バラ(ゴールドバニーとピンクノックアウト) ~「薔薇の散策」~
- 2023/05/13(Sat) -
ゴールドバニー051

この頃読んでいたのは大手拓次詩集。
昭和九年に46歳で世を去ったこの詩人には36行の構成による「薔薇の散策」という詩がある。
たとえば次のように。

1 地上のかげをふかめて、昏昏と眠る薔薇の脣。
4 棘をかさね、棘をかさね、いよいよに にほいを育てる薔薇の花。 
12 吐息をひらかせる ゆふぐれの喘ぎの薔薇の花。
13 ひねもす悲嘆する 南の色の薔薇の花。
16 掌(て)はみづにかくれ 微風(そよかぜ)のゆめみる 未生の薔薇の花。
17 鵞毛のやうにゆききする 風にさそはれて朝化粧する薔薇の花。
18 みどりのなかに 生ひでた 手も足も風にあふれる薔薇の花。
19 眼にみえぬ ゆふぐれのなみだをためて ひとつひとつにつづりあはせた 紅玉色の薔薇の花。
20 現(うつつ)なるにほひのなかに 現ならぬ思ひをやどす 一輪しづまりかへる薔薇の花。
23 かなしみをつみかさねて みうごきもできない影と影とのむらがる 瞳色の薔薇の花。
24 ゆたゆたに にほひをたたへ 青春を羽ばたく 風のうへのばらのはな。
28 悔恨の虹におびえて ゆふべの星をのがれようとする 時をわすれた 内気な内気な ばらのはな。
32 けはひにさへも 心ときめき しぐれする ゆふぐれの 風にもまれるばらのはな。
34 微笑の砦もて 心を奥へ奥へと包んだ 薄倖のばらのはな。
36 さかしらに みづからをほこりしはかなさに くづほれ 無明の涙に さめざめと よみがへる薔薇の花。

彼の薔薇に思う心象風景なのだろう。
たしかに薔薇はその時々の自分の感情に合わせていろいろな表情を見せる。

   薔薇にそうびとの読みがあることを知った若い頃今でも時々その名で見ている (上武旋転子) 

ゴールドバニー052

ゴールドバニー053

ピンクノックアウト051

ピンクノックアウト052
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ホオズキ(枯れ鬼灯) ~三・サン・さん~
- 2023/03/01(Wed) -
枯れ鬼灯051

3月弥生。

「サン」という響きが届けてくれるもの。
それは弾む明るさ。
あるいは優しさと感謝の思い。
そして生命力。

燦燦とふりそそぐ陽光。
歌う春のサンシャイン。
神秘な自然への賛美。
温かさと愛しさの「○○さん」。

アートガーデンの一角には枯れ姿の鬼灯がある。

   春という言葉はそれだけでエネルギー心は漲り体は張る  (居山聞涛)

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ジョウビタキ(尉鶲) ~「後ろ姿」~
- 2023/02/10(Fri) -
ジョウビタキ2101

柿の木にジョウビタキ。
後ろ姿でもそれはわかる。
黒い翼に白い三角の斑。
銀白色の頭と橙茶色の腹。
しばらくの後、体を向き直し、黒い目のかわいい顔を見せてくれた。

「後ろ姿」という言葉でいつも思い出すのが幸田露伴の文章の一節。

『後ろ姿の香る』
香木を焚くとそのまことの芳しき気は、煙のまだ少しも立ち上らぬ先に迸りでる。
人の心の匂いその人のもまた同じである。
その人の一念が私に向かい、まことに美しきときは、その人が口を開いて言葉を出さずとも、身をもって行いを示さなくても、自ずとその優しき美しきさは溢れ迸り、私の胸に浸み透る心地がする。
この心の匂いをいつも備えている人こそまさに徳のある人というのであろう。(『洗心録』より) 

自分の後ろ姿は人に何を発しているのだろう。
今更過去は上書きできないが。

   柿の木に冬鳥がいる食べものはあるのかと心配した  (居山聞涛)

ジョウビタキ2102
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シャクナゲ(石楠花の冬芽) ~表紙で判断しない~ 
- 2023/01/17(Tue) -
石楠花の冬芽051

