
極めて魅惑的、官能的な作品であったことが脳裡にしっかり刻まれている。

戻って鏡の前の彼女、実に美しい。
比して髭を生やした身なりのいい彼、名家のご子息といったところか。

可能なら先生にその表現意図を聞いてみたいものだ。
まあ、それにしても500年以上の前にこれだけの見事な描写。
かなわないね、その画力に脱帽。

出て、新宿の喧噪へ。
東急ハンズで買い物。
田舎では手に入らない洗練された諸々の文化を袋一杯に。
自分なりにうまくアレンジして生かそう。
時々、こうして華やかさに彩られた密度の違う空気を吸うと刺激になっていい。

    三月や都会の風にうふふふふ  (あや)

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キク(菊) ~春草の思い~
- 2014/11/02(Sun) -
菊142

赤い菊が咲いている。

「赤い菊」を見ると思い出す一枚の絵がある。
菱田春草の『菊』である。
小色紙ほどの大きさに赤い菊が描かれる。
そしてこの絵を見ると、端座して揮毫する春草の悲痛な面持ちを思い浮かべてしまう。

明治44年、36歳で夭折した春草。
知るところ、この年に描かれたのは4作。
腎臓病に加え、画家の生命である眼疾を患い、失明の危機が迫る中でそれらは描かれる。
『菊』はその一つ。

金地の背景には何も描かれない。
墨を基調にした黒みがかった葉にはたらし込みによるにじみの表現。
花のうち中央の一つだけを薄紫に施した意図とは。

金地に濃彩表現という特徴から、この絵が描かれたのは、六曲一双屏風『早春』と同じ1月頃と推測される。
従って、菊の咲く時期の写生ではない。
つまりは彼の心象写生。
たとえば菊は長寿、そして花の九輪は苦。
たとえば赤は輝く光、そして黒は静かな闇。
病に蝕まれ、弱りゆく己の体への自覚と生への希求の交錯。
この小品にはそんな思いが込められているような気がしてならない。

当時の手紙にはこう記されている。(いずれも部分抜粋)
○(千代夫人の手紙)旦那様も先頃より眼のほうあしく、誠に困入り候。
 先年のよふとは又違ひ両眼ともにはしの方、ぼうとして見えぬ事にて、先年の如く注射致され居り候。
 御承知の如く、治らぬ目に候故、ただひどくならぬ様早くかためてしまふより外致し方これなく候。(3月9日)
○小生正月より前の如く眼疾再発にて此の度は殊に甚敷病ひ居り困却致し居候。
 先頃より全く筆を絶ち諸事打ち捨て療養罷在り候。
 唯今は新聞雑誌等も見兼る様に相成神経衰弱に陥り弱り居り候。(4月2日)
○眼の方も網膜炎は起こり居候為、諸物体明瞭に見え不申候。
 只々少しの起臥動作の際、眼にひかり出で、一分間ほど物見へず暗黒と相成り、夫を前にも心配致し居り候処…。(4月23日)
                                                                      
このあと春草の病状は悪化の一途を辿り、9月16日帰らぬ人となる。

この絵を見る度、私の脳裡には重い病と闘いながら絵筆を執っている春草の必死な姿がありありと映り出されるのである。

   今日はまた今日のこゝろに菊暮るゝ (松尾いはお)

菱田春草「菊」軸装M44作

菊「花部分」

菊「葉部分」

菊「落款部分」
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笛を吹く少年 ~「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由― 」~
- 2014/07/20(Sun) -
笛を吹く少年(全)

~2014年夏、世界一有名な少年、来日。~
そんなキャッチフレーズに誘われて、東京六本木へ行く。

その少年は新国立美術館の「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由― 」の第1室に居た。

マネの作品「笛を吹く少年」(1866年)である。
鼓笛隊の正装に身を包んだ少年がくりっとした目で横笛に音を吹き込む。
頬がほんのりと紅く染まる。
笛を持つまろやかな手と穴を抑えるやわらかな指。
年の頃は10代前半であることが見て取れる。
画面に配される色数はきわめて少なく、大部分を背景のシメントと服の赤と黒が占める。
それらに多少の明暗の変化は見られるものの、面的な着彩となっている。
光と影により陰影が描かれて立体感が表されているのは少年の顔や手と金属ケースなどの部分。
こうした色面的な表現は、当時彼が憧憬の念をもって所有していた浮世絵の影響なのだろう。
当時はジャポニズムが画家たちの間ではブームだった。
左足から帽子の先を結ぶ直線的な右側のラインに対し、右足からのそれは緩やかなS字を描く。
そこに笛とケースが上方でほぼ直角に交わり画面にアクセントを付けて引き締める。
一見単純な構図であるが、静の中に動を、柔らかさの中に緊張感が効果的に表現される。
描写はきわめての細かな写実というわけではないが、少年の息づかいや体温までもが観る者に伝わる。

他にミレー、モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、モリゾ、シスレー…等々。
それらオルセーから来た展示総数84点の作品の中でこの紅顔の美少年の前は一番の人だかり。
確かに世界一有名な少年というのに違わないほどに、鑑賞者を惹きつけていた。

  描かれし少年に逢う東京の夏   (あや)

笛を吹く少年(顔)

笛を吹く少年(手)

笛を吹く少年リーフレット1
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バルテュス展(Balthus) ~称賛と誤解…~
- 2014/06/23(Mon) -
夢見るテレーザ1

都立美術館でバルテュス展を観る。
展覧会のリーフレットには挑発的かつセンセーショナルな言葉が散りばめられる。
“称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠”~とサブタイトルは謳う。
そして、〈これは本当にスキャンダラスなのか?その核心には観た者しか迫れない〉と煽る。

《夢見るテレーズ》(1938年)
静かに流れる時間の中で目をつぶる少女は頭の上で両手を組む。
見る夢は愛する少年と過ごしたロマンチックなひとときか。
片足を椅子の上に立て、白い下着を露わにする。
両の腕、両の脚と股間は意思を持つかのように全てVの字を作る。
脇では猫が皿のミルクを嘗める。
その舌がピチャピチャと音を立てる。
猫を置くのはそれを性的シンボルとしての意味からか。
性へ目覚める少女が開くエロチシズムの扉。
隠匿された若い肉体とコントロールできないたどたどしい精神の微妙なバランスが描かれる。
危うさと怪しさと密やかな楽しみが広がる官能的情景。
これがバルテュス。

絵画の世界と現実が交錯し、観る者を扇情に導き戸惑いへ落としていく。
眼から受ける奇妙な刺激が体にかすかな律動を与え、通常と異なった不規則な呼吸を促す。

〈これは本当にスキャンダラスなのか?その核心には観た者しか迫れない〉。
私には観た後も、自分の中で〈核心に迫る〉べく、うまく咀嚼した言葉が見つからない。
ただ、テレーズの夢見る顔とその大胆なポーズと猫の動作が脳裡に鮮明に焼き付けられる。

館を出ると、無邪気な幼稚園の子どもたちの列が若い女性教師に導かれて上野動物園に向かって進んでいく。
強い陽射しが人混みの中を駅に向かう私の背中を汗ばませる。

  六月の強き陽射しのバルテュス展  (文)
 
夢見るテレーザ顔

夢見るテレーザ猫
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カキツバタ(燕子花・燕子花図屏風) ~光琳の絵を思い出しつつ~
- 2014/05/28(Wed) -
燕子花図屏風
『尾形光琳 燕子花図屏風(国宝)』
燕子花図屏風右隻
『右隻』
燕子花図屏風左隻
『左隻』

