カリン(花梨) 〜働くということ〜
- 2009/11/24(Tue) -
カリン

若い頃からの記憶である。

「働くとはなあ、はたをらくにさせることなんだ。」
「周りの人を楽にさせること、それがはた楽なんだ。」
「はたとはね、【端・傍】のこと、つまりかたわら、そばという意味だ。」
「丁寧に仕事をすることで、みんなが楽になる。」
「自分が汗をかけば、人は汗をかかなくて済む。」
「自分が手を抜けば、そばの人(はた)が苦労し困る。」
「自分が一所懸命にやることでみんなが気持ちよく仕事ができるようになる。」
「そしてお互いがありがたい気持ちになる。それが働くだよ。」
「字を見てご覧。人(イにんべん)が動くと書くだろ。」
「その意味は人のために心と体を合わせて動かすということだよ。」

本で読んだのか、先輩の言葉だったかの詳しいことは忘れた。
「勤労感謝の日」の昨日、そんなことなどを思い出しつつ、持ち帰った仕事を進めていた。
私ははたらくように働いているのだろうか。

天気に誘われてパソコンの手を休め、息抜きに庭へ出る。
青空の下では花梨がたくさんの実を付けている。
今年はいつになく豊作だ。
すでにいくつかは落下し、枯葉の上にある。
砂糖漬けかそれとも蜂蜜漬けか、いや果実酒がいい…。
しかしどうやら今年もその香りを楽しむだけになりそうだ。
なかなか加工し、利用するまでには至らない。
毎年のこと、部屋の中と私の車を潤す芳香剤となるのが一番の役割である。

    花梨の実高きにあれば高き風 (池上樵人)

かりん

花梨




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新美南吉 〜土産は甦るピュアな心〜
- 2009/11/23(Mon) -
牛をつないだ椿の木

少し色褪せた文庫本がある。
新美南吉著『牛をつないだ椿の木』(角川文庫)の定価は200円。
初任の地で求めた本だ。
奥付には昭和47年12月30日 10版発行とある。
収められているのは「ごんぎつね」「てぶくろを買いに」「花のき村と盗人たち」「牛をつないだ椿の木」など。
「おぢいさんのランプ」の棟方志功が描く初版挿絵も載る。
中でも「屁」を何度も繰り返して読んだ記憶がある。
働き始めたばかりのまだ若かった遠い昔のことだ。

その文庫本を持って昨日、愛知県半田市にある新美南吉記念館に出かけた。
今でも多くの人々に愛され、絵本となって版を重ねる彼の作品が入り口には並ぶ。
動物や普通の人々の生活を通して描くメルヘンと叙情、愛と命と心。
いいこと、ただしいこと、すばらしいこと、うつくしいこと、やさしいこと、それらが主題として貫かれる。
南吉の物語を読むたびに考える。昔の人はなぜもこう純なのだろうと。

当たり前が当たり前でなくなっている昨今、勝ち組、負け組などという悲しい言葉。
「人のため、尽くす、支える、もてなす」という思いは…。
いかに「早く、多く、効率よく」が「本物の伝統や職人の技や地道な努力」より優る。
偽りで儲けに走る著名な料理や銘菓の店、そしてタケノコやウナギ、フグ、米までも。

8歳にして養子に出されるなど、幼少の頃から波瀾万丈の生涯を送った南吉。
病苦と闘いながら強固な意志を持った教師と作家を両立させた南吉。
30歳を前に世を去った若き童話作家の足跡に触れながら、しばし私も青年期の自分に還る。
懐に持つお土産は温かい気持ちとピュアな精神と懐かしさ。

外に出ると、家々のモミジはようやく色づいたばかりで、多くは青々としていた。
コスモスの彩りとたわわな蜜柑が知多の道沿いに続く。
海の見える半島はまだ秋のさなかだった。

深秋や身にふるゝものみないのち (原コウ子)

牛をつないだ椿の木奥付け   よみがえるあの頃 

南吉像   また今日も己を探す
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フユザクラ(大阪冬桜) 〜念ずれば花ひらく〜
- 2009/11/22(Sun) -
大阪フユザクラ

眞民さんは詩に書く。

 念ずれば花ひらく

  苦しいとき
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった     『坂村眞民自選詩集』より

母親の姿を見て眞民さんは優しく育った。
母親の姿を見て眞民さんは強く育った。
母親の姿を見て眞民さんは清く育った。
母の言葉は子の道標(みちしるべ)となって生きる。