昨日目にした言葉。
「本の表紙で判断しない。中身をじっくり見ないと……」

たしかに。
作る方、売る方は人の注意をひくようにさまざまに工夫して装幀する。
私も何度か経験がある。
買って、数ページ開いてから、がっかりしたことが。
先を読むことをやめたことが。
すぐに処分したことが。

それは人についても言えることかも知れない。
表面だけを見てすべてを判断してはならない。
その人の真実は見えないところに隠されていることがある。
明るい振る舞いの中に涙の苦悩があったりする。
爽やかな笑顔の裏に悲しみの過去を抱えていることがあったりする。

石楠花にたくさんの花芽。
咲くのは4月の初め。
素敵な花を咲かせるには冬の過ごし方が大切。

    「じゃあお願いね」と家人は4泊5日の旅に出かけた料理のできない私  (居山聞涛)

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                                     2021年4月3日
石楠花202104032
                                     2021年4月3日
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心の色 ~蕗谷虹児『銀の吹雪』~
- 2023/01/14(Sat) -
蕗谷虹児『銀の吹雪』2

蕗谷虹児の『銀の吹雪』の中に「心の色」という詩がある。

 吐息は水色
 涙は紫
 そして悲しみは青みどり
 微笑(ほほえみ)は黄いろ
 笑(ひ)は赤
 そして喜びは
 桃黄(ももき)色
 嫉妬(ねたみ)は灰色
 恨(み)は眞黒(まっくろ)
 色めちゃめちゃの
 怒りの色

喜怒哀楽、あるいは感情を表す色として。
「そう」と頷くか、それとも違う色に変えるか。

心の中にある思いを。
抑えて、押さえて。
飲み込んで。
包み隠して。
顔にその色が出ないように。

   目が覚めたら雨だった一月の暖かな朝2時45分お茶を飲んでいる  (居山聞涛)

蕗谷虹児『銀の吹雪』挿画1

蕗谷虹児『銀の吹雪』挿画2
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ツグミ(鶫) ~「唯一の失敗とは……」~
- 2022/02/14(Mon) -
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ラジオから耳に入った言葉です。

「唯一の失敗とは挑戦しないこと」
「誰かの靴で歩くより自分のサンダルで歩きたかった」

誰が語った言葉だったかは覚えていませんが、頭に残っています。
しないこと、できないことの言い訳はしないことです。
人のせいにしないことです。

柿の木に鶫もやってきました。

   柿に鶫がいる素足で冷えないのか私は使い捨てカイロを貼っているというのに   (居山聞涛)

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サイネリア(cineraria)  ~隠忍し春を待つ~
- 2021/01/26(Tue) -
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重く
辛く
苦しく
悲しく

でも冬の枯れ野にも必ず緑なす春が訪れるように

明るく
楽しく
喜びの
輝く光の

先人たちが幾多の困難を乗り越えてきたように

耐えて
屈せず
強く
静かに
前を

“人”は互いに互いを支え思いやり寄り添い


玄関にサイネリアを移した。

   寄り添う心を持てと人字一月の雨  (居山聞涛)

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サイネリア033

サイネリア034

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ポニーテール(観葉植物トックリラン) ~「The Hill We Climb(私たちがのぼる丘)」~
- 2021/01/24(Sun) -
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米大統領就任式で22歳の詩人アマンダ・ゴーマンさんが自作の詩「The Hill We Climb(私たちがのぼる丘)」を朗読した。
その未来に向けた力強く希望に満ち、心に染み入る美しいパフォーマンスをCNNの映像で見た。
そして翌日和訳された全文を読んだ。

“嘆きながらも、私たちは成長した。”
“傷つきながらも、希望を抱いた。”
“疲弊しながらも、挑戦した。”

社会について、国家について、政治について問いかける。
平和とは、国民とはと呼びかける。

“慈悲と権力を、権力と権利を私たちが融合させれば、愛が私たちの遺産になる。”
“そして、私たちの子どもたちが生まれ持って得るものが変わるだろう。”
“だから、私たちに残された国よりも良い国を残そうではないか。”

結びの言葉を聞きながら、あの、白黒テレビ時代に、雄弁に語りかけていた同じ国の若き大統領を思い浮かべていた。
“光はいつもそこにある。私たちに、光を見る勇気があれば。”
“私たちが、光になる勇気があれば。”