燕子花図屏風を観に行こう。
そう思って、東京青山の根津美術館に出かけたのは先々週の週末だった。
地下鉄銀座線の表参道駅で下車し、「みゆき通り」に沿って歩く。
有名ブランド店やカフェなどが並ぶハイセンスな都市空間に田舎者の私は眼が定まらない。
青南小学校を左に見てほどない交差点の正面に美術館はある。
まずは透視図を見るかのような竹で覆われた壁の長いエントランスが迎える。
その和の様式美の中を歩くだけで鑑賞に向かう意識を心静かにさせる。

「燕子花図と藤花図」~光琳、応挙美を競う~の最終日だった。
入る。
何はともあれ「燕子花図」。
これが光琳。
六曲一双ゆえ、離れて遠くから全体を、近づきそれぞれ左右の隻を。
さらには燕子花の配置と一つひとつの花の描き方を。
江戸のポップなアーチスト光琳の繰り返しの図案を確かめつつ。
色はほぼ金と青と緑、その三色だけで燕子花の生命と咲き広がる空間と紡がれる江戸の時間が見事に存在する。
花には燕子花特有の白いネクタイは目立たない。
左隻に目を凝らせばそれはかすかに描かれているのが分かるのだが、それも抑えられている。
意識したものだろうか。
でも、やはり美術史に欠かせない光琳の傑作。
ぐるりぐるりと一通り見て、また「燕子花図」に戻ると、家人はその前にずっと居た様子。
他の作品を観ることにエネルギーを削がれたくないほどの打たれた感動のようだ。
その昔、春草の「落葉」を見たときも、じっとその前で動かずそうだったことを思い出す。
新橋のホテルで寛いだ時も、しきりに「燕子花図」に出会えた歓びを言葉を駆使して話す。
鑑賞した絵に対してこんなに興奮気味な家人の姿は久しぶりである。
常はあまり美術に興味は示さないだが。

あれから10日、家の庭でも燕子花が咲いている。
数は少ないが、あの光琳の絵を頭で再現しながら見る。
アクセントとしての白いネクタイはどの花にもくっきりと見える。

  よりそひて静なるかなかきつばた (高浜虚子)

カキツバタ1405281

カキツバタ1405282

カキツバタ1405284

カキツバタ1405283
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秋冬山水図(雪舟等楊筆) 《(国宝・室町時代》
- 2012/01/22(Sun) -
雪舟 秋冬山水図(冬景)  雪舟  秋冬山水図(秋景)


雪舟作、対幅の国宝「秋冬山水図」である。
東京国立博物館の階段を上がって左、2室「国宝室」の奥正面に並べて展示されてあった。

日本美術史を語る上では必須の作品として教科書等によく取り上げられる。
資料や画集によって幾度となく目にはしていたが、実物に触れるのは初めてだ。
その前に立ち、まず思ったのは一幅が意外に小さいということ。
47.7㎝×30.2㎝とあるから、新聞紙を二つ折りにしたより少し大きめの作品である。
一般の軸物をイメージしていたので、その大きさは予想外だった。

左が冬景、右が秋景である。
手前を明快にくっきりと描き、奥を淡くぼやかして空気遠近法的手法が巧みにとり込まれている。
墨の濃淡の違いと対象の大きさの変化により、見るものに時間的距離的な空間を感じさせる。
岩山には樹々が立ち、遠くに寺院らしき楼閣が聳え立つ。
一見眺めただけでは、都から遠く離れた山里の静かな景色に見える。
しかし、目を近づけるとそれらは単なる風景描写でないことが分かる。
冬景の下部に目をやると、帽子を被った一人の人物が坂道を上がって行く。
右下の木の横には小舟が泊まる。どうやら、この地は川辺のようだ。
人物が手にしているのは釣り竿か。さすれば、釣帰の場面。
一方秋景の場合、画面中央の右側に向き合う二人の人物が配される。
林和靖(りんなせい)の如き世捨て人と、訪ねてきし友人の語らいか。
こうしてみると、風景に中に点景として人物を置いたことには何らかの意図があろう。
雪舟は禅僧画家である。この絵に禅語的な意味が込められているとしても不思議ではない。
例えば彼の「慧可断臂図」のように。
はたして何を語らんとしているのだろう。
絵ではさまざまな筆致が用いられる。
太くて濃い力強い線や軽く掃いたような線、穂先の割れた線、遠景のぼかしや点描的なタッチなど。
そして特徴的なのは一見、写実的に見えながら、多くはきわめて簡略化された描写であることだ。
細部などほとんど描かれていない。
また、冬景中央に描かれる垂直に伸びた断崖は前後の関係性が不明瞭で、見るものを惑わせる。
さらに、人物全体はクロッキーのような数本の線で描かれ、顔などは一筆書きの輪郭のみである。
まさに、さらりさらりと描いた感がある。
そこが理知的な雪舟の持ち得た技なのだろう。

雪舟と言えば、昔読んだその伝記を思い出す。
お寺の柱に縛り付けられた幼い雪舟が、流した涙を用いて親指で鼠を描いたという話である。
事実はともあれ、小さい頃から絵が好きだったこと、そして優れた描写力を持っていたことを示すエピソードである。

国宝としての価値と魅力…そんな確かさを改めて満喫した冬の鑑賞であった。

   大寒と寒中見舞の教えたり (文)

秋冬山水図(冬景分・人と小舟)

秋冬山水図(秋景部分・二人の人物)
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愛染明王(木造彩色・鎌倉時代・東京国立博物館蔵)
- 2012/01/16(Mon) -
愛染明王

東京国立博物館で見る。

蓮華上に結跏趺坐。
赤い日輪円光に火焔後背。
一面三眼六臂の忿怒形相。
焔髪頭上に獅子冠。
燃えるような真紅の全身。
鋭くつり上がった玉眼。
口の両端には牙上。
力を誇示するかのような腕釧と臂釧。
手には悪を打ち砕く弓矢と五鈷鉤五鈷杵。
煩悩即菩提を象徴する愛染明王。

有無を言わず力を持って導こうとするその迫力に圧倒される。
愛染明王は人の心にある貪欲をそのまま浄菩提心に変えるという。
様々な誘惑と困難を打ち砕く怒りの仏である。

昨日はどんど焼きの炎が高く上がっていた。

つまらん欲望は焼き捨てよう。

   小正月寂然として目をつむる (飯田蛇笏)

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「着衣のマハ」 (ゴヤ・ Goya)
- 2012/01/05(Thu) -
着衣のマハ 
    
ゴヤと言えば「自画像」、「巨人」など頭にさっと思い浮かぶ作品は幾つもある。
しかしやはり彼の代名詞はなんと言っても二つの「マハ」だろう。
今回、そのうちの一つ、「着衣のマハ」を『プラド美術館 ゴヤ 光と影』展で鑑賞することがができた。
その長倚子に横たわる女の悩ましい姿を私は何度も見て来た。
といっても、それは画集の中であり、テレビの中のことである。