小春の庭に冬桜が咲いている。
冬間近に白い八重桜。
久しぶりにのんびり過ごす私の週末。
そんな長閑なティータイムに母から電話がある。
「用は何もないのよ。ただ声が聞きたかったから」と。
「寒くない?今そちらではどんな花が咲いているの」と。
私にもたくさんの母の言葉が故郷という引き出しの中にある。

冬ざくら光の中に母待たす (守田季由)

大阪ふゆざくら

大阪冬桜
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二度とない人生だから 〜眞民さん〜
- 2009/11/21(Sat) -
霜菊

久しぶりに眞民さんの詩集を開いた。
美しいというわけではなく、巧みというわけでもない。
洗練された韻があるわけでもなく、整った形があるわけでもない。
しかし、言葉は詩を遊んでいない。
誠実な文字が綴られ、深さがあり、豊かさがある。
正直で温かい呼びかけがある。
小さな命にも耳を澄ませ、慈しみの眼を向け、やさしく広げる手がある。
清らかで崇高だ。
心が洗われ、心が救われる。

 二度とない人生だから/一輪の花にも/無限の愛を/そそいでいこう
 一羽の鳥の声にも/無心の耳を /かたむけてゆこう

 二度とない人生だから/一匹のこおろぎでも/ふみころさないように/こころしてゆこう
 どんなにかよろこぶことだろう
   (略)
 二度とない人生だから/つゆくさのつゆにも/めぐりあいのふしぎを思い/足をとどめてみつめてゆこう

 二度とない人生だから/のぼる日しずむ日に/まるい月かけてゆく月
 四季それぞれの/星々の光にふれて/わがこころを/あらいきよめてゆこう
  (略)
                       『二度とない人生だから』(坂村眞民自選詩集より)

私は眞民さんにはなれない。
でも眞民さんのように生きたいと思う。

   燈火親しもの影のみな智慧もつごと (宮津昭彦)

じょうびたき

セキチク

冬の野菊
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キク(菊) 〜きくの歌〜
- 2009/11/20(Fri) -
菊74 (1)

日本の 秋を
かざる花
清い かおりの
きくの花          「きくの花」二番から

しみじみとした可愛い歌だ。
私達の子どもの頃は、菊といえばこの歌を思いだし、だれもが口ずさんだ気がする。
今、この歌を知っている子どもはどのくらいいるのだろう。
いや、大人でも歌える人は少なくなっているかも知れない。

キクという音の響きには長い日本の歴史や人々の生活との繋がりを感じさせる。
春の桜に秋の菊は日本の美しい景色の象徴であろう。
ところで菊はもともと日本固有の花と思っていたが、どうやら中国が原産のようだ。
たとえば書には、「万葉の時代には菊の言葉がなく、古今に入ってから見られるようになった」と記されてる。
なにより「菊」のキクという音は音読みで、訓がなく、本来の「匊」(キク)の音符に艸を加えた会意兼形声文字である。
「多くの花をひとまとめにして、まるくにぎった形をした花」と『 漢字源』にはある。
「米」の字が書かれる「匊」は手の中に米をまるめてにぎったさまを表しているという。
その菊の異称に星見草、黄金草、霜見草の名も見つける。
静かな夜にそんなことを調べてみたりする。

わがいのち菊にむかひてしづかなる (水原秋桜子)

菊74

菊74 (2)
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サザンカ(山茶花) 〜忍は力〜
- 2009/11/19(Thu) -
さざんか

木枯らしは有無を言わさない。
木々は否応なしに身ぐるみを剥がされていく。
欅も銀杏ももうすっかり裸だ。
錦木と満天星躑躅の赤は地面にある。
耐える時だ。待つ時だ。備える時だ。
「忍は力となる」。

虎落笛が聞こえる頃は山茶花の小春。
照葉の中に花が開く。
赤い蕾の花は白くなり。
何故に厳しい風を好む。
霜は草木に降りる。

同じである必要はない。
「みんな違っていい」。
それぞれが自分らしくあればいい。
自分が一番輝く時と場所を見つければいい。

山茶花の季節は寒い季節。
美しい山茶花は凍える季節に。

   樹には樹の哀しみのありもがり笛 (木下夕爾)

サザンカ
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キク(菊) 〜菊は語らず〜
- 2009/11/18(Wed) -
菊

山茱萸の古木の下に菊。
陽が昇るかどうかのまだ薄暗い朝。
花の形はこれからに。

秋、冬、秋、秋、冬、秋と入れ替わりながら。
冬、冬、秋、冬、冬となっていく。

そんな季(とき)の菊。
冷え冷えとしたそんな朝の菊。
私は手袋をして腰を屈めて見る。
菊はただただじっとして。
語らずの菊の前で私も語らず。
私と菊の音のない朝。

道を指すしづけさにある菊の声 (文)

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