昨日は雨の日。
外に出ずの一日。
私の部屋にはポニーテール。
同じ場所で10数年の生き方をじっと見られて。

   北風にたちむかうその場所この時間   (居山聞涛)

ポニーテール032

ポニーテール033
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シンビジウム(Cymbidium・“In The Mood”) ~言葉のあや・「スピード感」「緊張感」~
- 2021/01/19(Tue) -
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 〈知者のごとく思索し、しかしだれもが使う言葉で語れ…ふつうの言葉を用いて、非凡なことを語りなさい〉
これはドイツ文学者のショーペンハウアーが文筆を仕事にする人に向けて述べたもの。

定期購読している月刊誌に言語学者金田一秀穂氏の「巷のにほん語」という連載のコラムがある。
まさに時宜というか世に現在進行形として流布する言葉を俎上に乗せて辛口に論評する。
そして誤用の問題や元来の意味についての本質を歯切れ良く断ずる。

以前、「スピード感」をテーマにした時は次のようになる。(部分の抜粋)

   《速いようにみえるようにしたい》
この頃、「スピード感を持って解決したい」という言い方をよく聞くようになった。なんだか変だ。(略)
「スピード感を持って解決したい」というのは、「速いように見えるように解決したい」ということで、本当に速いかどうかは置いておく、見ている人がどう思ってくれるかを気にしています、という告白である。それでは困る。(略)
「緊張感を保ってしっかりと検討したい」、「緊張感を持って事に当たるように指示した」と言っている大臣はどう思って緊張感という言葉を使っているのだろうか。(略)
   《緊張感はカッコいい》
緊張感は緊張しているわけではない。(略)
しかし、緊張感を持ってと言うと、何やらカッコいいように思える。軽薄である。
ほんとうに素早くやってもらいたい。見せかけでなくやってほしい。手抜きせずにしてほしい。
見てくれは忘れろ。見せ方はどうでもいい。
実質が問題なのだ。それを私たちは見ているのだ。

ざっとこんな感じ。

たとえば具体的かつ、平易で明快な言葉を用いて、誰にも見通しが共有でき、納得できるように。
ときには表情豊かに感情を込め、要点を絞って、暖かさと思いやりを持って向こう側にある目と耳に呼びかけ訴える。

“人の振り見て我が振り直せ”と、自戒しつつ。

   もうだいぶ時が過ぎたと思うほどにまだこの一月 (居山聞涛)

シンビジウム・インザムード0322

シンビジウム・インザムード0333

シンビジウム・インザムード0334
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正月(一月一日) ~「一足一足……」~
- 2021/01/01(Fri) -
久保田米僊・富士松原 (2)

新春飾りとともに、部屋には久保田米僊の「富士松原」を掲げる。

中腹に雲がかかる冠雪の富士が悠然と構え、その下には田子の浦そして駿河湾が広がる。
左手の岩肌の上に松が見える辺りが三保松原だろうか。
浜辺にはいく艘もの小舟、岩陰には帆を畳んだ船、遠くには霞んで帆掛け船と、長閑な漁村の風景が描かれる。
雄渾な筆遣いと繊細な描写によって、海と山の静かな空気とゆるやかな人の時間が映し出される。

見て、そびえる富士の如く、広き深き海の如く、青きたくましき松の如くにと、自分の来し方を見返し、心新たにする。

さても年改まるも、魔物のような恐禍は人の世を無慈悲に襲い続けている。
いっそう身を引き締め、心鎮め、己を律して「一足一足山をも谷をも踏み越えよ」う。

   年改まり人改まり行くのみぞ  (高浜虚子) 

西尾実「一足一足……」
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ミニカトレア(minicattleya)~今の一点~
- 2020/12/22(Tue) -
ミニカトレア021

 どんなに過去がよくても、今が駄目なら駄目なんですね。
 反対にどんなに過去が駄目でも、今がよければよいのです。
 つまらない過去をますますつまらなくするのも今の生き方にかかっているのですし、
 つまらない過去を肥料として転じて、みごとな花を咲かせるのも、今の生き方にかかっているのです。
 さらには、とても開きそうもない未来という固い扉を開くのも、今の生き方にかかっているし、
 逆に開かれた扉もしまり、敷かれたレールを消してしまうのも、今の生き方にかかっているのですね。
 古人は「一大事とは今日只今のことなり」とおっしゃいましたが、今という一点の連続が生涯となり、
 また永遠ともなるものであり、
 勝負は、見据えるべきは、どこまでも今の一点なんですね。
                                        ( 青山俊董著 『花有情』冬の章より)