顔はそのままに目線だけを動かして前に立つ彼を見つめる。
口元には笑みを浮かべ、そして体は無防備に投げ出され、その関係がいかにも親密であることを伺わせる。
やや赤らんだ頬と紅の唇、そして誘うかのような艶めかしい目つき。
あわせて、胴を絞る赤味の帯が大きな胸をいっそうきわだたさせ、頭の後ろで組んだ手が情感をそそる。
体に密着した着衣はその豊満なボディーラインを惜しげもなく露わにする。
見る人は好む好まざるにかかわらず、そこに醸し出される妖艶かつ官能の雰囲気にいざなわれていく。
左上方に窓があるのだろう。
白いスカートは光沢を増し、黒い影の強いコントラストによってマハにスポットライトが当たるかのように演出される。
それにより、質感と立体感が強調され、まさに光と影の芸術家、ゴヤの真骨頂がそこにあるといえよう。

その色香漂うマハとは一体誰なのか。
そこで、私の大きな勘違いがあった。
解説に因れば、「マハ」というのは人の名でなく、スペインでは市井の「小粋な女」を指す言葉なのだという。
長く見ていたのにもかかわらず、ずっとマハという名の女性を描いたものだと思い込んでいた私の浅い認識が露呈した。
モデルの女性については、研究者たちによって、ゴヤの手紙などからおよそ特定されているという。
地位のある名の通った社交界の花形だとのことだが、いずれにしてもきわめて魅力的な女性であったことには間違いない。

対として取り上げられることの多い「裸のマハ」より数年後に描かれたということも、今回わかったことの一つである。
同時期に並行して制作されたとものと思っていたが、これも新たに得られたことである。
それにしても時の流れをおいてなお、同じポーズでゴヤに筆を持たせた彼女…。
まだ、いくつもの疑問を残しながら、美術館を後にする。

正月2日、上野の銀杏はまだ黄色い葉を多く付けていた。

   美術館に銀杏舞散る晴れ二日 (文)


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「海の幸」(重要文化財) ~没後100年 青木繁展~
- 2011/08/15(Mon) -
海の幸(全体図)

【芸術新潮】(7月号)の表紙を飾るのは、“青木繁”「ゴーマン画家の愛と孤独」という衝撃的なコピー。
頁を捲る小見出しにも、さらに皮肉めいた文言が並ぶ。
例えば、作品《大穴牟知命》には「思わせぶりな神話画」。
《わだつみいろこの宮》には「恋する海底」。
《自画像》と《女の顔》には「紫陽花で結ばれたふたり」。
そのうえ、その《自画像》を-気持ちがいいほどゴーマンな表情-と解説する。
そして追い打ちかけるように、絶作《朝日》には「昇らなかった朝日」と。
本文を読み進めていく内に、夭折の画家の驚くべき波瀾万丈の真実を知る。
私は「海の幸」を求めて、東京・京橋のブリヂストン美術館を訪ねた。

会場の中ほどの中央壁面にそれは展示される。
描かれているのは10人の漁師が夕日を浴びながら、漁から帰る場面である。
力を合わせて海の幸を得た人々が無言で喜びを噛みしめるかのように列をなす。
その足取りやフカを背負う姿の中に、仕事への充実感が漲る。
10人の内、真ん中の5人は顔のパーツまで描かれているが、外側の5人はそれは不明瞭である。
また、多くは前方に目を遣っているが、7人目の青年だけがこちらに視線を向ける。
それはまるで青木自身(あるいは見るもの)へ何らかのサインを送っているようにも見える。
しかも他の漁師が焼けた逞しい肌を持つのに対し、彼はまるで化粧しているかのような白い顔だ。
漁師顔というより、女性的な美男子である。
全体を今一度見よう。
両端の二人は十分な着彩が施されておらず、顔や体に塗り残しの白い箇所がある。
また、位置を修正した脚がそのままの形や線として消されずに、そのまま残されている。
空にあたる背景のいたるところはキャンバスの地のままで、色がない。
これらの表現は、中心にピントを合わせ、周りをぼかすソフトフォーカスのような手法と言えよう。
さらには画面の両サイドは、構図の修正を試みた後が伺え、幅を短く切り取り、縮めた形でトリミングされている。
一般的な絵としての考えからすればこれは完く未完成の作品だ。
しかしながら、見る人には強いインパクトを持った完成作として映るから不思議である。
この作品が文学的なテーマ性(あるいは寓話性)を持って見えるのは、これが実際の写生でなく、彼の創作であることを物語る。
白馬会展発表以来、夏目漱石が絶賛し、多くの人の目を魅了してきたこの作品は繁が弱冠22歳の時の筆である。
しかし、彼が中央画壇の一角に位置を占めていたのはそれから後のおよそ4年弱。
その後は放蕩と放浪と病を伴侶とする。
そして、母親すら見舞いに来ない病室の中で、淋しく肺結核にて最期を迎える。
華々しく登場した新星は傲岸な輝きで周囲を惑わせながら、夕闇を音も無く静かに地平線の彼方へ消えていった。
明治44年3月25日、28歳と8ヶ月であった。

彼が「ゴーマンな画家」と評されたことについては改めて稿を起こしたい。
それを知れば知るほど、「あり得ない物語」の主人公が浮かび上がる。

   堪ふることいまは暑のみや終戦日    (及川貞)

海の幸(青年の顔)

海の幸(前の部分)

海の幸(後部分)

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《円盤投げ(ディスコボロス)》 原作ミュロン(BC440~450年頃) ローマ時代の複製 
- 2011/08/09(Tue) -
円盤投げ  

上野の国立西洋美術館に出かけた。目的は【大英博物館古代ギリシャ展】での《円盤投げ》を観るためである。
展示は4つのテーマに分かれている。
第1のテーマ『神々、英雄、別世界の者たち』で、入って最初に迎えるのはブロンズの「ゼウス小像」。
高さは23,6㎝だが、天空の神らしく威光を持つ堂々として存在感がある。容姿や身体細部の巧緻な表現は見事だ。
第2テーマは『人のかたち』。《男性の身体美》と《女性の身体美》のコーナーを設ける。
「アフロディテの胸像」の美しい顔と豊満な肉体はミロのビーナスを思わせるような神聖さとエロチシズムが同居する。
第3のテーマは『オリンピアとアスリート』、古代オリンピックの選手像がメインとなっている。
円形になった特別室の広いスペースの中央に、1点だけ目的の「円盤投げ」が展示される。
中に入ると、多くの図版などに見られる側面の姿が見えるように置かれる。
正面、反対側面、背後へぐるりと廻り、全体を部分を、離れたり近寄ったりしてじっくり見る。
踏ん張る足先を見、左手に目を近づけ、下向きの顔の表情を確かめようと、しゃがんで見上げる。
それを繰り返しつつ、ミュロンの表現力と究極の肉体美に引き込まれていく。
まさに「THE BODY BEAUTIFUL」(図録のタイトル)である。
手足の指の隅々までに血が流れているかのような生命感を感じさせる。
腕や脚や胸は競技者としての理想の筋肉を有し、今にも動き出しそうな躍動感溢れる動勢を与える。
顔はややストイックな面持ちで、我々がイメージする投てき選手とは異なり、端整で美しい。
すべてがまるで生きた人間から直接、形取ったかのような精緻な彫刻描写である。
しばらくして、何か違和感を感じ、人前にもかかわらず私はその場で同じポーズを取ってみた。
違う、たしかに違う。そう、表現ポーズと実際に我々が投げる手足の動きが逆になっているのだ。
右手を振り上げるのなら、左足が前に出なくてはならない。左足が軸足となるはずだ。
その彫刻のポーズのままでは力が入らないばかりか、不安定でバランスを保ちにくい。
何度やっても同じである。運動力学としてはあり得ないポーズで制作したミュロンの意図はどこにあったのだろう。
この「円盤投げ」は美しい作品である。しかし、謎のある作品でもある。