十二月とは思えないような、真冬並みの厳しい寒さが続いています。
庭の甕にも厚い氷が張ります。
でも心だけは氷らさないようにしなくては。

   朝寒(あさざむ)や生きたる骨を動かさず (夏目漱石) 

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バラ(薔薇・モーツァルト) ~もの思う刻~
- 2020/06/14(Sun) -
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六月のある日の目覚めのあとに、ふと過去の物語を捲る。

胸の奥深くに幾重にも秘された想い。
季節ごとの光と風の中で交わされたことばの香り。
あるいは清貧と欲望。
あるいは他人と自分へのダブルスタンダード。
あるいは多重人格。
私は私でいて決して私ではない罪と罰。

そしてまた、何事もなかったかのように今日も日常を営む。


中を白にする小さなピンクの薔薇が房状にたくさん咲く。
それはモーツァルトといったか。

   激怒する体温の渦バラの季節  (佐藤鬼房)

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ムラサキナバナ(紫菜花)  ~遠くて近きものは~
- 2019/05/09(Thu) -
枕草子

枕草子を読み、写す。

ものことひとへの見方、とらえ方、感じ方。
その視点や角度。

 遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。 (第一六七段)
  ※遠くて近いもの 極楽。舟の旅路。男女の仲。

 ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。 (第二六〇段)
  ※ひたすら過ぎ行くもの 帆をかけた舟。人の年齢。春、夏、秋、冬。


ムラサキナバナが広がる。

    一語得し心の小径風青し  (島崎晃)

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紫菜花193
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『命といふもの』 ~「生きている限り未熟です」と語る信念の画家~
- 2019/02/09(Sat) -
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 「堀文子展」~命の不思議~を観てきた。
 中に入るとすぐに、震えるような不思議な感覚を覚えた。
 緊張感をもって観なくてはならないような張りつめたものを求められる空間が漲っている。
 その感動をどう伝えればよいか、うまく言葉に乗せられない。
 1枚1枚の絵に堀文子その人の心と顔がある。
 御年94歳、今なお現役の画家である。

 『花吹雪』は丁度今頃の桜が花びらを散らせていく様子を描いたものである。
 画面から花びらが飛び出して、今にも頭や肩に降りかかりそうな、そんな空気感がある。
 桜の木にある花ははきわめて装飾的であるが、散る花びらは写実的で空に舞い上がり、地に落ちていく。
 風や音すら感じさせる。
 私もこのような、心の振り子を振幅させる絵を描きたい……。

 清められた思いの小一時間を過ごして美術館を出る。
 善光寺界隈の桜はまだ固い蕾のままである。
                             -2012年(平成24年)4月-


昨日の新聞で知った。
堀文子さんが5日に亡くなられたことを。
画家として人生の先輩として、尊敬し私淑していた。

画文集と展覧会図録を広げて偲ぶ。
 私に必要なのはますます深まる生命の不思議を見つめる感性を研ぎ、日々の衰えを悔い止めることなのだ。
 残り少なくなった私の日々は 驚くこと、感動すること、只それだけが必要で、知識はいらない。
                                                         (『堀文子画文集 命の軌跡』より)
 私が確かに生きている今日、全身全霊を傾けて、考え、嘆き、感動する事のできるのが今(現在)なのだ。
 過ぎた昨日には戻れず、明日の未来はどうなるか見当もつかない。
 季節も変わり、雲行きも月の形も、思い掛けない出来事も一日として同じ日はない。
                                                (『堀文子画文集 命といふもの第3集 名もなきものの力』より)
 刻々と失われていく身心のエネルギーの目減りを防ぐのは自分自身の力でしか出来ない事だ。
 人の助けで埋められるような生やさしいものではないのである。
 私は私の手足で働き、私の頭の回線を使うしか方法はないのだ。
                                       (『堀文子画文集 トスカーナの花野』より)
貫かれる強い信念。
また一つ美しく大きな星が光を落とす。

   潮満つるごとくに二月訃多し (轡田進)

堀文子193

堀文子192
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初日の出 ~かじかむ手を合わせ~
- 2019/01/01(Tue) -
2019初日の出5

年改まる静かな朝。

午前7時24分、赤石山脈に初日。

歳加わる清々し朝。

相応の初心、新たな心。

まばゆい厳かな朝

かじかむ手を合わせる。

   年改まり人改まり行くのみぞ  (高浜虚子)

2019初日の出1

2019初日の出2

2019初日の出3

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サザンカ(白山茶花) ~生きる~
- 2018/12/15(Sat) -
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新語・流行語大賞が発表され、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」がベスト10入りしたという。
私はテレビをあまり見ない。
でもそれがテレビ番組のタイトルであることと、それ発する女の子の名前は知っている。
始まった頃に家人が見ているのを一緒になって2度ほど見たことがあるから。

最近読んだり、聞いたりした「生きる」。

 生きる、ということは徐々に生まれることである。(サン=テグジュベリ)
 生きるとは行動することである。ただ呼吸することではない。(平塚雷鳥)
 どれだけ生きたかではなく、どのように生きたかである。(18年度サハロフ賞・ウクライナ人映画監督オレグ・センツォフ氏)

私はボーッと生きているつもりはないが、外を眺めつつボーッとする時間があるのもいいとは思っている。

花芯と外の花びらをほんのり紅く染める白いサザンカがある。
ものによってはそんなちょっとだけがいい場合もある。

   つましく暮らし山茶花のうすべに  (兼崎地橙孫)

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サザンカ(山茶花・朝倉) ~言葉は…~
- 2018/12/07(Fri) -
朝倉187

岡井隆さんが短いコラムの中で書いていた。

  『言葉は病める心の医者である。』 (ギリシャのアイスキュロスの言葉)

 言葉は、しばし人の心を傷つけることがある。
 そういう体験を重ねて来ると、ある日「言葉」は「病める心」にとって癒やしでもあるのだと思うことができる。
 そういう時の「言葉」はやはり、相手のことを気づかうやさしい心から発せられている。

自分の場合はどうであったか。
振りかえる。


白い山茶花の朝倉は朝陽が一番最初に当たる場所にある。

   山茶花に咲き後れたる白さあり  (宮田正和)

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朝倉185
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サザンカ(白山茶花) ~「香厳撃竹」『清風拂無塵」~
- 2018/12/01(Sat) -
白い山茶花181

禅の言葉が目に留まる。

 香厳撃竹(きょうげんげきちく)
  「一つのことを毎日続ける」

解説は次のように記す。

 真理を求めようと墓守をしていた香厳和尚が、掃き掃除をしているときに小石が竹に当たり、
 その音がきっかけで悟ったという話があります。
 この話のように、一つのことを、心を込めてやり続けましょう。
 毎朝、一か所掃除するだけでも、毎日続けることで生活の基礎となります。

同じページにもう一つ。

 清風拂無塵(せいふうはらいてちりなし)
 「見えないところこそ、掃除を」

 心にかかる塵や埃がなくなれば、一点の曇りもないきれいな心だけが残ります。
 それは掃除においてもいえることですが、見えないところも同じです。
 棚の上や、床と家具の隙間、さらにはパソコンのフォルダの中味や机の上の書類も整理するようにしましょう。

こつこつと続ければ。
見えるるものがある。
分かることがある。
できるようになる。

行き届かない所、面倒なことこそ意識しておこなう。
溜まる塵、増える物をこまめに片付ける。
それは物質だけでなく、精神でも。

きょうもまた本から言葉をいただく。 (-『禅の言葉 100』より-)

冬の日を浴びて白い山茶花がある。

   山茶花の純白を行く背中かな  (佐伯のぶこ)  

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クジャクアスター(紫孔雀アスター) ~「喜び」そして「良き敗者」~
- 2018/09/16(Sun) -
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先般、新聞のコラムに書いてあった。
Naomiの名は古く旧約聖書に出てくる女性の名前で、その意味は「喜び」を示すと。

そして今“なおみ”は、日本中の人々の心を掴み「喜び」を与えてくれたキュートでチャーミングな若いアスリートの名。
全米チャンピオンを獲得したその実力とコメントの愛らしさに田舎の小父さんもすっかり魅せられてしまった。