家に帰り、古びた嘉門安雄の著を開いた。学生の頃に読んだ西洋美術の本だ。
もう少し、ギリシャ彫刻やローマ彫刻について知りたくなったからである。
そこで私は一つの自分の思い違いを知る。
著の中で、「円盤投げ」の解説に図版として掲げられているのは、これとは違う作品(ローマ国立博物館所蔵)だったのだ。
全体のポーズはほぼ同じである。
前後の足の開きがやや狭いことと、降ろした手が少し開いていること、髪の毛が短髪であることなどに違いが見られる。
ただ、決定的に違うのが、アスリートの顔が後ろ向きに円盤の方を向いている点である。
これが本来のミュロンの原作に忠実な作品(やはりローマ時代のコピー)だという。
「円盤投げ」は1点しかないと思い込んでいた私の大きな勘違いである。さらにはヴァチカン美術館にもあるという。
今一度、今回展示の作品解説を読むと、この作品は18世紀になり、顔が前方を向くように修復されたとある。
それやこれやと、いろいろ発見のあった「円盤投げ」の鑑賞だった。

昨日の事、暦は秋立つことを告げていた。
しかし、まだ蝉は賑やかい。秋は名のみの暑さである。

   立秋と聞けば心も添ふ如く    (稲畑汀子)

円盤投げ手

円盤投げ脚

円盤投げ顔
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龍虎図屏風(橋本雅邦画 重文)~『三菱が夢見た美術館ー岩崎家と三菱ゆかりのコレクション』展)~ 
- 2010/09/27(Mon) -
橋本雅邦「龍虎図」右「龍図」
                                    橋本雅邦「龍虎図屏風」右隻「龍図」静嘉堂文庫美術館蔵
橋本雅邦「龍虎図」左「虎図」
                                    橋本雅邦「龍虎図屏風」左隻「虎図」静嘉堂文庫美術館蔵

橋本雅邦描く、六曲一双の《龍虎図屏風》である。
激しい気迫を見せて龍虎が対峙し、画面全体に張り詰めた緊張感が漂う。
右隻には龍が挑みかけるように波しぶきの上に浮かぶ。
左隻には虎が待ち受けるかのように岩の上に立つ。
龍の眼から雷光が発せられ、虎に向けられる。
虎は全身の気を楯にしてそれを受け止める。
勢いよくうねる雲と怒濤の中から姿を見せて迫る龍。
微動だにせず、激しい風雨に弓なりに撓る竹を背に泰然と見据える虎。
両雄それぞれの視線は一直線にぶつかり合う。
龍の伸びた首と爪をむき出しにして開いた脚は、今にも飛びかかりそうで瞬時も目が離せない。
虎は筋肉の盛り上がった肩と脚に力を漲らせて瞬発を備える。
前に立つ見る者の息をも飲み込ませるほどの臨場感と迸る生命感。
まさに、風雲急を告げるが如し躍動感に満ちあふれた作品である。

これが描かれたのは1895年 (明治28年)、雅邦は当時東京美術学校教頭職にあった。
ちょうど菱田春草が卒業制作「寡婦と孤児」を描き、その優劣を巡り、大論争を巻き起こしていた年である。
審査会の折、教授福地は「こんな作は絵ではない。化け物絵」だと評し落第点を主張した。
それに対し、雅邦は「こんなうまい絵はない」として一歩も譲ず、大変な激論になった。
その時ばかりは温厚な61歳の雅邦が烈士の形相だったと言われる。
双方の主張がぶつかり合い、結論を得ず、校長の岡倉天心に判断を委ねる事となった。
天心は最優等を与え、雅邦は「わたしがにも描いてもこれほどにはできまい」と嘆賞したと伝えられる。
しかし、これが後に天心が校長職を殉じ、雅邦を含め多くの教授達が連袂辞職する紛擾事件に繋がっていく要因になる。

あらためてこの絵を見ると、雅邦の内にある動と不動の両方の心、あるいは強固な意志が表出されているようにも思われる。
作品を描く、表現するということの作家のあるべき姿勢とコンセプトの重要性をこの絵は示唆してくれる。
求められるのは、ただ単に美しいとか、きれいだとかいうだけの作品ではない。
作家が情熱を持って描かれた作品は、鑑賞する人の目を釘付けにし、心に深く刻まれる。
絵が分かるとか分からないとかいう次元を越えた、作家の深い精神性が太鼓の振動のように響き入ってくる。
感動を生む本物がそこにある。
昨今、そんな重みのある作品、作家の心が伝わる作品が少なくなってきている気がする。

東京丸の内のオフィス街に爽やかな秋風が吹く。
この一枚を見るためだけに出かけたとしても、意味のある休日であり、価値ある時間であった。

    秋は美術の石柱(ひらし)を囲む人ごころ (石原八束)

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《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 ~マネとモダンパリ展~
- 2010/06/06(Sun) -
ベルト・モリゾ
(《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 ~マネとモダンパリ展~ ハガキより部分)


東京駅・丸の内南口を出て程なくすると、目的の三菱一号館美術館は目の前にあった。
近代的な高層建築やモダンな東京国際フォーラムに囲まれて、そこだけが異次元と異空間の一角となる。
明治がそのまま都心の一等地に取り残されたかのように、その存在感は際立つ。
コンドルが設計した赤レンガの洋館は、それだけで明治を代表する第一級の美術品として鑑賞の対象となりうる。
朝倉響子やヘンリームーアの彫刻が置かれた、バラであふれる中庭を回遊してエントランスへ向かう。

中に入ると、一般的な美術館のイメージとは全く違ったその造りに、少し戸惑う。
広々とした受付ロビーで切符の購入をと思いきや、そこはそれほど大きなスペースを確保していない。
よく見られるような手の差し出し口のみが開いた隔絶された受付でなく、親しみのある対応となっていてありがたい。
そしてなにより、それぞれの展示スペースがさほど広くなく、まるで迷路で繋がれ部屋を移動するようで嬉しくなる。
もともと、三菱財閥の事務所として建築されたビルなので、廊下とドアで仕切られたくさんの部屋があるのだ。
それはきっと当時そのままなのだろう、床はすべて板材が用いられ、歩くにも優しく、心地よさが感じられる。
時代やテーマ毎に揃えられた作品を見ては、廊下に出て外光を浴びてから、また次の部屋で新たな画家の心に出逢う。
別の部屋へ移るとき、今度はどんな展示が仕掛けられているのだろうかなど、期待感を持たせる楽しさがある。
まるで明治という時代の中を散歩するかのような新しいコンセプトの美術館だ。