翻って、試合中の様子や表彰式の様子が何度もリプレイされるのを見るのにつけ、勝者、敗者とも、お互いに激しく戦いあったことをリスペクトし合う『ノーサイド』と『スポーツマン』精神を思わずにはいられなかった。
決勝でのプレーもチャンピオンという名称も表彰式のセンターでの祝福もどれもが彼女にとって「初」の輝かしい喜びだった……。

思い出したのは、同じ新聞の今から10数年前のコラムにあったグッドルーザーという言葉。
メモが一部分だけしか残っていないので何の試合のどんな状況に対するものかは不明だが。

 スポーツは勝敗の世界だが、勝敗を超える価値がある事の教え。
 福田氏は「グッドルーザー(良き敗者)であれ」とも説く。
「勝者は余り性格を現さないが、敗者はよく性格を現す」
 「堂々として潔く、勝者に笑顔で対する態度こそグッドルーザーである」と。

新たなヒーローにはぜひほかの4大タイトルの頂点にも立って貰いたい。
それはきっと近いうちに現実なものとなるであろうと期待される。
この先、笑顔の素敵な彼女の活躍から目が離せない。

そう言えば昔ヘドバとダビデというイスラエルのデュオが歌ってヒットした曲のタイトルも「ナオミの夢」だった。
まるで関係ないが…。

庭の隅には薄紫のクジャクアスターが咲き出した。

   山国の秋迷ひなく木に空に  (福田甲子雄)

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紫クジャクアスター183
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アジサイ(紫陽花) ~知る者は言わず~
- 2018/07/05(Thu) -
赤紫手毬紫陽花181

昨日の本の1ペ-ジにあった老子の言葉。
「知者不言、言者不知。」(知る者は言わず、言う者は知らず)
“本当に真理を理解している者は言葉少なであり、おしゃべりが過ぎる者は何も分かっていない”と。
そういえば人の話し方やその様子について良寛さんも戒めていたのを思い出す。
 一 ことばの多き
 一 口のはやき
 一 話の長き
 一 ことごとしく物言う
             (『良寛戒語』90箇条より一部)
省みる。

素敵な俳句を見つけた。
  
   紫陽花を手折て君の心摘む (尾上有紀子)  

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ヤエガクアジサイ(八重額紫陽花) ~「手考足思」~
- 2018/07/01(Sun) -
八重額紫陽花180

暦を捲れば今年も後半。
できたこと。
できなかったこと。
これからするべきこと。
しなくてはいけないこと。

浮かぶ「手考足思」の言葉。

  美しや蒼黒き溝額の花 (山口誓子)  

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ムラサキハナナ(紫花菜) ~母からの手紙~
- 2018/05/14(Mon) -
母の手紙181

今でも母からの手紙をいくつもとってある。

 「そちらのほうはまだ寒いんでせうか」
 「わずかですがお金いれてあります。〇〇へくる時の旅費の足に出来れば何よりに存じます」
 「この所文字などわすれかけておりますので理解のほどお願い致します」
“せうか”と尋ねる年老いた母の仮名遣い。
そして少しの蓄えの中から帰省の旅費にとの母心。
その中にはなかなか逢えない息子の顔を見たいという思いが。

この手紙からしばらくして母は紫雲の国へ。


五月、サトウハチローの詩を読みつつ母を追懐する。

  〈かァさんの手紙をよみました〉
 かァさんの手紙をよみました
 あて字ばかりの手紙です
 「からだを大事になさいね」が
 ずらりならんでいました
 返事は出さないことにきめました
 又「からだを大事にね」が
 ならんでくるからです

  〈五月と母〉
 かがやきを/さらに青葉にそえてゆく
 五月の雨はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき
 コバルトを/川の水面にときながす
 五月の空はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき
 やわらかに/夜のわが家をおとずれる
 五月の風はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき

  〈いつでもおかあさんはおかあさん〉
 話をしていると かあさんは/五月のみどりを まきちらす
   おつかいがえりの かあさんを/つばめが何度も ふりかえる/ふしぎにつばめが ふりかえる
 悲しい時にも かあさんは/五月の明るい 顔をする
   いっしょにあるくと かあさんの/肩にはかげろう はずんでる/ふしぎにやさしく はずんでる
 ねんねの唄にも かあさんは/五月の小鳥の 声がある
   夜更けの窓には かあさんを/いつでもみている 星がある/ふしぎにみている 星がある 

  〈母を慕う〉
 母を慕う/吾が心 すなおなり
 母にそむく/吾が心 いがむなり
 このふたつ/いつも母の姿につながり
 からみあいて この年までつづきぬ
 あわれにしておかし


少しの時間、子どもに戻り母の面影と過ごす五月。

   母の日の母の遺影の髪ゆたか (友田直文)

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セイヨウシャクナゲ(西洋石楠花) ~五月に~
- 2018/05/11(Fri) -
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古いノートにあった。

 野も山も草も木も
 生命力のみなぎる五月
 さわやかなそよ風は
 悲しみも苦しみも運び去る
 青葉は私に生きる希望を教える
 小鳥は私に歌を教える
 花は優しくあれと告げ
 青空は心を広く持てと言う
 雲は夢を抱けとささやく
 雨は深く考える事を教える
 風は強く生きる事を教える
 人は私に悲しみを与えるが
 大自然は私に無限無数の喜びを与えてくれる

今から17年前に探鳥会で山に登った際、途中の碑に書かれていた。
誰が詠んだのかはしらない。
五月はまさにそう。

玄関横では西洋石楠花が開き始めた。

   石楠花によき墨とゞき機嫌よし (杉田久女)

西洋石楠花182

西洋石楠花183

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ヤエオダマキ (八重苧環) ~2年前の今日~
- 2018/05/10(Thu) -
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2年前の今日、私は自身のイベント初日を迎えていた。
大勢の知人友人の支援と助力によって、開催にこぎつけることができた感慨ひとしおの貴重な体験だった。

その日、《五月の風を受けながら居る》というタイトルのついた文を一人のホテルで書き残した。
あらためてそれは胸に流れ来る大きな喜びと昂揚感に包まれた時間と空間だったことを思い起こす。

  思い出す様々のアルバムの中に今私は身を置く。

  ああ、いい風だ。
  ああ、いい香りだ。
  ああ、いい景色だ。

  そうだ、私は今子どものころに戻っている。

  夢。
  現実。

  過去。
  これから。

  今私は五月の風を受けながら、ここにいる。
  ここに。

多くの来場と温かい励ましを頂戴して10日間が無事に終わった。
そして私のこれまでの歩みの中でも記念すべき大きな出来事の一つとなった。


時が経過し、ややもするとその時の熱い思いを忘れてしまっている自分がいる。
今一度、その意味と決心に立ち戻らなければと反省する。

歳の節目となる三年後にもう一度、そんな思いも沸々と…。

  おだまきや老いゆく夫の歳を追ふ  (岩城のり子)
 
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ラベンダー ラッフルズ(lavender) ~『二十歳のエチュード』~
- 2018/05/09(Wed) -
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学生の頃購入した本で、未だに書架に並ぶのがいくつかある。
先日、あるきっかけから思い出して取り出したのは『二十歳のエチュード』。
著者は19歳で自死した原口統三。
だいぶ色褪せ、破れもあるその文庫本を少し捲ってみた。
何ヶ所かに鉛筆で線が引かれているのは、そこにある文言に惹かれるものを感じ、何かを考えていたのだろう
松本城近くの学生宿で、横たわりながら読み耽る青い自分の姿が甦る。

捨てる物と捨てられないもの。
この頃、なぜか若かりし日々を追想することが多くなった。

沖縄は早くも梅雨入りだとか。

  初夏の山立ちめぐり四方に風 (水原秋櫻子)

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ヒメリンゴ(姫林檎) ~少年の日の思い出~
- 2018/04/25(Wed) -
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このところ、少年の頃のことをよく思い出す。

一面に白や朱の花が広がる野原で遊んだこと。
コウモリの棲んでいた薄暗い洞窟を友と探検したこと。
珍しい蝶を探し求めて林の中に入り、網で捕獲したこと。
カタバミの葉を絡めて引き合い相撲をしたこと。
桑の実をポケットに入れ、食べながら歩いて家についたとき、白シャツが青く染まっていたこともあった。
いろいろの名前は忘れる一方だが、こうした思い出はクリヤーな映像となって浮かぶから不思議だ。
学校生活でのいいことわるいこと含めてのあれこれも。
『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ)が教科書に載っていたその前後の頃のことである。