私が会いたかった黒い服の彼女は、奥の部屋の中程にいた。
55.5㎝ ×40.5㎝と、予想していたより小さく、新聞を若干大きくした程度だ。
帽子もベールも服もすべて黒である。
左側に窓があるのだろう、顔の左半分は強い光を受けて一段と肌を白くする。
鼻筋はいとも簡単に明暗の境で着彩されているのにもかかわらず、彫りの深さとその高さが出ているから不思議である。
こちらを見つめる琥珀色の目は、これまた、一筆二筆で軽く描写されている。
特に左の白目の部分など、あっさりとした半月の筆致が残って見える。
帽子の外にはみ出たブロンドヘヤーなど、まるで勢いで筆を動かしたままのような軽い表現だ。
筆にあまり絵の具を付けずに、穂先が割れたままに捌かれたタッチが、やわらかな髪の質感をうまく引き出す。
今にも語りかけてきそうな唇は、輪郭など曖昧にもかかわらず、そのやわらかな厚みの中に体温すら感じさせる。
この絵には、画家とモデルという仕事での関係性以上の深い繋がりのようなものが感じられる。
絵は単なる写実でなく、モデルの内面性をどう画面に表すのか、作者の思いの表現であることを改めて教えられる。
彼女はその後、マネの弟の妻となる。

「ベルト・モリゾ」に別れを告げて外に出ると、6月初めの土曜日の東京は暑くもなく、寒くもなく過ごしやすい日和であった。
満たされた心は、都会の空の下で私の顔に晴れやかな笑みを呼ぶ。

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川喜田 半泥子のすべて展 ~破格・洒脱・多才~
- 2010/01/04(Mon) -
織部黒茶碗 表千家蔵
                              織部黒茶碗 表千家蔵(展覧会パンフレットより)

東の魯山人、西の半泥子と並び称される二人の展覧会が今、時を同じくして開かれている。
北大路魯山人展は日本橋の高島屋で、川喜田半泥子展は銀座松屋での開催である。
初売りで賑わう高島屋で魯山人を、そして昨日は松屋で半泥子を鑑賞する時間を持った。
偶然にそれぞれの開催会場は8階、正月に相応しい末広がりのめでたさへの招待である。

数奇な運命を辿って長くポルトガルにあった魯山人の壁画「桜」と「富士」は常識を覆すような作品である。
しかしここでは触れず、また別の機会とする。

半泥子展について述べよう。
会場に入るなり、まず目に飛び込む陶芸作品の風格と存在感の重々しさに圧倒される。
それらの一つひとつに「人の味」、「自然の姿」、「心の妙」、「ものの哲学」というものがある。
それぞれの作品に、たとえば「心安らぐ語らい」であったり「禅の教え」であったり、「深い歌」があったりする。
造形的な意味においては、決まり切った形を打ち破ったきわめて強い個性的な創造性に溢れている。
ひびがあり、形は崩れ、ひしゃげ、いびつにして不安定、しかし主張する。
釉の色といい、土の肌といい、景色といい、あるいは指跡さえもすべてがそうなるべくして生まれてきたかのようにある。
まさに制作者としての「守破離」の世界をそこに見る。
黒い織部茶碗や志野茶碗、刷毛目茶碗…それらについて語る言葉は必要ない。
見ればいい、息を殺して見ればいい。陶芸の奥深さを、茶碗一つが示してくれる。
作陶は技術だけではなく、崇高なる精神と審美の決定力であることを示してくれる。
ただただ、これでもかこれでもかと嘆息混じりに内奥に収まっていく。
もし別の場所にどの一点のみを展示作として置いたとしても、その会場中に重厚なオーラを発するに間違いない。
見る人それぞれに伝わり受け止めるものは違うだろうが、鑑賞者に共通するのは「本物」を見たという満ち足りた思いだろう。

銀行頭取としての実業家の顔、、書画や俳句に通じた文人としての顔、建築や写真など新文化を求める進取の気性などなど。
まさに銘うつが如く「川喜田半泥子のすべて展」であった。
久々に、言葉に尽くせぬ感慨を得た心に沁み入る展覧会であった。
これほど多岐に渡るジャンルと数を一堂に集めた半泥子の作品をもう見ることはできないかもしれない。
機会あれば、彼自身が創設したという三重県津市にある石水博物館にも出かけてみたいものだと思った。
半泥子とは「半(なか)ば泥(なず)みて半ば泥まず」と禅師に頂いたものだというが、これも深い。

寒菊や光悦の文読みかたく (川喜田半泥子)

志野茶碗「赤不動」東京国立近代美術館蔵
志野茶碗「赤不動」東京国立近代美術館蔵織部黒茶碗 (展覧会パンフレットより)


井戸手茶碗「雨後夕陽」石水博物館蔵
井戸手茶碗「雨後夕陽」石水博物館蔵(展覧会パンフレットより)
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石井鶴三 ~藤村像と鶴三の言葉~
- 2009/12/02(Wed) -
藤村像第一作1950
 
藤村像第二作1951
 

石井鶴三は昭和17年から26年の足かけ10年掛けて、塑造と木彫でそれぞれ2体ずつ、計四体の島崎藤村像を制作している。
まず昭和17年の初秋、着物を着て座す藤村をモデルに、12日間の制作で粘土による第一作が完成した。
直接目の前に藤村を見ての制作だけに、文人としての彼の言葉や息づかいまでが伝わるような、静謐で気品あふれる作品である。
翌年、その石膏原型ができた夏に藤村は亡くなった。
それと同じポーズで木彫の第一作を作ったのは、戦後の復興著しくなった昭和25年のことである。
大きな木曽檜を材として鋸で木取りされた面に鑿は打たれる。
一打一打の鑿は鶴三の意志を伝えて刀痕に現れていく。
塑造とはまた違った緊張感と生命力が寸時の決定の中で生み出されていく。
こうして木曽の奈良井の寺で、藤村木彫像はできあがった。
 
しかし、この正面を向いた木彫(もともと、作り始めたポーズは藤村自身が長いモデルとしての疲労に耐えないとして、途中からこの楽な姿に代えたものであるが)に、鶴三は自分の文豪藤村のイメージからして諒とすることができなかった。
藤村の人格を包含し、藤村の藤村らしくあるべき姿は違うのではないかと煩悶すしたのである。
そして、あらためて心にある藤村であるべき姿を塑造で作り、それをもとにあの木曽檜を用いて今一度、揺るぎのない内面性の迸る人間藤村像を鑿で彫り上げたのは昭和26年の夏のことである。
それは、まぎれもなく藤村自らが最初に取ったそのポーズそのもの、座布団の上で正座し、顔をやや左に向け、左前方に視線を送る文人の思慮の深さと思想の気高さが表れた姿であった。

先般藤村像を前にした時、ぎりぎりまでそぎ落としたその寸分の無駄のない表現を私はそこに見た。
余計な言葉や飾り立てるものはなく、必要不可欠な最少にして最大の塊と面のみで強い存在感を出している。
たとえば初めてこの像に触れる人がいるとしたら、島崎藤村の人となりをその場で感じることができるだろう。
皮相な形象に囚われがちな、自己の表現のなんとも薄っぺら事かを思い知らされる。
そしてなにより、形に表れるのはその作家本人の精神の深さ、志の高さであることが問われることを。

鶴三は、子どもの絵についての研究会の講師として、この伊那谷にも何度か足を運んでいる。
その時に遺した言葉は単に芸術家のみならず、人間としての生き方の有りようを示しているようにも思える。
「感動が強ければ、おのずから素描に生命がこもってきます。」
「美を本当に美としてとらえられる感性、豊かな感性を持った人でありたいと思うのです。」
「心が明るく正直でなければ、美を美としてとらえることはできません。だから心の修行が大事です。人間が問題です。」