「過去を振り返ることが多くなると歳を取った証拠だ」と言うが、たしかにそうかもしれない。

信州の花の春もさらに進む。
見れば姫リンゴにも花。

  白雲や林檎の花に日のぬくみ  (大野林火)
 
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カタクリ(片栗の花・かたかごの花) ~『センス・オブ・ワンダー』~
- 2018/04/07(Sat) -
センス・オブ・ワンダー

この春のある日、その書名と著者名を目にした時、読みたいと思った。
『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン著)。
注文した。
さほどの日数もなく届いた。
すぐに開いた。


子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。
残念なことに、私たちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私達が自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。
しかし、目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。
見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとした ら?」と。                                                    (部分を抜粋)


その日のうちに読み終えた。
書架に入れて大切に残す本となった。

片栗の花も咲いた。
たとえば少女のスカートが風に煽られて翻るようにして。
その周りに桜の花びらも舞い落ちる。

   かたかごの花の辺ことば惜しみけり  (鍵和田秞子)

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クチナシ(梔子の実) ~“老い遅れ”~
- 2018/02/04(Sun) -
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“老い遅れ”とは作家黒井千次さんの言葉。
昨年の今頃読んだ雑誌の中にあった。

 年齢が進めば、だんだん老人になる、衰えてゆくのは自然なことで、逆らってはいけない。
 というか、逆らうことは本質的にはできない。
 あっちが壊れ、こっちが壊れたりするのは辛いことではあるけれども、それが自然だとしたら、受け入れてゆくより仕様がない。  
 そのほうが人間らしいんじゃないでしょうか。 
 その逆の格好で、老いるべきときに老いていかないと、それは何か欠けていることになりはしないだろうか。
 静かに、間違いなく老いてゆく。
 それを課題に老年を生きるのなら、“老い遅れ“に気をつけたほうがいい。
 負け惜しみではなく、そう自分に忠告したいわけです。
 理想をいえば、健やかに老いてゆくというのが一番だと思います。

寒さ極む中に梔子の実がある。
実りを成して熟すもなお黙考するかのように。

年齢は常に初体験、健やかに老いてゆく…と自分へ。

  冬深き志野の湯飲みの肌ざはり (大場美夜子)

クチナシの実182
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クジャクアスター(孔雀アスター) ~自分の心の中に庭を持とう~
- 2017/09/15(Fri) -
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ある本の中に“自分の心の中に庭を持とう”という言葉があった。
季節感とともに生活に彩りを添える心の庭…。

いい日秋日和。
庭の隅にはクジャクアスターが顔を出している。

  川音の空よりひびく秋日和   (村山たか女)

クジャクアスター812

クジャクアスター813
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ガイラルディア(天人菊)  ~「へ・い・わ」~
- 2017/08/15(Tue) -
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内側に赤褐色、外環に黄色の花はガイラルディア。
植えてからもう10年近くなる。
それからこうして毎年、暑いこの時期にたくさんまとまって咲く。

実は植えた折にはこの花の名前を知らなかった。
いろいろと検索し調べる中で、それがガイラルディアであり、和名に天人菊とある事が分かった。
そして別に「特攻花」と言われているとも知った。
忘れぬように短い文にして残しておいた。

 昭和20年夏の夜明け、喜界島からは多くの若者が沖縄へ向け飛行機で飛び立った。
 島の娘達は彼ら特攻隊員等に花を手渡し見送った。
 花を道連れにするのは忍びないのか、ある者は窓から落とし、ある者は滑走路にそっと置いたという。
 決意の若者へ、娘の祈りともに渡されたのが「天人菊」であった。
 「お母さん」と叫びながら搭乗していく若者達は、程なくして「天人」になった。
 今、その島では当時のままにその花が咲き続けているという。
 そんな悲しい歴史を伝える花である。

周りをやさしく包む黄色は島娘、中の濃い赤は覚悟の若者…。
八月、そんなことを思いながら風に揺れる花を見る。

   いつまでもいつも八月十五日  (綾部仁喜)

天人菊172

天人菊173
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