生涯彼は自らを学び人であるとして、制作態度を厳しく律した。
菱田春草が『制作はしたが、決して製造はしなかった』と評されたように、彼も全く同じであった。
「芸術は感動から生まれます。感動を豊かにする人間修行です。」
「芸術はまず生活を正しく美しいものにする事です。美術は生活が基礎です。」
彼の言葉を咀嚼しながら、私自身も感動の心をもって生活したいと思う。

いつかまた鶴三の作品を観に行こう。



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《雀に鴉》 ~菱田春草展~
- 2009/11/16(Mon) -
雀に鴉右隻

七五三のお宮参りで賑わう明治神宮の参道を進み、人々の流れとは少し違えてその中程で右に折れる。
そこに私達の目指す、特別展「菱田春草展」が開催されている明治神宮文化館宝物展示室がある。
幾度と観た作品もあれば、今回初めての鑑賞となるのも数点あった。
訪ねたかったのは《武蔵野》と《雀に鴉》の二つ。

《雀に鴉》は六曲一双の紙本彩色屏風である。 
一切の葉を落とした柳に群れの雀と一羽の鴉を描く。
右隻には鴉と雀の五羽が二本の太い柳の老幹に、左隻には群雀がのみがその幹としなるように伸びる枝に留まる。
静かに佇む鴉は意志を持つが如く鋭い眼光を発して、群れなす雀を見つめる。
黒い体の中を白く抜いて表した羽は、同年描かれた《黒き猫》の耳や足先の表現と同じである。
鴉の描かれた作品はこれまでにも多く観てきたが、鴉に美を感じさせる秀逸な作品の一つであることに間違いない。
雀たちに目を移すと、それぞれの位置は好き好きに、幹や太い枝そして支えきれるかどうかと思えるほどの細枝に留まる。
冬の寒い季節のことであろう、雀たちは体を丸くし、ふくら雀の姿態を見せる。
全体を離れて観る。背景にはなにも描かれない。
多くの雀がいながら、そこには音が感じられない静かな光景が広がる。
幹の灰褐色とその下方の僅かな青緑、そして雀の薄い茶以外は白黒に近いモノクロームの世界だ。
彩りの多くを排したこの表現、葉のない世界を描いた春草が求めたものはいったい何だったのだろう。
枝垂れてたわむ枝と年季を感じさせるごつごつとした幹の対比。
そして《落葉》に見られた木々の上方を切り取った独創的な表現は、さらに進められ根元さえ切り取られている。
そうすることで《落葉》にあった、地面の枯葉を視線からは取り払い、幹と枝という木の髄のみが描かれることになる。
そこにはやはり何らかの強い意図があったに違いない。
この頃、彼は「今までと方向性は変わらないが、これからは《落葉》と異なった表現を試みるつもりだ」と言っている。
この作品は彼が述べる〈異なった表現〉の具現だろうか。
何事にも動じることがないかの如き一羽の鴉は春草自身か。
とまれ、この前に立つと、息吸う音さえ憚れるような深い絵である。
この絵は第10回巽画会(1910年3月)に出品し、二等第一席となり、宮内省買い上げとなった。
その後、長く明治天皇がご愛賞された作品であったということもその由来に記されている。
翌明治44年9月、眼病と腎臓病を併発していた彼は満36歳でこの世を去る。

帰路についた大鳥居の前では、千歳飴を持った着物姿の子ども達を異国の女性達がカメラに収めていた。
原宿駅はコスプレに身を包んだ若者で溢れていた。

雀に鴉左隻
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『豹を抱くディオニゥソス』~「古代ローマ帝国の遺産」展~より
- 2009/11/15(Sun) -
ローマ帝国の美術


優しい顔をした青年の左手には豹が抱かれる。
青年は語りかけるように穏やかな眼差しを豹に向け、豹もまたそれに応えるかのように青年に視線を合わせる。
主従のパートナーなのだろう、それぞれの表情から長年連れ添った関係であることが伺い知ることができる。
ローマの昔から、ヒョウの吐息は芳香を放ち、すべての動物はこの香りに魅惑されて近寄ってくるとの伝承があるという。
ここではどのようなシンボリックな意味を持たせているのだろう。
そしてその小さな豹の体の下には葡萄が服からはみ出て今にもこぼれ落ちそうに見える。
葡萄を象徴的なモチーフとして配しているところから、この青年は葡萄酒神ディオニゥソスを表したものだという。
白大理石に刻まれた古代ローマ彫刻『豹を抱くディオニゥソス』、紀元前1世紀の作である。
初代皇帝アウグストゥスによって統一された「人類が生み出した最強の国家」ローマ帝国が成立した前後の頃である。
「秩序」と「調和」を柱に文化的都市国家を建設したアウグストゥスにより、美術史に残るローマ文化は各地の歴史と文化を融合させながらオリジナルを創出して育まれた。
狭い国土に群雄割拠の内戦が続いたイタリアは、義父カエサルを経て、アウグストゥスにより政治経済そして芸術文化において統制のとれた黄金時代が構築される。
この彫像にも彼が征服したギリシャ彫刻の洗練された表現の豊かさが受け継がれている。
表現のコンセプト、テーマ性といったものが身体の隅々までに貫かれ、豊かな表情と美しいプロポーション、カービングや研磨などの表現技術の優れた繊細さはいうまでもない。
152㎝という彫刻に於いては小品に類するが、「ローマ彫刻」の髄を我々はその中に確かに見ることができる。
ナポリ近くの遺跡に埋もれていたのを発掘したのは東京大学であったというのも時空を超えて、ローマの歴史を我々に身近に感じさせてくれる。
他に気品にあふれる『アレッツォのミネルウォ像』、堂々とした『アウグストゥス座像』そして同じく東大によって発掘された『ペプロスを着た女性像』などの彫刻、さらにはフレスコ絵画、金工芸品をも含め、古代ローマの人々の豊かに彩られた暮らしとに文化にじっくりとひたることができた。

六本木で日展を観た。遠大な時を過ぎてもローマを超えられていない。
「クラシック」という言葉は偉大な文化と同義語ではなかかと思う。
音楽にしてもしかり。

オバマ大統領が滞在した同じ日の東京は銀杏がまだ青々としていた。
歩き疲れた私を心地よい疲労感が襲い、そのままホテルのベッドに横たわって夜を迎えていた。
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『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』 ~ゴーギャン展~
- 2009/09/22(Tue) -
ゴーギャン『我々は…』

ゴーギャンは言う。
「私はこれ以上のものも、あるいはこれに匹敵するものも二度と作ることはできまいと思う」と。
当時、彼はタヒチにおいて貧困と病苦の中にあり、さらに追い打ちを掛けるように娘の死という人生のどん底にいた。
そして深い絶望の中、自らの命を葬り去ろうと決意し、全身全霊を込め遺言的な意味を持って描いたのだった。
その宗教的なタイトルが示すように、彼は自身の存在について自問自答しつつ、人の生と死についての答えを求める。

人の一生をまるで絵巻物にしたように、人生の縮図を彼の苦悩の哲学は描く。
絵は右に生の象徴である無辜な赤ん坊が眠り、そして左端には人生の終点に近づいた老婆が手を頭にする。
その間には果実の甘さを手に入れた少女、愛と性の喜びを知った若い女性、さらには幸せな家庭を持つ豊満な女性が描かれる。
背景には自らの将来を見つめるかのように立つ一人の女性と青春の蹉跌と煩悶のまっただ中にいるかのような若い二人。
どの人物も目に感情が宿っている。目が語っている。目を閉じて眠る赤ん坊すらも語らぬ多くの言葉を持つ。
島の信仰神は両手を広げ、黙って世俗の人々の全てを聴き、全てを見つめ、全てを包む。
さらには暗喩として描かれる黒い犬と白いネコ、ヤギと鳥。彼がそれらに込めた意味とは…。
全体として調和の取れた画面構成でありながら、個々のモチーフはそれぞれがきわめてシンボリックに描かれる。
文明とはかけ離れ打算も策略もない平和な土着の人々。
自然の一員として今をひたすらに生きる金儲けとは縁のない世界。
そこには一人も「男」は描かれていない。そこにいるのは彼女らを優しく見つめる彼、ゴーギャンだけ。

大きい作品である。先ず流れに沿って絵の間近で観る。さらに離れて全体を観る。もう一度前に出て部分を観る。
それを繰り返し好きな位置、好きな距離、好きな間合いで観る。満足いくまで時間を掛けて観た。
作品の上部両サイドには、装飾的な金地の中に花と讃が描かれる。
これは当時着物、浮世絵、漆器、襖絵などのジャポニズムが印象派を初めとした画家達に好まれていた影響だろうか。
重いテーマ性を持った作品だけに、観る人の足も自ずと止まる。
それが伝わってくるからこそ、人をこれだけ惹きつけるのだろう。
作品を作るということは単なる写生ではないことを、作者の心情、コンセプトがいかに大事であるかをこの作品は強く示す。

連休の中日とあってか、国立近代美術館は大勢の人だった。
外へ出ると、皇居のお濠端はカラフルなウエアに身を包んだジョギングする人たちが次々に流れていた。
神聖な空間から、またいつもの現実に戻る。

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エゴンシーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」
- 2009/06/02(Tue) -
エゴンシーレ

エゴンシーレの描く「カール・グリュンヴァルトの肖像」(1917年)である。
彼は両手を組み、見上げるように斜めに視線を送る。
微笑んでいるようにも見えるしそうでもないようにも見える。その表情は定かには捉えられない。
彼の視線の先には何があり、誰を見つめるのか、見る者に不安と哀感を伴った情感的視覚をもたらす。
椅子以外のものを確かめることのできない朦朧とした空間の中に彼は浮かび上がる。
両腕を肘掛けに置いているように見えるが、人物以外の背景はその輪郭を詳らかにしない。
黒い輪郭線を持つ人物、骨格の一部に朱を施す描写、質感を強調するかのような混ざり合った陰鬱な色彩。
心理的側面をデフォルメする独特なスタイルで描かれた晩年の特徴を示す作品である。
人の心の奥に内在する鬱屈とした感情、決して表に出してはならない内的混沌をあからさまに描くシーレ。
アカデミックに逆らい、不道徳的テーマを描き、人の求める美とは逆行するかのような表現にこだわる。
しかし、当時の美術界において「我が道を行く」異端の若き画家は非難と批判の渦の中で少しずつ居場所を築いていく。
そして1918年、個展で成功を収め画家としてその地位を確立した矢先、彼に訪れたのは忌まわしい運命。
それはヨーロッパ全土にパンデミックを起こした新型インフルエンザ。
数千万人が死亡したと言われる、いわゆる「スペイン風邪」である。
妊娠6ヶ月の妻エディットが先に冒され、シーレの腕に抱かれて死去する。
そしてその3日後、強烈な感染力はシーレにも容赦なく襲いかかり、若い命をいとも簡単に奪い去る。
享年28歳、独自の絵画言語を操り旧習に真っ向から立ち向かった反逆児は、激情と相克と苦悩の作品を残し帰らぬ地へ行く。
もし彼が長生きしていたらなどという仮定は無意味である。彼はその時を全力で駆け抜け、力尽きたといえよう。
エゴンシーレの命を奪った「新型インフルエンザ」は当時の日本においても38万人が犠牲になったと記録されている。
都立美術館で「日本の美術館名品展」を見たその週末、上野公園の周辺でもマスク姿の人が目立った。

 エゴンシーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」(豊田市美術館蔵) 『日本の美術館名品展』(東京都立美術館)

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レースを編む女(フェルメール) ~ルーブル美術館展~ 
- 2009/03/30(Mon) -
レースを編む女

『レースを編む女』は昔からなんども図版で見ている作品だ。それ故にその印象はすでにひとつのイメージとして、私の頭の中に形成されていた。しかしやはり実物は違う、本物は違うことをあらためて知る。その作品の前に立つと、誰もが息を止め言葉を閉じ、絵の隅々に視線をやる。わずか24cm ×21cmという小さな作品であることも、実は今回初めて知ることである。今風で言えばA4サイズよりもさらにひとまわりも小さい。それが見る者を彼女と同じ時へタイムスリップさせ、想像力をかき立たたせ心を引き込む。
ぴんと張られた2本の白い糸が左手の指に挟まれた糸巻きから伸びる。右手は人差し指と親指に持った針でその糸を潜らせ巻き付けてレース模様に加工しているのだろう。神経を集中しなければできない、デリケートな仕事であることがその一点に注がれる彼女の視線から見て取れる。そして糸の繋がりを瞬間瞬間に見極め、指先と手首の僅かな動きを繰り返して頭で描くデザインを形にしていく。このような光景は、当時のオランダ女性のありふれた日常であったに違いないが、それ以上にこの所作から伝わるのは家庭人としての優しさに包まれた家族愛や思邪のないひたむきな貞節である。フェルメールの多くの作品に見られるように、光の方向は明確で、それによって生まれる陰影などの明暗表現がこの絵の余情をさらに深める。彼女の顔の、例えば額や鼻、瞼が受け止める明るさ、あるいは手や指の一つ一つにあたる微妙な明るさのコントラストなど、その描写は彼の対象を捉え見つめる科学的な目の確かさと豊かで繊細な感性を感じさせる。
女性の表情と手の動きに目が奪われるが、目立たない小道具がそれを引き出していることも彼の巧みなところである。画面の落ち着いた色彩に光彩を放つクッションから垂れ落ちる白糸と赤糸。テーブルにさりげなく置かれた分厚い書物、それはきっと彼女の敬虔さと夫や家族への愛を暗示する聖書であろう。そして左手のやわらかなクッションと右に位置する直線的な作業台の質的構造的な対比。寸分の隙もなくこの絵を構成する要素としてそれらはあるべき位置に配置されている。フェルメールの構図は彼がきわめて理知的な人間であったことをも示唆する。

開館と同時に観ようと9時半に並んだときは、すでに数百人の人の列であった。入場制限されつつ入った館内は混雑していたものの『レースを編む女』ともう一つの目的であったラ・トゥールの『大工ヨセフ』の前ではゆっくりと鑑賞することができたのは嬉しい。
外へ出て桜の通りに出るとそこも人で溢れていたが、ここ数日の寒の戻りで桜の開花は止まり、5分咲きほどであった。それでもコートや厚手の防寒具に身を包み花見をしている人々の表情は春の到来のお祭り気分に満ちていた。
信州の気温とさほど変わらぬ3月末、寒さのしみた上野公園である。

花の冷えと花の重たさの下をゆく (篠原梵)
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レオナール・フジタ展 ~藤田嗣治の4章~
- 2009/01/05(Mon) -
二人の友達

藤田嗣治といえば、誰しもあの『すばらしき乳白色(グラン・フォン・ブラン)」と呼ばれる、独特の白磁を思わせる色艶の絵を思い起こすことであろう。
当時のヨーロッパに於いて最も成功を納めた「フジタの白」は、日本の美と西洋の文化の融合を独自の発想によって生み出されたものであった。
彼はそこに至る思いを次のように述べている。
「自分の細い線を現すにはもつと滑らかな、光澤のある畫布を作らなければならぬ。しかし、これは容易には發見出来なかった。けれども一つの不成功は経験となり、一つの失敗は進歩となって遂に理想的のいはゆる白カンヴァスを發見することに成功した」。(藤田嗣治畫集1929~図録より~)
今回の展覧会にはもちろんその輝く白の作品を見ることが出来る。しかし館内に踏み入れた私たちは、それは藤田にとって全てではなく序章でしかなかったことに、そしてこの展覧会が「レオナール・フジタ展」であることに初めて気づかされる。
まずその第一章はモディリアーニやスーチンらと過ごした「エコール・ド・パリ」時代とグラン・フォン・ブランの世界。憂いのある首長が特徴のモディリアーニ風の作品もいくつか見られる。
第2章は巨大な画面に描く群像表現「構図」「闘争」などの大作への挑戦である。まるでギリシャ彫刻の肉体美やルネッサンス絵画の物語性を思わせるダイナミズムが表される。フジタが古典に深く傾斜し学んでいたことがわかる。
第3章は晩年を過ごしたエソンヌでの生活人としての仕事と表現の統合である。我々はここで、彼がきわめてデリケートな表現者であること、そしてフランス国籍を取得し、カトリックへ改宗したレオナール・フジタとなったことに気づく。田舎の簡素な一軒家に落ち着いたフジタが作るのは、おびただしい数の家の模型や礼拝室、器など生活と密着した工作手仕事ので世界であった。器用な生活者としての一老人の姿がある。
そして最終章はこれまであまり知られなかった宗教画の世界である。
彼は晩年、ステンドグラスをはじめとし、生誕、十字架降下、イブ、洗礼といったキリスト教に題材を求め、最後は「平和の聖母礼拝堂」を建立する。
「白のフジタ」はいうまでもないが、4章の中で変遷していくフジタ、あくなき表現者としてのフジタ、そして初めて知った「宗教画のフジタ」に強く惹かれた展覧会であった。

「敬虔なフジタ]と過ごす時間の中で、心洗われる信仰の深い思いに触れた清々しい上野での正月であった。

磔刑 「磔刑」


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石田徹也~僕たちの自画像展~
- 2008/12/28(Sun) -
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中村橋駅を出て左手に進むと目指す練馬区立美術館があった。駅から歩いて2~3分、着いたのは3時少しをまわっていた。
28日が最終日という「石田徹也ー僕たちの自画像-展」をどうしても観たくて出かけたのである。
中に入るとさほど大きくない館内は大勢の人であふれていた。若い男女が多い。あるいは中年の女性も目だつ。

展示された70点の作品に登場するのはどれも同じ顔をした若者である。
髪は短髪で時にはスーツにネクタイ、時には裸で、彼はいつも何かを手にしたり何かに変身したりして画面に現れる。
視線の定まらないような若者の表情に笑顔はない。
むしろ多くは憂いに満ち、悲哀や苦悩の目と、声に出すことの無い言葉を飲み込んだ口が象徴的に描かれる。
絵画が単なる造形模写でないことを、心の深層を汲み上げた内なる表現であることを彼の絵は思い知らせる。
彼にとっては絵がコミュニュケーションの手段であり、一冊の思いをまとめた文章であったのだろう。
それぞれの絵の中に込められたメッセージ、あるいは視覚としての言葉を我々はそれぞれの社会経験をふまえ感じ取る。
重く暗く悲しくそして切ない絵、まるで混沌とした今の世相をまさに訴えかけているかのように。
鑑賞しながら気がついたのは、多くの展覧会に見られるような館内での話し声が聞こえないことだ。
それは観る者にある種の同時性をもった共感を与え、現下の社会状況を鋭く抉りだした若者への共鳴を意味しているのではないか。
ここで私はこの展覧会が石田の「僕の自画像展」でなく「僕たちの自画像展」という副題が付いていることにようやく気がついた。
僕たちというのは、そう、今ここにいる僕たちなんだと。

会場の一番最後、出口近くに掲げられていたのは、「文字」というタイトルの作品。
あのミイラの棺のように、眠りにつく自分の中にいくつもの自分が存在する姿を描き出す。
そして最後の一人だけが起き上がり、透明の姿で描かれる。
大きな絆創膏が貼られた左手には黒い手帳、右手には黒のボールペン。
まるで自らのこの世からの別れを暗示するかのような絵である。
享年31歳。

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「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」 ~静かなる詩情~
- 2008/11/23(Sun) -
背を向けた若い女性のいる室内

彼女はいつも後ろ姿で現れる。しかも同じ黒い服を着て。
髪は無造作にまとめられ、手や耳、そして首には一切の装飾を身につけずに。
口を開くことも、笑みを浮かべることもなく、白く塗られた壁やドアの質素な部屋の中で佇む。
光沢のあるピアノと壁に掛けられた額のダークブラウン以外、色らしい色のないモノトーンの世界。
無声映画を見るかのような音のない静かな室内。
まるで描く画家もモデルも呼吸するかすかな音さえ憚っているかのように。
水平と垂直に構成されるモチーフの中で、彼女の左腕と手に持つ盆が斜めの角度をもって絵に少しの動きと変化ををもたらす。
《背を向けた若い女性のいる室内》1904年はヴィルヘルム・ハンマースホイ40歳の作品、モデルは彼より5歳年下の妻イーダ。

展覧会を6つのテーマに分けた第三章「人のいる室内」には27のイーダが描かれる。
そのうち18の絵はすべてこのような、顔を見せない後ろ姿を切り取った作品である。
残る9枚のややおぼろげな表現に僅かに彼女の顔の輪郭を伺うことはできるのだが。
そしてまたこの絵の前に立つと、誰もが彼らの室内に入り込んだかのように口を開くことができない空気になる。
ハンマースホイも妻も、きっと必要なこと以外語らぬ寡黙な夫婦だったのだろう。絵を見るとそんな夫婦の世界すら感じさせる。

椅子の脚が3本だったり、ピアノに2本の脚しかなかったり、影が光源と逆に動いていたりと、いくつかの絵には構成としての破綻がある。しかし、この室内にあるそれらはさもそれが真実であるかのようにきちんと位置付いて存在するのだから不思議である。
実際と異なる現実より絵の世界の中の事実の方が優る表現の世界だ。

《雪のクレスチャンボー宮殿》などの建築物を中心とした風景画も心を惹きつけるものが多かった。
それもまた、多くは人物が登場せず、小鳥や荷馬車の音さえ全くしない静かな風景である。
デンマークコペンハーゲンのヴィルヘルム・ハンマースホイが演出する静かなワンダーランドで過ごした晩秋の一時。
小春日和の上野公園はまだ銀杏が青々とし、木々の下ではホームレスピープルの食事の配給を待つ長い列が続いていた。

小春日や眼底までも光たり (阿部みどり女)

室内、ピアノと黒いドレスの女性とストランゲーゼ30番地
《"室内、ピアノと黒いドレスの女性とストランゲーゼ30番地》
雪のクレスチャンボー宮殿
《雪のクレスチャンボー宮殿》



 
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